2017年03月26日

<土光さんが泣いている>

 先週は今一つ体調がすぐれず風邪かインフルエンザかと自分なりに診察していましたが、病院に行くのもどうも面倒に思え自然治癒力で治そうと思っていました。しかし、未だ回復したとはいえない状況です。
 体調うんぬんの前に、基本的な問題として心臓関連の疾患を経験していることと年をとったことによる体力の衰えがあります。若いときのように颯爽とした動きはできなくなり、動くたびに息切れに近いものを感じています。もっと体力をつけねばと自戒をしている今日この頃です。
 人間の「齢を重ねるにしたがって体力が衰える」という摂理を実感したのは、先週書きましたが、石原元都知事の動作の映像を見たからでした。病気をなさったこともあるでしょうが、年齢を重ねたことも大きな要因のように感じました。その石原氏が先週都の百条委員会で答弁をしていました。しかし、その内容には首をかしげたくなることがありました。おそらく多くの人が同じ感想を持ったのではないでしょうか。
 ビジネスマンまたは社会人として「憧れの働き方」は自分は動かず部下に指示だけをする立場になることです。「指示をする」様は勇ましくとても偉そうに見えますし、人を支配している印象を与えます。英雄は人を支配するのが基本的姿勢です。
 僕は普通の会社勤めをした経験が3年少ししかなく、それ以外はずっと個人事業主です。もちろん時にはアルバイトも兼業しています。ですから、会社のような組織で部下を持った経験がありません。裏を返せば、上司としての経験がないことになります。つまり、「自分は動かず部下に指示だけを出す」という経験がありません。英雄とは程遠い状況でした。
 そんな僕でも、若い頃にはやはり「憧れの働き方」を求める気持ちになったことがありました。つまり「自分は動かずに指示だけを出す」ことです。具体的になにをしたかと言いますと、パートさんに仕込みや開店前の準備を任せて自分は全く違うことをすることでした。ときには喫茶店にお茶を飲みに行くようなことさえしました。それが経営者として「かっこいい」と思ったからです。若気の至りと言いますとそれまでですが、浅はかな個人事業主でした。人に指示だけをする立場に憧れていたのでした。
 しかし、そうしたことも一ヵ月もしないうちに「自分の馬鹿さ加減」がわかりました。なんとなく心が落ち着かないのでした。
 石原元都知事は答弁の中で幾度も「部下に一任していた」と答えていましたが、言葉を変えるなら「自分はなにもしていない」ことになります。「一任」とは「丸投げ」と同義語です。「一任」していたから細かなことは「わからない」では、都知事という役職にいる意味がありません。石原氏は一応は「トップとしての責任は感じる」と答弁していますが、その言葉と「部下に一任」発言は矛盾しているように感じます。
 しかし、組織が大きくなるにつれてトップがすべてを把握し理解することは不可能なことも理解できます。では、大きな組織ではトップはどこまで理解し責任を負えばいいのでしょう。
 セブンイレブンの鈴木敏文氏がトップを退任して約1年が過ぎましたが、鈴木氏のトップとしての姿勢にも僕は疑問を感じていました。ついでにいうなら日産のゴーン氏にも同じ気持ちを感じています。
 鈴木氏はイトーヨーカドーの業績が悪い原因を常々マスコミのインタビューで語っていました。しかし、企業のトップは原因を解説するのではなく、解消する処方箋を示すことが役割です。しかし、鈴木氏は処方箋を示すのは担当者の役割を考えていたようです。鈴木氏の言葉を借りるなら「方向を示す」のがトップの役割だそうです。僕は常々この言をとても不満に思っており、方向性だけを示すなら誰でもできることです。なぜなら直接的な具体的な結果が評価されることがないからです。仮に、方向性が間違っていたとしてもいくらでも詭弁を弄して結果責任から逃れることができます。「部下のやり方が悪いから」と言うことができるからです。こうしたやり方は責任を負わなくて済む究極の方法です。経営者と評論家を一緒くたにする逃げのやり方です。
 僕は日産の社長に就任した当初のゴーン氏に対しても似たような感じを持っていました。ゴーン氏はマスコミのインタビューでコミットメントという言葉を頻繁に口にしていましたが、コミットメントとは約束という意味で、要は担当者に結果を約束させそれが達成できないときは降格させるという信賞必罰のシステムでした。のちにこの経営手法は修正されましたが、長い目で見ますと、弊害のほうが大きい手法です。
 企業に限らず組織のトップは問題に対して処方箋を出すことが役目のはずです。そうでないならトップが存在する意味がありません。その意味で石原氏の「部下に一任しているから細かなことはわからない」は都民という納税者に通用する答弁ではありません。
 そもそも論になりますが、在任中石原氏は都庁に週に数回しか行かなかったそうですから、さほど仕事をしていなかったことになります。そのうえに実際の仕事は「部下に一任」していたのですから、普通の感覚で考えるなら「仕事をさぼっていた」ことにほかなりません。そのことについてマスコミやジャーナリストの方々はもっと批判の目を持つべきだったのではないでしょうか。今の小池都知事の忙しさと比較しますと、その乖離に驚かされるばかりです。
 現在、東芝がかなり危険な状況にありますが、最も大きな原因は米国の子会社ウェスチングハウス(WH社)が7000億円という損失を出したことです。しかも一節によりますと、WH社を買収するときに当時の社長は細かな内容について説明をされていなかったそうです。理由は、原子力関係の事業は専門的な要因が多く理解できないからと解説してありました。この報道に関してどこまでを信用してよいのかわりかませんが、大企業になればなるほど扱う業種が広がりますからトップがすべてを把握し理解しておくことが不可能なことは想像ができます。あながち出鱈目でもないように思います。
 僕の年代で東芝の社長と言いますと、土光敏夫氏をすぐに思い起こします。土光氏は1981年に発足した第二次臨時行政調査会の会長を務めた財界人です。土光氏は風貌がお坊さんのようで他を圧倒する迫力がありました。土光さんが東芝の社長に就任したのは東芝が危機に瀕しており、それを再建をするために白羽の矢が立ったからでした。
 土光さんの本を読みますと、土光さんは「偉くなるほど働け!」と喝破しています。実際、土光さん自身も誰よりも早く出社し最後まで残っていたそうです。土光さんの考え方のすべてが今の時代に通用するとは思いませんが、「偉くなるほど働け!」の理念は今でも立派に通用するように思います。
 もちろん、この理念を悪用したブラック企業による名ばかり管理職は論外ですが、役職が上がるほど働くのが企業の本来の姿でなければいけないと考えます。その意味で言いますと、石原氏のような働き方はトップとして失格です。土光さんが生きていたなら必ずや怒っていたことでしょう。土光氏は怒鳴ることでも有名だったそうで、土光を怒号と言い換える人もいたようです。
 僕が直接接することがある大企業と言いますと、やはりスーパーになりますが、そのスーパーでたまに見かけるのが本末転倒の発想で動いている偉い人です。例えば、スーパーの一番利用しやすい駐車位置に車を止めて巡回している本部の偉い人です。また、日曜など最も売り場に従業員がいる必要がある時間帯に訓示を垂れている偉い人です。このような人は偉い人でいる資格がありません。単に、自分の偉さに自己満足するために仕事をしている人たちです。このような人が幹部にいる企業はいつかは危機に直面するでしょう。なにしろ、東芝という大企業でさえ倒産の危機に瀕しているのですから。
 土光氏が会長を務めた第二次臨時行政調査会が発足した理由は、当時の財政が危機的状況だったからです。国をあげて健全財政にしようという気概がありました。因みに、調査会が掲げた提言を紹介しますと
・1984年度までに赤字国債ゼロ
・官業民営化 (国鉄分割民営化、日本電信電話公社、日本専売公社)
・3K赤字(コメ、国鉄、健康保険)の解消
(ウィキペディアより引用)
 です。今の若い人が見てどんな感想を持つのでしょう。なんと言っても興味深いのが「1984年度までに赤字国債ゼロ」です。2017年で一千兆円になろうとは土光さんは想像もしていなかったでしょう。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 22:01 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<土光さんが泣いている>

 先週は今一つ体調がすぐれず風邪かインフルエンザかと自分なりに診察していましたが、病院に行くのもどうも面倒に思え自然治癒力で治そうと思っていました。しかし、未だ回復したとはいえない状況です。
 体調うんぬんの前に、基本的な問題として心臓関連の疾患を経験していることと年をとったことによる体力の衰えがあります。若いときのように颯爽とした動きはできなくなり、動くたびに息切れに近いものを感じています。もっと体力をつけねばと自戒をしている今日この頃です。
 人間の「齢を重ねるにしたがって体力が衰える」という摂理を実感したのは、先週書きましたが、石原元都知事の動作の映像を見たからでした。病気をなさったこともあるでしょうが、年齢を重ねたことも大きな要因のように感じました。その石原氏が先週都の百条委員会で答弁をしていました。しかし、その内容には首をかしげたくなることがありました。おそらく多くの人が同じ感想を持ったのではないでしょうか。
 ビジネスマンまたは社会人として「憧れの働き方」は自分は動かず部下に指示だけをする立場になることです。「指示をする」様は勇ましくとても偉そうに見えますし、人を支配している印象を与えます。英雄は人を支配するのが基本的姿勢です。
 僕は普通の会社勤めをした経験が3年少ししかなく、それ以外はずっと個人事業主です。もちろん時にはアルバイトも兼業しています。ですから、会社のような組織で部下を持った経験がありません。裏を返せば、上司としての経験がないことになります。つまり、「自分は動かず部下に指示だけを出す」という経験がありません。英雄とは程遠い状況でした。
 そんな僕でも、若い頃にはやはり「憧れの働き方」を求める気持ちになったことがありました。つまり「自分は動かずに指示だけを出す」ことです。具体的になにをしたかと言いますと、パートさんに仕込みや開店前の準備を任せて自分は全く違うことをすることでした。ときには喫茶店にお茶を飲みに行くようなことさえしました。それが経営者として「かっこいい」と思ったからです。若気の至りと言いますとそれまでですが、浅はかな個人事業主でした。人に指示だけをする立場に憧れていたのでした。
 しかし、そうしたことも一ヵ月もしないうちに「自分の馬鹿さ加減」がわかりました。なんとなく心が落ち着かないのでした。
 石原元都知事は答弁の中で幾度も「部下に一任していた」と答えていましたが、言葉を変えるなら「自分はなにもしていない」ことになります。「一任」とは「丸投げ」と同義語です。「一任」していたから細かなことは「わからない」では、都知事という役職にいる意味がありません。石原氏は一応は「トップとしての責任は感じる」と答弁していますが、その言葉と「部下に一任」発言は矛盾しているように感じます。
 しかし、組織が大きくなるにつれてトップがすべてを把握し理解することは不可能なことも理解できます。では、大きな組織ではトップはどこまで理解し責任を負えばいいのでしょう。
 セブンイレブンの鈴木敏文氏がトップを退任して約1年が過ぎましたが、鈴木氏のトップとしての姿勢にも僕は疑問を感じていました。ついでにいうなら日産のゴーン氏にも同じ気持ちを感じています。
 鈴木氏はイトーヨーカドーの業績が悪い原因を常々マスコミのインタビューで語っていました。しかし、企業のトップは原因を解説するのではなく、解消する処方箋を示すことが役割です。しかし、鈴木氏は処方箋を示すのは担当者の役割を考えていたようです。鈴木氏の言葉を借りるなら「方向を示す」のがトップの役割だそうです。僕は常々この言をとても不満に思っており、方向性だけを示すなら誰でもできることです。なぜなら直接的な具体的な結果が評価されることがないからです。仮に、方向性が間違っていたとしてもいくらでも詭弁を弄して結果責任から逃れることができます。「部下のやり方が悪いから」と言うことができるからです。こうしたやり方は責任を負わなくて済む究極の方法です。経営者と評論家を一緒くたにする逃げのやり方です。
 僕は日産の社長に就任した当初のゴーン氏に対しても似たような感じを持っていました。ゴーン氏はマスコミのインタビューでコミットメントという言葉を頻繁に口にしていましたが、コミットメントとは約束という意味で、要は担当者に結果を約束させそれが達成できないときは降格させるという信賞必罰のシステムでした。のちにこの経営手法は修正されましたが、長い目で見ますと、弊害のほうが大きい手法です。
 企業に限らず組織のトップは問題に対して処方箋を出すことが役目のはずです。そうでないならトップが存在する意味がありません。その意味で石原氏の「部下に一任しているから細かなことはわからない」は都民という納税者に通用する答弁ではありません。
 そもそも論になりますが、在任中石原氏は都庁に週に数回しか行かなかったそうですから、さほど仕事をしていなかったことになります。そのうえに実際の仕事は「部下に一任」していたのですから、普通の感覚で考えるなら「仕事をさぼっていた」ことにほかなりません。そのことについてマスコミやジャーナリストの方々はもっと批判の目を持つべきだったのではないでしょうか。今の小池都知事の忙しさと比較しますと、その乖離に驚かされるばかりです。
 現在、東芝がかなり危険な状況にありますが、最も大きな原因は米国の子会社ウェスチングハウス(WH社)が7000億円という損失を出したことです。しかも一節によりますと、WH社を買収するときに当時の社長は細かな内容について説明をされていなかったそうです。理由は、原子力関係の事業は専門的な要因が多く理解できないからと解説してありました。この報道に関してどこまでを信用してよいのかわりかませんが、大企業になればなるほど扱う業種が広がりますからトップがすべてを把握し理解しておくことが不可能なことは想像ができます。あながち出鱈目でもないように思います。
 僕の年代で東芝の社長と言いますと、土光敏夫氏をすぐに思い起こします。土光氏は1981年に発足した第二次臨時行政調査会の会長を務めた財界人です。土光氏は風貌がお坊さんのようで他を圧倒する迫力がありました。土光さんが東芝の社長に就任したのは東芝が危機に瀕しており、それを再建をするために白羽の矢が立ったからでした。
 土光さんの本を読みますと、土光さんは「偉くなるほど働け!」と喝破しています。実際、土光さん自身も誰よりも早く出社し最後まで残っていたそうです。土光さんの考え方のすべてが今の時代に通用するとは思いませんが、「偉くなるほど働け!」の理念は今でも立派に通用するように思います。
 もちろん、この理念を悪用したブラック企業による名ばかり管理職は論外ですが、役職が上がるほど働くのが企業の本来の姿でなければいけないと考えます。その意味で言いますと、石原氏のような働き方はトップとして失格です。土光さんが生きていたなら必ずや怒っていたことでしょう。土光氏は怒鳴ることでも有名だったそうで、土光を怒号と言い換える人もいたようです。
 僕が直接接することがある大企業と言いますと、やはりスーパーになりますが、そのスーパーでたまに見かけるのが本末転倒の発想で動いている偉い人です。例えば、スーパーの一番利用しやすい駐車位置に車を止めて巡回している本部の偉い人です。また、日曜など最も売り場に従業員がいる必要がある時間帯に訓示を垂れている偉い人です。このような人は偉い人でいる資格がありません。単に、自分の偉さに自己満足するために仕事をしている人たちです。このような人が幹部にいる企業はいつかは危機に直面するでしょう。なにしろ、東芝という大企業でさえ倒産の危機に瀕しているのですから。
 土光氏が会長を務めた第二次臨時行政調査会が発足した理由は、当時の財政が危機的状況だったからです。国をあげて健全財政にしようという気概がありました。因みに、調査会が掲げた提言を紹介しますと
・1984年度までに赤字国債ゼロ
・官業民営化 (国鉄分割民営化、日本電信電話公社、日本専売公社)
・3K赤字(コメ、国鉄、健康保険)の解消
(ウィキペディアより引用)
 です。今の若い人が見てどんな感想を持つのでしょう。なんと言っても興味深いのが「1984年度までに赤字国債ゼロ」です。2017年で一千兆円になろうとは土光さんは想像もしていなかったでしょう。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 21:59 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月19日

<雀のかあさん>

 先週新しい動画をアップしました。前回アップしたのは12月の初めですので3ヵ月ぶりということになります。僕はいつか将来ネットで生活できるような身分になりたいと思っていますが、物事が自分の思うように進まないのは長い人生で経験してきています。しかし、挑戦することもまた生きていることの証とも思っていますのでこれからも挑戦し続けていくつもりです。問題は人生が無限ではないことです。僕の挑戦が実るか、その前に人生が終わってしまうか、それが難問です。
 そんなわけで性懲りもなく動画に挑戦しているのですが、ソフトを使いこなせずに困っています。僕が使っているのは「六角大王」というソフトですが、その解説本の少なさに苦労しています。どんなに優れたソフトでも優れた解説本がなければそれは「優れたソフト」にはなりません。おそらく3Dソフトを使い慣れている人にはその性能のすばらしさがわかるのでしょうが、ITに詳しくない60才を迎えたおじさんには困難です。おじさんは基本の知識も技術も持ち合わせていません。キャラクターにたった一つの動きをさせるのにときには2時間かかることもあります。僕の苦しんでいる様がお分かりになると思います。
 六角大王を使い始めたきっかけはソースネクストという会社から「3Dソフトが安いよう〜」というメールが届いたことでした。いつかアニメを作りたいと思っていましたのでついつい買ってしまったのでした。宣伝文句によりますと「通常9,800円」くらいのソフトが1,980円とのことでした。おっちょこちょいの僕は思わず購入ボタンを押していました。
 実は、購入してから実際に使い始めるまでには数か月のタイムラグがあります。アニメ作りに取り掛かる時間が確保できず、そのままにしていたのでした。僕にはジンクスがありまして、「購入したものをすぐに使い始めないとき、その購入したものに後悔する」というものです。例えば気に入った靴を購入したとしても、すぐに履き始めるのではなく1〜2ケ月間しまっておいてから履いてみると、どこかしら足にフィットせず結局数回履いただけで処分する結果に終わります。六角大王はまさにそのような状態になりつつあります。
 このように後悔しつつ、なんとか新しい動画を作りました。題名は「雀のかあさん」です。これは童謡詩人・金子みすゞさんの作品ですが、金子さんを有名にしたのは東日本大震災のときに放映されたACの広告です。

『 こだまでしょうか』

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
 
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
 
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
 
そうして、あとで
さみしくなって、
 
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
 
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。


 ご記憶の方も多いはずです。金子さんの詩は「純粋、無垢」という言葉が最も当てはまると思いますが、その視点は常に弱者の側に立っています。僕が初めて金子さんの詩を知ったのは今から十数年前ですが、一時期詩を読むことに凝っており、そのときにたまたま図書館で手に取ったのが金子さんの詩集でした。その中で僕が一番心を揺り動かされたのが「雀のかあさん」です。
 先に僕のジンクスについて書きましたが、実は、僕にはほかにもジンクスがあります。それは僕が「すごく好きなもの」は多くの人からは支持をされないというものです。例えば、僕が「これは名曲!」と思った歌はそこそこのヒットはしますが、ベストテンに入るほどのヒットはしません。僕の感性はほかの人とは少しずれているようです。
 「雀のかあさん」もその一例となっています。金子みすゞさんの詩を紹介する本や雑誌はたくさん出版されているのですが、取り上げられるランキングでいいますと、「雀のかあさん」はベストテンには入っていません。金子さんは生涯に500編以上の作品を残していますので、出版に際してはおのずと詩を選別することになります。そうしますと、「雀のかあさん」を載せていない本のほうが多いのです。
 金子さんの代表作として紹介されることが多いのは先の「こだまでしょうか」や「大漁」または「私と小鳥と鈴と」などです。「雀のかあさん」が紹介されるのは稀です。だからこそ、僕は動画を作りたくなりました。
 なんでもそうですが、作ったものは多くの人に見てもらいたいものです。しかし、それは簡単ではありません。前回アップした「スマップの涙」の視聴回数はわずか24回です。3ケ月で24回ですから情けないを通り越して悲しさがこみあげてきます。ネット関連でなにが最も難しいかといいますと、それは存在を知ってもらうことです。あのピコ太郎のPPAPもフォロワーが数千万人いるジャスティン・ビーバーさんが紹介しなかったならこれほど注目されることはなかったはずです。
 ですから、自分のブログや動画に注目を集めたい人はいろいろな策略を練っています。中には注目を集めることが目的で炎上させる人さえいます。訪問者を集めることほど難しいことはありません。以前書きましたが、昨年の後半あたりから僕のサイトの訪問者が激減しました。一応僕なりに原因はわかっているのですが、サイトのアドレスを変更したことです。そのことにより検索で訪れる人が一気にいなくなりました。やはり訪問者が減りますとadsenseのクリックも減ります。ですから、現在の僕のadsenseは惨憺たる結果となっています。
 それに追い打ちをかけるように悲しい連絡がKDDIから届きました。僕はKDDIの公開サービスを利用してHPを公開しているのですが、そのサービスが終了するそうです。もちろんどこかに移転するつもりですが、せっかく今まで築いてきた実績が消滅することになります。詳しくはわかりませんが、検索で上位に入るには期間も重要な要素のようです。期間とは公開している期間のことです。なんだかんだ言って、僕は「脱サラをする前に」というサイトを10年以上続けています。その実績がサイトの引っ越しによってなくなってしまいます。それが残念でなりません。
 実績が大きな意味を持つのはどこの世界でも同じです。安倍首相は籠池氏という想像もしなかった伏兵によって窮地に立たされているように映ります。籠池氏の話が浮上するまで安倍首相は政治家として完ぺきに近い状況にいました。これまでの首相の中でも稀有の一強状態といっても過言ではなかったでしょう。
 その盤石の状況にいた安倍首相が窮地に陥ることなどそれまで考えられませんでした。まだ籠池氏という人物がどのような人なのか定かではありませんが、対応を間違えると大問題に発展する可能性もあります。強気一辺倒だった安倍首相の言葉遣いが柔らかくなってきたことがそれを物語ってもいます。自分の置かれている状況を敏感に感じ取ることが安倍首相が一強を築いた源です。安倍首相は憲法改正を行うことを最終目的にしているようですが、その目的はしばらくは置いておくことでしょう。
 政治の世界であとひとつ目が離せないのは東京都の百条委員会です。強気一辺倒だった石原氏がどのような対応をするのか多くの人が注目しています。石原氏は強気一辺倒だっただけに石原氏に対して反感を抱いていた人も多いはずです。それにしても最近の画面に映る石原氏を見ていますと、「どんなに強気の人間でも最後は必ず年をとるんだなぁ」とシニアに入ったばかりの僕は感じています。
 人間は、最後は「雀のかあさん」の気持ちがわかるのではないでしょうか。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 20:13 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

<どんぐり>

 就活の解禁によりこれまでは表立ってはできなかった就職活動が堂々とできるようになりました。ですが、優秀な学生はすでに内々定もしくは内定をもらっているのではないでしょうか。「優秀な学生」を俗な表現で表すなら一流の大学に通う学生です。どんなに言い繕おうが大学の偏差値で採用の可否が決められているのが現実です。
 常識的に考えて「才能」とは言いませんが、ある程度の「能力」を偏差値で推し量るのは採用する側にとっては当然の発想です。極端な例をあげますと、授業で中学校と同レベルの内容を行っている大学の学生と偏差値70の学生では採用する側にとっての魅力は桁違いです。ですから、偏差値70以上の学生は引く手あまたなのは当然です。
 どんな世界でもそうですが、競争が激しいのはいつも「どんぐりの背比べ」の部類に属している人たちです。就活生はもちろんですが、会社員となってからもそれは続きます。そして、忘れてならないのは世の中には「どんぐりの背比べ」に属している人たちの割合が最も多いことです。
 「どんぐりの背比べ」ですから才能や能力に大差があるわけではありません。ですから、いろいろと工夫を凝らしたり考えたりして差別化を試みます。そうしなけば競争に負けてしまいます。「どんぐり」な人たちはこのようにして苦労をしながら生きていくのがこれまでの、そしてこれからも続くのが世の常です。
 今から40年以上前の就職活動は今と比べますと、それはおっとりしたものでした。もしかしたなら僕だけだったのかもしれませんが、就職について考え始めたのは4年生の夏前くらいでした。今のように3年生のときから就職を意識することなど考えられませんでした。
 僕の学生時代はアルバイトに明け暮れていましたのでいろいろな学校の友達がいました。「いろいろ」とは偏差値に関しても「いろいろ」です。偏差値70以上の人もいましたし50以下の人もいました。しかし、学生の身分として遊んでいる分には偏差値は関係ありません。ですから、遊んでいる間は偏差値を意識することもあまりありませんでした。ただし、麻雀では「偏差値が関係しているかも」と思ったことはあります。
 このように僕にはいろいろな友達がいましたので就職活動に関して特別に鈍感だったということはなかったように思います。さすがの僕でも周りが就職で動き出しますとなにもしないではいられないはずです。そもそも周りが就職活動で忙しいときは遊び友達がいなくなることを意味します。
 どんぐりの部類に入る僕ですので最も平均的な学生の行動だったはずです。そんな僕が4年の夏前からしか就職活動をしていたのに比べますと、3月から就活を始めている今の学生さんたちは大変です。しかし、もう少し前の学生さんたちはさらに前の3年の秋くらいから就活をしていたそうですから大変を通り越しています。
 人間というのは何才になろうが、悩みは尽きません。悟りを開いた人は別にしてほとんどの人が悩みながら生きています。「どんぐり」たるゆえんです。人生相談を読みましても70才を過ぎた人が相談していることもあります。ですから、まだ20年ちょっとしか生きていない学生さんが就活で悩むのは至極当然です。
 また、「悩みに悩んで」もしくは「考えに考えて」下した決断が正しいとは限らないのがまた人生の不思議なところです。その理由にはいろいろありますが、その中でも大きなものに「正解が変わる」ということがあります。時代の変化とともに正解が変わるのですから常に正しい判断などできるはずがありません。就活中の皆さんは、そのことを頭の隅に置きながら頑張ってほしいと思います。

 伊勢丹の社長が辞任したという報道がありました。正確には(株)三越伊勢丹ホールディングスの社長ですが、業績悪化の責任をとって大西洋社長が辞任するそうです。この会社は僕にとって印象が強い百貨店なのですが、理由は三越百貨店、伊勢丹ともに身近に感じていたからです。
 まず三越百貨店は、悪名高い社長の失脚がマスコミを賑わしたことがあります。名前を岡田茂というのですが、三越の女帝と言われていた「竹久みち」とともに私腹を肥やしていたことが週刊誌でスクープされました。50才以上の人ならご記憶にあるでしょうが、役員会で解任動議が可決した際に発した「なぜだ!」は歴史に残る名言となりました。まだ経済や経営について関心も知識もなかった僕がビジネス界に少し興味を持つきっかけとなった事件でした。
 伊勢丹に関しては僕が学生時代にアルバイトをしていたことが身近に感じていた理由です。僕はバイトが終わるといつも社員専用の通用口から外に出たところで仲間とたむろしていました。そのときに少し離れたところに高級車が横づけし、運転手が降りてきて後ろのドアを開けると白髪の小柄な紳士が降りてきました。その紳士を腰を30度折り曲げ出迎えるスーツ姿の男性もいました。その光景を不思議な面持ちで見ていますと、偏差値60以上の先輩が教えてくれました。
「あの人は伊勢丹の取引先の銀行から天下ってきた伊勢丹の会長なんだよ」
 僕が世の中の仕組みを少しだけ垣間見た光景でした。因みに、当時伊勢丹は「どんぐり」では到底入れない会社でした。
 バイトの経験がありましたので伊勢丹には思い入れがありました。10年ほど前に「伊勢丹な人々」が売れたときや伊勢丹のカリスマバイヤーとして名を馳せた藤巻幸夫氏の名前にはいつも注目していました。
 藤巻氏の足跡を追っていますと、のちにマスコミで有名になる人との関りが見て取れてとても興味深く感じます。少しだけ紹介しますと、藤巻氏は伊勢丹を退職したあとある投資会社の要請で足袋の福助の再建を手掛けるのですが、この投資会社は現在ローソンの会長を務めている玉塚元一氏と現在ファミリーマートの社長に就任している澤田貴司氏が立ち上げた会社です。それ以前に、この二人はユニクロのファーストリテイリングでそれぞれ社長と副社長を務めていました。
 それはともかく、大西洋氏が辞任に追い込まれたことは僕にとっていささか落胆なできごとでした。以前、紹介しましたが、大西氏は百貨店として画期的なことを行おうとしていました。
 百貨店の凋落が言われて久しいですが、その兆候は僕が学生時代からすでに指摘されていました。ちょうどヨドバシカメラなどが台頭してきた時代です。百貨店の売り場から時計売り場やカメラ売り場などが消えつつあった時代です。この頃はカテゴリーキラーという言い方がされていましたが、百貨店のように「なんでも売っている」お店ではなく特定の商品に特化したお店が消費者の支持を集めだした時代でした。学生の僕でも疑問に思っていましたが、百貨店は「単なる場所貸し」の会社に成り下がっていたのでした。
 販売の会社が売上げ不振から脱却するために最初に行うのがセールを打つことですが、そのセールを始める時期が段々と前倒しになっていました。これは、少しでも売上げを上げるために行うことですが、売上げ不振の「焦り」からセールの前倒しが通常化していました。大西氏はこの状態を正常化しようと試みていました。
 僕もこの記事を読んで知ったのですが、セールの前倒しを正常化することは単に始める時期を遅くすることではないようです。メーカーに与える影響もかなり大きいようで簡単に実行できることはないようでした。しかも、セールをほかの百貨店よりも遅くするということは、ひとつ間違えるなら「売れるチャンス」を逃すことにつながるはずです。しかし、大西社長はそれを実行していたようです。
 また、お正月の初売りについても挑戦していました。今年の報道でも伝えていましたが、三越伊勢丹グループはほかの百貨店よりも初売りを遅くしていたそうです。これなどは素人目には間違いなくチャンスロスだと思いますが、実行しました。来年はさらに遅くすると話していました。
 初売りを遅くするのは従業員の労働環境の改善が目的ですが、大西社長は従業員の待遇に関してかなり思い切った考え方を持っていたようです。従業員が気持ちよく働けるような環境を作ることが会社の成長につながるとというポリシーの持ち主でした。
 このように僕からしますと、とても実直で誠実な経営者のように思えていましたが、こうした考えは当然反対する声があることは容易に想像がつきます。
 経営者は最終的には「結果がすべて」です。やはりいくら理想的な経営手法を行おうと結果がついてこなければ断罪されます。どんぐりではなくエリートの世界でも、いえいえエリートの世界だからこその競争の苛烈さがあるのでしょうね。
どんぐりでよかった…。でも、コロコロしてなくちゃいけないんだ…。

 じゃ、また。
 

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posted by satoaki at 19:31 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月05日

<印象の大切さ>

 今年も早いもので2か月が過ぎました。あと9か月が過ぎますと師走です。一年はなんと早いのでしょう。…などと、昔井上順さんがギャグを飛ばしていました。今から30年以上前のお話です。今の若い人はご存知ないと思いますが、井上順さんは元スパイダースのメーンバーで堺正章さんとともにボーカルを担当していた方です。井上順さんはスパイダースが解散したあとに「夜のヒットパレード」の司会者を務めていました。初代が前田武彦さんでその後任でした。因みに古舘さんはそのあとの司会者です。
 井上さんはお笑い芸人ではありませんでしたが、話術がとても長けていて面白ネタをいくつも披露していました。スパイダースを解散したあとの新天地を司会者の方向に決めていたのでしょう。やはり、どんな職業であれ、新天地に進むときはかなりの覚悟と努力が必要です。
 もう一人のボーカルだった堺正章さんも同じ方向に進みました。堺さんは今の若い人には「チューボーですよ〜!のMCをしている人」のほうがわかりやすいかもしれません。堺さんが司会者を務めていたのは「紅白歌のベストテン」という番組です。因みに、堺さんのお父様は有名な喜劇役者でした。
 「夜のヒット〜」はスタジオでの制作ですが、「紅白歌のベスト〜」は公開番組でした。いつも渋谷公会堂というところで番組を撮っていたのですが、実は僕は小学生か中学生の頃に生で見に行ったことがあります。当時は中野に住んでいましたので友達と見に行ったのでした。
 しかも舞台の上から見たのでした。番組は観客席のほかに舞台の後ろのほうにも応援席があり、そこに座ることができたのです。つまり歌っている歌手を後ろから見ていたことになります。
 その時にとても印象に残ることがありました。それは和田アキ子さんが歌っているときのことです。歌いだしサビのあたりに差しかかった頃、マイクを持っていないほうの手を背中のほうに回し、観客席からは見えないように伴奏を指揮している人にしきりに手のひらを上下させて、なにかの合図を送っている姿でした。「テンポを落とせ」といっているのか「音量を落とせ」といっているのかはわかりませんでしたが、必死に合図を送っていました。
 堺さんが最近注目を集めたのはヒロミさんを干した張本人という噂でした。ヒロミさんは今では売れっ子のひとりですが、2〜3年前までの約10年間芸能界から消えていました。その理由として「プロヂューサーに嫌われた」とかいろいろありましたが、「大物芸能人に嫌われた」という噂もあり、その大物芸能人の名前としてが堺さんが上がったのでした。
 結局、この噂については当事者の二人がある番組で笑い話のネタのひとつとして決着をみましたが、実は僕は疑っています。なにしろ芸能界から消える前のヒロミさんは生意気を絵に描いたような振る舞いで有名でしたし、堺さんも若手の生意気な芸人を極端に嫌っていたからです。
 しかし、生意気を理由にするなら同時期に売れていたダウンタウンの浜ちゃんも同様です。ですが、浜ちゃんは干されるどころか増々売れて行き、先輩芸能人の頭を平気で叩いたりするのが「ウリ」になったほどです。若いアーチストの中には「浜ちゃんに頭をはたかれると売れる」というジンクスまであったようです。
 ヒロミさんは復活をしてからいろいろな番組で消えていた10年間について語っていますが、消える前までもMCを務める番組も幾つか持ちしっかりとした売れっ子でした。ゴールデンの番組は少なかったかもしれませんが、深夜帯などでは押しも押されぬ大物だったのです。
 僕が印象に残っているのは、今売れっ子の一人であるロンブーの淳さんがヒロミさんに教えを請いに行く企画の番組でした。ロンブーの淳さんもゴールデンの立ち位置を確たるものにするまでは深夜でそこそこMCを務めていました。この道はすべてのお笑い芸人たちが通る道ですが、その頃の淳さんは「確たる」まではたどり着いていない立ち位置でした。
 番組では淳さんがヒロミさんの控室に押しかけ、土下座をして「どうすればレギュラーを確たるものにできるのでしょうか?」と質問していました。ヒロミさんは半分笑いながら、しかし真面目に答えていたのですが、「俺の場合は深夜だけだけどな」と前置きをしていたのが印象的でした。
 ほぼ同じくらいに出てきた中でダウンタウンやウッチャンナンチャンたちがゴールデンでも番組を持っている中で、深夜に活躍している自分の立ち位置をシビアに理解している姿が印象的でした。しかし、その後しばらくして深夜からも消えてしまうことになります。芸能界の厳しさを垣間見せてくれるできごとです。
 このように芸能界はとてもシビアな世界ですが、そのような世界では後輩であろうが先輩であろうが誰であろうがライバルです。ライバルを蹴落とさなければ生き残っていけない世界です。僕は毎週日曜に「ダーウィンが来た」を見ていますが、この番組は自然界の厳しい競争社会を紹介する番組です。自然界では競争に負けることは死を意味することです。芸能界は自然界と似ているところがあります。
 そのような厳しい芸能界でありながら演歌の世界とお笑いの世界だけは後輩に優しくするのが習わしになっているように思います。演歌の世界やお笑いの世界では売れた人は必ずと言っていいほど、売れなかった時代に受けた先輩からの厚遇を話します。実際には「出てきた杭は打つ」こともあるのでしょうが、全体的には「後輩を助ける」風潮があるように思います。
 先ほどのロンブーの淳さんは早くから東京に進出して成功した一人ですが、淳さんから温情を受けた後輩はたくさんいます。また雨上がり決死隊の宮迫さんたちは「まだ売れていない、もしくは売れなかった芸人」を紹介する意図がある番組まで作っています。このような光景は傍から見ていたとても気持ち良いものです。
 テレビでレギュラーを勝ち取るのは簡単なことではありません。そんな中で僕が最も不思議というか底力を感じるのは「今でしょ!」で有名になった予備校講師の林修先生です。なにが凄いかといいますと、引き出しの多さです。
 ある人がなにかのきっかけでテレビのレギュラーの座を得ることはよくあることです。しかし、そうした人たちのほとんどは一過性の場合がほとんどです。いわゆるブームが終わるとともに当人もお払い箱になる流れです。しかし、林先生は違いました。もう一過性でもブームでもないのは明らかです。
 しかもさらに凄いところはゴールデンの時間帯でずっとレギュラーを持っていることです。さらにさらに凄いところは一つの局ではないことです。僕が知っているだけでテレビ朝日、フジテレビ、TBSでレギュラーを持っています。下手なタレントよりも活躍しています。
 このような状況を見ていますと、芸能界で生きていく中で大切なことは番組制作者に好感を与えることです。もちろんその前提として能力や人間性が優れていることが必要です。それを備えたうえで制作者に好印象を与えることが芸能界を生きていく要諦のように思います。
 そして、これは就職活動においても当てはまります。就活が解禁になりました。就活という競争の中においてもライバルを徒に蹴落とそうとするのではなく、「できたら一緒に採用されたい」というくらいの心構えを持つくらいの余裕を持つことが大切です。人間は渦の中に入ってしまうとどうしても心の平衡感覚を失いがちです。追い込まれたときに、結局最後に現れるのは自分の本性です。その本性を認めてくれる会社と出会えることが就活における勝利です。

 就活生、頑張れ!

 じゃ、また。


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posted by satoaki at 22:52 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

<弱小の強み>

 先週はプレミアムフライデーでマスコミは盛り上がっていましたが、実際のところは会社勤めをしている人たちの大半には無関係だったのではないでしょうか。なにしろプレミアムフライデーを実施する企業の割合がわずか2.5%という数字でした。普通に考えて勤務時間を短縮できるのは大企業の一部に限られているはずです。日本の大企業の占める割合は約10%ですから、ほとんどの会社員はプレミアム金曜の恩恵を受けていないことになります。
 情報番組などの伝え方を見ていても「時間の使い方を無理矢理に作っている感じ」が映像から伝わってきます。テレビ用に人を集めてきて事前にコメントの打ち合わせをして、その場面を撮っている様子が目に浮かびます。それにしても今のテレビ界を象徴しているように感じたのは映像を撮る場所でした。せっかく仕事が早く終わったのに、「やることがお酒を飲むだけ」というのはあまりに情けないことです。今回の騒動は図らずも番組を制作する人たちが画一的な発想しか持ち合わせていないことを証明していました。
 1ヵ月に1回とはいえ勤務時間を減らすなどという悠長なことができるのは日本にある企業の中ではほんのわずかな数です。ほとんどの企業では人手不足が慢性化しており、そして企業は残業代を支払うことにさえ汲々としておりサービス残業が常態化しているのが実態です。
 人手不足が特に顕著なのは人間がサービスを提供する業界です。例えば、飲食業や小売業、配送業などですが、これらの業界は働く人がいなくなると成り立たない業界です。しかも退職などで従業員が足りなくなりますと、残っている従業員にさらにしわ寄せがいく構造になっています。飲食業や小売業で働いている人たちはこの負のサイクルから抜け出せずに苦しんでいます。
 先週、宅配業界の最大手であるヤマト運輸の労働組合が「荷物受付の制限を要請した」というニュースがありました。このニュースは一見なにげない内容のようですが、僕には画期的な印象がありました。理由は、労働組合が本来の役目を果たしたように感じたからです。今の時代に、労働組合が経営側に業務内容について「意見をする」などという話を聞いたことがありません。今の労働組合は経営側の御用組合に成り下がっているからです。因みに、御用組合とは「経営者の言いなりになる労働組合」のことです。
 そのような状況の中で労働組合が経営側に荷受け制限を要望するのは簡単ではないはずです。荷受け制限は売上げを落とす行為ですから経営側にとっては容易に受け入れられる内容ではありません。それを敢えて行ったのですから今の労働現場がいかに過酷であるかを示しています。
 荷受け制限をしなければいけないほど荷物が増えたのは昨年amazonと契約をしたからだそうです。amazonはそれまで佐川急便と契約していたそうですが、佐川急便が金額的に合わずに辞退したことによりヤマト運輸と契約したわけです。
 素人目にみましても、佐川急便の配達システムでは無理があるように思います。ヤマト運輸のようなきめ細かな配達網を確立していなければ消費者の要望に応えるのは無理です。そう考えますと、宅配便を考えた小倉昌男氏の先見の明の素晴らしさをより強く感じます。
 先週のテレビ東京「ガイアの夜明け」ではそのヤマト運輸の違法な労働実態を訴える元社員を取り上げていました。内容は、サービス残業を労働者に押し付けている様子を示すものでしたが、業界最大手のヤマト運輸が対象になっているところが重要です。
 「ガイアの夜明け」はこれまでにもなんどか「労働者が不利益を被っている状況」を告発する内容を放映しています。数年前には大手コーヒーチェーンの「シャノアール」のアルバイトへに対する違法な労働実態を告発していましたし、最近では「ドン・キホーテ」や「アリさんマークの引っ越し」などの違法な労働実態を放映していました。
 一般に、大手マスメディアはスポンサーに配慮する傾向があります。大手であればあるほどその傾向が強いといわれています。その点、テレビ東京は業界では弱小であるがゆえに反対に「スポンサーに配慮することなく番組を作ることができる」という利点があるように思います。
 僕は現在、読売新聞を購入していますが、新興宗教の広告が堂々と大きな紙面を占めていることに違和感を持っています。いくら営業的に苦しいとはいえ新興宗教に加担するようなことは慎むのが大手新聞の矜持ではないでしょうか。
 話は少し逸れますが、「ガイアの夜明け」のMCを務めているのは江口洋介さんですが、場合によっては自分の芸能活動に影響を与えることもあるかもしれません。自社の営業活動を批判している番組に出演しているタレントを企業が使うはずがないからです。芸能人はそういうリスクも負っていると考えますと、芸能人も大変です。
 ヤマト運輸では労働組合が本来の役割を果たしたわけですが、それはあくまで組合員の立場を守ることが目的でした。それに対して、さらにもう一歩進んで組合員ではなく労働者全体の立場を守る提言をした労働組合のニュースがありました。
 auを展開するKDDIの労働組合は契約社員の一時金の算定方法を正社員と同じようにすることを要求するそうです。つまり正社員の労働組合が非正社員である契約社員の収入が増えるように要請することです。正社員と契約社員の格差を解消するのが目的とのことですが、労働組合というからには正社員だけではなく契約社員など非正社員の待遇改善も目指すのが本来の役割です。この流れが全体に広がることを期待しています。
 現在、労働組合の組織率は20%を割り込んでいますが、組合離れが始まったきっかけは経済が安定したことだと思います。しかし、現在の労働環境は決して褒められたものではありません。昨年あたりから「ブラック企業」だとか「ブラックバイト」という言葉を見聞きする機会が増えましたが、労働者にばかり不利益が押し付けられる労働状況が増えています。
 ブラックな企業をなくすのはある意味簡単です。情報公開です。離職率の発表を義務付ければよいのです。離職率は求職者が判断する目安になります。普通の感覚の持ち主なら離職率の高い企業の面接を受けようなどと考えるはずがありません。このようにして自然とブラック企業は淘汰されていくでしょう。
 先週はまたしてもコンビニで「急に休んだことを理由に罰金をとっていた」事件が報じられました。おそらくこのような違法な誓約書を強制しているコンビニはほかにもあるのではないでしょうか。僕も飲食店を経営していた経験がありますので突然休まれることの大変さはわかります。ですが、それも含めてお店を運営するのが経営者の務めです。それができない経営者は淘汰されるべきです。
 このように決して高い賃金を支払っているとはいえないアルバイトに重い責任を押し付けようとする発想に憤りを覚えます。ですが、僕がもっと憤りを感じるのはコンビニ本部が加盟店に対して不公平な関係で契約していることです。なにしろ経営者でありながら、「お店を休業したときに本部に違約金を支払う」なんて経営者に対する侮辱です。名ばかり経営者と言われてもおかしくはありません。
 テレビ東京で取り上げないかなぁ…。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 20:10 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月19日

<青色申告会>

 毎年この時期になりますと、僕は確定申告に関連するコラムを書いているのですが、今年も書きます。今年もなんとか提出を終え、一息ついているところです。確定申告でなにが困るかと言いますと、やり方を思い出すことです。なにしろ一年ぶりに仕訳やら決算やらをやるのですから大変です。仕事絡みなどで日々経理や簿記に接している人ですと、「思い出す」という作業をする必要はありません。しかし、僕のように確定申告時以外は全く経理関連に触れることがない人間にとっては苦労以外のなにものでもありません。
 これから書くこともなんどか書いていますが、やはり書きます。国税庁のHPにある「確定申告書等作成コーナー」はとても便利です。本当に、画面の指示に従って進めるだけで確定申告書を作成することができます。そうは言いましても、パソコンに慣れていない人には不安を感じる人がいても不思議ではありません。パソコンさえ完ぺきに操作できない人が、ネット上で「確定申告書を作成する」気持ちになるのは不可能に近いことです。
 僕にも経験がありますが、「画面の指示に従って」というのがまた曲者で「画面どおりに従えない」ことがままあります。僕の妻は新婚時代には僕に従っていましたが、年齢を重ねるとともに「従わなくなって」きました。30年を過ぎた今ではほとんど無視です。妻の場合は、人間性が図太くなったことが原因ですが、「確定申告書等作成コーナー」の画面どおりに「従えない」のは別の理由です。
 これは単純に言いますと、説明の仕方が下手くそだからです。「教える」とか「説明する」ことに対する意識が低いからです。僕のポリシーは、「教えられる側ができないのは、教える側に100%責任があります」です。
 「確定申告書等作成コーナー」は国税庁のHPにあり、その国税庁はお役所の中でも最もお役所的なイメージがあるところです。そして、お役所という言葉から連想するのは「お役所仕事」です。「お役所仕事」を辞書で調べますと「形式主義に流れ、不親切で非能率的な役所の仕事振りを非難していう語」と書いてあります。ですから、「確定申告書等作成コーナー」の存在を知っていながらまだ利用していない人は「お役所仕事」というイメージが行動を躊躇させているように思います。そこで、単に「画面の指示に従う」だけではなく、さらにもう一歩進めてもっと具体的にわかりやすく説明しているサイトを「まとめnaver」で紹介することにしました。確定申告がまだの方は是非挑戦してみてください。

簡単!国税庁の確定申告作成コーナーで手早く済ます方法

 ネット上には確定申告で「得をする」方法を紹介しているサイトが数多くありますが、そこに必ず書いてあるのは「青色申告」をすることです。ご存知の方も多いでしょうが、確定申告には「白色申告」と「青色申告」があります。確かに「青色申告」にはメリットがたくさんあります。ですから、手続きや作業などを面倒と思わない人なら「青色申告」にした方が得なのは間違いありません。しかし、「青色申告」にしたからといって審査が甘くなるということはないようです。「ないようです」と曖昧な表現なのは実際にいろいろな人の体験談を聞いてきたからです。
 トランプさんが大統領になってから「偽ニュース」が注目されています。これまでもいわゆる噂話のレベルではいろいろなことが言われていました。噂話を伝える最も大きなメディアは週刊誌です。週刊誌は著名人・有名人のゴシップを報じるのが仕事であり使命ですが、その中には「事実」もあれば「偽」もあります。マスメディアの世界はこれら週刊誌の情報の中から真実性の高いものをテレビや新聞などが報じるという大きな流れがあります。簡単に言ってしまうなら、週刊誌で報じられる記事の中でテレビや新聞が取り上げるものは「事実である」とお墨付きがついたことになります。昨年来、関連本が売れ続けている田中角栄元首相が失脚したきっかけは週刊誌の第一報でした。
 それはともかく確定申告や青色申告に関する情報においても同様で、例えば「青色申告にしていると税務署のチェックがほとんどノーチェックだ」などという話が実しやかに言われたりします。さらに、「青色申告にするだけではなく青色申告会に加入しないとメリットは受けられない」などといった話も伝わってきます。
 おそらくこの真偽はいつまで経ってもはっきりしないはずです。このようなことをはっきりさせてしまっては納税の公平性が失われるからです。しかし、一定の傾向は想像することができます。
 実は僕の父も仕事現役時代は白色ですが確定申告をしていました。世の中には確定申告を言葉は悪いですが「いい加減」にやっている人が少なからずいます。「いい加減」が言い過ぎなら「適当に」がよいでしょうか。どちらにしてもきちんと正確に申告していない人がいることは事実です。あ、「事実」という言葉は不安を与えますので「確かです」に変えます。
 僕の父もその部類に入る人でした。ある日、父は税務署から呼び出しを受けて問題点をいろいろと指摘されかなりの金額の追徴になりそうでした。しかし、父がいろいろとごねて反論をし押し問答になったところ、「青色申告会に加入することを条件に、1万円の追徴だけで済んだ」そうです。父は一年間だけ青色申告会に加入しました。
 僕は似たような話を幾人かから聞いたことがありますが、この話からあることがわかります。それは、「税務署は納税者を青色申告会に加入させたがっている」ことです。
 確か、今年から白色申告者も帳簿付けの義務が発生したように思いますが、昔は白色申告者は帳簿付けをしなくてよかったのです。そうしたこともあり、税務署は白色申告者をより丁寧に審査していたはずです。父はたまたまそれに引っかかったのだと思います。基本的に税務署も人数に余裕があるはずはありませんから、全部を丁寧に調べるのは不可能です。
 この状況は今も変わらないはずですから税務署ができるだけ審査の数量を減らすことを考えても不思議ではありません。その減らす方法が青色申告会の活用です。またおそらく税務署の天下り先にもなっているでしょう。
 僕は申告書の提出はほとんど妻に行ってもらっています。妻には「ただ出すだけでいいから」と言っていますし、実際妻は税金のことは全くわかりません。これまで受け取りを断られたことはないのですが、一度だけ提出した日の夜の7時ころに電話を受けたことがあります。かなり前ですので詳細は忘れましたが、どこかの記入箇所に不備がありその修正の可否でした。
「ここを直しますと、問題なく受け付けてもらえますのでよろしいですか?」
という内容でした。もちろん了承しましたが、このとき感じたことは青色申告会が税務署の代わりに審査をしている可能性でした。
 結論です。青色申告会に加入しているからといって絶対に審査が甘くなるということはありませんが、審査の対象になるリスクがかなり減るのは間違いありません。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 20:02 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月12日

<オルタナティブ・ファクト>

 僕は日曜の早朝7時からフジテレビで放映している「ボクらの時代」というトーク番組を毎週観ています。この番組は3人の著名人が出てきていろいろなお話をする番組ですが、30分の枠ですのでとても中身が濃く観ていて楽しい気分になります。
 一般的にこのようなトーク番組の場合、新しく始まる番組の宣伝いわゆる番宣や近々公開される映画などの宣伝として出演者が決まるのが普通です。しかし、この番組はそうした姑息な理由ではなく、純粋に「話を聞きたい人」の基準で決めている感じがします。
 出演者が番組内で話している内容から想像しますと、まず中心になる一人に出演依頼をしてその方のリクエストでほかの2人が決まるようです。やはり、宣伝臭さがありませんと純粋に会話を楽しめます。
 いつから僕がこの番組を観るようになったのか定かではありませんが、基本的に僕がテレビを見るのは妻の「あと追い」です。妻が観ている番組を偶然観る機会があり、そして面白かったから僕も観るようになるというパターンです。「ボクらの時代」まさにその番組です。
 実は、日曜の朝はこの番組の前に放送されている「はやく起きた朝は…」もほぼ毎週観ているのですが、この番組も妻がずっと観ている番組です。「ずっと」は本当に「ずっと」で、はじまったのが1994年だそうですから、かれこれ20年以上観ていることになります。出演者は松居直美さん、森尾由美さん、磯野貴理子さんのお三方ですが、この番組のスゴイところは「番組名を変えながら、また放映時間を変えながら続いていること」です。一応その変遷をご紹介をしますと

・「おそく起きた朝は…」:毎週日曜9:30 - 10:00(1994年4月3日 - 2003年3月30日)
・「おそく起きた昼は…」:毎週日曜13:30 - 14:00(2003年4月6日 - 2005年3月27日)
・「はやく起きた朝は…」:毎週日曜6:30 - 7:00(2005年4月3日 - )

 さすがの妻も仕事の関係で観られなかった時期がありますが、観られる状況になったときに再開するということを繰り返して現在に至っています。僕もずっと観続けていたわけではなくタイミングが合ったときは観ているという状態でした。
 現在は観ていますが、2〜3年前に観始める前までの一時期は全く観ておらず、番組の存在さえ忘れていました。ですから、まだ放映していることを知ったときはとても驚きました。
 そして、久しぶりに観たときに驚いたことがありました。それは3人のキャラクターが変わっていたことです。キャラクターが変わったのですから3人の関係性も変わっていました。僕の中ではかつての3人は「無理して仲良くしている」印象がありました。これは「3人の芸能活動歴が影響している」と思いますし、性格も関係しています。俗な言い方をしますと、「ギクシャクしている」ように映っていたのです。しかし、久しぶりに観た3人はそれぞれお互いを思いやり相手を立てながら会話をしているのが伝わってきました。以前はもちろん表面には出しませんが、「前に出たがる二人と気遅れしている元アイドル」が衝突している雰囲気がありました。
 20年以上も年月が経ちますと、人間は年を取りますしいろいろな経験をします。それぞれ離婚や再婚、子育て、大病などさまざまな苦労を味わっています。そうした経験が人間を穏やかにするのではないでしょうか。3人の今を観ていますとそんなことを感じます。
 現在、フジテレビは視聴率が低迷しています。「フジテレビはなぜ凋落したか」という本まで出版されていますが、かつての3冠王の面影は微塵も見られません。フジテレビと言いますと、鹿内一族が思い出されますが、この話をしますと長くなりますのでこれ以上は触れません。しかし、鹿内一族の内紛が現在の凋落の発端だったように思います。
 それはともかく今のフジテレビを見ていて一番感じるのは経営者の責任感の欠如です。社長の亀山氏は定期的に会見を行っていますが、マスコミから報じられる内容を見ますと、「低迷している責任が経営者にある」という自覚が感じられません。本来、企業は業績が悪くなると社長の対抗勢力が社長の責任を追及する動きをするのが普通です。そうすることで軌道修正を行おうとする力が働くからです。しかし、そうした緊張感が社長の会見報道からは伝わっていません。フジテレビ凋落の原因はこのあたりにあるのではないでしょうか。
 テレビ業界の話題のついでにTBSについて書きたいと思います。最近のTBSはいわゆるヤラセ問題が続きすぎているように感じます。以前、コラムで紹介しましたが、クイズ形式のトーナメント方式で順位を競う番組で本来勝ち進んでいる人を映像で消した事実が発覚しました。番組が盛り上がるような人に勝たせるよう画策したのですが、やり方があまりに露骨で拙劣でした。番組制作のレベルの低さを露呈したように思います。
 一昨年、僕は脱サラを特集する企画でラーメン屋のケースとしてTBSの取材を受けました。電話取材で1時間強お話をしたのですが、放映された番組を観ましたところ、やはり番組の作り方が粗雑な印象を受けました。結局、今のテレビ局は制作を下請けに丸投げしているイメージがあります。このやり方がテレビ業界の低迷の根本的要因のように思います。
 TBSでは毎年年末に『プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達』という番組を放映しています。MCおよびナレーターを務める少年隊の東山さんの語り口も番組にマッチしており一昨年までは楽しみにしていました。ですが、昨年は観たい気分になりませんでした。
 理由は、ヤラセっぽい雰囲気を感じるようになったからです。また、同じころにこの番組に批判的な記事を読んだことも影響しています。
 この番組の基軸になるのは「12球団合同トライアウト」というシステムです。このシステムは球団から戦力外を通達された選手たちが各球団のスカウトが見守る中で実戦形式でプレーをして、そのプレーする姿を見て興味を持った球団が選手をスカウトするものです。番組ではある選手に密着して選手と家族の戸惑いや不安を映し出し、視聴者に感銘・感動を届けようとする内容です。
 しかし、どの記事で読んだのかは忘れましたが、「このようなことは現実にはあり得ない」と書いてありました。理由は実に至極当然で「本当に欲しいと思う選手は合同トライアウトを受ける以前に直接接触してスカウトしている」からです。まさにそのとおりで、わざわざ合同トライアウトでプレーする姿を見なくともシーズン中に十分見ているからです。仮に2軍に落ちていたとしても、スカウトに値する選手なら常日頃から動向を注視しているはずで、それをするのがスカウトの仕事です。つまり、合同トライアウトはセレモニーにすぎないことになります。
 このシステムが始まった当初は本当に意味があったのかもしれませんが、これだけ情報がすぐに伝わる今の時代には用をなさないシステムになっているのが実際のところではないでしょうか。もしかしたならテレビ局が存続を望んでいるかもしれません。

 安倍首相はトランプ大統領に好印象を与えたようで世界に親密さをアピールしています。ですが、米国内ではトランプ大統領に対する批判が続いているようすも伝わってきます。。報道ではトランプ大統領が選挙期間中にツイートした発言の70%が嘘の内容だったそうです。大統領就任後も大統領報道官が就任式に集まった人数について「オルタナティブ・ファクト」と発言したことが物議を醸しています。
 オルタナティブ・ファクト=もうひとつの事実
 事実がふたつあっては困ります。というよりはあり得ません。そのような強弁をする人物が政権にいる大統領とあまりに親密になることを不安に思う人は僕だけではないでしょう。
 それにしても不思議なのはトランプ大統領への支持も40%〜50%存在することです。日本ではトランプ大統領に対する批判ばかりが報道されていますが、一定の割合の支持者がいることも事実です。その事実も頭の中に入れておく必要があります。

 忘れてはいけないことは人間という生き物の危なっかしさです。事実はひとつですけど、人間の気持ちは揺れ動くんですよねぇ…。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 19:43 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月05日

<企業の社会的責任(CSR)>

 「企業の社会的責任」(corporate social responsibility)という言葉がマスコミなどで報じられるようになったのは今から14〜15年前くらいでしょうか。この頃に学生時代にバイトで一緒に働いていた人たちと同窓会のようなものをやったのですが、その席で誰かが口にしたのを覚えています。このように紹介しますと、僕の学生時代の仲間が社会に関心を持つ高尚な人の集まりのようなイメージを与えますが、決してそうではありません。僕は会社勤めをしていませんでしたが、ほかの人たちはみんなごく普通の会社員でした。ですから、仕事絡みの話をしているときになにかの弾みで出てきたに過ぎません。僕も含めた全員がノンポリでただただ遊びほうけていた学生でした。
 「ノンポリ」という言葉も「時代遅れ」だと思います。これは「ノン、ポリシー」を短くしたもので「ポリシーがない」ことです。「ポリシー」は「政策。策略。また、事を行う際の方針」と辞書に書いてありますが、つまりは「政治的な意思を持っていない」です。さらに「つまり」で言いますと、「遊びが大好きなただの学生」ということになります。
 そのような学生たちも社会に出て企業の中で中堅どころになりますと、それとなく小難しいことも頭の中に浮かぶようになっているようでした。僕は自営業でしたので会社勤めの人ように同年代の人と話をする機会がありませんでした。ですから、昔の友達からそのような言葉が出てきたことに驚いた記憶があります。
 ひとりぼっちの僕ですので「企業の社会的責任」について誰かと話し合うことはありませんでしたが、「社会的責任」という言葉には興味を感じていました。自営業者として社会に参加していたこともありますし、学生時代からノンポリではありましたが、漠然と「世の中の不公平なことや不公正なこと」に敏感だったことも関係していると思います。
 そのような僕が憤りを感じるニュースが先週はありました。コンビニ大手のセブンイレブンでアルバイトの学生のお給料から罰金として9千円あまりを天引きしていたニュースです。罰金の理由は、「代わりに出勤する人を見つけずに、欠勤したから」です。僕からしますと、雇用する側がこのような発想をすること自体が、社会的責任の欠如です。

 「なんで、欠勤するだけで罰金を取られなければいけないのか」
 
 大人の従業員に対してこのような対応をするのも不快ですが、高校生というまだ社会のことをなにも知らない大人になっていない高校生に対して行ったことに最も憤りを感じます。今回は親御さんが知ることで行動を起こしたから公になりましたが、もし親に相談しない高校生だったならそのままやり過ごされた可能性が大です。
 「そもそも論」になりますが、このお店の「仕事を休む際のやり方」に問題があります。基本的に「従業員がお休みを取る際に代わりの人を自分で探すことが義務になっていること」は企業の正しい姿勢ではありません。人員の調整をするのは経営者もしくは管理者が責任を負う業務です。ヒラ社員、間違ってもアルバイトがやるべき仕事ではありません。もちろん従業員の側が自らの意思で自主的に代わりの人を見つけようとする行為は、純粋に仕事をするうえで理想的な対応ではありますが、それを義務にするのは間違いです。
 しかし、管理をする側からしますと、従業員に責任を押し付けるほうが楽です。ですが、それは経営者もしくは管理者としての責任放棄です。経営者・管理者として失格です。
 このコラムで何回か書いていますが、「名ばかり店長」とか「名ばかり管理職」の問題の核心はまさにここにあります。つまり「名ばかり」の問題点は従業員に過大な責任を押し付けることによって経営者や企業が利益を上げようとする姿勢や考え方であることです。これでは従業員ばかりが損失を被ることになります。このような企業が健全であるはずがありません。
 以前、飲食系のあるフランチャイズ方式のチェーン加盟店が学生に業務のすべてを押し付けて大学にさえ通えなくなるように働かせていた事件がありました。このフランチャイズチェーンはそれ以前にも加盟店がニュースになるような事件を起こしていますので、フランチャイズで脱サラを考えている人は慎重に情報を集めることが必要です。
 今回の事件に関してセブンイレブンの本部が「加盟店に対して指導をした」との報道がありましたが、僕には違和感がありました。本部の指摘では「加盟店の対応は労働基準法に違反する」とのことでしたが、同じようなことを本部は加盟店に対して行っていると僕は思うからです。
 僕はフランチャイズの問題点を「テキスト(フランチャイズ考察)」や「NAVERまとめ」で情報を発しています。僕が一番問題だと思っているのはまさに「最も大変な部分を加盟店主に押し付けていること」です。「大変な部分」とは人員調整です。そして、それができずに休業したときは違約金まで徴収する契約になっています。もしこのような契約のやり方が直営店で行われていたなら、これはまさしく先にセブンの本部が指摘していた「労働基準法」に触れる行為です。僕が違和感を持つのを理解していただけるでしょうか。
 大手マスコミなどではあまり報じられませんが、今でも本部と加盟店の関係がすべて円滑に行われているわけではありません。トラブルになり裁判にまで発展している例もあります。僕は自分がフランチャイズで開業した経験からフランチャイズシステムに懐疑的です。
 コンビニ業界はフランチャイズチェーンの最も成功した事例ですが、もしフランチャイズ方式でなかったなら業界のこのような発展成長はなかったはずです。おそらく深夜の時間帯の人員不足や年中無休による人件費負担などが経営の足を引っ張っていたはずです。そうした大変な部分を加盟店に押し付ける方式だったからこその発展であり成長です。
 24時間年中無休を直営店で運営するのは大変です。すべての人員を自ら調達しなければいけないのです。記憶に新しいところでは、牛丼のすき家は深夜帯の人員不足で多数の店が閉店に追い込まれました。人の確保がどれだけ大変かがわかる事例です。
 昨年はコンビニ業界に最も貢献したと言われている鈴木敏文氏が退任しました。鈴木氏はコンビニのカリスマとまで言われ経営者として崇められていますが、真の意味で優れた経営者であったならセブンイレブンだけではなくイトーヨーカドーも成功させていたはずです。鈴木氏が成功させたのはフランチャイズ方式のコンビニだけです。そのことを指摘するマスコミやャーナリストがいないことも不思議な気がします。
 今の時代は格差社会と言われており、貧しい人とお金持ちの差があまりに激しくなっています。先日は「世界の最富裕層1%の資産が残る99%の総資産額を上回る」という記事が発表されました。これはどう考えても不公平です。資本主義が万能ではない証になるものです。このような万能ではない資本主義を正しい方向に導くのも企業の社会的責任のように思うのは、、、僕だけなのかな…。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 19:52 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月29日

<仲介者>

 昨今の政治状況に思いを巡らせていて思い浮かんだ言葉があります。「歴史に学ぶ」です。この言葉が頭に浮かびましたが、誰の言葉かはわかりませんでした。そこで調べてみますと、初代ドイツ帝国宰相のオットー・フォン・ビスマルクの言葉でした。
 名前だけは聞いたことがある政治家でしたが、検索をしたときに驚いたことがあります。言うまでもありませんが、検索結果で上位に入るのは並大抵のことではありません。検索結果を上位にすることを仕事にしている会社もあるくらいですから簡単ではありません。ですから、検索ランキングの上位に入るサイトというのはそれなりの工夫をしていることになります。
 「歴史を学ぶ」を検索したときに2位に入っていたのはなんとある新興宗教関連のサイトでした。僕が驚いたのはランキングもそうですが、それ以上に僕のような凡人で真面目な人が検索するような「堅いワード」が新興宗教で使われていることでした。
 社会を動かすうえで重要なな要諦のひとつであるに違いない「歴史に学ぶ」ことを新興宗教がキーワードとして主張していました。新興宗教がすべて悪いとはいいませんが、インチキまがいの、もしくは犯罪すれすれの新興宗教が存在する現代です。そのような状況で生きる上での指標になりそうな言葉を堂々と使っていること、そしてそのサイトが上位に入っていることに不安を覚えました。
 かつてオウム真理教という殺人まで犯していた犯罪集団インチキ新興宗教がありましたが、その信者には一流大学卒業生が幾人かいたことが衝撃的でした。経歴的には立派な大人までもが殺人集団の教祖を妄信していたのですから信じられなかった記憶があります。今回「歴史に学ぶ」を検索して新興宗教関連サイトがランキング上位に入りましたが、このようにして新興宗教というのは成長していくのかもしれません。

 話を戻します。
 「歴史を学ぶ」は初代ドイツ帝国宰相のオットー・フォン・ビスマルクの言葉でしたが、正しくは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」だそうです。しかし、この文章も要約したものにすぎず、もっと正しくは
「 愚者は自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。 」
だそうです。さらに「しかし」を付け加えますと、この文章もドイツ語を日本語に翻訳したものにすぎません。翻訳者の気持ちが含まれていることになります。
 最近のニュース番組でトップを占めるのは、やはり今の時期ですとトランプ氏の言動です。トランプ氏の一挙手一投足を事細かに伝えていますが、その視点は批判的な角度からのものがほとんどです。
 誰の言葉かは記憶が定かではありませんが、あるラジオ番組でジャーナリストがトランプ大統領の記者会見の様子を伝えるときのテレビの対応について興味深い話をしていました。もちろん会見は英語ですので画面の下に日本語の翻訳がテロップで流れますが、トランプ大統領が話す「you」を「おまえ」と訳していることについてです。これを「あなた」と訳すか「おまえ」と訳すかで印象がかなり違うとの指摘でした。
 今はどのようになっているかわかりませんが、僕が中学生時代は「技術家庭」という授業がありました。そして、その授業を担当していた先生は正規の先生ではなく、30代半ばの男性講師でした。今ふうに言いますと、非正規先生ということになります。その先生は授業中に科目とは関係のない話をよくしていたのですが、その中で最も印象に残っている話があります。

「英語は日本語と違って、相手がだれであろうと【あなた】を意味する言葉はひとつしかないんだ。貧乏な人であろうと大統領であろうと相手を呼ぶときは【you】だけなんだよ。だから、英語は平等なんだねぇ」

 やけに僕の心の中に落ちた解説でした。自己啓発の本とか成功者の話ですと、ここから「それがきっかけで、僕は英語を猛勉強した」となるのですが、凡人である僕はそのような展開にはならず、「へぇ〜、そうなんだ」で終りました。
 それはともかく、このジャーナリストの指摘から想像しますと、やはりマスコミメディアはトランプ氏のイメージを「悪」の方向へ持っていこうとしていることになります。発する言葉が「あなた」より「おまえ」のほうが見ている人に柄が悪い印象を与えます。
 翻訳と言いますと、外国映画の字幕をすぐに連想しますが、字幕翻訳の大家といいますと今の時代は戸田奈津子さんです。米国から有名な俳優が来ますとインタビューのときに俳優の斜めうしろに背後霊のように立っている眼鏡をかけた中高年の女性を見かけることがありますが、あの方が戸田さんです。トム・クルーズさんやジョニー・デップさんなどが来日するときは必ず戸田さんが通訳をしています。
 その戸田さんの記事を最近目にすることが多いのですが、戸田さんの「字幕の作り方」、これはある意味「翻訳の仕方」でもありますが、その適切性について議論が起きているからのようです。
 つまり、「正しくない翻訳」という批判になりますが、誤訳の指摘には確かにどう見てもふさわしくないと思える訳がありますが、戸田さんの反論にも理があるように思います。
「スクリーンという限られた範囲の中で【映像の邪魔にならず】【画面に合ったスピード】で【ストーリーに適った】翻訳をするのが字幕の最も重要な使命である。見終わったあとに字幕を読んでいたことを覚えていないのが字幕の理想のありかたである」
 「you」が「あなた」にも「おまえ」にも「きさま」にも「あなた様」にも「貴殿」にも当てはまるのですから、その場面場面で最も適した日本語を選ぶのが翻訳者の腕の見せ所というわけです。
 このように字幕を作るときにどのように翻訳するかはとても大きな要因です。英語の世界と日本人の橋渡しをするからです。ニュアンスを少し変えるだけで意味が全く変わることさえあります。同じことがマスコミメディアの世界でもいえます。
 世の中で起きていること、特に政治の世界で起きていることをどのように伝えるかはとても大切です。メディアの考え方や姿勢によって事実がいろいろなふうに見えます。僕たちはそのことを留意したうえでマスコミメディアを利用する必要があります。仲介者の役割はとても重要です。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 20:05 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月22日

<ファースト>

 僕は毎日大手スーパーのフードコートに妻と出かけることを日課にしています。実はなにを隠そう、僕の夫婦の理想の姿は「夫婦は常に一緒にいること」と思っているからです。僕がサラリーマンを辞めて商売を選んだ理由のひとつにもそれが当てはまりますが、「なぜ結婚するか」といいますと「一緒にいたいから」がシンプルな理由です。「一緒にいたい」のでなければ、わざわざ結婚する必要はありません。恋人や親しい友人としての関係を続けていればよいのです。そうではなく、結婚という形をとるのは単純に「一緒にいたいから」です。というより「一緒にいたいから」でなければなりません。「must」です。
 僕はテキストを幾つか書いて公開していますが、その中で毎日読まれているテキストがあります。自慢話になって申し訳ありませんが、「あなたはこうやってラーメン店を失敗する」と「あなたはこうやって結婚生活に失敗する」です。
 僕はgoogleのadsenseをやっていますが、これらテキストから少しだけ収入を得ています。adsenseを始めて10年くらい経ちますが、ピーク時に比べ現在は1/3くらいに減っています。理由は閲覧者の端末が変わったことです。以前はPCで読まれることがほとんどでしたが現在はスマホに取って変わられています。
 そしてスマホに表示される広告はPCに比べ単価が低くなっています。それが収入が減少した理由のようです。「ようです」と曖昧なのは自分でも正確には理解していないからです。なにしろgoogleはとっつきにくいですから。
 そのadsenseが昨年末に分析結果の画面を変更しました。それによってどのテキストがクリックされたのかがわかるようになったのですが、それでわかったのが「あなたはこうやって結婚生活に失敗する」が僕が思っている以上に読まれていることでした。僕は、「・・・ラーメン店に失敗する」が読まれていることは予想していましたが、「・・・結婚生活に失敗する」はほとんど読まれていないと思っていました。それが意外にも読まれていることがわかり、ちょっと驚きました。
 それはともかく僕は毎日妻とスーパーのフードコードに行っているのですが、「毎日」は大げさではありません。おそらく僕たち夫婦は店長や従業員や駐車場の誘導員の人たちよりもスーパーに通っていると思います。僕の記憶では昨年も365日のうち360日は行っていると思います。なにしろ行かなかった日が思い出せないのですから360日は少なく見積もった数字です。因みに、このスーパーのフードコートができるまでは週に2〜3日マックにコーヒーを飲みに行っていました。
 さて、このように毎日フードコートに行っているのですが、最近気になることがあります。それはフードコートの利用者についてです。フードコートは自由に誰でもが使えることになっています。飲食物を持ち込むことも認められていますので店内で購入したパンや総菜、お弁当などを広げて食べている人もいます。もちろんフードコートの周りにはファーストフード店やアイスクリーム店、牛丼店、ラーメン店などがありますのでそれらの食べ物を食べることもできます。
 このようにフードコートという場所はその名前の示すとおり「飲食をする」のが基本的な使い方です。ところが最近は飲食とは全く関係のない使い方をしている人を目にするようになりました。
 先に書きましたように、フードコートの周りには飲食店がありますので、ときにはそれらの店舗の責任者が面接をすることもあります。それは向かい合って座っている二人の雰囲気や態度で想像がつきます。そして、そうした利用の仕方もある意味当然のように思います。
 ところが、最近はフードコートの店舗と関係があるとは思えない雰囲気の人たちが利用する姿を見かけるようになりました。そして驚くべきことに、そこで数人が集まり会議らしきものまでを行っているのです。わざわざ机と椅子を移動させて会議にふさわしい並べ方にまでしています。
 面接であるなら、なんとなく理解できます。フードコートの店舗の責任者も行っていますのでスーパーの近くの会社で面接の場所が確保できない場合などは格好の場所といえなくもありません。また、面接の延長線上のものとしてセールスマンが顧客に対して商品説明をしたり契約をするのも理解の範囲に入ります。ですが、その場合も一人対一人、最大に譲っても一人対二人までです。それ以上ですと、理解の限度を超えています。さらに会議となりますと、限度を超えるどころではありません。不適切です。フードコートは会議を行うのにふさわしい場所ではありません。
 理由は、フードコートのほかの利用者に対する配慮に欠けています。スーツ姿の男性が机や椅子を動かして特別な空間を作ることはほかの利用者の居心地を悪いものにします。最悪の例は会議が終わったあとに机と椅子を元に戻さないことです。
 そもそも論になりますが、会議という重要な話し合いを周りに筒抜けの状況で行うことに疑問を感じます。また、そのような状況で中身のある有意義な話し合いなどできるとは思えません。僕からしますと、そうした姿勢で仕事に臨む企業は三流の企業としか映りません。今の時代は情報保護がとても重要な要因ですが、その意味でも企業として失格です。
 このように企業としてあるまじき行為をなんの疑問も持たずに行ってしまうのは自分のことだけを考えて周りが見えないからです。視野が狭いからです。もし、第三者の視点を持てるなら自らの行為を不適切と感じるはずです。自分の会社にとってだけ得することを、または損を被らないことだけを考える発想が根本にあります。フードコートで会議を行いますと会議室を借りなくて済みますからコストがかかりません。ただ自社の利益だけを考えた行動です。今ふうの言葉で言うなら「自社ファースト」ということになります。

 先週のトップニュースはなんと言ってもトランプ氏が大統領に就任したことです。予てより報道されていましたが、反対派のデモなど米国が分断されているようです。支持率もこれまでの最低で40%台だそうです。そのトランプ氏は「米国ファースト」を声高に主張しました。なにを差し置いても「米国を一番に考える」ことを重要な政策に掲げました。
 細かく考えるなら「米国ファースト」の「米国」がどういった人たちを意味するかが問題です。トランプ氏が考える「米国」は白人のかつての中流階級のようです。しかし、トランプ氏の政策の裏返しとして移民差別や人種差別、女性蔑視などがあります。トランプ氏を批判している人たちはそのことに憤っています。
 米国内における白人偏重主義も問題ですが、さらに世界に目を向けるなら「米国ファースト」は「米国さえよけれがそれでよい」という発想が透けて見え、世界を不穏な空気にさせるものがあります。
 テレビである評論家がトランプ大統領の演説はヒットラーが台頭してきたときの演説に似ていると指摘していました。言われてみますと、確かにヒットラーが登場したときのドイツは第一次大戦の敗戦により世界から賠償金などを負わされていて疲弊していました。そのような社会状況で国民の不満を代弁する演説はまさしく「ドイツファースト」といえるものでした。そして、世界大戦へと発展していきます。
 今、欧米ではいろいろな国で自らの国を「ファースト」にする発想が席捲しています。英国の離脱もそうした発想が背景にあるようですし、各国で移民排斥を訴える政党が伸張しています。トランプ大統領の政策のひとつである保護主義も「ファースト」そのものです。保護主義も世界大戦に至った要因のひとつです。
 現在のような世界を取り巻く不穏な空気はやはり戦争を想起してしまいます。戦争がいけないことは誰でも知っていますが、知らぬ間に突入しているのが戦争という悪魔です。人間は「世界ファースト」という気持ちにはなれない生き物なのでしょうか。

 じゃ、また。
 

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posted by satoaki at 19:38 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月15日

<理想と現実、本音と建て前>

 元リクルート社員で役員まで上り詰め、その後公立中学校の校長を務めた藤原和博さんという方がいます。東大卒という経歴もあり一時期テレビなどにも頻繁に出ていましたし、本などもたくさん書いています。また校長時代は授業に「よのなか科」という科目を導入したことでマスコミから注目されたこともあります。
 その藤原さんがラジオで「新聞なんか読まなくていい」と話していました。ちょっと意外な感じがしましたが、藤原さんによりますと、

”””””””””””””
「新聞をとるのを止め、テレビを居間からどけると、世の中が見え てくる」
 
 「新聞の報道をそのまま事実として受け取ったり、キャスターの 勝手な解釈を自分の意見であるかのように勘違いしてしまう情報  過食症症候群が治る」
 
 「メディアが作り出すバーチャルリアリティから逃れて、自分自身  が生きているリアリティを取り戻すことができる」

 「そして何より、自分の人生について考える時間ができる」

 「日本で一番支配的な宗教は、神道でも仏教でもキリスト教でもない。明らかにテレビ教であり、新聞教だ」

””””””””””””””””

 いわれてみますと一理あるような気がします。しかし、世の中で起きていることを知る手段や機会が減ってしまうような気がしてきますが、その点はどうなのでしょう。もしかすると、「今の時代は」という前置詞がつくのかもしれません。もし、そうであるならば今の時代は世の中で起きていることをネットで簡単に知ることができます。また、いろいろな立場や考えの人の意見を知ることができます。新聞は価値がなくなったのでしょうか。
 以前、新聞の未来について分析・予想している本を紹介したことがありますが、その著者は元新聞社の幹部の方でした。新聞の発行部数が減少傾向にあるのは間違いありません。実際、我が家を担当する新聞販売所は年末で閉鎖され近隣の販売所と統合されました。僕のような中高年の人は新聞を読むことを趣味のようにしていることもありますが、もっと若い年代になりますと新聞に価値を見出せないかもしれません。
 というわけで、今の心境は新聞の購買の是非について悩んでいる状態です。でも、きっかけはほんの些細なことでして、新聞の後片付けを面倒に思うようになったことです。いつも新聞はテレビの下に無造作に置いてあり、下手をすると数日分が溜まることがあります。古い新聞の置き場所は違うところなのですが、毎日そこにしまうのが面倒に思えたわけです。
 これがパソコンですと、新聞のように場所をとることがありません。また、いろいろな新聞を見ることができますので、異なる意見や立場の違う人の考えを知ることも容易です。これまでのメディアは価値がなくなったのでしょうか。
 トランプ氏の記者会見をニュースで見ましたが、自らに批判的なメディアに対しては徹底的に無視する態度をとっていました。僕が気になるのは、トランプ氏のこうした対応に対してメディア界が一体となって抗議の姿勢を示さなかったことです。マスコミメディアの役割は権力を監視することなのですから、特定のメディアが無視されようとするならマスコミメディア界全体で抗議をするのがマスコミメディア界の義務のはずです。マスコミメディア界の先進国であるはずの米国がこの様では今後が不安になってきます。
 トランプ氏の主張の特徴はベルト地帯と言われる地域の人たちの本音をあからさまに発言することです。そのトランプ氏の発言に対して注意を喚起する意見を耳にしました。これは幾人かのジャーナリストの方が期せずして同じことを話していたのですが、
「人間はわがままな生き物だから、本音を主張する行為は危険で、それを倫理感で蓋をするのが人間社会である」
 いわゆる「性善説、性悪説」の性悪説をとっているわけですが、欧米の難民に対する最近の対応や英国のEUからの離脱、また今回の米国大統領選の結果の根底には性悪説が潜んでいるように思えます。本音とは「自分だけが得をしたい」という感情です。倫理観とは建て前と言い換えることもできます。「理想はそうだけど実際は無理だよね」の理想を目指す気持ちが建て前です。
 人間が本音だけで生きるようになってしまっては、対立や衝突が起きるのは目に見えています。過去の歴史が証明しています。本音で話すことは気分を高揚させる働きがありますのでポピュリズムになりやすい傾向があります。しかし、気分が高揚した状態でものごとを決めることはとても危険です。世の中にはいろいろな人がいてその全員に健全に生きる権利があるからです。
 ですから本音をあからさまに表に出すのではなく、婉曲的に本音を建て前でオブラートして話し合いをスムーズにすることが大切です。そのような知恵を出すことこそ人間である証拠になります。しかし、現在の世界の流れは本音でものごとを解決していこうとしているように映ります。

 僕が学生時代、まだ世の中のことなんかなにもわからずただ楽しいことだけを求めていたとき。国際関係論という学生200名ほどが入る大きな教室で授業を受けていました。その教授は試験前に自分が書いている本に書いてあることを試験に出すことで有名でした。つまり、単位を取得するには教授の本を買う必要があるのでした。実際に、本を買ったかどうかは記憶は定かではありません。
 これほど大きな教室での授業ですので、後ろのほうの席で寝ているのが常でした。しかし、なぜか不思議と教授が「パワー オブ バランス」と言ったのが耳に入ってきました。顔を机にうつぶせて寝ていたその耳に入り込んできたのです。
 僕は顔を上げて教授をほうを見ました。教授は大きな机を前にして椅子に座って話していました。そして、こう言いました。
「世界の平和は軍事力のバランスで成り立っている」

「へぇ〜、言われてみればそうだよな」

 僕が初めて国際関係に興味を持った瞬間です。別にだからと言ってそれ以降勉学に励んだわけではないのですが、「パワー オブ バランス」が脳のシワに刻み込まれました。
 オバマ大統領が退任の演説をしている映像を見ました。よくよく考えますと、黒人でありながら米国の大統領にまで上り詰めたのですから、ものすごい快挙でした。しかも2期8年も務めたのですから画期的なことでした。ある意味、そこが米国の素晴らしいところです。チャンスは誰にでも平等に開かれていたことになります。
 オバマ大統領の言葉を借りるなら米国の魅力は「多様性」であり「寛容さ」です。米国は移民を積極的に受け入れることで活力を発揮できたとオバマ大統領は語っています。トランプ新大統領はその魅力を手放そうとしているように見えます。理由は、移民によって米国人の仕事が奪われるからです。これは米国人の本音ともいえます。かつては、その本音を我慢して米国の魅力である寛容さを見せる建て前がありましたが、それがなくなってきているようで不安です。
 オバマ大統領は核兵器をなくすことも目指していました。しかし、現実は理想を駆逐してしまいました。やはり、現実は理想通りにいくほど甘くはありませんでした。それでも僕は思います。理想と建て前を手放してしまえば、それは人間をやめることと同じになってしまいます。
 そういえば、昔こんなキャッチコピーがありました。

「人間やめますか? 薬やめますか?」

「人間やめますか? 戦争やめますか?」

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 19:40 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月08日

<2度あることは3度あった>

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 皆さんの年末年始はいかがでしたでしょうか。僕は例年のように年末は大掃除をして、お正月は家族ボーリング大会を催し、それから初詣に行きました。ボーリング大会はこれまたいつものように親組が子供組に勝利し、無料でボーリングを楽しむことができました。僕は数少ないサラリーマン時代に会社でのボーリング大会で優勝したこともあるほどの腕前ですので子供組に負けた記憶がありません。正月早々、自慢話でした。

 昨年の最後のコラムで交通違反について報告しましたが、年末年始は自動車関連のトラブルが続いてしまいました。昔から「2度あることは3度ある」といいますが、まさにそのような結果になってしまいました。
 1度目は昨年の交通違反です。そして2度目は車の後席のスライドドアが社内側から開かなくなってしまったことです。運転席にある後部座席用のスイッチや外側からのスイッチでは開くのですが、内側からだけ開かなくなってしまいました。
 心当たりといいますと、年末に行った洗車です。洗車と言いましても手作業で行うのは疲れますので機械でやるアレです。外側は機械でやりますが、車内は妻と二人で雑巾などを使いきれいにしました。
 やはり考えられる原因は洗車をしたことです。その際に水かなにかが中に入った可能性があります。もしそうでないなら年式の古い車ですので電気系統が故障している可能性もあります。普段ですと日ごろ懇意にしている整備工場に問い合わせるのですが、年末年始のお休みに入っていました。仕方なく様子をみることにしました。
 僕は生来なにかが壊れるとそれを自分で修理したくなる癖があります。妻との仲もこのようにして直してきました。それはともかく、あくまで「なんとなく」ですが、どんなものでも自分で直せるような気がしてくるから不思議です。今の車のひとつ前の車のときは運転席と助手席の電動ガラスの開閉ができなくなったことがありました。このときもドアの内側のスイッチの部分をネジの隙間から見ましたら接触が悪いように思えました。言うまでもありませんが、僕は車のことどころか電機関連について全く知識がありません。しかし、不思議なことに直せる気がするのでした。結局、スイッチの箇所のネジを外し接触する部分を修理して開閉を直すことができました。自分でも不思議です。
 今回の場合もやはり挑戦したくなりました。しかし、今回の場合は前回の電動ガラスよりもかなり大掛かりになりそうでした。なにしろドアの中を点検する必要があるのですから簡単ではありません。素人がスライドドアのカバーを外すのは不可能と考えるのが普通です。
 しかし、今はインターネットの時代です。ほとんどの情報がネット上に溢れています。なんとなく直せるような気がしました。僕は電動スライドドアの故障について検索しました。すると、やはりあるんですねぇ。本当にネットは便利です。
 車種から調べていきますと、電動スライドドアの故障について事例などが記載されていました。素人が修理をする際に大切なことは、「単純なこと」から試していくことです。専門的なことはできるだけ後回しにするのが素人が機械類を修理するときのコツです。
 修理をするときに最初に考えなければいけないのは故障する前に行ったことです。故障する前に「なにをしたか」を思い出すことが重要です。そこで思い返しますと、電動スライドドアが内側から開かなくなったのは洗車をしてからです。先に書きましたように、最初に連想したのはお水などが機械類の中に入り込むことです。
 その可能性はありますが、それが原因と確定できたわけではありません。ほかの可能性もあります。それは、僕や妻が気が付かないうちに電気系統のなにかの部分に触れた可能性です。確実なのは故障する前に「洗車をしていた」ことだからです。
 ネットで調べますと、「チャイルドロック」という言葉に出くわしました。これは子供がいたずらで電動ドアを開けることがないように「ロック」をする機能です。ネットのマニュアルにはそのボタンの位置が記載されていました。それまでその部分は見逃していました。僕は車に確認しに行きました。すると、どうでしょう(アフタービフォーの感じで読んでください)、ボタンが「ロック」の位置になっているではありませんか。このロックを解除して故障は解消されました。
 こうして2度のトラブルがありました。そして、いよいよ3度目のトラブルが休み明けにおきました。
 僕はいつも車の中で妻が作ってくれたお弁当を食べているのですが、食べ終わったあとのことです。午後の仕事にとりかかろうとしたときにエンジンをかけてもセルが回らないのです。焦りました。車について素人ですので、こういうとき本当に焦ります。
 何回もためしたり、しばらく時間をおいてエンジンをかけたりなどいろいろとやりましたが、結果は同じでした。冬の時期の故障ですぐに思い浮かぶのはやはりバッテリー上がりです。かなり昔ですが、バッテリーが上がった経験がありますが、そのときの感じとは違っていました。僕が経験したバッテリー上がりはキーを回すとだらしなく「クスン、クスン」といかにもエネルギーが足りないようなセルの回り方でした。しかし、今回はセルが回る気配が全くなく、ただ「カ、カ、カ、…」といった感じになるだけでした。
 20分ほどいろいろと試しましたが、結局ロードサービスを利用することにしました。この日のために会費を支払っているのですから利用するほうが賢明です。
 因みに、僕はロードサービスは出光のサービスに加入しています。JAFは年会費4千円ですが、出光は年会費750円ですのでお得です。最近は自動車保険でも無料でロードサービスが付帯していることが多く、実は僕もそれを利用できます。しかし、僕の加入している自動車保険のロードサービスは年間1回しか利用できない規定ですので別に加入しています。
 30分ほどして担当者が来ましたが、原因はバッテリー上がりでした。僕の予想は外れてしまったわけですが、担当者の方はエンジンをかけた際の音を聞いてすぐに理由が分かったようでした。
 担当者の方に「バッテリーの交換」を勧められ、たまたま近くにあったオートバックスも教えてくれました。結局、オートバックスでバッテリーの交換も行い、その後の仕事も無事に終えることができました。
 このようにして「2度あることは3度ある」の3度目が終わりました。これで車のトラブルが終わってくれることを願っています。今回は故障した場所が広めの道路で端に止めていましたのでほかの車に迷惑にならなかったのが不幸中の幸いでした。

 それでは、今年もよろしくお願い申し上げます。
P.S タイヤの交換時期が気になりだしている新年です。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 19:30 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月25日

<隣の空>

 クリスマスにプレゼントをもらわなくなってかなり年月が経ちますが、そんな僕が24日のイブの日にプレゼントをもらいました。しかも、できたら欲しくないプレゼントでした。
 その日、車の荷台の使い勝手をよくするためにホームセンターで木材を買い込み帰宅する途中でした。そのときに「一時停止を怠った」という理由で違反切符を切られてしまったのです。とんだクリスマスプレゼントでした。
 もちろん反論はしましたが、「一時停止」は「止まった」か「止まらない」の感覚の差ですので、結局は水掛け論になります。僕は、このようなことで時間を取られることを無駄と考えるタイプですので少しばかり自分の意見を主張したあとお巡りさんの主張を認めることにしました。
 交通違反は実に久しぶりです。前回がいつだったか全く思い出せないのですが、免許はゴールドになっています。ということは少なくとも5年以上は経っていることになります。交通違反で悲しいのはやはり自動車保険料のゴールド免許割引が適用されなくなることです。
 しかし、僕は自動車保険の期間を3年に設定しており、昨年更新したばかりですのでゴールド割引があと2年半くらい適用されます。3年にしておいてよかったです。読者の皆さんもゴールド免許になっているなら契約期間を長期にしておくほうが得です。但し、なにかしらの理由で途中解約する際に手数料が発生しますのでそのことは留意しておきましょう。

 さて、今回が今年最後の<私のココロ>となります。個人的に一年を振り返りますと、やはり還暦を迎えたことが一番のできごとです。おそらく同年代の多くの人が僕と同じ感想を持っていると思いますが、自分に対して「へぇ〜」という思いです。この「へぇ〜」にはいろいろな気持ちが込められています。
 僕はサザンオールスターズの桑田さんより一才年下なのですが、その桑田さんがソロで出した楽曲に「真夜中のダンディ」という歌があります。この歌は人生について歌っているもので、自分自身をも見つめています。アーティストとして成功したあとの浮かれた気持ちを戒めてもいるような歌詞です。成功している自分に対してどこか反発している感じが伝わってきます。
 その歌詞の中に次のような一節があります。

♪愛と平和を歌う世代がくれたものは
♪身を守るのと知らぬそぶりと悪魔の魂
♪隣の空は灰色なのに
♪幸せならば顔をそむけてる

 僕にはこの歌詞は僕たちの世代より一昔前の世代を批判しているように聞こえます。マスコミなどでは昔から世代を端的な言葉で表すのが通例となっていました。僕たちの世代は「モラトリアム世代」と命名されていましたが、僕たちの一世代前の世代は「団塊の世代」と言われていました。またちょうどその世代は学生運動が盛んな頃で一部の過激な人たちを全共闘世代とも呼んでいました。
 桑田さんが団塊の世代を批判したのは、学生時代に「世の中を変える」と社会を批判し活動していたにも関わらず、社会に出た瞬間に社会に迎合したからです。実は、僕も同感です。
 「隣の空は灰色なのに」「自分が幸せならば顔をそむけてる」、この歌詞は秀逸です。今の時代は口先では正義感ぶったことを言っていても行動が伴っていないことが数多あります。いじめや差別、そして格差社会などがそれを物語っています。
 正規社員と非正規社員の格差は目に余るものがありますが、その根本には正規社員が自らの権益を守りたい気持ちがあるからです。「隣の空は灰色」なのに「顔をそむけて」いる最もわかりやすい例です。
 数週間前ですが、日教組の会長が不倫問題で会長を辞任しました。日教組とは教職員の労働組合ですが、そのトップがこのような失態を犯しているのですから昨今の労働組合の実態がわかろうというものです。労働組合は労働者のための組織ではなくなってきています。
 先週、NHKで吉田拓郎さんの特集番組がありました。言わずとしれた拓郎さんは団塊の世代のヒーローです。拓郎さんが最も輝いていたのは1975年にかぐや姫と行った「つま恋」での大規模なコンサートのころでしょうか。拓郎さんは日本の音楽界で伝説となるひとりですが、その拓郎さんも番組では年齢を感じさせていました。
 全盛期の拓郎さんはマスコミ嫌いで通っていましたが、番組のインタビューでその理由を話していました。当時、テレビ局の人たちが指輪をはめ髪の毛をオールバックにするなどチャラチャラしていたことが理由だったそうです。広島から上京して「東京の者に負けてたまるか」という思いが根底にあったとも話していました。
 拓郎さんの特集番組が放映された日、深夜に小田和正さんの2時間番組も放映されていました。こちらのほうは寝てしまったのでほとんど見ていないのですが、宇多田ヒカルさんが出演したそうです。この番組は毎年クリスマスの頃に2時間という長時間の枠を持っているのですが、小田さんのファンにはたまらない時間に違いありません。
 この番組はなにがすごいかといいますと、16年間続いていることです。僕も始まった当初は毎年見ていましたが、次第に見なくなってしまいました。年齢とともに「飽き」を感じるようになったのが理由です。
 僕は見なくなってしまいましたが、16年も続くということはそれなりの視聴率が取れていることになります。どんなに素晴らしい番組であろうとも最終的にはスポンサーにかかってくるのが民放の宿命です。
 スポンサーという縛りがありながらテレビ局が小田さんを説得したのは「良質な音楽番組を作りたい」という確固たる信念があったからではないでしょうか。また、それくらいの強い意志がなければ小田さんの承諾を得ることはできなかったはずです。小田さんも拓郎さん同様に容易にテレビ出演しないアーティストでした。
 拓郎さんや小田さんに限らず、この年代のアーティストの人たちは社会にメッセージを発していたように思います。それは哲学的なことであったり時事的なことであったりしていましたが、根底には口幅ったい表現ですが、平和や平等な世の中を目指す気持ちがあったように思います。
 なのに、世の中が平和にも平等にもならずに現在まで来ています。その理由は「隣の空」に鈍感だからです。いえいえ、見ないふりをしているからです。マザーテレサさんも言っていました。

「愛の反対は憎しみではなく無関心です」

 トランプ氏は人間が心の奥底に持っているパンドラの箱を開けることで人々の支持を獲得してきたように思っています。人は誰でもほったらかしにしておきますと、欲望に導かれるままに業の塊になってしまいます。そうした業を抑えているのが弱者に対するやさしさであり思いやりであり、心遣いです。困っている人や苦しんでいる人がいたなら手を差し伸べるのが人間と動物の違いのはずです。
 来年は世の中の雰囲気が「隣の空」に関心を持つような年になることを願っています。

 じゃ、また。来年〜!。
 一年間ありがとうございました。

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posted by satoaki at 20:14 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月18日

<若者と年配者>

 今年の流行語大賞は「神ってる」に決まりましたが、僕の中で最も記憶に残った言葉は「ブラック企業」です。この言葉自体は今年ではなく数年前に登場した言葉ですが、今年は「ブラック企業」に関するニュースが多かったように思います。
 それを最も象徴しているのが電通の女性社員が過労死した事件の報道です。従業員を使い捨て部品のように扱っているかのような企業がたくさん存在することに憤りを感じてしまいます。
 これに関連するニュースが先週ありました。「ユニクロ帝国の光と影」という本を書いた横田増生氏という作家がユニクロを解雇されたというニュースです。報道によりますと、横田さんの著作に対してユニクロ会長の柳井氏が「現場で働いたこともない知らない人が書いた本で、実際に働いてから書いてほしい」というような内容を述べたそうです。それを受けての横田氏の入社でした。もちろん偽名で入社しています。
 横田氏が解雇された理由は表向きは「就業規則違反」ですが、誰が考えても本当の理由はユニクロでの就業体験を週刊誌でルポルタージュしていたことです。やはり、社内での労働状況および環境を世の中に発信されるのは不都合があるようです。結局、「実際に働いて」などというセリフが口先だけだったことになります。
 そういえば、僕が移動販売をしていた頃、毎週火曜日にお弁当を食べていた公園でユニクロで働いている青年と知り合いになりました。その青年はいつもその公園で昼食を食べたいたようで、僕が公園に行くようになってから話しかけられたのが親しくなったきっかけです。
 その青年はフリーターから契約社員になったそうですが、「頑張れば正社員になれる」と話していました。しかし、仕事内容はかなり厳しそうで「辞めるかも」と不安な気持ちも吐露していました。
 これまでのユニクロに関するマスコミ報道から鑑みますと、ユニクロでの仕事が楽ではないことは想像できます。普通に考えて、早出やサービス残業などは常態化していたでしょう。
 7〜8年前ですが、配送の仕事をしていたとき早朝7時ころに渋谷の商店街に行っていました。その商店街の中にユニクロと同じような業態の店舗がありましたが、7時前から社員が出社して仕事をしていました。開店時間は10時ですから、かなり早い出社ということになります。基本的に小売業は給与がそれほど高くはありません。そうしたことを踏まえますと、早出の分まで給料を払う余裕などはないはずです。おそらくサービス早出でしょう。
 同じころのことですが、大手ファーストフード店が「名ばかり店長」という実態で批判されました。今では「名ばかり管理職」などという言葉もありますが、要は残業代の支払いをなくすことが目的で管理職に昇進させることです。
 先日のニュースで固定残業代という制度について報じられていました。この制度は働く側からしますとかなり損な制度です。どんなに定時時間外に働いても残業代が固定されているのですからたまったものではありません。就活や転職を考えている人は残業代の支給制度についてきちんと把握しておくことは大切です。
 報道によりますと、電通には「鬼十則」と呼ばれる行動規範があるそうです。仕事に臨む姿勢について綴られたものですが、社員手帳の中にも書かれているそうです。まさしく自己啓発にふさわしい内容ですが、今回の女子社員自殺報道が過熱する中で「鬼十則」が手帳からなくなるそうです。
 週刊誌などでは電通の労働状況が報じられています。電通ビルの電気が点いている時間を報じたりもしています。労働監督署が調査に入っているようですが、僕は電通よりも電通の下請け企業のほうに注意を払うべきだと思っています。
 電通が夜遅くまで働いているということは、常識的に考えて下請け企業も同じように働いているはずです。正確にいうなら「働かされている」でしょうか。下請けですから、元受け企業に言われるがままに業務を遂行する必要に迫られあて当然です。
 僕が想像するには、電通は下請け企業にかなり無理難題を押し付けているはずです。基本的に電通に限らず大企業は下請け企業に厳しく接するのが常です。あのトヨタでさえ乾いた雑巾を絞るほどの要請を下請け企業に課しています。下請け企業の大変さは想像するにがたくありません。
 放送業界も電通とは無縁ではありませんが、その放送業界もテレビ局が下請け企業である制作会社に無理難題を押し付けています。ある意味、放送業界は制作会社にしわ寄せを押し付けることで成り立っているところがあります。テレビ業界はたびたび「やらせ問題」が起きますが、その根本的な原因はテレビ局が制作会社にしわ寄せを押し付けていることにあるように思います。
 電通やテレビ局は下請けに仕事を発注する側です。常に発注する側にいるのはいわゆる大企業といわれる企業です。ですから、大企業に勤めていますと発想が傲慢で不遜になりやすい状況になります。下請けに発注するのが基本的な立場になるからです。
 これは以前書いたことがありますが、僕はラーメン店時代に妻が自動車事故に遭ったことがあります。そのときに相手方の損害保険会社の事故担当者は大手メーカーを定年退職した人でした。
 このときの事故はひとつ間違えたなら死亡していたかもしれないほどの大けがだったので長期入院を強いられることになりました。このような状況ではラーメン店の営業にも支障をきたします。なにしろ妻は重要な働き手だったのですから。
 そんな状況のときに相手側の自動車保険会社の事故担当者が送ってきた手紙には「お店が倒産しても当方は責任を負いません」という文面が書いてありました。これだけでも怒り心頭の心持でしたが、お店にやってきた担当者はなんとポケットに手を突っ込んでやってきたのでした。まだ仕事のイロハを知らない若いビジネスマンではありません。歴とした60歳くらいのスーツをピシッと着こなした男性でした。
 僕は基本的に大企業に勤めている人があまり好きではありません。理由は、選択される側ではなく選択する側にいることが多いからです。人間は偉い立場にいる時間が長くなるとどうしても傲慢になってしまいます。
 定年退職したビジネスマンが第二の職場になかなか適応できないことが多いのは「偉い立場にいる感覚」が抜けきれないからです。企業においては定年を迎えるまでの少なくとも十年間はその職場ではベテランという立場になります。ベテランという立場はいろいろなことを知っていて偉い立場でいられることです。その立場がなくなってしまうのですからプライドが傷つけられることになります。プライドとは偉い立場にいるときの感覚です。
 どんなに仕事が好きな人でも企業内で現役でいられるわけではありません。下の世代からどんどん人が上がってくるからです。そんなときにいつまでも先輩面をして職場にいては迷惑になるばかりです。
 ある年齢に達したならあとから続く人に道を譲ることは大切です。これは企業内に留まらず、社会においても同様です。若い人には年配者を敬う気持ちを持ってほしいですが、同時に年配者もつまらないプライドを捨てて接する気持ちが大切です。これから高齢社会の本番を迎えますが、若い人と年配者の両方が相手を思いやる気持ちががなけれれば社会は崩壊してしまいます。
 そうは言っても、、年金の支給時期がどんどん後ろ倒しになりそうだし、しかも支給額も少なくなる法律が成立したし、60才を過ぎたおじさんがそんな世の中を生きていくのは大変です。…僕のことです。若い皆さん、どうかご理解を…。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 20:16 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月11日

<まとめサイトと木鐸>

 プロ野球の球団の親会社にもなっており東証一部上場企業でもありIT企業としても有名なDeNAが謝罪会見を開きました。理由はDeNAが展開している「まとめサイト」である「WELQ」に不適切な記事がたくさん掲載されていたからです。ご存知の方も多いでしょうが、「まとめサイト」は「キュレーションサイト」ともいい、ネットに溢れている情報を「読みやすい」ように「わかりやすい」ように「まとめたサイト」のことです。
 DeNAの「まとめサイト」はいくつもありますが、問題になったきっかけは「WELQ」というサイトのようです。理由はこのサイトが健康に関するサイトだったからです。健康に関する記事ですのでまかり間違えますと命に関わることもありえます。ですから、大きな問題になりました。利用者が間違った情報を信用して実行してしまってはそれこそ命を落とすことにもなりかねません。
 僕の記憶では問題が報じられた当初、朝日新聞社会面に「WELQに医師の監修が入る」というような小さな見出しが載ったように思います。このときは大した記事ではないと思い、詳しく内容までは読みませんでしたが、それから数日後謝罪会見が開かれたのでした。
 結局、DeNAは展開している「まとめサイト」すべてを非公開にしましたが、こうした動きはサイバーエージェントやYafooなどほかの「まとめサイト」にも広がりました。つまり、ほぼすべての「まとめサイト」に問題があったことになります。
 実は僕もLineの「まとめサイト」であるNAVARに投稿していますが、NAVERに関しては全体的に信頼性が高いように感じています。もちろん僕の記事は信頼性に重きをおいていますので検索結果を重視するような記事の書き方はしていません。ですから、悲しいことにページビューも微々たるものです。
 NAVERに投稿する人は収入を得ることを目的にしている人です。もちろん僕もそのひとりですが、それなりの収入を得るのは簡単ではありません。なにしろ数十万とも数百万ともいわれる記事の中から自分の記事までたどり着いてもらわなくてはいけないのですから至難の業です。ですから、コンビニなどで働くのと同じくらいの収入を得ることはできないのが実状です。
 僕はNAVERを始めた当初、自分の記事が「閲覧されることがない」ことも想定内としていました。先ほども書きましたが、少なくとも数十万の記事があるのですから同じ内容の記事がほかにもたくさんあって当然です。ですから「閲覧されない」こともあり得ると思っていました。しかし、不思議なことに毎日誰かしらが僕が投稿したなにかしらの記事を見てくれています。
 最近1ケ月の平均を紹介しますと、毎日400ページビューくらいです。実は最近1ケ月は新しい記事は投稿していないのですが、毎日のページビュー数に変化はありませんでした。なぜ最近1ケ月新しい投稿をしなかったかといいますと、先週書きましたが動画作成に時間を取られていたからです。
 僕の動画はSMAPの解散に関する動画ですのでなんとしても11月中に投稿する必要がありました。今年いっぱいで解散する予定ですので11月中の完成を目指していたわけです。解散したあとの投稿では作った意味がなくなってしまいます。
 またまたついでですが、動画の閲覧についてご報告したいと思います。
 動画もNAVER同様、投稿されている数は膨大です。その中で僕の動画を見てもらうのはNAVER同様至難の業です。投稿してから5日が過ぎましたが、閲覧数は5回です。そしてこの5回は僕が見た5回です。やはり、膨大な数の投稿がある中で僕の動画の存在を知ってもらうのは不可能とさえ思えてしまいます。実際、そのような結果になっているのですが、この状況が普通の人にとっては本当のところではないでしょうか。
 それに比べNAVERは毎日400人くらいの人が見てくれています。実は、僕自身もそれが不思議でなりません。僕の投稿した記事数は60個ですが、その中でまったく閲覧されない記事もあります。日によって違いますが半分くらいがその状態です。現状で報告しますと、最もコンスタントに閲覧数を得ているのは「オリンピック・負けたあなたも美しい」です。それ以外では「コンスタント」にあてはまるものはありません。そのときどきのニュースに関連して閲覧されています。
 僕の記事の閲覧者は毎日400人、月に換算しますと約12000人ですが、投稿記事数60個の割には決して多いほうではありません。勉強のためにほかの人の「まとめサイト」を見ますと、僕とほぼ同時期に開始して記事数は50個くらいにも関わらず僕の10倍にあたる10万人を超える閲覧数の投稿者もいます。中には記事数が10個にも満たないのに30万ページビューを超えている投稿者もいます。
 このような「まとめ記事」を見てしまいますと、やはりその理由を調べたくなります。いったい自分との違いはなんなのだろう…。
 結論を言いますと、多数のページビューを獲得している人たちは、「まとめ記事」を投稿する以前にブログやツイッター、フェイスブックなどでコアなファンを持っている人たちでした。つまりコアなファンが「まとめ記事」を見に来ているのでした。
 youtubeの動画もそうですが、「まとめ記事」も広告がクリックされなくとも報酬が発生するのがアフィリエイトと違う点です。閲覧数によって報酬が決まりますのでとにかく動画や記事を見る人を増やすことが重要で、多ければそれが即収入になります。ですから、コアなファンを持っている人ほど有利なシステムになっています。
 僕の場合は、それが最も苦手です。ツイッターもアカウントは開いていますが休眠状態ですし、facebookなどは論外です。今はやりのインスタグラムなどはもってのほかです。僕からしますと、これらのSNSはマーケッティングの手段にしか思えません。つまり、商売っ気が強すぎるように感じてしまうのです。
 商売は大事です。大げさにいうなら商売は人間を成長させてくれます。だからこそ、商売に損得計算がありすぎることに抵抗感が生じてしまうのです。これが僕の困った点なのですが、生まれつきの性格ですから仕方ありません。
 今回の騒動のきっかけは健康に関する情報の真偽がおろそかになったことですが、それと同時に著作権違反も大きな問題です。人の著作権をないがしろにすることは人のものを盗むことと同じです。情報を発信する人はそのことに十分に留意する必要があります。
 その意味で言いますと、「まとめ記事」を掲載するプラットフォームを提供することを業務にする人たちは情報について責任を負う義務があります。これまでのスタンスは「内容については、記事作成者の責任」でしたが、そうした考えはこれからは通用しないことを肝に銘じていく必要があります。
 このような問題が起きるのは「インターネットが新しいメディアであること」が原因のように思われますが、実は既存のメディアでも、しかも大手新聞社でも起きています。
 先週、朝日新聞の朝刊真ん中あたりのページに大きく一面を使って広告を出していたのは「金運が上がるブレスレッド」の広告でした。このような記事は僕が「まとめサイト」で「信用できない広告」の例として紹介したものと同レベルの広告です。天下の朝日新聞でさえこのような状態なのは真に由々しき問題です。
 今、新聞社は広告が取れず苦労していますが、だからといって収入になれば広告がどんな内容であろうとも掲載するというのではジャーナリズムの旗が色あせるというものです。

 かつて「新聞は社会の木鐸たれ」と言われていましたが、問題のある広告を載せるのは正反対の行動です。新聞も民間企業ですから利益に対して敏感であるのはわかりますが、木鐸の面も失わないでほしいと思います。また、今後は新聞にとって代わるであろうネットメディアも木鐸を目指す気持ちを持ってほしいものです。

 じゃ、また。


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posted by satoaki at 20:37 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月04日

<動画>

 毎年書いていることではありますが、1年は「あっという間」に過ぎてしまいます。今年は1月に世間をあっと驚かせることがありました。SMAPの解散騒動です。この騒動は一度は収まりかかりましたが、夏場に再燃し結局解散に至ってしまいました。やはり一度生まれた溝は簡単には埋まらないのが人間の性というものです。
 そんなSMAPの様があまりに悲しく元の仲の良い5人に戻ってほしい思いから、僕が動画を作ることを決意したのが9月の終わりです。しかし、そこには問題がありました。それは僕には動画を作る知識もスキルも全くないことでした。それでもあきらめないのが僕の性分です。毎日少しずつ勉強しながら日々努力を重ね本日なんとか形にすることができました。題名は「SMAPの涙」、7分半の大作(?)です。僕のSMAP愛が込められています。

 妻が毎週「SMAP×SMAP」を見ていますので僕も「チラ見」しているのですが、最近の放送では巷間いわれているような「仲たがい」は解消しているに見えます。確かに、一時期は「仲たがい」をしている雰囲気が見ている側にも伝わってきていました。しかし、現在は幾らか修復しているのではないでしょうか。逆に言えば、一時期の険悪な関係が決して嘘偽りではなかったことの証明ともなります。
 思い起こせば、5人の関係がおかしくなっていたことを最初に感じたのはちょうど去年の12月です。SMAPは数年前から日本テレビで明石家さんまさんとクリスマス特番をやるようになっていました。一昨年までの内容はとても面白くフジテレビとは違ったSMAPを見ることができました。しかし、昨年の特番はとても残念な出来栄えでした。なにしろさんまさんがどんなに盛り上げようと頑張っても5人の気持ちが乗っていないのがわかるのです。
 僕が「あれ!?」と思ったのは番組の中でキムタクさんが冗談ともつかない表情で「来年やってるかどうかわかんないよ」と口走ったときでした。さんまさんが解散が公になったあとに話していましたが、この番組を作っているときはすでに「仲たがい」の状態だったそうです。テレビというのは人間の内面を映し出すところがありますので番組が作られている雰囲気が如実に表れます。

 ここまで来てしまいますと、さすがに解散をやめることはありえないでしょう。そうではあるならばせめて5人が仲良く笑顔で解散することを願っています。そういう願いを込めて動画を作りました。それでは、なんの知識もスキルもない僕が動画を作った顛末を綴りたいと思います。
 まず動画というものについて調べる必要がありました。そして、一口に動画と言いましてもいろいろと種類があることを知りました。皆さんも一度は耳にしたことがあると思いますが、「パラパラ漫画」です。ノートの端をパラパラと動かして絵が動いているように見せる方法です。詳しくは調べませんでしたが、さらにそれにも2つの種類があるようでした。ソフト名で言いますと、「susuka」と「ParaFla」というものです。この2つは同じ「パラパラ漫画」でも種類が違うそうです。ですが、結局僕はこのどちらも選択せず3Dソフトというものに挑戦することにしました
 これは僕の信条なのですが、科学といいますか技術といいますか、つまりなんといいますか、そういうものの発達や発展は「昔ならできなかったことができるようになること」でとてもよいことだと思っています。一昔前なら素人が動画を作ることなど絶対に無理でした。しかし、技術の進歩はそれを可能にします。
 少し話は逸れますが、たまに「あまりに科学が発展しすぎると、人間を不幸にする」というような意見を見かけることがあります。例えば、スローライフという言葉がありますが、「もっとゆっくり生きればいい」という主張でその延長線上に科学の発展や技術の発展の弊害を指摘しています。具体的には「輸送技術の発展で東京から大阪へ移動する時間が短くなって何の意味があるのか」などといいます。しかし、僕はこの意見に反対です。
 科学や技術の進歩や発展は決して人間を不幸にしません。反対に人間を幸せにするために科学や技術は進歩し発展する必要があると思っています。科学や技術が進歩し発展することは弱者を助けることになります。ITの進歩は身体に不自由がある人の手助けになります。東京大阪間が短時間で移動できることは自由になる時間が増えることです。その自由になった時間を趣味に生かすことも有意義ですし、ボランティアに使うこともできます。それが可能になるのは科学や技術が進歩・発展するからです。
 このように技術が発展することは人間のできる範囲を広げることにつながります。つまり、僕のような還暦のおじさんでも動画が作れるというわけです。10年前では考えられないことでした。動画を作るのは専門の知識を持った人にしかできないことでした。
 話は戻りますが、このような考えの僕ですので素人でも可能な動画作成の方法として動画ソフトを使うことに決めました。それから、これも僕の信条なのですが、あることに挑戦するときはできるだけコストをかけないことが重要です。簡単に言ってしまいますと、動画ソフトはフリーか低価格のものを使うことにしました。
 そのためには情報を収集する能力はとても大切です。今回、僕が動画を作成するに当たって利用したソフトを順に紹介しますと、「六角大王」「さし絵スタジオ」「ペイント」「ムービーメーカー」です。この中で動画に関心のある人しか知らないのは前者の2つです。
 僕はいくつかソースネクストでソフトを購入したことがありますので定期的に広告が送信されてきます。その中に2つのソフトが格安で販売されていたのでした。実は、僕の判断が正しかったのかどうかは今でもわからないのですが、動画ソフトは本来は最低でも1万円ほどする高価なものです。それがキャンペーンとして千円台で販売されていました。実は、まだ広告がきた段階では動画を作ることを決めていませんでしたが、「いつかのために」という気持ちで購入していたのでした。
 しかし、実はこの2つを購入したことを後悔したのでした。理由は、解説書が充実していないからです。先ほどから僕の信条を紹介していますが、あとひとつ信条を紹介させてもらいますと、僕はどんなソフトも「マニュアルさえあれば使うことができる」と考えています。
 ところが僕が購入した2つのソフトはそのマニュアルが充実していなかったのです。いろいろ調べていきますと、使いこなせずに挫折する人が多いようでした。身の回りにある電化製品などもそうですが、使い方が複雑なものはどんなに便利でも意味がありません。使い方がわかりやすくないのはそもそも「便利」とはいえません。これはソフトにも当てはまります。
 実は、動画を作る際に一番時間を費やしたのは作業よりも使い方を勉強することでした。これは4つのソフトすべてに当てはまります。今回いろいろなソフトを使ってみて心底感じたのはマニュアルの充実さを事前に調査することの重要性でした。
 最後に、あとひとつ後悔していることをあげるとするなら、購入したソフトに劣らないくらいの機能のあるフリーの動画作成ソフトがあることをつい最近知ったことです。しかも、わかりやすい解説書まで本屋さんで販売されていました。
 本当に「情報を知らない」ということは損につながります。しかし、最初に調べたときはいくら検索をしてもそのソフトの存在に突き当らなかったのです。検索の方法をもっと勉強する必要がある、と反省した次第です。

 じゃまた。


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posted by satoaki at 21:48 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月27日

<火災保険とリフォーム工事>

 先日、平日の昼間に在宅していますと、インタフォンがなりました。宅配便かと思い大きな返事をしながら扉を開けますと、30才過ぎの若い作業服姿の男性が立っていました。後ろに目をやりますと、少し離れたところに似たような年恰好の男性が笑顔を向けていました。
 扉の前にいた男性は、僕の顔を見ますと作り笑顔で話しかけてきました。胸元には首から下げた身分証明書のようなものがぶら下がっていました。

「この近所でリフォーム工事を行いますので、ご迷惑になることもあるかと思い、ご挨拶に伺いました」

 僕が「あ、はい、わかりました」と答えますと、男性はさらに続けました。

「お父さん、ちょっとたまたまお宅の雨どいを見ましたところ、かなり古くなっていますので無料で点検しますよ。雨どいが詰まると大変ですから点検だけでもしましょうか?」

 僕は突然のことでしたので答えあぐねていますと、男性はさらにさらに続けました。

「こういった工事って、火災保険でリフォームできるんですけどご存知ですか? 火災保険を使いますと無料で工事ができるんですけど…」

 この段階で僕はようやっと「近所の工事についての挨拶」が嘘であることがわかりました。僕はふたりの男性の顔を交互に見ながら「どちらのお宅の工事ですか?」と尋ねました。すると、指している場所が具体的にはわからないような方向をに指先を向けて(架空と思える)名前を告げました。この曖昧な振る舞いを見て、僕は嘘を確信しました。
 男性はこのあともいろいろとセールストークを展開してきそうでしたので、僕は「いえ、結構です」と打ち切りました。男性たちはバツの悪そうな表情で立ち去りました。
 そういえば、ネットでも似たような内容の広告を見たことがあります。それを思い出し試しに検索してみますと、やはりトラブルがあるようです。新手の詐欺商法のひとつでもあるようで、消費者センターでは注意を喚起する文章が記載されていました。

 しかし、ネット検索をしていて少し気になることもありました。それは損害保険会社の各社のHPではトラブルに注意を促す告知がなかったことです。HPを丁寧に隈なく確認したわけではありませんので、もしかしたらどこかには告知されていたのかもしれませんが、一般の人に目立つように掲載していないのであれば「告知されていない」のと同じです。火災保険に関係する重大な問題ですので目立つように掲載しなければ意味がありません。
 保険会社各社のHPでは注意を喚起する告知を見かけませんでしたが、損保保険協会のHPにはすぐにわかるように掲載されていました。この違いは偶然ではないように思います。
 僕の受けた印象では、各保険会社は意図的に「火災保険によるリフォーム工事」に関するトラブルの紹介を避けているように感じました。もしかするとこうした事例を紹介することは、営業的にマイナスの影響があると判断しているのかもしれません。

「なぁ〜んだ。なんだかんだ言って保険って使えないじゃん」

というイメージが広まっては保険会社にとってはマイナスです。
 しかし、保険会社にとって不利な情報であっても一般の人に有意義であるなら保険会社は世の中に呼びかける義務があります。実際には保険金が支払われない事例にも関わらず、あたかも支払われるかのように説明され、業者と契約を結んでしまっては消費者が大きな損失を被ることになります。
 消費者生活センターのサイトには、業者に説明されるままに工事契約を結び、「結局、保険が下りず」高額な出費が発生したり、途中で解約を申し出ても違約金などを請求された事例が紹介されていました。こうした被害に遭わないように、保険会社は契約者の立場に立って適切な告知をする義務があります。
 このようなトラブルが発生する根本には火災保険が火災以外の原因でも保険金が支払われることがあります。ですから、リフォーム会社の説明もあながちすべてが詐欺だと決めつけることもできません。保険会社がこうしたトラブルを積極的に紹介できない理由もそこにありそうです。
 実際に火災保険のパンフレットには、火災以外の原因でも保険金が支払わるとしっかりと書いてあります。例えば、ほとんどの保険会社で「台風」「突風」「竜巻」「落雷」「水害」などが原因で損害が発生したときでも補償される説明がなされています。
 しかし、だからと言って保険金は無節操に支払われるわけではありません。常識のある人ならすぐに理解できると思いますが、なんでもかんでも保険金を支払っていては保険という制度が成り立たなくなってしまいます。
 保険金が支払われない例として最も有名なのは「経年劣化」です。これは当然です。どんな建物でも時が経てば古くなります。そうしたことにまで保険で賄われるはずがありません。そして次に大切なことは「補償されるのは実際の価値」が基準ということです。これは「経年劣化」とつながっていますが、「新築」と「30年築」の物件では、同じ「雨どい」でも価値が違って当然です。
 もう少し具体的に説明します。仮に「雨どい」が新築の段階で10万円の価値だったとすると、「30年築」の建物の「雨どい」は2万円になっているとします。このときに台風の被害で「雨どい」を交換することになったときは10万円を補償するのではなく、被害を受けたときの状態である2万円の補償しかしません。つまり、保険だけでは交換する費用をすべては賄いきれないことを意味します。
 因みに、中古の建物でも新築の価値として保険を契約することもオプションをつけることで可能です。
 ネットで検索をしますと、火災保険を利用して「0円でリフォーム」ができるような表現をしているサイトもありますし、それを逆手にとって「悪徳業者に注意をしましょう」というさらに手の込んだ悪質なサイトもありました。
 僕が先に説明したことも「昔取った杵柄」の知識ですので、今でも通用するかは定かではありません。火災保険でリフォームを考えている人は工事契約をする前に保険会社に確認することが大切です。

 ところで…。
 東京オリンピックのボート会場が侃々諤々の議論の末、元の鞘に納まりそうです。このことに対して小池知事を非難するかのような記事がありますが、この批判は当てはまらないように思います。
 理由は、単に元の鞘に収まるのではなく費用がかなり抑えられたからです。そもそも論になりますが、小池氏が知事にならなければ、無駄な経費になんの疑問を持つこともなく都民の税金をつぎ込むはめになっていたはずです。
 豊洲市場問題にしましても同様です。もし小池知事でなかったなら環境的にも費用的にも大きな問題を抱えながら豊洲に移転していたことになります。そこで働く人たちにも健康被害が生じていたかもしれません。もちろんそこで売られる食品を食べる都民の健康被害も同様です。
 それを思うとき、小池氏の前の知事や都職員の行ってきたことはリフォーム詐欺より重い罪があります。小池氏の政治手腕はもっと認められて然るべきです。

 じゃ、また。

 

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posted by satoaki at 16:39 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月20日

<えばりたがる人々>

 トランプ氏が大統領に決まってから1週間以上が過ぎましたが、世界各地からいろいろな反応が起きています。先週も書きましたが、世界各国で排他主義や人種差別を唱える政党が躍進しています。本当に世の中は破滅の方向に行ってしまうのでしょうか…。
 排他主義が受け入れられるのはよそ者を受け入れる余裕がなくなってきたからです。やはり誰でもそうですが、一番かわいいのは自分です。その次に妻そして子供といった家族です。そこから先は人により考え方がいろいろです。
 今では中堅俳優として活躍している宇梶 剛士 さんという方がいますが、この方は芸能界に入る前は暴走族のリーダーでした。そしてグレた原因はお母さまが家族よりも社会運動に没頭したからです。宇梶さんの自伝を読んで驚いたのですが、その後NHKの番組でもインタビューに答えていました。家族にとっては災難ですが、家族よりもほかのことに夢中になる人がいるのも事実です。しかも、「ほかのこと」というのが社会運動というのはその是非について考えさせる問題ではあります。
 このように家族が普通の家庭とは異なっていますと、それが不良になる原因になることは多いものです。もしかすると「すべて」と言ってもいいかもしれません。それほど家族という集団は子供に与える影響が大きいものがあります。因みに、宇梶さんのお母様が没頭した運動はアイヌ民族の生活を向上させることでした。
 宇梶さんのお顔を見ればわかりますが、彫りが深く目鼻立ちがはっきりしたかなりのイケメンです。今は中年ですのでイケメンぶりも衰えていますが、20才前後の写真を見ますと、驚くほどイケメンです。身長も190センチ近くあり足も長いので芸能人にぴったりの容貌ということになります。
 そんな宇梶さんですが、若い頃は注目されたことはありませんでした。宇梶さんが注目されるようになったきっかけは渡辺えり子さんという女優のおかげだそうです。これはなにかの番組で宇梶さん自身がお話していましたが、渡辺さんはコミカルな演技や天然キャラが魅力ですが、実は劇団を主宰している実力派です。
 宇梶さんに限ったことではありませんが、芸能界というところはイケメンだけでは成功することができません。モデル出身の阿部寛さんの自伝によりますと、モデルの人は30才を境に方向転換を余儀なくされるそうですが、芸能界にはイケメンは腐るほどいますのでイケメンが「ウリ」になることはないそうです。それ以外の魅力を磨かないと芸能界で生き残っていくことは難しいようです。
 しかし、「若さ」というのは人を勘違いさせるものです。相方が芥川賞を受賞した漫才コンビの片方の人が米国に進出するそうです。この方の場合は最初から売れないことを覚悟して米国に渡るわけですが、そうでない人もいます。日本である程度成功し、その勢いで米国進出を考える人もいます。特に日本で若くして成功した人が米国に挑戦するケースが多いのですが、現在まで成功した人はいません。
 日本人が米国で成功しない理由のひとつに「英語の発音が正しくない」と言われています。XJAPANのYOSHIKIさんは今でも世界的な演奏活動を精力的に行っていますが、デビューしたときからボーカルのTOSHIさんに口うるさく英語の発音についてしつこいくらいに注文をつけていたそうです。
 そういえば、ロックの大御所・矢沢栄吉さんの著書にも同じようなことが書かれていました。矢沢さんのすごいところは「発音が正確でないと通用しない」という思いから、米国に住む決断をしたことです。こういうところが矢沢さんの矢沢さんたる所以です。
 米国進出に関連してあとひとり思い出すのは俳優の加藤雅也さんです。加藤さんもモデル出身だそうですが、勿論ハイレベルなイケメンに加え身長もスタイルも抜群でした。しかし、それでも日本に戻って来ています。同じような足跡の人に吉田栄作さんもいました。
 皆さん、「成功した」とは言い切れない部分がありますが、挑戦する姿には素晴らしいものがあります。日本での成功に安住せず、さらに高みを目指す心意気は見ていて感動を受けます。
 プロ野球界でも似たような経歴の人が多くいますが、成功とはいかなくても挑戦する姿勢は褒められるべきです。メジャーでレギュラーに定着できずそれでもかれこれ5年も米国に挑戦し続けた元ソフトバンクの川崎宗則選手が来年は日本に戻ってくるような報道がありました。メジャー挑戦の経験は決して無駄ではなかったことを見せてほしいものです。
 新しいことに挑戦する人が多くの人から評価・支持されるのはその姿勢が多くの人に感動を与えるからです。しかし、リスクがあるのも事実です。多くの人が評価するのはそこにリスクを恐れない勇気を見るからです。誰でも新天地では新人となります。新人とはそれまで「偉そうにふるまっていた」ことができなくなることを意味します。
 排他主義とはまさに「自分たちが偉そうに振舞えなくなること」を避けることが目的です。今回の米選挙では白人の労働者がトランプ氏を支持したという分析がなされていますが、いつの間にか白人の人種比率が50%を割りこんだ現実が危機感を持たせたのではないでしょうか。大手新聞などマスコミが選挙結果を見誤りましたので安易に断じるのは危険ですが、白人が少しずつ減ってきている状況が不安感を高めさせたのは間違いありません。
 それまで「白人として偉そうに振舞っていた」人たちが少しずつ新人の立場に追いやられそうなのです。誰しも不安になるのは仕方ないかもしれません。白人が主流を占めていたときは寛容に対処できたことが今の状況ではできなくなっているのです。つまり心の余裕がなくなったのです。
 「感情労働」という言葉があるそうです。ウィキペディアから引用しますと「肉体や頭脳だけでなく『感情の抑制や鈍麻、緊張、忍耐などが絶対的に必要』である労働を意味する。一番わかりやすく言いますと、接客業です。日本では「お客様は神様」という発想が根付いていますので理不尽な要請をされることが少なくありません。
 先日も車掌さんが乗客のあまりのクレームに制服をホームに叩きつけて業務放棄をした報道がありました。この車掌さんには擁護するツイッターがたくさんきたそうですが、接客業は典型的な感情労働です。
 近年のお客様には「なにを言っても、おこなっても許される」という発想が染みついている人がたまにいます。これなどは「偉そうに振舞いたい」欲望の最たる例です。例えば、あなたの職場にも「仕切りたがり病」の人がいるのではないでしょうか。上司部下の関係であるなら上司が仕切るのは当然ですが、同じ職位でありながら上から目線で話したがる人がいます。このような人はつまるところ「偉そうに振舞いたい」人です。
 少し古い例になりますが、NTTドコモがi-modeを出したときの顛末を描いた「松永 真理のiモード事件」という本があります。この本はドコモ生え抜きの社員と途中入社の社員、そして経営コンサルタントの三者の軋轢が事細かにつづられています。まさにこの三者で難しいのは実質的には三者が同じ職位だったことです。誰が主導権を握るかがそのあとの展開に大きく影響しますので三者とも主導権を取るのに必死でした。つまり「偉そうに振舞いたい」人の集まりということになります。そのような状況の中でiモード成功させたのですから松永氏の仕事スキルが際立つことになりました。松永氏は全員が納得できるようなやり方を貫き通したのでした。因みに、松永氏はそれまでリクルートで「とらばーゆ」の編集長を務めていた方です。
 「偉そうに振舞いたい人」が主導権を握ってもそのような社会や組織は必ずあとで破たんします。結局は公平で平等な社会なり組織が生き残るのです。ここで僕の結論。
 だーかーらぁ、排他主義とか人種差別が蔓延るような世の中にしてはいけないのです。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 17:06 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月13日

<TPPとPPAP>

 世界中が驚いたドナルド・トランプ氏の勝利でした。それまでの世論調査では僅差ながら「ヒラリー・クリントン氏の勝利が間違いない」ようにメディアから報じられていたからです。このことはマスコミの情報の正確さについても考えさせられることでした。つまり、あたかも世の中の動向について知り尽くしているかのように振舞っているマスコミが実際は市井で暮らしている国民の本当の気持ちをとらえ切れていなかったことを示しています。
 マスコミでは「隠れトランプ」という表現を使っていますが、「隠れトランプ」とは「あまりに過激な言葉づかいをするトランプ氏を表立っては支持を表明できない人」のことです。「隠れトランプ」がたくさんいたことになります。
 「隠れトランプ」の存在は裏を返せば、トランプ氏の主張が「常識を逸脱していること」を認めていることの証でもあります。つまり、常識という感覚はトランプ氏に投票した人たちも共有していることになります。
 しかしそれでも米国民はトランプ氏を大統領に選出しました。選挙結果の分析をいろいろなマスコミが報じていますが、興味深いのはあれだけ女性蔑視の発言がマスコミで報じられていたにも関わらず女性の半分以上がトランプ氏に投票していたことです。つまり、米国の女性たちは「女性蔑視をするような人」であってもクリントン氏よりは「まし」だと思ったことになります。しかも、クリントン氏は女性でした。
 選挙結果を分析するときに出てくるのが「エスタブリッシュメント」という言葉です。辞書には「社会的に確立した制度や体制。または、それを代表する支配階級・組織。既成勢力」と説明されています。僕のイメージではエリートのような感覚です。
 トランプ氏に投票した人たちはこの「エスタブリッシュメント」に対して反感する気持ちを持っている人が多いそうです。ヒラリー・クリントン氏は「エスタブリッシュメント」を象徴する人のように言われていました。そのクリントン氏の対照的な人物を演ずる意味合いで、選挙活動中のトランプ氏は野球帽をかぶって登場したりなど庶民的な雰囲気を強調していました。
 トランプ氏の「TPP反対」や「関税を引き上げる」または「移民排斥」といった主張は社会の末端で働いている人々を喜ばせる主張です。米国民の労働者を守ることにつながるからです。これらの主張を聞いていて思い出したのが英国のEU離脱でした。EU離脱を支持した人たちも根底にあるのは人やモノの自由化によって自分たちの職場という既得権が奪われる危惧感でした。トランプ氏の主張と通じるものがあります。
 しかし、僕が不思議に思うのはトランプ氏は決して末端で働いている庶民を代表する立場の人ではないことです。なぜならトランプ氏は億万長者です。市井で必死にコツコツ働いている庶民から利益を搾取する立場にいる人です。トランプ氏の経歴を振り返りますと容易にわかります。
 僕がトランプ氏が大統領に立候補したことを知って真っ先に思ったのは「まだ第一線にいたんだ」というものでした。1980年代に不動産王として成功したのちに90年代には苦境に陥り、その後も復活と転落を繰り返している印象があったからです。ですから、今回の立候補までトランプ氏の名前など忘れていました。
 当初トランプ氏は泡沫候補と目されていました。おそらく大方の人が「すぐに消える」と思っていたのではないでしょうか。誰もが共和党の指名候補になることさえ想像していなかったはずです。さらに選挙戦終盤では共和党の主流派や大手新聞などマスコミまでもがトランプ氏を支持しないと表明していました。しかし、あれよあれよという間に大統領にまで上りつめてしまいました。
 日本では一時期選挙などの際にマスコミで「民度」という言葉が使われていました。ウィキペディアには「特定の地域に住む人々の知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度の程度を指すとされる[誰によって?]。明確な定義はなく、曖昧につかわれている言葉である。テレビ番組の内容が時代、地域の民度と連動しているとの考えも存在する」と書かれています。
 選挙のときに使われるときの民度とは「社会のためになる判断ができる知的水準」という意味合いが強かったように思います。その意味で言いますと、トランプ氏が大統領に上りつめたということは米国民は民度が低いことを示しているのかもしれません。なにしろ人種差別発言や外交知識の欠如が大統領どころか政治家としてふさわしくないことが明白だったからです。そうした人物を選ぶ国民が民度が高いとは思えません。
 しかし、トランプ氏を支持する人のインタビューを聞いていますと、これまでの政治とは違うやり方を期待しているようで一概に民度が低いとも思えませんでした。米国民の民度が低いのかどうかは今後のトランプ氏の大統領としての手腕にかかっています。
 トランプ氏の勝利が確定してから米国では各地で反対デモが起きているそうです。この動きが今後どのように展開するのかはわかりませんが、米国の分断がさらに大きく表面化するのは避けられないように思います。
 「それにしても」と僕は思います。もし民主党の指名候補がクリントン氏でなかったなら選挙動向は違った展開になったはずです。僕はトランプ氏が大統領になれたのは民主党の候補がクリントン氏だったからだと思っています。クリントン氏の敗戦の弁を新聞で読みましたが、潔さと政治に対する真摯な思いが伝わってきました。それだけにクリントン氏は立候補すべきではありませんでした。
 民主党が2期連続で勝利していたこともトランプ氏を勝利に導いた要因のように思いますし、クリントン氏が政権に関与している期間が長すぎることもそうです。もしサンダース氏が民主党の候補だったなら変化を求めている人を引き入れたように想像します。クリントン氏よりは「まし」と思った人がトランプ氏に投票したのですからそうした人がトランプ氏に票をいれなかった可能性があります。しかし、歴史に「もし」は禁句です。
 世界を見渡しますと、EUにおいても極右と言われる政党が各国で伸長しています。これは世界的に経済の面だけではない保護主義が台頭していることを表しています。各国が自国のことだけを考えて行動するならそのあとに待っているのは戦争でしかありません。世界は第二次世界大戦の反省としてそれぞれの国が自国の利益だけを考えるのではなく協調することで平和を実現することを目指しました。EUが誕生した根源的な理由にも「経済で密接に結びつくことが平和につながる」という概念があったはずです。しかし、現在の世界は反対の方向に向かっているように映ります。
 確かにトランプ氏の主張するようにアメリカが世界の警察官を続けることは現実的ではなくなっています。マスコミふうな言葉で言うなら「パックス・アメリカーナの終わりの始まり」です。1991年ソ連が崩壊してアメリカ一強時代に入ったと言われ、共産主義に対して資本主義が勝利をしたと言われました。しかし、そのアメリカも数年前から衰退の道を歩んでいます。保護主義の台頭はそのことと無関係ではありません。諸行無常は世の常ですが、これから世界はどこに向かって進んで行くのでしょう。
 このような混沌とした時代に僕たちのような普通の人が心がけておくべきことは自分のことだけを考えるのではなく社会に関心を持ち、他人の境遇にも心配りをすることです。そして、政治に投票という形で参加することです。そのために必要なことは日ごろから世の中について勉強することです。
 例えば、「TPPとPPAPの違い」はわかっていなければいけません。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 20:00 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする