2017年06月18日

<同窓生>

 都議会選が実質的に始まりましたので各政党の動きが活発化してきています。選挙カーを見かけることも多くなりましたし、街頭演説をしている政党もあります。そんな中、僕に直接働きかけてくる人もいます。
 僕は基本的に不偏不党をポリシーにしていますのでどこかの政党を支持することはありません。ですが、一生懸命に政治活動に取り組んでいる人は応援したくなる気持ちがあります。そうした姿勢はどういうところで見るかといいますと、やはり日々の活動です。ポスターに書いてあることは信用できないのが普通です。いくらでも「格好いい文言」を並べることができます。文言は信用できませんので、実際の行動で判断するしか方法はありません。
 今から10年以上前のことですが、選挙に関係のない時期に駅前でほぼ毎日マイクを片手に演説をしていた若い政治家がいました。多くの人に訴えるには通勤時間が最適ですので朝7時前から駅前に立っていました。本当に感心するほど毎日続けていました。その方の前を通り過ぎるのは数十秒のことですので、正直なところ演説の内容はあまりわかりませんでした。ですから、主張していることはわかりませんでしたが、政治家として信頼に足る人であることは想像できました。
 そうした政治家に対して、選挙が始まるときだけ駅前で演説をする候補者がいます。僕が見たのは先の若い政治家を利用して演説をしていたズルい政治家です。おそらく政治家の世界でも縄張りというのがあり、街頭演説をする場所取りというのには「暗黙のルール」があるように思います。日ごろから演説をしている人がその場所の縄張りになるのではないでしょうか。たぶん、この「暗黙のルール」は政治に関わる人たちの間で了承されているはずです。
 そうなりますと、日ごろ駅前で街頭演説をしていない候補者は駅前で演説をする場所を確保できないことになります。しかし、それは日ごろから地道にコツコツと真面目に政治活動をしていないのですから自業自得というものです。
 僕が見たズルい政治家は毎日演説をしていた若い政治家の隣に立ち、若い政治家に続いて演説をしていました。つまり、例えて言いますと、花見をする際に会社の先輩が後輩に場所取りをさせてあとからゆっくりきて楽しむようなものです。自分だけ「楽して楽しもう」という発想です。このような発想の政治家が国民や住民全体のことを考えた政治をするはずがありません。

 先週の日曜日ですが、パソコンに向かって作業をしていたときのことです。インタフォンが鳴りましたので、僕は「宅配の人」と思い、大きな声で「はぁ〜い」と言いながら玄関に向かいました。しかし、玄関のガラスから外を見ますと、宅配の人ではなく僕と同じくらいの年齢の女性が二人立っていました。
 このような光景を見ますと、すぐに思いつくのは宗教の勧誘です。我が家の近辺には定期的にいろいろな宗教の勧誘が来ます。
 話は少し逸れますが、僕はお店を構えた商売を3回ほど経験しています。開業するということは廃業も3回経験していることになりますが、廃業するときに遭遇するのが、実は宗教の勧誘なのです。人間というのは、不遇のときは心が弱くなりますし、心に隙ができやすい精神状態になっています。新興宗教の人たちはそのような精神状態につけこんで心を奪い取ろうとするところがあります。僕は新興宗教のそのようなやり方に憤りを感じています。もし、本当に自分の宗教を信じ自信があるのなら、そのような正常な精神状態でないときを狙うのではなく、正常な判断ができる普通の精神状態のときに真正面から堂々と勧誘するのが正しい勧誘の方法だと思っています。
 それはともかく、勧誘の人らしき人の姿をみて、いつものように「丁寧に断る」つもりでいました。これも僕のポリシーなのですが、「断る」のにも礼儀があります。僕はいつもドアを開けて「すみませんが、結構です」と言葉をかけるようにしています。
 さて、ドアのノブを掴み右に回して3分の1くらい開けましたところ、意外な言葉が聞こえてきました。
「〇〇高校の△△期の卒業生です」
 「〇〇」は僕の卒業した高校名で、△△は僕が在籍していたときの年次です。つまり、この女性たち二人は僕の同窓生ということになります。僕は、思わずドアを全開し、
「おお、これは珍しい〜!」
 と、笑顔で迎えました。しかし、高校を卒業して40年以上過ぎていますので二人の顔に見覚えはありません。僕は続けました。
「何組の何さんですか?」
 二人はそれぞれ笑顔で答えたのですが、やはりそれでも思い出せません。また、僕は続けました。
「僕は何組だったのかぁ?」
 僕の質問に、右側に立っていた女性が鞄の中から名簿らしきものを取り出し、しばらく見てから
「maruyama君は、3年6組でしたね」
 自分では何組だったか記憶が定かではありませんでしたので、心の中で「へぇ〜」と思いながら質問を続けました。
 それにしても他人から「〜君」と呼ばれるのは久しぶりです。とても懐かしく新鮮に感じられ、うれしい気持ちになっていました。
「お二人はなんのクラブ活動だったのですか?」
 高校時代で僕が一番記憶に残っているのはやはりクラブ活動です。僕が入っていたバレーボール部は高校の中でも一番厳しいと評判だったこともあり、僕が最も充実感を感じていた時間だったからです。
 左側に立っていた女性が答えました。
「私は1年のときだけ吹奏楽部で、彼女は2年までバスケ部にいたんですよ」
 それでもピン!とこない僕はさらに尋ねました。
「じゃぁ、僕は何部だ!?」
 二人は顔を見合わせ数秒考えていましたが、わからないようでしたので自分で言いました。
「バレー部だったんですけど…」
 僕の答えに二人は
「ああ、そうだ、思い出した思い出したぁ」
 …なんて、想い出話をしながらいろいろと世間話をしました。僕は、いろいろな人のお話を聞くのが好きですので、高校を卒業したあとの進路や就職の話、またそれぞれの旦那さんとの出会いなど楽しい会話を楽しみました。
 やはり、「60年も生きていますと誰にでも浮き沈みにがあり、いろいろな経験をしているんだなぁ」というのが僕の感想です。
 ところで、お二人がなにをしに来たのかといいますと、選挙でした。ある政党の候補者のお願いに来たのですが、お二人は僕の家からはかなり遠くに住んでいる方です。それにも関わらず選挙活動をしているのですから、組織の強さがわかるというものです。読者の皆さんは、もうどこの政党かおわかりですね。そうです。後ろで大きな組織が支えているあの政党です。

 ですが、僕の率直な感想としては、このような選挙活動と言いますか、応援はマイナスにしか作用しないように思います。まず、高校の卒業名簿を活用することは今の時代の「個人情報の扱いを慎重に」という時代の流れに反することですし、そもそも40年以上も前の知り合い(?)にお願いされて一票を入れるとは思えません。組織の上層部の方々は今一度考えなおしたほうがよろしいように思います。

 ところで…。
 お二人とはいわゆる世間話というものを30分近くしたのですが、10分くらいを過ぎた頃に左側の女性が僕の顔をまじまじと見ながらゆっくりとした口調で言いました。
「ああ、段々思い出してきた…」
(その程度の思い出しかないのにやってきたのか)と残念な気持ちになったのですが、次の言葉でうれしい気分になりました。
「maruyama君って、人気者だったよね!」

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:53 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月11日

<小松成美さん>

 今から10年くらい前ですが、「世界でいちばん大切にしたい会社」という本が注目を集めました。坂本光司さんという大学の教授が執筆した本ですが、従業員を大切に扱っている会社を紹介している本です。その中で日本理化学工業という会社を取り上げているのですが、この本に取り上げられたことでこの会社も注目を集め、そこの社長も注目を集め、いろいろなマスコミに登場していました。中にはわざわざ再現ドラマまで作っている番組までありました。
 日本理化学工業が「世界でいちばん大切にしたい会社」に選ばれたのは知的障害者を雇用していたからでした。この会社は「チョークを作る会社」なのですが、その工場で知的障害者を雇用していました。しかも、清掃や後片付けなどといった補助的な業務ではなく、普通の従業員と同じようにチョークを製造する業務をしていることも注目を集めた理由です。
 実は、僕はこの再現ドラマも見ているのですが、通常では知的障害者にはできそうもない作業工程を経営者が工夫をして改善している様子に感動を覚えた記憶があります。
 ですが、僕はひねくれものですのでマスコミにあまりに頻繁に登場する人を疑いの目で見る傾向があります。なにしろ、世の中にはマスコミの取材のときだけ好人物を演じ、実際は欲にまみれていてマスコミが伝える人物像とはかけ離れた人がいるからです。このような人はどの業界にもいるのが特徴で、芸能人はもちろんとしてスポーツ選手や経営者の中にも、そのような雰囲気を漂わせている人がいます。
 ですから、あまりにマスコミ出演が多い人は疑う必要があります。なにしろマスコミに出演するだけでかなりの時間を要しますので、露出が多いということは裏を返せば本来の仕事をないがしろにしていることになるからです。
 ですが、日本理化学工業の社長は違っていました。インタビューに答えている雰囲気から「インチキさ」を感じることはなく、マスコミが伝えている人物像がそのまま実際の人柄を表している印象を受けました。しかし、実際に会ったこともありませんので、それ以上の関心を持つことはありませんでした。
 知的障害者に対してサポートを行っている経営者はほかにもいます。宅急便を開発したヤマド運輸の中興の祖と言われている小倉昌男氏もその一人です。細かなきっかけは忘れてしまいましたが、小倉氏は知的障害者の置かれている状況がとても悲惨であることに気をかけていました。そして、第一線を退いたあとに知的障害者の労働環境を改善する活動を始めました。
 小倉氏の本を読みますと、知的障害者が年齢を重ね働かなければいけない年齢になりますと障害者作業所というところで働くようになるそうです。小倉氏が納得できなかったのは、作業所での月給が1万円ということでした。小倉氏はこうした状況を改善しようと奮闘するのですが、その過程で誕生したのが「スワンベーカリー」というパン屋さんの事業です。このパン屋さんは「障がい者の働く『おいしい焼きたてパンの店』を目指している事業」で、現在も継続されています。
 簡単に「継続」と書きましたが、実は知的障害者と普通の健常者が一緒に働くのは傍目から見るほど簡単ではありません。理由は、健常者の側に複雑な気持ちが起こるからです。以前、スワンベーカリーの運営についてのドキュメンタリー番組を観たことがありますが、単に優しい気持ちや思いやりの気持ちだけではお店がうまく回らないのです。番組ではそうしたことまでの伝えていました。ですから、現在も続いていることに驚きとうれしさを感じています。
 因みに、小倉氏が福祉に関心を持ったのはほかにもきっかけがあったのですが、それはのちに出版された「小倉昌男 祈りと経営: ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの」(森 健)に書かれています。

 それはともかく、スワンベーカリー事業を紹介する番組でも報じていたように、日本理化学工業でも健常者と障害者の軋轢が起こっていました。人間という動物は扱いが難しい生き物のようで、短い期間ですと他人に対して優しさや思いやりを発揮することができます。しかし、一定の期間が過ぎますと優しさとか思いやりという感情は失せてしまい、不満やいら立ちを感じるようになってしまいます。
 そもそも何故、10年くらい前に注目された日本理化学工業という会社について僕が今回書いているかといいますと、先日本屋さんに行きましたところ、この会社を取り上げている本がランキングに入っていたからです。「虹色のチョーク」という本です。

 僕は、不思議でした。なんでこんな10年も前に注目を集めた会社について書いてある本がランキングに入るのか…、と。

 答えは、著者にありました。小松成美さんです。
 サッカーの中田英寿選手が第一線で活躍していた頃、「中田語録」という本がベストセラーになりました。中田選手はマスコミ嫌いで有名でしたが、その中田選手の言葉を集めた本ですので注目されるのも当然といえば当然です。ベストセラーになるべくしてなった本と言えます。この本が売れた最大の要因は、著者が中田選手から出版の了解を得られるほどの親密さと信頼関係があったことです。そして、この本の著者は小松成美さんでした。
 スポーツ選手の中にはマスコミと距離を置こうとする人が少なくありません。競技が好きで始めたにも関わらず、有名になるにしたがってプライベートも含めて競技以外の部分がクローズアップされることに反発する気持ちが起きるからだろうと想像します。先日、箱根マラソンで山の神と言われていた選手が27才という若さで現役を引退しましたが、僕はマスコミから注目されることと無縁ではないと想像しています。
 マスコミと距離を置く選手はマスコミからしますと扱いにくい選手ですが、そうであるだけにその選手のインタビュー記事などは価値が高くなります。そのような状況になりますと、今度はその価値を手に入れようとするマスコミ関係者という人が出てきます。インタビューをできるほど親しい関係になることが、マスコミ人としての価値を高めることになるからです。俗な言い方をするなら、「有名人と懇意にしてるから話を聞けるよ」という立ち位置です。
 実は、「中田語録」が出た当初、僕は小松成美さんについてそのような印象を持っていました。マスコミ嫌いな中田選手の「語録」を出版できるということは普段から出版狙いで親しくしていた可能性が高いと感じていたからです。
 ところが…。
 小松さんの著作歴を見ますとスポーツ選手が多いのですが、しかもどちらかと言いますとマスコミに露出するのがあまり得意でない人が多いのが特徴です。そんな中、名前は忘れてしまったのですが、わざわざ小松成美さんを指名して本の出版を許可している人がいました。それを知ってから、僕の小松成美さんに対する見方が変わったのでした。
 そのような経緯がある中で小松成美さんが「虹色のチョーク」という本を出版していましたので、とても気になったのでした。
 中を読みますと、僕の期待にたがわぬ内容でした。「世界でいちばん大切にしたい会社」の中では日本理化学工業に割いているページ数はそれほど多くはありませんが、「虹色のチョーク」は224頁です。表層的なことだけを書いていたのではページ数が余ってしまう量です。
 この本の中で僕が一番興味を持ったところは、「健常者の人たちが障害者に対して上から目線で接していることに違和感を持った社長」でした。そのあたりの微妙な対応の仕方について小松さんは丁寧に書いています。この本の核心はここにあるのではないでしょうか。
 現在、そしてこれから少子高齢化の社会になることはわかりきっていますが、そうしたときに突き当たる壁は健康な人と年老いた人の対立です。健康な人は短期間ならば年老いた人に優しくすることはできるでしょう。しかし、それが未来永劫続くとなると不安がもたげてくるはずです。不安だけならよいのですが、それは不満になり苛立ちになったとき虐待という最悪な状況が起こることも予想できます。
 そのような社会にしないためには日本理化学工業の社長が取り組んだように、健康な人たちが無理をする感覚ではなく自然に年老いた人たちに優しくできるシステムを作ることです。感情だけに訴えて期待するやり方では必ず破たんが訪れます。
 「虹色のチョーク」はそんなことを教えてくれています。

 じゃ、また。
 

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:19 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月04日

<スマホカバー探しの旅>

 スマホを買い替えた話は先月書きましたが、今回はそのカバーについてのお話です。新調しましたスマホはとても好調です。使い慣れるには少し時間がかかりましたが、買い替えてとてもよかったと喜んでいるところです。前回も書きましたが、1万円以下で以前よりも数段アップしたスペックのスマホを購入できたのですから、こんなにうれしいことはありません。
 以前のスマホは僕が買ったときは29,800円で、同じ機種を妻はそ4ヶ月後に9,800円で買っています。僕の29,800円は妻の価格に比べて高い気もしますが、当時はそれくらいが普通の価格でした。それに、あとから妻が9,800円で買っていますので結果的には2台を約4万円で買ったのですから1台2万円で買ったことになります。それで「よし!」とするしかありませんでした。それに比べますと、今回1万円以下で買えたことは格段に得をした気分でいられます。
 しかし、利用者が少ないスマホには短所があります。それは使い方に関して情報が少ないことです。価格が安いので仕方ない面もありますが、あまりに情報が少なく困る場面が幾度もありました。
 最近ではスマホなどを購入しても昔のように分厚いマニュアル書などはついていないのが普通です。ですが、メーカーがネットで提供していたり、使っている人が多い機種ですと使い方を説明したサイトなどがたくさんあります。ですので、使い方に関しては困ることはほぼありません。
 また、スマホケースなどアクセサリー関連もディスカウントストアでもいろいろな種類がたくさん売っていますし、ネット上でも販売されています。アクセサリーについても困ることはほとんどありません。
 iPhoneですと100円ショップなどでも売っていますのでお金をかけずにアクセサリーをそろえることができます。以前スマホ関連の記事を読んでいて驚いたのですが、若い女性の7割がiPhoneを使っているそうです。僕の中ではiPhoneは高いというイメージがありましたので若い女性のシェアが高いことにとても驚きました。
 それはともかく、僕のスマホはとにかく情報が少ないのです。マニュアルにしましても本体に同梱されていないのは当然としても、ネット上にもないのです。つまり、マニュアル書がないスマホということになります。これは使いづらいです。
 僕は試しにと思い、ヤマダ電機に行き店員の方に「マニュアル書」について尋ねましたが、店員の方も知らない状況でした。タブレットを持ってきて一緒に探してくれたりもしたのですが、結局マニュアル書は見つかりませんでした。しかし、店員の方は優しい方で「よろしかったら、私が今説明しますけど」とおっしゃってくれたのが、せめてもの救いです。
 マニュアル書がありませんので自分で試しながら使うことでなんとかなるのですが、「なんとかならない」ことがありました。それはスマホカバーです。スマホカバーもマニュアル書同様にシェアの高い機種はいろいろなところで販売されています。それこそiPhoneなどは100円ショップでもたくさんの種類のスマホカバーが売られています。
 しかし、売れていない機種は店頭で売っていることはありません。普通に考えれば当然ですが、売れる確率の少ない機種は回転の悪い在庫です。そのようなものを売り場に置くのは利益の損失につながります。
 しかし、ネットでの販売は店頭販売ほど在庫にシビアではないはずです。なにしろアマゾンの真骨頂はロングテール販売にありますので、利用者が少なくても販売しているはずです。ところが、どこを探しても僕のスマホカバーは売っていませんでした。
 そこで僕は思いました。ヤマダ電機のオリジナルなのだから「ヤマダ電機に行けば売っているはず」と。ところが、悲しいことに置いてありませんでした。店員の方にわざわざ訪ねたのですが、売っていませんでした。マニュアル書のときと同じように店員の方がタブレットを手に取り探してくれましたが、売っていませんでした。
 そこで僕はまた思いました。なければ自分で作ればいいじゃん!いつもの僕の「なんとなくできそうな気がする」が沸々と沸き上がってきたのです。早速、ネットで調べますと、ありました。
 皆さんはグルーガンという接着器具をご存知でしょうか。これはピストルのような形をしたものに後ろから溶剤を入れ、高熱で溶かしてそれで接着する器具です。
 ネットに出ていたのはその溶かした溶液でスマホカバーを作る方法でした。僕はグルーガンを持っていましたのであとは溶剤を購入するだけです。この溶剤は直径1センチ長さ10センチくらいのものが20本入りで100円ショップにあります。これでうまく作れますと、なんと100円でスマホカバーが完成したことになります。うれしい〜!
 作り方をざっくり説明しますと、スマホをビニールで囲い、溶かした溶剤でスマホの形をなぞりながらカバーの形にしていき、最後にビニールを外して完成というわけです。さて、溶剤を購入し作り始めようところで僕はふと思いました。
「こういう細かい手作業は僕よりも妻のほうがうまいに決まっている!」
 僕はこういうこともあるかと思い、溶剤を買いに行くときに妻に作り方などを細かく説明していました。もちろん、その段階では僕が自分で作るという前提でです。しかし、作り始める段階では「妻の方が向いている」と思い、考え直したのです。妻にお願いしてみますと、まんざら嫌がるふうでもありませんでした。実は、僕はお願いしてからお風呂に入ったですが、お風呂から出てきたときには「できていました」。妻手作りのスマホカバーが。。。
 このときのうれしさったら。。。
 正直に言いますと、素材は接着剤ですし、溶けた溶剤も出てくる形は1〜2ミリくらいの棒状のものですで平面にはなっていません。その棒状のものを並べてつなげて平たくします。ですので、できたものはどうしてもゴツゴツした肌触りになるのですが、とりあえずはスマホにピッタリはまったカバーの形になっています。それだけで僕には満足でした。うれし〜!
 ところが、、、人間というのは欲張りな生き物です。数日使っていますと、不満を感じるようになりました。それは肌触りがベタベタすることです。元々の素材が接着剤ですので溶けたならベタベタすることはあるかもしれませんが、人間の体温くらいで触っている程度では溶けることはありません。ですが、「元々は接着剤」という先入観がありますのでベタベタした感じがするようになったのでした。
 そこでまたまた僕は考えました。ピッタリでなくても同じくらいの大きさのスマホカバーを買ってきてそれのサイズを調節する方法です。この方法ですと、購入したスマホカバーが大きくても小さくても、溶剤を使うのは一部分だけですのでベタベタ感がなくなるはずです。溶剤だけで作ったときの欠点を解消することができます
 この方法で一番大切なことはできるだけサイズが近いスマホカバーを探すことです。そこでたくさんの種類のスマホカバーを売っているお店に行きました。先にも書きましたが、現在シェアが圧倒的に高いのはiPhoneです。ですから、iPhone専用の機種が売り場の多くを占めていました。ですから、android用のカバーは元々少ないのですが、その中から僕のeveryphoneにできるだけ近いサイズのカバーを探さなければいけません。
 僕は、それまでスマホカバーを売り場で探したことがあまりありませんので気がつかなかったのですが、スマホカバー売り場には試し用として箱から出してある見本品が展示されていました。
 そこで、僕は順にスマホを入れて試していたのですが、なかなか気に入ったものがありませんでした。それでも順繰りに試していますと、妻が「同じくらいの大きさのがあるよ」と声をかけてきました。その場所に行き試しに入れてみますと、なんと!ピッタリの大きさのスマホカバーだったのです。ボタンの位置やコードを差し込む位置以外を除くなら全くと言っていいほどピッタリのサイズでした。あまりにうれしかったので商品名を紹介します。「XperiaTMX」という製品でした。
 こうして僕のスマホカバー探しの旅は終わったのですが、僕の人生の旅は続きます。

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:51 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月28日

<本当の悪者>

 先週、僕が最も関心を持ったのは文科省の前事務次官が政権に反旗を翻している姿でした。そして、それに対して執拗に攻撃をする政権の姿勢でした。この事件というか騒動は「誰が本当の悪者なのか」わかりにくい構図になっています。
 では、この事件の全体を俯瞰する感じで発端から説明したいと思います。その中で読者の皆さんが「本当の悪者」をそれぞれ決めていただきたいと思います。「決める」というよりは「感じる」のほうが適切かもしれません。それぞれの出来事が複雑に入り組んでいますので「決める」という表現は正しくないように思えるからです。なにしろこの事件には政権から野党から官僚からマスコミまですべてが関わっているのですから…。
 事件の発端は家計学園疑惑でした。この疑惑は森友学園疑惑と同様、国有地を格安で民間に譲渡したことです。そして、共通しているのがどちらも安倍首相の知り合いであることです。特に、家計学園の理事長は安倍首相自らが「腹心の友」と語っているほどですからかなり親しい間柄の方です。前回のコラムでも書きましたが、本来首相の地位にある人は「李下に冠を正さず」が適切な振る舞いですが、安倍首相はそのような配慮の必要性を感じていなかったようです。
 家計学園疑惑を追及していく中で出てきたのが文部科学省(以下:文科省)と家計学園との間で取り交わされていた獣医学部の新設についてのやり取りの文書です。報道によりますと、家計学園は獣医学部の新設を文科省に申請していたのですが、獣医の数が需要を上回っていることを理由に、文科省は1996年以降獣医学部の新設を認めてこなかったそうです。それにも関わらず家計学園に認可した背景には「安倍首相の意向が働いている」という圧力があったからです。ここでも森友学園のときと同様に「忖度」という言葉がマスコミを賑わせました。そして、「安倍首相の意向」を証明するような文書の存在の有無が注目されることになりました。
 こうした展開を受けて今度は、その文書の正当性について文科省の前事務次官と政権側のバトルが始まりました。そのバトルの一つとして前事務次官はその文書の存在を認める発言をし、菅官房長官はこの事務次官の人間性を貶めるかのような発言をし、また読売新聞はこの前事務次官の出会い系バーへの出入りを報じたり、そうした動きに対抗するかのように前事務次官は会見を行ったりマスコミのインタビューに登場したりしています。
 これが家計学園疑惑にまつわる一連の流れです。読売新聞は元事務次官の出会い系バーへの出入りを報じるくらいですから、間違いなく政権側の立ち位置です。この報道に対しては批判的な意見が多いようですが、記者が裏付けをとって報じてるのではなく政権側のリークに易々と乗って報じているからです。批判を覚悟で報道したのですから読売新聞の姿勢がわかろうというものです。
 それに対して、朝日新聞は政権側に批判的です。一国の総理が親しい人に便宜を図るような行動したのですから「安倍政権に非がある」という意見には頷けます。しかし、まだなにかしっくりこない違和感を感じます。のどになにかがひっかかっている感じです。
 第一の違和感は「なぜ、前事務次官が政権を追い詰めるような行動をしたか」です。正否は定かではありませんが、一部ではこの事務次官の意趣返しという指摘があります。そうではなく「国民に真実を伝えるため」という誠実な人柄が理由という元事務次官を擁護する意見を言う人もいます。ここらあたりは本人しかわかりませんが、政権に盾をついているのは間違いありません。しかもそのことによって現役の文科省の官僚たちの仕事がやりにくくもなっています。本来、官僚という役人は「省益あって国益なし」というくらい自分たち官僚の組織を守ることを一番に考える人種です。
 記憶にある人も多いでしょうが、小泉政権時代に田中首相の娘さんである田中真紀子氏が外務大臣になったとき、事務次官以下全員で真紀子氏を追い落としにかかったことがありました。当時の事務次官は「差し違える」とまで発言していたほどです。真紀子氏が自分のやり方で外務省を改革しようとしたことに反発したからです。
 民主党政権時も厚生労働省の大臣になった長妻昭氏に対して同様の対応をしたことがありました。このとき長妻氏は全くと言っていいほどなにもできませんでした。事務次官以下全員が大臣の指示を無視して行動するのですから当然です。
 このように通常官僚という人種は自分の所属してる省を守ることに命を懸けるものです。そして、その中でも抜きんでて「省を守る」気概のある人が事務次官に上り詰めるはずです。その事務次官にまで上り詰めた人が辞任したあとに政権に刃を向けるのですから違和感を感じるのは僕だけではないでしょう。
 先ほど「意趣返し」と紹介しましたが、これは文科省の天下り問題で「自分だけが責任を取らされた」ことに対する恨みです。確かに、ほかの省でも同じような天下りは行われていたのですから「怒り」を覚えるのもわからないではありません。しかし、その程度では反旗を翻すほどの動機にはならないように思います。
 先ほど「省益あって国益なし」という言葉を紹介しましたが、実は政治の世界では官僚と政治家の間には目に見えない戦いがずっと続いていました。そして、僕の正直な感想を言いますと、官僚が政治を動かしているのが事実のように思います。なにしろ政治家が大臣になりますと最初にやることは官僚からレクチャーを受けることです。これでは官僚に頭が上がるわけがありません。この最初のときの大臣と官僚のつばぜり合いが大臣としての能力を決めると言っても過言ではありません。いろいろな場面での各大臣の答弁を聞いていますと、官僚の言いなりになっている大臣かどうかを判断することができます。
 このようにかつては「官僚政治」という名前まであったくらいですから、官僚の力は決して侮れないものがあります。それを政治主導にしようと試みてきたのが小泉政権あたりからでした。しかし、小泉政権以降は首相が短期間で入れ替わっていましたので官僚政治に逆戻りしていたという印象でした。
 そうした状況を政治主導に変えようと試みていたのが、実は安倍政権なのです。そして、政治主導を確たるものにしたのが2014年に設置された内閣人事局です。内閣人事局とは国の省庁の幹部の人事をまとめて管理する組織です。それまでは各省の人事は省ごとに決められていて政権はそれを追認しているだけでした。ですから、官僚の人事権を政権が握ったのは大きな意義のあることでした。
 こうした背景を理解してうえで今回の文科省の元事務次官の反旗を翻した姿を見ていますと、違った印象を持ちます。
 官僚政治の弊害は縦割り行政と言われています。なにしろ「省益あって国益なし」ですから、省と省の横の連絡が密でなく無駄な税金が使われることにもつながります。それとともに指摘されるのが自分たちの縄張り意識の強さです。官僚の天下り問題の根もそこにありますが、自分たちの縄張りを死守したいがために国全体の視点から考えることができなくなっていることです。そこには非効率という悪い状況が生まれています。
 そうした弊害を解消するために設置されたのが内閣府でした。内閣府とは「各省庁にまたがる政策課題について、それらの隙間を満たす潤滑油として、あるいは柔軟に仕事をこなす」行政機関と解説されていますが、要は省益を優先する省に国益を優先させるように働きかける機関です。まさしく国家の運営において政治主導を果たすキーになる機関です。
 つまり、安倍首相の親しい人に便宜を図るということを除くなら内閣府が文科省に獣医学部の新設を働きかけることはあながち悪いことばかりではないということになります。 このような視点も踏まえたうえで家計学園疑惑を眺めますと、本当の悪者がわからなくなります。身内に利益を図る首相を咎める視点で見るなら前文科省の行動は正当化できますし、政治を官僚主導から政治主導に取り戻すという視点から見るなら菅官房長官の対応も理解できますし…。
 このように考えますと、本当の悪者が誰なのかわからなくなります。しかし、ただ一つわかったことは、いざとなったなら政治という権力は自分の都合のいいようにいくらでも情報を操作できるということですし、大手新聞と言えども書いてあることを無条件に信じてはいけないということです。
 そして、今回の事件は共謀罪がいくらでも権力の恣意のままに利用できるということを教えてくれました。共謀罪はおっかないぞ〜!

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:13 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月21日

<忖度計算>

 僕が学生時代に好きだった歌にハイファイセットの「海を見ていた午後」という曲があります。作詞作曲は松任谷由実になる前の荒井由美さんですが、荒井さんの声よりもハイファイセットの山本潤子さんの声のほうがこの歌の雰囲気を伝えているように思います。元々僕が山本さんの声が好きということもありますが、透き通った山本さんの声なればこその「海を見ていた午後」です。
 ハイファイセットでほかに好きな歌と言いますと、「スカイ・レストラン」「冷たい雨」「卒業写真」ですが、これらは「スカイ・レストラン」の作曲以外はすべて荒井さんが作っています。因みに「スカイ・レストラン」の作曲は村井邦彦さんです。荒井さんの歌はメロディも好きですが、歌詞も秀逸でアーティストの天才とは彼女のような人を言うのでしょう。ただし、歌うほうは天才とは思えませんが…。
 天才・荒井さんの歌詞で好きな一節を紹介しますと

「スカイ・レストラン」からは
♪もしここに彼女が来たって
♪席を立つつもりはないわ
♪誰よりもあなたのことは
♪知っているわたしでいたい

「冷たい雨」から
♪彼女の名前 教えないでね
♪うらむ相手は あなただけでいい

「卒業写真」から
♪人ごみに流されて 変わっていく私を
♪あなたはときどき 遠くでしかって
♪あなたは私の 青春そのもの

「海を見ていた午後」から
♪あのとき目の前で思い切り泣けたなら
♪今頃二人ここで海を見ていたはず

 ねぇ、女ごころの核心を見事に捉えていますよねぇ。

 このように荒井さんの作詞に痛く感動している僕ですが、たまにうっかり八兵衛になることがあります。実は、ず〜っと長い間、う〜んと30年くらいなんですが、ずっと歌詞を間違えて口ずさんでいました。「覚えていた」のではなく「口ずさんでいた」というところがミソなのですが、間違えていたのは「海を見ていた午後」の一部分です。

 本来の「海を見ていた午後」の歌詞は
♪紙ナプキンには インクがにじむから
♪忘れないでって やっと書いた遠いあの日

です。しかし、なぜか僕は30年以上に渡ってこう口ずさんでいました。
♪旅立つキンには ピンクが似合うから
♪忘れないでって やっと書いた遠いあの日

「旅立つキンには ピンクが似合うから」。これは日本語になっていません。そもそも「旅立つ」のあとに続く「キン」とはなんでしょう。しかも「ピンクが似合う」のです。不気味です。自分で言うのもなんですが、不気味です。しかし、僕は30年以上このように口ずさんでいました。勘違いも甚だしいですが、人間って恐ろしいですねぇ。一度思い込むとそれが続くのですから…。

 森友学園の問題がまだ決着もつかない中、また新たな学園の申請問題が出てきました。家計学園というらしいですが、この学園の理事長は安倍首相の刎頚の友だそうです。森友学園と家計学園の問題の共通点は「首相の後ろ盾」です。どちらも「首相または首相近辺の意向があるから」許可した可能性があることが問題になっています。しかし、この「意向」が微妙で、「意向」は首相または首相近辺の人のほうから働きかけたのではなく、なんとなく「意向」があるように官僚が感じたことによるものです。
 こうしたことを「忖度」というそうです。辞書によりますと、忖度とは「他人の心をおしはかること」とあります。つまり、官僚が勝手に首相の意向を推し量った結果、「許可した」という構図です。
 常識的に考えますと、首相が「そうしてほしい」と思っていると想像するなら、やはり「そうするでしょう」。なぜなら、首相というのは国家の最高権力者だからです。ですから、官僚が忖度して行動に移すのもわからなくもありません。ですが、政治家が自分の知り合いの便宜を図ることはやってはいけないことです。これも常識に照らし合わせますとごく普通の考え方です。安倍さんが「李下に冠を正さず」ということわざを知らないはずはありません。たぶん、安倍さんのお父様や御尊祖父なら絶対に行わなかった行為のように思います。
 また、官僚の側においても、昔の官僚は政治家の意向を酌むなどということはなかったのではないでしょうか。なにしろ「日本の政治を動かしているのは官僚だ」と本気で思っていた人もいたほどです。少し話は逸れますが、中卒の田中首相はそれほど尊大な官僚連を使いこなしていたのです。そう思う時、田中首相の凄さを実感します。
 それはともかく官僚は政策は自分たちのほうが詳しいと思っているのも事実です。今ですと、テロ等準備罪の法務大臣の答弁の様子を見ていますとよくわかります。誰が見ても大臣よりも官僚のほうが内容をきちんと理解しています。
 このように現在でも「自分たちのほうが偉い」と思っている官僚がいる中で、政治家の気持ちを忖度して行動する官僚がいるのも事実のようです。このような状況を見ていますと、官僚にもいろいろなタイプがいて、森友学園や家計学園の管轄である文部科学省は忖度するタイプが多かったということなのかもしれません。文部科学省は天下り問題でもやり玉に上がっていましたが、対応ぶりを見ていますと総体的に立場が弱い官庁なのかもしれません。
 そうであるにしても、官僚が政治家の気持ちを忖度している様は究極のサラリーマンのようであまり感じのいいものではありませんよね。政治家が口利きを要請してきても、跳ね返すくらいの気概がほしいです。

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:48 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月14日

<ウンとスン>

 いやぁ、参った、、、。昨日は朝からずっとパソコンをやっていてお昼ご飯を食べるときに休憩して、食べ終わったのでまた「再開しよう」と思いスリープを解除しようとしましたらパソコンが動かない、、、。全く反応しない。

「ウンともスンともいわない」

 あれ!? おかしいなぁ。でも、最初はそれほど重く考えていませんでした。今までにもフリーズすることはなん度もありましたし、そういうときはしばらく間をおくと元に戻っていました。しばらく間をおいてもダメなときは再起動をしたり、それでもダメなときは強制終了をしたり、たぶん皆さんも僕と同じようにしているはずです。
 ところが、昨日はいつもと調子が違っていました。強制終了をしてからちょっと時間をおいてスイッチを入れても音がしないのです。パソコンはスイッチを入れますと、最初にカタ!(カチかな?)という音がして、それからグ〜ンというかブ〜ンというかそういう「いかにも立ち上がっているぞ!」という音がするのが普通です。しかし、そのときは音がしなかったのです。
 あれ!? おかしいなぁ。でも、いつもと違うけど「たまたまだろ」なんて思い、また強制終了をしました。なにしろ画面は真っ黒でなにも映っていないのですからそれしか方法はありません。このときの電源の状況を報告いたしますと、パソコンの電源は「点灯」の状態でモニターは「オレンジ」でした。モニターは通常動いているときはグリーンでスリープのときはオレンジになります。つまりパソコンからモニターになにも連絡が伝わっていないことになります。連絡は大事です。
 さすがにここまできますと、ちょっと焦りを感じてきました。ですから、2回目は強制終了をしたあとの空ける時間を長めにしました。待っている間にいろいろと考えてみますと、お昼ご飯のあとに再開するときの状態がいつもと違っていたことを思い出しました。
 僕のパソコンはスリープのときは電源ランプがグリーンで「点灯」ではなく「点滅」しているのが正常な状態です。しかし、そのときはなぜか点滅ではなく点灯していたのです。但し、モニターはオレンジになっていましたのでスリープ状態だったことになります。つまり、パソコンはスリープ状態ではなかったことになるのですが、これが解せません。僕のパソコンは3分ほどなにもしないとスリープになるように設定していますので本来ならスリープになっていなければいけないはずです。
 しかし、スリープになっていませんでした。考えられることはパソコンのなにかが作動していたことです。この状態はあまりあることではありませんが、あってもおかしくはないことです。なにかのソフトがバージョンアップをしている可能性もあるからです。ですが、そういうことは稀で、だいたいにおいては「3分ほどなにもしないでいるとモニターもパソコンもスリープになって」いました。

 なんかおかしいのかなぁ、、、。

 そんなことを考えていましたら思い当たることが一つありました。実は、僕は連休中にスマホを新調しました。初めてスマホを買って2年半くらいが過ぎましたが、ちょっと使いづらさを感じるようになっていたからです。それは容量が満杯で新しいアプリを入れることができないことでした。新しいアプリを入れなければいいのですが、バージョンアップさえもできないようになっていました。バージョンアップをしようとすると「容量が足りないので、インストールされているアプリを削除してください」と表示されるのです。これはともて不便なことでした。
 ですので「もっと容量が大きいのがほしいなぁ、、、安いヤツで」と思っていたところに、連休中のチラシを妻が見て教えてくれたのです。
「見て見て、ヤマダ電機で安いスマホ売ってるよ!」
 チラシを見ますと、なんとメモリが2G、容量が16Gで9,980円と書いてありました。僕が今まで使っていたのはメモリが1Gで容量が8Gでした。しかもディスプレイが5インチ、OSはAndroid7です。申し分ありません。強いて弱点を上げるならバッテリーが1900mAHでカメラがアウト500万画素イン200万画素といったところでしょうか。しかし、先日なにかの記事で「カメラは300万画素もあれば十分」ということを読んでいましたのでカメラの性能については全く問題を感じませんでした。
 僕が最初に買ったスマホに比べますとカメラ以外はどれもスペックが上回っています。これで1万円を切るのは絶対にお買い得と感じました。それで購入したのでした。
 しかし、購入して落胆したことが一つあります。それは説明書関連がどこにもないことです。最近は印刷された冊子がないことは多いですが、ネット上からダウンロードできるようになっているのが普通です。それがネット上にも全くないのです。仕方なくこれまでの勘だけを頼りに設定するしかありませんでした。
 一応、ヤマダ電機に行き説明書について店員さんに尋ねましたが、結果は同じでした。ここが1万円を切る価格の理由かもしれません。しかし、それ以外は全く問題がありません。「問題がない」どころか満足しています。最初に買ったスマホは2年半前でなんと29,800円もしたのです。それに比べますとスペックの優秀性を考えわせますとお得な買い物です。
 先日、その新しいスマホからUSBでパソコンに写真を取り込もうとしたのですが、その際にドライバーのインストールが行われ思いのほか時間がかかりました。そして、そのあとに電源を切ろうとしたときに通常の10倍くらいの時間を要したのです。パソコンが調子悪くなった理由を考えたとき、このことが思い出されたのでした。
 思い当たることがあるにせよ、フリーズして全く反応しなくなってしまったパソコンはどうすることもできません。仕方なく自分で修理する方法を調べることにしました。
 実は、以前なにかの記事で「windows10にはフリーズしたときに自動的にセーフモードが立ち上がる機能がある」と読んだことがあります。それを頼りにネットで検索しますとありました。「強制終了を連続で3回行うと、自動修復モードで起動させることができる」と書いてありました。しかし、僕の今回の場合はこれは使えませんでした。なにしろ電源を入れても「ウンともスン」とも言わないのですから。。。
 そこでまたいろいろ調べて行きますと、やはりいろいろな広告を見ることになります。自分で調べ始めたのが土曜の8時くらいから夜中の1時くらいまで。そして早朝6時からまた調べ始めていました。長期間調べていますと、業者に依頼することも選択肢の一つのように思えてきます。しかし、代金が高い!それにその代金の正当性が素人では判断できません。
 ネットには本当にたくさんの情報が載っていますが、問題はどれを選択するかです。フェイクニュースではありませんが。情報の正確性は玉石混交です。その中から正しく有効性の高い情報にたどり着く必要があります。
 そんな中で僕が「これかも、、、」と思ったのが、マザーボードの「ボタン電池切れ」でした。この情報を書いていたのはパソコンを修理する会社に勤めていた方が退職を機にそれまでの経験を綴っている記事でした。読んでいて最も納得感が得られた記事でした。
 電源を入れてもなんの反応もしないのですから、挑戦するしかありません。しかもボタン電池はコンビニでも売っているどこにでもあるものでした。早速僕はボタン電池を買ってきてパソコンを開けました。中を見ますと、ありました、ボタン電池が。場所がちょっと作業がしづらい位置にありましたが、ドライバーとピンセットでなんとか交換することができました。
 そして、コード類を元に戻して「いざ、スイッチ・オン!」。。。
 なんんん〜と、パソコンが正常に動くではありませんか。そのときのうれしさっていったらありません。修理をするにしても買い替えるにしても数万円以上の出費を覚悟する必要がありました。それを253円で修理することができたのですから満足感でいっぱいです。そして、なによりうれしいのはこれまでのたくさんのデータを失わなくて済んだことです。
 今回のことでつくづく思いました。バックアップは必ず取っておきましょう。そして、思いました。せっかくこちらがなにかしらの行動をしてもなんの反応もないことの悲しさです。なにも反応がないことに比べたなら「ウンでもスン」でも反応があることはとてもいいことです。皆さん、ウンやスンを大事にしましょう。

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:17 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

<大手マスコミ>

 先週は憲法記念日がありましたので憲法に関連するニュースが多くありました。そんな中、最近僕が気になるのは「危機を煽る」ニュースが多いことです。例えば、北朝鮮からミサイルが発射されたときの交通機関の対応やミサイルで狙われそうな地域の人々にインタビューをしたりなどです。誰でも危険な状況を伝えられたら不安になるに決まっています。
 人は常に判断しながら生きていますが、その判断をする際は冷静で平常心を保っている必要があります。興奮したり感情的になっているときに下した決断が正しいはずはありません。ですから、反対に権力者は人々の気持ちを冷静でない状況にすることで自らの地位を確たるものにすることを考えます。
 ヒトラーが政治の世界で台頭してきたのもまさにその手法でした。第一次世界大戦の敗戦により莫大な負債を負わされて疲弊していた国民の不満を汲み上げて頂点にまで上り詰めたのです。そのことを忘れてはいけません。
 僕はどこの政党も支持していませんし、こだわりがある政策があるわけでもありません。ただみんなが平和で穏やかな生活を営めるような国になればいいなぁ、と思っている小市民です。そんな僕ですが、安倍首相の改憲に臨む手法には違和感を持っています。今の政府のやり方は明らかに「危機を煽って」います。「危機」が言いすぎであるなら「不安を煽って」います。
 先週の本のコーナーで中曽根元首相の本を紹介しましたが、その中曽根氏が憲法記念日に「新しい憲法を制定する推進大会」で演説をしていました。中曽根氏も安倍首相同様に改憲を目指している政治家ですが、そのやり方は王道を目指しているように見えます。どさくさに紛れて改憲をしようと目論んでいるのではなく、正々堂々と賛成反対の双方が意見を戦わせて、それで尚且つ改憲する道を目指しているように感じます。
 中曽根さんの本を読みますと、昔の自民党の政治家には「信念」があったように思えてなりません。政治家として「国民に尽くす」または「国家がいい方向へ行くように活動する」という信念です。権力闘争がありながらも、最後は政治家としての信念で動いていたように思います。今の政界を見渡しますと、そういった高尚な「志」が感じられる政治家が見当たらないのが残念です。
 それにしても安倍首相の世論に対する感性には脱帽です。以前から僕は安倍首相の世論に反応するバランス感覚を称賛していましたが、今村雅弘復興大臣の失言のときの素早い動きにもその感性の素晴らしさが見て取れました。「東北でよかった」発言があったときはその日のうちに解任を決めていますし、先週はわざわざ首相自らが東北に足を運んでもいます。この敏感な反応力が一強になっている今の政権の源になっています。
 僕はこの安倍首相の世論に対する感性は現在通産大臣に就任している世耕さんが主導していると推察していました。しかし、世耕さんが通産大臣になってからも安倍首相の世論への対応が敏感なままですので違う人物のようです。今の僕の推測では、菅官房長官が担っていると思っています。
 なんだかんだ言って、あれほど国会で騒がれていた森友学園問題も結局うやむやになりそうです。籠池氏を国会に呼び、昭恵夫人の証人喚問まで取りざたされていた問題ですが、現在マスコミで取り上げられることはありません。おそらく安倍首相および菅官房長官あたりはこのようになることを想像していたのではないでしょうか。今のペースで行きますと、共謀罪またはテロ等準備罪もすんなりと成立しそうな気配です。
 安倍首相が世論対応を上手にこなしている要因には感性の素晴らしさもありますが、同じくらいマスコミの要因もあるように思っています。先ほど今村復興大臣の失言について触れましたが、今村復興大臣はその前にも閣僚として相応しくない態度をとっていました。本来なら、その時点でマスコミは集中的に批判して辞任に追い込まなければいけなかったように思います。しかし、2度目の失言で安倍首相が解任するまで待たなければいけませんでした。
 今村大臣が解任されたことについて今村氏が所属する派閥の長である二階 俊博氏がマスコミ批判をしていました。「少し間違えただけで、大臣の首をとれ!などとマスコミが批判するのはけしからん!」という内容ですが、この発言に対してマスコミがあまり反応しなかったのが不思議です。僕は、今の大手マスコミは政治家、特に政権や与党の政治家に迎合している印象を持っています。
 先ほど、今村復興大臣は解任された失言騒動の前に「閣僚として相応しくない対応を取っていた」ことを書きました。その対応とは、今村大臣が会見で「自主避難者について“自己責任”“裁判でも何でもやればいい”と発言」したことを追及した記者に対して「出て行きなさい!」と激怒したことです。ニュースなどでも取り上げられていましたのでご覧になった方も多いでしょう。
 一般のニュースでは大臣と記者とのやり取りを興味本位で取り上げていただけでそれ以上の追及はありませんでした。実は、このときに追及した記者は大手マスコミに所属している人ではありませんでした。僕はそこに疑問を感じています。
 この一連の騒動は、今の大手マスコミの記者が政権に批判的な追及をほとんどしていないことを示しています。その流れの延長線上に二階氏のマスコミ批判発言に沈黙をしているマスコミの姿勢があります。昔の記者であったなら二階氏の発言に抗議をしていたはずです。権力者である政治家が権力を監視するのが使命であるマスコミに対して「政治家を批判するな!」と発言したことに憤りどころか抗議さえしない今のマスコミはジャーナリストの役割を果たしていません。
 また、そこには記者間の格差問題が潜んでいるようにも感じます。あの会見で執拗に今村大臣を追及したのは大手の記者ではなくフリージャーナリストでした。つまるところ、大手マスコミの記者連は大手だけでツルんでいてフリーの立場の人たちを見下しているように感じます。確かに、ジャーナリストと名乗りながら実際はなにかしらの活動家であったりすることはあるでしょう。しかし、そのあたりを見抜く目を持っているのがプロの記者であるはずです。記者としての矜持はどこに行ってしまったのでしょう。このままでは政権に都合のよりニュースばかりが流されそうで不安です。
 先日は北海道新聞の世論調査が注目を集めました。理由は、共謀罪について世論調査をした結果、「知らない人が49%、賛成48%、反対45%」というものだったからです。見出しは「知らないけど賛成?」でした。おそらくこれが一般の人の現実ではないでしょうか。だからこそ、マスコミは丁寧に賛成反対の両方の主張をわかりやすく伝える使命があるはずです。

 僕が今、一番好きなCMは元プロレスラーの天龍さんが出演する炭酸飲料のCMです。このCMには2つのパターンがあるそうですが、僕が好きなのは「KISS編」です。天龍になってしまった男子高校生の頬に女子高校生がキスをして元の高校生に戻そうとするのですが、反対に女子高校生が天龍の顔になってしまうCMです。
 僕はなんど見ても笑ってしまうのですが、天龍になってしまった女子高生がかわいそうでなりません。誰でも自分が思っていたこととは違う展開になってしまうと後悔しか残りません。
 今の世の中も、「知らない間に個人の自由が制限されていた」なんてことにならないように社会には常に関心を持っていましょう。

 朝、目が覚めたら妻が天龍になっていたら、僕、驚くだろうな、、、。
 もう、似てるけど…。

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:32 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月30日

<タフでなければ生きていけない>

 先月、今月ともにそれぞれ東日本大震災、熊本大震災といった大規模な自然災害が起きた月でした。マスコミの特徴は災害などがありますと節目のときは派手に報道することですので、先月今月と2ケ月続けて自然災害について報道していました。
 ニュース映像などを見ていますとどちらの地域もまだ復興とは程遠い状況のようでした。東日本大震災は地震以外に原子力発電所の被害もありましたので6年も過ぎたにも関わらずまだ道半ばどころか計画の方向さえ完全に決まっていない状況のように感じます。熊本に関しても1年過ぎたにも関わらずまだ手付かずの地域もありました。それにしても被災状況を画面を通してみますと自然の猛威と脅威を感じてしまいます。
 昨日は晩御飯の時間にNHKで放映していました「プラネットアース」という番組を見ました。いつもはタモリさんの番組をやっているのですが、昨日は特番だったようです。僕は日曜の晩御飯の時間はやはりNHKの「ダーウィンが来た!」を見ているのですが、同じ系統の番組でした。自然界に生きる動物たちの生態を丁寧に紹介している番組です。
 昨日は「高い山」で生き抜いている動物たちを取り上げていたのですが、ナレーションは「高山は動物が生きるのに最も過酷な場所」と紹介していました。理由として、まず挙げられるのは食べ物の確保が困難なことです。高山では簡単に食べ物が手に入りません。ですから、数少ない動物の死骸などがあったときは奪い合いの戦いが起こります。自然界では弱肉強食が摂理ですので戦いに負けたものは死が待っているだけです。
 次の理由は基本的に気温が低いことです。ですから、活動できる期間も短いですし、雪崩など危険な状況が常にあります。そして、平地ではなく山ですので崖があったりなど環境がすべて危険と隣り合わせの状況になっています。
 これら以外にもたくさんの過酷な条件がそろっているのが「高い山」です。そこで生き延びるのは並大抵のことではありません。自然の恐さを感じさせてくれる番組でした。
 基本的に人間は自然の力に比べて無力です。どれほど予防対策を取ろうとも完ぺきに防ぐことは不可能です。そうなりますと、人間にできることは災害が起きたあとにできるだけ早く復興をすることです。事後に備えることになりますが、それも人間の知恵のひとつです。
 毎年9月頃になりますと火災保険に加入している人には保険会社から地震保険の加入を勧める案内が来るはずです。これは政府が保険会社に働きかけて行っているそうですが、この地震保険ができたのも1964年に起きた新潟地震がきっかけでした。普通の火災保険では地震は保険の対象から外されているからです。地震が起きますと被害が甚大ですから民間会社では対応できません。ですから、国が保険者になるしか方法はありません。ですが、地震保険の最大の欠点は保険料が高いことです。これがネックになっていますので地震保険の加入率は30%にも満たない(2015年)数字です。
 地震保険の加入率がこのように低い中で被災した人々に対するインタビューや復興の様子を見ていて感じることがあります。それは「自分だけが地震保険で再建を果たせても意味がないのではないか」ということです。「周りの家々が再建できない中で自分の住宅だけが再建できても心から喜べない」からです。。
 実は、昨年の東日本大震災に関するテレビ番組で観たのですが、運よく津波の被害に遭わなくて済んだ家の人が「家に居づらい」気持ちを吐露していました。理由は、家の前の通りすがりの人たちが「羨ましい」、さらにもう一歩進めるなら「悔しい」「憎らしい」という感情が含まれた「いいなぁ、この家、津波で流されなくて」という言葉をつぶやくからでした。おそらく、このような言葉を発する人も悪意があってつぶやいたのではなく、被災した自分と比べて自然と口から出たのだと思います。ですが、その言葉は運よく災害から逃れた人からしますと「後ろめたい気持ち」にさせるものです。人の感情とは難しいものです。
 人間は神様でも修行を積んだ修行僧でもなく、心がきれいな天使でもありません。いつも迷い憂い、試行錯誤しながら生きています。そのような人間が他人と自分を比べて落ち込むのは致し方ないことです。誰も人間を非難することはできません。だからこそ、、、。
 仮に、自分が地震保険に入っていたとしても周りが再建できない中で「自分だけが住宅を再建して気持ちよく生活できるのだろうか」と僕は感じました。周りとの軋轢や不和が生じる確率が高いように思います。その確率は地震保険の加入率よりもかなり高い数字になると思います。
 結局、地震保険は加入率が最低でも70%くらいはいかないと意味をなさいのではないでしょうか。大分以前ですが、僕は阪神淡路大震災時に住宅ローンが残っていた人たちの金策について書かれた本を読んだことがあります。東日本大震災が起きるずっと前ですが、被災したときに住宅ローンを組んでいた人たちについて取材している本でした。
 細かな内容は忘れてしまいましたが、そのときの印象としては表向きは個人の負担としながらも、実質的には行政が主導して金融機関が負担することで終わったような記憶があります。僕が感じたこの印象には本を読んだ僕の推測も入っています。個人の負債を行政が救済することは間違っても公表することはできませんから実際のところはどうであったかはわかりません。
 マスコミが自慢げに使う言葉に「独占スクープ」があります。自分のところだけが伝えることができるという意味が価値があると思っているからです。ですが、「自分のところだけが伝えること」のどこに意味があるのでしょう。
 以前ある新聞記者出身のジャーナリストが「本当のスクープ」とは他社よりも早く伝えることではなく、「自分が伝えなくては歴史に埋もれてしまう出来事を見つけ出すのがスクープだ」と話していました。僕は「なるほど」と思ったのですが、その意味で言いますと、本当の意味でのスクープに最近は接していないように思います。
 単に早さだけを競うのは意味がないということですし、情報を独占して「自分だけ」が優位な立場を確保しようとするのもジャーナリストという立場からしますと健全な行為ではないように思います。
 自然界では弱肉強食は摂理です。人間も自然界の一員ではありますが、ほかの動物とは違います。単なる弱肉強食の世界から脱して弱者でも幸せを感じながら生きていける社会を作ることに人間の存在意義があるように思います。また、そのような気持ちになることができるのが人間とほかの動物の違いではないでしょうか。
 悲しいことに最近は親が子供を虐待死させるといった動物にも劣る人間がニュースになることもありますが、全体的には人間は動物よりも他者への労りの心を持っている生き物です。
 「自分だけ」が得をすることを望んだり富を独占することを願ったりするのも人間の一面ではありますが、それとは対極にある「みんなが幸せ」の考えが常に一定の割合で世の中に浸透していてほしいな、と願う今日この頃です。
 僕の学生時代は角川映画の全盛時だったのですが、そのひとつに「野生の証明」という映画がありました。そのときのキャッチコピーです。

「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」
(フィリップ・マーロウ)

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:31 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月23日

<意識高い系>

 ブックオフの業績が落ち込んでいるそうです。2016年12月期の営業利益は5億1200万円の赤字だそうで、先日社長交代が発表されました。それにしてもブックオフの業績が悪くなる時代が来るとは十数年前は思いもしませんでした。十数年前に近所にオープンしたお店は店内が広く駐車場も広く、いつもお客様で賑わっており、その状況がずっと続いているイメージがありました。数年前から本やCDだけではなく衣料品も扱うようになっていましたが、それが業績が悪いことが理由とは思ってもいませんでした。
 本当に「時代は常に変わっていく」ことをブックオフの業績悪化は教えてくれています。ブックオフに少し異変を感じたのはいわゆる「せどり」というビジネスが登場したときでしょうか。ブックオフで安い本を仕入れてネットで高値で販売するビジネスです。おそらくこうしたビジネスの登場もブックオフの業績と無関係ではないでしょう。
 そうは言いましてもやはり僕の中ではショックを感じています。理由の一つにブックオフがフランチャイズシステム(FC)を採用していることがあります。実は、近所の店舗のオーナーさんは当時の僕よりも若く開店当初はいつもお店に立ち、お店の運営に直接携わっていました。しかし、1年後くらいにはほとんど現場で見かけることはなくなり、お店の運営は従業員の人に完ぺきに任せるようになっていました。かなり大きな店舗ですのでおそらく従業員は20名以上はいたはずです。もしかしたならバイトさんやパートさんだけではなく店長としての正社員もいたかもしれません。
 僕はそのときラーメン店をやっていましたが、20名以上の従業員を雇用してしかも運営をすべて従業員に任せている状況に驚きと羨望を感じていました。ラーメン店では店主がお店の運営に関わらない状況はあり得ません。毎日最低でも14時間以上はお店にいます。それに比べますと、現場に出なくてもお店が回っていることが驚きでした。
 ですから僕はブックオフの経営スタイルのすばらしさに感心していました。フランチャイズシステム(FC)にはコンビニなどほかにもたくさん業種がありますが、その中でも加盟店主に負担が少ない良好なFCと思っていました。
 そうしたことから鑑みますとブックオフの未来は安泰のように思っていました。そんな中での今回の報道です。ビジネスに「安泰はあり得ない」ことを証明するできごとでした。
 今回の報道は業績悪化により社長が交代することも伝えていましたが、この人事にはちょっと興味を持ちました。ご存知の方も多いでしょうが、ブックオフの創業者は坂本孝氏という方ですが、坂本氏は「俺のイタリアン」とか「俺のフレンチ」など「俺シリーズ」の飲食店を成功させて注目された経営者です。
 その坂本氏がブックオフの経営から身を引いたのは取引先から裏リベートをもらうという背任行為が週刊誌で報じられたことがきっかけでした。要は不祥事を起こしたことが理由ですが、「俺シリーズ」を成功させた際に出版した本を読みますと、「経営者として驕りがあった」と反省の弁を述べています。
 坂本氏がブックオフを去ったあと後任の社長になった方は橋本真由美さんという方ですが、この方もマスコミから注目される背景を持っていました。「あのねのね」として歌手やタレントして活躍している清水 国明さんの実のお姉さんだったからです。しかもただのパートとして入社しながら社長にまで上り詰めたその立身出世ぶりがマスコミの格好のネタとなりました。これはおそらく坂本氏も橋本氏もブックオフの宣伝に利用する意図があったと思います。
 しかし、橋本氏が社長にまで上り詰めたのは有名人が身内にいるからではありません。ブックオフが業績を飛躍させた大きな要因に「売ってください」というキャッチコピーを前面に押し出したことがあります。このキャッチコピーを思いついたのが橋本氏だったのです。しかも店長の経験もありますから人を束ね動かすセンスにも長けていたのでしょう。経営者の素質があったのは間違いのないところです。
 その橋本氏が社長を務めていたのはわずか1年です。ここから先は僕の想像になりますが、橋本氏の後任社長である佐藤弘志さんを指名したのは坂本氏だそうです。佐藤氏の経歴を見ますとブックオフに入社する前はコンサルタント会社に勤めていました。坂本氏は不祥事を週刊誌に書かれたことにより緊急的に社長の座を降りなければいけない状態でした。ですからある意味最初からリリーフとしての社長を探していたはずです。その条件に適ったのがマスコミ受けにも適している橋本氏だったのではないでしょうか。
 しかし、実際問題として社長という職務はやはり経営に関する専門的な知識が必要です。パートさん出身である橋本氏が社長の任務をこなすだけの見識があったとは思えません。ブックオフは一部上場の大企業です。橋本氏が自分の力だけで務めるのは無理があります。ですから、リリーフのあとの本来の社長にすべき人材が必要だったはずですが、その坂本氏の眼鏡に適ったのが佐藤弘志だったというわけです。
 その佐藤氏がブックオフに入ってからの自らの失敗や挫折について赤裸々に告白している記事を読みました。そこにはまさにコンサルタント企業に勤めた「意識高い系」の若者の浅はかさが書いてありました。興味ある方は是非読んでみてください(http://www.takarabe-hrj.co.jp/ring/season1/030/p1.html)。
 この対談には佐藤氏が若さからくる悲しくなるくらい意識が高いようすが綴られています。そして、そうした失態を乗り越えて社員から慕われる立派な社長になったようすも書いてありますが、今回社長を退任するのはこの佐藤氏のあとに社長に就任した松下展千氏です。
 実は、佐藤氏から松下氏に社長が交代したのは2011年ですが、そのときもマスコミから注目を集めました。理由は、業績がそれほど悪かったということもないのに「唐突」な交代発表だったからです。
 創業者である坂本氏が去ったあとのブックオフは大人の事情が理由で社長が交代するような状況になっていたのではないでしょうか。僕の想像でしかありませんが、社長として社員から慕われていた状態で松下氏に交代したのはまさに大人の事情が透けて見えます。松下氏の前職が日本興業銀行だったことが僕に想像させるのですが、松下氏になってから業績が伸び悩んでいたのを見ますと、まんざら間違いでもないように思っていますが、どうでしょう。
 ちょっと心配なのは今回社長に就任する堀内康隆氏の経歴です。堀内氏はブックオフに入る前はコンサルタント会社に勤めていました。ブックオフに入社して10年以上経っていますので意識高い系だった頃の佐藤氏のようなことはないと思いますが、少し不安です。
 今回の交代をよい方向で想像しますと、銀行出身の意識高い系の松下氏が佐藤氏を追い落として社長に就任したけど、業績が落ち続けたためにそれに業を煮やした現場を知っている正当な後継者である堀内氏が社長の座を奪い返した、とこんなふうに空想するのですが、どうでしょう。
 経営者として脱皮した佐藤氏のコンサル時代の上司はまとめ記事がパクリが問題になったDeNA創業者の南場智子氏です。その南場氏は「不格好経営」という著書の中で、DeNAの創業時に味わった苦労とコンサルタント時代の苦労を比べて、「コンサルタント業務では経営の本当のことはわからない」と語っています。
 実は、コンサルタント出身者が実際に経営者になってから同じような感想を語っている例は多いのですが、これはコンサルタントという仕事が役に立たないことの証明であるように思っています。それなのに今でもコンサルタント業が盛況しているのが僕には不思議でならないのですね。
 僕からしますと、コンサルタント業で意識高い系の若者の集まりのように思っているのですが、そんなことを思う僕って「意識高い系」かな。

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:17 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月16日

<スポーツ選手イヤー>

 浅田真央さんが引退会見をしました。会見の映像を見ていてつくづく思ったのは活躍する分野に関係になく有名になる人はマスコミとの関係または距離感がとても重要だということでした。その点で言いますと、浅田さんはほぼ完璧だったような感じがしました。
 会見場にいるマスコミ関係者の全員が浅田さんを好意的に見ていることが雰囲気から伝わってきました。やはり人柄と言いますか人徳と言いますか、人間性いうのは重要のようです。それにしても「すごい!」と感じるのは浅田さんの年齢がまだ26才ということです。この若さでマスコミ対応もきちんとしっかりできることに尊敬の念を感じずにはいられません。やはりどんな分野でも成功する人というのは普通の人よりもいろいろな面で優れているのは間違いないようです。
 スケートの世界に限らずあらゆる分野のスポーツ選手は一般人よりも数倍早いスピードで人生を歩んでいるように映ります。犬の世界を指して「ドッグイヤー」と言うことがあります。犬は人間の7倍のスピードで人生を送っていることを指しているのですが、「犬の2才は人間の14才にあたる」などと表現します。
 同じようにスポーツ選手にも「スポーツ選手イヤー」があるように思います。スポーツは肉体を使いますので自ずと20代でピークを迎えることになります。そして30代半ば、遅くとも40才前には引退します。イチロー選手のように40才を超えても現役を続けられる人もいますが、イチロー選手は特別です。普通のスポーツ選手は30代でひとつの人生を終えます。
 スポーツ選手のこのような人生を見ていますと普通の人の2倍から2.5倍くらいのスピードで人生を送っていると考えることができます。普通の人が60代でビジネスの世界を引退するのに対してスポーツ選手は20代で引退するのですからちょうどそのくらいのスピードです。
 スポーツの世界で頂点を極めたからといって残りの人生も成功するかといいますと、そうとは限らないのが人生の「難しい」というか「不思議な」ところです。凡人の発想では、スポーツで成功したやり方を人生に当てはめるならスポーツと同じように人生でも成功するように思えますが、現実はそうではありません。もちろん成功している人もいますが、平凡な人生を送っている人もいます。オリンピックで金メダルを獲得した選手が民間企業の一営業マンとして働いている姿を見ることもあります。
 中には頂点を極めたがゆえに普通の人生を送れずに道を踏み外している人さえいます。そのような人を見ていますと、スポーツで頂点を極めたのは「偶然に過ぎなかったのか」と思ってしまいます。
 しかし、こうした転落の人生を送ってしまうのはスポーツの世界に限ったことではありません。以前、コラムで巨人の星の原作者である梶原一騎さんについて書いたことがあります。梶原さんは多くに人に感動を与え、多くの共感を得た人気作家でした。僕などはスポーツ大好き少年でしたから生き方や考え方にさえ強烈に影響を受けました。「根性」とか「努力」とか「やさしさ」などを「星 飛雄馬」や「矢吹 丈」に教えてもらいました。そのような信念を持っているはずの梶原さんの晩年は周りの人を傷つけかつてのファンを落胆させる生き方をしていたそうです。(斎藤 貴男の梶原一騎伝より)
 やはり第三者からしますと、ひとつの世界で成功した人は人生においても普通の人が尊敬するような生き方をしてほしいものです。その意味で言いますと、スポーツ選手はひとつの人生を終える時期が早いですから残りの人生を充実させるのは大変かもしれません。それだけプレッシャーも強いとは思いますが、凡人としてはやはり期待してしまいます。
金子みすゞさんふうに言いますと「わがままでしょうか」という感じです。

 先週は熊本大地震が発生して1年ということで多くのマスコミが特集を組んでいました。1年という区切りのときにしか報じないことにいらだたしさを感じる人もいるでしょうが、いろいろな事件が起きる中でニュースとして取り上げることは意味があり、意義もあります。
 しかし、取り上げ方には違和感を感じることも多々あります。以前「感動ポルノ」という言葉がマスコミを賑わせましたが、テレビが特にその傾向が強いのですが、ニュースを伝える際に「淡々と伝える」のではなく「感動を伝えようという意図」が強すぎるのが気になります。熊本地震を報じるにしてもそうした意図を感じるこ場面が幾度もありました。
 例えば、あるリポーターは昨年の地震時にインタビューした地元の人をわざわざ訪ねて「お久しぶりです。お元気でしたか?」と声をかけます。おそらく昨年のインタビューした時点で一年後のインタビューも想定していたと思います。親しくなっておくことが番組作りに役に立つからです。そういった計算高いところが気になります。
 先日、ある麻薬捜査官が逮捕される事件が報じられました。麻薬犯罪の取り締まりで重要なことは内部情報だそうです。ですから情報提供者と親しい間柄でいることは重要な要因です。逮捕された捜査官は一線を越えて親しくなったことが原因のようです。ドラマや映画などでも似たような場面を目にすることが多々ありますが、現実の世界でもあることにちょっと驚きました。
 同じようなことが、スポーツ選手においてもいえます。選手とどれだけ親しい間柄でいるかがインタビュアーやジャーナリストとしての実力になるからです。インタビュー嫌いの選手と親しいということだけでジャーナリストの位置を確保している人もいます。
 もちろんこうした手法には問題があります。麻薬捜査官と同じで親しくなりすぎると選手を批判的な質問がしづらいことです。それこそかつての大本営発表を報じるだけのマスコミや、最近ではいつの間にか籠池氏の報道官のようになってしまった菅野完氏のようになってしまいます。距離感はとても大切です。

 籠池氏の国会への証人喚問もそのときはマスコミに大きく報じられましたが、今では報じられることも少なくなりました。いずれ誰も見向きもしなくなるのでしょう。いろいろな事件が起こりすぎるからです。
 このように考えますと、マスコミイヤーというものも存在するのかもしれません。しかもそのスピードはドッグイヤーどころではありません。早すぎて人間ではついていけないほどのスピードです。このようなマスコミと接する人間としてはマスコミに頭をゆだねるのではなく、ときには立ち止まり、そして自分自身で考えることが大切です。そうでないと自分を見失ってしまうことになります。きっと。。。

 たぶん、脚本家の倉本聰氏はそう思っているに違いない。

 じゃ、また。 

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:30 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月09日

<4月になれば>

 毎年のことですが、今年もお花見に行ってきました。しかし、お天気がどんよりとしていて肌寒さも感じるくらいだったのが残念です。いつもは公園の中かもしくは公園近くの広場に座ってお弁当を広げるのですが、今年は車の中でお弁当を食べました。
 もちろん、ただ車の中でお弁当を食べるのではお花見になりません。ですからサクラが見えるところに車を停めそれを見ながらのお弁当です。これなられっきとしたお花見です。記憶が定かではありませんが、妻とは知り合ってからずっとお花見に行っているように思います。妻はお掃除は嫌いですが、お弁当を作るのは好きなのでいつも楽しそうに作っています。妻は性格はあまりよくないですが、料理を作るのがうまいのが救いです。

 4月は多くの人が新しい環境になる季節です。日本は新年度が4月からですのでいろいろな場面で新しく始まっているはずです。近所の子供は新一年生になったようで真新しいランドセルを背中にしょって笑顔で登校して行きました。学校が楽しいところになることを願うばかります。
 それにしてもイジメがいつになってもなくなりません。僕が小学生の頃もありましたから世の中が全く進歩していないことになります。大人の怠慢と言っても過言ではありません。僕は、教育関係者が本気でイジメをなくしたいならいくらでも方法はあるように思えてなりません。
 イジメが起きる原因の大本は集団生活にあります。イジメは集団があるから起きるのです。そうであるならば集団をなくせばいいではないですか。このような発想は文部科学省の官僚は思わないのでしょうか。一時期「ゆとり教育」という指導のやり方が実施され、そして批判され、現在は少し元に戻ったそうです。
 昔からイジメ問題はあったのですから「ゆとり教育」などに視点を向けるのではなく「イジメ問題」の解決に注力していたなら今頃はイジメで命を失うような事件は起きなくなっているのではないでしょうか。
 イジメの報道を見るたびに僕が不思議でならないのは周りの大人、すなわち教師の人たちが「どのような気持ちで日々の仕事を行っていたのか」ということです。これだけイジメが報じられている中で自分の身の周りで起きている異変やイジメの兆候を感じないことが不思議でなりません。子供の気持ちを慮れない人が教師という職業に就いてはほしくありません。単に公務員という身分が安定していることを理由に教師の道を選ぶことがないことを願っています。
 最も簡単にイジメをなくす方法は学級という単位をなくすことです。選択の自由を生徒に与えることです。イジメが起きる最大の原因は「自分とは合わない人が近くいること」です。大人の世界でもイジメはあるのですから子供の世界で起きないはずはありません。世界を見渡せば「異質な人を排斥したり攻撃する人」は必ず存在します。それが人間が生きている世界です。こればかりはおそらく永遠に続くのでしょう。そうした人間の業を「どのようにして抑えて平和な世界を構築するのか」を神様はお試しになっているのでしょう。僕は宗教を信じていませんが、そんな気がしています。
 大人でさえ自分と合わない人を排斥しようとするのですから、まだきちんとした分別ができない子供がイジメをするのも当然です。そうした実状を前提にして学校教育を行うことを考える必要があります。
 そのような状況でイジメをなくすために必要なことは生徒の選択の幅を広げることです。つまり、自分が苦しく感じる環境から逃れる選択肢を生徒に与えることでイジメは解消されるはずです。基本的にイジメに遭うのは学級の中なのですから学級を選べるようにするならイジメから逃れることができます。もし、学年全体からイジメに遭うのでしたら学校を変えればいいのです。自分に合わない環境を変えるのは決して間違った行動ではありません。
 もちろんこの方法には教師の人数も必要になるでしょうが、少子化が進んでいる今なら教師の人数も余裕があるように思います。ある意味、少子化を逆手にとって生徒たちが楽しく学校生活を送れるような環境を作る努力をするべきです。せっかく生まれてきたのに苦しいことや辛いことばかりでは生まれてきた意味がありません。大人は子供が「学校は楽しい」と思えるような環境にする義務があります。

 4月になると思い出すのは高校3年生のときに同級生になったツチヤ君です。僕の高校時代はバレーボール部で明け暮れていましたが、3年生の6月くらいの試合を最後に引退するのが恒例でした。ですから、暇になるのです。しかも3年生ですから受験に備えて勉強するための自習時間というのがありました。
 自習時間というのは真面目な人には勉強する時間ですが、そうでない人には「遊び時間」です。僕は後者に属していましたので自習時間にいつも野球の試合をしていました。僕はバレーボール部でしたが、野球も得意だったのです。しかもある程度早いスピードの球を投げられたのでピッチャーをやっていました。ですから、自習時間になると僕と同じ人種の3年生が集まり、近くのグランドで試合をしていました。ちゃんとしたグラウンドで試合をしていましたのでかなり本気モードだったのです。
 そんな高校3年生を送っていた僕に比べ、ツチヤ君はいつも教室の後ろの席で勉強をしていた真面目な生徒でした。実は、ツチヤ君とは1年生のときも同じクラスだったのですが、特段親しくなるようなことはありませんでした。ですから3年で同じクラスになっても単なる同級生という間柄でした。
 あるとき席替えがありツチヤ君が近くの席になったことがありました。そのときに初めて親しく言葉を交わすようになったのですが、たまたま音楽の話になったときにツチヤ君がサイモン&ガーファンクルというアメリカのフォークデュオの話をしてきました。僕には無縁の世界でした。サイモン&ガーファンクルで最も有名なのは「明日に架ける橋」です。「♪♪ライカ〜 ブリッジ オーバー トラブル ウォーラー♪♪」 聴いたことがある人もいるでしょう。あのデュオです。しかし、ツチヤ君は「4月になれば彼女は」が一番好きだと言っていました。別に性格が合わないとか雰囲気が苦手というわけではなく、どちらかといいますと話しやすい同級生でしたが、それ以上親しくなることもなく卒業しました。
 ですが、なぜか4月になるとツチヤ君を思い出すのです。
 それから20年くらい経った頃、僕はラーメン屋さんをやっていました。そこになんとツチヤ君がフラッとお店に入ってきたのです。見た瞬間、僕は「あ、ツチヤ君」と声をかけていました。ツチヤ君もすぐに僕のことをわかりました。
 なんと、ツチヤ君は外科のお医者さんになっていました。ツチヤ君の話によりますと、お父上が開業医でそのときは大学病院で修行中とのことでした。その大学病院に通勤する途中にたまたま僕のお店に寄ったのでした。
 4月になると思い出す僕のお話でした。

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:35 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月02日

<たまむすび>

 僕はTBSラジオの平日午後にやっている「赤江珠緒 たまむすび」という番組をよく聴いています。コロッケ屋さんをやっていたときは午後の休憩中に小島慶子さんの「キラキラ」という番組を聴いていました。それからしばらくはその時間帯にラジオを聴くことができなかったのですが、去年の後半あたりからまた聴けるようになりました。
 おそらくラジオというのはそれぞれの育つ環境の中でチャンネルが固定化されていくのではないか、と思っています。僕の場合は記憶がある段階ですでになぜかTBSラジオでした。理由は全く定かではありませんが、気がついたときはTBSラジオに浸りきっていました。
 僕が子供の頃はまだカセット全盛時代ですが、以前なにかのきっかけで昔録音したテープを聞くことがありました。そのテープには昔の歌が録音されていたのですが、それらの歌はすべてラジオ番組から録ったものでした。しかも、曲の中には必ずと言っていいほどアナウンサーが曲紹介をする言葉が入っていました。
 一節には、曲の前に紹介の声が入るのは「きれいに録音させないため」というレコード会社の思惑があったからと言われていました。デジタル全盛の今から考えますと冗談としか思えないような理由ですが、レコード会社はラジオから歌を録音されることにさえ神経質になっていたことになります。
 僕が中学生時代に聞いていたのは土曜の午後にやっていたランキング形式の歌番組でした。おいらの中で最も記憶に残っている歌は「もんた&ブラザーズ」の「ダンシング・オールナイト」です。
 それはともかく昨年後半からラジオを聴くようになったときにやっていた番組は「たまむすび」という番組です。小島さんの「キラキラ」はいろいろと騒動があっておしまいになったようですのでその「あと番組」をやるのは勇気が必要だったのではないかと想像していました。
 小島さんについて少し書きますと、僕の中では「キラキラ」は女子アナと呼ばれる若い女性ではなく、30代女性の魅力が出たことで小島さんがブレイクしたように思っていました。日替わりでパートナーが変わりそれぞれが持つ個性とのやり取りに面白さや楽しさを感じていました。
 しかし、その個性がいつの間にか「我」になっていたように思います。本人は自分の素を出すことや「出る杭」になることが自分の魅力と思っていたのかもしれませんが、僕からしますとバランス感覚がずれ始めていたように思います。真相はどうかわかりませんが、どちらにしても終了したのですから、制作する側から好ましく思われていなかったのは確かでしょう。
 そのあとを受けての「赤江珠緒 たまむすび」でしたから、それなりのプレッシャーはあったと思います。私がきちんと聴き始めたのはここ半年ばかりでしたが赤江さんの魅力が全開していた番組のように感じていました。
 あとから気がついたことですが、実は僕は赤江さんを10年ほど前にテレビ見ていました。それはテレビ朝日の「サンデープロジェクト」という番組でした。ご存知のとおりこの番組は田原総一郎さんがメイン司会を務めていた番組ですが、田原さんのパートナーを務めていた女性アナウンサーが出産かなにかでお休みをしたときに代わりに出演していたのでした。
 なぜ記憶に残っていたかといいますと、進行をとてもてきぱきとスムーズにこなしていたからです。田原さんも同感だったようで、番組の終了間際に「君、とてもいいね!」と話しかけていました。のちに正式に起用されています。
 赤江さんはその後も多方面で活躍するのですが、「やはり魅力のある人」は誰からも輝いて見えるのでしょう。木曜のパートナーを務めていたピエール滝さんが面白い表現をしていまして「赤江珠緒 たまむすび」という番組を「僕らは、赤江丸という船に乗っている」と話していました。
 赤江さんの「たまむすび」のパートナーは月曜日から木曜日までカンニング竹山、山里亮太、博多大吉、ピエール滝さんたちでしたが、ラジオを聴いていて赤江さんが最も好きだったのはピエール滝さんだと思います。やっぱり声のトーンといいますか質が違っていました。人間って声だけでもどこかに本音が出るものですね。
 その赤江さんが番組を去るのは妊娠をしたからです。これもよくあることですが、僕が赤江さんの素晴らしさを感じたのは「休む」のではなく「降板」を選択したからです。人間という生き物は悲しい性があり、一度華やかな世界を経験してしまうと未練がどうしても残ってしまいます。ですから「休む」という選択肢もあったはず、実際に番組の側からは「休む」を望まれたそうです。その状況の中で敢えて「降板」を選ぶ心持が偉いではないですか!
 もしかしたなら将来芸能界に戻ることもあるかもしれませんが、おそらくそれはお子さんがある程度大きくなって生活に余裕ができたときだと思います。赤江さんは家族を一番に考えて生きていくのではないでしょうか。繰り返しますが、一度華やかな世界を経験した人はその世界に対して未練がある人のほうが圧倒的に多いのです。言葉を変えるなら、「母親でいるよりも女でいるほうが気分的に楽しい」のです。その中での赤江さんの決断は素晴らしいことだと思います。
 そんなことを頭で考えながら歯医者さんの椅子に座っていました。僕は先週、新しい入れ歯を入れたのでした。僕はおそらく歯周病というヤツです。若い頃に歯を磨かなかったことの災いですので自業自得ですが、歯がどんどんなくなっていきます。
 なくなり始めた当初は部分入れ歯でも本数が少なったのであまり気にならないものです。しかし、部分入れ歯の欠点は入れ歯を支えている歯に負担がかかることです。今度はその支えていた歯が負担に耐え切れなくなりグラついてきます。そして最後には抜けてしまいます。そうした流れの連鎖により次々と歯が失われることになります。僕もそれほど遠くない将来に総入れ歯になるのでしょうか。齢を重ねるということはいろんなものを失うことだと実感しています。
 安倍首相の周りもグラグラしてきましたが、いつか倒れるのかなぁ。

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:23 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月26日

<土光さんが泣いている>

 先週は今一つ体調がすぐれず風邪かインフルエンザかと自分なりに診察していましたが、病院に行くのもどうも面倒に思え自然治癒力で治そうと思っていました。しかし、未だ回復したとはいえない状況です。
 体調うんぬんの前に、基本的な問題として心臓関連の疾患を経験していることと年をとったことによる体力の衰えがあります。若いときのように颯爽とした動きはできなくなり、動くたびに息切れに近いものを感じています。もっと体力をつけねばと自戒をしている今日この頃です。
 人間の「齢を重ねるにしたがって体力が衰える」という摂理を実感したのは、先週書きましたが、石原元都知事の動作の映像を見たからでした。病気をなさったこともあるでしょうが、年齢を重ねたことも大きな要因のように感じました。その石原氏が先週都の百条委員会で答弁をしていました。しかし、その内容には首をかしげたくなることがありました。おそらく多くの人が同じ感想を持ったのではないでしょうか。
 ビジネスマンまたは社会人として「憧れの働き方」は自分は動かず部下に指示だけをする立場になることです。「指示をする」様は勇ましくとても偉そうに見えますし、人を支配している印象を与えます。英雄は人を支配するのが基本的姿勢です。
 僕は普通の会社勤めをした経験が3年少ししかなく、それ以外はずっと個人事業主です。もちろん時にはアルバイトも兼業しています。ですから、会社のような組織で部下を持った経験がありません。裏を返せば、上司としての経験がないことになります。つまり、「自分は動かず部下に指示だけを出す」という経験がありません。英雄とは程遠い状況でした。
 そんな僕でも、若い頃にはやはり「憧れの働き方」を求める気持ちになったことがありました。つまり「自分は動かずに指示だけを出す」ことです。具体的になにをしたかと言いますと、パートさんに仕込みや開店前の準備を任せて自分は全く違うことをすることでした。ときには喫茶店にお茶を飲みに行くようなことさえしました。それが経営者として「かっこいい」と思ったからです。若気の至りと言いますとそれまでですが、浅はかな個人事業主でした。人に指示だけをする立場に憧れていたのでした。
 しかし、そうしたことも一ヵ月もしないうちに「自分の馬鹿さ加減」がわかりました。なんとなく心が落ち着かないのでした。
 石原元都知事は答弁の中で幾度も「部下に一任していた」と答えていましたが、言葉を変えるなら「自分はなにもしていない」ことになります。「一任」とは「丸投げ」と同義語です。「一任」していたから細かなことは「わからない」では、都知事という役職にいる意味がありません。石原氏は一応は「トップとしての責任は感じる」と答弁していますが、その言葉と「部下に一任」発言は矛盾しているように感じます。
 しかし、組織が大きくなるにつれてトップがすべてを把握し理解することは不可能なことも理解できます。では、大きな組織ではトップはどこまで理解し責任を負えばいいのでしょう。
 セブンイレブンの鈴木敏文氏がトップを退任して約1年が過ぎましたが、鈴木氏のトップとしての姿勢にも僕は疑問を感じていました。ついでにいうなら日産のゴーン氏にも同じ気持ちを感じています。
 鈴木氏はイトーヨーカドーの業績が悪い原因を常々マスコミのインタビューで語っていました。しかし、企業のトップは原因を解説するのではなく、解消する処方箋を示すことが役割です。しかし、鈴木氏は処方箋を示すのは担当者の役割を考えていたようです。鈴木氏の言葉を借りるなら「方向を示す」のがトップの役割だそうです。僕は常々この言をとても不満に思っており、方向性だけを示すなら誰でもできることです。なぜなら直接的な具体的な結果が評価されることがないからです。仮に、方向性が間違っていたとしてもいくらでも詭弁を弄して結果責任から逃れることができます。「部下のやり方が悪いから」と言うことができるからです。こうしたやり方は責任を負わなくて済む究極の方法です。経営者と評論家を一緒くたにする逃げのやり方です。
 僕は日産の社長に就任した当初のゴーン氏に対しても似たような感じを持っていました。ゴーン氏はマスコミのインタビューでコミットメントという言葉を頻繁に口にしていましたが、コミットメントとは約束という意味で、要は担当者に結果を約束させそれが達成できないときは降格させるという信賞必罰のシステムでした。のちにこの経営手法は修正されましたが、長い目で見ますと、弊害のほうが大きい手法です。
 企業に限らず組織のトップは問題に対して処方箋を出すことが役目のはずです。そうでないならトップが存在する意味がありません。その意味で石原氏の「部下に一任しているから細かなことはわからない」は都民という納税者に通用する答弁ではありません。
 そもそも論になりますが、在任中石原氏は都庁に週に数回しか行かなかったそうですから、さほど仕事をしていなかったことになります。そのうえに実際の仕事は「部下に一任」していたのですから、普通の感覚で考えるなら「仕事をさぼっていた」ことにほかなりません。そのことについてマスコミやジャーナリストの方々はもっと批判の目を持つべきだったのではないでしょうか。今の小池都知事の忙しさと比較しますと、その乖離に驚かされるばかりです。
 現在、東芝がかなり危険な状況にありますが、最も大きな原因は米国の子会社ウェスチングハウス(WH社)が7000億円という損失を出したことです。しかも一節によりますと、WH社を買収するときに当時の社長は細かな内容について説明をされていなかったそうです。理由は、原子力関係の事業は専門的な要因が多く理解できないからと解説してありました。この報道に関してどこまでを信用してよいのかわりかませんが、大企業になればなるほど扱う業種が広がりますからトップがすべてを把握し理解しておくことが不可能なことは想像ができます。あながち出鱈目でもないように思います。
 僕の年代で東芝の社長と言いますと、土光敏夫氏をすぐに思い起こします。土光氏は1981年に発足した第二次臨時行政調査会の会長を務めた財界人です。土光氏は風貌がお坊さんのようで他を圧倒する迫力がありました。土光さんが東芝の社長に就任したのは東芝が危機に瀕しており、それを再建をするために白羽の矢が立ったからでした。
 土光さんの本を読みますと、土光さんは「偉くなるほど働け!」と喝破しています。実際、土光さん自身も誰よりも早く出社し最後まで残っていたそうです。土光さんの考え方のすべてが今の時代に通用するとは思いませんが、「偉くなるほど働け!」の理念は今でも立派に通用するように思います。
 もちろん、この理念を悪用したブラック企業による名ばかり管理職は論外ですが、役職が上がるほど働くのが企業の本来の姿でなければいけないと考えます。その意味で言いますと、石原氏のような働き方はトップとして失格です。土光さんが生きていたなら必ずや怒っていたことでしょう。土光氏は怒鳴ることでも有名だったそうで、土光を怒号と言い換える人もいたようです。
 僕が直接接することがある大企業と言いますと、やはりスーパーになりますが、そのスーパーでたまに見かけるのが本末転倒の発想で動いている偉い人です。例えば、スーパーの一番利用しやすい駐車位置に車を止めて巡回している本部の偉い人です。また、日曜など最も売り場に従業員がいる必要がある時間帯に訓示を垂れている偉い人です。このような人は偉い人でいる資格がありません。単に、自分の偉さに自己満足するために仕事をしている人たちです。このような人が幹部にいる企業はいつかは危機に直面するでしょう。なにしろ、東芝という大企業でさえ倒産の危機に瀕しているのですから。
 土光氏が会長を務めた第二次臨時行政調査会が発足した理由は、当時の財政が危機的状況だったからです。国をあげて健全財政にしようという気概がありました。因みに、調査会が掲げた提言を紹介しますと
・1984年度までに赤字国債ゼロ
・官業民営化 (国鉄分割民営化、日本電信電話公社、日本専売公社)
・3K赤字(コメ、国鉄、健康保険)の解消
(ウィキペディアより引用)
 です。今の若い人が見てどんな感想を持つのでしょう。なんと言っても興味深いのが「1984年度までに赤字国債ゼロ」です。2017年で一千兆円になろうとは土光さんは想像もしていなかったでしょう。

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 22:01 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<土光さんが泣いている>

 先週は今一つ体調がすぐれず風邪かインフルエンザかと自分なりに診察していましたが、病院に行くのもどうも面倒に思え自然治癒力で治そうと思っていました。しかし、未だ回復したとはいえない状況です。
 体調うんぬんの前に、基本的な問題として心臓関連の疾患を経験していることと年をとったことによる体力の衰えがあります。若いときのように颯爽とした動きはできなくなり、動くたびに息切れに近いものを感じています。もっと体力をつけねばと自戒をしている今日この頃です。
 人間の「齢を重ねるにしたがって体力が衰える」という摂理を実感したのは、先週書きましたが、石原元都知事の動作の映像を見たからでした。病気をなさったこともあるでしょうが、年齢を重ねたことも大きな要因のように感じました。その石原氏が先週都の百条委員会で答弁をしていました。しかし、その内容には首をかしげたくなることがありました。おそらく多くの人が同じ感想を持ったのではないでしょうか。
 ビジネスマンまたは社会人として「憧れの働き方」は自分は動かず部下に指示だけをする立場になることです。「指示をする」様は勇ましくとても偉そうに見えますし、人を支配している印象を与えます。英雄は人を支配するのが基本的姿勢です。
 僕は普通の会社勤めをした経験が3年少ししかなく、それ以外はずっと個人事業主です。もちろん時にはアルバイトも兼業しています。ですから、会社のような組織で部下を持った経験がありません。裏を返せば、上司としての経験がないことになります。つまり、「自分は動かず部下に指示だけを出す」という経験がありません。英雄とは程遠い状況でした。
 そんな僕でも、若い頃にはやはり「憧れの働き方」を求める気持ちになったことがありました。つまり「自分は動かずに指示だけを出す」ことです。具体的になにをしたかと言いますと、パートさんに仕込みや開店前の準備を任せて自分は全く違うことをすることでした。ときには喫茶店にお茶を飲みに行くようなことさえしました。それが経営者として「かっこいい」と思ったからです。若気の至りと言いますとそれまでですが、浅はかな個人事業主でした。人に指示だけをする立場に憧れていたのでした。
 しかし、そうしたことも一ヵ月もしないうちに「自分の馬鹿さ加減」がわかりました。なんとなく心が落ち着かないのでした。
 石原元都知事は答弁の中で幾度も「部下に一任していた」と答えていましたが、言葉を変えるなら「自分はなにもしていない」ことになります。「一任」とは「丸投げ」と同義語です。「一任」していたから細かなことは「わからない」では、都知事という役職にいる意味がありません。石原氏は一応は「トップとしての責任は感じる」と答弁していますが、その言葉と「部下に一任」発言は矛盾しているように感じます。
 しかし、組織が大きくなるにつれてトップがすべてを把握し理解することは不可能なことも理解できます。では、大きな組織ではトップはどこまで理解し責任を負えばいいのでしょう。
 セブンイレブンの鈴木敏文氏がトップを退任して約1年が過ぎましたが、鈴木氏のトップとしての姿勢にも僕は疑問を感じていました。ついでにいうなら日産のゴーン氏にも同じ気持ちを感じています。
 鈴木氏はイトーヨーカドーの業績が悪い原因を常々マスコミのインタビューで語っていました。しかし、企業のトップは原因を解説するのではなく、解消する処方箋を示すことが役割です。しかし、鈴木氏は処方箋を示すのは担当者の役割を考えていたようです。鈴木氏の言葉を借りるなら「方向を示す」のがトップの役割だそうです。僕は常々この言をとても不満に思っており、方向性だけを示すなら誰でもできることです。なぜなら直接的な具体的な結果が評価されることがないからです。仮に、方向性が間違っていたとしてもいくらでも詭弁を弄して結果責任から逃れることができます。「部下のやり方が悪いから」と言うことができるからです。こうしたやり方は責任を負わなくて済む究極の方法です。経営者と評論家を一緒くたにする逃げのやり方です。
 僕は日産の社長に就任した当初のゴーン氏に対しても似たような感じを持っていました。ゴーン氏はマスコミのインタビューでコミットメントという言葉を頻繁に口にしていましたが、コミットメントとは約束という意味で、要は担当者に結果を約束させそれが達成できないときは降格させるという信賞必罰のシステムでした。のちにこの経営手法は修正されましたが、長い目で見ますと、弊害のほうが大きい手法です。
 企業に限らず組織のトップは問題に対して処方箋を出すことが役目のはずです。そうでないならトップが存在する意味がありません。その意味で石原氏の「部下に一任しているから細かなことはわからない」は都民という納税者に通用する答弁ではありません。
 そもそも論になりますが、在任中石原氏は都庁に週に数回しか行かなかったそうですから、さほど仕事をしていなかったことになります。そのうえに実際の仕事は「部下に一任」していたのですから、普通の感覚で考えるなら「仕事をさぼっていた」ことにほかなりません。そのことについてマスコミやジャーナリストの方々はもっと批判の目を持つべきだったのではないでしょうか。今の小池都知事の忙しさと比較しますと、その乖離に驚かされるばかりです。
 現在、東芝がかなり危険な状況にありますが、最も大きな原因は米国の子会社ウェスチングハウス(WH社)が7000億円という損失を出したことです。しかも一節によりますと、WH社を買収するときに当時の社長は細かな内容について説明をされていなかったそうです。理由は、原子力関係の事業は専門的な要因が多く理解できないからと解説してありました。この報道に関してどこまでを信用してよいのかわりかませんが、大企業になればなるほど扱う業種が広がりますからトップがすべてを把握し理解しておくことが不可能なことは想像ができます。あながち出鱈目でもないように思います。
 僕の年代で東芝の社長と言いますと、土光敏夫氏をすぐに思い起こします。土光氏は1981年に発足した第二次臨時行政調査会の会長を務めた財界人です。土光氏は風貌がお坊さんのようで他を圧倒する迫力がありました。土光さんが東芝の社長に就任したのは東芝が危機に瀕しており、それを再建をするために白羽の矢が立ったからでした。
 土光さんの本を読みますと、土光さんは「偉くなるほど働け!」と喝破しています。実際、土光さん自身も誰よりも早く出社し最後まで残っていたそうです。土光さんの考え方のすべてが今の時代に通用するとは思いませんが、「偉くなるほど働け!」の理念は今でも立派に通用するように思います。
 もちろん、この理念を悪用したブラック企業による名ばかり管理職は論外ですが、役職が上がるほど働くのが企業の本来の姿でなければいけないと考えます。その意味で言いますと、石原氏のような働き方はトップとして失格です。土光さんが生きていたなら必ずや怒っていたことでしょう。土光氏は怒鳴ることでも有名だったそうで、土光を怒号と言い換える人もいたようです。
 僕が直接接することがある大企業と言いますと、やはりスーパーになりますが、そのスーパーでたまに見かけるのが本末転倒の発想で動いている偉い人です。例えば、スーパーの一番利用しやすい駐車位置に車を止めて巡回している本部の偉い人です。また、日曜など最も売り場に従業員がいる必要がある時間帯に訓示を垂れている偉い人です。このような人は偉い人でいる資格がありません。単に、自分の偉さに自己満足するために仕事をしている人たちです。このような人が幹部にいる企業はいつかは危機に直面するでしょう。なにしろ、東芝という大企業でさえ倒産の危機に瀕しているのですから。
 土光氏が会長を務めた第二次臨時行政調査会が発足した理由は、当時の財政が危機的状況だったからです。国をあげて健全財政にしようという気概がありました。因みに、調査会が掲げた提言を紹介しますと
・1984年度までに赤字国債ゼロ
・官業民営化 (国鉄分割民営化、日本電信電話公社、日本専売公社)
・3K赤字(コメ、国鉄、健康保険)の解消
(ウィキペディアより引用)
 です。今の若い人が見てどんな感想を持つのでしょう。なんと言っても興味深いのが「1984年度までに赤字国債ゼロ」です。2017年で一千兆円になろうとは土光さんは想像もしていなかったでしょう。

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 21:59 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月19日

<雀のかあさん>

 先週新しい動画をアップしました。前回アップしたのは12月の初めですので3ヵ月ぶりということになります。僕はいつか将来ネットで生活できるような身分になりたいと思っていますが、物事が自分の思うように進まないのは長い人生で経験してきています。しかし、挑戦することもまた生きていることの証とも思っていますのでこれからも挑戦し続けていくつもりです。問題は人生が無限ではないことです。僕の挑戦が実るか、その前に人生が終わってしまうか、それが難問です。
 そんなわけで性懲りもなく動画に挑戦しているのですが、ソフトを使いこなせずに困っています。僕が使っているのは「六角大王」というソフトですが、その解説本の少なさに苦労しています。どんなに優れたソフトでも優れた解説本がなければそれは「優れたソフト」にはなりません。おそらく3Dソフトを使い慣れている人にはその性能のすばらしさがわかるのでしょうが、ITに詳しくない60才を迎えたおじさんには困難です。おじさんは基本の知識も技術も持ち合わせていません。キャラクターにたった一つの動きをさせるのにときには2時間かかることもあります。僕の苦しんでいる様がお分かりになると思います。
 六角大王を使い始めたきっかけはソースネクストという会社から「3Dソフトが安いよう〜」というメールが届いたことでした。いつかアニメを作りたいと思っていましたのでついつい買ってしまったのでした。宣伝文句によりますと「通常9,800円」くらいのソフトが1,980円とのことでした。おっちょこちょいの僕は思わず購入ボタンを押していました。
 実は、購入してから実際に使い始めるまでには数か月のタイムラグがあります。アニメ作りに取り掛かる時間が確保できず、そのままにしていたのでした。僕にはジンクスがありまして、「購入したものをすぐに使い始めないとき、その購入したものに後悔する」というものです。例えば気に入った靴を購入したとしても、すぐに履き始めるのではなく1〜2ケ月間しまっておいてから履いてみると、どこかしら足にフィットせず結局数回履いただけで処分する結果に終わります。六角大王はまさにそのような状態になりつつあります。
 このように後悔しつつ、なんとか新しい動画を作りました。題名は「雀のかあさん」です。これは童謡詩人・金子みすゞさんの作品ですが、金子さんを有名にしたのは東日本大震災のときに放映されたACの広告です。

『 こだまでしょうか』

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
 
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
 
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
 
そうして、あとで
さみしくなって、
 
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
 
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。


 ご記憶の方も多いはずです。金子さんの詩は「純粋、無垢」という言葉が最も当てはまると思いますが、その視点は常に弱者の側に立っています。僕が初めて金子さんの詩を知ったのは今から十数年前ですが、一時期詩を読むことに凝っており、そのときにたまたま図書館で手に取ったのが金子さんの詩集でした。その中で僕が一番心を揺り動かされたのが「雀のかあさん」です。
 先に僕のジンクスについて書きましたが、実は、僕にはほかにもジンクスがあります。それは僕が「すごく好きなもの」は多くの人からは支持をされないというものです。例えば、僕が「これは名曲!」と思った歌はそこそこのヒットはしますが、ベストテンに入るほどのヒットはしません。僕の感性はほかの人とは少しずれているようです。
 「雀のかあさん」もその一例となっています。金子みすゞさんの詩を紹介する本や雑誌はたくさん出版されているのですが、取り上げられるランキングでいいますと、「雀のかあさん」はベストテンには入っていません。金子さんは生涯に500編以上の作品を残していますので、出版に際してはおのずと詩を選別することになります。そうしますと、「雀のかあさん」を載せていない本のほうが多いのです。
 金子さんの代表作として紹介されることが多いのは先の「こだまでしょうか」や「大漁」または「私と小鳥と鈴と」などです。「雀のかあさん」が紹介されるのは稀です。だからこそ、僕は動画を作りたくなりました。
 なんでもそうですが、作ったものは多くの人に見てもらいたいものです。しかし、それは簡単ではありません。前回アップした「スマップの涙」の視聴回数はわずか24回です。3ケ月で24回ですから情けないを通り越して悲しさがこみあげてきます。ネット関連でなにが最も難しいかといいますと、それは存在を知ってもらうことです。あのピコ太郎のPPAPもフォロワーが数千万人いるジャスティン・ビーバーさんが紹介しなかったならこれほど注目されることはなかったはずです。
 ですから、自分のブログや動画に注目を集めたい人はいろいろな策略を練っています。中には注目を集めることが目的で炎上させる人さえいます。訪問者を集めることほど難しいことはありません。以前書きましたが、昨年の後半あたりから僕のサイトの訪問者が激減しました。一応僕なりに原因はわかっているのですが、サイトのアドレスを変更したことです。そのことにより検索で訪れる人が一気にいなくなりました。やはり訪問者が減りますとadsenseのクリックも減ります。ですから、現在の僕のadsenseは惨憺たる結果となっています。
 それに追い打ちをかけるように悲しい連絡がKDDIから届きました。僕はKDDIの公開サービスを利用してHPを公開しているのですが、そのサービスが終了するそうです。もちろんどこかに移転するつもりですが、せっかく今まで築いてきた実績が消滅することになります。詳しくはわかりませんが、検索で上位に入るには期間も重要な要素のようです。期間とは公開している期間のことです。なんだかんだ言って、僕は「脱サラをする前に」というサイトを10年以上続けています。その実績がサイトの引っ越しによってなくなってしまいます。それが残念でなりません。
 実績が大きな意味を持つのはどこの世界でも同じです。安倍首相は籠池氏という想像もしなかった伏兵によって窮地に立たされているように映ります。籠池氏の話が浮上するまで安倍首相は政治家として完ぺきに近い状況にいました。これまでの首相の中でも稀有の一強状態といっても過言ではなかったでしょう。
 その盤石の状況にいた安倍首相が窮地に陥ることなどそれまで考えられませんでした。まだ籠池氏という人物がどのような人なのか定かではありませんが、対応を間違えると大問題に発展する可能性もあります。強気一辺倒だった安倍首相の言葉遣いが柔らかくなってきたことがそれを物語ってもいます。自分の置かれている状況を敏感に感じ取ることが安倍首相が一強を築いた源です。安倍首相は憲法改正を行うことを最終目的にしているようですが、その目的はしばらくは置いておくことでしょう。
 政治の世界であとひとつ目が離せないのは東京都の百条委員会です。強気一辺倒だった石原氏がどのような対応をするのか多くの人が注目しています。石原氏は強気一辺倒だっただけに石原氏に対して反感を抱いていた人も多いはずです。それにしても最近の画面に映る石原氏を見ていますと、「どんなに強気の人間でも最後は必ず年をとるんだなぁ」とシニアに入ったばかりの僕は感じています。
 人間は、最後は「雀のかあさん」の気持ちがわかるのではないでしょうか。

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:13 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

<どんぐり>

 就活の解禁によりこれまでは表立ってはできなかった就職活動が堂々とできるようになりました。ですが、優秀な学生はすでに内々定もしくは内定をもらっているのではないでしょうか。「優秀な学生」を俗な表現で表すなら一流の大学に通う学生です。どんなに言い繕おうが大学の偏差値で採用の可否が決められているのが現実です。
 常識的に考えて「才能」とは言いませんが、ある程度の「能力」を偏差値で推し量るのは採用する側にとっては当然の発想です。極端な例をあげますと、授業で中学校と同レベルの内容を行っている大学の学生と偏差値70の学生では採用する側にとっての魅力は桁違いです。ですから、偏差値70以上の学生は引く手あまたなのは当然です。
 どんな世界でもそうですが、競争が激しいのはいつも「どんぐりの背比べ」の部類に属している人たちです。就活生はもちろんですが、会社員となってからもそれは続きます。そして、忘れてならないのは世の中には「どんぐりの背比べ」に属している人たちの割合が最も多いことです。
 「どんぐりの背比べ」ですから才能や能力に大差があるわけではありません。ですから、いろいろと工夫を凝らしたり考えたりして差別化を試みます。そうしなけば競争に負けてしまいます。「どんぐり」な人たちはこのようにして苦労をしながら生きていくのがこれまでの、そしてこれからも続くのが世の常です。
 今から40年以上前の就職活動は今と比べますと、それはおっとりしたものでした。もしかしたなら僕だけだったのかもしれませんが、就職について考え始めたのは4年生の夏前くらいでした。今のように3年生のときから就職を意識することなど考えられませんでした。
 僕の学生時代はアルバイトに明け暮れていましたのでいろいろな学校の友達がいました。「いろいろ」とは偏差値に関しても「いろいろ」です。偏差値70以上の人もいましたし50以下の人もいました。しかし、学生の身分として遊んでいる分には偏差値は関係ありません。ですから、遊んでいる間は偏差値を意識することもあまりありませんでした。ただし、麻雀では「偏差値が関係しているかも」と思ったことはあります。
 このように僕にはいろいろな友達がいましたので就職活動に関して特別に鈍感だったということはなかったように思います。さすがの僕でも周りが就職で動き出しますとなにもしないではいられないはずです。そもそも周りが就職活動で忙しいときは遊び友達がいなくなることを意味します。
 どんぐりの部類に入る僕ですので最も平均的な学生の行動だったはずです。そんな僕が4年の夏前からしか就職活動をしていたのに比べますと、3月から就活を始めている今の学生さんたちは大変です。しかし、もう少し前の学生さんたちはさらに前の3年の秋くらいから就活をしていたそうですから大変を通り越しています。
 人間というのは何才になろうが、悩みは尽きません。悟りを開いた人は別にしてほとんどの人が悩みながら生きています。「どんぐり」たるゆえんです。人生相談を読みましても70才を過ぎた人が相談していることもあります。ですから、まだ20年ちょっとしか生きていない学生さんが就活で悩むのは至極当然です。
 また、「悩みに悩んで」もしくは「考えに考えて」下した決断が正しいとは限らないのがまた人生の不思議なところです。その理由にはいろいろありますが、その中でも大きなものに「正解が変わる」ということがあります。時代の変化とともに正解が変わるのですから常に正しい判断などできるはずがありません。就活中の皆さんは、そのことを頭の隅に置きながら頑張ってほしいと思います。

 伊勢丹の社長が辞任したという報道がありました。正確には(株)三越伊勢丹ホールディングスの社長ですが、業績悪化の責任をとって大西洋社長が辞任するそうです。この会社は僕にとって印象が強い百貨店なのですが、理由は三越百貨店、伊勢丹ともに身近に感じていたからです。
 まず三越百貨店は、悪名高い社長の失脚がマスコミを賑わしたことがあります。名前を岡田茂というのですが、三越の女帝と言われていた「竹久みち」とともに私腹を肥やしていたことが週刊誌でスクープされました。50才以上の人ならご記憶にあるでしょうが、役員会で解任動議が可決した際に発した「なぜだ!」は歴史に残る名言となりました。まだ経済や経営について関心も知識もなかった僕がビジネス界に少し興味を持つきっかけとなった事件でした。
 伊勢丹に関しては僕が学生時代にアルバイトをしていたことが身近に感じていた理由です。僕はバイトが終わるといつも社員専用の通用口から外に出たところで仲間とたむろしていました。そのときに少し離れたところに高級車が横づけし、運転手が降りてきて後ろのドアを開けると白髪の小柄な紳士が降りてきました。その紳士を腰を30度折り曲げ出迎えるスーツ姿の男性もいました。その光景を不思議な面持ちで見ていますと、偏差値60以上の先輩が教えてくれました。
「あの人は伊勢丹の取引先の銀行から天下ってきた伊勢丹の会長なんだよ」
 僕が世の中の仕組みを少しだけ垣間見た光景でした。因みに、当時伊勢丹は「どんぐり」では到底入れない会社でした。
 バイトの経験がありましたので伊勢丹には思い入れがありました。10年ほど前に「伊勢丹な人々」が売れたときや伊勢丹のカリスマバイヤーとして名を馳せた藤巻幸夫氏の名前にはいつも注目していました。
 藤巻氏の足跡を追っていますと、のちにマスコミで有名になる人との関りが見て取れてとても興味深く感じます。少しだけ紹介しますと、藤巻氏は伊勢丹を退職したあとある投資会社の要請で足袋の福助の再建を手掛けるのですが、この投資会社は現在ローソンの会長を務めている玉塚元一氏と現在ファミリーマートの社長に就任している澤田貴司氏が立ち上げた会社です。それ以前に、この二人はユニクロのファーストリテイリングでそれぞれ社長と副社長を務めていました。
 それはともかく、大西洋氏が辞任に追い込まれたことは僕にとっていささか落胆なできごとでした。以前、紹介しましたが、大西氏は百貨店として画期的なことを行おうとしていました。
 百貨店の凋落が言われて久しいですが、その兆候は僕が学生時代からすでに指摘されていました。ちょうどヨドバシカメラなどが台頭してきた時代です。百貨店の売り場から時計売り場やカメラ売り場などが消えつつあった時代です。この頃はカテゴリーキラーという言い方がされていましたが、百貨店のように「なんでも売っている」お店ではなく特定の商品に特化したお店が消費者の支持を集めだした時代でした。学生の僕でも疑問に思っていましたが、百貨店は「単なる場所貸し」の会社に成り下がっていたのでした。
 販売の会社が売上げ不振から脱却するために最初に行うのがセールを打つことですが、そのセールを始める時期が段々と前倒しになっていました。これは、少しでも売上げを上げるために行うことですが、売上げ不振の「焦り」からセールの前倒しが通常化していました。大西氏はこの状態を正常化しようと試みていました。
 僕もこの記事を読んで知ったのですが、セールの前倒しを正常化することは単に始める時期を遅くすることではないようです。メーカーに与える影響もかなり大きいようで簡単に実行できることはないようでした。しかも、セールをほかの百貨店よりも遅くするということは、ひとつ間違えるなら「売れるチャンス」を逃すことにつながるはずです。しかし、大西社長はそれを実行していたようです。
 また、お正月の初売りについても挑戦していました。今年の報道でも伝えていましたが、三越伊勢丹グループはほかの百貨店よりも初売りを遅くしていたそうです。これなどは素人目には間違いなくチャンスロスだと思いますが、実行しました。来年はさらに遅くすると話していました。
 初売りを遅くするのは従業員の労働環境の改善が目的ですが、大西社長は従業員の待遇に関してかなり思い切った考え方を持っていたようです。従業員が気持ちよく働けるような環境を作ることが会社の成長につながるとというポリシーの持ち主でした。
 このように僕からしますと、とても実直で誠実な経営者のように思えていましたが、こうした考えは当然反対する声があることは容易に想像がつきます。
 経営者は最終的には「結果がすべて」です。やはりいくら理想的な経営手法を行おうと結果がついてこなければ断罪されます。どんぐりではなくエリートの世界でも、いえいえエリートの世界だからこその競争の苛烈さがあるのでしょうね。
どんぐりでよかった…。でも、コロコロしてなくちゃいけないんだ…。

 じゃ、また。
 

スポンサーリンク


posted by satoaki at 19:31 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月05日

<印象の大切さ>

 今年も早いもので2か月が過ぎました。あと9か月が過ぎますと師走です。一年はなんと早いのでしょう。…などと、昔井上順さんがギャグを飛ばしていました。今から30年以上前のお話です。今の若い人はご存知ないと思いますが、井上順さんは元スパイダースのメーンバーで堺正章さんとともにボーカルを担当していた方です。井上順さんはスパイダースが解散したあとに「夜のヒットパレード」の司会者を務めていました。初代が前田武彦さんでその後任でした。因みに古舘さんはそのあとの司会者です。
 井上さんはお笑い芸人ではありませんでしたが、話術がとても長けていて面白ネタをいくつも披露していました。スパイダースを解散したあとの新天地を司会者の方向に決めていたのでしょう。やはり、どんな職業であれ、新天地に進むときはかなりの覚悟と努力が必要です。
 もう一人のボーカルだった堺正章さんも同じ方向に進みました。堺さんは今の若い人には「チューボーですよ〜!のMCをしている人」のほうがわかりやすいかもしれません。堺さんが司会者を務めていたのは「紅白歌のベストテン」という番組です。因みに、堺さんのお父様は有名な喜劇役者でした。
 「夜のヒット〜」はスタジオでの制作ですが、「紅白歌のベスト〜」は公開番組でした。いつも渋谷公会堂というところで番組を撮っていたのですが、実は僕は小学生か中学生の頃に生で見に行ったことがあります。当時は中野に住んでいましたので友達と見に行ったのでした。
 しかも舞台の上から見たのでした。番組は観客席のほかに舞台の後ろのほうにも応援席があり、そこに座ることができたのです。つまり歌っている歌手を後ろから見ていたことになります。
 その時にとても印象に残ることがありました。それは和田アキ子さんが歌っているときのことです。歌いだしサビのあたりに差しかかった頃、マイクを持っていないほうの手を背中のほうに回し、観客席からは見えないように伴奏を指揮している人にしきりに手のひらを上下させて、なにかの合図を送っている姿でした。「テンポを落とせ」といっているのか「音量を落とせ」といっているのかはわかりませんでしたが、必死に合図を送っていました。
 堺さんが最近注目を集めたのはヒロミさんを干した張本人という噂でした。ヒロミさんは今では売れっ子のひとりですが、2〜3年前までの約10年間芸能界から消えていました。その理由として「プロヂューサーに嫌われた」とかいろいろありましたが、「大物芸能人に嫌われた」という噂もあり、その大物芸能人の名前としてが堺さんが上がったのでした。
 結局、この噂については当事者の二人がある番組で笑い話のネタのひとつとして決着をみましたが、実は僕は疑っています。なにしろ芸能界から消える前のヒロミさんは生意気を絵に描いたような振る舞いで有名でしたし、堺さんも若手の生意気な芸人を極端に嫌っていたからです。
 しかし、生意気を理由にするなら同時期に売れていたダウンタウンの浜ちゃんも同様です。ですが、浜ちゃんは干されるどころか増々売れて行き、先輩芸能人の頭を平気で叩いたりするのが「ウリ」になったほどです。若いアーチストの中には「浜ちゃんに頭をはたかれると売れる」というジンクスまであったようです。
 ヒロミさんは復活をしてからいろいろな番組で消えていた10年間について語っていますが、消える前までもMCを務める番組も幾つか持ちしっかりとした売れっ子でした。ゴールデンの番組は少なかったかもしれませんが、深夜帯などでは押しも押されぬ大物だったのです。
 僕が印象に残っているのは、今売れっ子の一人であるロンブーの淳さんがヒロミさんに教えを請いに行く企画の番組でした。ロンブーの淳さんもゴールデンの立ち位置を確たるものにするまでは深夜でそこそこMCを務めていました。この道はすべてのお笑い芸人たちが通る道ですが、その頃の淳さんは「確たる」まではたどり着いていない立ち位置でした。
 番組では淳さんがヒロミさんの控室に押しかけ、土下座をして「どうすればレギュラーを確たるものにできるのでしょうか?」と質問していました。ヒロミさんは半分笑いながら、しかし真面目に答えていたのですが、「俺の場合は深夜だけだけどな」と前置きをしていたのが印象的でした。
 ほぼ同じくらいに出てきた中でダウンタウンやウッチャンナンチャンたちがゴールデンでも番組を持っている中で、深夜に活躍している自分の立ち位置をシビアに理解している姿が印象的でした。しかし、その後しばらくして深夜からも消えてしまうことになります。芸能界の厳しさを垣間見せてくれるできごとです。
 このように芸能界はとてもシビアな世界ですが、そのような世界では後輩であろうが先輩であろうが誰であろうがライバルです。ライバルを蹴落とさなければ生き残っていけない世界です。僕は毎週日曜に「ダーウィンが来た」を見ていますが、この番組は自然界の厳しい競争社会を紹介する番組です。自然界では競争に負けることは死を意味することです。芸能界は自然界と似ているところがあります。
 そのような厳しい芸能界でありながら演歌の世界とお笑いの世界だけは後輩に優しくするのが習わしになっているように思います。演歌の世界やお笑いの世界では売れた人は必ずと言っていいほど、売れなかった時代に受けた先輩からの厚遇を話します。実際には「出てきた杭は打つ」こともあるのでしょうが、全体的には「後輩を助ける」風潮があるように思います。
 先ほどのロンブーの淳さんは早くから東京に進出して成功した一人ですが、淳さんから温情を受けた後輩はたくさんいます。また雨上がり決死隊の宮迫さんたちは「まだ売れていない、もしくは売れなかった芸人」を紹介する意図がある番組まで作っています。このような光景は傍から見ていたとても気持ち良いものです。
 テレビでレギュラーを勝ち取るのは簡単なことではありません。そんな中で僕が最も不思議というか底力を感じるのは「今でしょ!」で有名になった予備校講師の林修先生です。なにが凄いかといいますと、引き出しの多さです。
 ある人がなにかのきっかけでテレビのレギュラーの座を得ることはよくあることです。しかし、そうした人たちのほとんどは一過性の場合がほとんどです。いわゆるブームが終わるとともに当人もお払い箱になる流れです。しかし、林先生は違いました。もう一過性でもブームでもないのは明らかです。
 しかもさらに凄いところはゴールデンの時間帯でずっとレギュラーを持っていることです。さらにさらに凄いところは一つの局ではないことです。僕が知っているだけでテレビ朝日、フジテレビ、TBSでレギュラーを持っています。下手なタレントよりも活躍しています。
 このような状況を見ていますと、芸能界で生きていく中で大切なことは番組制作者に好感を与えることです。もちろんその前提として能力や人間性が優れていることが必要です。それを備えたうえで制作者に好印象を与えることが芸能界を生きていく要諦のように思います。
 そして、これは就職活動においても当てはまります。就活が解禁になりました。就活という競争の中においてもライバルを徒に蹴落とそうとするのではなく、「できたら一緒に採用されたい」というくらいの心構えを持つくらいの余裕を持つことが大切です。人間は渦の中に入ってしまうとどうしても心の平衡感覚を失いがちです。追い込まれたときに、結局最後に現れるのは自分の本性です。その本性を認めてくれる会社と出会えることが就活における勝利です。

 就活生、頑張れ!

 じゃ、また。


スポンサーリンク


posted by satoaki at 22:52 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

<弱小の強み>

 先週はプレミアムフライデーでマスコミは盛り上がっていましたが、実際のところは会社勤めをしている人たちの大半には無関係だったのではないでしょうか。なにしろプレミアムフライデーを実施する企業の割合がわずか2.5%という数字でした。普通に考えて勤務時間を短縮できるのは大企業の一部に限られているはずです。日本の大企業の占める割合は約10%ですから、ほとんどの会社員はプレミアム金曜の恩恵を受けていないことになります。
 情報番組などの伝え方を見ていても「時間の使い方を無理矢理に作っている感じ」が映像から伝わってきます。テレビ用に人を集めてきて事前にコメントの打ち合わせをして、その場面を撮っている様子が目に浮かびます。それにしても今のテレビ界を象徴しているように感じたのは映像を撮る場所でした。せっかく仕事が早く終わったのに、「やることがお酒を飲むだけ」というのはあまりに情けないことです。今回の騒動は図らずも番組を制作する人たちが画一的な発想しか持ち合わせていないことを証明していました。
 1ヵ月に1回とはいえ勤務時間を減らすなどという悠長なことができるのは日本にある企業の中ではほんのわずかな数です。ほとんどの企業では人手不足が慢性化しており、そして企業は残業代を支払うことにさえ汲々としておりサービス残業が常態化しているのが実態です。
 人手不足が特に顕著なのは人間がサービスを提供する業界です。例えば、飲食業や小売業、配送業などですが、これらの業界は働く人がいなくなると成り立たない業界です。しかも退職などで従業員が足りなくなりますと、残っている従業員にさらにしわ寄せがいく構造になっています。飲食業や小売業で働いている人たちはこの負のサイクルから抜け出せずに苦しんでいます。
 先週、宅配業界の最大手であるヤマト運輸の労働組合が「荷物受付の制限を要請した」というニュースがありました。このニュースは一見なにげない内容のようですが、僕には画期的な印象がありました。理由は、労働組合が本来の役目を果たしたように感じたからです。今の時代に、労働組合が経営側に業務内容について「意見をする」などという話を聞いたことがありません。今の労働組合は経営側の御用組合に成り下がっているからです。因みに、御用組合とは「経営者の言いなりになる労働組合」のことです。
 そのような状況の中で労働組合が経営側に荷受け制限を要望するのは簡単ではないはずです。荷受け制限は売上げを落とす行為ですから経営側にとっては容易に受け入れられる内容ではありません。それを敢えて行ったのですから今の労働現場がいかに過酷であるかを示しています。
 荷受け制限をしなければいけないほど荷物が増えたのは昨年amazonと契約をしたからだそうです。amazonはそれまで佐川急便と契約していたそうですが、佐川急便が金額的に合わずに辞退したことによりヤマト運輸と契約したわけです。
 素人目にみましても、佐川急便の配達システムでは無理があるように思います。ヤマト運輸のようなきめ細かな配達網を確立していなければ消費者の要望に応えるのは無理です。そう考えますと、宅配便を考えた小倉昌男氏の先見の明の素晴らしさをより強く感じます。
 先週のテレビ東京「ガイアの夜明け」ではそのヤマト運輸の違法な労働実態を訴える元社員を取り上げていました。内容は、サービス残業を労働者に押し付けている様子を示すものでしたが、業界最大手のヤマト運輸が対象になっているところが重要です。
 「ガイアの夜明け」はこれまでにもなんどか「労働者が不利益を被っている状況」を告発する内容を放映しています。数年前には大手コーヒーチェーンの「シャノアール」のアルバイトへに対する違法な労働実態を告発していましたし、最近では「ドン・キホーテ」や「アリさんマークの引っ越し」などの違法な労働実態を放映していました。
 一般に、大手マスメディアはスポンサーに配慮する傾向があります。大手であればあるほどその傾向が強いといわれています。その点、テレビ東京は業界では弱小であるがゆえに反対に「スポンサーに配慮することなく番組を作ることができる」という利点があるように思います。
 僕は現在、読売新聞を購入していますが、新興宗教の広告が堂々と大きな紙面を占めていることに違和感を持っています。いくら営業的に苦しいとはいえ新興宗教に加担するようなことは慎むのが大手新聞の矜持ではないでしょうか。
 話は少し逸れますが、「ガイアの夜明け」のMCを務めているのは江口洋介さんですが、場合によっては自分の芸能活動に影響を与えることもあるかもしれません。自社の営業活動を批判している番組に出演しているタレントを企業が使うはずがないからです。芸能人はそういうリスクも負っていると考えますと、芸能人も大変です。
 ヤマト運輸では労働組合が本来の役割を果たしたわけですが、それはあくまで組合員の立場を守ることが目的でした。それに対して、さらにもう一歩進んで組合員ではなく労働者全体の立場を守る提言をした労働組合のニュースがありました。
 auを展開するKDDIの労働組合は契約社員の一時金の算定方法を正社員と同じようにすることを要求するそうです。つまり正社員の労働組合が非正社員である契約社員の収入が増えるように要請することです。正社員と契約社員の格差を解消するのが目的とのことですが、労働組合というからには正社員だけではなく契約社員など非正社員の待遇改善も目指すのが本来の役割です。この流れが全体に広がることを期待しています。
 現在、労働組合の組織率は20%を割り込んでいますが、組合離れが始まったきっかけは経済が安定したことだと思います。しかし、現在の労働環境は決して褒められたものではありません。昨年あたりから「ブラック企業」だとか「ブラックバイト」という言葉を見聞きする機会が増えましたが、労働者にばかり不利益が押し付けられる労働状況が増えています。
 ブラックな企業をなくすのはある意味簡単です。情報公開です。離職率の発表を義務付ければよいのです。離職率は求職者が判断する目安になります。普通の感覚の持ち主なら離職率の高い企業の面接を受けようなどと考えるはずがありません。このようにして自然とブラック企業は淘汰されていくでしょう。
 先週はまたしてもコンビニで「急に休んだことを理由に罰金をとっていた」事件が報じられました。おそらくこのような違法な誓約書を強制しているコンビニはほかにもあるのではないでしょうか。僕も飲食店を経営していた経験がありますので突然休まれることの大変さはわかります。ですが、それも含めてお店を運営するのが経営者の務めです。それができない経営者は淘汰されるべきです。
 このように決して高い賃金を支払っているとはいえないアルバイトに重い責任を押し付けようとする発想に憤りを覚えます。ですが、僕がもっと憤りを感じるのはコンビニ本部が加盟店に対して不公平な関係で契約していることです。なにしろ経営者でありながら、「お店を休業したときに本部に違約金を支払う」なんて経営者に対する侮辱です。名ばかり経営者と言われてもおかしくはありません。
 テレビ東京で取り上げないかなぁ…。

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:10 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月19日

<青色申告会>

 毎年この時期になりますと、僕は確定申告に関連するコラムを書いているのですが、今年も書きます。今年もなんとか提出を終え、一息ついているところです。確定申告でなにが困るかと言いますと、やり方を思い出すことです。なにしろ一年ぶりに仕訳やら決算やらをやるのですから大変です。仕事絡みなどで日々経理や簿記に接している人ですと、「思い出す」という作業をする必要はありません。しかし、僕のように確定申告時以外は全く経理関連に触れることがない人間にとっては苦労以外のなにものでもありません。
 これから書くこともなんどか書いていますが、やはり書きます。国税庁のHPにある「確定申告書等作成コーナー」はとても便利です。本当に、画面の指示に従って進めるだけで確定申告書を作成することができます。そうは言いましても、パソコンに慣れていない人には不安を感じる人がいても不思議ではありません。パソコンさえ完ぺきに操作できない人が、ネット上で「確定申告書を作成する」気持ちになるのは不可能に近いことです。
 僕にも経験がありますが、「画面の指示に従って」というのがまた曲者で「画面どおりに従えない」ことがままあります。僕の妻は新婚時代には僕に従っていましたが、年齢を重ねるとともに「従わなくなって」きました。30年を過ぎた今ではほとんど無視です。妻の場合は、人間性が図太くなったことが原因ですが、「確定申告書等作成コーナー」の画面どおりに「従えない」のは別の理由です。
 これは単純に言いますと、説明の仕方が下手くそだからです。「教える」とか「説明する」ことに対する意識が低いからです。僕のポリシーは、「教えられる側ができないのは、教える側に100%責任があります」です。
 「確定申告書等作成コーナー」は国税庁のHPにあり、その国税庁はお役所の中でも最もお役所的なイメージがあるところです。そして、お役所という言葉から連想するのは「お役所仕事」です。「お役所仕事」を辞書で調べますと「形式主義に流れ、不親切で非能率的な役所の仕事振りを非難していう語」と書いてあります。ですから、「確定申告書等作成コーナー」の存在を知っていながらまだ利用していない人は「お役所仕事」というイメージが行動を躊躇させているように思います。そこで、単に「画面の指示に従う」だけではなく、さらにもう一歩進めてもっと具体的にわかりやすく説明しているサイトを「まとめnaver」で紹介することにしました。確定申告がまだの方は是非挑戦してみてください。

簡単!国税庁の確定申告作成コーナーで手早く済ます方法

 ネット上には確定申告で「得をする」方法を紹介しているサイトが数多くありますが、そこに必ず書いてあるのは「青色申告」をすることです。ご存知の方も多いでしょうが、確定申告には「白色申告」と「青色申告」があります。確かに「青色申告」にはメリットがたくさんあります。ですから、手続きや作業などを面倒と思わない人なら「青色申告」にした方が得なのは間違いありません。しかし、「青色申告」にしたからといって審査が甘くなるということはないようです。「ないようです」と曖昧な表現なのは実際にいろいろな人の体験談を聞いてきたからです。
 トランプさんが大統領になってから「偽ニュース」が注目されています。これまでもいわゆる噂話のレベルではいろいろなことが言われていました。噂話を伝える最も大きなメディアは週刊誌です。週刊誌は著名人・有名人のゴシップを報じるのが仕事であり使命ですが、その中には「事実」もあれば「偽」もあります。マスメディアの世界はこれら週刊誌の情報の中から真実性の高いものをテレビや新聞などが報じるという大きな流れがあります。簡単に言ってしまうなら、週刊誌で報じられる記事の中でテレビや新聞が取り上げるものは「事実である」とお墨付きがついたことになります。昨年来、関連本が売れ続けている田中角栄元首相が失脚したきっかけは週刊誌の第一報でした。
 それはともかく確定申告や青色申告に関する情報においても同様で、例えば「青色申告にしていると税務署のチェックがほとんどノーチェックだ」などという話が実しやかに言われたりします。さらに、「青色申告にするだけではなく青色申告会に加入しないとメリットは受けられない」などといった話も伝わってきます。
 おそらくこの真偽はいつまで経ってもはっきりしないはずです。このようなことをはっきりさせてしまっては納税の公平性が失われるからです。しかし、一定の傾向は想像することができます。
 実は僕の父も仕事現役時代は白色ですが確定申告をしていました。世の中には確定申告を言葉は悪いですが「いい加減」にやっている人が少なからずいます。「いい加減」が言い過ぎなら「適当に」がよいでしょうか。どちらにしてもきちんと正確に申告していない人がいることは事実です。あ、「事実」という言葉は不安を与えますので「確かです」に変えます。
 僕の父もその部類に入る人でした。ある日、父は税務署から呼び出しを受けて問題点をいろいろと指摘されかなりの金額の追徴になりそうでした。しかし、父がいろいろとごねて反論をし押し問答になったところ、「青色申告会に加入することを条件に、1万円の追徴だけで済んだ」そうです。父は一年間だけ青色申告会に加入しました。
 僕は似たような話を幾人かから聞いたことがありますが、この話からあることがわかります。それは、「税務署は納税者を青色申告会に加入させたがっている」ことです。
 確か、今年から白色申告者も帳簿付けの義務が発生したように思いますが、昔は白色申告者は帳簿付けをしなくてよかったのです。そうしたこともあり、税務署は白色申告者をより丁寧に審査していたはずです。父はたまたまそれに引っかかったのだと思います。基本的に税務署も人数に余裕があるはずはありませんから、全部を丁寧に調べるのは不可能です。
 この状況は今も変わらないはずですから税務署ができるだけ審査の数量を減らすことを考えても不思議ではありません。その減らす方法が青色申告会の活用です。またおそらく税務署の天下り先にもなっているでしょう。
 僕は申告書の提出はほとんど妻に行ってもらっています。妻には「ただ出すだけでいいから」と言っていますし、実際妻は税金のことは全くわかりません。これまで受け取りを断られたことはないのですが、一度だけ提出した日の夜の7時ころに電話を受けたことがあります。かなり前ですので詳細は忘れましたが、どこかの記入箇所に不備がありその修正の可否でした。
「ここを直しますと、問題なく受け付けてもらえますのでよろしいですか?」
という内容でした。もちろん了承しましたが、このとき感じたことは青色申告会が税務署の代わりに審査をしている可能性でした。
 結論です。青色申告会に加入しているからといって絶対に審査が甘くなるということはありませんが、審査の対象になるリスクがかなり減るのは間違いありません。

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 20:02 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月12日

<オルタナティブ・ファクト>

 僕は日曜の早朝7時からフジテレビで放映している「ボクらの時代」というトーク番組を毎週観ています。この番組は3人の著名人が出てきていろいろなお話をする番組ですが、30分の枠ですのでとても中身が濃く観ていて楽しい気分になります。
 一般的にこのようなトーク番組の場合、新しく始まる番組の宣伝いわゆる番宣や近々公開される映画などの宣伝として出演者が決まるのが普通です。しかし、この番組はそうした姑息な理由ではなく、純粋に「話を聞きたい人」の基準で決めている感じがします。
 出演者が番組内で話している内容から想像しますと、まず中心になる一人に出演依頼をしてその方のリクエストでほかの2人が決まるようです。やはり、宣伝臭さがありませんと純粋に会話を楽しめます。
 いつから僕がこの番組を観るようになったのか定かではありませんが、基本的に僕がテレビを見るのは妻の「あと追い」です。妻が観ている番組を偶然観る機会があり、そして面白かったから僕も観るようになるというパターンです。「ボクらの時代」まさにその番組です。
 実は、日曜の朝はこの番組の前に放送されている「はやく起きた朝は…」もほぼ毎週観ているのですが、この番組も妻がずっと観ている番組です。「ずっと」は本当に「ずっと」で、はじまったのが1994年だそうですから、かれこれ20年以上観ていることになります。出演者は松居直美さん、森尾由美さん、磯野貴理子さんのお三方ですが、この番組のスゴイところは「番組名を変えながら、また放映時間を変えながら続いていること」です。一応その変遷をご紹介をしますと

・「おそく起きた朝は…」:毎週日曜9:30 - 10:00(1994年4月3日 - 2003年3月30日)
・「おそく起きた昼は…」:毎週日曜13:30 - 14:00(2003年4月6日 - 2005年3月27日)
・「はやく起きた朝は…」:毎週日曜6:30 - 7:00(2005年4月3日 - )

 さすがの妻も仕事の関係で観られなかった時期がありますが、観られる状況になったときに再開するということを繰り返して現在に至っています。僕もずっと観続けていたわけではなくタイミングが合ったときは観ているという状態でした。
 現在は観ていますが、2〜3年前に観始める前までの一時期は全く観ておらず、番組の存在さえ忘れていました。ですから、まだ放映していることを知ったときはとても驚きました。
 そして、久しぶりに観たときに驚いたことがありました。それは3人のキャラクターが変わっていたことです。キャラクターが変わったのですから3人の関係性も変わっていました。僕の中ではかつての3人は「無理して仲良くしている」印象がありました。これは「3人の芸能活動歴が影響している」と思いますし、性格も関係しています。俗な言い方をしますと、「ギクシャクしている」ように映っていたのです。しかし、久しぶりに観た3人はそれぞれお互いを思いやり相手を立てながら会話をしているのが伝わってきました。以前はもちろん表面には出しませんが、「前に出たがる二人と気遅れしている元アイドル」が衝突している雰囲気がありました。
 20年以上も年月が経ちますと、人間は年を取りますしいろいろな経験をします。それぞれ離婚や再婚、子育て、大病などさまざまな苦労を味わっています。そうした経験が人間を穏やかにするのではないでしょうか。3人の今を観ていますとそんなことを感じます。
 現在、フジテレビは視聴率が低迷しています。「フジテレビはなぜ凋落したか」という本まで出版されていますが、かつての3冠王の面影は微塵も見られません。フジテレビと言いますと、鹿内一族が思い出されますが、この話をしますと長くなりますのでこれ以上は触れません。しかし、鹿内一族の内紛が現在の凋落の発端だったように思います。
 それはともかく今のフジテレビを見ていて一番感じるのは経営者の責任感の欠如です。社長の亀山氏は定期的に会見を行っていますが、マスコミから報じられる内容を見ますと、「低迷している責任が経営者にある」という自覚が感じられません。本来、企業は業績が悪くなると社長の対抗勢力が社長の責任を追及する動きをするのが普通です。そうすることで軌道修正を行おうとする力が働くからです。しかし、そうした緊張感が社長の会見報道からは伝わっていません。フジテレビ凋落の原因はこのあたりにあるのではないでしょうか。
 テレビ業界の話題のついでにTBSについて書きたいと思います。最近のTBSはいわゆるヤラセ問題が続きすぎているように感じます。以前、コラムで紹介しましたが、クイズ形式のトーナメント方式で順位を競う番組で本来勝ち進んでいる人を映像で消した事実が発覚しました。番組が盛り上がるような人に勝たせるよう画策したのですが、やり方があまりに露骨で拙劣でした。番組制作のレベルの低さを露呈したように思います。
 一昨年、僕は脱サラを特集する企画でラーメン屋のケースとしてTBSの取材を受けました。電話取材で1時間強お話をしたのですが、放映された番組を観ましたところ、やはり番組の作り方が粗雑な印象を受けました。結局、今のテレビ局は制作を下請けに丸投げしているイメージがあります。このやり方がテレビ業界の低迷の根本的要因のように思います。
 TBSでは毎年年末に『プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達』という番組を放映しています。MCおよびナレーターを務める少年隊の東山さんの語り口も番組にマッチしており一昨年までは楽しみにしていました。ですが、昨年は観たい気分になりませんでした。
 理由は、ヤラセっぽい雰囲気を感じるようになったからです。また、同じころにこの番組に批判的な記事を読んだことも影響しています。
 この番組の基軸になるのは「12球団合同トライアウト」というシステムです。このシステムは球団から戦力外を通達された選手たちが各球団のスカウトが見守る中で実戦形式でプレーをして、そのプレーする姿を見て興味を持った球団が選手をスカウトするものです。番組ではある選手に密着して選手と家族の戸惑いや不安を映し出し、視聴者に感銘・感動を届けようとする内容です。
 しかし、どの記事で読んだのかは忘れましたが、「このようなことは現実にはあり得ない」と書いてありました。理由は実に至極当然で「本当に欲しいと思う選手は合同トライアウトを受ける以前に直接接触してスカウトしている」からです。まさにそのとおりで、わざわざ合同トライアウトでプレーする姿を見なくともシーズン中に十分見ているからです。仮に2軍に落ちていたとしても、スカウトに値する選手なら常日頃から動向を注視しているはずで、それをするのがスカウトの仕事です。つまり、合同トライアウトはセレモニーにすぎないことになります。
 このシステムが始まった当初は本当に意味があったのかもしれませんが、これだけ情報がすぐに伝わる今の時代には用をなさないシステムになっているのが実際のところではないでしょうか。もしかしたならテレビ局が存続を望んでいるかもしれません。

 安倍首相はトランプ大統領に好印象を与えたようで世界に親密さをアピールしています。ですが、米国内ではトランプ大統領に対する批判が続いているようすも伝わってきます。。報道ではトランプ大統領が選挙期間中にツイートした発言の70%が嘘の内容だったそうです。大統領就任後も大統領報道官が就任式に集まった人数について「オルタナティブ・ファクト」と発言したことが物議を醸しています。
 オルタナティブ・ファクト=もうひとつの事実
 事実がふたつあっては困ります。というよりはあり得ません。そのような強弁をする人物が政権にいる大統領とあまりに親密になることを不安に思う人は僕だけではないでしょう。
 それにしても不思議なのはトランプ大統領への支持も40%〜50%存在することです。日本ではトランプ大統領に対する批判ばかりが報道されていますが、一定の割合の支持者がいることも事実です。その事実も頭の中に入れておく必要があります。

 忘れてはいけないことは人間という生き物の危なっかしさです。事実はひとつですけど、人間の気持ちは揺れ動くんですよねぇ…。

 じゃ、また。

スポンサーリンク


posted by satoaki at 19:43 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする