2017年10月08日

<本当の姿>

衆議院選挙はまだ公示もされていませんが、あと2週間しかありません。僕がコラムで取り上げることができるのも来週までの1回ですので、選挙についていろいろと書いていきたいと思います。
僕が選挙があるたびに落胆するのは投票率の低さです。社会に対する自分たちの思いを示すことができる数少ない機会なのですから是非投票してください。一票を投じるのは未来の人たちに対する大人の責任です。今は期日前投票もやりやすくなっていますので気軽に投票することができます。僕も以前一度利用したことがありますが、本当に簡単に投票することができました。

さて、昨日晩御飯を食べたあとにネットを見ていましたら、午後7時30分から「生放送のネット番組で党首討論が行われる」という告知を目にしました。早速、サイトに飛びますとすでに討論は始まっていたのですが、とても面白かったです。討論内容も興味深かったのですが、番組の進行形式にも好感しました。
これから投票日に向けていろいろな番組で党首討論が行われると思いますが、これまでの討論番組を見ていて残念なところは各党首の話の持ち時間に不公平感を感じることです。政党の大小に関わらず主張する時間は公平であるのが理想の形です。しかし、ときに司会者が話を遮るタイミングを逸したために長々と話し続ける人もいます。僕は討論番組を見るたびにこうした不公平をなくす工夫をしてほしいと思っていました。
今回のネット討論は、この僕の思いをかなえてくれる番組作りになっていました。その工夫とは制限時間になりますと会場全体に音がなり、会場の雰囲気が意見を言えない感じになることです。おそらく各党首のうしろが電光掲示板になっていたことも影響していたと思いますが、制限時間を守るという雰囲気になっていたのはともて好感でした。僕は、声が大きい人や自分の意見を長々と訴えようとする人を好きになれませんので安心して見ることができました。
討論の内容について少し触れますと、「あの番組内だけに限って」という注釈はつけますが、共産党だけに批判が集中していた感があります。僕が見ていた感じでは小池さんは
自らの「希望の党」が掲げた公約に対するつっこみをかわすために意図的に共産党に集中砲火を浴びせていたように感じました。
現在の政党で安保関連と改憲に正面から反対を示しているのは共産党だけですから攻めやすかったのかもしれません。僕が少し驚いたのは立憲民主党の枝野さんが面と向かって共産党の安保や改憲の主張を突き放す発言をしていたことです。立憲民主党が設立されたとき、共産党は歓迎するコメントを出していましたし、選挙協力も視野に入れているような発言をしていましたので少々驚きました。

今週のコラムは政治の細かい話から入ってしまいましたので若い読者の皆さんはつまらなく感じたかもしれません。そこで政治とは離れたちょっと変わったお話をしたいと思います。

ネット党首討論を見ていましたら司会者の顔に見覚えがありました。なんと夏野剛さんが行っているではありませんか。夏野さんがドワンゴの役人に就任したのは以前なにかで読んで知っていましたが、司会までやっているのは驚きでした。番組を見ていたところ、実際の番組進行は隣に並んでいた馬場典子アナウンサーが仕切っていましたので〇〇という役割だったのかもしれません。
夏野さんは今ではIT業界の重鎮の立場ですが、僕が初めて夏野さんを知ったのは「社長失格」という本を読んだときです。この本は僕がちょうどサイトを立ち上げた時期で「起業」というものについて知識を持ち始めた頃です。「社長失格」の著者は板倉雄一郎氏さんというIT起業家の成功と挫折の軌跡を書いた本ですが、その中で副社長という立場で登場します。
ビジネス界に詳しい人は「夏野 剛」さんと聞いて「iモード」を思い浮かべるかもしれません。夏野さんは「iモード」が成功したお話にも登場します。今の若い人には「iモード」を知らない人がいるかもしれませんが、スマホが登場するまで使われていた通信機器です。
「iモード」の成功で最も有名になったのは「松永真理」さんですが、松永さんは元リクルートの社員で雑誌「とらばーゆ」の編集長を務めていた方です。
その松永さんをスカウトしたのがNTTドコモの「榎 啓一」さんという方で、松永さんがリクルート時代に知り合っていた夏野さんをスカウトしたわけです。松永さんの著書「iモード事件」にはそうした話が出てくるのですが、この本で興味深いのは大企業における物事の決定の仕方やコンサルタント業という業種の役割および弊害です。また松永さんは独身女性の生き方の一つのモデルとしても多くの女性の参考になるように思います。
あと一つこの本で興味深く感じたのは松永さんをスカウトした榎さんという方がほとんどマスコミ出てこないことです。ここから先は僕の想像ですが、榎さんという方はいい意味で上昇志向が高くない人ではないかと思いました。つまり、僕からすると「いい人」ということになりますが、経歴を見ますと最後はNTTの関連会社の社長で終えていますが、早稲田の大学院を卒業して、また民営化されていない日本電信電話公社に入社しています。
この時代に早稲田を卒業して通称「電電公社」に入るのはエリートです。ですが、入社してからの足跡をたどりますと、NTTの子会社へ移籍しているのをみますといわゆる左遷というと大げさですが、エリートコースから傍流へ行かされた感じがします。しかし、そこで大成功をしたわけですが、大成功をしてそれが役職に反映しないというのが大企業の悲しさです。
僕は大企業どころか普通の企業にさえ3年間しか勤めたことがありませんのでサラリーマンの社内における人間関係や出世競争を体験したことはありません。ですので、すべて僕の想像でしかないのですが、榎さんはiモードで成功しながら本流に戻ることがなかったのはご自身の人生観が影響しているように思います。
企業で、特に大企業では社長にまで上りつめるまでには嫉妬や反目や派閥力学などいろいろな障害をはねのけることが必要です。その際には結果的にほかの人を追い落としたり傷つけたりすることになります。そうしたことを乗り越えた人だけがトップになれるのです。
例えば野球でしたら打率とか防御率などといった数字が出ますので評価がをしやすいですが、ビジネスの世界は単純ではありません。そこに本当の評価以外のものが入り込む隙ができます。そこを嫉妬心や出世欲を持った人が利用することになります。
ですが、経営というのは実態を表面化する力がありますので嫉妬心や出世欲といったネガティブなものをエネルギーとして上りつめた人がトップに就任した企業は必ず業績が悪化しますし、最悪の場合は倒産の憂き目に遭います。ですから、そこで修正が図られることができます。
ですが、政治の世界はトップに問題があってもそれが表に出にくい構造になっています。つまり、いくらでも言葉で誤魔化すことができるのが政治です。ですから、僕たちは「政治家が発する言葉をしっかりと分析して本当の姿」を見極めることが必要です。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 16:33 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

<いろはにほへとちりぬるを>

なんということでしょう。突然の解散総選挙も驚きでしたが、「希望の党」の創設とそれに伴う「民進党の解党」はその驚きを上回りました。いろいろな意見はあるでしょうが、僕は前原さんの決断を評価しています。前原さんの決断がなければ安倍首相の思惑通りの結果になるしか道はなかったと思えるからです。
そもそも論になりますが、今回の解散には大義がありません。安倍首相は「国難突破解散」と名付けていますが、無理矢理感は否めません。「森本・家計問題隠し」と批判されても仕方がないと思います。
先週も書きましたが、今回安倍さんが解散を選択した理由は「今のタイミングがベスト」と考えたからに違いありません。政権の支持率が回復し、野党が弱体化し、小池新党の態勢が整っていないという今のタイミングが安倍首相に決断をさせたはずです。ですから、小池新党の設立は安倍首相も驚きだったはずで、仮に小池新党が躍進したならその原因は安倍首相にあるとも言えます。
小池さんの行動については批判もあるようですが、政治の世界で戦いに勝つためには仕方がない面もあるように思います。ビジネス界には「経営は結果である」という箴言がありますが、これは政治の世界にも当てはまります。政治の世界も選挙で勝たなければ自らの政策を実現させることはできません。このように考えますと、この「〇〇は結果である」の「〇〇」にはあらゆる言葉が入るように思います。
小池さんの行動を危惧するものの一つに「政党の代表と都知事の兼務」に対する不安があります。つまりどちらの業務も忙しいのですから「両方をこなすことはできない」というものです。実際に、「幾つかの都知事の仕事をがキャンセルした」との報道もあります。しかし、これはスタッフを活用することで可能だと思っています。なにしろ石原氏は都知事時代に週に2〜3日しか登庁していなかったのですから両方をこなすのは十分に可能なはずです。
あと一つの危惧は、仮に小池都知事が国政に出るとするならば、それは都知事の職を辞することですが、それでは「都政の改革を道半ばで投げ出すこと」になります。この批判はかなりボディブローのように効いてくるはずですから容易ではありません。一つ間違えますと、「希望の党」にも悪影響を与えることは必至ですから小池氏の政治家としての立場も危うくなることになります。
自民党のいろいろな議員が「小池氏に出馬を勧める」ような発言をしきりにしていますが、その目的は小池氏のイメージを落とすことを狙ったように感じます。それを承知の上で国政進出を決断するならその方法はたったの一つしかありません。小池氏の後任に誰もが驚くような、それでいて納得できるような候補者を出すことです。
小池氏は土曜日に日本維新の会代表の松井一郎大阪府知事と大村秀章愛知県知事と「三都物語」というキャッチフレーズで選挙協力を発表しました。この会見の際に松井氏が「この中の3人の中の誰も国政に出ることはない」と明言したときの小池氏の表情が少し気になります。松井氏の発言は事前の打ち合わせがなかったような印象を受けたのですが、実際はどうなのでしょう。穿った見方をするなら、松井氏が小池氏の動きを縛ったとも受け取れる発言でした。今後の展開で真実がわかります。
民進党の前原代表は所属議員の全員を希望の党に受け入れてほしい考えのようですが、小池代表はきっぱりと否定しています。否定している理由は「安全保障と憲法の考え方」を重視するからです。普通に考えるなら、この2つの問題は党の根幹をなすものですので異なる考えの人に参加してほしくないと思うのは当然です。そうした姿勢をマスコミは「踏み絵」という表現を使っていますが、その表現には批判的な意味合いが含まれているように感じます。ですが、僕には当然の対応のように思います。
民進党が崩壊した理由をざっくりと言ってしまいますと、リベラルと保守の折り合いがつかなくなったからです。そうした経緯を考えるなら小池氏の対応は至極真っ当なものです。希望の党はいろいろな修飾語をつけてはいますが、基本原理は保守を謳っています。そうであるのですから、民進党のリベラル派の人たちが選挙目的で「希望の党」に入ろうと考えるほうが間違っています。辻元清美議員は「希望の党には行かない」ことをマスコミに語っていましたが、潔い感じがして好感です。
選挙戦は公示もまだされておらず、それまでにもまだまだ紆余曲折が予想されます。今後の展開を注意深く見て行きたいと思います。


話は変わりますが、今月より「脱サラをする前に」のサーバーを移転しました。以前にも少し書きましたが、僕が利用していた無料のHP公開サービスが終了するからです。1年以上前から通知は来ていたのですが、最初はほかの無料サービスを利用するつもりでいました。しかし、せっかくの機会ですので今までとは違うことに挑戦したくなりました。そこで独自ドメインを作って有料サーバーでサイトを作ろうと思ったわけです。
僕のサイトをご覧になるとおわかりだと思いますが、僕のサイトのテキストのうち3割くらいは違うサーバーを使っています。例えば、「あなたはこうやってラーメン店に失敗する」などはgoogleのサイトを利用していますし、「する前にシリーズ」は忍者のサーバーを利用しています。
このようにサイトを分散して作っていましたので移転についてもさほど難しくないと思っていました。また、移転するにあたって今流行の「Wordpress」の利用も考えていました。ですので、移転の手順やWordpress の導入方法などを少しずつ調べていたのですが、知識が増えるに従いそれほど簡単ではないことがわかってきました。
最初の考えでは今のサイトをそのまま「Wordpress」に移行しようと考えていたのですが、それを行うには内容も変更する必要があることがわかりました。例えば、各テキストは十数ページありますが、それらには各ページごとに移動するためのリンクが張られています。それらをすべて変更する必要があるようでした。こうした作業をすべてのテキストに行うとなるとあまりに手間と時間がかかってしまいます。
「Wordpress」を導入しようと思った理由はSEOが目的です。1年くらい前から訪問者が激減していましたので今回のサーバー移転で訪問者の回復を狙っていたのです。しかし、「Wordpress」への移転は先の理由から現実的はないと判断し、サーバーを移転するだけにしました。そのようにしますとHTLMをいじる必要はなく、アップロード先を変更するだけで済むからです。
ところが、これも問題に直面しました。僕が新たに契約したサーバーはロリポップという会社なのですが、そこにアップロードをするにはサーバー情報を幾つか書く必要があります。ですが、IT素人の僕にはロリポップさんに登録されている情報のどの部分を書いていいのかがわからなかったのです。いろいろ試したのですが、結局わからず電話で問い合わせをすることにしました。
結論を言いますと、電話での問い合わせは大正解でした。電話はすぐにつながりましたし、説明もわかりやすく丁寧だったからです。僕の問題はすぐに解決しました。実は、その後も電話で問い合わせをしたのですが、そのときも完ぺきに教えてもらえました。わからないことを自分で調べるのは時間がかかります。それに比べますと問い合わせて解決するのは時間にして10分の1くらいで済みます。これはとても勉強になりました。
実は、サイト関連で今月から変更になることがあと一つあります。それはamazonの本を紹介するコーナーのサービスが終了することです。私は毎週本を紹介しているのですが、紹介した本をまとめておくサービスをamazonさんは提供していました。それがなくなるのです。どんなものも、どんなこともいつかはなくなるのが世の中です。

自民党一強時代も永遠に続くわけではありませぬ。たぶん…。

今週のタイトルはこの意味です。

「いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん」

漢字にしますとこうなります。
「色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず」

わかりやすく説明しますとこうなります。
「色は匂へど 散りぬるを
香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。
諸行無常(しょぎょうむじょう)

我が世誰そ 常ならむ
この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。
是生滅法(ぜしょうめっぽう)

有為の奥山 今日越えて
この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて
生滅滅己(しょうめつめつい)

浅き夢見じ 酔ひもせず
悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることなく、現象の仮相の世界に酔いしれることもない安らかな心境である。
寂滅為楽(じゃくめついらく)

http://www2.odn.ne.jp/~nihongodeasobo/konitan/iroha.htm
より引用

じゃ、また。


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posted by satoaki at 15:08 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月24日

<本音>

あっという間に選挙モードに突入した日本列島です。本当に驚きで先週の週明けに仕事に向かう車の中で突如耳にしました。前日までは選挙などという報道は全くありませんでしたので「唐突な」印象がありますが、背景を解説する評論家の話を聞いていますと、今のタイミングが「なるほど」とも思います。
森友・家計学園問題で凋落した人気がようやっと回復して支持率が不支持率を上回った状態になり、民進党は離党者が続き党内がゴタゴタし、小池新党の体制がまだ整っていない、という今の状況から考えて「今しかない!」と思ったようです。それしか、解散する理由は見当たりません。なにしろわずか1ヶ月前に「仕事人内閣」を作ったばかりなのですから、「任命してすぐに解散」では閣僚に就任した「仕事人」の方々に失礼というものです。
実は、僕は河野太郎外務大臣にとても期待していました。官僚におんぶにだっこの名ばかり政治家ではない本当の政治家が就任したと喜んでいました。本来、河野氏は小泉元首相ばりに「今の自民党をぶっ壊す!」という考えの自民党員です。つまり、安倍首相とは考え方が違う立場の政治家でしたので、その河野氏を大臣に据えたのが不思議に思えていました。しかし、もし本当に解散が行われるのであれば、河野氏を大臣に任命した理由がわかるような気がします。解散を織り込み済みで大臣に任命したのではないかと勘繰ってしまいます。
それはともかく、総選挙が現実になったときは国民は棄権などすることなく国民の自由を制限するような政治にならないように一票を投じることが大切です。

安倍首相の一連の行動に不安を感じるのは、安倍首相が独裁政治家がよく使う政治手法を取っているように見えるからです。その政治手法とは「外敵の不安を煽って自らの地位を確立する」手法です。先に安倍首相が解散を決めた理由を幾つか書きましたが、あと一つ重要な理由があります。それは外敵の脅威の存在です。今の状態がまさにそれに当てはまっています。言うまでもなく北朝鮮ですが、これまで今ほど北朝鮮との関係が緊張している状態はありませんでした。しかも、米国はトランプ大統領という実力行使も厭わない過激な考え方の持ち主です。そうしたことも相まって北朝鮮との関係により強い緊張感を作り出そうとしているようにも映ります。僕からしますと、この手法は禁じ手です。国民の冷静な判断を誤らせる政治手法です。国民はこの手法に乗せられないように注意する必要があります。

そうは言いながらも、僕は「話し合い」だけの外交手法に疑問を持ってもいます。トランプ大統領が国連で北朝鮮を批難した演説の中で拉致被害者である横田めぐみさんについて触れました。これを受けてお母さまである早苗さんが会見で「期待」を表明し、「チャンス」とも話していたそうです。

自国の人間が外国に拉致されて傍観しているのでは国家として失格です。国家には国民を守る義務があります。これまで日本は拉致被害者を「話し合い」で救い出そうとしてきました。こうした手法は武力に反対する人々からは平和的でかつ建設的な対応として支持されてきました。しかし、拉致された当人や家族の方々にしてみますと納得できるやり方ではなかったはずです。
もし、そうした事態が自分の身に起こったのであったなら武力を持ってでも取り返してほしいと誰でも思うはずです。トランプ大統領の国連演説のあとにすぐに横田さんのお母様が会見を開いたのもそのような思いが入っていたのではないでしょうか。

お気づきの方も多いでしょうが、マスコミは定期的に拉致被害者に関する報道を行っています。こうした対応に対して僕はマスコミの良心を感じていますが、拉致されて帰って来た被害者の方々の活動からも同様の気持ちを感じています。北朝鮮に拉致されている人がまだたくさん残されているという事実を風化させないように皆さんが活動している姿は本当に尊敬しています。

そうであるだけにすぐに会見を開き「チャンス」と話した横田さんのお母様の気持ちを考えるとき「話し合い」から圧力への転換を国連で訴えた安倍首相の演説もある程度は理解できます。それでも、それを政局に利用するのは禁じ手です。横田さんにしてみますと、力づくでも娘を取り戻してほしいと思うのは当然です。ですが、そうした感情的な気持ちを政治に利用するのは良心的な政治家はやってはいけないことです。

ちょうど1年前に「感動ポルノ」という題名でコラムを書きましたが、憶えている人も少ないでしょうから「感動ポルノ」の意味について再度引用いたします。
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感動ポルノ(原語:Inspiration Porn)とは自身も障害者であるジャーナリストのステラ・ヤング氏が作った造語である。

この場合の「ポルノ」とは「『感動』という快感を煽り立てるための消費対象としてのみ利用されていること」ことを強調するためにあえて「ポルノ」という表現を用いており、本来の意味である「性的な興奮を起こさせる」という意味は含まれていない。

簡単に言えば「障害者を非障害者の利益のために活用し、健常者を良い気分にさせるために障害者を利用対象としてモノ扱いする」という行為である。

「障害者は可哀そう」といった視点から、「何もできない・うまくいかないからこそ健常者と同じことをしてもらい、達成したことへの感動」といったように善意から障害者を下に見ているといっても差し支えない姿勢が問題になっており、清く正しい障害者としてのイメージを植え付け、感動を押し付けることへの問題点が表面化してきたともいえる。
(ニコニコ辞典より引用)
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「感動ポルノ」が通用するのはそれを受け止める人がいるからです。表面的なことだけではなく、その内面にまで考えを巡らせるなら「感動ポルノ」という現象は起きません。政治の世界も同様で表面的なことを強調して、それを利用して感情に任せて選択を迫るような政治家の言うことは疑ってみることが大切です。
安倍首相は北朝鮮の脅威を利用して憲法改正までをも目論んでいるようにも感じられます。実は、僕は自衛隊を憲法に明記することに賛成なのですが、今の時期にそれを訴えるのは支持できません。やるからには正面から堂々と行うのが良心的な政治家の矜持というものです。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 13:56 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月17日

<感情>

先日、恐妻とのいつもの買い物を終えて帰る途中のことです。駅のロータリーからつながっている交差点の赤信号で停まったので、なにげに周りを見渡しますと角にあった小さなパン屋さんが新しい看板に変わっていました。このパン屋さんは僕がラーメン屋をやっていたときからありましたのでかなり長く営業していたことになります。
このパン屋さんが記憶に残っていた理由は、駅が再開発されたときにほかの場所から移転してきたからです。元々は僕のラーメン屋から西の方向に数百メートル行ったところで営業をしていたのですが、再開発を機に移転したのでした。また、店主の方がたまに僕のお店に食べに来てもいたので顔を知っていたことも理由です。
ラーメン店のテキストでも書いていますが、お客様の中にはお店の人と顔なじみになることを狙って来店する人がいます。理由は様々で「常連になって優遇されたい」という人や「第三者にお店の人と親しいことを自慢したい」などですが、もちろんお店側にしてみますとそのような理由で親しげにする人は迷惑どころか嫌な気持ちになります。
自営業でお店を構えている人は、お店側の気持ちをわかっていますので自分がお客さんになったときは余計な会話はしないものです。ですから、小さなパン屋さんの店主の方も僕のお店に食べには来ていましたが会話をしたことはありませんでした。年齢は僕よりも5才くらい年長に思える外見で、雰囲気も穏やかでおとなしい感じの人でした。
僕は結局約13年で廃業しましたが、そのパン屋さんはそのあともずっと続けていましたので30年以上続けていたことになります。売り場の広さは2坪くらいで奥にパンを作る作業場がありましたが、全部を合わせてもそれほど大きなお店ではありませんでした。そのくらいの規模だったからこそ長い間続けていられたのかもしれません。廃業した理由も売上げによるものではなく、体力的なものだと想像しています。
僕が脱サラでラーメン店を開業したのは今から31年前です。その頃と現在では社会状況も変わっていますのでラーメン店のやり方も変わってきています。僕は「ラーメン店を手っ取り早く開業する講座」というテキストを公開していますが、その中で「お店の前は車が駐車できるくらいの道路幅が必要」と書いています。当時は、それがとても重要だったのですが、今では通用しないマニュアルです。一時期、書き換えようかと思ったこともありましたが、時代の移り変わりを感じてもらうには「換えないほうがよい」と思い、そのままにしています。
僕はその小さなパン屋さんがなくなったのを見て感慨深い気持ちになりました。その理由は「ああ、これで僕が知っている個人商売のお店は全部なくなったなぁ」と思ったからです。やはり会話をしたことはなくとも、店主の顔を知っているお店は勝手に親近感を持つものです。ですので、僕が廃業したあとも続けているお店を見ますと、「頑張ってるなぁ」とか「すごいなぁ」などと心の中で思っていました。そうした思いがこの小さなパン屋さんがなくなったことで終了することになります。

僕が廃業した5年後くらいに廃業した中華料理店も僕より5才くらい年長の方が開業したお店でした。この中華料理店は僕のような飲食業の経験が全くない素人が開業したのとは違い、本格的に修行を積んだ人が開業したお店でした。お店の広さも僕のお店よりも広く、テーブル席にもテーブルクロスが敷いてあるようなフォーマルな感じがするお店でした。
この中華料理店の場所は僕がたまに利用する銀行の駐車場の正面にありましたので、駐車場に停めるたびに営業の様子を見ていました。このお店はバイクでの配達も行っていましたが、配達をしていたのは店主の方でした。こうした状況を見ていますと、店舗の売上げだけでは厳しかったことが想像できます。個人商売の厳しさが伝わってきました。

僕が住んでいる地域を見渡しますと、30年前とは街の雰囲気は様変わりしています。それに伴って個人商店もほとんどなくなっています。それを最も表しているのがお米屋さんと酒屋さんです。この両方の業種に共通しているのは何代も続く地主の方が営業していることです。ですので、駅前など好立地な場所に土地を持っていますので貸しビル業などに転業しています。ですから、生活に困ることはありません。
それに対して資産などを持っていない人が脱サラで個人商売を始めたときは大変です。僕はそのパターンでしたが、廃業したあとはやはり大変で僕は今も大変が続いています。個人商売は余程大きく成功をしないと年を取ったとき廃業しなければいけなくなります。人間の体力は永遠に続くわけではありません。そのことを頭の中に入れて開業することが肝要です。
脱サラをすることは嫌な上司や同僚を気にすることなく働けることです。これはメリットですが、会社員のような退職金もありませんし、老後にもらえる年金の金額に大きな違いがあります。厚生年金は会社が半分負担してくれますので年金額が倍くらいは違ってきます。そのことを頭の中に入れておくことも大切です。

今、「働き方改革」という言葉がマスコミを賑わせていますが、最終的にはお客様の立場にいる消費者の考え方にかかっていると思っています。「自分は得をしたい」という気持ちが「とにかく自分だけは得をしたい」になってしまうことに問題があります。共産主義が崩壊したのは「人間の感情を考慮していなかったから」と僕は思っていますが、人間は「意識や計算だけで動くのではなく感情によっても動く生き物」です。
「得をしたい」という気持ちも突き詰めますと「感情」に行き当たります。少しくらいなら得を他人に譲ることも許せますが、「少し」が積み重なっていきますと感情で我慢できなくなります。ですから、お客様というのは「得をしたい」という気持ちがあることを前提にして「働き方改革」を考える必要があります。そうでなければ、声が大きい人だけが得をする社会にになってしまいます。

上司や同僚に気兼ねなく働けることは脱サラのメリットですが、その先にはお客様という存在があります。お客様に満足を与えることなしに自営業を続けることはできません。自営業を続けるためには会社員以上に働く必要があります。結局、働き方はお客様の考え方次第でしか変えることはできません。電通が正常な働き方をするには取引先の考え方が影響しますし、電通を取引先にしている子会社は電通の考え方次第で働き方がいかようにも変わってきます。

先日、仕事で高級住宅街に行きましたが、そこには大きな家と高級外車が並んでいました。そこに住んでいる人たちは「得をしたい」と思った人たちであることは間違いありません。「得をしたい」という気持ちは経済を成長させるために重要な動機になりますが、違う側面ではお客様としてほかの人の働き方に無理をさせている可能性もあります。
そのバランスが難しい…。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:05 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

<シオリ>

いつの時代も「色物」の話は大衆の興味をそそりますが、またしても政治家の不倫が暴露されました。民主党の山尾志桜里議員ですが、これまでのイメージとは正反対のプライベート生活の過ごし方に批難が集中しています。これまで山尾氏は働く女性を代表する立場から正論を述べて人気を集めていました。保育園問題の象徴の言葉となった「保育園落ちた。日本死ね」は山尾氏が国会で取り上げて有名になったそうです。これをきっかけにして山尾氏は一躍注目されるようになり、働く女性や主婦の代弁者のような存在になりました。
その山尾氏が実際のプライベートでは家庭をないがしろにしている不倫妻だったのですから批難が大きくても当然です。好感度を上げた当初のインタビューでは家族思いで優しいお母さんを演じていただけにその落差に落胆した人は多かったはずです。
会見では不倫関係を否定していましたので真偽のほどはわかりませんが、ホテルに週に数泊していることは否定していませんでした。つまりその間は家庭を顧みてなかったことになります。そのような女性が家族思いで優しいお母さんであるはずがありません。結局は、政治家としても「本物ではなかった」ということになります。上っ面だけ飾りつけた人間性はいつかは剥がれてしまうものです。
以前自民党の女性議員が公用車で仕事に向かう途中に保育園に寄って子供を預けていたことが問題視されたことがありました。この議員は金子恵美子議員ですが、批判に対して「納得はしていないが、将来のために今回は退く」とコメントを出していました。実に、堂々としていて筋の通った対応でした。公用車使用の是非は別にして、この報道は金子氏が国会議員の仕事をしながら子供もしっかりと育てていることを伝えていて好印象を受けました。
憶えている方も多いでしょうが、金子議員は不倫が原因でで議員辞職をした宮崎謙介氏の奥様です。このときの妻としての対応もあっぱれなもので「恥をかいてきなさい!」と宮崎氏を記者会見に送り出したそうですから、肝が据わった女性であることがわかります。ついでに言いますと、奥様の忠言に従ってしっかりと恥をかいた宮崎氏もあっぱれと僕は思っています。おそらくこれからお二人は素晴らしい夫婦になるでしょう。
それにしても最近の週刊誌のスクープは素晴らしいものがあります。考えてみますと、ここ10年でスクープを出しているのは週刊誌だけのような気がします。もしかしたなら20年かもしれませんが、今の大手マスコミはスクープを忘れているかのようです。
前にも書きましたが、本当のスクープとは「報じなければ、歴史の中に埋もれるような事実を掘り起こし報じる」ことです。決して「数日後に発表されることを他社に先んじて報じる」ことではありません。しかし、今の大手マスコミの人たちは単に早さだけを競っているように思います。さらに言うなら、今の大手マスコミは記者クラブでの発表だけを報じることで満足しているように見えます。
いろいろな問題が起こりすぎて影が薄くなっていますが、家計学園の疑惑が報じられたときに定例記者会見で菅官房長官に食い下がって質問をしていたのはローカルである東京新聞の女性記者です。この「食い下がりぶり」が注目されてニュースになったくらいですから、いかにほかの記者が厳しい質問をしていないかがわかります。この女性記者のような対応を大手マスコミの記者たちがしていないことは憂慮されるべきことです。大手マスコミの記者は御用記者に成り下がってしまったのでしょうか。

山尾議員の名前は「志桜里」ですが、同じ読み方で漢字が違う女性のニュースが5月末にありました。「詩織」さんです。この女性が元TBSの記者からレイプをされたと会見を開きました。この事件は週刊誌では報じていますが、大手マスコミはほとんど報じていません。
この「詩織さん事件」の大まかな内容を紹介しますと、2015年に事件が起き、警察に訴えたにも関わらず不起訴になったことに納得できず、顔を出して記者会見をしました。記者会見で重要なことは不起訴になった理由が「政権からの圧力があった」と主張していることです。理由はレイプ犯が安倍首相と親しい記者だったからです。
さらに、この記者が官邸に「もみ消しを依頼している」メールが誤って詩織さんに届いてもいるのです。これは立派な証拠ですが、やはりこれも大手マスコミは報じていません。ところが、その後展開が変わってきます。「詩織さん事件」そのものがほかの狙いがあるという情報がネットで拡散していました。「ほかの狙い」とは安倍政権を追い落とす狙いです。「詩織さん事件」に批判的な意見に寄りますと、詩織さんという人物はどこかの政治的な団体の息のかかった女性だそうです。
ここまで来ますと、僕のような一般人としてはどれが真実でどれが作り話かがわからなくなってきます。基本的に、週刊誌は「煙が立ちそうな」段階で報じますので勇み足も多々あります。ですから、すべて信じることも不安な気持ちになりますが、本来それを補ってくれるのが大手マスコミのはずです。
しかし、今の大手マスコミは偏向が強く一方的な角度からの報道しかしなくなっています。過激な言葉を使うなら事実が捻じ曲げられて報じているようにさえ思えます。「捻じ曲げる」方法は単に伝え方だけではなく、「伝えない」という方法もあります。
例えば、家計学園問題に関して7月24日に国会で審議が行われました、そのときに前愛媛県知事が参考人として意見を述べています。その意見がとてもわかりやすく政権側を後押しする内容だったのですが、一部の政権寄りの大手マスコミしか報じていませんでした。この意見を聞くのと聞かないのでは家計学園問題に対する印象が全く変わってきます。
僕は左でも右でも上でも下でもありません。ただ平和で公平な世の中になることを望んでいるだけです。そんな僕が頼りにするのは事実だけです。偏っていない中立な視点から見た事実だけです。ですから、大手マスコミがそのような姿勢になることを願ってやみません。大手マスコミに就職することは並大抵ではありません。一流の大学出身で立派な成績を収めている人しか入ることはできません。それほど優秀な人の集まりであるにも関わらず、誰も今の現状をおかしいとは思わないのでしょうか。それが不思議です。
「戦争は正義と正義の戦いである」と誰かが話していましたが、それだけ正義はたくさんあることになります。実際、自分が正しいと思っていることが正義なのですから当然とも言えます。あのオウム真理教で殺人を犯していた人でさえ教祖様の命令が正義と思って実行していたのですから正義ほどあやふやで危険なものはありません。
正義はあてになりませんので、平凡な僕としては事実を知ることでしか正しい判断をすることはできません。それなのにその事実さえも正確に伝えてもらえないのはとても困ることです。そうなりますと僕ができることはいろいろな角度からの情報を取り寄せることです。ですが、たくさん情報がありすぎるとそれを整理するのも大変です。そうだ!
情報をわかりやすくするために「シオリ」が必要だ。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:23 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

<世界は広い>

新学期が始まりましたが、報道に寄りますと新学期の最初の日は子どもたちの間で最も自殺が多い日だそうです。それに関連したニュースがありましたが、「自殺をしないで」という訴えが大きく取り上げられることはとてもよいことです。
僕はもう60才を超えていますが、年を重ねるごとに感じることは世界の広さです。世の中には自分の知らないことがたくさんあることに驚くとともに感心し、そして感動をしています。そんな世の中を子どもは知りません。子どもは人生を経験している期間が短いですので当然ですが、自分がいるその場所だけが人生だと思っています。子どもが自殺する原因はそれに尽きるように思います。
もし、ほかに生きる場所があることを知っていたなら自殺などしないでその場所に移動することを選ぶはずです。先月の終戦の時期のコラムで書きましたが「人間は人を殺すために生まれてきた」のではありません。同じように「人間は苦痛を感じるために生まれてきた」わけでもありません。人間が生まれてきたのは「生まれてきてよかったぁ」と感じるために生まれてきたはずです。それなのに「苦しく辛いことしか経験できない」場所に居続けるのではあまりに不幸です。
僕はいじめのニュースに敏感ですが、いじめのニュースは30年以上前から報じられており、そして対策が取られてきているはずです。どうして「30年」という具体的な数字を書いたかと言いますと、僕がいじめに関心を持ち始めた年齢だからです。つまり、これは子どもがそのときにいるその場所がすべてと思うのと同じように、僕もその頃までは自分の周りのこと以外についてあまり関心を持たなかったからです。いじめは周りの大人の無関心さに大きな原因があります。
僕は大人と子どもの決定的な違いは「自分以外の周りの出来事にどれだけ関心を持てるか」にあると思っています。小学校の頃、「廊下を走るな」という貼り紙が貼ってありましたが、子どもは急いでいるときはついつい走ってしまいます。それを諫めるために書いてあった標語ですが、子どもは自分のことに精いっぱいで自分が急いでいるときはほかのことに目が行き届きません。
僕が毎日行っているスーパーでも小さな子どもが走っていることがあります。自分のやりたいことしか頭の中にないからです。ですから、走っている子どもの目はなにかに夢中になっている目をしています。
このように子どもは自分の周りのことで精いっぱいですので周りが見えません。ですから、大人が「ほかにも場所があること」を教えてあげることでいじめによる子どもの自殺はなくすことができるはずです。それなのに今でもいじめで自殺する子供がいます。僕にはそれが残念でなりません。
僕が最も憤りを感じるのは先生という立場の人がいじめに関わっているときです。次に憤りを感じるのはいじめを傍観している先生です。これだけニュースになっているにも関わらずなんの対策も取っていない先生がいることに納得ができません。そのような先生は先生という仕事に就いてはいけない人たちです。
このような先生たちに当たってしまった子どもたちは不幸です。ですが、これを不幸で終わらせてはいけません。不幸にしないためには子どもたちの環境をオープンにすることが必要です。オープンとは2つの意味があります。1つは学校という現場をオープンにすることで、あと1つは選ぶ権利をオープンにすることです。
1つめの「学校をオープンにする」とは数十人が集まった一クラスを先生一人が運営するのではなく複数の先生で運営することです。敢えて「管理」という言葉を使わず「運営」という言葉を使いました。
2つめの「選ぶ権利」とは学校をある程度自由に選ぶことができるようにすることです。しかし、これは一つ間違えますと偏差値の高い学校に偏る弊害が起きそうですが、あとは親御さんの教育方針に任せればよいだけです。子どもの教育や成長に関しては学校や教師ではなく親に100%責任があるからです。このようにすることでなんでもかんでも学校の責任にする不届きな親の責任逃れを防ぐことができます。
いじめが社会問題化してから数十年経ちますが、全く解決しないのは大人に責任があります。文部科学省に責任があると言っても過言ではないでしょう。官僚の皆さんが自分の出世や保身やつまらないプライドに汲々としていたことに原因があります。社会に奉仕するという使命を持って官僚になったはずですので真剣に子どもたちのいじめ対策を講じてほしいものです。いじめによる子どもの自殺は大人のやり方次第で絶対になくせると僕は思っています。

前にも少し書きましたが、僕が利用していますホームページサービスが終了しますのでどこかに移動させる必要があります。ですが、実はほかにも終了するサービスがあります。それはアマゾンが本を紹介するサービスなのですが、おそらく利用者が少ないのでしょう。企業ですから利益に貢献しないサービスは終了するのも当然です。
この両方のサービス終了を解決する方法としては有料のサーバーを利用しようかと悩んでいるところですが、それについても勉強する必要があります。ですが、僕はここ数か月間電子紙芝居を作っていました。電子紙芝居とは僕が勝手に命名したのですが、要は紙芝居のネット版ということです。
本来は動画を作りたいのですが、僕の今の技量ではとても不可能なことがわかりました。そこで、ネットを使ってなにかを作りたいと考えた末に思いついたのが電子紙芝居です。きっかけはYOUTUBEを見ていた時に芸能人のゴシップに関する動画の視聴回数が多いことに気がついたことです。
これはどのような動画かと言いますと、背景に芸能人の写真を映し出し、それが複数枚変わるだけで、そこにかぶせるようにゴシップ記事が書いてあるだけです。これは動画とは言いながら、実際は単なるゴシップ記事を流しているだけです。それでも視聴回数が稼げているということは視聴者は画面ではなく文字情報に惹かれていることになります。
時を同じくしてクラウドで仕事をするサイトを見ていましたら、まさしくその動画を作成する人を募集している記事がありました。それで僕は確信しました。文字情報だけでも立派なネット動画になるのです。
しかし、ゴシップ記事で動画を作るのは抵抗がありますのでいろいろ考えた結果、電子紙芝居にたどり着いたわけです。もちろん絵心が全くない僕が紙芝居の絵を描けるわけはありません。そこで以前購入した3Dイラストを作るソフトを利用することにしました。3Dソフトの長所は角度をいろいろと動かせることです。ですので簡単ではありませんでしたが、なんとか紙芝居にはなりそうなイラストを作ることができました。
文章は前に作っていたものでしたので問題はありませんでしたが、苦労したのは音楽でした。先のゴシップ記事を見ていて思ったのですが、動画を作るときに大切なのはBGMなのです。BGMがあるのとないのでは雰囲気が全く違ってきます。音楽がない動画は魅力が全くありません。ですので、BGMに挑戦したのですが、これもまた一苦労どころか二苦労、いえいえ大苦労でした。
なにしろ音楽ソフトは使ったことがありませんのでどれを選んでよいのかがわからないのです。選ぶには使いやすさも重要ですが、「使いやすさ」がどういうことなのかさえわからないのです。そうした困難を乗り越えて出来上がったのが「ちっちゃな恋の物語」という名作です。(^_^)
僕のコラムの読者の皆さん、どうかご覧ください。
感動すること間違いなしです。(^_^)
ちっちゃな恋の物語

じゃ、また。

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posted by satoaki at 21:16 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

<問題だよなぁ>

僕は変な考えをするタイプの人間ですので、ちょっと普通の人とは違うことを考えたりするのですが、どうして世の中には矛盾していることや不公平なことが多いのかなぁなんて考えちゃいまいう〜。

最近、「なんか矛盾してるよなぁ」と一番思ったのはコンビニの本部がコンビニオーナーに行った研修についてのニュースです。この研修は、今年の初め頃にコンビニオーナーがアルバイトの人に対して違法な働き方をさせていたことが報じられたことを受けてのものです。
記憶にある方も多いでしょうが、アルバイトの人が急に休んだりしたときに罰金と称してお給料を減額していたり、アルバイトの人に強制的に商品を買わせたりしていることが報じられました。こうした行為は普通の感覚で考えたならどう考えても理不尽です。ですから、研修などするまでもなく常識的な感覚を持っているオーナーさんならしないはずですのでわざわざ研修までする必要はないように思えます。その証拠にほとんどのコンビニではアルバイトの人に対してそのような働かせ方はしていません。
僕が「矛盾している」と感じたのは、加盟店に対して「アルバイトを雇用する際の正しいやり方」を指導する本部の姿勢です。なぜなら、本部は加盟店に対してそれ以上に理不尽な対応をしているからです。最近はコンビニ本部と加盟店の不公平な関係が一般の人にも知られるようになってきました。そうした状況になったのもインターネットが普及したからですが、ネットの効用と言えます。
(興味のある方はご覧ください⇒http://blog.yam5.com/archives/42)
以前からコンビニ本部の問題点は指摘されていましたが、大きな報道と言いますか、流れにならないのはコンビニがテレビ局や新聞の大口の広告スポンサーだからです。ですから、民間のテレビ局では難しいですが、スポンサーとは関係のないNHKではコンビニ本部の問題点を取り上げていました。
(興味のある方はご覧ください⇒http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3894/1.html)
コンビニ本部が加盟店に注意を喚起している問題点は、まさに本部が加盟店に行っていることです。そして、それを違法ではなく堂々とできるのはフランチャイズシステムという特殊な契約内容だからです。この契約内容は、普通の感覚で考えますとどう見ても理不尽としか思えない内容です。例えば、お店を休んだなら多大な違約金を取られますし、強制的に商品の購入を迫られています。こうした状況を理不尽と言わずなんと言いましょう。そのような対応をしている本部が、加盟店に「正しい対応をしましょう」と研修していることに僕は矛盾を感じたのです。

僕はテキストやコラムで書いていますが、フランチャイズシステムであるコンビニの経営法を批判しています。ですが、最近になり少し考えが揺らいでもいました。理由は、僕が長年年賀状のやり取りをしている二人の方がコンビニの加盟店を営んでいるからです。
このお二人の方はもう20年以上続けています。そして、驚くべきことに一人の方はお子さんにコンビニを継がせていますし、もう一人の方は息子さんに2店目を出店させています。もし、コンビニ経営にあまりに問題点があるのであればお子さんに継がせたり息子さんに2店目を出店などさせないでしょう。そうした事例が身近にありましたのでちょっと考えに揺らぎが生じたのでした。
ですが、先月の東洋経済という週刊誌で加盟店主の座談会のような記事があり、それを読みますとやはり加盟店主の理不尽な立場は残ったままのようでした。ですので、批判する気持ちが強くなっています。
コンビニ本部は幾つかあり、それぞれの本部により加盟店への対応に違いはあります。ですが、共通しているのは「店舗を自前で用意できる人」と「そうでない人」では契約内容に大きな違いがあることです。「用意できる」とは土地を持っていたり建物を持っていることです。もちろん「店舗を自前で用意できる人」は「そうでない人」に比べ本部から支払われる報酬の割合なども含めてその他諸々なことが有利な条件となっています。
こうしたことから考えますと、僕の知り合いの人たちはもしかしたなら有利な条件で契約をしている人かもしれません。そうでなければ「余程立地条件がよくて売上が好調である」と考えられます。名目上としての立場は経営者ですのでお給料がもらえるわけではありません。それでもお子さんたちもコンビニ経営に参加しているのですからある程度の売上げがあることが想像できます。
問題は「ある程度」の金額です。先の経済誌では20代のサラリーマンとおおよそ同額の収入額が書いてありました。また、NHKの番組でも同じような金額を報じていました。こうしたことから想像しますと、この金額でほぼ間違いないように思います。サラリーマンとあまり変わらないのであれば、人によってはこの金額で納得する人もいるかもしれません。一応は一国一城の主なのですから、その満足感もあります。しかし、サラリーマンとは労働時間が圧倒的に違っています。
問題はさらに深くなっていきます。契約上の立場は経営者ですので雇用されているわけではなく労働者として保護されることはありません。ですから、どんなに長時間働こうが自分の責任の範囲ということになります。ところが、オーナーはお店の営業時間を短くすることも休日を設けることも自分で決めることができない身分なのです。いったいどうして、休業日を自分で決められない立場の人が経営者なのでしょう。僕はそこに矛盾を感じます。もし、営業時間を変更したり休んでしまったなら多大な違約金を取られることになります。そんな経営者がいるでしょうか。

僕がコンビニのフランチャイズシステムで最も憤りを感じるのは本部と加盟店の関係が不公平なことです。加盟店側がとても不利な契約内容になっています。その根本的な要因は「本部にがんじがらめに縛られているにも関わらず法的な立場は経営者になっている」ことです。「なっている」というよりは「させられている」のほうが正しい表現かもしれません。
今回、僕が言いたいことはコンビニ本部の問題点はありません。そこで働いている人たちの心の中です。コンビニ本部で働いている人たちはこのような実態についてなにも疑問や違和感を感じることはないのでしょうか。「本部のやり方は問題だよなぁ」と考えることはないのでしょうか。僕はそれが疑問なのです。

現在の米国はこれまでに比べて人種差別が大きくなっているように見えます。トランプさんが大統領になったことがきっかけと指摘しているメディアもありますが、奴隷制度を支持していた人物の銅像の撤去を巡って衝突が起きました。この騒動に関して、トランプ大統領はが人種差別をする人たちを批判しなかったことが物議をかもしています。トランプ大統領に抗議する意味で多くの側近たちが役職を辞任しています。

「私には夢がある」

これは黒人の公民権を獲得するために活動したキング牧師の言葉です。それまで黒人は大っぴらに差別されていました。レストランも区切られていましたし、トイレも白人とは別でしたし、バスの座席も別でした。そのように差別されていた時代にキング牧師は人種間の差別がなくなる時代を夢見ていたのです。その夢に向かって一歩ずつ前進している中で公然と人種差別を訴える動きが活発化していることを危惧しています。

それにしても、どうして他人を差別したがる人がいるのでしょう。おそらくそのような人たちは常に自分が有利な立場にいたい人なのでしょう。また、常に優越感を持っていたい人なのでしょう。しかし、そのような考えの人が世の中を平和にできるとは思えません。人間には誰にも悪の心があるそうです。その悪の心をしまいこんでおく努力を続けることが大切です。そのためには自分の利益だけではなく、ほかの人の利益についても常に案じる気持ちを持つことが大切です。

コンビニ本部で働いている人たちが加盟店オーナーの気持ちを考えてくれればいいなぁ。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:24 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

<nanisotu>

僕はほぼ毎日妻とスーパーに買い物に行き、マックのコーヒーを飲むのを日課にしています。これまでにも書いていますが、これまでの平均として1年のうち360日はここのコーヒーを飲んでいます。今年は、現時点で行かなかったのは二日だけですのでこのペースでいきますと、今年の来店日数は363日になる予定です。おそらくここのマックでは来店日数のベスト3に入ると自負していますが、実際はどうでしょう。
僕はマクドナルドを呼ぶときに短くして「マック」と言いますが、先日テレビでマクドナルドの呼び方についてアンケートを取っていました。マクドナルドには「マック」のほかに「マクド」という呼び方があるそうですが、この違いは地域によるそうです。主に大阪を中心とした関西の地域では「マクド」と呼び、それ以外の地域では「マック」と呼ぶのが一般的だそうです。これは言葉の発音の仕方が大阪とほかの地域では違うことが理由のようです。僕が「マック」と呼ぶ理由がわかりました。
「マック」にほぼ毎日行くということはこのスーパーにもほぼ毎日行っていることですが、そのスーパーの店内放送で面白いアナウンスを聞きました。
店内を歩いていますと、一定の間隔を開けて各店舗の紹介とか宣伝のアナウンスが聞こえてきます。大きなスーパーですのでお店が幾つもあり、すべての店舗を見ることはありませんのでこのアナウンスはとても意味がありますし、効果もあるように思います。
店内放送を担当しているのはサービスカウンターという部署だと思いますが、店内放送から聞こえてくる声はとても聞きやすく話すことに慣れている人がアナウンスをしていることが想像できます。
また、店内放送には幾つかの種類のマニュアルがあり、多くの場合それに沿って読んでいると思います。ですから、店内放送の内容によって最後の終りのセリフはいつも同じです。

さて、ある日店内を妻と歩いていますといつものように店内放送が流れてきました。そして、最後のいつものフレーズのところに差し掛かりますと、いつもとは違う言葉が流れてきました。

「…ナニソツ、よろしくお願いいたします」

一瞬、僕の思考が止まり、、、「ナニソツ…?」。

しばらく考えてから妻に尋ねました。
「今、なんて言った?」

すると、妻は驚いたふうなど全く見せず平然と
「『何卒』を読み間違えた」

と答えたのです。

ああ、なるほど確かに、「ナニソツ」だ。

僕は声を出して文字を読むのが苦手です。声を出して読むと内容が全く頭に入ってこないのです。これは小さい頃からそうなのですが、中学生になっても高校生になっても大学生になっても変わりませんでした。もちろん今もそうです。声を出すことに全神経が使われ内容を理解することにまで頭が回らないからと自分では思っています。
たぶん、「ナニソツ」の人もそうだったんだろうなぁ…。

一度にいろいろなことができない僕の今の悩みはホームページを移行させなければいけないことです。僕はこれまでKDDIのホームページサービスを利用していたのですが、そのサービスが「今年の10月で終了する」という通知がきました。ですので、それまでにどこかに引っ越しをしなければいけないのですが、どこにしようか迷っています。
実は、今の僕のホームページ訪問者数は芳しくありません。昨年か一昨年か忘れていまいましたが、ホームページを作り替えたときから訪問者が激減しています。訪問者を増やす目的で作り替えたのですが、反対に激減してしまいました。
そのような反省がありますので、今回引越しをする際は訪問者が増えるような対策をとりたいと思っています。ですが、如何せんパソコンの知識が少ないのがネックになっています。いろいろ本を読んだりして勉強するのは本当に時間がかかりますし、根気も要ります。このどちらもが足りませんのでなかなか実現させることができずにいます。
現段階でわかっていることは、ホームページの作り方には2通りがあることです。これまでのようなホームページを作る方法と、ブログのようなホームページを作る方法です。そして、検索で上位にいくには後者の「ブログのようなホームページ」のほうが有利なそうです。代表的なものとしてwordpressがあるのですが、このサイトを作るにはやはりある程度の知識が必要のようで、また勉強を迫られることになります。
実は、今僕が挑戦しているのは「紙芝居のような動画」です。これを作るのにまた新たにイラストについて勉強したり、音楽関係のソフトについても勉強しなければならず手間取っています。

「手間取ってる」と言いますと、安倍首相もトランプ大統領も政権運営に手間取っているように見えます。トランプ大統領は周りのスタッフがどんどん離れていっていますので素人目にも末期症状のように感じます。
安倍首相に関しては沖縄北方担当相に就任した江崎鉄磨氏意外は順調に仕事をこなせる閣僚が揃っている印象があります。江崎氏も閣僚という立場での発言の重みを理解しはじめたようでこれまでなんとかボロを出さずに済んでいるのは当選7回という実績が伊達ではないことを証明しています。なにしろ「素人なので、官僚の用意した文章をしっかりと読む」と公言した方ですので本気で政治家を務めたならそれなりにこなせるはずです。
ただし、ひとつ心配なのはいつか間違って「ナニソツ」のような読み間違いをしそうなことです。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:07 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月13日

<終戦記念日>

このコラムを書くようになってかれこれ10年以上経ちます。最初は、auさんのブログを使っていましたが、auさんがサービスを終了してからseesaaさんにお世話になっています。その間ずっとコラムを読んでくださっている方はご存知と思いますが、僕はこの時期になりますと、戦争について書かずにはいられません。

僕は専門家でも知識人でもなく、また思想的にも右でも左でもなく上でも下でもなくごく平凡に人生を生きている還暦のおじさんです。ですので、小難しい視点で戦争をとらえることはできません。ですが、どこにでもいる平凡なおじさんの視点のほうが若い人にわかりやすい情報を伝えられるのではないか、と思っています。そして、僕にとって重要なことは伝える情報ではなく、還暦になった今でもどのようにするのが正解なのか悩んでいることを知ってもらうことです。

僕が「戦争」と言いますか、社会について真面目に考えるようになったのは大学生になってからです。高校時代は社会について考えるよりもクラブ活動について考えていたように思います。そして、大学生になって少し世の中について知るようになり、社会について考えるようになりました。ですから、二十歳前後の若い人たちが戦争や政治について知識がなかったり関心が薄かったりしても全く不思議とは思いません。

僕のような学生は僕の周りにたくさんいましたので、僕は当時の二十歳前後の若者の平均像だと思います。しかし、中には政治に強い関心を持っている人もいましたが、そうした人は全体からしますと少数派でした。

僕よりも一世代前の学生を見ますと、ベトナム戦争の影響で反戦運動や安保闘争という学生運動が盛んな時代でした。ですので僕の世代よりも政治に強い関心を抱いていたはずです。ちょうど吉田拓郎さんや井上陽水さんが世に出てきた頃で団塊の世代と言われていました。

団塊の世代は政治に強い関心を持っていたのが特徴で学生運動が盛んでしたが、あさま山荘事件という過激な活動家が起こした悲惨な事件を契機に学生運動は一気に下火になりました。団塊の世代に対して僕らの世代はモラトリアム世代と言われていました。「モラトリアム」とは「猶予」という意味ですが、「結論を先延ばしにする」という意味合いでしょうか。僕らの世代は政治に関心を持っている人はあまり多くはなくテニスとスキーに明け暮れている学生が一般的でした。僕個人的には、テニスとかスキーといったおしゃれなスポーツが似合うタイプではありませんでしたので興味はありませんでしたが…。

団塊の世代を見ていますと、あまりに強く政治に関心を持ちすぎると判断を間違えるような気がします。シリアではイスラム国をあと少しで壊滅できそうですが、そのイスラム国はイスラム教の原理主義者たちが作った組織です。イスラム教に限らずどの宗教でも思想でも社会に対して攻撃的な行動をとっているのは原理主義者の人たちです。本来、宗教は平和のために存在しているはずですので宗教が原因で争いが起こるのは矛盾ということになります。

民族浄化などという悲惨な状況が起きるのも同様で原理主義者の仕業です。ですから、普通の人たちが注意をする必要があるのは原理主義者たちの口車に乗せられないことです。そして、僕は政治的に固まらないことが大切と思っています。優柔不断は悪い意味ですが、政治に関しては優柔不断のほうが平和に貢献するように思えてなりません。

戦争について考えるとき、最初にぶつかる問題はやはり「戦争放棄」です。安倍首相が憲法改正を考えているのも、究極的には「戦争放棄」には必要のない自衛隊の存在を正式に認めたいからです。ですが、なんとしても平和憲法を守りたい人たちには許容できることではありません。そこに対立点が生じます。

平凡なおじさんが普通に考えて、一番の疑問は「戦争放棄」は賛成だけど「攻撃されたらどうするの?」という疑問です。専守防衛とは謳っていますが、どこまでが「防衛」なのかは定かではありません。

また、元稲田防衛大臣が辞任に追い込まれたきっかけにもなったことですが、海外に派遣する条件も曖昧です。実は、それよりも問題だと思っているのは「同盟国が戦っているときに支援をしないこと」の是非です。本当にごく普通の感覚で考えるなら「仲の良い友だちが悪い奴に絡まれているのに助けない」のはどう考えても不誠実のように思います。僕だったら、そんな薄情な友だちとは仲良くしたくありません。それが普通の感覚のはずです。

かつて湾岸戦争のときに海外から「お金だけ出して、血は流さない」と批判されましたが、普通の感覚で考えるなら当然の意見です。このときはまだ世界が日本の平和憲法を賞賛している時代でしたのでお金だけで済みましたが、未来永劫通用するかは疑問です。

もちろん「戦争はいけない」ことは当然です。ですが、攻撃されたなら戦うしか方法はありません。そして、近代の戦争では「攻撃されてから反撃するのは遅い」ということもあり得ます。このような状況の中で「戦争」について考える必要があります。

左系の人たちは「外交努力」という言葉を好みますが、通じない場合のことも想定する必要がありますし、外交努力をするには同盟国の力を借りなければいけないこともあります。そのときに「助けない」で通用するのかも考える必要があります。

このように一口に「戦争反対」「戦争放棄」と言いましても簡単ではないのが現実です。それでもそれでも、戦争が起きないように工夫し努力することがとても大切です。その土台になるのが原理主義者の言葉に惑わされないように柔らかい頭でいることです。

戦争という極限状態に突入してしまいますと、引き返すことは簡単ではありません。また、極限状態では自由が制限されるのが常です。しかし、侵略されてしまってはもっと自由が制限されることになります。そのような最悪な状況にならないために日ごろから戦争について考えておくことは大切です。そのためには政治に関心を持つことが重要です。

この時期のコラムの最後はドラマ『さとうきび畑の唄』で主役を務めるさんまさんが最後に叫ぶ言葉で締めくくります。

「わいは、人を殺すために生まれてきたんやないんや」

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:19 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月06日

<潔さ>

年齢のせいか、朝目覚めるのが早くなっています。夜中にトイレに起きることも多いですが、今日はトイレとは関係なく朝5時頃に目が覚ました。しばらくどんよりしていましたが、何気にテレビをつけますと世界陸上をやっていました。ライブです。
そして、そこに映し出されていたのは、なんとあのボルト選手が負けた映像でした。信じられませんでしたが、はっきりとボルト選手が負けている映像が流れていました。英雄はいつまでも英雄でいられることはできないのですね。どんなに優れた選手でもいつかは負ける日がやってきます。ボルト選手の負ける映像を見ていましたらそんなことを思いました。
人間は、栄光の日々を過ごしているときは自分に余裕がありますので自分を作ることができます。しかし、失意のときは余裕などありませんので本当の自分の姿を晒すことになります。その意味で言いますと、ボルト選手の負け方は素晴らしいものでした。「潔い」という言葉がピッタリの走り方でした。

高校時代、クラブ活動には入っていないのですが、運動能力に優れたK君という人がいました。足も早く、サッカーもうまく、とにかく全体的にスポーツ万能と認められている存在でした。また、K君はギターもうまく休み時間などにはみんなの前で腕前を披露するなど音楽の面でも存在感がありました。しかし、どこの運動部にも音楽クラブにも入っていませんでした。
さらに、K君は手先も器用でコインを見事に操り手品を披露するなどしてみんなの憧れの存在でもありました。また、おしゃれに関しても精通していて着ている服は毎日変えていましたし、着こなしも芸能人に劣らないくらいの感性を持っていました。また立ち振る舞いもスマートでしたし、なによりそうした行為が似合うだけのイケメンでもありました。
このようにほぼ完璧に近い高校生でしたので、今でいうならスーパー高校生といったかんじでしょうか。このようなタイプの人でしたので、やはり目立つことは好きなようで文化祭では舞台の中央で一人ギターを弾いてたくさんの拍手を受けたりもしていました。彼は注目されることが好きなタイプの人でした。
その彼が、体育祭の100m競争に出場することになりました。足が速いのも自慢でしたので、それを披露するつもりがあったようです。中学時代に大会で優勝した経験もあるそうでしたのでかなり自信があったのだと思います。
さて、いよいよ彼の出場する100m走のプログラムになりました。K君以外のメンバーを見ますと、どうみても彼を負かせそうな人はいませんでした。そんな中、ひとり異彩を放っている人がいました。彼の名はS君です。異彩の理由は、超がつくほど真面目な堅物で、そしてガリ勉で、どう考えてもスポーツというか、そもそも「早く走る」というイメージが全く湧かない人でした。身長は平均より少し高いくらいですが、筋肉質な身体でもなくガッシリした体格でもありません。華奢でか細いといった表現が似合うような体格の持ち主でした。100m走に出場することさえ、不思議に思える存在でした。しかし、100m走は自主エントリーなのです。自分で応募しなければ出ることはありません。ということは、S君は自分から出場を希望したことになります。
そして、いよいよK君とS君の出場する組になりました。スタートラインに立ち、腰を屈めピストルの音が鳴るのを待っていました。一瞬の静まりのあと号砲とともに走り出したK君とS君です。やはり思った通りK君の走る姿勢はきれいでした。それに比べS君は、一言で言いますと「ダサい」。これに尽きるフォームでした。誰が見てもその走り方は「変」と思うようなフォームだったのです。例えるとしたなら、そうですねぇ…、あっ、忍者です。忍者が相手に悟られずに走る姿に似ていました。もちろん黒装束も黒い頭巾も身につけていませんが、「相手には悟られないだろうなぁ」という走り方でした。
僕はその走り方が面白かったので笑っていたのですが、50mを過ぎたあたりからレースの雰囲気が変わってきました。レースはスタート直後からK君とS君が飛び出す展開だったのですが、なんと次第にS君が段々と差をつけ始めたのです。そして、5〜6メートルの差をつけてS君が一着でゴールしました。運動場全体から驚きの声が聞こえてきました。
「あの、ガリ勉が…」
そんな声がどこからともなく聞こえてきました。僕もS君に驚かされたのですが、もっと僕の気持ちを引き付けたのはS君と差がつき始めたあとのK君の「走り」でした。K君はかなわないと思った瞬間に走る力を弱めたのです。誰が見てもわかるように、余裕を持って走っているふうを装っていました。たぶん、負けたことが「恥ずかしかった」のと負けを「認めたくなかった」のでしょう。両方の気持ちが混じりあってあのような走り方をしたのだと思います。ですが、僕にはその姿が悲しいものに見えました。

実は、あのときのK君の走り方は僕に大きな影響を与えています。「負け」は認めてこそ意味があります。「負け」を自分で引き受け、受け入れてこそその経験が生きてきます。もし「負け」をごまかして認めず、引き受けずに逃げていてはまた同じ過ちを繰り返すことになります。さらに言うなら、「負けた姿」は無様であればあるほど意義があるとも思っています。

結局、世界選手権の100m走の優勝者はガトリン選手でした。ボルト選手は隣のコースを走っていたコールマン選手にも負け3位でした。ですが、ボルト選手はゴールまで必死に走っていました。僕はボルト選手が頭を突き出し少しでも早くゴールをしようと駆け抜ける姿を見たのは初めてでした。僕が見てきたボルト選手のゴールの姿はいつも流しているように見えるフォームでした。ですから、負けたときに最後まで力を抜かずに、しかも一秒でも早くゴールしようという姿勢に感激したのです。
しかも、レース後のインタビューでも潔さがありました。言い訳など全くせず、「負け」を受け入れていました。その対応にも感激しました。ガトリン選手の優勝について観客がブーイングをしたそうですが、ガトリン選手のドーピングの過去が影響していることは想像に難くありません。ボルト選手はそんなことにはまったく触れず、「負け」を認めました。その潔さが素晴らしいです。

今年5月のWBA世界ミドル級王座決定戦でダウンを奪いながら判定で負けた村田涼太選手は疑惑の判定だったにも関わらず「負け」を受け入れていました。また、先日元WBA世界スーパーフェザー級スーパー 王者内山高志選手が引退を表明しましたが、内山選手もまた「負け」を受け入れる姿が印象的でした。
人間は他人の前では自分を繕いますので、本当の姿を知るのは容易ではありません。秘書を怒鳴りつけ人間性を貶めるような振る舞いをしていた女性の国会議員がいましたが、あの女性議員も公の場所では「いい人ぶって」いました。そのような人が国会議員になっていたのです。本当の姿を知ることはとても大切です。
安倍首相が新しい内閣を発足させましたが、支持率が低下したことが原因です。支持率の低下を本気で認めて受け入れたかどうかは、今後の政権運営でわかります。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:18 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月30日

<信頼関係>

ようやっと稲田大臣が辞職しましたが、遅きに失した感は否めません。多分、多くの人が人選の失敗を予想していたのではないでしょうか。おそらく会社帰りの居酒屋で中年以上のサラリーマンの方々は口々に話していたはずです。
「稲田さん、無理があるよなぁ」
本人がどう思おうとも、部下である事務次官や自衛隊のトップが稲田大臣を大臣として認めていなかったことは間違いありません。先週も書きましたが、3人が集まった話し合いの内容がマスコミで報道されるという事実がそれを証明しています。
似たような状況が小泉政権時代にもありました。このときは田中角栄元首相の娘さんである田中真紀子氏が外務大臣に就任していたのですが、田中氏は外務省を自分の思い通りの役所にしようとしていました。しかし結果は、見事返り討ちに遭ってしまいました。田中氏の名言が印象に残っています。
「私が前に進もうとすると、誰かがうしろでスカートの裾を踏んでいる」
このときは外務省の官僚は田中大臣に反旗を翻していることを隠そうともしていませんでした。マスコミに堂々と「差し違える覚悟」とまで語っていたほどですから、どれほど大臣として認めていなかったかがわかります。このような状況で仕事をできるわけがありません。方向性が「正しいかどうか」は別にして、組織が活動するにはトップと部下たちの意思が統一されていることは必須条件です。
報道を見る限りでは、稲田氏が事務方や自衛隊に対して特段厳しい要求をしていたようには思えません。それにも関わらず事務方や自衛隊から認められていなかったということは余程仕事に対する姿勢に問題があった可能性があります。もしかしたなら、部下である秘書に対して「このハゲ〜!」と絶叫した女性議員がいましたが、似たような性格もしくは資質を持っているのかもしれません。
それはともかく、テレビで評論家が「野球の知らない人が監督に就任したようなものだ」と語っていましたが、部下の人たちも同じような気持ちだったのかもしれません。
似たようなことが自民党の受け皿にならなくてはいけないはずの民進党でも起きていました。代表である蓮舫氏が辞任をしました。こちらは部下の反乱というよりは祭り上げていた人たちが梯子を外した感じです。
そもそも今の状況で蓮舫氏が代表に就くことに無理がありました。まだ党の代表になる土壌が整っていなかったからです。本当に、単に「祭り上げていられた」だけです。真の代表になるには一定の集団の代表になり足場を固めてから名乗りを上げなければいけません。今の状況は単に名前が知られているという上っ面の人気だけでした。上っ面の人気を実力と勘違いしたことに蓮舫氏の過ちがあります。
女性議員の話が続きましたので、ついでにと言っては失礼ですが、都民ファーストの小池東京都都知事についても触れたいと思います。
真の意味で実力者といえる女性議員となりますと、今の日本では小池氏がダントツの一位です。自分で党を作っていますし、実質的な代表に就いてもいますし、実力のあるサポート部隊も周りに控えています。おそらく現段階で最も首相に近い女性となりますと小池氏になるでしょう。
敢えて小池氏のネックを探すならそれは年齢です。現在65才ですが、これから首相を目指すには少し薹が立っています。その意味で残されている時間はあまり多くありません。2〜3年のうちに勝負にでる必要があります。
====================
*「薹が立つ」(とうがたつ)
⇒花茎が伸びると堅くなって食べ頃を過ぎてしまうことから盛りを過ぎるの意。
 何かをするのにちょうどよい年齢を過ぎてしまうこと。
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ですが、東京オリンピックも控えていますので現実的ではないように思います。もしやるとするなら、ミャンマーのアウンサンスーチー氏のように影で操る実力者という立場しかありません。しかし、こちらも現実的はないように思います。勝負は来年の衆院選でしょうか。

と、ここまで政治のことを書いてきましたが、実は僕は現在新聞を取っていません。以前から新聞を取る価値について考えていましたが、今回たまたま勧誘の人が来なかったので宅配の新聞をやめてみることにしました。
前にコラムで書いたことがありますが、藤原和博さんという元リクルートの幹部から杉並区の区立中学の校長に就任したことで注目を集めた方が「新聞なんて読まなくていいんですよ」とラジオで話していました。それを聞いたのは今から3〜4年前ですが、以来ずっと頭の中に引っかかっていました。
人間というのは保守的な生き物ですので、僕もなかなか踏み切れないでいたのですが、今回たまたまの流れで7月から実行に移すことにしました。
僕には、新聞を取らなくなったときの不安がありました。それは「世の中で起きていることがわからなくなる」という漠然とした不安です。テレビのニュース番組もありますし、スマホのヤフトピも見ていますので、ニュースに全く触れなくなるということはないとは思っていたのですが、なんとなく不安になっていたのです。ですが、実際に新聞を読まなくなっても今のところ不都合や不便を感じていることはありません。
よく紙媒体を読まない弊害として「調べていることとは全く関係のない知識や情報に触れる機会がなくなる」ということが指摘されていました。例えば、辞書である言葉を調べているときにたまたま隣の言葉が目に入って、それまでの自分では興味を持たないようなことにそれがきっかけになって興味を持つようになることです。新聞はまさにそのような役目があり、社会面や政治面や科学、暮らしなど自分だけでは関心を持たないようなことに触れるきっかけになります。
このような紙媒体のメリットを失うことへの不安がありました。しかし、ネットでいろいろな情報に接していますと、紙媒体のメリットに劣らないくらいいろいろなたくさんの情報に触れるきっかけに遭遇しています。もしかするなら、紙媒体以上に「自分だけでは関心を持たないようなこと」に触れるきっかけを得ているかもしれません。
今のITの進歩は素晴らしいものがありますが、その一つに僕が興味を持ちそうな情報、もしくはそれに関連した知識を勧める機能があります。これには「個人情報が勝手に収集される」という問題点もありますが、それを除くなら「効率的に有益な情報に接する」というメリットを得ることができます。おそらく紙媒体で得られるきっかけよりもはるかに多いきっかけです。僕は、今現在、その状況を満喫しています。
先週のコラムで書きましたが、情報というのは見る立場や角度によりいろいろな形に変形します。マスコミはそれをできるだけ純粋な形で受け手に伝える義務があると思っていますが、ネットでは自分でその情報の形を調べることができます。しかも瞬時にできます。これもまた、実はとてもすごいことで、いつになるかはわかりませんが将来はやはり新聞を筆頭に紙媒体は消滅するのではないでしょうか。最近、僕はそのように思い始めています。

真偽は確かではありませんが、自衛隊の日報隠ぺい問題も当初は廃棄していたとされていましたが、「パソコンに残っている」という情報がきっかけで廃棄問題が再度注目されたように記憶しています。どこで読んだか記憶が定かではないのですが、「残っているはずだから、もう一度しっかり調査して」と最初に声を上げたのは自民党の河野太郎議員のはずです。ですが、その経緯について大手マスコミが全く取り上げていないのが不思議です。
僕が新聞を取るのをやめた一番大きな理由は最近のマスコミの偏向報道の激しさがあります。簡単に言ってしまいますと、「大手新聞の記事はあまり信頼できない」という気持ちが大きくなったのです。
どんなことでも信頼関係って大切ですよねぇ。…夫婦でも。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:05 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

<こだわり>

暑い日が続いていますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。僕は「暑いの日がどうの」というよりは「寒いのが苦手」ですので、今くらいの暑さはほかの人が言うほど苦痛には感じません。ですから、家にいるときはクーラーとは無縁ですし、寝るときも暑くて寝られないということもありません。ですが、妻は違います。僕より数倍暑がりです。
僕には変なこだわりがいろいろあるのですが、その一つが夫婦の寝室です。僕はどんなに愛が冷めようとも「夫婦は一緒の部屋に寝なければいけない」というこだわりがあります。理由は、「夫婦だから」に尽きます。若い頃のような肉欲はなくなっても一緒の部屋で寝るのが夫婦だと思っています。
ですから、僕には単身赴任という発想が理解できません。せっかく結婚したのに別々に暮らすのでは結婚した意味がないではありませんか。僕の中の結婚とは、「一緒にいる」ことです。「一緒にいたい」と思うから結婚をするのです。たまに「ほかの女性と一緒にいたい」と思うことがあっても、あくまで「たまに」でなければいけません。「たまに」がなくなったときは夫婦でいる資格がなくなることを意味します。
そんな僕たち夫婦ですのでいつも布団を並べて寝ているのですが、昨年から夏になると妻が別居するようになりました。理由は「すっごい、暑い!」からです。妻と僕の温度センサーは極端に違いますので、妻が「暑い」のは僕には「ほぼ普通」で、妻が「ちょうどいい」のは僕には「寒い」のです。ですから、妻が部屋を出ていくことになりました。
これについては昨年も書いたような記憶がありますが、妻が夏の間だけ居間で寝るようになりました。「夫婦同室」に強いこだわりがある僕としましては「夫婦別室」にすることに抵抗感がなかったこともないのですが、妻の達ての強い要望でしたので、正確には「要望」というよりは「怒りに似た命令」でしたので受け入れざるを得ない状況となりました。「怒り」を例えますと、そうですのでぇ…、あの豊田議員の「このハゲー!」の叫び声に似ているでしょうか…。
それはともかく、実際に別室になってみますと僕も快適さを感じています。隣に誰もいないということは自由に動けることですのでとても気分がいいのです。僕は寝相が悪いので知らぬ間にいろいろと動き回っているのですが、朝目覚めたときにとんでもないところでとんでもない恰好でいるときがあります。それだけ自由に動いていたことの証拠ですが、それができたのは僕の専有面積が広くなったからです。今では、「夫婦別室も悪くない」という感じを持っています。
このような感覚になったのは「こだわり」にこだわらなかったからといえます。つまり、「こだわり」には執着しないほうがよいこともあることを教えてくれています。

稲田防衛大臣が窮地に追い込まれています。おそらく近日中に退任することになると思いますが、8月に内閣改造を控えていますのでタイミングが難しいところです。しかし、今の状態では8月の内閣改造までもたないのではないかとさえ思ってしまいます。
それにしても安倍内閣はここにきて一気にいろいろな方面から三下半を突き付けられているように見えます。いろいろな方面とはマスコミや官僚や団体です。
まずはマスコミから。
今年に入ったあたりからいろいろなところで指摘されるようになりましたが、マスコミの偏向報道が顕著になってきています。大まかに分けますと「政権寄り」と「反政権寄り」ですが、最近で最もそれを表しているのは家計学園問題で渦中の人となった前文科省事務次官の前川氏に関する報道姿勢です。前川派か政権派できれいに分かれています。最もわかりやすのは前川氏の出会い系バー通い報道ですが、これを報じたのは読売新聞だけです。
前川氏自身が話していますが、家計学園問題について一番早く前川氏に取材をしたのはNHKだそうです。しかし、その取材インタビューが放映されずお蔵入りになっているのですが、これはあきらかにNHKが政権派であることを示しています。その後、NHK内でも社会部派と政治部派で対立が起きていることが表面化しましたが…。
このほかに大まかに分類しますと、前川派と思しきマスコミは新聞ですと朝日と毎日、テレビではテレビ朝日とTBSです。政権派と思しき新聞は読売と産経で、テレビは日本テレビとフジテレビです。
このように各マスコミの立場といいますか、視点が違いますので取り上げる内容や報道の姿勢・仕方にも違いが出てきています。そして、この違いがあることに正当性を与えるような論調も出てきています。
しかし、僕はその論調に異議があります。

人間にはいろいろな考えの人がいることは認めますし、それで当然だと思っています。ですから無理に違う主義主張に同調する必要もありませんし、同調を求めるのも間違っています。しかし、事実は一つでなければいけないと思っています。主義主張によって事実が幾つもあってはいけません。もし、事実が二つも三つもあっては情報を受け取る側はなにを信じてよいかわからなくなります。
大分前ですが、僕はこのコラムで戦争広告代理店という本を紹介しました。これは戦争の当事者の一方が広告代理店を使って自らの正当性を訴えている現実を暴露している本です。「正当性を訴えるために」広告代理店を使うのは安倍首相が最近口にする印象操作のなにものでもありません。広告代理店の倫理上の問題はともかくとして、ビジネスので世界では広告代理店は広告主の依頼に応える仕事をするのは当然のことです。ですから、広告代理店がいろいろな戦略を駆使して広告主に正当性があるように権謀術数を図ることは当然です。
しかし、マスコミは広告代理店ではありません。依頼主などいないのです。というよりはいてはいけないのです。中立であることがマスコミの大前提です。どちらかの一方に肩入れした報道はフェイクニュースと同じです。
マスコミの知識人は、いかにもいろいろな方面に精通していることを誇示するかのようなしたり顔で「真実は一つではない」などと吹聴しています。ですが、「真実は一つではない」ことがあってはならないのです。百歩譲って「一つしかない真実」を伝えるのが難しいのなら、せめて「伝えようと」努力をするのがマスコミ人やメディアに携わる人の使命ではないでしょうか。それを「真実は一つではない」などと開き直るのは何をかいわんやです。
繰り返しますが、マスコミに依頼主がいてはいけないのです。
マスコミを仕事としているのであれば、一般人よりは物事の真実を見抜く感性を持っているはずです。それこそが一般人とマスコミ人の違いでなければいけません。単に、政治家と親しいとか知識が豊富であることでマスコミ人になっているわけではないはずです。
このように、本来マスコミは真実を伝えるのが仕事ですが、現在は偏向的な報道が幅を利かせつつあります。
そんな中、政権寄りと言われていたマスコミまでもが稲田批判および安倍批判を強めています。これがマスコミから三行半を突き付けられているように見える原因です。
次に、官僚からの三行半を示すのは稲田大臣が不利になるような情報が湧き出る湯水のように流れていることです。例えば、稲田大臣と防衛事務次官や制服組の幹部の会談の内容が報じられています。どう考えても稲田氏を追い落とす目的としか見えません。
これは稲田大臣に限りません。山本地方創生大臣と日本獣医師連盟の対立でも同じです。山本大臣の発言に堂々と異を唱えている様は安倍政権に挑戦しているかのようです。
安倍政権の現在の光景はいつか見た光景に似ています。ここまで落ちてしまったのは国民を甘く見ていたからです。少しくらいの問題は「経済関係の政策を発表すればすぐに忘れる」といった驕った姿勢があまりにも見えすぎていました。そして、そのきっかけになったのが稲田大臣に対するこだわりです。
こだわりにこだわると判断を間違えます。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:23 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月16日

<丁寧な説明>

「なにがどうなったのか」詳しくはわからないのですが、とにかくwindowsのプログラムのなにかが更新されたようです。たぶん今の時期はそのような時期のようで、僕はデスクトップとノートパソコンの両方を毎日使っているのですが、両方とも更新の通知がきてインストールが行われました。
僕としましては自動的に更新されるのは別に構わないのですが、設定が僕に相談もなく変更されるのはあまり感じのいいものではありません。PCは僕のものなのですから僕に許しを得てから変更するのは筋というものです。
今回、勝手に変更されたのは幾つかあるのですが、とりあえず不便を感じたのはネットを見るときに最初に立ち上がるブラウザーが「エッジ」になっていたことです。Microsoftは「エッジ」を普及させたいようでなにかにつけてエッジの使用を勧めてきます。しかし、IEに慣れている僕としては使い勝手が多少悪くとも慣れているものを使いたくなります。
そのほかに変更になっていたのは音楽を聴くソフトです。mp3をクリックしますと自動的に始まるソフトがGrooveになっていました。これも僕はメディアプレーヤーに慣れていますので戻しました。
このような自分自身の行動から考えてみますと、人間というのは新しいものに変更するのはよほどのことがない限り抵抗があるようです。これを保守的というのかもしれませんが、使い慣れているもののほうが気楽であるのは間違いありません。
僕は格安スマホを使っていますが、スマホユーザー全体からみますとまだまだ少数派のようです。総務省からの要請もあり、大手キャリア各社が値段を抑えたプランを次々に発表しています。しかし、格安スマホを使っている僕からしますと「まだ高い」という印象があります。
実際に値段だけを比較しますと大手キャリアのほうが高いのですが、格安スマホよりもシェアを取っています。本来なら安いほうに消費者は流れるものですが、そうはなっていないのはシェアを占めるだけのノウハウを持っているからです。
実を言いますと、大手キャリアは高いと言いつつも「仕方ない」と思っている部分もあります。それはお客様が相談しやすい環境を作っていることです。例えば、スマホの調子が少し悪いとき、契約しているショップに相談に行きますと丁寧に対応してくれます。「調子が悪い」どころではなく「使い方がわからない」ということだけでも対応してくれます。大手キャリアの魅力は丁寧な対応をしてくれるということになりますが、それを可能にしているのは割高の値段設定をしているからともいえます。丁寧な対応を可能にするにはショップを運営するために家賃や水道光熱費がかかります。それだけではありません。説明する人の人件費もかかりますし、研修費もかかります。丁寧なサービスを提供するにはそれ相応のコストがかかるのは当然です。
それに対して格安スマホはほとんどを自分で行う必要があります。最初の設定までも自分で行わなければなりません。その最大の理由はショップを構えていないことです。家賃や人件費などを抑えることで格安を可能にしています。しかし、最近は格安スマホも家電チェーンと提携するなどをして丁寧なサービスを提供することを試みているようです。今後どのような展開になるかわかりませんが、消費者に対して丁寧な説明をできるように工夫しなければ格安という魅力も褪せることになります。

先月は火災保険の満期を迎えましたので代理店の方とお話をする機会がありました。その代理店の方とは長いつき合いですので自動車保険にも加入しています。たまたま話の中で通販型自動車保険のシェアの話になりました。僕が最近経済誌で読んだ「通販型自動車保険のシェアが10%にも満たない」という記事に驚いた、と話しますと「車のディーラーさん経由で契約する人がまだたくさんいる」とのことでした。
よく考えてみますと、自動車を初めて購入する人は自動車保険についての知識をほとんど持っていないのが普通です。ですから「言われるがままに」自動車保険に加入しても不思議ではありません。このような現実を見ますと、自動車保険のシェアが劇的に変化することは当分ないように思います。
ですが、自動車保険については面白い話を聞きました。「大分先のことではありますが、将来的には自動車保険は保険会社が扱うのではなく自動車メーカーが扱うようになる」というものでした。今でさえ新しい車には自動ブレーキが付いているのは普通になってきています。その技術がさらに進むなら自動運転も夢の話ではなくなってきます。そうなりますと、事故を起こしたときの責任は「運転者ではなく自動運転を提供している自動車メーカーにある」ということになります。一つの技術の進歩はいろいろな方面に影響を与えます。

一つの出来事がいろいろんな方面に影響すると言いますと、安倍政権を揺るがしている家計学園問題も同じような状況になってきています。以前、「本当の悪者」というタイトルでコラムに書きましたが、時間が経つにつれ新たな事実が次々に出てきています。
まず、家計学園問題の「おさらい」としてこれまでの経緯を簡単に説明いたします。
この問題が表に出てきたきっかけは森友学園問題で安倍首相が知人に便宜を図ったかどうかで追及された延長として、「家計学園に便宜を図っていたという事実があった」と文科省の前事務次官が証言したことです。それに対して菅官房長官が「怪文書」とか「人間性に問題がある」などと反論したことで問題が大きくなりました。
この問題の核心は次の点です。
「家計学園が獣医学部を新設するにあたって安倍首相が便宜を図ったからどうか」。
これまでの展開では前川氏が主張する「安倍首相もしくは政権側から働きかけがあった」という説明のほうが説得力がありました。しかし、ここにきて安倍首相側が有利になるような証言が続いています。一例を紹介しますと、閉会中審査の場で前愛媛県知事の加戸守行氏が「10年以上前から家計学園は開設の申請をしていた」と説明したことです。さらに加戸氏は今回の家計学園関連の問題について「国家戦略特区でゆがめられた行政が正されたというのが正しい発言だ」とまで語っていました。
実は、この指摘についてはまた前川氏からの反論もあるのですが、その反論についてもそれ以前の政治状況が関係していますので事実関係を整理するのが困難になっています。ですので、さすがにこのあたりまでにきますと、問題が複雑になってしまい、焦点をどこに当てていいのかわかりにくくなっています。ですから、政治にあまり関心のない人は「引いて」しまうことになりそうです。
僕としましても、いったい誰の意見が「真っ当」で「常識的」で「正論」なのかわからない状態です。この複雑で絡み合った状況を解きほぐすには安倍首相本人が公の場所に出て説明するのが一番よい方法です。
そもそも言っていたじゃぁ、ありませんか。「丁寧に説明する」って。それしか解明する方法はありません。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:59 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月09日

<度>

結局、都議選は都民ファーストの圧勝で終わりましたが、自民党に対するイメージが最低の状態でしたので当然のことのように思います。それにしても僕が残念なのは投票率です。一応なんとか50%は超えていますが、投票権を持っている人の責任としては70%前後はいってほしいところです。それが無理とするなら最低でも60%は超えるのが選挙民の義務というものです。
自民党の敗北の原因はいろいろあるでしょうが、投票日前日の安倍首相の街頭演説もかなり大きな要因のように思っています。「安倍、辞めろ〜!」コールのうねりに感情的になってしまい「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と応じてしまったのは、相手の思うツボにはまる結果となりました。政治に精通した人の見立てでは「安倍辞めろ!」コールを絶叫していた人たちは「その道のプロ」だそうですから、感情的に反応してマスコミに報じられたのはやはり間違った対応ということになります。
以前から書いていますが、安倍さんが政権を長く続けられている理由は「世論を感じ取る力に優れていること」と思っています。少しでも評判が悪くなりそうになると、国民受けしそうな経済政策を発表するということを繰り返しているからです。こうしたやり方は国民を甘くみているからにほかなりませんが、その感性がここにしてかなり鈍くなっているように感じます。それを示していたのが、今回の街頭演説での「こんな人たちに負けるわけにはいかない」発言です。
大分前ですが、自民党の幹部にまで上り詰めたK氏に密着するドキュメント番組を観たことがあります。そのときに印象的だったのは、ある地方の集会に行ったときの対応でした。
その集会は100人ほどの集まりでしたが、K氏が登壇し演説を始めてしばらくしたときに聴衆の中の60才くらいの男性が大きな声で演説内容について質問をし始めました。K氏はその話を丁寧に聞き、それなりに答えていたのですが、男性はしつこいくらいにさらに絡んできました。そのときK氏は、「細かい話はあとでお答えしますので」と言い演説を続けたのですが、「さすが!」と思ったのは演説を再開する前に秘書に「あの男性から話を聞いてくる」よう指示を出したことです。
実は、この指示は男性の話を聞くことが目的ではなく「男性の素性」を調べることでした。つまり、他候補の支持者とか単なる嫌がらせの目的なのかなどを確認するのが目的でした。一見、なにげない演説者と聴衆者のやり取りですが、政治家の奥の深さを垣間見た光景でした。
もちろん安倍首相もこの程度のテクニックは身につけているはずですが、それにも関わらず街頭演説での失態は「脇が甘くなっている」「一強に慣れすぎて驕っている」という批判が当てはまるのかもしれません。
こうした姿勢はほかの場面でも見ることができます。国会でのやり取りの際に質問者に対して自らが野次を飛ばしたり、反対に外野からの野次に無闇やたらに反応したりと首相という立場を忘れているかのような振る舞いでした。
本来、首相という役職は日本で最も責任の重い任についている立場ですので慎重な言い回しが求められるはずです。ちょっとした発言が社会をひっくり返すほどの力を持っているのですから当然です。ですから、慎重さを追い求めるあまり発言が「門切り型」であったり「曖昧」であったりと、面白みに欠ける発言が多いのが特徴でした。
そうした姿勢をひっくり返したのが「自民党をぶっ壊す」と声高に訴えて首相に就いた小泉さんでした。忘れもしません。国会という場でそれまでの首相では考えられないような答弁をしたのです。
2004年11月の衆議院での当時の民主党の岡田氏と小泉首相のやり取りです。当時、イラクへ自衛隊を派遣する際の条件が問題になっていました。「戦闘地域には自衛隊は派遣しない」という中で、岡田氏から「非戦闘地域の定義を言ってほしい」と問われた小泉首相は「自衛隊が行くところが非戦闘地だ!」と言ってのけたのです。このニュースを見た時、僕はいい意味でも悪い意味でも「すげぇな」と思った記憶があります。
安倍首相は、明らかに小泉節を真似ています。しかし、どんなことでもそうですが、物事が受け入れられるには「時(time)、所(place)、場合(occasion)」が大切です。あのときのあの状況での小泉首相の発言だったからこそ受け入れられた発言です。
安倍首相は二度目の登板ですが、最初のときは1年あまりで退陣に追い込まれています。そして、そのときは「弱い首相」というイメージがついてしまいました。今の安倍首相を見ていますとその弱いイメージを払拭することに懸命になっているように映ります。野次の飛ばし方や強弁などを見ていますとそのように感じます。しかし、今の安倍首相の振る舞いは「度が過ぎている」というのが僕の感想です。

ところで…。
首相に限らず「度が過ぎています」と変えたくなってきます。実は、先日キーボードを交換しました。理由は「度が過ぎて」いたからです。キーボードの「度」は「フレーズ」する「度」でした。
以前、パソコンが動かなくなりマザーボードの電池を交換した話を書きました。しかし、その後もパソコンの調子は今一つで、文章を書いている途中でキーボードが反応しなくなったりしていました。調子が悪くなると再起動するのが基本ですが、最近は再起動させなければいけない状況になる頻度が高くなっていました。
普通、パソコンの調子が悪くなるときは前兆というものがあります。今回の場合は起動させたあとwindowsの表示がでる前に「カチカチ」という音がするのが前兆でした。「カチカチ」の音がしてからwindowsが立ち上がるときは必ずキーボードが反応しないのでした。これまでですと、そのあとに再起動をさせることで直っていたのですが、先週はそれでも直らなくなってしまったのです。
僕はどんなものに対してもそうなのですが、壊れると自分で直したくなる性分です。ですから、今回もまずどこに不具合があるかを調べて自分で直すことを考えました。しかし、いろいろと調べていきましたところ買い替えるのが最も手間がかからず費用もかからないことがわかりました。「わかりました」と言いながら、その時点ではまだ予想でしかありません。それでも買い替えることにしたのはキーボードが思いのほか安いことを知ったからです。
結論を言いますと、大手家電チェーン店で820円で有名ブランドのキーボードを購入しました。早速帰宅しUSBを差し込みますと数分でデバイスがインストールされ、なんの問題もなく使えており、満足しています。
実は、買い替える前はたびたびフレーズしていて、そのフレーズを解消させるのにいつも5分くらい時間がかかっていました。そうした煩わしさを感じずにこのコラムも書いていますので気分よく終えることができます。

因みに、私たち夫婦は結婚して35年経ちますが、幾度も壊れそうになっています。それがまだ続いているのは「僕が直すのが好きな性分だから」です。妻が「度が過ぎない」のも一応はありますが…。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:58 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月02日

<歯止め>

文科省の元事務次官の前川氏と官邸のバトルはまだ続いているようですが、今のような中途半端な状態で収束してしまうのは、僕としては納得できませんのできちんとした決着の方向に進んでほしいと思っています。
前川氏と官邸のバトルが始まってからも女性議員のパワハラ事件があったり、稲田防衛大臣の問題発言があったり、いろいろな問題や事件が起こっていますが、そうしたことが結果的に「目くらまし」のようになっているのが気がかりです。
文科省の問題で言いますと、家計学園問題で影が薄くなりつつあった森友学園の籠池氏が安倍首相の昭江夫人のお店に行ったり、安倍首相の街頭演説に直接行ったりして100万円を返却するパフォーマンスをしているのは「事件を風化させない」という意味で効果があるように思います。いつか逮捕されるとは思いますが、それまで「籠池氏、頑張れ!」と心の中で思っています。
聖人のような優れた人間でもない限り、人は常に正しいことをするとは限りません。ほとんどの人は正しい判断と間違った判断の間を行ったり来たりしているはずです。もし、すべてにおいて完ぺきに正しい対応をしていると思っている人がいたなら、そのような人こそ信頼性に欠ける人です。
このように人は常に過ちを犯す可能性がありますので、過ちをできるだけ最小に抑えるためにチェック機能を配置することが必要です。学校で習った記憶がありますが、三権分立はそのために作られたシステムのはずです。しかし、システムがあるからといってきちんと機能していなかったならなんの意味もありません。大切なのはチェック機能が働いているかどうかです。

若い人には古臭い話に思えるかもしれませんが、1980年代初頭に中曽根康弘氏が首相だったときに官房長官を務めた人に後藤田正晴さんという方がいました。中曽根さんという方は、今の安倍首相のように憲法改正を訴えていた政治家で自衛隊を正式に認めることを主張していました。中曽根首相はいろいろな場面で自衛隊の活動範囲を広げようとしていましたが、その考えに注意を促していたのが後藤田さんでした。
後藤田さんは自衛隊の海外派遣を「針の一穴になる」と悉く反対していたのですが、もし後藤田さんが官房長官を務めていなかったなら中曽根さんの時代に自衛隊はもっと力をつけ活動範囲を広げていたはずです。まさしく後藤田さんが歯止めになっていました。
このように書きますと、僕が「後藤田さんは素晴らしく、中曽根さんは悪者」と思っているように思われますが、実は僕は中曽根さんも後藤田さんに負けないくらい素晴らしい政治家だと思っています。
理由は、至極シンプルで「自分の思い通りにさせてくれない後藤田さんを官房長官に据えていた」からです。歯止め的な役割を身近に配置することで自分の政治家としての姿勢を保とうとしているように思えました。それは独裁に陥らないことです。
以前、このコラムで安倍首相が憲法解釈の変更を行った際に僕は「昔だったら、法制局が抑えていたのに」と書きました。恥ずかしながらそのときは気づかなかったのですが、安倍首相は法制局が反対をしないように、内閣法制局長官の人事を変えていたのでした。覚えている方もいるでしょうが、安倍首相に考えが「近い」というか「同じ」小松一郎氏を長官に任命していました。このような布石がありましたので、あっさりと憲法解釈が行われていたのでした。
参考までに内閣法制局について辞典から引用いたします。
「内閣の補助部局の一つで、法律問題に関して内閣や大臣に助言を与える内閣直属の機関。内閣法制局は、法令の適用や解釈について内閣や各省庁で疑義が生じたときに意見を述べ、あるいは法律問題に関し、政府統一見解を作成するときに大きな役割を果たす。(ブリタニカ国際大百科辞典)」

自分の政策を遂行するには反対勢力を排除したほうが楽であるのは間違いありません。反対勢力によって、いちいち足止めをくらい中々前に進めないといった状況にならなくて済むからです。周りがみんな賛成してくれる人ばかりだったなら、なんの苦労をすることなく自分の思い通りに政策を遂行することができます。しかし、楽なほうには必ず落とし穴があります。

かつて星飛雄馬は小学生低学年の頃、父から早朝の走り込みを日課とされていました。ある日、飛雄馬がいつものコースを走っていると工事中で行き止まりになっていました。ですので、いつもとは違う道を選ばなければいけないのですが、道は二通りありました。右と左ですが、両者の違いは距離です。右を行きますといつもより距離が短くなり、左に行きますといつもより距離が2倍くらい長くなってしまいます。飛雄馬は迷った末に短くなる右の道を選びました。
飛雄馬はいつもより距離が短くなったことで少しうれしさを感じながら走っていたのですが、その道の出口に差し掛かったところに行きますと、なんとそこには父・一徹が腕組みをし鬼のような形相で待ち構えていたのです。飛雄馬を見た一徹は頬を張り飛ばして叱りました。
「どうして、大変な方を選ばなかったんだ!」

僕は安倍さんが首相になってから安倍さんのスタッフの世論を感じ取る敏感さに感服していました。世の中の雰囲気を実にうまくとらえていたからです。その感性が安倍さんの長期政権に寄与しているとさえ思っています。しかし、最近その敏感さにずれが生じているように感じています。
少し前に安倍首相の取り巻きのジャーナリストといわれる人がレイプ事件をもみ消したことでマスコミで注目されましたが、そのジャーナリストが安倍首相にアドバイスをしていたことは容易に想像がつきます。そのジャーナリストが事件でいなくなったことも「敏感でなくなったこと」と無縁ではないように想像しています。
また、最近の菅官房長官は記者会見での記者の人たちへの対応の仕方が自信無げになっているように感じています。それを端的に表していたのが、東京新聞の女性記者とのやり取りでした。よく解釈しますと「真摯に向き合おう」としているように見えましたし、一方で「弱弱しい感じ」を受けました。以前でしたら、批判的な質問に対しては一蹴するくらいのふてぶてしい対応をしていたように思います。端的に言いますと、「やりこめられていた」という印象です。

安倍さんが首相に返り咲き、菅さんが官房長官に就任したときは菅さんが安倍さんの歯止めの役割をしてくれるのではないか、と期待していました。後藤田さんの影が見えていたからです。しかし、残念ながらそのような対応はしていないようです。
安倍さんはお友だち内閣と揶揄されていましたが、実際に荻生田副官房長官や下村元文科大臣と家計学園の親密性を目の当たりにしますと、お友だち内閣は的を得ているように思います。

それにしても最近の大手新聞の報道姿勢はあまりにジャーナリズム感がなさすぎです。読売新聞の前川氏の出会いバー報道などを見ていますと落胆を通り越して悲しくなるくらいです。今回、またしても文春が下村議員の家計学園の寄付に関する記事を発表していましたが、新聞はスクープを忘れてしまったのでしょうか。先ほど、菅官房長官と東京新聞の女性記者とのやり取りを紹介しましたが、「きちんとした取材をしよう」という姿勢が好感です。いったい、大手新聞の記者の方々はどうしてしまったのでしょう。マスコミが政権の歯止めの役割を放棄してしまってはジャーナリストの名前が泣きます。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 17:26 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月25日

<へこみました>

 先週は「ショックなこと」と「うれしいこと」がありました。「ショックなこと」とは「女性議員がかなぎり声で秘書を怒鳴り散らしている音声を聞いたこと」ではありません。確かに、裏表のある振る舞いには憤りを覚え、「こんな人は議員になる資格がないよな」と思いましたが、ショックを受けたのは僕の身の回りのことです。
 妻と買い物に行く前に、地域の理事長さんの家に寄る用事がありました。理事長さんの家は買い物に行く道から左に曲がった道を通り抜けて行く必要がありました。その道を通るのは実に久しぶりで以前はよく利用していたのですが、ここ1〜2年は利用することがなかった道です。今回の「ショックなこと」はその曲がり角で起こりました。
 その道を左折するときに車をぶつけてしまったのです。擦る程度でしたらよくありますのでショックなど受けないのですが、前のバンパーが大きくへこんでしまったのです。そのへこみ具合を見て、僕の気持ちまでへこんでしまいました。
 どうしてぶつけたかといいますと、「久しぶりに通る道」というところがミソです。その曲がり角はとても急な角度でしかも道幅が狭くなっています。車1台がようやく通れるくらいの道幅しかありません。
 現在僕が乗っている車はモビリオスパイクという小さめなサイズですが、その前はワゴン車のセレナに乗っていました。ですから、今の車よりも大きな車だったことになりますが、以前よく通っていたときはそのセレナで曲がっていました。もちろん少し大回りはしていましたが、運転に少し自信がある僕としましては、その大きめの車で細い道に曲がれることが自慢のひとつでした。
「どうだぁ、ワイは運転がうまいんやで〜!」と
いった感じです。
 そのような記憶がありましたので今回も当然曲がれるものと思っていました。しかし、細い道に入ろうとしましたところ、どう考えても前部右側か後部左側面がぶつかりそうでした。3回ほど慎重に切り返しをしましたが、今一つ通れそうもない感じがしました。
 ですが、以前僕はもっと大きな車でこの急な曲がり角を曲がっていたのです。「曲がれるはずがない」という意味のない信念がありました。ですから、「無理があるかなぁ」と思いつつも一気に通り抜けようとしました。
 すると、後輪の左側あたりのエアロパーツがきしむ音がしました。左のバックミラーを見ますと障害物(電柱を支えている棒)に触れていると言いますか少しぶつかっているのがわかりました。しかし、以前僕はもっと大きな車できれいに曲がっていたのです。変な自信がありました。ですから、さらに車を前に進めました。もちろん左のバックミラーでぶつかり具合を確認しながら、それでも少し勢いをつけて前に進めました。
 すると、左後輪のエアロパーツが障害物から離れようとしたときに、今度は前方右側のバンパーあたりから「ゴツン!」という音が聞こえてきました。左後輪のエアロパーツは「ギ、ギ、ギー」という音でしたが、前方右側のバンパーあたりからは「ゴツン!」です。嫌な予感がしましたが、そのまま走り続けました。
 さて、いつものスーパーの駐車場に車を停め、前方右側を見ますと、、、「ショーッック!」。大きくへこんでいたのでした。
 人間というのはちょっとしたことで気持ちに変化が起きるものです。あれを修理するのに「10万円くらいはかかるのかなぁ」などといった悲しい思いが頭の中を巡り、妻との会話もなく、後悔の念が頭をもたげてきました。
「どうして、無理に進んだんだろう…」
「あのとき、戻ればよかった…」
 思い起こせば反省の思いが次々に浮かんできました。そのときに妻が言ったのです。
「そういえば、前はあそこを曲がっていなかったよね」
 この言葉は僕にとって青天の霹靂でした。
「えっ?」
 僕が尋ねますと、妻が続けました。
「あの角の家が建て替えてから、曲がりにくくなったからって違う方から入るようにしたじゃない」
 そうでした。妻に言われて僕も思い出しました。角の家は建て替えをしていたのでした。それを境にして僕は細い道への入り方を変更していたのでした。しかし、もうあとの祭りです。車はへこんでいたのですから。
 もちろん「なんで先に言わないんだよ!」と夫婦げんかになったのは言うまでもありません。
 その日の夜から修理対策を練ることにしました。できるだけ安く直すのが目標です。最初にやったのはネットで調べることです。格安修理を謳っている幾つかの業者がいましたので、その中から写真を送るだけで見積もりを出してくれる業者に問い合わせることにしました。
 見積もりは2社に依頼したのですが、約4万円と約5万円でした。ですが、この金額が安いのか高いのか判断がつきません。そこでテレビなどでCMを流していたチェーン店に行くことにしました。
 そのチェーン店は修理だけのお店もありますが、ガソリンスタンドがチェーン名を掲げているケースもありました。そこでネットで調べて近くのガソリンスタンドが加盟しているチェーン店に行きました。
 結論を言いますと、担当者の方は車のへこみ具合をみて、「ここまでひどいと取り替えたほうが安くすみますよ」と答えてきました。ネットで見積もりをお願いした業者は「取り替える」のではなく、修理をする方法で答えていました。担当者の方がメーカーなどにいろいろ問い合わせた結果、見積額は「部品代(バンパー)が6万円くらい+脱着の工賃」ということでした。しかも、部品は色がついていないので色を付ける必要があるのでさらに金額が増えるとのことでした。つまり、8万円以上はかかる計算になります。
 どう考えてもこのチェーン店に修理を依頼するのは得策ではありません。僕はネットで見積もりをした業者に依頼する気持ちに傾きながら家に向かっていました。妻と修理業者について話しながら運転をしていましたら、急に妻が「あ、あそこに板金の看板を出している会社がある」と言うのです。僕は車を道の左端に停めて、その会社の看板を見ました。そこには「お客様のご要望に合わせて修理をいたします」そして「1日で修理します」と大きな文字で書かれていたのです。
 一応話だけ聞いてみようと思い、その業者に行きますと、60代後半くらいの小柄なおじさんが笑顔で出てきてへこんでいる部分を見ていました。そして、こういうのです。
「普通に修理するだけでいいんなら、3万円でいいですよ」
 結局、そのまま翌日の修理予約をして、本当に1日で修理が完了したのでした。驚きです。もちろん代車は無料で貸してくれましたし、従業員の方の接し方も感じがよかったのですが、さらに良心的と思ったことがありました。
 実はぶつけたのは前方のバンパーだけではなく、後輪の左側のエアロパーツもひび割れていたのです。ですが、僕はエアロのネジを外し接着剤でくっつけていました。僕のような素人が簡単にくっつけただけですので見た目もみっともなく、いかにも「くっつけただけ」というのがわかる程度の修理でした。
 修理を終えて自宅に戻ってその割れた箇所を見てみますと、なんとエアロ用と思える接着剤できれいに整えてありました。無料で直してくれたことになります。
 「うれしかったこと」はこのような良心的な業者に出合えたことです。人間はちょっとしたことで悲しくもなり、うれしくもなる単純な生き物です。でも、自分のストレス発散を立場の弱い人にぶつけるのは人間として失格ですよねぇ。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 20:29 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月18日

<同窓生>

 都議会選が実質的に始まりましたので各政党の動きが活発化してきています。選挙カーを見かけることも多くなりましたし、街頭演説をしている政党もあります。そんな中、僕に直接働きかけてくる人もいます。
 僕は基本的に不偏不党をポリシーにしていますのでどこかの政党を支持することはありません。ですが、一生懸命に政治活動に取り組んでいる人は応援したくなる気持ちがあります。そうした姿勢はどういうところで見るかといいますと、やはり日々の活動です。ポスターに書いてあることは信用できないのが普通です。いくらでも「格好いい文言」を並べることができます。文言は信用できませんので、実際の行動で判断するしか方法はありません。
 今から10年以上前のことですが、選挙に関係のない時期に駅前でほぼ毎日マイクを片手に演説をしていた若い政治家がいました。多くの人に訴えるには通勤時間が最適ですので朝7時前から駅前に立っていました。本当に感心するほど毎日続けていました。その方の前を通り過ぎるのは数十秒のことですので、正直なところ演説の内容はあまりわかりませんでした。ですから、主張していることはわかりませんでしたが、政治家として信頼に足る人であることは想像できました。
 そうした政治家に対して、選挙が始まるときだけ駅前で演説をする候補者がいます。僕が見たのは先の若い政治家を利用して演説をしていたズルい政治家です。おそらく政治家の世界でも縄張りというのがあり、街頭演説をする場所取りというのには「暗黙のルール」があるように思います。日ごろから演説をしている人がその場所の縄張りになるのではないでしょうか。たぶん、この「暗黙のルール」は政治に関わる人たちの間で了承されているはずです。
 そうなりますと、日ごろ駅前で街頭演説をしていない候補者は駅前で演説をする場所を確保できないことになります。しかし、それは日ごろから地道にコツコツと真面目に政治活動をしていないのですから自業自得というものです。
 僕が見たズルい政治家は毎日演説をしていた若い政治家の隣に立ち、若い政治家に続いて演説をしていました。つまり、例えて言いますと、花見をする際に会社の先輩が後輩に場所取りをさせてあとからゆっくりきて楽しむようなものです。自分だけ「楽して楽しもう」という発想です。このような発想の政治家が国民や住民全体のことを考えた政治をするはずがありません。

 先週の日曜日ですが、パソコンに向かって作業をしていたときのことです。インタフォンが鳴りましたので、僕は「宅配の人」と思い、大きな声で「はぁ〜い」と言いながら玄関に向かいました。しかし、玄関のガラスから外を見ますと、宅配の人ではなく僕と同じくらいの年齢の女性が二人立っていました。
 このような光景を見ますと、すぐに思いつくのは宗教の勧誘です。我が家の近辺には定期的にいろいろな宗教の勧誘が来ます。
 話は少し逸れますが、僕はお店を構えた商売を3回ほど経験しています。開業するということは廃業も3回経験していることになりますが、廃業するときに遭遇するのが、実は宗教の勧誘なのです。人間というのは、不遇のときは心が弱くなりますし、心に隙ができやすい精神状態になっています。新興宗教の人たちはそのような精神状態につけこんで心を奪い取ろうとするところがあります。僕は新興宗教のそのようなやり方に憤りを感じています。もし、本当に自分の宗教を信じ自信があるのなら、そのような正常な精神状態でないときを狙うのではなく、正常な判断ができる普通の精神状態のときに真正面から堂々と勧誘するのが正しい勧誘の方法だと思っています。
 それはともかく、勧誘の人らしき人の姿をみて、いつものように「丁寧に断る」つもりでいました。これも僕のポリシーなのですが、「断る」のにも礼儀があります。僕はいつもドアを開けて「すみませんが、結構です」と言葉をかけるようにしています。
 さて、ドアのノブを掴み右に回して3分の1くらい開けましたところ、意外な言葉が聞こえてきました。
「〇〇高校の△△期の卒業生です」
 「〇〇」は僕の卒業した高校名で、△△は僕が在籍していたときの年次です。つまり、この女性たち二人は僕の同窓生ということになります。僕は、思わずドアを全開し、
「おお、これは珍しい〜!」
 と、笑顔で迎えました。しかし、高校を卒業して40年以上過ぎていますので二人の顔に見覚えはありません。僕は続けました。
「何組の何さんですか?」
 二人はそれぞれ笑顔で答えたのですが、やはりそれでも思い出せません。また、僕は続けました。
「僕は何組だったのかぁ?」
 僕の質問に、右側に立っていた女性が鞄の中から名簿らしきものを取り出し、しばらく見てから
「maruyama君は、3年6組でしたね」
 自分では何組だったか記憶が定かではありませんでしたので、心の中で「へぇ〜」と思いながら質問を続けました。
 それにしても他人から「〜君」と呼ばれるのは久しぶりです。とても懐かしく新鮮に感じられ、うれしい気持ちになっていました。
「お二人はなんのクラブ活動だったのですか?」
 高校時代で僕が一番記憶に残っているのはやはりクラブ活動です。僕が入っていたバレーボール部は高校の中でも一番厳しいと評判だったこともあり、僕が最も充実感を感じていた時間だったからです。
 左側に立っていた女性が答えました。
「私は1年のときだけ吹奏楽部で、彼女は2年までバスケ部にいたんですよ」
 それでもピン!とこない僕はさらに尋ねました。
「じゃぁ、僕は何部だ!?」
 二人は顔を見合わせ数秒考えていましたが、わからないようでしたので自分で言いました。
「バレー部だったんですけど…」
 僕の答えに二人は
「ああ、そうだ、思い出した思い出したぁ」
 …なんて、想い出話をしながらいろいろと世間話をしました。僕は、いろいろな人のお話を聞くのが好きですので、高校を卒業したあとの進路や就職の話、またそれぞれの旦那さんとの出会いなど楽しい会話を楽しみました。
 やはり、「60年も生きていますと誰にでも浮き沈みにがあり、いろいろな経験をしているんだなぁ」というのが僕の感想です。
 ところで、お二人がなにをしに来たのかといいますと、選挙でした。ある政党の候補者のお願いに来たのですが、お二人は僕の家からはかなり遠くに住んでいる方です。それにも関わらず選挙活動をしているのですから、組織の強さがわかるというものです。読者の皆さんは、もうどこの政党かおわかりですね。そうです。後ろで大きな組織が支えているあの政党です。

 ですが、僕の率直な感想としては、このような選挙活動と言いますか、応援はマイナスにしか作用しないように思います。まず、高校の卒業名簿を活用することは今の時代の「個人情報の扱いを慎重に」という時代の流れに反することですし、そもそも40年以上も前の知り合い(?)にお願いされて一票を入れるとは思えません。組織の上層部の方々は今一度考えなおしたほうがよろしいように思います。

 ところで…。
 お二人とはいわゆる世間話というものを30分近くしたのですが、10分くらいを過ぎた頃に左側の女性が僕の顔をまじまじと見ながらゆっくりとした口調で言いました。
「ああ、段々思い出してきた…」
(その程度の思い出しかないのにやってきたのか)と残念な気持ちになったのですが、次の言葉でうれしい気分になりました。
「maruyama君って、人気者だったよね!」

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 20:53 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月11日

<小松成美さん>

 今から10年くらい前ですが、「世界でいちばん大切にしたい会社」という本が注目を集めました。坂本光司さんという大学の教授が執筆した本ですが、従業員を大切に扱っている会社を紹介している本です。その中で日本理化学工業という会社を取り上げているのですが、この本に取り上げられたことでこの会社も注目を集め、そこの社長も注目を集め、いろいろなマスコミに登場していました。中にはわざわざ再現ドラマまで作っている番組までありました。
 日本理化学工業が「世界でいちばん大切にしたい会社」に選ばれたのは知的障害者を雇用していたからでした。この会社は「チョークを作る会社」なのですが、その工場で知的障害者を雇用していました。しかも、清掃や後片付けなどといった補助的な業務ではなく、普通の従業員と同じようにチョークを製造する業務をしていることも注目を集めた理由です。
 実は、僕はこの再現ドラマも見ているのですが、通常では知的障害者にはできそうもない作業工程を経営者が工夫をして改善している様子に感動を覚えた記憶があります。
 ですが、僕はひねくれものですのでマスコミにあまりに頻繁に登場する人を疑いの目で見る傾向があります。なにしろ、世の中にはマスコミの取材のときだけ好人物を演じ、実際は欲にまみれていてマスコミが伝える人物像とはかけ離れた人がいるからです。このような人はどの業界にもいるのが特徴で、芸能人はもちろんとしてスポーツ選手や経営者の中にも、そのような雰囲気を漂わせている人がいます。
 ですから、あまりにマスコミ出演が多い人は疑う必要があります。なにしろマスコミに出演するだけでかなりの時間を要しますので、露出が多いということは裏を返せば本来の仕事をないがしろにしていることになるからです。
 ですが、日本理化学工業の社長は違っていました。インタビューに答えている雰囲気から「インチキさ」を感じることはなく、マスコミが伝えている人物像がそのまま実際の人柄を表している印象を受けました。しかし、実際に会ったこともありませんので、それ以上の関心を持つことはありませんでした。
 知的障害者に対してサポートを行っている経営者はほかにもいます。宅急便を開発したヤマド運輸の中興の祖と言われている小倉昌男氏もその一人です。細かなきっかけは忘れてしまいましたが、小倉氏は知的障害者の置かれている状況がとても悲惨であることに気をかけていました。そして、第一線を退いたあとに知的障害者の労働環境を改善する活動を始めました。
 小倉氏の本を読みますと、知的障害者が年齢を重ね働かなければいけない年齢になりますと障害者作業所というところで働くようになるそうです。小倉氏が納得できなかったのは、作業所での月給が1万円ということでした。小倉氏はこうした状況を改善しようと奮闘するのですが、その過程で誕生したのが「スワンベーカリー」というパン屋さんの事業です。このパン屋さんは「障がい者の働く『おいしい焼きたてパンの店』を目指している事業」で、現在も継続されています。
 簡単に「継続」と書きましたが、実は知的障害者と普通の健常者が一緒に働くのは傍目から見るほど簡単ではありません。理由は、健常者の側に複雑な気持ちが起こるからです。以前、スワンベーカリーの運営についてのドキュメンタリー番組を観たことがありますが、単に優しい気持ちや思いやりの気持ちだけではお店がうまく回らないのです。番組ではそうしたことまでの伝えていました。ですから、現在も続いていることに驚きとうれしさを感じています。
 因みに、小倉氏が福祉に関心を持ったのはほかにもきっかけがあったのですが、それはのちに出版された「小倉昌男 祈りと経営: ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの」(森 健)に書かれています。

 それはともかく、スワンベーカリー事業を紹介する番組でも報じていたように、日本理化学工業でも健常者と障害者の軋轢が起こっていました。人間という動物は扱いが難しい生き物のようで、短い期間ですと他人に対して優しさや思いやりを発揮することができます。しかし、一定の期間が過ぎますと優しさとか思いやりという感情は失せてしまい、不満やいら立ちを感じるようになってしまいます。
 そもそも何故、10年くらい前に注目された日本理化学工業という会社について僕が今回書いているかといいますと、先日本屋さんに行きましたところ、この会社を取り上げている本がランキングに入っていたからです。「虹色のチョーク」という本です。

 僕は、不思議でした。なんでこんな10年も前に注目を集めた会社について書いてある本がランキングに入るのか…、と。

 答えは、著者にありました。小松成美さんです。
 サッカーの中田英寿選手が第一線で活躍していた頃、「中田語録」という本がベストセラーになりました。中田選手はマスコミ嫌いで有名でしたが、その中田選手の言葉を集めた本ですので注目されるのも当然といえば当然です。ベストセラーになるべくしてなった本と言えます。この本が売れた最大の要因は、著者が中田選手から出版の了解を得られるほどの親密さと信頼関係があったことです。そして、この本の著者は小松成美さんでした。
 スポーツ選手の中にはマスコミと距離を置こうとする人が少なくありません。競技が好きで始めたにも関わらず、有名になるにしたがってプライベートも含めて競技以外の部分がクローズアップされることに反発する気持ちが起きるからだろうと想像します。先日、箱根マラソンで山の神と言われていた選手が27才という若さで現役を引退しましたが、僕はマスコミから注目されることと無縁ではないと想像しています。
 マスコミと距離を置く選手はマスコミからしますと扱いにくい選手ですが、そうであるだけにその選手のインタビュー記事などは価値が高くなります。そのような状況になりますと、今度はその価値を手に入れようとするマスコミ関係者という人が出てきます。インタビューをできるほど親しい関係になることが、マスコミ人としての価値を高めることになるからです。俗な言い方をするなら、「有名人と懇意にしてるから話を聞けるよ」という立ち位置です。
 実は、「中田語録」が出た当初、僕は小松成美さんについてそのような印象を持っていました。マスコミ嫌いな中田選手の「語録」を出版できるということは普段から出版狙いで親しくしていた可能性が高いと感じていたからです。
 ところが…。
 小松さんの著作歴を見ますとスポーツ選手が多いのですが、しかもどちらかと言いますとマスコミに露出するのがあまり得意でない人が多いのが特徴です。そんな中、名前は忘れてしまったのですが、わざわざ小松成美さんを指名して本の出版を許可している人がいました。それを知ってから、僕の小松成美さんに対する見方が変わったのでした。
 そのような経緯がある中で小松成美さんが「虹色のチョーク」という本を出版していましたので、とても気になったのでした。
 中を読みますと、僕の期待にたがわぬ内容でした。「世界でいちばん大切にしたい会社」の中では日本理化学工業に割いているページ数はそれほど多くはありませんが、「虹色のチョーク」は224頁です。表層的なことだけを書いていたのではページ数が余ってしまう量です。
 この本の中で僕が一番興味を持ったところは、「健常者の人たちが障害者に対して上から目線で接していることに違和感を持った社長」でした。そのあたりの微妙な対応の仕方について小松さんは丁寧に書いています。この本の核心はここにあるのではないでしょうか。
 現在、そしてこれから少子高齢化の社会になることはわかりきっていますが、そうしたときに突き当たる壁は健康な人と年老いた人の対立です。健康な人は短期間ならば年老いた人に優しくすることはできるでしょう。しかし、それが未来永劫続くとなると不安がもたげてくるはずです。不安だけならよいのですが、それは不満になり苛立ちになったとき虐待という最悪な状況が起こることも予想できます。
 そのような社会にしないためには日本理化学工業の社長が取り組んだように、健康な人たちが無理をする感覚ではなく自然に年老いた人たちに優しくできるシステムを作ることです。感情だけに訴えて期待するやり方では必ず破たんが訪れます。
 「虹色のチョーク」はそんなことを教えてくれています。

 じゃ、また。
 

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posted by satoaki at 20:19 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月04日

<スマホカバー探しの旅>

 スマホを買い替えた話は先月書きましたが、今回はそのカバーについてのお話です。新調しましたスマホはとても好調です。使い慣れるには少し時間がかかりましたが、買い替えてとてもよかったと喜んでいるところです。前回も書きましたが、1万円以下で以前よりも数段アップしたスペックのスマホを購入できたのですから、こんなにうれしいことはありません。
 以前のスマホは僕が買ったときは29,800円で、同じ機種を妻はそ4ヶ月後に9,800円で買っています。僕の29,800円は妻の価格に比べて高い気もしますが、当時はそれくらいが普通の価格でした。それに、あとから妻が9,800円で買っていますので結果的には2台を約4万円で買ったのですから1台2万円で買ったことになります。それで「よし!」とするしかありませんでした。それに比べますと、今回1万円以下で買えたことは格段に得をした気分でいられます。
 しかし、利用者が少ないスマホには短所があります。それは使い方に関して情報が少ないことです。価格が安いので仕方ない面もありますが、あまりに情報が少なく困る場面が幾度もありました。
 最近ではスマホなどを購入しても昔のように分厚いマニュアル書などはついていないのが普通です。ですが、メーカーがネットで提供していたり、使っている人が多い機種ですと使い方を説明したサイトなどがたくさんあります。ですので、使い方に関しては困ることはほぼありません。
 また、スマホケースなどアクセサリー関連もディスカウントストアでもいろいろな種類がたくさん売っていますし、ネット上でも販売されています。アクセサリーについても困ることはほとんどありません。
 iPhoneですと100円ショップなどでも売っていますのでお金をかけずにアクセサリーをそろえることができます。以前スマホ関連の記事を読んでいて驚いたのですが、若い女性の7割がiPhoneを使っているそうです。僕の中ではiPhoneは高いというイメージがありましたので若い女性のシェアが高いことにとても驚きました。
 それはともかく、僕のスマホはとにかく情報が少ないのです。マニュアルにしましても本体に同梱されていないのは当然としても、ネット上にもないのです。つまり、マニュアル書がないスマホということになります。これは使いづらいです。
 僕は試しにと思い、ヤマダ電機に行き店員の方に「マニュアル書」について尋ねましたが、店員の方も知らない状況でした。タブレットを持ってきて一緒に探してくれたりもしたのですが、結局マニュアル書は見つかりませんでした。しかし、店員の方は優しい方で「よろしかったら、私が今説明しますけど」とおっしゃってくれたのが、せめてもの救いです。
 マニュアル書がありませんので自分で試しながら使うことでなんとかなるのですが、「なんとかならない」ことがありました。それはスマホカバーです。スマホカバーもマニュアル書同様にシェアの高い機種はいろいろなところで販売されています。それこそiPhoneなどは100円ショップでもたくさんの種類のスマホカバーが売られています。
 しかし、売れていない機種は店頭で売っていることはありません。普通に考えれば当然ですが、売れる確率の少ない機種は回転の悪い在庫です。そのようなものを売り場に置くのは利益の損失につながります。
 しかし、ネットでの販売は店頭販売ほど在庫にシビアではないはずです。なにしろアマゾンの真骨頂はロングテール販売にありますので、利用者が少なくても販売しているはずです。ところが、どこを探しても僕のスマホカバーは売っていませんでした。
 そこで僕は思いました。ヤマダ電機のオリジナルなのだから「ヤマダ電機に行けば売っているはず」と。ところが、悲しいことに置いてありませんでした。店員の方にわざわざ訪ねたのですが、売っていませんでした。マニュアル書のときと同じように店員の方がタブレットを手に取り探してくれましたが、売っていませんでした。
 そこで僕はまた思いました。なければ自分で作ればいいじゃん!いつもの僕の「なんとなくできそうな気がする」が沸々と沸き上がってきたのです。早速、ネットで調べますと、ありました。
 皆さんはグルーガンという接着器具をご存知でしょうか。これはピストルのような形をしたものに後ろから溶剤を入れ、高熱で溶かしてそれで接着する器具です。
 ネットに出ていたのはその溶かした溶液でスマホカバーを作る方法でした。僕はグルーガンを持っていましたのであとは溶剤を購入するだけです。この溶剤は直径1センチ長さ10センチくらいのものが20本入りで100円ショップにあります。これでうまく作れますと、なんと100円でスマホカバーが完成したことになります。うれしい〜!
 作り方をざっくり説明しますと、スマホをビニールで囲い、溶かした溶剤でスマホの形をなぞりながらカバーの形にしていき、最後にビニールを外して完成というわけです。さて、溶剤を購入し作り始めようところで僕はふと思いました。
「こういう細かい手作業は僕よりも妻のほうがうまいに決まっている!」
 僕はこういうこともあるかと思い、溶剤を買いに行くときに妻に作り方などを細かく説明していました。もちろん、その段階では僕が自分で作るという前提でです。しかし、作り始める段階では「妻の方が向いている」と思い、考え直したのです。妻にお願いしてみますと、まんざら嫌がるふうでもありませんでした。実は、僕はお願いしてからお風呂に入ったですが、お風呂から出てきたときには「できていました」。妻手作りのスマホカバーが。。。
 このときのうれしさったら。。。
 正直に言いますと、素材は接着剤ですし、溶けた溶剤も出てくる形は1〜2ミリくらいの棒状のものですで平面にはなっていません。その棒状のものを並べてつなげて平たくします。ですので、できたものはどうしてもゴツゴツした肌触りになるのですが、とりあえずはスマホにピッタリはまったカバーの形になっています。それだけで僕には満足でした。うれし〜!
 ところが、、、人間というのは欲張りな生き物です。数日使っていますと、不満を感じるようになりました。それは肌触りがベタベタすることです。元々の素材が接着剤ですので溶けたならベタベタすることはあるかもしれませんが、人間の体温くらいで触っている程度では溶けることはありません。ですが、「元々は接着剤」という先入観がありますのでベタベタした感じがするようになったのでした。
 そこでまたまた僕は考えました。ピッタリでなくても同じくらいの大きさのスマホカバーを買ってきてそれのサイズを調節する方法です。この方法ですと、購入したスマホカバーが大きくても小さくても、溶剤を使うのは一部分だけですのでベタベタ感がなくなるはずです。溶剤だけで作ったときの欠点を解消することができます
 この方法で一番大切なことはできるだけサイズが近いスマホカバーを探すことです。そこでたくさんの種類のスマホカバーを売っているお店に行きました。先にも書きましたが、現在シェアが圧倒的に高いのはiPhoneです。ですから、iPhone専用の機種が売り場の多くを占めていました。ですから、android用のカバーは元々少ないのですが、その中から僕のeveryphoneにできるだけ近いサイズのカバーを探さなければいけません。
 僕は、それまでスマホカバーを売り場で探したことがあまりありませんので気がつかなかったのですが、スマホカバー売り場には試し用として箱から出してある見本品が展示されていました。
 そこで、僕は順にスマホを入れて試していたのですが、なかなか気に入ったものがありませんでした。それでも順繰りに試していますと、妻が「同じくらいの大きさのがあるよ」と声をかけてきました。その場所に行き試しに入れてみますと、なんと!ピッタリの大きさのスマホカバーだったのです。ボタンの位置やコードを差し込む位置以外を除くなら全くと言っていいほどピッタリのサイズでした。あまりにうれしかったので商品名を紹介します。「XperiaTMX」という製品でした。
 こうして僕のスマホカバー探しの旅は終わったのですが、僕の人生の旅は続きます。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 20:51 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月28日

<本当の悪者>

 先週、僕が最も関心を持ったのは文科省の前事務次官が政権に反旗を翻している姿でした。そして、それに対して執拗に攻撃をする政権の姿勢でした。この事件というか騒動は「誰が本当の悪者なのか」わかりにくい構図になっています。
 では、この事件の全体を俯瞰する感じで発端から説明したいと思います。その中で読者の皆さんが「本当の悪者」をそれぞれ決めていただきたいと思います。「決める」というよりは「感じる」のほうが適切かもしれません。それぞれの出来事が複雑に入り組んでいますので「決める」という表現は正しくないように思えるからです。なにしろこの事件には政権から野党から官僚からマスコミまですべてが関わっているのですから…。
 事件の発端は家計学園疑惑でした。この疑惑は森友学園疑惑と同様、国有地を格安で民間に譲渡したことです。そして、共通しているのがどちらも安倍首相の知り合いであることです。特に、家計学園の理事長は安倍首相自らが「腹心の友」と語っているほどですからかなり親しい間柄の方です。前回のコラムでも書きましたが、本来首相の地位にある人は「李下に冠を正さず」が適切な振る舞いですが、安倍首相はそのような配慮の必要性を感じていなかったようです。
 家計学園疑惑を追及していく中で出てきたのが文部科学省(以下:文科省)と家計学園との間で取り交わされていた獣医学部の新設についてのやり取りの文書です。報道によりますと、家計学園は獣医学部の新設を文科省に申請していたのですが、獣医の数が需要を上回っていることを理由に、文科省は1996年以降獣医学部の新設を認めてこなかったそうです。それにも関わらず家計学園に認可した背景には「安倍首相の意向が働いている」という圧力があったからです。ここでも森友学園のときと同様に「忖度」という言葉がマスコミを賑わせました。そして、「安倍首相の意向」を証明するような文書の存在の有無が注目されることになりました。
 こうした展開を受けて今度は、その文書の正当性について文科省の前事務次官と政権側のバトルが始まりました。そのバトルの一つとして前事務次官はその文書の存在を認める発言をし、菅官房長官はこの事務次官の人間性を貶めるかのような発言をし、また読売新聞はこの前事務次官の出会い系バーへの出入りを報じたり、そうした動きに対抗するかのように前事務次官は会見を行ったりマスコミのインタビューに登場したりしています。
 これが家計学園疑惑にまつわる一連の流れです。読売新聞は元事務次官の出会い系バーへの出入りを報じるくらいですから、間違いなく政権側の立ち位置です。この報道に対しては批判的な意見が多いようですが、記者が裏付けをとって報じてるのではなく政権側のリークに易々と乗って報じているからです。批判を覚悟で報道したのですから読売新聞の姿勢がわかろうというものです。
 それに対して、朝日新聞は政権側に批判的です。一国の総理が親しい人に便宜を図るような行動したのですから「安倍政権に非がある」という意見には頷けます。しかし、まだなにかしっくりこない違和感を感じます。のどになにかがひっかかっている感じです。
 第一の違和感は「なぜ、前事務次官が政権を追い詰めるような行動をしたか」です。正否は定かではありませんが、一部ではこの事務次官の意趣返しという指摘があります。そうではなく「国民に真実を伝えるため」という誠実な人柄が理由という元事務次官を擁護する意見を言う人もいます。ここらあたりは本人しかわかりませんが、政権に盾をついているのは間違いありません。しかもそのことによって現役の文科省の官僚たちの仕事がやりにくくもなっています。本来、官僚という役人は「省益あって国益なし」というくらい自分たち官僚の組織を守ることを一番に考える人種です。
 記憶にある人も多いでしょうが、小泉政権時代に田中首相の娘さんである田中真紀子氏が外務大臣になったとき、事務次官以下全員で真紀子氏を追い落としにかかったことがありました。当時の事務次官は「差し違える」とまで発言していたほどです。真紀子氏が自分のやり方で外務省を改革しようとしたことに反発したからです。
 民主党政権時も厚生労働省の大臣になった長妻昭氏に対して同様の対応をしたことがありました。このとき長妻氏は全くと言っていいほどなにもできませんでした。事務次官以下全員が大臣の指示を無視して行動するのですから当然です。
 このように通常官僚という人種は自分の所属してる省を守ることに命を懸けるものです。そして、その中でも抜きんでて「省を守る」気概のある人が事務次官に上り詰めるはずです。その事務次官にまで上り詰めた人が辞任したあとに政権に刃を向けるのですから違和感を感じるのは僕だけではないでしょう。
 先ほど「意趣返し」と紹介しましたが、これは文科省の天下り問題で「自分だけが責任を取らされた」ことに対する恨みです。確かに、ほかの省でも同じような天下りは行われていたのですから「怒り」を覚えるのもわからないではありません。しかし、その程度では反旗を翻すほどの動機にはならないように思います。
 先ほど「省益あって国益なし」という言葉を紹介しましたが、実は政治の世界では官僚と政治家の間には目に見えない戦いがずっと続いていました。そして、僕の正直な感想を言いますと、官僚が政治を動かしているのが事実のように思います。なにしろ政治家が大臣になりますと最初にやることは官僚からレクチャーを受けることです。これでは官僚に頭が上がるわけがありません。この最初のときの大臣と官僚のつばぜり合いが大臣としての能力を決めると言っても過言ではありません。いろいろな場面での各大臣の答弁を聞いていますと、官僚の言いなりになっている大臣かどうかを判断することができます。
 このようにかつては「官僚政治」という名前まであったくらいですから、官僚の力は決して侮れないものがあります。それを政治主導にしようと試みてきたのが小泉政権あたりからでした。しかし、小泉政権以降は首相が短期間で入れ替わっていましたので官僚政治に逆戻りしていたという印象でした。
 そうした状況を政治主導に変えようと試みていたのが、実は安倍政権なのです。そして、政治主導を確たるものにしたのが2014年に設置された内閣人事局です。内閣人事局とは国の省庁の幹部の人事をまとめて管理する組織です。それまでは各省の人事は省ごとに決められていて政権はそれを追認しているだけでした。ですから、官僚の人事権を政権が握ったのは大きな意義のあることでした。
 こうした背景を理解してうえで今回の文科省の元事務次官の反旗を翻した姿を見ていますと、違った印象を持ちます。
 官僚政治の弊害は縦割り行政と言われています。なにしろ「省益あって国益なし」ですから、省と省の横の連絡が密でなく無駄な税金が使われることにもつながります。それとともに指摘されるのが自分たちの縄張り意識の強さです。官僚の天下り問題の根もそこにありますが、自分たちの縄張りを死守したいがために国全体の視点から考えることができなくなっていることです。そこには非効率という悪い状況が生まれています。
 そうした弊害を解消するために設置されたのが内閣府でした。内閣府とは「各省庁にまたがる政策課題について、それらの隙間を満たす潤滑油として、あるいは柔軟に仕事をこなす」行政機関と解説されていますが、要は省益を優先する省に国益を優先させるように働きかける機関です。まさしく国家の運営において政治主導を果たすキーになる機関です。
 つまり、安倍首相の親しい人に便宜を図るということを除くなら内閣府が文科省に獣医学部の新設を働きかけることはあながち悪いことばかりではないということになります。 このような視点も踏まえたうえで家計学園疑惑を眺めますと、本当の悪者がわからなくなります。身内に利益を図る首相を咎める視点で見るなら前文科省の行動は正当化できますし、政治を官僚主導から政治主導に取り戻すという視点から見るなら菅官房長官の対応も理解できますし…。
 このように考えますと、本当の悪者が誰なのかわからなくなります。しかし、ただ一つわかったことは、いざとなったなら政治という権力は自分の都合のいいようにいくらでも情報を操作できるということですし、大手新聞と言えども書いてあることを無条件に信じてはいけないということです。
 そして、今回の事件は共謀罪がいくらでも権力の恣意のままに利用できるということを教えてくれました。共謀罪はおっかないぞ〜!

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 20:13 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする