2018年01月01日

新年あけましておめでとうございます。

平成30年 2018年
元旦
本年もよろしくお願いいたします。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 13:33 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月24日

<Ctrl+Z>

理由はわからないのですが、生まれて初めて「年末感を感じない師走」を過ごしています。これまでは12月を迎える頃には必ず「あ〜、今年も終わりの師走かぁ。早いなぁ〜」という気分になっていたのですが、今年は全くそのような感じがしていません。なんかいつの間にかズルズルといった感じでクリスマスの季節になってしまいました。

来週は大みそかですので今回が最後の「じゃ、また」になります。不思議なものでこのように書きますと「今年も一年が終わるんだなぁ」という気分にようやくなった気がしてきました。今年もなんとか無事に終えることができそうでホッとしています。

この年齢になりますとやはり健康が一番の不安の種ですが、僕は数年前に心臓の手術をしていますのでその不安が常につきまとっています。今でも定期的に通院しているのですが、薬はずっと服用し続けています。心臓のほかに喘息の持病もありますのでその薬も毎日続けています。

それにしても若い頃に、というか55才まで自分が病気になって病院通いをするなんて想像もしていませんでした。なにしろ健康で丈夫な身体だけが取り柄と思っていましたのでこんなに身体が弱くなったことに自分が一番驚いています。気持ちはまだ若いのですが、身体がついていかない状態です。人間って身体も大切なんだなぁって今頃になって気づいている次第です。

僕は変わり者ですのでなにかが壊れますと、最初に考えるのは「自分で直せるのではないか」ということです。自分の身体が壊れそうなときもそうでしたが、最後は専門家のところにいきましたが、最初は自力で直そうとしました。基本的に僕は文系の人間ですので込み入った理系や機械系のものには疎いのですが、それでも文系なりに「直せるのではないか」と思ってしまうところがあります。

これまでで「我ながら、すごいな」と思ったのは車のパワーウィンドウを自分で直したことです。僕の修理の基本は正常なものと比べて故障している箇所を突き止めることです。正常なものと違っているということはそこが故障の原因であるはずです。あとはそこを直せば修理は完成することになります。パワーウィンドウも作動しなくなったのが右側のドアでしたので左側のパワーウィンドウと比較しながら修理しました。動いたときのうれしさは今でも覚えています。

今年で印象に残っている修理はパソコンでした。これはコラムでも書きましたが、電源を入れても「ウンともスンとも」いわなくなったのです。さすがにこのときは困りました。パソコンの場合は正常なものと比べることができないからです。そこで、ネットで調べまくりました。最近はネットでの情報の正確性が問題になることが多いですが、ネットで情報を集めるときは「正確性を想像すること」と「新鮮度を確認すること」が重要です。

ただでさえネットの情報は玉石混交ですが、最近はそれに輪をかけて「石」が絶妙に入り込んでいます。ですから、それを見抜く見識が必要ですが、勘も重要になってきます。パソコンが動かなくなった症状を調べたとき、結局「これだ!」という対処法を見つけるまでに十数時間かかっています。原因を解説しているサイトに出会っても内容がわかりにくかったり、対処法が納得できなかったり、情報が古かったりしていたからです。ですから、「これだ!」と思う情報に出会ったときは感激ものでした。

つい最近ではデジカメを修理しました。これもネットで調べたのですが、古いデジカメでしたので逆に情報が少なく対処法を見つけるのに時間がかかりませんでした。デジカメの修理で知りたかった第一は分解の方法だったのですが、Youtubeで動画がありましたのでわかりやすく助かりました。やはり文章よりはビジュアルのほうが理解しやすいというメリットがあります。今の時代は本当に便利な世の中です。

このように製品を修理するのは時間がかかるとはしても危険な目に遭うことはありません。とりあえず挑戦してみてダメだったら買い替えたりあきらめたりすればよいだけだからです。しかし、自分の身体もしくは健康となりますと話は違ってきます。

今月に入ってから鼻詰まりが起きており、なんとか自力で直そうと奮闘していました。以前に書いたことがありますが、僕は鼻にポリープができやすい体質です。ですので今回もポリープのせいだと思うのですが、自力でいろいろと試みてみましたが、なかなか鼻詰まりが解消されないでいました。

僕は「まとめnaver」で「鼻づまり解消法」を作成していますが、鼻づまり状態になったときに多くの人が勘違いをするのは鼻水で鼻が詰まっていると考えることです。僕も最初はそのように思ってしまい、「鼻水を吸う」機械を1万5千円も費やして買ってしまいました。しかし、鼻詰まりの原因は鼻水ではなく鼻の粘膜が腫れて鼻の穴がふさがっていることです。穴がふさがっているのですから鼻を噛んでも鼻水が出てこられないのです。正しい原因を見つけることは治療の基本です。

当初は市販薬で対処していましたが、最終的にはいつも通院している耳鼻科に行くことにしました。やはり市販薬と処方箋では効果が全く違います。さすがはお医者さんということになりますが、処方箋を飲んでから鼻呼吸が楽になり気持ちよく年末を迎えることができています。因みに、「鼻水を吸う」機械はあれ以来一度も使っていません。なんともったいない無駄な出費だったことか、、、。

昨日、直したのはパソコンのシャットダウンです。数日前からシャットダウンをしますと「一つのアプリがシャットダウンを妨げています」と表示され、毎回強制シャットダウンをしなければ終了できない状態になっていました。ネットで原因を探したところスタートアップに妨げの原因があることがわかり、そこを修正して元に戻すことができました。

どんなこともなにかしら問題が起きた時はできるだけ早く元に戻すことが大切です。遅くなればなるほど対処法が複雑になる可能性があるからです。トランプ大統領はエルサレムをイスラエルの首都と宣言してしまい世界を混乱に陥れています。米国は早く政府を世界を平和に導く元の姿に戻さないと取り返しのつかない事態に突入しそうで心配です。

昔は日本が「民度が低い」などと批判されることがありましたが、米国の大統領を見ていますと米国の民度も日本とさほど変わらないように思います。来年は米国が元に戻ることを願って今年を終えたいと思います。

ところで、今週の題名の「Ctrl+Z」の意味がわかったでしょうか。「元に戻す」のショートカットでした。

じゃ、また。
来年もよろチクビ〜! 気持ちは若いんだけど、、、。

今年一年ありがとうございました。


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posted by satoaki at 14:57 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月17日

<今週は、ドキュメント番組の見方>

早いもので今年も残り2週間となりました。毎年のことながら「あっという間」です。ですが、僕の中では11月から今日までの期間が昔とは違うような気がしています。それは年末を迎える心の準備を急かせるメッセージが遅くなっているという印象です。

ちょっとわかりにくいかもしれませんので具体的なことを書きますと、クリスマスが来ることを知らせるメッセージがその一つです。昔は11月に入ったらすぐにクリスマスソングが繁華街で流れていましたし、煌びやかな電球が散りばめられたクリスマスツリーが至るところで飾られていたように思います。僕はいつも「ちょっと、いくらなんでも早いんじゃね」と思っていました。しかし、一応小売業の基本は旬の時期が来るまでに消費者にイメージを喚起させることですので「仕方のない面も」と理解はしていましたが、心の中ではやはり「ちょっと、早いんじゃね」と思っていました。

先に書きましたように小売り業界はイベントを早めにやって消費者のイメージを喚起するのが基本ですが、そうした慣習がどんどん早まりすぎてしまいますと弊害が起きることになります。近年の百貨店業界はまさにその真っただ中にいました。セールを「前倒し前倒し」で行うようになっていました。それを解消しようと奮闘していたのが三越伊勢丹の大西社長でした。しかし、その大西社長は反対勢力によって解任されてしまいました。

現在、相撲協会内での対立がマスコミで連日報道されていますが、どんな組織でも争いが起きるものです。こればかりは人間が集まるところには必ず生じるものですので仕方ない面がありますが、それでもやはり外から見ていると感じのよいものではありません。

対立が起きますと、どちらかが悪でどちらかが善という構図がどうしても頭の中に浮かびますが、現実はそれほど単純ではないかもしれません。ノーベル賞を受賞したボブ・ディランさんは「正義の反対は悪ではなく、別の正義」と喝破していますが、ここに紛争を解決する難しさがあります。

そして、さらに難しいのは決着点を見るにはどちらかの正義を選択する必要があることです。三越伊勢丹においては大西社長の正義と反対派の正義があったはずですし、相撲協会においても同様です。貴乃花親方が正義なのか相撲協会が正義なのか外から見ているだけではわかりません。

僕はこのような対立を見ますと「戦争広告代理店」という本を思い出します。この本については幾度かこのコラムでも紹介したことがありますが、「アメリカのPR企業がボスニア紛争においてセルビアを悪にしたてあげ、いかに ボスニアに有利な国際世論を作っていったかを描いた作品」です。対立において勝利を勝ち取るにはいかにして自分の主張を認めてもらうかが重要になってきます。この本を読みますと、最終的に重要なことは「事実ではなく、イメージをどれだけ社会に訴え、世論を味方につけること」というのがわかります。

究極的に考えてみますと、これはあらゆる場面で当てはまります。本来、裁判という制度は悪人を裁く場ですが、これも検察と弁護人の戦いにおいていかにして自分の主張を訴えられるかにかかっています。冤罪が起きるのも「事実ではなく、イメージの重要性が大きな要因」となっているからです。

古い話になりますが、戦後の日本の犯罪史で最も注目を集めた事件の一つに永山事件があります。これは1968年に「当時19歳の少年だった永山則夫が起こした拳銃による連続殺人事件」です。この事件が注目を集めたのは犯人の生い立ちがあまりに悲惨だったからです。

ちょっと長いですが、最高裁での判決をウィキペディアより引用します。
「「永山が極貧の家庭で出生・成育し、両親から育児を放棄され、両親の愛情を受けられず、自尊感情を形成できず、人生の希望を持てず、学校教育を受けず、識字能力を獲得できていなかったなどの、家庭環境の劣悪性は確かに同情・考慮に値するが、同じ条件下で育った他の兄たちは概ね普通の市民生活を送っており、また上京から3年以上社会生活を送った後に保護観察措置を自ら拒否して逃避した末に連続殺人の犯行を犯していることから、生育環境の劣悪性は4人連続殺人を犯した決定的な原因とは認定できない」

結局、永山則夫は死刑になっています。

先週、印象に残るドキュメント番組がありました。タイトルは「ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて…」というものですが、2002年に発覚した北九州連続監禁殺人事件である夫婦の下に生まれた男性を取材したものです。劣悪な環境で育った少年が成長してく過程の心の軌跡がインタビュー形式で語られているのですが、この青年が淡々とインタビューに答えている姿が印象的でした。

先週のコラム題名を覚えているでしょうか。「テレビの見方」だったのですが、僕はテレビに対して懐疑的です。いったいどこまで事実を伝えているか、です。広告代理店は依頼主の立場で事実を伝えます。しかし、ドキュメント番組は依頼者がいません。だからこそ注意が必要です。

ドキュメント番組でありがちなのが、最初にストーリーを作り、それに沿った番組内容にすることです。これには作り手の思いが理由のこともありますし、費用の面でということもあります。先日のニューストピックスに「情熱大陸」という番組のプロデューサーを取材する記事がありましたが、この番組もドキュメント番組の老舗です。

テレビ局の一番の問題点は制作を下請けに投げていることです。この「情熱大陸」もそのようですが、下請けが制作したものをただ選別するだけでは番組を作る心意気というものがどうしても欠如しているように感じてしまいます。究極的にはテレビのドキュメント番組の問題点はそこにあるように思います。

ドキュメント番組を見るときはテレビカメラがどのようなタイミングでどのような角度から撮っているかを想像することが大切です。大家族の生活ぶりを取材する番組がありますが、あれなどはカメラが撮影されているときにいつも問題が起きています。このような番組を信頼するわけにはいきません。

番組を作るうえで「必要である」とか「効果がある」という理由で映像を撮っているならそのドキュメント番組はすでにドキュメントではありません。それを見破る目安になるのがカメラのタイミングと角度です。

フェイクニュースが注目されていますが、恣意的なドキュメント番組も立派なフェイクです。そのことを制作者の方々は肝に銘じて番組を作ってほしいと思っています。

それにしても、太川陽介さんのマスコミ対応は素晴らしかった!
奥さんである藤吉久美子の記者会見はドキュメントだったけど、松居一代さんの記者会見は無理矢理感満杯だったな。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:15 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月10日

<テレビの見方>

僕はたまにテレビ東京の「ガイアの夜明け」を見るのですが、先週はジーンズメイトを取り上げていました。ジーンズメイトは名前のとおりジーンズを中心にしてカジュアル系の洋服を販売している会社ですが、ここ8〜9年赤字が続いており昨年トレーニングジムで有名なライザップに買収されていました。そのジーンズメイトを再建するようすを取材していました。

ジーンズメイトについて書く前にこの「ガイアの夜明け」という番組について少し書きたいと思います。最近、テレビ東京が注目されることが多いのですが、番組作りがほかの局とは違っていることが興味深く思われているようです。例えば「Youは何しに日本へ?」とか「家、ついて行ってイイですか?」などはほかでは観ることがない番組です。番組は知らなくとも番組名だけは聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。

テレビ東京の特長は低予算で番組を作っていることですが、というよりは低予算で「作らざるを得ない状況にある」ことですが、それが逆にほかのキー局とは違った発想を生んでいるのかもしれません。ある経済誌の取材にテレビ東京のプロビューサーが「キー局との大きな差を実感している」と告白している記事を読みましたが、一般人が思うより以上にキー局との差は大きいようです。

低予算が宿命のテレビ東京ですので自ずと一般人を取材する番組が多くなるようです。先の「Youは何しに日本へ?」や「家、ついて行ってイイですか?」も一般人が番組に登場するだけですから低予算でも可能な番組です。その延長線上に「ガイアの夜明け」もあるように思います。この番組もビジネス関連の人物や仕事を取り上げて伝えるのですから低予算で済みそうな番組です。

最近の放送で僕が印象に残っている内容は大手引越し会社で働いている従業員が会社から理不尽な待遇に遭っているようすを伝える放送でした。会社と従業員の対立といいますか、戦いを取材しているのですが、番組は従業員側の視点から番組を制作していました。

番組の中で特に注目を集めたのは副社長が取材陣に対してまるでチンピラヤクザのような激しい口調で詰め寄る映像です。態度や目つきや振る舞いはまさにヤクザと見間違うほどの迫力がありました。あの映像だけでこの会社がブラック企業であることが伝わってきます。

おそらく民間のキー局ではこのような番組を作ることは不可能でしょう。理由は言わずもがなですが、企業は広告のスポンサーでもあるからです。報道番組は常にそういた問題を抱えていますが、民間である以上仕方のない面があります。

ネットなどでは引越し業者のブラックぶりを批判する記事が溢れていますが、そんな中ある経済誌が引越し会社にインタビューを行っていました。取材相手は番組内で取材陣に対してチンピラヤクザのような口調で怒鳴り詰め寄っていた副社長でした。記者はチンピラヤクザふうの怒鳴り口調についても質問しています。

すると、「あれはカメラを持っている人が私の足を踏んだから怒っているのです」と答えています。あの映像は「テレビカメラ用に仕組まれたもので、それに引っかかってしまった」のが実状のようです。それを聞いてからあの映像を観ますと確かにそのように見えなくもありません。もし、そのような取材方法をとっているならあこの番組の全体の構造が変わってくることになります。

大手引越し業者の番組を放映した日は、安売りをウリにしている大手小売業の会社のブラック企業ぶりも伝えていました。上場一部の立派な大企業でありながら、サービス残業をを常態化させているようでした。番組では、労働監督署に密着するという内容で早朝から出勤してくる社員を車の中から隠し撮りしている映像でした。

このときは社長がインタビューに応じ、反省の弁を述べ今後改善する旨を話していましたので引越し業者ほどの悪いイメージは伝えなかったように思います。

この2つの会社はブラック企業であることは間違いのないところですが、僕が気になるのは両社とも現在も営業を続けていることです。本当に極悪企業でブラックであるならあれだけのイメージダウンを与える番組が放映されていたのですから倒産していてもおかしくないはずです。そこが気になります。

さて本題に入りますと、先週のガイアの夜明けはジーンズメイトという企業を再建するようすに密着取材する内容でした。密着した番組の主人公は岡田 章二氏という方ですが、昨年までユニクロを展開している株式会社ファーストリテイリングに在籍していた方のようです。番組では岡田氏がいろいろな指示を店長や従業員にテキパキと出していたのですが、驚いたのはジーンズメイトの社長にまで指示を出していたことです。肩書は最高顧問ということでしたが、番組を見ている限り権限は社長よりも上のようでした。

そこで気になりますのは社長ではなく社長をサポートする最高顧問という肩書です。僕は常々思っているのですが、コンサルタントとか再建請負人などという立場の人たちの評価についてです。このような人たちのズルいところは短期間だけしか関わらないことです。経営という仕事は短期間では評価できる種類のものではありません。短期間でよいなら、ある程度経営センスに長けている人なら誰でもできます。経営で最も重要なことは好業績を「継続させる」ことです。それなくして経営もなにもあったものではありません。

ガイアの夜明けのような番組においても同じ問題があり、番組内で成功した事例を伝えていてもあくまでそれは取材している期間だけのことです。繰り返しますが、経営で重要なことは「継続する」ことです。それを取材というほんのわずかな期間だけで成功したと評価するのには違和感があります。

番組内ではジーンズメイトの社長が岡田氏の部屋に入ってくる映像がありましたが、あの映像は社長が最高顧問である岡田氏に呼びつけられている印象をあたえます。意図的なものかどうかわかりかねますが、あまり感じのよいものではありません。本来、社長とは企業の業績を左右する重要なポストで、すべての決定権があるべき要職です。その社長が外部からきた人間に呼びつけられているのでは社員のモチベーションが上がるわけがありません。

番組ではあの場面以外に社長は出てきませんでしたが、あのような状況では組織がスムーズに回るとは思えません。会社という組織が活動するとき、最も大切なことはそこで動いている人たちの意志であり、意思の疎通です。外部から来た人間が最高顧問という肩書をつけているとはいえ、偉そうにふるまっている会社が健全とは思えません。岡田氏が本当に再建をしたいなら社長という立場になることが必要です。

若い人には古い話になってしまいますが、「iモード事件」という初期の携帯電話を開発するようすを書いている本があります。これを書いたのは松永真理さんという元リクルートの編集長ですが、松永さんはリクルートからNTTドコモという全く畑違いの仕事場に転職しています。松永さんがそこで奮闘する姿は、外部からの人間が入っていって仕事をすることの難しさを教えてくれています。

ジーンズメイトを紹介したあの番組もたった30分だけの短期間で実態を伝えることは不可能です。テレビ番組というのはそのような部分があるということを前提に見ることが必要です。

先ほど書きました松永氏は元リクルートの社員ですが、今から20年くらい前の頃、仕事人として注目される人には「元リクルート」と「元IBM」の人が多いと言われた時期がありました。番組に登場した岡田氏は元ユニクロですが、今の時代は「元ユニクロ」という人が多いような気がします。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:41 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月03日

<上っ面の優しさ>

熊本市の議会で女性議員が赤ちゃんを一緒に連れて議場に入った騒動がありました。賛否両論があったと報じられましたが、その割合は圧倒的に反対が多かったようです。しかし、どちらかと言いますとマスコミ論調はこの市議を擁護する視点が多かったようで、そのマスコミの姿勢に対しても批判があったそうです。

マスコミの姿勢については、普段からマスコミは「弱者の見方」の立ち場を取ることが多く、こうした姿勢からマスコミは全体的にリベラルの傾向があると指摘されています。僕からしますとリベラルというよりも「美談にしたがる傾向」と思いますが、無理矢理にでも「弱者が必死に頑張っている姿を撮ろう」としている節が見えます。理由は、もちろん感動的な映像が欲しいからです。

昔でしたら情報はマスコミだけの特権でした。しかし、今は誰でもが情報を発信できます。ですから、マスコミの報道の仕方さえも批判の対象になっています。僕はこれはとてもよいことだと考えています。今回の騒動ももしSNSやネットが発達していなかったなら「出産した女性議員がいじわるされている」という表面的な報道で終わっていた可能性があります。SNSやネットの発達は情報の中立性に貢献しているように思います。

さて、女性議員の行動についてですが、「女性が働きやすく、女性に優しい議会にする」という視点だけで捉えるなら女性議員を擁護するマスコミの姿勢は好意的に見られたはずです。しかし、現実は「女性議員の行動を批判する」意見が多くを占めていました。

一見冷たいようですが、その理由には納得できるものがありました。年配の女性が賛成できない理由をインタビューで答えていました。
「赤ちゃんを育てるのはプライベートなことだから、それを仕事に持ち込むのは違うと思う」という内容でした。僕もこの意見に賛成です。

それでも女性議員を擁護する立場の人からしますと「女性が社会で活躍できるような環境を作ること」を訴える意味で意義があると主張します。しかし、この主張に対する批判派からの反論も理に適っているように思えます。

女性議員が議会に赤ちゃんを連れて行くことをほかの職業にあてはめてみればわかりやすくなります。例えばデパートの販売員が赤ちゃんを連れていたらお客様はそのデパートで購入しなくなるはずです。コンビニの店員でも同様です。精算をしているときに背中におぶっている赤ちゃんがぐずいていたなら、二度とそのコンビニを利用しなくなるでしょう。そのようなコンビニはすぐに廃業に追い込まれるはずです。競争が激しいコンビニでは赤ちゃんを連れての業務は不可能です。

では、「赤ちゃんを待機させる場所を議会内に設ければよい」という考えもありますが、これには赤ちゃんの面倒を見る人の準備も必要になります。しかし、普通の民間であったならこれだけ経費をかけることは容易ではありません。下手をするとその経費で赤字に転落することもあるかもしれません。議会において女性議員が活躍しやすい環境を作るのは公務員への報酬を増やすことを意味します。公務員の活動費はすべて税金で賄われていることを忘れてはいけません。実は、このことがこの問題の核心です。

今回の騒動も民間であったならこれほど注目を集めなかったはずです。民間企業に勤めている女性が赤ちゃんを連れて仕事場に来たなら職場の人は全員拒否するでしょう。それで終わりです。マスコミのネタにもなりません。そもそも、今の日本の現状では仕事に応募する時点で赤ちゃんを連れていかないことが前提になっています。もし、議員にだけ認めてしまうなら、それは「議員が優遇されること」を意味します。つまり、議員の特権を「増やしてほしい」というのと同じです。

僕は女性議員の気持ちも考えもわからないではありません。この議員が強硬手段に及んだのは世の中の常識や慣習を変えたいと思ったからのようです。これだけマスコミで報じられましたからその目的は果たしたことになりますが、正々堂々と自分の主義主張を訴えるという意味においては問題があると思います。

女性議員は当選してからこのような行動に出るのではなく、立候補をする段階から「議員になったときの自分の行動や振る舞いを公表しておくべき」でした。当選してからこのような行動をとることはマイナスのイメージを強くしただけで、長い目で見ますと女性の議会進出を遅らせただけの結果になったように思います。ですから、女性が働きやすい環境を作ることが目的であったなら立候補するときに「議員になってから議場に赤ちゃんを連れていく」と堂々と主張するのが正しいやり方です。ですが、そのように主張して立候補したなら当選する確率は格段に低くなると思われますが…。


僕はこれまでに心に響いた格言が2つあります。一つは

「人は遠くにいるほど、正論を叫ぶ」で

あと一つは

「人は責任を負わなくてよいときほど、優しくなれる」

です。今の欧米を見ていますとまさしくこの格言のとおりになっています。「難民を助ける」という行為は人道的な側面から見て素晴らしいことですが、そのことによって自分たちに不利益が及んでくることには不安を覚える人が多くいるようです。その証拠がヨーロッパ諸国で「難民排除を主張する政党」が伸張していることです。米国のトランプ大統領が「アメリカファースト」と訴えて当選したのも同様の意味があります。

これは日本においても同様です。熊本市議会でこの騒動が報じられて、ある著名人がツイッターで「自分の仕事場には赤ちゃん同伴でも構いせんのでどうぞ」と書き込んだことが伝えられていました。このツイッターに賛同する人が多かったように報じられていますが、赤ちゃん同伴によって自分に不利益が及んだときに本当に同じ態度をとってくれるのか疑問です。

僕は東日本大震災が起きたあとに果物販売を行っていました。そのときに梨を扱っていましたが、その中に福島産の梨がありました。実は、市場でも福島産の梨はあまり売れなかったようですが、僕は福島を応援する気持ちがあり積極的に扱っていました。しかし、ほとんどのお客さんは福島産と聞いただけで買うのをやめていました。そのときにすでに政府が「福島産の梨」の安全宣言を出しているにも関わらず、不安だからという理由で買わないお客様が圧倒的に多かったのです。

結局、口先では被災地応援と言いながら実際の行動は正反対の対応をしていたのです。たまに僕と同じ考えで「福島産だから応援する」という理由で購入してくれるお客様もいましたが、全体からしますとほんのわずかな割合でした。購入してくれるお客様と「所詮、みんなは口先だけの優しさだよねぇ」と愚痴を言い合っていたのを思い出します。

上っ面の優しさほど、空々しいことはありませn。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 13:57 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月26日

<正しい使い方>

僕は異常に寒がりです。夏にはこのコラムで「妻との部屋の温度バトル」について書きましたが、同じことが冬でも起こります。しかし、冬の場合は夏に比べますとバトル度が高くはありません。僕が厚着をすれば済むことだからです。ですが、僕が厚着をしているときに妻が薄着の状態で暖房をつけるとバトルが始まります。僕が妻に「薄着を注意する」と、妻は「注意されたこと」が気にくわないようでふて腐るからです。夫婦生活は本当に大変です。


異常に寒がりの僕は冬は重ね着をします。普通の人では信じられないくらい重ね着をします。これから寒さの本番を迎えますが、最高に寒いときは合計8〜9枚くらい着ます。これだけ着ますとさすがに動きにくくなります。ですが、「寒さ」と「動きにくさ」のどちらかを選ばなくてはならない状況になるなら、僕は迷わず「動きにくさ」を選びます。とにかく僕は寒さが苦手です。


実は、今の時期ですでに6枚くらいの重ね着をしています。「まだ、ちょっと早くない?」と思う人もいるかもしれませんが、僕はそれくらい着ないと耐えられないのです。僕は毎日妻とスーパーに買い物に行きますが、そのスーパーで僕はいつも驚かされることがあります。


スーパーの食品売り場というところは食品を扱っていますので冷蔵関連の機器がたくさん設置してあり、どうしても売り場全体の温度が低くなります。ですので当然のごとく僕は重ね着をしなければ生きていけません。僕が驚かされるのは、それほど寒い環境であるにも関わらず、薄手のアウターに中は普通のシャツ1枚という格好の人がいることです。昔から「子供は風の子」と言いますから、子どもが薄着でいるのはそれほど驚きません。しかし、薄手のアウターに普通のシャツを着ているのは立派な大人です。ごくごく平凡に見える大人が薄着をして食品売り場を歩いています。僕はそういう人が不思議でなりません。


僕が重ね着をするのは寒いからです。重ね着をしますと外気の冷たい空気が肌まで到達するのは困難になるはずです。着ているものを順番に紹介しますと、半そでの肌着、ヒートテック、Tシャツ、厚手のトックリシャツ、ダンガリーシャツ、トレーナー、フリース、ダウンジャケットといった感じです。これだけ着ていましたら、あの冷たい外気の野郎も僕に冷たさを感じさせることが不可能なはずです。ですが、悔しいことに僕はこれでも寒さを感じてしまうのです。ううぅ。


このようにずっと困っていた僕は、今年は新しいことに挑戦することにしました。それはインナーダウンというものを着ることです。これまで僕はダウンは一番外側に着るものと思っていましたので、インナーダウンという発想は新鮮でした。それにユニクロのCMなどを見ていますと、とても暖かくなるような感じがしましたので試してみる気になりました。問題は価格です。洋服ごときに6千円も使うのは納得できません。


以前、ネットでダウンの品質について調べたことがありました。ダウンの暖かさを決めるのはフィルパワーというものらしいです。簡単に説明しますと、ダウンは膨らむことで暖かさを出すそうなのですが、それを表す単位がフィルパワーというもので一般には700以上あれば高品質になるそうでした。


ある日、いつものスーパーの衣料品売り場に行きますと、なんとフィルパワーが800と表示されているダウンが2,980円で特売されていました。正規の値段が5,980円のものが特売セールになっていました。僕は買わずにはいられませんでした。


早速次の日着たのですが、なんか今一つでした。悩んだのは着方です。インナーとついているのですから一番外側に着るのは「正解ではない」ように思っていました。テレビのCMではシャツの上に羽織ってさらにそのうえにアウターを着ている姿もありましたし、「着方は自由」ということで一番外側に着ている映像もありました。ですが、僕としてはインナーとして購入しましたので一番外側に着るのは抵抗する気持ちがありました。ですから、僕は一番外側から二番目の位置で着ることにしました。


具体的に説明しますと、肌着、ヒートテック、Tシャツ、厚手のトックリシャツ、ポロシャツ、トレーナー、インナーダウン、そして最後にあと1枚ダウンジャケットという出で立ちです。最後のダウンジャケットの代わりに厚手のフリースを着たりもしていました。ですが、これでもあまり暖かさを実感することはできませんでした。もちろん「全く暖かくない」というわけではありません。ですが、ものすごい暖かさを求めてインナーダウンを購入したのに、その期待に応えるほどの暖かさではないのです。正直に言いますと、インナーダウンを着る前とさほど変わり映えがしないものでした。


妻にそんなことを話しますと、妻が「ちょっと、着すぎなんじゃない」とのたまうのです。「着すぎ?」。そういえば、以前から妻は「ダウンは体温を感じて暖かくなるんだからダウンの下に洋服を着るとダウンの効果が半減する」と話していたことを思い出しました。


そんなときに先週のことですが、ダイヤモンドオンラインで「ダウンの下にたくさん服を着込むのが残念な理由」http://diamond.jp/articles/-/150385という記事を目にしました。この記事はダウンに対する僕の考えを改めてくれる最良のものでした。本当に「目から鱗」とはこのことです。


詳しいことはこの記事を読んでいただくとして、結論を書きますと「ダウンの下には肌着だけのほうがよい」ということです。僕がせっかくダウンを着ていても暖かさを感じることができなかったのは、まさに「着すぎ」にありました。「着すぎて」いたためにダウンの価値を半減させていたことになります。ダウンは体温を感じることで膨らみ空気の層を作ることで暖かさを実現していたのです。僕の着方ではダウンは体温を感じることができず膨らむというダウンの本来最も発揮すべき効果を妨げていたのでした。


この記事を読んだ翌日から僕はインナーダウンをヒートテックの次に着ることにしました。つまり、肌着、ヒートテック、インナーダウン、そして、一番外側上には空気を通さない品質のアウターを着ることにしました。これは今までの僕では考えられないことです。肌着も含めてわずか4枚で済んでいるのですから。問題は暖かさですが、全く問題はありません。「問題がない」どころかたくさん重ね着をしていたときよりも暖かさを感じています。一番驚いたのは、本当にダウンが「膨らんでいる」ことでした。あんなに膨らむとは予想だにしないことでした。


僕の記憶ではダウンジャケットが流行ったのは僕が大学生のときだったように思います。僕の大学時代はスキーがブームでしたから、その関連でダウンが街着として定着したように思います。それから約40年経っているわけですが、その間ずっと僕はダウンの着方を間違っていたことになります。どんなものでも正しい使い方をしないとせっかくの効果が得られないことを知った出来事でした。


そういやぁ、日本の憲法も使い方が大切だよなぁ。


じゃ、また。


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posted by satoaki at 14:41 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月19日

<コンビニ業界2>

先週予告しましたとおり、今週も「コンビニ業界」の続きですが、その前に少し違ったお話からしたいと思います。以前書きましたように、10月より私はサイトの引越しをしています。それに伴い少し手直しなどもしているのですが、その際にこのコラムをスマホで見る機会がありました。実は、これまでPCで確認することはありましたが、スマホで見ることはあまりありませんでした。ですのでスマホで自分のコラムを見たのは久しぶりなのですが、その感想は「文字が多すぎて、読みづらい」ということでした。
私のコラムは毎週文字数にして3500文字〜4000文字の間に収まるように書いています。おそらくほかのブログなどに比べて文字数が多いほうだと思いますが、読者にしますと大変です。実際の文字数が多いことも「読みづらい」原因ですが、それ以外に画面が文字で埋まっている印象があります。文字を読み慣れていない人にとってみますと、画面が文字だらけなのは抵抗感があります。しかし、それにも関わらず毎週読んでくださっている方がいらっしゃるのですが、本当に頭が下がる思いです。
そこで、少しでも抵抗感を少なくするために今週より段落ごとに一行開けることにしました。どのような感じになるのかわかりませんが、今後ともよろしくお願いいたします。

こんな感じですが、いかがでしょうか。さて、本題に入ります。

今のコンビニ業界は間違いなく経営スタイルの転換期です。先週書きましたように、大手3社の経営者がすべて一新されていることがそれを物語っています。ですが、これまでのセブンの鈴木氏、ローソンの新浪氏、ファミマの上田氏、各氏の会社への貢献度は大きなものがありました。先週はセブンの売上げがほかの2社よりも10万円も高いことを書きましたが、売上を除きますと、大手3社に対する消費者のイメージはあまり変わらないように思います。もちろん好印象という意味ですが、その意味で言いますと3人の方々の経営能力の素晴らしさは誰もが認めるところです。

それを認めつつも僕はコンビニ業界に対して不満があります。それは経営者が変わろうが、そして誰がなんと言おうがコンビニ業界が直営店方式でチェーン展開をしていないことです。先週の終りに書きましたが、コンビニ業界がフランチャイズシステムという経営方式でチェーン展開をしていることは大きな問題です。そのことにつきましては「まとめnaver」で「フランチャイズチェーンの表と裏」としてまとめていますが、コンビニ業界が成り立っている、もしくは成長できているのは直営店方式ではないからです。直営店方式で展開していたなら現在ほどの成長はしていなかったはずです。これに反論できる本部の社長はいないでしょう。

しかも、本部と加盟店の関係性が公平ではないことも大きな問題です。フランチャイズシステムを最初に作ったのは米国ですが、日本のフランチャイズシステムと米国のフランチャイズシステムは全く別物です。

大分前のことですが、たまたま図書館で米国のフランチャイズシステムについて解説している分厚い本を見つけました。全部を読む勇気と覚悟はありませんでしたので気になった箇所を読みました。すると、米国のフランチャイズシステムは本部がリスクを負わなければいけないことが基本理念になっており、それが法律で定められているようでした。

それに比べますと、日本は正反対でリスクはほとんど加盟店側が負わなければいけない契約内容になっています。さらに、もっと悪質だと思うのはまるで「本部の労働者であるかように」業務に従事しなければいけない契約になっていることです。「がんじがらめ」という言葉が当てはまる契約です。

よくコンビニの問題点としては「予想売上が違っていた」ということがあげられますが、それよりも本来はこちらの「加盟店主の立場」のほうが重要です。契約上は個人事業主という立場でありながら、働き方は「がんじがらめ」に縛られています。どう考えても個人事業主の立場ではありません。この根本的な問題を解消しない限りコンビニ業界のさらなる発展はないでしょう。

ビジネス界で最近話題になっているのは「人手不足」です。飲食店やスーパーなども同様ですが、コンビニでも「人手」は重要な要因です。「人手」がいなければお店を開けることはできません。ですから、先日のニュースでは飲食店がお休みしたり営業時間を短縮することが報じられていましたが、それができないのがコンビニです。しかも24時間営業です。そしてそれを可能にしているのはフランチャイズシステムだからです。「人手」がいないときは店主が「休まずに働く」から可能なのです。ですが、これから益々労働人口が減少していく中でこのシステムを維持するのは不可能になっていくのではないしょうか。ある意味、究極のブラック企業と言えます。サービス残業どころか廃業するときはお金を取られるのですからこれ以上のブラック企業はありません。

さて、そんなコンビ業界で新たに経営者になった方で、僕が最も注目したのはファミリーマートの澤田 貴司社長です。澤田氏が最初にマスコミに登場したのはユニクロの副社長だったときです。ユニクロのトップは現在創業者の柳井氏ですが、ご存知の方も多いでしょうが、柳井氏は一度引退しています。そのときに後任に就いたのは副社長だった玉塚氏ですが、報道では柳井氏は最初は澤田氏に打診したと言われています。澤田氏が固辞したことで玉塚氏が社長に就任したのですが、その後の柳井氏の玉塚氏に対する対応を見ていますと澤田氏が固辞した理由がなんとなくわかるような気もします。しかも、その後澤田氏は玉塚氏とリヴァンプという投資会社を設立していますので、その思いを一層強くしました。

その後玉塚氏がローソンの新浪氏の引き合いでローソンの社長に就任し、言い方は悪いですが、親会社から追われるように社長を退任しているのに対して、今度は澤田氏が肝入りでファミマの社長に就任しているのを見ますと、エリートの方々のビジネス人生の宿命的なものを思わずにはいられません。

その澤田氏が「コンビニは飽和状態」と言い、「24時間体制を見直す」とインタビューで語っています。新浪氏も同じような発言をしながら結局は実行できませんでした。それを知っているはずの澤田氏が宣言したことに意義があるように思います。柳井氏からの社長就任依頼を断った澤田氏ですので、澤田氏が口にした「24時間体制の見直し」は重みがあります。澤田氏には是非ともファミマだけではなくコンビニ業界の改革にも挑戦してほしいと思っています。

新しくローソンの社長に就任した竹増貞信氏は親会社の三菱商事からやってきた方ですので三菱商事の支配感が強まるのは仕方のないところです。しかも年齢がほかの2社の社長に比べますとかなり若いですので親会社の傀儡という印象はぬぐえないのが正直な感想です。ですが、雑誌のインタビューで興味深いことを話していて、それは無人化店舗の拡大でした。この発想はもしかするとコンビニの新しい経営スタイルになる可能性もあります。おりしも米国ではamazonが清算さえも自動で行う店舗を試験しているそうですから、現実味は高いように思います。

これからの企業のキーワードは間違いなく「人手不足」ですから、この問題を解決できた企業だけが生き残っていけるのでしょう。

今週は読みやすかったかなぁ、、、。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:46 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

<コンビニ業界>

経済誌のサイトに大手コンビニチェーン本部の社長の方々のインタビューが載っており、ともて興味深かったので今回は久々にコンビニついて書きたいと思います。
憶えている方はかなりコンビニについて関心を持っている方ですが、2011年に東日本大震災が起きるまでコンビニ業界は壁にぶつかっていました。いわゆる閉塞感というものですが、「お店の飽和状態」が指摘され出店はあまり行われていない状況でした。しかし、東日本大震災のときにコンビニが社会貢献または地域貢献という意味も含めて存在価値が高まり、コンビニが見直されたことが契機となり出店競争が再開されることになりました。
実は、コンビニが一気に伸びるきっかけになったのは東日本大震災が初めてではありません。その前の大震災である阪神淡路大震災のときもコンビニは復興に大きな力を発揮しています。当時のローソンはダイエーが経営していましたが、そのトップである中内さん自らが陣頭指揮をとって地域の再建や加盟店の再建に尽力していた報道がなされていました。あのときも「コンビニがあって助かった」と感じた住民および国民の方は多かったはずです。そして加盟店および本部にとってもコンビニの価値をアピールすることができて、やりがいを感じていたはずです。
そのような業界ですが、コンビニの勢力地図は大手3社で固まりつつあります。そして、昔から言われ続けていることですが、セブンイレブンが頭一つ抜け出ています。僕のような第三者からしますと不思議に思えるのですが、常にセブンイレブンは約10万円も売上げが高くなっています。
今の時代は真似をすることが容易です。製品を作ることもそうですが、飲食業などでは店の造りもメニューも簡単に真似ができます。このことはつまり各会社による差別化が難しいことを示しており、それは即ち売上げについてもあまり差がつかないことになるはずです。
実際、居酒屋業界では業績のいいチェーンの「店の内外装」や「メニュー構成」、「メニュー名」などを「真似された」として裁判に訴えている事例がたくさんあります。それほど他社との違いを継続することが困難なのですが、コンビニ業界には当てはまらないようです。
繰り返しになりますが、セブンイレブンは他社よりも売上げが10万円も高い状況がずっと続いています。そして、その理由が判然としません。
経済誌や評論家が分析はしていますが、今一つ的を得たものはないように思います。そもそも、もし本当の理由がわかったならこれだけの売上げの差がついた状態が続くはずはありません。「違い」を真似すればよいだけですから、本当の理由はだれもわかっていないのです。
経営の世界ではトップの力量で企業の業績が決まると言われています。ですから、その意味で言いますと、セブンイレブンのトップの経営センスが優れているということになりますが、僕にはどうみても特別に優れているとは思えないのです。なぜなら、本当に優れた経営者であるならセブンイレブン単体ではなく、セブン&Iホールディングス全体の業績も上がっているはずです。ですが、セブン&Iホールディングスはコンビニ以外は今一つの業績です。つまり経営者による能力の差はあまりないと考えて差し支えないことになります。セブンイレブンは昨年創業者とも言える鈴木敏文氏が第一線を退きましたが、その鈴木氏が活躍していた当時のほかの2社の社長も鈴木氏に見劣りする経営者ではありませんでした。
それでも、売上げが10万円も違っていたのが現実です。

最初に「セブンイレブンを追い詰められるかも」と期待したのがローソンの新浪 剛史氏でした。ですが残念なことに社長を退くまでの間にその差を縮めることはできませんでした。新浪氏は現在サントリーの社長に就任していますが、これはサントリーの会長である佐治 信忠氏に経営力を見込まれたからです。その新浪氏にしてもセブンとの差を縮められなかったのですからこの10万円の差の大きさがわかります。
僕は新浪氏については忘れらないエピソードがあります。それは「24時間営業の見直し」です。新浪氏は社長に就任当初、加盟店の負担を軽くするために「24時間営業の見直し」を模索していました。マスコミを通じてその発言を聞いたセブンの鈴木氏は「コンビニの24時間営業は絶対に必要な要件だ」と雑誌のインタビューで答えていました。結局、新浪氏は「24時間営業を見直す」ことはありませんでしたが、やはりコンビニにとって24時間営業は絶対条件なのかもしれません。
因みに、「売れない深夜帯でも営業していなければいけない理由は、売れない深夜帯を閉店すると昼間の売上げも落ちる」からと言われています。僕はその真偽はわかりませんが、新浪さんでさえ24時間営業を続けたのですから真実なのかもしれません。
新浪さんは売上げに関してセブンとの差を詰めることはできませんでしたが、企業イメージを上げることには成功していました。それと同時に経済人として有名になっていたことも重要です。メディアに頻繁に出ていましたので業績以上に好印象を世の中に与えていたように思います。
ローソンのイメージが上がりましたので業界第3位に甘んじていたファミリーマートに「取り残され感」がありましたが、そうした状況を覆そうと改革したのが伊藤忠からやってきた上田準二氏でした。上田氏が最も力を入れたのは万年3位に甘んじている社員の意識改革でした。僕の印象では新浪氏と同じような感覚で企業風土を変えていたように思います。簡単に言いますと、「おかしいと思うことを改善する」に尽きます。それまでは「少しくらいのことはまぁいいや、どうせ3位だから」というものでしたので、上田氏の改革は社員からしますとイノベーションのように映ったかもしれません。
企業というのは働く人のモチベーションでいくらでも変わりますが、万年3位に慣れきっていた社員のモチベーションを上げる施策が功を奏して活気がみなぎったように見えていました。現在、上田氏は第一線を退いていますが、現在の好調を維持しているのは上田氏の功績が大きいと思っています。

さて、このような足跡の大手3社ですが、現在曲がり角にきているようです。各社とも社長が変わったこともありますが、ここに来て方向性の違いが鮮明になってきたように思います。
メディアに書いてありました各社のキャッチコピーを紹介しますと、セブンイレブンは「24時間営業は絶対続ける」、ファミリーマートは「コンビニは間違いなく飽和状態」、ローソンは「まだまだ店舗は増やせます」となっています。
興味深いのはファミリーマートの社長とローソンの社長の認識が正反対であることです。野次馬的に見ますと、どちらが正解なのか結果がとても楽しみです。ファミリーマートの社長は沢田貴司氏という方で、ローソンの社長は竹増貞信氏という方ですが社長に就任した背景などについてつぶさに見て行きますととても面白いのですが、長くなってしまいますのでそれについては来週に書きたいと思います。

新聞やテレビなどでコンビニに関する記事が出ますが、それらのメディアは重要な根本的な問題を避けているように思います。おそらくコンビニが上得意の広告主であることと無関係ではないと思います。ですが、根本的な問題を避けてコンビニ経営について語るのは正しい分析とは言えません。働いている人に給料を払うのではなく、働いている人から上納金を絞り上げるシステムはどう考えても正常な経営システムではないからです。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:13 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月05日

<リズム>

日本シリーズは始まる前からソフトバンクの楽勝で終わりそうな下馬評がありましたので、3連勝した時点ではそのまま終了しそうな雰囲気も漂っていました。ですが、DeNAが頑張ってくれましたので盛り上がることができました。しかも、最後はサヨナラヒットという劇的な幕切れとなり、理想的な展開だったように思います。
ですが、昨日も9回裏に内川選手の一振りがなければソフトバンクの負け試合でした。その意味で言いますと内川選手の土壇場の粘り強さにはスゴイものがありましたが、僕はその内川選手よりも、その前の8回裏の先頭打者長谷川選手が試合の流れを変えたと思っています。
実は、僕はそれまで試合を見ておらずたまたまお風呂から上がってテレビを見ますと日本シリーズを放映していました。ですから、それまでの経緯を詳しくは知らなかったのですが、アナウンサーが「ソフトバンク打線が抑えられている」ことを伝えていました。DeNAは今永投手が投げていたのですが、ソフトバンクの選手は打ちあぐねていたようです。解説者の話では「タイミングが合っていない」とのことでした。
そんな状況で8回裏のソフトバンクの攻撃が始まったのですが、先頭打者は長谷川勇選手で左打席に入っていました。そのときに長谷川選手が面白い動きをしたのです。長谷川選手は全体的に身体から力を抜いているような雰囲気でした。そして、今永投手が1球目のストレートを投げたときも力なくバットを振って空振りをしました。本当に「打つ気がない」ような空振りで、もっと言うなら「やる気がない」と言ってもいいくらいの空振りだったのです。解説者の言っていたとおりタイミングが全くつかめていないような感じでした。
問題はそのあとの所作です。今永投手がキャッチャーからボールを受け取り、そして投球動作に入ろうとしたとき、長谷川選手は今永投手に「少し待って」と手で合図を送りました。まだ打つ態勢が整っていないから「ちょっと待って」という打者がよくやるポーズです。この動きがポイントでした。
それまでソフトバンクの選手は今永投手のリズム、タイミングで打席に立っていたのでしょう。それに気づいた長谷川選手が「今永投手のリズムを崩した」のです。たったこれだけでしたが、それまでのキャッチャーからボールを受け取って投球動作に入るという一連の流れが途切れたことで今永投手は自分のリズムが変わってしまったのです。そして、次のストレートをものの見事にセンターオーバーにはじき返されてしまいました。
あの場面、本来はキャッチャーがやるべきことですが、長谷川選手が間合いを開けたあとに打席に入ったとき、今永投手は一呼吸入れるべきでした。長谷川選手が間合いを開けた瞬間から長谷川選手のリズに変わっていたからです。
一呼吸入れられなかったのであれば、ストライクではなくボール球を投げるべきでした。バッテリーは長谷川選手が「力のない空振りをしたこと」でストレートにタイミングが合っていないと勘違いをしたのです。そして同じコースに1球目と同じボールを投げてしまいます。案の定、打たれてしまいました。僕は、長谷川選手のあの「力のない空振り」はブラフだったように思っています。それに引っかかったバッテリーです。
あの2塁打が8回の1点につながり、9回の内川選手の起死回生の同点ホームランを生んでいます。9回を迎えるときに2点差と1点差では大違いです。あの1球が残念でなりません。

スポーツの世界では「リズム」「タイミング」または「流れ」はとても大切です。それらのほんの少しのずれが結果に大きく影響します。僕が最初に「流れ」について意識するようになったのはミュンヘンオリンピック・男子バレーボールの監督だった松平康隆さんの言葉でした。松平さんが監督業を引退しテレビ解説をしていたときに、ある試合で「得点が9対6」のときは試合の節目になることが多いんですよ(当時は15点制でした)」と語っていました。それから意識するようになりました。

もうお亡くなりになっていますが、昭和の大横綱・千代の富士が連勝記録を作っていたときその連勝を止めたのは横綱・大乃国です。ですが、大乃国はそれまで千代の富士に全く歯が立たない状態でした。同じ横綱でありながら負け続けていたのです。その大乃国が千代の富士を破ったのもリズムでした。
大乃国は千代の富士との対戦で仕切りをしているときにわざとそれまでとは違うタイミングをとっていたのです。そうすることで自分のリズムで相撲を取ることができると考えたからです。のちに千代の富士関は「あのときは理由はわからないけど、なんかタイミングがおかしかった」と述懐しています。

昨日は、偶然にもほかのチャンネルで卓球の平野美宇選手を取り上げたドキュメンタリー番組を見ました。平野美宇選手はリオオリンピックではリザーブの立場でしたが、そのことに発奮して昨年から大活躍しています。昨年から今年にかけての成長ぶりは凄まじく様々な世界大会で優勝するほどになっています。昨日のドキュメンタリー番組では、そのときの心の変遷が丁寧に描かれていてとても興味深く見ることができました。
実は、活躍するようになってからそれまでの印象とは違った言動が気になっていたのですが、昨日の番組で「自分に魔法をかけていた」と告白しています。それが印象が変わった理由だったのですが、現在はその魔法が解けて苦しんでいると正直に話していたのが印象的でした。僕の想像では友人でもありライバルでもある伊藤美誠選手との関係も難しい部分があったはずです。そして、おそらくそれは伊藤美誠選にとっても同様のはずですが、そうしたことがプレーにも影響していたのは間違いないところです。番組ではリオオリンピックのあとに二人を映した映像がそれを示していました。そうしたことを経験してスポーツ選手は成長するのでしょうし、また人格を作っていくように思いました。
それにしても、強くなればなったことでまた新たな苦しみを受けることになるスポーツ選手の苦しさを見ていますと、その大変さが伝わってきます。まだ高校生という年齢でそういう体験をするのですから尊敬に値します。平野美宇選手の涙を見ていてそんなことを思いました。

日本シリーズで粘り腰のホームランを打った内川選手はDeNAから移籍してきた選手です。実は、移籍した当時内川選手は「セ・リーグよりもパ・リーグのほうが実力が上だから移籍してきた」と公言しています。移籍したとき既にセ・リーグで首位打者をとるなど一流選手の仲間入りをしていましたが、WBCに出場などの経験がそのような思いを強くさせ移籍を決断させたそうです。つまり、DeNAになる前の横浜時代はチーム全体に厳しさが足りず「優勝する」という気概に欠けていたそうで、そこに物足りなさを感じていたと吐露しています。
今回優勝したあとの手記を読みますと当時のことを意識したような箇所があり、当時の発言を気にしているのが読み取れました。ですが、交流戦の結果を見ていますと、「パ・リーグのほうがセ・リーグよりも強く実力が上」というのは変わっていないようにも思います。

スポーツの世界は冷徹ですから、強い者が勝ち弱い者が負けます。そして、実力差がありますと弱い者が強い者に勝つことは絶対にできません。どんなに運がよかろうと弱い者が強い者に勝つことはできません。ですが、実力があまり違わないときはやり方を工夫することで弱い者が勝つこともできます。その方法の一つが「リズム」「タイミング」「流れ」を自分のほうに引き寄せることです。
セ・リーグとパ・リーグの実力の差もあるにはしても絶対的な差ではありません。ですから、「リズム」や「タイミング」「流れ」を引き寄せることで勝つこともできるほどの差です。しかも、日本シリーズという短期決戦では尚更です。
弱いほうを応援したくなる僕としてはそれが残念でなりませぬ。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:38 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月29日

<勝者の責任>

衆議院選挙は結局、最初に安倍首相が目論んだとおりの結果になりました。そもそも論になりますが、安倍首相が今回解散に打って出たのは、野党が混乱している「今のタイミングしかない」と思ったからです。民進党はバタバタしていましたし、都民ファーストで勢いに乗っている小池さんがは国政に乗り出すにはまだ準備が整っていませんでした。
ですが、「機を見るに敏」な小池さんは希望の党を設立しました。この小池さんの決断は安倍首相にとって想定外だったはずで、この時点では確かに風は小池さんに吹いていました。ですが、「排除します」発言で一気に風向きが変わってしまったのです。いろいろなメディアが書いていますが、もし、小池さんの失言がなかったなら結果は全く違ったものになっていた可能性もあります。
しかし、考えようによっては小池さんのこの失言も安倍首相が考えた「今のタイミング」の賜物と言えなくもありません。小池さんに余裕がなかったからこその失言と考えることもできるからです。小池さんから「排除します」発言を引き出したジャーナリストのコメントを読みますと、元々小池さんはこのジャーナリストを好ましく思っておらず、ずっと質問者に指名していなかったそうです。それがたまたまあのときだけ指名したのですから、油断したとしか言いようがありません。このジャーナリストによりますと指名されたのは半年ぶりだったそうです。それがよりによってあのときだったのが小池さんにしてみますと悔やまれるところでしょう。
先週、僕は小池さんの失言を「上手の手から水が漏る」と表現しましたが、その原因は油断です。そして、その油断は「短時間で政党を作らざるをえなかったこと」と無縁ではありません。急ごしらえで政党を作ったのですから精神的な余裕があったはずがありません。そのようなときに批判的なジャーナリストを指名したのですから「魔が差した」としか言いようがありません。心に隙ができていたようです。
小池さんの失言に追い打ちをかけたのが小泉進次郎さんの「小池さんは必ず出てきますよ」および「小池さん出てきてください」発言です。この挑発発言によって小池さんは身動きが取れなくなってしまいました。進次郎さんの状況を見極める才能が小池さんを追いつめたとも言えそうです。
これで一応ひと段落はしましたが、政治はまだまだずっと続きます。なにかきっかけがあるといくらでも変わるのが政界です。野党の方々はあきらめずに頑張ってほしいと思っています。僕が最も心配しているのは「意見が異なる人の自由が制限される」世の中になることです。民主主義なのですから、面倒な手続きが必要な状況になっていることが大切です。

…なんてことを思いながら世界を見渡していますと、あちこちで独立運動が起きていることが気になります。国家の一部が独立を求めて投票を行ったり運動をしていますが、これらには共通点があります。それは独立を求めている自治区が経済的に自立できる状況にあることです。これはちょっと考えればわかることですが、自分だけでは食っていけない状況でわざわざ独立を言い出すことはありません。経済的な裏付けがあるからこその独立です。経済基盤がしっかりしていることが独立の大前提です。
ですが、これは裏を返せば他の地域にとっては損失につながります。突然、国家の稼ぎ頭がいなくなることですから、国家として簡単に認めることができないのは当然です。独立を目指している自治区の人たちからしますと、自分たちが一生懸命稼いだお金がほかのところに回されるのが「納得できない」ということになります。
もちろん独立を願っている人たちの中には経済的負担を強いられることだけではなく民族としての意識もあるでしょう。まさに「イデオロギー100年。宗教1000年。民族永遠。」という言葉を証明していることになりますが、感情的な側面も大きな要因となっています。
このような動きを見ていますと、結局、人間というのは「自分が一番かわいくて、自分のことしか考えられない」生き物なのかもしれません。

スーパーで買い物をしているときの光景です。家族連れのお父さんらしき人が買い物途中のカゴの中に入っているジュースの蓋を開けて飲み始めました。まだレジでお金を払う前であるにも関わらずです。おそらく「これからお金を払うんだから問題ない」という考えなのでしょうが、これはルール違反です。もし「そんなルールはない」というならマナー違反です。
スーパーに限らずお店を運営している側は、万引きが大きな問題になっています。以前あるリサイクル店が万引き犯の顔写真を公開したことが話題になったことがありますが、ほとんどのお店は万引きに対する対応に苦慮しています。お店という場所は商品が並んでいますのでその中で「万引き」かどうかを見極めるのが困難なことです。
そのような状況がある中でお客様に「精算前のジュースを飲まれてしまう」と「万引き」との境目がわかりにくくなります。お店側の負担や苦労をできるだけ少なくしようと思うなら精算前の商品を開けることはやってはいけないことです。
ネットを見ていましたら、“ アイコスの吸い殻をテーブルに置いて帰った! 飲食店は「全面禁煙」に ネットで賛否激論”という記事が目に留まりました。加熱式タバコの吸い殻をなにも言わずにテーブルに置いて帰ったお客に怒っている店主のツイッター写真が物議を醸しているそうです。
この激論の核心は「お客の行動の許容範囲」に尽きると思います。許容範囲は「人によって」または「地域によって」違うことがありますが、先に紹介しました「精算前のジュースを飲む行為」も、ある関西の芸人さんは「どうしてダメなのかがわからない」と話していました。もしかしたらな地域によっても感覚が違うことがあるかもしれません。
ですが、僕は地域によって差があるから「仕方ない」と認めることはできません。地域性によって認めてしまっては世の中はいつまでたっても不平等な世界になってしまいます。今、米国は人種差別が問題になっていますが、米国では地域によってはまだ人種差別が残っているそうです。もし地域による考え方の違いを認めてしまっては差別は永遠に続くことになってしまいます。
「いいか、悪いか」の判断の境目は相手を思いやる気持ちがあるかないかに尽きると思っています。「精算前のジュースを開けてしまうとお店の人が万引きとの区別ができずに困る」とか、「アイコスの吸い殻を置きっぱなしにしてはお店の人が困る」といったふうに相手を思いやる気持ちがあるならわかることです。
いつごろからでしょうか。日本でも「公共心の欠如」が指摘されるようになってきました。「自分だけよければそれでよし」とする風潮が少しずつ強くなってきているように思います。
スーパーのトイレの個室に使用済みの赤ちゃんのおむつが捨てられていることがあります。最近は話題に上がりませんがコンビニのゴミ箱に家庭ごみを捨てる人が問題になったこともあります。これらはみんな「自分だけよければよい」という発想が根本にあります。
実は、僕もまだ答えがわからないのですが、みんなが自分のことだけしか考えない社会が平和で暮らしやすい世の中にはなるはずがありません。米国だけではなく欧米においても難民排除を主張する政党が一定の支持を得ています。こうした風潮が戦争を招いているようで不安な気持ちになっている最近の僕でした。

選挙のさなかに世界チャンピオンになった村田諒太選手には哲学者というニックネームもあるそうです。その村田選手が試合後のインタビューで恩師が話していた言葉として印象に残る言葉を紹介していました。

「試合に勝つことは相手を踏みにじり、その上に立つということ。勝った人間は(相手に対し)責任が伴う」

政治家の責任は国民を「幸せにする」ことです。安倍首相が責任を果たしてくれることを願っています。
一応言っておきますが、「幸せにする」のは一部の国民ではなく国民全員ですから。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 15:16 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月22日

<見て見ぬふり>

本日は投票日ですが、台風が来ていますので投票率がどうなるか心配です。最近は期日前投票を利用する人が多いようですが、投票場所を工夫することで投票率はもっと上がるのではないでしょうか。さらに言うなら不正投票を排除することが確保できるなら電子投票という方法も投票率アップに貢献するように思います。ですが、選挙において最も大切なことは真面目に真剣に政治と向き合う姿勢です。いくら投票率が上がったところでポピュリズムに流されたり自分のことしか関心がないのでは選挙自体が意味をなさないことになってしまいます。
世界中のみんなが自分だけではなく、「世界をよくする」という視点でものごとを見たり判断したりしないといつまで経っても平和な社会を実現することはできません。
…こんなことを書いていますと、学生時代に言われた言葉が頭をよぎります。
「おまえ、青臭いな!」

その青臭い僕が先週最も憤りを覚えた事件は福井県で起きた男子中学生の自殺事件です。報道によりますと、担任や副担任の「厳しい」を通り越して「激しい」叱責が続いたことが原因のようでした。お母さまは「先生によるイジメが原因と思っている」と話しています。この事件が報道されてからはフェイクニュースもたくさん出回っていそうですので事実確認には注意が必要ですが、教育委員会の発表ではやはり担任と副担任の先生としてあるまじき教育態度に原因があるようです。
この事件で僕が胸を締め付けられたのが、中学生の祖母にあたる方が家庭訪問をした担任に「副担任と二人きりにしないようにお願いしていたこと」です。これには理由があるようで、男子生徒が小学生時代にこの副担任が教習生として教えに来ていたことがあり、その際にこの教習生が男子生徒に対してイジメに近い接し方をしていた過去があるからです。偶然にも中学校に上がってからそのときの教習生と「副担任と生徒という関係」で遭遇ししてしまったことになります。祖母はそのような二人の関係を覚えていたのだと思います。
おそらく祖母は「副担任からイジメられないように配慮してほしい」との思いで担任にお願いをしたのでしょう。しかし、その担任もまた男子生徒をイジメる側の人間だったのです。これでは暴力団の組員に脅されている人が暴力団の組長に助けを求めるようなものです。状況が悪くなることはあっても改善するはずがありません。男子生徒の気持ちは如何ばかりだったでしょう。彼の気持ちを想像しますと心が張り裂けそうです。

もう20年以上前ですが、TBSドラマに「人間・失格」という堂本兄弟が俳優デビューした作品がありました。このドラマの主演は赤井英和さんですが、脚本は野島 伸司さんです。野島さんは80年代後半にフジテレビでいわゆるトレンディドラマを書いていた人ですが、僕の想像ではトレンディドラマブームが終わったあとに次の方向を模索している中で作ったのが「人間・失格」だったように思います。それ以降もたくさんのヒット作を作っていますが、その中でも「人間・失格」は特に暗いドラマでした。
因みに「人間」と「失格」の間に「・」が入っているのは、最初は「人間失格」だったのですが、太宰治さんの遺族から「クレームが入ったことが理由」となにかで読んだ記憶があります。
話を戻しますと、「人間・失格」はイジメのドラマです。これでもかこれでもかというほどの陰湿なイジメがドラマの中で行われていました。そのイジメによって自殺した我が子のために赤井さん演じる父親が復讐するドラマですが、今回の福井県のイジメ事件の報道を見ていますと「人間・失格」を彷彿させてしまいます。子供は世界が狭いのですから少しのイジメでさえ逃げ場がなくなります。そうであるだけに担任と副担任という本来生徒を助ける側である教師がイジメの張本人だったのですから言葉がありません。あまりに男子生徒がかわいそうです。
あのドラマが放映された当時も既にイジメは社会問題化していました。あれから25年以上経っていますが、イジメを取り巻く環境は全く変わっていないことになります。僕にはそれが不思議でなりません。教育関係者の怠慢以外にありません。
自殺した男子生徒にはお父様がいらっしゃらないようですが、そうした家庭環境も教師の対応に関係していたのではないか、と僕は邪推しています。つまり、男親がいないので「うるさいことを言われることがない」と甘くみていたという意味です。この考えはちょっと行き過ぎかもしれませんが、このようなよからぬ考えが思い浮かぶほど僕は学校関係者に対して怒りを感じています。
このような事件があるたびに僕は思うのですが、周りの先生たちはいったいなにをしていたのでしょう。ある程度の普通の大人であるなら中学生という子供の精神状態を想像することができます。先生という子供と接することを仕事にしている大人であるなら、なおさら生徒の気持ちを理解できるはずです。生徒の気持ちを理解できないのであれば先生という職業に就く資格がありません。先生は機械を動かすのが仕事ではありません。人間というこれから大人になる子供たちを導くのが仕事です。その先生が生徒を自殺に追い込むのでは子供たちはどのように教育を受ければよいのでしょう。
今、学校の先生たちの職場環境が問題になっています。サービス残業の問題とか日曜にも部活動があったりして「休みが取れない」など労働者という側面からしますと大変であることはわかります。ですが、このような事件がありますと本当に先生たちは「生徒に真剣に向き合っているのか」という疑心暗鬼な思いが浮かんできます。先生たちは「自分たちが楽をしたいだけではないか」と、そのような考えが浮かんでくる今回の事件です。
先にも書きましたが、イジメを苦にして自殺をしている生徒が出ているのは20年以上前です。先生という職業に就いているならそのような事件を知らないはずがありません。それでもなお先生が生徒を自殺に追い込むような事件が起きるということは先生という職業に就いている人たちが、生徒に対して「いかに真剣に“生徒"に“教育"に向き合っていないか」を示しているようにも思えます。
繰り返しになりますが、これまでイジメが原因で自殺事件が起きたとき周りの先生たちはなにを考え、どのように対応していたのでしょう。
今回の事件でも、同僚の先生が「叱責の行き過ぎ」を諫めるような話をしたというような報道がありますが、実際に自殺が起きているのですからなにもしなかったのと同じです。先生という職業に就いているのなら、そのくらいの厳しい反省を自らに課してほしいと思います。
あと一つ僕が思うのは、先生という個人の資質だけに頼るのではなく、「システム」や「制度」といった全体的な環境を作ることの重要性です。「システム」や「制度」といったもので生徒を守る環境が整っているなら一人や二人くらいの教育者としての資質に問題がある先生がいたとしても生徒が自殺に追い込まれることがなくなります。
具体的には、生徒が学校を自由に移動できるようにすることです。この自由な移動を可能にするだけで地獄からのがれることができます。本当に、イジメに遭っている生徒にしてみますと、学校は地獄でしかありません。先生方はそのことを強く認識してほしいと思います。先生という職業に就いているなら「見て見ぬふり」はイジメを助長しているのと同じなのです。

もう遅いけど、選挙で投票しないということも「見て見ぬふり」だよなぁ。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:32 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

<行動をしない後悔>

山本七平氏の「空気の研究」という本は有名ですが、いつだったかも思い出せないくら大分前に挑戦したことがあります。「挑戦」という言葉を使うくらいですから「読みにくい」本だったことになりますが、案の定途中で投げ出したような記憶があります。読み終えたかどうかさえ曖昧なのですから、内容は全く覚えていないことになります。ただ、その頃の僕が「どうして戦争に突入するのを止められなかったのかなぁ」という素朴な疑問を持っていたことは確かです。
僕なりにいろいろな情報から想像しますと、当時「戦争反対」などという意見を言おうものなら世間という周りから袋叩きにされる雰囲気があったからです。正確には「雰囲気が作られていたから」ですが、そのような空気の中で「戦争反対」などと言えるわけがありません。今ふうな表現をするなら「地域全体からイジメ」を受けることになるからです。人間は空気を吸えないと生きてはいけません。

一時期若い人の間で「K Y(ケイ ワイ)」という言葉が流行りました。これは「空気を読めない奴」という「人をけなす」意味で使われていたようですが、最近では似たような意味で「忖度」という言葉が注目されました。「忖度」は批判的な意味というよりは「相手の気持ちを察する」という相手を重んじる目的で使う言葉です。「K Y」と「忖度」は正反対の意味ですが、直接の言葉ではなく「周りの雰囲気から想像する」という共通点があります。
そして、ここで注意が必要なことはあくまで行動する当人が「想像する」ことですので「行動する内容」が「正しい」のか「適切」なのかがわからないことです。また、想像を「求める人」もしくは「強制する人」には責任が及ばないことも問題です。

衆議院選挙も中盤に差し掛かり選挙運動も佳境に向かっています。当初自民党を追い落とすほどの勢いがあった小池さんの「希望の党」が一気に下火になっています。あれほど盛り上がりマスコミから注目されていただけにこの変化には驚かされます。きっかけは小池さんの記者会見での些細な言葉遣いでした。

「排除いたします」

この一言で流れが一気に変わってしまったように思います。本人も認めているようですが、民進党から移籍してくる人たちを選別することを「排除」という言葉で表しました。この言葉遣いは自ら使ったわけではなく、記者に「党の理念に合わない人は排除するのですか?」という質問に対して「排除いたします」と答えたものでした。
「上手の手から水が漏れる」という諺がありますが、マスコミ上手の小池さんが水を漏らしてしまったようです。おそらく質問した記者さんもこのような展開になることまでは想像していなかったと思いますが、結果的に選挙的エポックにもなりえる重い質問だったことになります。しかし、この質問した記者さんがその後の展開を予想していなかったとしても小池さんもしくは「希望の党」に対して好感していなかったことは想像できます。そうでなければ「排除」などという激しい言葉は使わないはずです。

経済学者のケインズさんは「株式投資は美人投票みたいなものだ」と表現していますが、この美人投票の意味は単に「美しいと思う人に投票する」のではなく、「多くの人から投票を集めそうな人を選ぶ」という意味です。まさしく株式市場ではどれだけの人が支持するかが株価を決めますので至言です。

その観点で僕なりに今回の衆議院選を考えてみたいと思います。当然ですが、普段からそれぞれの政党を支持している人は余程のことがない限りこれまで支持してきた政党もしくは候補者に投票するはずです。ですから、選挙結果を左右するのはいわゆる浮動票ということになります。取り立てて支持する政党がなく、そのときどきの状況によって投票先を決める有権者です。

先に書きましたように、解散当初は「希望の党」の勢いがすごかったのですが、小池さんの失言により勢いに陰りが見えています。その影響が反映して新聞各紙は自民党が盛り返しているように報じています。ですが、僕的にはこの予想に疑問を感じています。アメリカの大統領選でマスコミの予想が大きく外れたこともありますが、今の時代はマスコミと言えども正確に予想することは困難ではないでしょうか。

それはともかく、政策的には小池さんの「希望の党」と「自民党」に違いはほとんど見られません。ですから、小池さんは自民党との違いを訴えるべく抽象的な言葉を使っています。「安倍一強政治の打破」とか「しがらみを断つ」などという言葉を連呼しています。唯一違うのは「原発ゼロ」政策くらいでしょうか。経済政策で「ユリノミクス」などと訴えていますが、今一つ精細さに欠けます。
確かに「安倍一強政治」は問題です。今年に入ってからの国会運営に対する安倍首相の姿勢は傲慢という言葉が当てはまりすぎるほど強引でした。このような安倍首相にしたのは紛れもなく対抗できる野党が存在しなかったことです。そして、そのような政治状況にしたのは国民です。そのことを忘れてはいけません。
前にも書きましたが、民進党を希望の党にまるごと移行させる決断をした前原代表を僕は評価しています。あの時点で民進党が行動をなにも起こさなかったなら安倍首相の思うままに選挙戦が進んでいたと思えるからです。
また、小池さんの動きも評価できると思っています。やはり「希望の党」が設立されていなかったなら安倍首相の思うつぼにはまっていたはずです。言うまでもなく「思うつぼ」とは野党が弱体化していてまだ小池さんの政党が生まれていなかったのですから「選挙に勝てるタイミングは今しかない」と読んだことです。
その意味で言いますと、野党の再編を促したのは安倍首相ということになりますので野党に貢献したと考えることもできます。貢献という意味で言いますと、立憲民主党が誕生したことが最も大きいかもしれません。安倍首相に対抗すべく小池さんが動きそれに伴い民進党が分裂し、明確なリベラルな政党が誕生しています。
マスコミでは二極ではなく三極の戦いと伝えていますが、もしかすると新しい政治形態になるかもしれません。僕は期待しています。世界を見渡しますと「政権交代できる二大政党制」が理想のように言われていますが、三極があってもいいように思います。
小池さんは希望の党を設立していた当初「穏健な保守」という表現を使っていたように思いますが、ここにきて「保守」という言葉を意識的に避けているように感じられます。マスコミ対策に長けている小池さんですので「反応の悪さ」を感じたのかもしれません。ですが、僕には日本人の平均的な思想は「穏健な保守」にあるのではないか、と思っています。共産党では現実性ではありませんし、社会民主的な発想も日本人には合わないように感じています。ですから保守なのですが、安倍首相のあまりに強引なやり方には拒否反応を示してしまいます。
実は、僕が支持する考え方は立憲民主党が一番近いと思っています。その意味で枝野さんが設立してくれてうれしく思っています。枝野さんは「希望の党」が民進党の政治家を選別することに対して恨みがましいことを話していましたが、政党が根本的な思想が同じ人を選別するのは決して間違った行動ではないと思っていました。僕が自営業者として働いてきたことが影響しているのかもしれませんが、組織と考え方が違う時は自分で新しい組織を作るのが筋だと思っています。ですから、今回の枝野氏の行動には賛成です。
ここ数日、NHK社員の過労死がニュースになっていますが、過労死するくらい苦しく働かされるなら退職するという選択肢があることを忘れないでほしいと思っています。確かに、新しい道に進むことが必ず正しい選択になるとは限りませんが、なにもしないよりはいいと思います。
先日、ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー氏は行動経済学に貢献したことが受賞した理由です。そして行動経済学の基本になっている考え方は「人間というものは必ずしも常に合理的な行動をするとは限らない」というものです。僕も初めてこの考え方を読んだとき「そうだよなぁ」と思ったものでした。
同じく「行動」に関して僕が印象に残っている箴言があります。これも「なるほど!」と思いました。

「行動をした後悔より、行動をしなかった後悔のほうが強い」

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:25 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月08日

<本当の姿>

衆議院選挙はまだ公示もされていませんが、あと2週間しかありません。僕がコラムで取り上げることができるのも来週までの1回ですので、選挙についていろいろと書いていきたいと思います。
僕が選挙があるたびに落胆するのは投票率の低さです。社会に対する自分たちの思いを示すことができる数少ない機会なのですから是非投票してください。一票を投じるのは未来の人たちに対する大人の責任です。今は期日前投票もやりやすくなっていますので気軽に投票することができます。僕も以前一度利用したことがありますが、本当に簡単に投票することができました。

さて、昨日晩御飯を食べたあとにネットを見ていましたら、午後7時30分から「生放送のネット番組で党首討論が行われる」という告知を目にしました。早速、サイトに飛びますとすでに討論は始まっていたのですが、とても面白かったです。討論内容も興味深かったのですが、番組の進行形式にも好感しました。
これから投票日に向けていろいろな番組で党首討論が行われると思いますが、これまでの討論番組を見ていて残念なところは各党首の話の持ち時間に不公平感を感じることです。政党の大小に関わらず主張する時間は公平であるのが理想の形です。しかし、ときに司会者が話を遮るタイミングを逸したために長々と話し続ける人もいます。僕は討論番組を見るたびにこうした不公平をなくす工夫をしてほしいと思っていました。
今回のネット討論は、この僕の思いをかなえてくれる番組作りになっていました。その工夫とは制限時間になりますと会場全体に音がなり、会場の雰囲気が意見を言えない感じになることです。おそらく各党首のうしろが電光掲示板になっていたことも影響していたと思いますが、制限時間を守るという雰囲気になっていたのはともて好感でした。僕は、声が大きい人や自分の意見を長々と訴えようとする人を好きになれませんので安心して見ることができました。
討論の内容について少し触れますと、「あの番組内だけに限って」という注釈はつけますが、共産党だけに批判が集中していた感があります。僕が見ていた感じでは小池さんは
自らの「希望の党」が掲げた公約に対するつっこみをかわすために意図的に共産党に集中砲火を浴びせていたように感じました。
現在の政党で安保関連と改憲に正面から反対を示しているのは共産党だけですから攻めやすかったのかもしれません。僕が少し驚いたのは立憲民主党の枝野さんが面と向かって共産党の安保や改憲の主張を突き放す発言をしていたことです。立憲民主党が設立されたとき、共産党は歓迎するコメントを出していましたし、選挙協力も視野に入れているような発言をしていましたので少々驚きました。

今週のコラムは政治の細かい話から入ってしまいましたので若い読者の皆さんはつまらなく感じたかもしれません。そこで政治とは離れたちょっと変わったお話をしたいと思います。

ネット党首討論を見ていましたら司会者の顔に見覚えがありました。なんと夏野剛さんが行っているではありませんか。夏野さんがドワンゴの役人に就任したのは以前なにかで読んで知っていましたが、司会までやっているのは驚きでした。番組を見ていたところ、実際の番組進行は隣に並んでいた馬場典子アナウンサーが仕切っていましたので〇〇という役割だったのかもしれません。
夏野さんは今ではIT業界の重鎮の立場ですが、僕が初めて夏野さんを知ったのは「社長失格」という本を読んだときです。この本は僕がちょうどサイトを立ち上げた時期で「起業」というものについて知識を持ち始めた頃です。「社長失格」の著者は板倉雄一郎氏さんというIT起業家の成功と挫折の軌跡を書いた本ですが、その中で副社長という立場で登場します。
ビジネス界に詳しい人は「夏野 剛」さんと聞いて「iモード」を思い浮かべるかもしれません。夏野さんは「iモード」が成功したお話にも登場します。今の若い人には「iモード」を知らない人がいるかもしれませんが、スマホが登場するまで使われていた通信機器です。
「iモード」の成功で最も有名になったのは「松永真理」さんですが、松永さんは元リクルートの社員で雑誌「とらばーゆ」の編集長を務めていた方です。
その松永さんをスカウトしたのがNTTドコモの「榎 啓一」さんという方で、松永さんがリクルート時代に知り合っていた夏野さんをスカウトしたわけです。松永さんの著書「iモード事件」にはそうした話が出てくるのですが、この本で興味深いのは大企業における物事の決定の仕方やコンサルタント業という業種の役割および弊害です。また松永さんは独身女性の生き方の一つのモデルとしても多くの女性の参考になるように思います。
あと一つこの本で興味深く感じたのは松永さんをスカウトした榎さんという方がほとんどマスコミ出てこないことです。ここから先は僕の想像ですが、榎さんという方はいい意味で上昇志向が高くない人ではないかと思いました。つまり、僕からすると「いい人」ということになりますが、経歴を見ますと最後はNTTの関連会社の社長で終えていますが、早稲田の大学院を卒業して、また民営化されていない日本電信電話公社に入社しています。
この時代に早稲田を卒業して通称「電電公社」に入るのはエリートです。ですが、入社してからの足跡をたどりますと、NTTの子会社へ移籍しているのをみますといわゆる左遷というと大げさですが、エリートコースから傍流へ行かされた感じがします。しかし、そこで大成功をしたわけですが、大成功をしてそれが役職に反映しないというのが大企業の悲しさです。
僕は大企業どころか普通の企業にさえ3年間しか勤めたことがありませんのでサラリーマンの社内における人間関係や出世競争を体験したことはありません。ですので、すべて僕の想像でしかないのですが、榎さんはiモードで成功しながら本流に戻ることがなかったのはご自身の人生観が影響しているように思います。
企業で、特に大企業では社長にまで上りつめるまでには嫉妬や反目や派閥力学などいろいろな障害をはねのけることが必要です。その際には結果的にほかの人を追い落としたり傷つけたりすることになります。そうしたことを乗り越えた人だけがトップになれるのです。
例えば野球でしたら打率とか防御率などといった数字が出ますので評価がをしやすいですが、ビジネスの世界は単純ではありません。そこに本当の評価以外のものが入り込む隙ができます。そこを嫉妬心や出世欲を持った人が利用することになります。
ですが、経営というのは実態を表面化する力がありますので嫉妬心や出世欲といったネガティブなものをエネルギーとして上りつめた人がトップに就任した企業は必ず業績が悪化しますし、最悪の場合は倒産の憂き目に遭います。ですから、そこで修正が図られることができます。
ですが、政治の世界はトップに問題があってもそれが表に出にくい構造になっています。つまり、いくらでも言葉で誤魔化すことができるのが政治です。ですから、僕たちは「政治家が発する言葉をしっかりと分析して本当の姿」を見極めることが必要です。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 16:33 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

<いろはにほへとちりぬるを>

なんということでしょう。突然の解散総選挙も驚きでしたが、「希望の党」の創設とそれに伴う「民進党の解党」はその驚きを上回りました。いろいろな意見はあるでしょうが、僕は前原さんの決断を評価しています。前原さんの決断がなければ安倍首相の思惑通りの結果になるしか道はなかったと思えるからです。
そもそも論になりますが、今回の解散には大義がありません。安倍首相は「国難突破解散」と名付けていますが、無理矢理感は否めません。「森本・家計問題隠し」と批判されても仕方がないと思います。
先週も書きましたが、今回安倍さんが解散を選択した理由は「今のタイミングがベスト」と考えたからに違いありません。政権の支持率が回復し、野党が弱体化し、小池新党の態勢が整っていないという今のタイミングが安倍首相に決断をさせたはずです。ですから、小池新党の設立は安倍首相も驚きだったはずで、仮に小池新党が躍進したならその原因は安倍首相にあるとも言えます。
小池さんの行動については批判もあるようですが、政治の世界で戦いに勝つためには仕方がない面もあるように思います。ビジネス界には「経営は結果である」という箴言がありますが、これは政治の世界にも当てはまります。政治の世界も選挙で勝たなければ自らの政策を実現させることはできません。このように考えますと、この「〇〇は結果である」の「〇〇」にはあらゆる言葉が入るように思います。
小池さんの行動を危惧するものの一つに「政党の代表と都知事の兼務」に対する不安があります。つまりどちらの業務も忙しいのですから「両方をこなすことはできない」というものです。実際に、「幾つかの都知事の仕事をがキャンセルした」との報道もあります。しかし、これはスタッフを活用することで可能だと思っています。なにしろ石原氏は都知事時代に週に2〜3日しか登庁していなかったのですから両方をこなすのは十分に可能なはずです。
あと一つの危惧は、仮に小池都知事が国政に出るとするならば、それは都知事の職を辞することですが、それでは「都政の改革を道半ばで投げ出すこと」になります。この批判はかなりボディブローのように効いてくるはずですから容易ではありません。一つ間違えますと、「希望の党」にも悪影響を与えることは必至ですから小池氏の政治家としての立場も危うくなることになります。
自民党のいろいろな議員が「小池氏に出馬を勧める」ような発言をしきりにしていますが、その目的は小池氏のイメージを落とすことを狙ったように感じます。それを承知の上で国政進出を決断するならその方法はたったの一つしかありません。小池氏の後任に誰もが驚くような、それでいて納得できるような候補者を出すことです。
小池氏は土曜日に日本維新の会代表の松井一郎大阪府知事と大村秀章愛知県知事と「三都物語」というキャッチフレーズで選挙協力を発表しました。この会見の際に松井氏が「この中の3人の中の誰も国政に出ることはない」と明言したときの小池氏の表情が少し気になります。松井氏の発言は事前の打ち合わせがなかったような印象を受けたのですが、実際はどうなのでしょう。穿った見方をするなら、松井氏が小池氏の動きを縛ったとも受け取れる発言でした。今後の展開で真実がわかります。
民進党の前原代表は所属議員の全員を希望の党に受け入れてほしい考えのようですが、小池代表はきっぱりと否定しています。否定している理由は「安全保障と憲法の考え方」を重視するからです。普通に考えるなら、この2つの問題は党の根幹をなすものですので異なる考えの人に参加してほしくないと思うのは当然です。そうした姿勢をマスコミは「踏み絵」という表現を使っていますが、その表現には批判的な意味合いが含まれているように感じます。ですが、僕には当然の対応のように思います。
民進党が崩壊した理由をざっくりと言ってしまいますと、リベラルと保守の折り合いがつかなくなったからです。そうした経緯を考えるなら小池氏の対応は至極真っ当なものです。希望の党はいろいろな修飾語をつけてはいますが、基本原理は保守を謳っています。そうであるのですから、民進党のリベラル派の人たちが選挙目的で「希望の党」に入ろうと考えるほうが間違っています。辻元清美議員は「希望の党には行かない」ことをマスコミに語っていましたが、潔い感じがして好感です。
選挙戦は公示もまだされておらず、それまでにもまだまだ紆余曲折が予想されます。今後の展開を注意深く見て行きたいと思います。


話は変わりますが、今月より「脱サラをする前に」のサーバーを移転しました。以前にも少し書きましたが、僕が利用していた無料のHP公開サービスが終了するからです。1年以上前から通知は来ていたのですが、最初はほかの無料サービスを利用するつもりでいました。しかし、せっかくの機会ですので今までとは違うことに挑戦したくなりました。そこで独自ドメインを作って有料サーバーでサイトを作ろうと思ったわけです。
僕のサイトをご覧になるとおわかりだと思いますが、僕のサイトのテキストのうち3割くらいは違うサーバーを使っています。例えば、「あなたはこうやってラーメン店に失敗する」などはgoogleのサイトを利用していますし、「する前にシリーズ」は忍者のサーバーを利用しています。
このようにサイトを分散して作っていましたので移転についてもさほど難しくないと思っていました。また、移転するにあたって今流行の「Wordpress」の利用も考えていました。ですので、移転の手順やWordpress の導入方法などを少しずつ調べていたのですが、知識が増えるに従いそれほど簡単ではないことがわかってきました。
最初の考えでは今のサイトをそのまま「Wordpress」に移行しようと考えていたのですが、それを行うには内容も変更する必要があることがわかりました。例えば、各テキストは十数ページありますが、それらには各ページごとに移動するためのリンクが張られています。それらをすべて変更する必要があるようでした。こうした作業をすべてのテキストに行うとなるとあまりに手間と時間がかかってしまいます。
「Wordpress」を導入しようと思った理由はSEOが目的です。1年くらい前から訪問者が激減していましたので今回のサーバー移転で訪問者の回復を狙っていたのです。しかし、「Wordpress」への移転は先の理由から現実的はないと判断し、サーバーを移転するだけにしました。そのようにしますとHTLMをいじる必要はなく、アップロード先を変更するだけで済むからです。
ところが、これも問題に直面しました。僕が新たに契約したサーバーはロリポップという会社なのですが、そこにアップロードをするにはサーバー情報を幾つか書く必要があります。ですが、IT素人の僕にはロリポップさんに登録されている情報のどの部分を書いていいのかがわからなかったのです。いろいろ試したのですが、結局わからず電話で問い合わせをすることにしました。
結論を言いますと、電話での問い合わせは大正解でした。電話はすぐにつながりましたし、説明もわかりやすく丁寧だったからです。僕の問題はすぐに解決しました。実は、その後も電話で問い合わせをしたのですが、そのときも完ぺきに教えてもらえました。わからないことを自分で調べるのは時間がかかります。それに比べますと問い合わせて解決するのは時間にして10分の1くらいで済みます。これはとても勉強になりました。
実は、サイト関連で今月から変更になることがあと一つあります。それはamazonの本を紹介するコーナーのサービスが終了することです。私は毎週本を紹介しているのですが、紹介した本をまとめておくサービスをamazonさんは提供していました。それがなくなるのです。どんなものも、どんなこともいつかはなくなるのが世の中です。

自民党一強時代も永遠に続くわけではありませぬ。たぶん…。

今週のタイトルはこの意味です。

「いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん」

漢字にしますとこうなります。
「色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず」

わかりやすく説明しますとこうなります。
「色は匂へど 散りぬるを
香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。
諸行無常(しょぎょうむじょう)

我が世誰そ 常ならむ
この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。
是生滅法(ぜしょうめっぽう)

有為の奥山 今日越えて
この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて
生滅滅己(しょうめつめつい)

浅き夢見じ 酔ひもせず
悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることなく、現象の仮相の世界に酔いしれることもない安らかな心境である。
寂滅為楽(じゃくめついらく)

http://www2.odn.ne.jp/~nihongodeasobo/konitan/iroha.htm
より引用

じゃ、また。


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posted by satoaki at 15:08 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月24日

<本音>

あっという間に選挙モードに突入した日本列島です。本当に驚きで先週の週明けに仕事に向かう車の中で突如耳にしました。前日までは選挙などという報道は全くありませんでしたので「唐突な」印象がありますが、背景を解説する評論家の話を聞いていますと、今のタイミングが「なるほど」とも思います。
森友・家計学園問題で凋落した人気がようやっと回復して支持率が不支持率を上回った状態になり、民進党は離党者が続き党内がゴタゴタし、小池新党の体制がまだ整っていない、という今の状況から考えて「今しかない!」と思ったようです。それしか、解散する理由は見当たりません。なにしろわずか1ヶ月前に「仕事人内閣」を作ったばかりなのですから、「任命してすぐに解散」では閣僚に就任した「仕事人」の方々に失礼というものです。
実は、僕は河野太郎外務大臣にとても期待していました。官僚におんぶにだっこの名ばかり政治家ではない本当の政治家が就任したと喜んでいました。本来、河野氏は小泉元首相ばりに「今の自民党をぶっ壊す!」という考えの自民党員です。つまり、安倍首相とは考え方が違う立場の政治家でしたので、その河野氏を大臣に据えたのが不思議に思えていました。しかし、もし本当に解散が行われるのであれば、河野氏を大臣に任命した理由がわかるような気がします。解散を織り込み済みで大臣に任命したのではないかと勘繰ってしまいます。
それはともかく、総選挙が現実になったときは国民は棄権などすることなく国民の自由を制限するような政治にならないように一票を投じることが大切です。

安倍首相の一連の行動に不安を感じるのは、安倍首相が独裁政治家がよく使う政治手法を取っているように見えるからです。その政治手法とは「外敵の不安を煽って自らの地位を確立する」手法です。先に安倍首相が解散を決めた理由を幾つか書きましたが、あと一つ重要な理由があります。それは外敵の脅威の存在です。今の状態がまさにそれに当てはまっています。言うまでもなく北朝鮮ですが、これまで今ほど北朝鮮との関係が緊張している状態はありませんでした。しかも、米国はトランプ大統領という実力行使も厭わない過激な考え方の持ち主です。そうしたことも相まって北朝鮮との関係により強い緊張感を作り出そうとしているようにも映ります。僕からしますと、この手法は禁じ手です。国民の冷静な判断を誤らせる政治手法です。国民はこの手法に乗せられないように注意する必要があります。

そうは言いながらも、僕は「話し合い」だけの外交手法に疑問を持ってもいます。トランプ大統領が国連で北朝鮮を批難した演説の中で拉致被害者である横田めぐみさんについて触れました。これを受けてお母さまである早苗さんが会見で「期待」を表明し、「チャンス」とも話していたそうです。

自国の人間が外国に拉致されて傍観しているのでは国家として失格です。国家には国民を守る義務があります。これまで日本は拉致被害者を「話し合い」で救い出そうとしてきました。こうした手法は武力に反対する人々からは平和的でかつ建設的な対応として支持されてきました。しかし、拉致された当人や家族の方々にしてみますと納得できるやり方ではなかったはずです。
もし、そうした事態が自分の身に起こったのであったなら武力を持ってでも取り返してほしいと誰でも思うはずです。トランプ大統領の国連演説のあとにすぐに横田さんのお母様が会見を開いたのもそのような思いが入っていたのではないでしょうか。

お気づきの方も多いでしょうが、マスコミは定期的に拉致被害者に関する報道を行っています。こうした対応に対して僕はマスコミの良心を感じていますが、拉致されて帰って来た被害者の方々の活動からも同様の気持ちを感じています。北朝鮮に拉致されている人がまだたくさん残されているという事実を風化させないように皆さんが活動している姿は本当に尊敬しています。

そうであるだけにすぐに会見を開き「チャンス」と話した横田さんのお母様の気持ちを考えるとき「話し合い」から圧力への転換を国連で訴えた安倍首相の演説もある程度は理解できます。それでも、それを政局に利用するのは禁じ手です。横田さんにしてみますと、力づくでも娘を取り戻してほしいと思うのは当然です。ですが、そうした感情的な気持ちを政治に利用するのは良心的な政治家はやってはいけないことです。

ちょうど1年前に「感動ポルノ」という題名でコラムを書きましたが、憶えている人も少ないでしょうから「感動ポルノ」の意味について再度引用いたします。
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感動ポルノ(原語:Inspiration Porn)とは自身も障害者であるジャーナリストのステラ・ヤング氏が作った造語である。

この場合の「ポルノ」とは「『感動』という快感を煽り立てるための消費対象としてのみ利用されていること」ことを強調するためにあえて「ポルノ」という表現を用いており、本来の意味である「性的な興奮を起こさせる」という意味は含まれていない。

簡単に言えば「障害者を非障害者の利益のために活用し、健常者を良い気分にさせるために障害者を利用対象としてモノ扱いする」という行為である。

「障害者は可哀そう」といった視点から、「何もできない・うまくいかないからこそ健常者と同じことをしてもらい、達成したことへの感動」といったように善意から障害者を下に見ているといっても差し支えない姿勢が問題になっており、清く正しい障害者としてのイメージを植え付け、感動を押し付けることへの問題点が表面化してきたともいえる。
(ニコニコ辞典より引用)
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「感動ポルノ」が通用するのはそれを受け止める人がいるからです。表面的なことだけではなく、その内面にまで考えを巡らせるなら「感動ポルノ」という現象は起きません。政治の世界も同様で表面的なことを強調して、それを利用して感情に任せて選択を迫るような政治家の言うことは疑ってみることが大切です。
安倍首相は北朝鮮の脅威を利用して憲法改正までをも目論んでいるようにも感じられます。実は、僕は自衛隊を憲法に明記することに賛成なのですが、今の時期にそれを訴えるのは支持できません。やるからには正面から堂々と行うのが良心的な政治家の矜持というものです。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 13:56 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月17日

<感情>

先日、恐妻とのいつもの買い物を終えて帰る途中のことです。駅のロータリーからつながっている交差点の赤信号で停まったので、なにげに周りを見渡しますと角にあった小さなパン屋さんが新しい看板に変わっていました。このパン屋さんは僕がラーメン屋をやっていたときからありましたのでかなり長く営業していたことになります。
このパン屋さんが記憶に残っていた理由は、駅が再開発されたときにほかの場所から移転してきたからです。元々は僕のラーメン屋から西の方向に数百メートル行ったところで営業をしていたのですが、再開発を機に移転したのでした。また、店主の方がたまに僕のお店に食べに来てもいたので顔を知っていたことも理由です。
ラーメン店のテキストでも書いていますが、お客様の中にはお店の人と顔なじみになることを狙って来店する人がいます。理由は様々で「常連になって優遇されたい」という人や「第三者にお店の人と親しいことを自慢したい」などですが、もちろんお店側にしてみますとそのような理由で親しげにする人は迷惑どころか嫌な気持ちになります。
自営業でお店を構えている人は、お店側の気持ちをわかっていますので自分がお客さんになったときは余計な会話はしないものです。ですから、小さなパン屋さんの店主の方も僕のお店に食べには来ていましたが会話をしたことはありませんでした。年齢は僕よりも5才くらい年長に思える外見で、雰囲気も穏やかでおとなしい感じの人でした。
僕は結局約13年で廃業しましたが、そのパン屋さんはそのあともずっと続けていましたので30年以上続けていたことになります。売り場の広さは2坪くらいで奥にパンを作る作業場がありましたが、全部を合わせてもそれほど大きなお店ではありませんでした。そのくらいの規模だったからこそ長い間続けていられたのかもしれません。廃業した理由も売上げによるものではなく、体力的なものだと想像しています。
僕が脱サラでラーメン店を開業したのは今から31年前です。その頃と現在では社会状況も変わっていますのでラーメン店のやり方も変わってきています。僕は「ラーメン店を手っ取り早く開業する講座」というテキストを公開していますが、その中で「お店の前は車が駐車できるくらいの道路幅が必要」と書いています。当時は、それがとても重要だったのですが、今では通用しないマニュアルです。一時期、書き換えようかと思ったこともありましたが、時代の移り変わりを感じてもらうには「換えないほうがよい」と思い、そのままにしています。
僕はその小さなパン屋さんがなくなったのを見て感慨深い気持ちになりました。その理由は「ああ、これで僕が知っている個人商売のお店は全部なくなったなぁ」と思ったからです。やはり会話をしたことはなくとも、店主の顔を知っているお店は勝手に親近感を持つものです。ですので、僕が廃業したあとも続けているお店を見ますと、「頑張ってるなぁ」とか「すごいなぁ」などと心の中で思っていました。そうした思いがこの小さなパン屋さんがなくなったことで終了することになります。

僕が廃業した5年後くらいに廃業した中華料理店も僕より5才くらい年長の方が開業したお店でした。この中華料理店は僕のような飲食業の経験が全くない素人が開業したのとは違い、本格的に修行を積んだ人が開業したお店でした。お店の広さも僕のお店よりも広く、テーブル席にもテーブルクロスが敷いてあるようなフォーマルな感じがするお店でした。
この中華料理店の場所は僕がたまに利用する銀行の駐車場の正面にありましたので、駐車場に停めるたびに営業の様子を見ていました。このお店はバイクでの配達も行っていましたが、配達をしていたのは店主の方でした。こうした状況を見ていますと、店舗の売上げだけでは厳しかったことが想像できます。個人商売の厳しさが伝わってきました。

僕が住んでいる地域を見渡しますと、30年前とは街の雰囲気は様変わりしています。それに伴って個人商店もほとんどなくなっています。それを最も表しているのがお米屋さんと酒屋さんです。この両方の業種に共通しているのは何代も続く地主の方が営業していることです。ですので、駅前など好立地な場所に土地を持っていますので貸しビル業などに転業しています。ですから、生活に困ることはありません。
それに対して資産などを持っていない人が脱サラで個人商売を始めたときは大変です。僕はそのパターンでしたが、廃業したあとはやはり大変で僕は今も大変が続いています。個人商売は余程大きく成功をしないと年を取ったとき廃業しなければいけなくなります。人間の体力は永遠に続くわけではありません。そのことを頭の中に入れて開業することが肝要です。
脱サラをすることは嫌な上司や同僚を気にすることなく働けることです。これはメリットですが、会社員のような退職金もありませんし、老後にもらえる年金の金額に大きな違いがあります。厚生年金は会社が半分負担してくれますので年金額が倍くらいは違ってきます。そのことを頭の中に入れておくことも大切です。

今、「働き方改革」という言葉がマスコミを賑わせていますが、最終的にはお客様の立場にいる消費者の考え方にかかっていると思っています。「自分は得をしたい」という気持ちが「とにかく自分だけは得をしたい」になってしまうことに問題があります。共産主義が崩壊したのは「人間の感情を考慮していなかったから」と僕は思っていますが、人間は「意識や計算だけで動くのではなく感情によっても動く生き物」です。
「得をしたい」という気持ちも突き詰めますと「感情」に行き当たります。少しくらいなら得を他人に譲ることも許せますが、「少し」が積み重なっていきますと感情で我慢できなくなります。ですから、お客様というのは「得をしたい」という気持ちがあることを前提にして「働き方改革」を考える必要があります。そうでなければ、声が大きい人だけが得をする社会にになってしまいます。

上司や同僚に気兼ねなく働けることは脱サラのメリットですが、その先にはお客様という存在があります。お客様に満足を与えることなしに自営業を続けることはできません。自営業を続けるためには会社員以上に働く必要があります。結局、働き方はお客様の考え方次第でしか変えることはできません。電通が正常な働き方をするには取引先の考え方が影響しますし、電通を取引先にしている子会社は電通の考え方次第で働き方がいかようにも変わってきます。

先日、仕事で高級住宅街に行きましたが、そこには大きな家と高級外車が並んでいました。そこに住んでいる人たちは「得をしたい」と思った人たちであることは間違いありません。「得をしたい」という気持ちは経済を成長させるために重要な動機になりますが、違う側面ではお客様としてほかの人の働き方に無理をさせている可能性もあります。
そのバランスが難しい…。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:05 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

<シオリ>

いつの時代も「色物」の話は大衆の興味をそそりますが、またしても政治家の不倫が暴露されました。民主党の山尾志桜里議員ですが、これまでのイメージとは正反対のプライベート生活の過ごし方に批難が集中しています。これまで山尾氏は働く女性を代表する立場から正論を述べて人気を集めていました。保育園問題の象徴の言葉となった「保育園落ちた。日本死ね」は山尾氏が国会で取り上げて有名になったそうです。これをきっかけにして山尾氏は一躍注目されるようになり、働く女性や主婦の代弁者のような存在になりました。
その山尾氏が実際のプライベートでは家庭をないがしろにしている不倫妻だったのですから批難が大きくても当然です。好感度を上げた当初のインタビューでは家族思いで優しいお母さんを演じていただけにその落差に落胆した人は多かったはずです。
会見では不倫関係を否定していましたので真偽のほどはわかりませんが、ホテルに週に数泊していることは否定していませんでした。つまりその間は家庭を顧みてなかったことになります。そのような女性が家族思いで優しいお母さんであるはずがありません。結局は、政治家としても「本物ではなかった」ということになります。上っ面だけ飾りつけた人間性はいつかは剥がれてしまうものです。
以前自民党の女性議員が公用車で仕事に向かう途中に保育園に寄って子供を預けていたことが問題視されたことがありました。この議員は金子恵美子議員ですが、批判に対して「納得はしていないが、将来のために今回は退く」とコメントを出していました。実に、堂々としていて筋の通った対応でした。公用車使用の是非は別にして、この報道は金子氏が国会議員の仕事をしながら子供もしっかりと育てていることを伝えていて好印象を受けました。
憶えている方も多いでしょうが、金子議員は不倫が原因でで議員辞職をした宮崎謙介氏の奥様です。このときの妻としての対応もあっぱれなもので「恥をかいてきなさい!」と宮崎氏を記者会見に送り出したそうですから、肝が据わった女性であることがわかります。ついでに言いますと、奥様の忠言に従ってしっかりと恥をかいた宮崎氏もあっぱれと僕は思っています。おそらくこれからお二人は素晴らしい夫婦になるでしょう。
それにしても最近の週刊誌のスクープは素晴らしいものがあります。考えてみますと、ここ10年でスクープを出しているのは週刊誌だけのような気がします。もしかしたなら20年かもしれませんが、今の大手マスコミはスクープを忘れているかのようです。
前にも書きましたが、本当のスクープとは「報じなければ、歴史の中に埋もれるような事実を掘り起こし報じる」ことです。決して「数日後に発表されることを他社に先んじて報じる」ことではありません。しかし、今の大手マスコミの人たちは単に早さだけを競っているように思います。さらに言うなら、今の大手マスコミは記者クラブでの発表だけを報じることで満足しているように見えます。
いろいろな問題が起こりすぎて影が薄くなっていますが、家計学園の疑惑が報じられたときに定例記者会見で菅官房長官に食い下がって質問をしていたのはローカルである東京新聞の女性記者です。この「食い下がりぶり」が注目されてニュースになったくらいですから、いかにほかの記者が厳しい質問をしていないかがわかります。この女性記者のような対応を大手マスコミの記者たちがしていないことは憂慮されるべきことです。大手マスコミの記者は御用記者に成り下がってしまったのでしょうか。

山尾議員の名前は「志桜里」ですが、同じ読み方で漢字が違う女性のニュースが5月末にありました。「詩織」さんです。この女性が元TBSの記者からレイプをされたと会見を開きました。この事件は週刊誌では報じていますが、大手マスコミはほとんど報じていません。
この「詩織さん事件」の大まかな内容を紹介しますと、2015年に事件が起き、警察に訴えたにも関わらず不起訴になったことに納得できず、顔を出して記者会見をしました。記者会見で重要なことは不起訴になった理由が「政権からの圧力があった」と主張していることです。理由はレイプ犯が安倍首相と親しい記者だったからです。
さらに、この記者が官邸に「もみ消しを依頼している」メールが誤って詩織さんに届いてもいるのです。これは立派な証拠ですが、やはりこれも大手マスコミは報じていません。ところが、その後展開が変わってきます。「詩織さん事件」そのものがほかの狙いがあるという情報がネットで拡散していました。「ほかの狙い」とは安倍政権を追い落とす狙いです。「詩織さん事件」に批判的な意見に寄りますと、詩織さんという人物はどこかの政治的な団体の息のかかった女性だそうです。
ここまで来ますと、僕のような一般人としてはどれが真実でどれが作り話かがわからなくなってきます。基本的に、週刊誌は「煙が立ちそうな」段階で報じますので勇み足も多々あります。ですから、すべて信じることも不安な気持ちになりますが、本来それを補ってくれるのが大手マスコミのはずです。
しかし、今の大手マスコミは偏向が強く一方的な角度からの報道しかしなくなっています。過激な言葉を使うなら事実が捻じ曲げられて報じているようにさえ思えます。「捻じ曲げる」方法は単に伝え方だけではなく、「伝えない」という方法もあります。
例えば、家計学園問題に関して7月24日に国会で審議が行われました、そのときに前愛媛県知事が参考人として意見を述べています。その意見がとてもわかりやすく政権側を後押しする内容だったのですが、一部の政権寄りの大手マスコミしか報じていませんでした。この意見を聞くのと聞かないのでは家計学園問題に対する印象が全く変わってきます。
僕は左でも右でも上でも下でもありません。ただ平和で公平な世の中になることを望んでいるだけです。そんな僕が頼りにするのは事実だけです。偏っていない中立な視点から見た事実だけです。ですから、大手マスコミがそのような姿勢になることを願ってやみません。大手マスコミに就職することは並大抵ではありません。一流の大学出身で立派な成績を収めている人しか入ることはできません。それほど優秀な人の集まりであるにも関わらず、誰も今の現状をおかしいとは思わないのでしょうか。それが不思議です。
「戦争は正義と正義の戦いである」と誰かが話していましたが、それだけ正義はたくさんあることになります。実際、自分が正しいと思っていることが正義なのですから当然とも言えます。あのオウム真理教で殺人を犯していた人でさえ教祖様の命令が正義と思って実行していたのですから正義ほどあやふやで危険なものはありません。
正義はあてになりませんので、平凡な僕としては事実を知ることでしか正しい判断をすることはできません。それなのにその事実さえも正確に伝えてもらえないのはとても困ることです。そうなりますと僕ができることはいろいろな角度からの情報を取り寄せることです。ですが、たくさん情報がありすぎるとそれを整理するのも大変です。そうだ!
情報をわかりやすくするために「シオリ」が必要だ。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:23 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

<世界は広い>

新学期が始まりましたが、報道に寄りますと新学期の最初の日は子どもたちの間で最も自殺が多い日だそうです。それに関連したニュースがありましたが、「自殺をしないで」という訴えが大きく取り上げられることはとてもよいことです。
僕はもう60才を超えていますが、年を重ねるごとに感じることは世界の広さです。世の中には自分の知らないことがたくさんあることに驚くとともに感心し、そして感動をしています。そんな世の中を子どもは知りません。子どもは人生を経験している期間が短いですので当然ですが、自分がいるその場所だけが人生だと思っています。子どもが自殺する原因はそれに尽きるように思います。
もし、ほかに生きる場所があることを知っていたなら自殺などしないでその場所に移動することを選ぶはずです。先月の終戦の時期のコラムで書きましたが「人間は人を殺すために生まれてきた」のではありません。同じように「人間は苦痛を感じるために生まれてきた」わけでもありません。人間が生まれてきたのは「生まれてきてよかったぁ」と感じるために生まれてきたはずです。それなのに「苦しく辛いことしか経験できない」場所に居続けるのではあまりに不幸です。
僕はいじめのニュースに敏感ですが、いじめのニュースは30年以上前から報じられており、そして対策が取られてきているはずです。どうして「30年」という具体的な数字を書いたかと言いますと、僕がいじめに関心を持ち始めた年齢だからです。つまり、これは子どもがそのときにいるその場所がすべてと思うのと同じように、僕もその頃までは自分の周りのこと以外についてあまり関心を持たなかったからです。いじめは周りの大人の無関心さに大きな原因があります。
僕は大人と子どもの決定的な違いは「自分以外の周りの出来事にどれだけ関心を持てるか」にあると思っています。小学校の頃、「廊下を走るな」という貼り紙が貼ってありましたが、子どもは急いでいるときはついつい走ってしまいます。それを諫めるために書いてあった標語ですが、子どもは自分のことに精いっぱいで自分が急いでいるときはほかのことに目が行き届きません。
僕が毎日行っているスーパーでも小さな子どもが走っていることがあります。自分のやりたいことしか頭の中にないからです。ですから、走っている子どもの目はなにかに夢中になっている目をしています。
このように子どもは自分の周りのことで精いっぱいですので周りが見えません。ですから、大人が「ほかにも場所があること」を教えてあげることでいじめによる子どもの自殺はなくすことができるはずです。それなのに今でもいじめで自殺する子供がいます。僕にはそれが残念でなりません。
僕が最も憤りを感じるのは先生という立場の人がいじめに関わっているときです。次に憤りを感じるのはいじめを傍観している先生です。これだけニュースになっているにも関わらずなんの対策も取っていない先生がいることに納得ができません。そのような先生は先生という仕事に就いてはいけない人たちです。
このような先生たちに当たってしまった子どもたちは不幸です。ですが、これを不幸で終わらせてはいけません。不幸にしないためには子どもたちの環境をオープンにすることが必要です。オープンとは2つの意味があります。1つは学校という現場をオープンにすることで、あと1つは選ぶ権利をオープンにすることです。
1つめの「学校をオープンにする」とは数十人が集まった一クラスを先生一人が運営するのではなく複数の先生で運営することです。敢えて「管理」という言葉を使わず「運営」という言葉を使いました。
2つめの「選ぶ権利」とは学校をある程度自由に選ぶことができるようにすることです。しかし、これは一つ間違えますと偏差値の高い学校に偏る弊害が起きそうですが、あとは親御さんの教育方針に任せればよいだけです。子どもの教育や成長に関しては学校や教師ではなく親に100%責任があるからです。このようにすることでなんでもかんでも学校の責任にする不届きな親の責任逃れを防ぐことができます。
いじめが社会問題化してから数十年経ちますが、全く解決しないのは大人に責任があります。文部科学省に責任があると言っても過言ではないでしょう。官僚の皆さんが自分の出世や保身やつまらないプライドに汲々としていたことに原因があります。社会に奉仕するという使命を持って官僚になったはずですので真剣に子どもたちのいじめ対策を講じてほしいものです。いじめによる子どもの自殺は大人のやり方次第で絶対になくせると僕は思っています。

前にも少し書きましたが、僕が利用していますホームページサービスが終了しますのでどこかに移動させる必要があります。ですが、実はほかにも終了するサービスがあります。それはアマゾンが本を紹介するサービスなのですが、おそらく利用者が少ないのでしょう。企業ですから利益に貢献しないサービスは終了するのも当然です。
この両方のサービス終了を解決する方法としては有料のサーバーを利用しようかと悩んでいるところですが、それについても勉強する必要があります。ですが、僕はここ数か月間電子紙芝居を作っていました。電子紙芝居とは僕が勝手に命名したのですが、要は紙芝居のネット版ということです。
本来は動画を作りたいのですが、僕の今の技量ではとても不可能なことがわかりました。そこで、ネットを使ってなにかを作りたいと考えた末に思いついたのが電子紙芝居です。きっかけはYOUTUBEを見ていた時に芸能人のゴシップに関する動画の視聴回数が多いことに気がついたことです。
これはどのような動画かと言いますと、背景に芸能人の写真を映し出し、それが複数枚変わるだけで、そこにかぶせるようにゴシップ記事が書いてあるだけです。これは動画とは言いながら、実際は単なるゴシップ記事を流しているだけです。それでも視聴回数が稼げているということは視聴者は画面ではなく文字情報に惹かれていることになります。
時を同じくしてクラウドで仕事をするサイトを見ていましたら、まさしくその動画を作成する人を募集している記事がありました。それで僕は確信しました。文字情報だけでも立派なネット動画になるのです。
しかし、ゴシップ記事で動画を作るのは抵抗がありますのでいろいろ考えた結果、電子紙芝居にたどり着いたわけです。もちろん絵心が全くない僕が紙芝居の絵を描けるわけはありません。そこで以前購入した3Dイラストを作るソフトを利用することにしました。3Dソフトの長所は角度をいろいろと動かせることです。ですので簡単ではありませんでしたが、なんとか紙芝居にはなりそうなイラストを作ることができました。
文章は前に作っていたものでしたので問題はありませんでしたが、苦労したのは音楽でした。先のゴシップ記事を見ていて思ったのですが、動画を作るときに大切なのはBGMなのです。BGMがあるのとないのでは雰囲気が全く違ってきます。音楽がない動画は魅力が全くありません。ですので、BGMに挑戦したのですが、これもまた一苦労どころか二苦労、いえいえ大苦労でした。
なにしろ音楽ソフトは使ったことがありませんのでどれを選んでよいのかがわからないのです。選ぶには使いやすさも重要ですが、「使いやすさ」がどういうことなのかさえわからないのです。そうした困難を乗り越えて出来上がったのが「ちっちゃな恋の物語」という名作です。(^_^)
僕のコラムの読者の皆さん、どうかご覧ください。
感動すること間違いなしです。(^_^)
ちっちゃな恋の物語

じゃ、また。

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posted by satoaki at 21:16 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

<問題だよなぁ>

僕は変な考えをするタイプの人間ですので、ちょっと普通の人とは違うことを考えたりするのですが、どうして世の中には矛盾していることや不公平なことが多いのかなぁなんて考えちゃいまいう〜。

最近、「なんか矛盾してるよなぁ」と一番思ったのはコンビニの本部がコンビニオーナーに行った研修についてのニュースです。この研修は、今年の初め頃にコンビニオーナーがアルバイトの人に対して違法な働き方をさせていたことが報じられたことを受けてのものです。
記憶にある方も多いでしょうが、アルバイトの人が急に休んだりしたときに罰金と称してお給料を減額していたり、アルバイトの人に強制的に商品を買わせたりしていることが報じられました。こうした行為は普通の感覚で考えたならどう考えても理不尽です。ですから、研修などするまでもなく常識的な感覚を持っているオーナーさんならしないはずですのでわざわざ研修までする必要はないように思えます。その証拠にほとんどのコンビニではアルバイトの人に対してそのような働かせ方はしていません。
僕が「矛盾している」と感じたのは、加盟店に対して「アルバイトを雇用する際の正しいやり方」を指導する本部の姿勢です。なぜなら、本部は加盟店に対してそれ以上に理不尽な対応をしているからです。最近はコンビニ本部と加盟店の不公平な関係が一般の人にも知られるようになってきました。そうした状況になったのもインターネットが普及したからですが、ネットの効用と言えます。
(興味のある方はご覧ください⇒http://blog.yam5.com/archives/42)
以前からコンビニ本部の問題点は指摘されていましたが、大きな報道と言いますか、流れにならないのはコンビニがテレビ局や新聞の大口の広告スポンサーだからです。ですから、民間のテレビ局では難しいですが、スポンサーとは関係のないNHKではコンビニ本部の問題点を取り上げていました。
(興味のある方はご覧ください⇒http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3894/1.html)
コンビニ本部が加盟店に注意を喚起している問題点は、まさに本部が加盟店に行っていることです。そして、それを違法ではなく堂々とできるのはフランチャイズシステムという特殊な契約内容だからです。この契約内容は、普通の感覚で考えますとどう見ても理不尽としか思えない内容です。例えば、お店を休んだなら多大な違約金を取られますし、強制的に商品の購入を迫られています。こうした状況を理不尽と言わずなんと言いましょう。そのような対応をしている本部が、加盟店に「正しい対応をしましょう」と研修していることに僕は矛盾を感じたのです。

僕はテキストやコラムで書いていますが、フランチャイズシステムであるコンビニの経営法を批判しています。ですが、最近になり少し考えが揺らいでもいました。理由は、僕が長年年賀状のやり取りをしている二人の方がコンビニの加盟店を営んでいるからです。
このお二人の方はもう20年以上続けています。そして、驚くべきことに一人の方はお子さんにコンビニを継がせていますし、もう一人の方は息子さんに2店目を出店させています。もし、コンビニ経営にあまりに問題点があるのであればお子さんに継がせたり息子さんに2店目を出店などさせないでしょう。そうした事例が身近にありましたのでちょっと考えに揺らぎが生じたのでした。
ですが、先月の東洋経済という週刊誌で加盟店主の座談会のような記事があり、それを読みますとやはり加盟店主の理不尽な立場は残ったままのようでした。ですので、批判する気持ちが強くなっています。
コンビニ本部は幾つかあり、それぞれの本部により加盟店への対応に違いはあります。ですが、共通しているのは「店舗を自前で用意できる人」と「そうでない人」では契約内容に大きな違いがあることです。「用意できる」とは土地を持っていたり建物を持っていることです。もちろん「店舗を自前で用意できる人」は「そうでない人」に比べ本部から支払われる報酬の割合なども含めてその他諸々なことが有利な条件となっています。
こうしたことから考えますと、僕の知り合いの人たちはもしかしたなら有利な条件で契約をしている人かもしれません。そうでなければ「余程立地条件がよくて売上が好調である」と考えられます。名目上としての立場は経営者ですのでお給料がもらえるわけではありません。それでもお子さんたちもコンビニ経営に参加しているのですからある程度の売上げがあることが想像できます。
問題は「ある程度」の金額です。先の経済誌では20代のサラリーマンとおおよそ同額の収入額が書いてありました。また、NHKの番組でも同じような金額を報じていました。こうしたことから想像しますと、この金額でほぼ間違いないように思います。サラリーマンとあまり変わらないのであれば、人によってはこの金額で納得する人もいるかもしれません。一応は一国一城の主なのですから、その満足感もあります。しかし、サラリーマンとは労働時間が圧倒的に違っています。
問題はさらに深くなっていきます。契約上の立場は経営者ですので雇用されているわけではなく労働者として保護されることはありません。ですから、どんなに長時間働こうが自分の責任の範囲ということになります。ところが、オーナーはお店の営業時間を短くすることも休日を設けることも自分で決めることができない身分なのです。いったいどうして、休業日を自分で決められない立場の人が経営者なのでしょう。僕はそこに矛盾を感じます。もし、営業時間を変更したり休んでしまったなら多大な違約金を取られることになります。そんな経営者がいるでしょうか。

僕がコンビニのフランチャイズシステムで最も憤りを感じるのは本部と加盟店の関係が不公平なことです。加盟店側がとても不利な契約内容になっています。その根本的な要因は「本部にがんじがらめに縛られているにも関わらず法的な立場は経営者になっている」ことです。「なっている」というよりは「させられている」のほうが正しい表現かもしれません。
今回、僕が言いたいことはコンビニ本部の問題点はありません。そこで働いている人たちの心の中です。コンビニ本部で働いている人たちはこのような実態についてなにも疑問や違和感を感じることはないのでしょうか。「本部のやり方は問題だよなぁ」と考えることはないのでしょうか。僕はそれが疑問なのです。

現在の米国はこれまでに比べて人種差別が大きくなっているように見えます。トランプさんが大統領になったことがきっかけと指摘しているメディアもありますが、奴隷制度を支持していた人物の銅像の撤去を巡って衝突が起きました。この騒動に関して、トランプ大統領はが人種差別をする人たちを批判しなかったことが物議をかもしています。トランプ大統領に抗議する意味で多くの側近たちが役職を辞任しています。

「私には夢がある」

これは黒人の公民権を獲得するために活動したキング牧師の言葉です。それまで黒人は大っぴらに差別されていました。レストランも区切られていましたし、トイレも白人とは別でしたし、バスの座席も別でした。そのように差別されていた時代にキング牧師は人種間の差別がなくなる時代を夢見ていたのです。その夢に向かって一歩ずつ前進している中で公然と人種差別を訴える動きが活発化していることを危惧しています。

それにしても、どうして他人を差別したがる人がいるのでしょう。おそらくそのような人たちは常に自分が有利な立場にいたい人なのでしょう。また、常に優越感を持っていたい人なのでしょう。しかし、そのような考えの人が世の中を平和にできるとは思えません。人間には誰にも悪の心があるそうです。その悪の心をしまいこんでおく努力を続けることが大切です。そのためには自分の利益だけではなく、ほかの人の利益についても常に案じる気持ちを持つことが大切です。

コンビニ本部で働いている人たちが加盟店オーナーの気持ちを考えてくれればいいなぁ。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:24 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

<nanisotu>

僕はほぼ毎日妻とスーパーに買い物に行き、マックのコーヒーを飲むのを日課にしています。これまでにも書いていますが、これまでの平均として1年のうち360日はここのコーヒーを飲んでいます。今年は、現時点で行かなかったのは二日だけですのでこのペースでいきますと、今年の来店日数は363日になる予定です。おそらくここのマックでは来店日数のベスト3に入ると自負していますが、実際はどうでしょう。
僕はマクドナルドを呼ぶときに短くして「マック」と言いますが、先日テレビでマクドナルドの呼び方についてアンケートを取っていました。マクドナルドには「マック」のほかに「マクド」という呼び方があるそうですが、この違いは地域によるそうです。主に大阪を中心とした関西の地域では「マクド」と呼び、それ以外の地域では「マック」と呼ぶのが一般的だそうです。これは言葉の発音の仕方が大阪とほかの地域では違うことが理由のようです。僕が「マック」と呼ぶ理由がわかりました。
「マック」にほぼ毎日行くということはこのスーパーにもほぼ毎日行っていることですが、そのスーパーの店内放送で面白いアナウンスを聞きました。
店内を歩いていますと、一定の間隔を開けて各店舗の紹介とか宣伝のアナウンスが聞こえてきます。大きなスーパーですのでお店が幾つもあり、すべての店舗を見ることはありませんのでこのアナウンスはとても意味がありますし、効果もあるように思います。
店内放送を担当しているのはサービスカウンターという部署だと思いますが、店内放送から聞こえてくる声はとても聞きやすく話すことに慣れている人がアナウンスをしていることが想像できます。
また、店内放送には幾つかの種類のマニュアルがあり、多くの場合それに沿って読んでいると思います。ですから、店内放送の内容によって最後の終りのセリフはいつも同じです。

さて、ある日店内を妻と歩いていますといつものように店内放送が流れてきました。そして、最後のいつものフレーズのところに差し掛かりますと、いつもとは違う言葉が流れてきました。

「…ナニソツ、よろしくお願いいたします」

一瞬、僕の思考が止まり、、、「ナニソツ…?」。

しばらく考えてから妻に尋ねました。
「今、なんて言った?」

すると、妻は驚いたふうなど全く見せず平然と
「『何卒』を読み間違えた」

と答えたのです。

ああ、なるほど確かに、「ナニソツ」だ。

僕は声を出して文字を読むのが苦手です。声を出して読むと内容が全く頭に入ってこないのです。これは小さい頃からそうなのですが、中学生になっても高校生になっても大学生になっても変わりませんでした。もちろん今もそうです。声を出すことに全神経が使われ内容を理解することにまで頭が回らないからと自分では思っています。
たぶん、「ナニソツ」の人もそうだったんだろうなぁ…。

一度にいろいろなことができない僕の今の悩みはホームページを移行させなければいけないことです。僕はこれまでKDDIのホームページサービスを利用していたのですが、そのサービスが「今年の10月で終了する」という通知がきました。ですので、それまでにどこかに引っ越しをしなければいけないのですが、どこにしようか迷っています。
実は、今の僕のホームページ訪問者数は芳しくありません。昨年か一昨年か忘れていまいましたが、ホームページを作り替えたときから訪問者が激減しています。訪問者を増やす目的で作り替えたのですが、反対に激減してしまいました。
そのような反省がありますので、今回引越しをする際は訪問者が増えるような対策をとりたいと思っています。ですが、如何せんパソコンの知識が少ないのがネックになっています。いろいろ本を読んだりして勉強するのは本当に時間がかかりますし、根気も要ります。このどちらもが足りませんのでなかなか実現させることができずにいます。
現段階でわかっていることは、ホームページの作り方には2通りがあることです。これまでのようなホームページを作る方法と、ブログのようなホームページを作る方法です。そして、検索で上位にいくには後者の「ブログのようなホームページ」のほうが有利なそうです。代表的なものとしてwordpressがあるのですが、このサイトを作るにはやはりある程度の知識が必要のようで、また勉強を迫られることになります。
実は、今僕が挑戦しているのは「紙芝居のような動画」です。これを作るのにまた新たにイラストについて勉強したり、音楽関係のソフトについても勉強しなければならず手間取っています。

「手間取ってる」と言いますと、安倍首相もトランプ大統領も政権運営に手間取っているように見えます。トランプ大統領は周りのスタッフがどんどん離れていっていますので素人目にも末期症状のように感じます。
安倍首相に関しては沖縄北方担当相に就任した江崎鉄磨氏意外は順調に仕事をこなせる閣僚が揃っている印象があります。江崎氏も閣僚という立場での発言の重みを理解しはじめたようでこれまでなんとかボロを出さずに済んでいるのは当選7回という実績が伊達ではないことを証明しています。なにしろ「素人なので、官僚の用意した文章をしっかりと読む」と公言した方ですので本気で政治家を務めたならそれなりにこなせるはずです。
ただし、ひとつ心配なのはいつか間違って「ナニソツ」のような読み間違いをしそうなことです。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:07 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする