2018年02月25日

<人の性(さが)>

オリンピックもとうとう本日が最終日となりました。正直に言いますと、オリンピックが始まる前はあまり楽しみにしていなかったのですが、いざ始まってしまいますとやはり感動するものです。先週のコラムを書く時点では羽生選手の金メダルが一番感動しましたが、その後も感動する場面がたくさん生まれました。やはりスポーツっていいですよねぇ。

今回のオリンピックで僕が一番印象に残っているのはスピードスケートの小平奈緒選手と高木美帆選手です。小平選手のスポーツマンシップは世界から賞賛されましたが、さらに素晴らしいのはそのスポーツマンシップを殊更押しださなかったことです。

テレビなどマスコミは小平選手が金メダルを獲得するまでの道のりをどうしてもドラマティックにしたがったりストーリーを作りたがります。ですが、小平選手はインタビューなどにおいても自身の喜びや周りへの感謝の気持ちを素直に出しながらもできるだけ淡々と対応していました。

特に親しい友人が昨年亡くなっているという出来事はマスコミ的には感動的なストーリーに仕立てあげたい格好の材料でした。しかし、小平選手は涙を流しながらも感動を強調させるような言動をとっていなかったところがスポーツと商業主義の間に一線を画していたようで好感でした。

一部のマスコミでは小平選手を哲学者になぞらえていますが、「金メダルは名誉。でも生き方が大事」という名言は後世に残るでしょう。これほどスポーツ選手の目指すべき生き方の核心をついた言葉はありません。

同じようなことが高木美帆選手にも言えます。高木選手の場合は15才で代表に選ばれ19才のときは代表を落選し、そして今回また代表に選ばれ、しかも銅、銀、金と3つのメダルを獲得しています。まるで漫画原作の基本のような生き方を生身の人間がたどっているのですから感動を呼び起こさないはずがありません。小平選手と同様にもしくはそれ以上に感動ストーリーを作りやすい材料が揃っていました。しかし、それでも感動に行き過ぎることもなく、淡々と受け答えをしていたところに感激しました。

さらに高木選手が「すごいなぁ」と思えるのはまだ23才という年齢であることです。小平選手は30才を超えていますので素敵な対応をできても「不思議ではない」という思いがあります。しかし、敢えて「弱冠」という言葉を使いますが、弱冠23才であれだけ素晴らしいマスコミ対応をできるのですから、どれほど辛く厳しい人生を歩んできたのだろうと思うと、尊敬の念を覚えずにいられません。

高木選手にこだわってしまいますが、実は高木選手にはあと一つ「すごいなぁ」という思えたことがあります。それは姉である高木菜那選手との距離のとり方といいますか接し方です。

実は、60才を超えた今になってわかりますが、子どもを育てることほど難しいことはありません。同性の子供の場合は尚更です。男にしろ女にしろ同性の場合は子供なりにライバル心が生まれます。同じ親の元に生まれ、同じ育て方をされてもその結果が違うのですから劣っているほう心中穏やかでいられるはずがありません。そこに確執が生まれます。

そして、その確執は二人の年齢が近いほど顕著に現れます。人間というのは大人になっても嫉妬心とか羨望、顕示欲といったポジティブな感情が芽生えます。大人でさえそうなのですから子どもが出ないはずはありません。

大人の場合は感情をコントロールまたはごまかす術を身につけていることもありますが、子どもの場合はそのような術を持ち合わせていません。このような状況で子どもは育てられます。確執が生まれて当然です。

例えば、フィギュアスケートの浅田真央さんと舞さんの姉妹がそうでした。真央さんが引退した現在でこそお互いの気持ちを素直に伝えられるようになっていますが、以前はどちらも心を閉じていたそうです。こうした例は枚挙に暇がありません。繰り返しますが、これは人間の性(さが)がさせる業です。人間には感情というコントロールしがたい自分の気持ちを操作するスイッチがありますので仕方のないことです。神さまであるならそうしたポジティブなスイッチをのけることもできるでしょうが、人間は神さまではありません。

話は逸れますが、実は僕は学生時代「世の中を平等にするには社会主義とか共産主義も一つの方法だよなぁ」と思ったことがありました。遊び惚けていた僕ですが、深夜に帰る電車の中で窓から見た夜空を見ながらそんなことも考えていました。しかし、社会主義や共産主義の国家がどんどんと消滅していく様を見て、これらの主義は「現実的ではない」と思い至りました。その理由が、人間の「どうしようもない感情」です。結局、嫉妬心とか羨望、顕示欲という感情が世の中を平等にさせないのです。結局、チャーチルの言葉に行きつきました。

「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」
(民主主義と資本主義は正確には違いますが、あまり固いことは言わずに)

話を戻しますと、23才という若さで姉妹の確執さえも乗り越えている高木美帆さんに拍手です。もちろん姉の菜那さんにも拍手です。女子マススタートで初代金メダルに輝いて本当によかったです。

同じ年頃の同性の兄弟姉妹で仲がよい人を見ていますと、僕はその親御さんを尊敬してしまいます。普通の親というのは誰でも子育ての素人です。僕にしても子供が小さい頃はお店を運営することで精いっぱいで子育てについて勉強したこともありませんし、真剣に考えたこともありません。ただ普通に自分の感覚で接していたように思います。僕の場合はたまたま女と男と言う異性でしたからよかったですが、同性だったならうまく育てられたか自信がありません。

おそらく同性の子育てについてきちんと勉強して細心の注意を払って接している親はあまりいないのが実状のはずです。そんな中でも子供のみんながたまたま運よく素直に育ってくれることを願ってやみません。

ところで、オリンピックをテレビで見ていますと選手の顔がアップになる場面があります。男性選手の場合はあまり興味も湧きませんが、女性選手の場合は自然と自分の好みでランキングをつけたりします。そこで最後に僕のランキングを紹介しようと思います。

僕のルックスランキング!
日本人ではカーリングの本橋さん、スピードスケートの小平奈緒さん、スノーボード選手の藤森由香さんです。外国の方ですと、フィギュアスケートロシアのアリーナ・イルナゾヴナ・ザギトワさん、スノーボード米国ジェイミー・アンダーソンさん、アルペンスキー米国リンゼイ・ボン(アメリカ)さんかなぁ。

えっ、スポーツの世界でルックスで順位をつけるのは不謹慎だって?

これも人間の性(さが)ですから。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:16 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月18日

<信頼フィルター>

日本中が歓喜したであろう羽生選手の金メダルでした。あれだけのプレッシャーの中で結果を出せるのですから並外れた精神力の持ち主であることを証明しました。スケーティングの技術力もさることながらあの精神力だけでも十分に金メダルに値する価値があります。

普通の人は緊張すると普段の実力を出せないものです。僕なども経験がありますが、入学試験の際に試験に向かうときにお腹が痛くなったりする人はよくいます。入学試験と比べるのもおこがましいですが、オリンピックは4年に一度しかない特別な大会です。そのうえ多くの人からの期待度も半端ではありません。そのような状況の中で実力を出すのですからやはりヒーローになるに相応しい選手です。

羽生選手と言いますと、スケーティングの技術力の素晴らしさとともにマスコミ対応においても賞賛されることがあります。今ふうに言いますと「神対応」というようですが、マスコミが取材しやすいように対応してくれることでマスコミの人からも人気があるそうです。まだ23才ですが、あの若さでマスコミ対応の術を身につけているのですから内面的な面においても金メダルに相応しい人格者ということになります。

オリンピックに限らず、スポーツ選手はマスコミとの関係はとても重要です。どんなスポーツであろうともマスコミに取り上げられて初めてスポーツとして認められます。例えプロでなくアマチュアであっても同じです。プロの場合は社会的認知度がそのまま業界そして選手の収入に直結しますし、アマチュアの場合でも活動をするには資金が必要です。資金がなければ練習もままならないのが現実です。

アマチュア競技でも技術レベルを上げるにはすそ野を広げることが大切です。競技人口が増えることは増えた人数分だけ才能を持っている人を見つける確率が高くなるからです。そしてやはりすそ野を広げるには資金が必要です。

このようにどのようなスポーツであろうとも資金の確保、それに伴う知名度の向上はとても大切です。その両方において重要な要因となるのがマスコミ対策です。僕は「ミュンヘンへの道」という男子バレーボールが金メダルを獲得するまでの感動物語をコラムで書いたり「まとめnaver」に投稿したりしています。その感動物語の立役者は松平康隆さんとう方ですが、この方が重視したのがマスコミとの連携でした。「ミュンヘンへの道」は1972年のことですが、今から40年以上も前からスポーツにおけるマスコミの重要性が大切だったことがわかります。

スポーツ選手はマスコミに取り上げてもらうことで知名度が上がりますが、ここで問題なのはスポーツ選手は芸能人ではないことです。ですから、マスコミが喜びそうな対応や振る舞いをする必要性を全員が感じているわけではありません。選手の中には取材を鬱陶しく感じている選手もいます。そのような選手はおそらく個人的資質もあるでしょうが、マスコミに対する不信感が根底に横たわっているケースもあります。

選手がマスコミに対して不信感を持つきっかけになるのはほとんどがマスコミに責任があるように僕は思っています。これはマスコミの昔からの悪弊と言ってもいいと思いますが、「レッテルを貼りたがる」傾向が影響しています。その理由は新聞や雑誌ですと「売れる」からでテレビですと「視聴率がとれる」からです。要は会社の収入に影響するからです。

「レッテルを貼りたがる」傾向がありますと、どうしても選手の本当の姿とは少し離れた報道になりがちです。「レッテル」は単純でシンプルなほうが効果が高まるからですが、そこには選手の微妙な気持ちや心理状態が入り込む余地がありません。そうして「レッテル」が独り歩きすることによって選手の人物像が出来上がっていきます。選手はそこに不信感を抱くようになります。

僕がマスコミとスポーツ選手の関係で印象に残っているのはプロ野球の野茂投手でした。野茂選手は口数の少ない実直な感じの選手でしたのでマスコミ対応を苦手とする選手でした。マスコミはニュースになるようなコメントなどを求める傾向がありますが、そうした面が苦手だったように思います。やはりマスコミに対して好意的でない選手はマスコミも好意的には報じないのが普通です。

野茂投手の次に米国に渡った有名な選手はイチロー選手ですが、イチロー選手もマスコミに対して心を開くタイプではありませんでした。しかし、イチロー選手の場合は球団および親会社と仰木監督が守ってくれた印象があります。

イチロー選手に比べてマスコミとよい関係を築いていたのが松井秀喜選手です。松井選手の場合はマスコミというよりは「番記者」の方々との関係をうまく築いていたことが大きいように感じています。それを実現できたのは、高校時代にすでにマスコミの持つ影響力を体験していたからです。甲子園というマスコミが押し寄せる場ですべての打席を敬遠されるという異常な状況を経験したことでマスコミの殺到状況も尋常ではありませんでした。そうした経験がマスコミと上手に接することの重要性を認識させたように思います。

最近の選手では、ダルビッシュ有選手が記憶に残っています。ダルビッシュ選手は高卒で入団したときに二十歳前でもあるにもかかわらず喫煙が発覚してしまい、マスコミからものすごいバッシングを受けました。その経験が影響していないはずはありません。そのときにマスコミとの距離感の持ち方を学んだのではないでしょうか。

選手として成功し業界または社会的にも存在が大きくなりますと、選手とマスコミの立場は逆転します。選手のほうが圧倒的に強くなりますのでその立場まで行きますと選手としてはマスコミ対応に困ることはありません。大切なのはそこに行くまでの間です。

選手として成功しますと、マスコミの人たちの中では選手との親密度が仕事に影響を与えることになります。マスコミとしては選手のコメントがほしいわけですが、インタビューをするのも容易ではなくなっています。そうなりますと、頼りになるのは記者と選手の個人的人間関係だけということになります。

このように見てきますと、選手とマスコミの関係において最後にモノをいうのは選手にしろマスコミ人にしろ人間性のように思います。単に相手を利用するだけが目的の関係は長続きはしないものです。なにしろ利用することが目的ですから、両方それぞれが相手に価値がないと思ったなら自然に疎遠になるからです。

本当に信頼できる相手に巡り合うには年月というフィルターが必要です。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:10 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月11日

<孤高>

いよいよ平昌オリンピックが始まりました。おそらくテレビはオリンピック一色になるでしょうが、テレビは感動が「ウリ」のメディアですのでオリンピックは素材としてはまさに打ってつけのイベントです。しかし、あまりに過剰な演出をされてしまいますと僕としては反対に気持ちが冷めてしまいます。適度な演出に抑えてくれることを願っています。

さて、実は僕が先週一番心に残ったできごとはフリーの女性アナウンサーである有賀さつきさんがお亡くなりになったことです。基本的にこのコラムでは芸能ネタは取り上げないのですが、有賀さんの最後の姿にあまりの潔さを感じましたので書くことにしました。

有賀さんの訃報は突然でした。僕の中ではつい先日までテレビのクイズ番組に出ていたような感じがありましたので特に唐突な印象があります。しかし、あとからの情報によりますとかなり以前から闘病生活をしていたそうです。クイズ番組で一緒に出演していた先輩女性アナウンサーのお話では、そのときカツラ(正しくはウィッグ)を着けていたそうでそのことに触れると明るく「とても簡単で便利ですよ〜」とまるでおしゃれの一環としてつけているように答え、闘病中であることなど微塵も感じさせない笑顔を見せたそうです。しかし、実際にはそのカツラは闘病のためのものだったのです。

有賀さんは本当に最後の最後まで孤高を貫きました。僕が今回コラムで書こうと思ったのはそこに畏怖の念を覚えたからです。今の時代はSNSなどの発達で自分をさらけ出すことが流行りになっている風潮があります。楽しいことはもちろんですが、ネガティブな状況も発信することで自らの存在をアピールできます。

もちろんそうした風潮を批判する気持ちは毛頭もありません。例えば療養中のようすを発信することで同じ病気の人を勇気づける効果もあります。ですから、社会的にも有意義なことだと思います。しかし、そうした考えとは正反対の生き方があっても然るべきです。有賀さんのお父様がお話ししていましたように「誰にも迷惑をかけずに最後まで生きたい」という気持ちが強かったのでしょう。しかし、口先だけはなく実際に行動で示すのは並大抵の意志の強さではできません。強靭な精神と覚悟を持っていなければできない態度です。

有賀さんはお父さまにも闘病のことはお話になっておらず、自分が亡き後のことをすべて自分で済ませていたそうです。例えば、銀行口座の手続きや相続のことなどあらゆることを自分で行っていました。つまり、自分の最後を悟っていたことになります。そのような状況でも取り乱すことなく冷静にやるべきことをきちんとやっていた姿にこみあげてくるものがあります。自分の最後がわかっていてもたじろぐことなく背筋を伸ばして生きていた姿勢に尊敬の念を覚えずにはいられません。

有賀さんは女性アナウンサーがタレント化するきっかけになった世代だそうです。僕も記憶がありますが、有賀さん、八木亜妃子さん、河野景子さんの3人はフジテレビの看板娘として華やかさ、さらに言うならキャピキャピ感がありました。この3人は同期ですが、以前河野景子さんが有賀さんについて話していたエピソードが印象的でした。

採用試験の面接のときにたまたまトイレで一緒になったそうです。そのとき有賀さんはなんと鼻歌を歌っていたというのです。普通誰でも就職試験の面接では緊張するものです。しかもテレビ局の女性アナウンサーという狭き門ですから緊張の度合いも半端ではないはずです。そのようなときでも有賀さんは全く動じる気配を見せていなかったのですから素晴らしい精神力の持ち主です。

そして、今回その精神力の強さが単なる度胸があるというだけではなく、もっと高邁な精神の裏付けがあったことを証明しているように思います。世の中には度胸のある人というのはいますが、どの度胸が単なる鈍感さということもあります。しかし、有賀さんは鈍感さではなく、いろいろなことを踏まえたうえでの強い精神力でした。死を目前にしても動じていなかったのですからこれ以上度胸のあるさまを証明する状況はありません。最後の最後まで投げやりになることもなく、人としての自分を貫き通した姿に感動せずにはいられません。有賀さんの「動じない強さ」は上っ面のものではなく間違いなく本物でした。

そのような有賀さんでしたが、結婚相手の選び方には過ちがあったようです。離婚会見のときに元夫に対して「家の中でも上司だった」と明言を吐いていますが、実に的を射た表現でした。有賀さんの結婚相手はフジテレビの解説委員の方でしたが、社会人またはビジネスマンとしては有能でも結婚相手としては不似合いな印象を抱いていました。有賀さんのような立場にいますと、いろいろな芸能人やスポーツ選手など一流人との交流もあったはずです。ですから人を見抜く力も培われていたはずですし、またいくらでも結婚相手がいたのではないでしょうか。それだけに結婚相手を知ったときに残念な感想を持った記憶があります。有賀さんほどの聡明さを持ち合わせていても幸せな結婚相手を見つけられないのですからやはり結婚というのは難しいものです。

僕は「あなたはこうやってラーメン店に失敗する」という本を公開していますが、この本は毎日10人以上の方が読んでくださっています。月間ですと300人の方ということになりますが、実は「あなたはこうやって結婚生活に失敗する」という本もいつの間にか毎日数人の方が読んでくださるようになっていました。

僕の「失敗シリーズ」は失敗するケースを知ることで失敗する確率を低くすることが目的です。ですが、「知って」もそれが役に立つかどうかは別です。なぜなら、「読んだ内容」を自分の中に取り込めるかどうかは読んだ人のキャパシティによるからです。結局は読む人次第ということになります。

経験のある人もいるかもしれませんが、同じ本を子供の頃に読んだときと大人になったときに読むのでは感想が違うことがあります。それは読む側の意識や考えや、読解力が成長しているからです。この違いが子供と大人ですとわかりやすいですが、大人と大人では思うほど簡単ではありません。二十歳を超えていますと、人は誰でもそれなりに自分に自信を持つようになります。この自信が邪魔をして素直に本を読み込めないのです。ですから20代に読むのは特に注意が必要です。20代というのは自分ではある程度大人になっている自覚と言いますか自負というものがありますので素直に受け取れない部分があります。

人が成長するには成長に導いてくれる人との出会いがとても重要になります。ですが、その出会いを決めるのは成長する以前の自分です。ここがとても重要で、結局は自分ひとりで考え悩み、苦しんだ末に作り上げた自分に責任があることになります。

スポーツ選手も一流になるには優れたコーチのとの出会いが重要と言われます。オリンピックに出場するほどの選手はすべてと言っていいほど素晴らしいコーチがサポートしています。その一流のコーチに巡り合うためには自分ひとりで考え悩み、苦しむことが必要です。

人は究極的には自分に責任を持って生きることが大切です。最後まで孤高を貫き通した有賀さんとオリンピックで活躍しているスポーツ選手を見ていてそんなことを思いました。

有賀さつきさんのご冥福をお祈りいたします

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:20 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月04日

<プライム会員>

ついさっき、歯が抜けてしまいましたのでまずは歯の話から。
今、僕が困っていることは差し歯がすぐに取れることです。まだ少し自前の歯が残っているのですが、その歯が順繰りに抜けるのです。たぶん歯の丈夫さというのは遺伝的な要素が大きく関係していると思います。もちろん日々の手入れも重要ですが、それ以上に遺伝的な要素も大きいはずです。

そう思う理由は、以前僕より1才先輩の方とお話をしたときにその方からすべての歯が自前であることを聞いたからです。僕は若い頃から歯磨きをさぼっていましたのでそれが歯が抜けてしまう原因と思っていました。ですから、すべての歯が残っているということは僕とは正反対の歯磨き人生を送っていたに違いないと推測しました。

そこで「よっぽど真面目に歯の手入れをしていたんですね」と聞いたところ、「全然」という答えでした。なんと極普通の歯磨きしかしていなかったそうです。また、ときたまは僕と同じようにさぼっていたことを話してくれました。その方が「たぶん遺伝だな」とおっしゃったのです。

この話を聞いて少し罪悪感が減ったのですが、罪悪感が減ろうとも歯がなくなることは不便です。歯が抜けだした最初の頃はまだたくさん歯が残っていましたのでさほど気にもしていませんでした。「ああ抜けた」ってなもんです。

今でこそ歯周病という名前は社会に浸透していますが、僕が歯が抜けだした頃はあまり歯周病に関する情報がない時代です。歯医者さんに行っても歯茎または歯周病についての指導などをされることはありませんでした。実は、歯が抜ける原因のほとんどが歯周病です。

ここで僕なりに調べた歯に関する知識をご披露したいと思います。人間の歯は歯茎の中に歯槽骨というものがあり、それが土台となって支えています。歯が病気になるきっかけは歯と歯茎の間に異物が溜まりそこに細菌が発生し歯茎の炎症を起こします。ですから、いわゆる歯茎のポケットを清潔にすることはとても重要です。

炎症を起こした状態を歯肉炎と言いますが、その症状が進みますと歯槽骨が溶け始めます。これが歯周病です。土台がなくなるのですから歯は抜けるしか道はありません。

歯が抜けたところには入れ歯を入れることになりますが、その際の一般的な方法は抜けた歯の両サイドに金属の留め具をひっかける方法です。隣の歯で支えてもらうことになるのですが、実はこれが「歯抜け」を連鎖させる要因でもあります。

因みに、インプラントという言葉を聞いたことがある人は多いでしょう。これは歯茎の中に歯槽骨の代わりになるものを注入し、そこに歯の受けになる部分を埋め込み、そこに新たな歯を差し込む方式です。やり方は数種類あるそうですが、原理はほとんど同じです。ですが、ネットなどで検索しますとまだ安全性について疑問がつくケースもあるようです。あとから後悔することのないようにしっかりと調べて、そして先生の説明をじっくりと聞いてから実行に移すことが賢明です。しかし、一番の敷居の高さは保険が適用されませんので治療代が高額になることです。

僕は入れ歯なのですが、入れ歯の両隣の自前の歯に金属の留め具をひっかける方式です。しかし、先ほど説明しましたようにこの方式には大きな弊害があります。この留め具をひっかけている歯が抜けてしまうことです。理由は留め具によって負担がかかるからですが、新たに歯が抜けますと今度はその隣の歯に留め具をひっかけることになります。このようにして次々と歯が抜けてしまいます。

最初に歯が抜けるのは歯槽骨が溶けるからですが、そのあとに歯が抜けるのはこの連鎖によるほうが主な原因となります。僕はそれでどんどんを歯を失い、現在自前の歯槽骨で支えている歯は10本となってしまいました。総入れ歯まであと少しです。

まるで総入れ歯を期待しているかのような書き方になってしまいましたが、決して期待などしていません。できたら残りの歯が最後まで残っていてくれたらうれしいなぁ、と思っています。因みに、「最後」とは人生の「最後」です。


先週も雪の予報がありましたが、先々週ほどの積雪にならなくて安堵しました。僕は今車で移動する仕事をしているのですが、雪が降ったときに一番困るのは幹線道路と路地の道路で積雪または凍り具合が違うことです。僕は路地に入ることもあるのですが、その路地はまだ雪が残っていたりガチガチに凍っていたりします。

このように中途半端な状況でチェーンを装着するのは適切ではありません。積雪や凍っているところではチェーンは効果的ですが、幹線道路では邪魔になるからです。チェーンの着脱を頻繁にするのはやはり効率の面で問題があります。

そんなときに思い出したのがスプレー式チェーンというものです。スプレー式チェーンというのはタイヤにスプレーをかけるだけでラジアルタイヤと同等の効果がでる代物です。最初に見たのは11月頃にホームセンターでだったのですが、今一つ信ぴょう性に不安がありました。そこでネットで調べてみますと、意外と効果が高いことがわかりました。

早速ホームセンターに行ったのですが、既に売り切れとなっていました。やはり考えることはみな同じなようです。仕方なく自宅に戻りネットで調べますとamazonで販売していました。すぐに申し込むことにしたのですが、そのときに重要になってくるのが到着する日にちです。雪の予報が出ていましたので雪が降る前に届かなければ意味がありません。

そのときに思いついたのが、プライム便というシステムです。プライム便とはプライム会員になった人の特典です。これまでamazonでなにかを購入するたびに必ず「プライム便を試す」という画面が出ていました。「プライム便」は送料も無料になりますし、配達日も選べるようなことが書いてあったような記憶があります。しかも、プライム会員になるための1ヶ月間の無料お試しがありましたのでそれを利用することにしました。

結論を言いますと、せっかく「プライム便」を利用しても自分の思い通りの配達日を選べるわけではありませんでした。それがわかったのは申し込みをしたあとでした。これでは「プライム便」を申し込んだ意味がないことになります。

結局、とても残念な結果となったのですが、その残念は結果を取り返すべく今楽しんでいることがあります。それはプライム会員の特典にある映画やドラマが見放題というサービスですが、これが結構楽しいのです。もう3本も映画をみました。

最初は1ヶ月間のお試し期間だけのつもりでしたが、送料が無料になったり映画などが見放題というサービスはかなり魅力的です。

amazon戦略にはまりそうな僕です。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:40 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月28日

<マスコミの使命>

先週は雪に見舞われて大変でした。東京でもあれほど雪が積もったのは久しぶりで雪に弱い都会を実感した次第です。今回の前に雪が積もったのがいつか記憶が定かではありませんが、そのときに思ったことと同じ思いを今回もしました。それは「思いのほかコミュニティが働いている」という思いです。最近は隣近所の付き合いが希薄になり地域コミュニティが弱くなっているとまたは崩壊しつつあると言われていましたが、実際にはきちんとコミュニティが働いていると感じました。

それを実感したのが除雪です。我が家の周りの道路は雪が積もった翌日にほとんどの家の人が出てきて道路の雪を端に寄せていました。ですので1時間もしないうちに家の前の道路は車で普通に通れるような状態になっていました。そして、それは私の家の近所だけではなく車で出かけたところの約8割のところで雪はきれいに端に寄せられていました。

もちろん、中には除雪をしていない家の前もありましたが、それは少数で高齢者だけが住んでいるとか余程の変わり者が住んでいるとか、そのような特別な理由や背景があるところのように思います。そうした光景を見ましたので「日本もまだ捨てたものではない」と感じた次第です。

人間は「一人では生きていけない」といいますか、生きていても意味がありません。いろいろな人と接することで生きていることを実感したり生きている意味を感じたりします。そうしますと自ずと集団ができますが、この集団がやっかいです。集団の力の大きさによって個人の存在感が弱まることもあるからです。つまり集団に合わせて生きることを強制されることですが、そうなりますと個人が自分の好きなように生きること、生活することができない状況になることもあります。これはとても恐ろしいことです。

かつて日本が戦争をしていたとき、周りの人と同じ考え方を持っていないと「非国民」と罵倒されていました。個人の存在感など無に等しかった時代です。このような時代が「生きていてよかった」と思えるはずはありません。個人が「生きていてよかった」と思える社会を作ることが社会の使命でなければいけません。社会あっての個人ではなく個人あっての社会が理想です。

このように口で言うのは簡単ですが、個人と社会のバランスを取ることは簡単ではありません。簡単にできるなら世の中から争いごとなどとっくの昔になくなっているはずです。誰かの利益は別の人の不利益です。

沖縄が一番わかりやすい例です。沖縄に米軍基地のほとんどが集まっていることで本土の人たちは日々の不安を感じることなく生活できます。本土の利益は沖縄の不利益です。大切なことは利益を得ている人が不利益を被っている人に対して慮る気持ちを持つことです。しかし、残念ながら本土の人たちは沖縄の不利益に対して関心度が低いように思います。平和な社会は最終的には個人個人の思いが集まることでしか成就できません。

僕は保守でもリベラルでも護憲派でも改憲派でもありません。ただ公平で平等な世の中になればいいのになぁ、と思っているだけです。しかし、ことは簡単ではありません。憲法改正の動きが強まってきていますが、結局は個人個人の思いに委ねられることになります。そのときに大切なことは個人個人がどれだけきちんとした知識や情報を持ち、そして考えるかです。

ネットで憲法改正について検索しますといろいろな考えの方がいることがわかります。賛成派と反対派で意見が違うのは当然ですが、賛成派の中でも様々な意見があります。僕のコラムを読んでくださっている方は若い人が多いと思いますのでザックリと今の状況を説明したいと思います。

まず安倍首相は「なぜ、憲法改正を望んでいるのか?」ですが、真意は安倍首相の心の中ですので安倍首相しかわかりません。もしかすると夫婦ですので昭江夫人はご存知かもしれません。なにしろ外遊のときに仲良く手をつないでタラップを降りてくるのですから心の中を話している可能性もあります。

それはともかく真意はわかりませんが、巷間言われているのは
・憲法が米国のお仕着せだから
・命をかけて国を守っている自衛隊員のために自衛隊の存在をきちんと明記したいから
・国際貢献のために自衛隊を派遣することを実現したいから
です。

これらが改正の目的ですが、今大手新聞やマスコミで報じられていますのは「憲法9条2項」という文言です。では憲法9条を書き記します
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

「憲法9条2項」とはこの「2」のことですが、リベラル派と言われる人たちの一番のよりどころはこの「2項」です。リベラル派とは戦争反対、改憲反対の人たちです。これがあるからこそ日本は戦争に直接加わることなく国際社会を生きてこられたわけです。ここに「2項」の重要性があります。

憲法改正をする方法としてはこの条文を書き換えるという方法もありますが、それではリベラル派はもちろん政治にあまり関心のない人にも刺激が強すぎます。やはり日本で育った人は政治に興味はなくとも漠然と「憲法9条は平和憲法の象徴」という意識を持っています。ですので刺激を弱めるために「1項」「2項」はそのままにして新たに「3項」を加えるという方法が編み出されました。

ですが、この方法に対して反対している改憲派の人もいます。理由は「現行憲法では、集団的自衛権を発動させることには、ムリがあるから」というものです。憶えているでしょうか、憲法審査会で憲法学者全員が今の自衛隊は憲法違反であると主張しました。つまり、「1項」「2項」を残したままでは憲法改正したことにはならないと考えているからです。やはり憲法改正は一筋縄ではいかないようです。


憲法改正につきましてはマスコミでも取り上げていますが、報道に仕方で昔と一番違うのは中立性です。昔に比べますと格段に自分たちの主張が強くにじみ出ているような報道の仕方になっています。僕はこうした風潮を不安に思っています。マスコミに勤めているような人たちは一般の人よりも聡明ですし、そのうえに知識も豊富です。そうした人たちでさえ考え方が異なるのです。ですので自分たちの考えが正しいとは限りません。これはマスコミに限ったことではありません。大学の教授の方々にしてもいろいろな考え方の人がいるのです。これはつまり正解がないことの裏返しでもあります。

そうしたことを前提にするなら自分たちの考えを土台にした報道の仕方は控えるべきです。報道はできるだけ中立であることがマスコミの使命であると僕は思っています。かつて新聞は「社会の木鐸であれ」というのが基本でした。「木鐸」とは「社会を導く人」という意味ですが、各社によりいろいろな主張が存在する中ではどれが正しいのかわかりません。新聞が社会を導くのは現実的はありません。

なので、新聞は「公平で中立であれ!」が僕の主張です。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 14:49 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月21日

<インテリ>

少し古い話ですが、年末に放映された討論番組で大学教授が漫才師に対して「無知を恥じなさい!」と叱責し、さらに司会者の田原さんが「読めよ!ちゃんと」と追随したことが話題になりました。大学教授は東京大学の井上達夫教授で漫才師はウーマンラッシュアワーの村本大輔さんです。僕はその番組を見ていないのですが、年を明けてからのamebaTVで村本さんがそのときの状況を振り返っている番組をみました。

年末のテレビ番組とは「朝まで生テレビ」ですが、この番組がまだ続いていることにちょっと驚いたのが正直な感想です。僕が見ていたのは本当の初期ですので野坂昭さん如と大島渚さんのバトルが話題になっていた頃です。番組の中で大島さんが「バカヤロー!」と切れるのは番組の名物にもなっていました。

僕は最初の数年間は観ていましたが、途中から演出の行き過ぎが鼻につくようになり観なくなりました。この番組で田原さんに気に入られて世に出た評論家や有識者がたくさんいましたが、ある時期は評論家や有識者の方々の登竜門にさえなっていた感があります。

それはともかく昨年の番組で井上教授が村本さんに「無知を恥じなさい!」と一括したことが話題になり炎上したことでこの番組がさらに注目を集めることになりました。おそらく番組的には結果的に成功したといえるはずです。

この記事を最初に読んだ時の感想は「インテリの思い上がり」です。世の中で起きていることをすべて知っている人はいません。あの「いつやるか、今でしょ!」の林先生でも世の中のこと全てを知っているわけではありません。誰でも得手不得手があります。ですから、たまたま憲法のことを知らないくらいで叱責するのはインテリの思い上がりでしかありません。それにもかかわらず番組内で誰も「インテリの思い上がり」を指摘する人がいなかったことに不快感を覚えました。

おそらくインテリの人からしますと、「国家の根幹をなす憲法はとても重要なことでそれを知らないことが問題なんだ」と批判するかもしれません。「憲法とほかの些細なことを一緒くたんにするのは大間違い」と非難するかもしれません。ですから憲法という難しく崇高なことを知っているインテリとそれを知らない凡人には人間として大きな差があるという真意が透けて見えます。

ですが、インテリの方々だけが世の中を動かしているのではありません。僕の好きな評論家に常見陽平さんという方がいますが、この方が「世の中は普通の人が動かしている」という名言を書いています。凡人をないがしろにしてはいけません。過去を振り返りますと、人類は2度も世界大戦を起こしています。インテリの人たちが常に正しい選択または行動をしていたなら世界大戦など起こっていなかったでしょう。知識をたくさん持っているからといって正しい選択をするとは限らないことを証明しています。

先日のニュースで森友学園事件における役所の官僚と籠池容疑者のやり取りが報じられていました。詳細は省きますが、その内容を見ますと官僚が籠池氏に取り込まれていく過程が見て取れます。森友学園の一番の疑問は「1億数千万円もする国有地をほぼ無償で払い下げていること」です。昨日の毎日新聞の記事にはそのやり取りが書いてありましたが、まるで詐欺師が凡人を騙すような手口が記されていました。メンタリストDaiGoさんを思わせるやり口です。

インテリの象徴である官僚なら本来はあのくらいのやり口は見抜けるはずです。しかし、あっさりと籠池容疑者のペースにはまっています。最後のほうは「無償の払い下げ」でも得をしたような気分になっている節さえうかがえます。籠池容疑者という人物は官僚という役職に就く人間の心理を熟知しており巧妙に心の中に入り込み操っています。ここで押さえておかなければいけないのは「頭の中」ではなく「心の中」ということです。

簡単に籠池ペースに陥ってしまった理由は常に保身が心の中にあったからです。国家のために公平平等に業務を全うするいう気持ちがあったなら、これほど単純なやり口に絡めとられることはなったでしょう。おそらく当の官僚の人でも今から振り返ると「どうして引っかかったのか」と不思議に感じるほど単純です。

繰り返しになりますが、官僚はインテリの象徴の方々です。凡人では絶対通過できないレベルの高い試験に合格して就ける役職です。知識や情報の量は半端ではないはずです。それでもあっさりと騙されてしまうのです。仕事をするうえで、もしくは生きていくうえで知識や情報がさほど重要ではないことを教えてくれています。

憲法を知らないことを恥じる必要はありません。おそらくインテリの人は交通誘導員の大変さを知らないでしょう。もしかしたならインテリの人は憲法と交通誘導員で優劣をつけるかもしれません。しかし、その差別意識が世界を戦争に向かわせているのです。インテリの方々はいつも人の上からしかものごと見ていませんのでそのことに気がついていません。

村本氏が叱責されたとき誰かが反対に「『憲法を知らないことを恥じなさい』と叱責する行為を恥じなさい!」と言ってくれたらよかったのに…、と僕は思いました。

…と、ここでコラムの冒頭に戻るのですが、このコラムを書くにあたり当の番組を見てみようと思い検索したところ、一連の騒動を受けたあとの村本さんが番組を振り返っているamebaTVを見ました。

その番組を見てそれまでの感想が少し変わりました。村本さんはamebaTVでいろいろ発言しているのですが、その終盤に討論番組が終わって出演者たちで懇親会のようなものをやっているときの様子を話していました。その懇親会では先の井上教授や司会者の田原さんがやってきて、番組中での態度とは打って変わって優しく接してくれたそうです。井上教授は丁寧に憲法の話などを説明して田原さんも「番組的によかった」とねぎらってくれたそうです。

この発言を聞いて僕は思いました。もしかしたら井上教授の叱責もそれに続いた田原さんの非難も番組を盛り上げるためにやったものではないか、と。その可能性は十分にあります。初期にこの番組を見ていた時、明らかに盛り上げるために過激な発言をしている出演者がいました。そして田原さんは煽っていました。その流れからしますと、僕の想像はあながち間違ってもいないように思います。

どんなに優れた観る価値がある番組でも視聴率が取れなければ価値は半減どころかないに等しいものになります。テレビ局は視聴率をとるために四苦八苦していますが、その意味で言いますと今回のことが騒動になり炎上したのはそれだけで成功ということになります。しかし、こうした発想もインテリの方々が考えそうなことなんですけど…。今のテレビ界の低視聴率の原因はこうしたところにあると思っています。

それはともかく、amebaTVを見ているときにその出演者にインテリの策略を連想させる方がいたのが気になりました。そのインテリの方は村本さんの炎上を利用して「朝まで生テレビ」に出演しようと目論んでいる様が見え見えであさましい感じがしました。なにしろ無名なインテリは無名でいる限りはインテリに価値がありません。ですので有名になるとっかかりを四方八方に求めています。インテリの方々も大変です。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 15:16 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月14日

<普通の人とはみだした人>

年末年始は普段よりもテレビを見る時間が多かったのですが、その中で印象に残る番組がありました。それはある死刑囚の息子さんにインタビューをした番組でしたが、「子供は親を選べない」という言葉がしみじみと心にしみ込む内容でした。

この死刑囚とは1997年に起きた和歌山カレー毒物混入事件の犯人ですが、当時マスコミで大々的に報じられていましたので覚えている方も多いでしょう。その犯人の子供に生まれた青年が人生を振り返るインタビュー番組でした。

端的な言葉で表しますと「壮絶」「過酷」に尽きますが、当人からしますとこの言葉でも言い尽くせないほど辛い人生だったかもしれません。それを思う時、現在普通の社会人として真面目に生活を営んでいることに尊敬の念を感じます。なにしろどこに行っても犯罪者の子供というレッテルがついて回るのですからまさに地獄にいる気分だったはずです。ある程度の大人であっても耐えられないかもしれない状況、環境の中で「子ども」だったのですから耐えられたことが不思議なくらいです。

両親がいなくなったのですから養護施設で暮らすことになりますが、そこでのいじめ体験も凄まじいものがありました。そんな中で道を外さずに今まで生きてきたことは本当に頭が下がる思いです。

年末には同じような境遇になってしまった男性のインタビューがほかにもありました。北九州連続監禁殺人事件の犯人夫婦の子供のインタビューです。こちらも視聴率が高かったようですのでご覧になった方も多いでしょう。こちらの青年についても先の青年同様に道を外さずに今まで生きてきたことに尊敬の念を感じます。

また12月半ばにはオム真理教の4女の方が「親との関係を断つ」ことを宣言する会見を開きました。こうした一連の報道を見ていますと、親子の関係について考えずにはいられません。日本は親孝行をするのが当然という意識が強いですが、これは儒教の教えが少なからず影響しているように思います。お隣の韓国では日本よりも年長者を重んじる風潮が強いそうですから、やはり儒教の教えと親孝行は強く結びついているようです。

冒頭の青年の話に戻りますと、僕がインタビューの中で最も記憶に残っているのは周りが冷たい対応をする中で唯一青年に優しくしてくれた「雇い主」の話です。結局、この「雇い主」は暴力団関係の人だったようで、それを教えてくれた仕事現場の人たちの助言がなかったならそのまま暴力団に入っていたかもしれません。その意味で言いますと、その現場の人たちの優しさも素晴らしいものがあります。

このエピソードで僕が感じたのは世の中から「はみ出した人」が行きつく先が暴力団のような悪い団体しかないという現実です。この青年も最初は暴力団関係の人ということは知らずに働くようになったのですが、優しく接してくれたことだけでうれしかったようです。もちろん暴力団は組織を維持するためにそのような境遇の人を狙い撃ちするのは問題ですが、「はみ出した人」が行く場所がそこしかないことのほうが大きな問題です。

かなり昔ですが、あるドキュメント番組で右翼に密着取材する番組を放映していました。そのときのトップはかなり高齢で歩くのもままならぬ状態でしたが、組織の今後について尋ねられたとき「若い奴らの面倒を見るためにもっと頑張らねば」と答えていました。さらに「俺がいなくなったら誰がこいつらの面倒を見るんだ」とも話していました。

右翼の団体と言いますと、大音量で音楽を流しながら宣伝カーを走らせる強面のイメージがあります。人によっては暴力団と変わりないと思っている人もいます。確かに右翼とは言いながら政治的な主義主張についてはあまり理解していない若い人もいます。その番組でもイデオロギーなどに関心はなく単に行動をともにしている若い人を紹介していました。このような若者も「はみ出した人」の一人と言えそうです。

昨年の後半、僕がよく行く本屋さんで「顔ニモマケズ 」という本が平積みされていました。著者は水野敬也さんという方ですが、「夢をかなえるゾウ」の著者といったほうがとおりがいいかもしれません。この著者は世の中のちょっと気になることを見つけだして本にするのがうまい人ですが、どの本にも「優しさ」とか「思いやり」といったものが通底しているように思います。ですから、この本の著者名を見て著者が書いた理由がなんとなくわかるような気がしました。因みに、著者は泣ける漫画で有名な鉄拳さんと組んで本を作っていますがこれも著者ならではという感じです。

この本が売れたことがきっかけかどうかはわかりませんが、昨年は顔にあざがある方に関する記事が多かったように思います。その一つを読んだのですが、顔にあざがあるせいで周りの人からいじめに遭い、生きていることに価値を見出せない女性の話でした。この女性がイジメに遭っていたときになにも言わずに受け入れてくれたのは暴走族だったそうです。もちろん暴走族の行為は悪いに決まっていますが、少なくとも人を外見で見下したり判断したりしないことは人として素晴らしいことです。間違いなく暴走族の人たちはこの女性にとっては救いになっていました。

このように見ていきますと、世の中で他人をイジメたり見下したりする人たちは普通の人が多いように思います。犯罪者の子供に生まれたのも当人の責任ではありません。外見が一般の人と違うのも当人の責任ではありません。それなのに普通の人たちは自分たちと違うからという理由で排除しようとします。

そして、排除された人たちは「はみ出した人」と烙印を押されることになります。しかし、よくよく考えてみますと、「はみ出した人」を作り出しているのは「普通の人」なのです。「普通の人」たちが「『はみ出した人』たちを作り出しているのは自分たちだ」と認識することが大切です。そうした認識がいつの日か世界を平和に導くはずです。

今年も世界を平和に導くようなコラムを書くぞ〜! (^o^)/

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:08 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月07日

<一年のはじめ>

早いもので新年を迎えてからもう7日が過ぎてしまいました。本当に月日の過ぎるのは早いです。なんちゃって、、、毎年同じセリフを書いていますが、今年も性懲りもなくお正月は親子対抗ボーリング大会を催しました。そして、今年も僕の活躍により親チームの勝利と相成りました。今年の僕は久しぶりに調子がよく135点と183点でした。レベルの低い親子対抗ですのでこれだけの高得点をたたき出したのですから勝利をするのは当然です。ハハハ、、、。

年末年始のお休み期間中にやろうと思っていたことがあります。PC関係なのですが、それはバックアップとメモリの増設とサイトの移動でした。バックアップとメモリの増設にはハードディスクとメモリの購入が必要です。できるだけ安く購入したかたったので12月の半ばくらいからいろいろと調べて一応目星はつけておきました。

購入したのはamazonですが、ハードディスクは1TBで約7千円、メモリは2Gで1,600円でした。ハードディスクはあまり悩まなかったのですが、困ったのはメモリでした。調べるまではなんとなく2千円以下で購入できると思っていたのですが、いざ調べてみますとこれが意外と結構な値段をしていることが判明しました。なんとamazonで検索結果に出てきたのが有名なブランドでしたが6〜7千円もしていました。今のパソコンは使い始めて6〜7年経っていますのでいつ壊れるかわかりません。そんな状態のPCにメモリ増設で6〜7千円も費やすのはコスパが悪すぎます。

そこでamazonにこだわらずいろいろと調べていましたところ、ノーブランドのメモリを勧めているサイトを見つけました。それを読んでいて知ったのがメモリは型さえ合うならどこのメーカーのものでも問題ないということでした。僕はそれまでPCごとに適合するメモリは違うと思っていたのです。amazonでの調べ方はPCの型番から適合するメモリを検索するやり方でした。ですから有名なブランドのメモリばかりが検索され、自ずと価格が高いものばかりが表示されていたのでした。そこで「メモリの型」で検索しましたところノーブランドでしたが1,600円のメモリを見つけることができました。まさに僕が追い求めていたメモリです。

メモリの増設を考えるようになったのは、以前PCが「ウンともスンともいわなくなった」ときです。これについてはコラムで書きましたが、その際に意外と簡単にPCを開けることができたこととメモリの場所を確認できたことが大きなきっかけです。前のPCのときにメモリの増設の経験はありましたので場所さえわかれば挿し込むのはそれほど難しくないとわか思っていました。

結局、メモリの増設は本体からコードを外すことも含めて全部で20分くらいで完了することができました。ただし、緊張はしていました。メモリはPCとの相性の問題もありますので実際に動くまでは安心することはできません。元に戻してスイッチを入れて無事に新しいメモリを認識できたときは本当にホッとしました。

メモリに比べバックアップは「成功した」とは言えない状況のままです。windows10にはバックアップのツールが最初から備わっていますので、本来ですとマニュアル通りにすすめたならなんの問題もなくバックアップも終了するはずなのですが、うまくできていません。

windows10のバックアップの方法にはフォルダを指定して個人データをバックアップする「バックアップ」とOSや個人データなどPCに保存されている全てのデータをバックアップする「システムイメージ」と海部ドライブ作成時のOS環境(個人データなし)をバックアップする「回復ドライブ」という3つの方法があることがわかりました。

この中で「システムイメージ」と「回復ドライブ」は無事に作成することができたのですが、個人データのバックアップがうまく作動しないのです。いろいろと調べてはいるのですが、原因を突き止めるまでには時間がかかりそうですので現在は手動で移動している状態です。外付けハードディスクの接続に関してはUSBコードをつなげるだけでしたのでなんの問題も起きることなく終えることができました。

サイトの移動に関しては11月の終り頃からやり方を調べていました。昨年これまで利用していたKDDIさんの無料HPサービスが終了しましたのでそれを有料サイトに移動する作業を行いました。お金を払ってサイトを利用しているのですから、そのサイトを有効に使う方が効率的です。ですのでほかにも使っている無料HPサービスを有料サイトに移動させたいと思ったのですが、これが思うようにうまくいかず壁にぶち当たっています。うまくいかない理由はその無料サービスが一般的なHPサービスではないことです。

KDDIさんのHPサービスは自分のPC側でサイトを作成してそのフォルダ類をアップロードするシステムです。それに対してあと一つの無料HPサービスはgoogleさんのサービスなのですが、KDDIさんのとは違い直接書き込むうシステムです。ですので困っています。僕が壁にぶち当たっている根本的な理由はアドレスの変更が検索に影響が出るからです。

googleさんを利用している僕のサイトは「脱サラ ラーメン」で検索をしますと必ず上位に入っています。ですのでSEO的な面から考えますと簡単に移動ができないのです。なんの対策もしないままサイトを移動してしまいますと、せっかくこれまで築いてきた実績が無になってしまう可能性があります。これまでの実績をできるだけ保ったままサイトの移動を考えているのですが、そのやり方についての情報が見つかりません。

因みに、KDDIさんからの移動の際はKDDIさんのほうで実績を保ったまま移動できるように配慮をしてくれていました。僕が行ったことは移動先のアドレスを伝えただけです。あとはKDDIさんのほうで手続きを行ってくれていました。実際、検索をしますとそれまでとほぼ同じランキングで新しいアドレスが表示されています。まさに理想的な移動方法ですが、googleさんのサイトではそれと同じ方法ができないシステムになっています。調べ始めて1ヶ月以上が経っていますが妙案が浮かばないでいます。困った、困った。

とは言いつつも、すべてがうまくいったわけではありませんが、とりあえずはバックアップを取ることができるような環境が整ったことは大きな前進です。これまではもしPCが故障などして動かなくなったときはお手上げでした。おそらく立ち直れない精神状態になったでしょう。それが一応は元に戻すことができるようになったのですからこれほど安心なことはありません。

人生においてもバックアップシステムが整っていたならみんなが安心してお金を使うようになって景気がよくなるのではないでしょうか。でも、それって経済的に破たんした共産主義だよなぁ。人生は、難しい、難しい。

じゃ、また。

今年もよろチクビ〜! 
今年も気持ちは若いんだけど(^o^)/。

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posted by satoaki at 14:27 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月01日

新年あけましておめでとうございます。

平成30年 2018年
元旦
本年もよろしくお願いいたします。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 13:33 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月24日

<Ctrl+Z>

理由はわからないのですが、生まれて初めて「年末感を感じない師走」を過ごしています。これまでは12月を迎える頃には必ず「あ〜、今年も終わりの師走かぁ。早いなぁ〜」という気分になっていたのですが、今年は全くそのような感じがしていません。なんかいつの間にかズルズルといった感じでクリスマスの季節になってしまいました。

来週は大みそかですので今回が最後の「じゃ、また」になります。不思議なものでこのように書きますと「今年も一年が終わるんだなぁ」という気分にようやくなった気がしてきました。今年もなんとか無事に終えることができそうでホッとしています。

この年齢になりますとやはり健康が一番の不安の種ですが、僕は数年前に心臓の手術をしていますのでその不安が常につきまとっています。今でも定期的に通院しているのですが、薬はずっと服用し続けています。心臓のほかに喘息の持病もありますのでその薬も毎日続けています。

それにしても若い頃に、というか55才まで自分が病気になって病院通いをするなんて想像もしていませんでした。なにしろ健康で丈夫な身体だけが取り柄と思っていましたのでこんなに身体が弱くなったことに自分が一番驚いています。気持ちはまだ若いのですが、身体がついていかない状態です。人間って身体も大切なんだなぁって今頃になって気づいている次第です。

僕は変わり者ですのでなにかが壊れますと、最初に考えるのは「自分で直せるのではないか」ということです。自分の身体が壊れそうなときもそうでしたが、最後は専門家のところにいきましたが、最初は自力で直そうとしました。基本的に僕は文系の人間ですので込み入った理系や機械系のものには疎いのですが、それでも文系なりに「直せるのではないか」と思ってしまうところがあります。

これまでで「我ながら、すごいな」と思ったのは車のパワーウィンドウを自分で直したことです。僕の修理の基本は正常なものと比べて故障している箇所を突き止めることです。正常なものと違っているということはそこが故障の原因であるはずです。あとはそこを直せば修理は完成することになります。パワーウィンドウも作動しなくなったのが右側のドアでしたので左側のパワーウィンドウと比較しながら修理しました。動いたときのうれしさは今でも覚えています。

今年で印象に残っている修理はパソコンでした。これはコラムでも書きましたが、電源を入れても「ウンともスンとも」いわなくなったのです。さすがにこのときは困りました。パソコンの場合は正常なものと比べることができないからです。そこで、ネットで調べまくりました。最近はネットでの情報の正確性が問題になることが多いですが、ネットで情報を集めるときは「正確性を想像すること」と「新鮮度を確認すること」が重要です。

ただでさえネットの情報は玉石混交ですが、最近はそれに輪をかけて「石」が絶妙に入り込んでいます。ですから、それを見抜く見識が必要ですが、勘も重要になってきます。パソコンが動かなくなった症状を調べたとき、結局「これだ!」という対処法を見つけるまでに十数時間かかっています。原因を解説しているサイトに出会っても内容がわかりにくかったり、対処法が納得できなかったり、情報が古かったりしていたからです。ですから、「これだ!」と思う情報に出会ったときは感激ものでした。

つい最近ではデジカメを修理しました。これもネットで調べたのですが、古いデジカメでしたので逆に情報が少なく対処法を見つけるのに時間がかかりませんでした。デジカメの修理で知りたかった第一は分解の方法だったのですが、Youtubeで動画がありましたのでわかりやすく助かりました。やはり文章よりはビジュアルのほうが理解しやすいというメリットがあります。今の時代は本当に便利な世の中です。

このように製品を修理するのは時間がかかるとはしても危険な目に遭うことはありません。とりあえず挑戦してみてダメだったら買い替えたりあきらめたりすればよいだけだからです。しかし、自分の身体もしくは健康となりますと話は違ってきます。

今月に入ってから鼻詰まりが起きており、なんとか自力で直そうと奮闘していました。以前に書いたことがありますが、僕は鼻にポリープができやすい体質です。ですので今回もポリープのせいだと思うのですが、自力でいろいろと試みてみましたが、なかなか鼻詰まりが解消されないでいました。

僕は「まとめnaver」で「鼻づまり解消法」を作成していますが、鼻づまり状態になったときに多くの人が勘違いをするのは鼻水で鼻が詰まっていると考えることです。僕も最初はそのように思ってしまい、「鼻水を吸う」機械を1万5千円も費やして買ってしまいました。しかし、鼻詰まりの原因は鼻水ではなく鼻の粘膜が腫れて鼻の穴がふさがっていることです。穴がふさがっているのですから鼻を噛んでも鼻水が出てこられないのです。正しい原因を見つけることは治療の基本です。

当初は市販薬で対処していましたが、最終的にはいつも通院している耳鼻科に行くことにしました。やはり市販薬と処方箋では効果が全く違います。さすがはお医者さんということになりますが、処方箋を飲んでから鼻呼吸が楽になり気持ちよく年末を迎えることができています。因みに、「鼻水を吸う」機械はあれ以来一度も使っていません。なんともったいない無駄な出費だったことか、、、。

昨日、直したのはパソコンのシャットダウンです。数日前からシャットダウンをしますと「一つのアプリがシャットダウンを妨げています」と表示され、毎回強制シャットダウンをしなければ終了できない状態になっていました。ネットで原因を探したところスタートアップに妨げの原因があることがわかり、そこを修正して元に戻すことができました。

どんなこともなにかしら問題が起きた時はできるだけ早く元に戻すことが大切です。遅くなればなるほど対処法が複雑になる可能性があるからです。トランプ大統領はエルサレムをイスラエルの首都と宣言してしまい世界を混乱に陥れています。米国は早く政府を世界を平和に導く元の姿に戻さないと取り返しのつかない事態に突入しそうで心配です。

昔は日本が「民度が低い」などと批判されることがありましたが、米国の大統領を見ていますと米国の民度も日本とさほど変わらないように思います。来年は米国が元に戻ることを願って今年を終えたいと思います。

ところで、今週の題名の「Ctrl+Z」の意味がわかったでしょうか。「元に戻す」のショートカットでした。

じゃ、また。
来年もよろチクビ〜! 気持ちは若いんだけど、、、。

今年一年ありがとうございました。


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posted by satoaki at 14:57 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月17日

<今週は、ドキュメント番組の見方>

早いもので今年も残り2週間となりました。毎年のことながら「あっという間」です。ですが、僕の中では11月から今日までの期間が昔とは違うような気がしています。それは年末を迎える心の準備を急かせるメッセージが遅くなっているという印象です。

ちょっとわかりにくいかもしれませんので具体的なことを書きますと、クリスマスが来ることを知らせるメッセージがその一つです。昔は11月に入ったらすぐにクリスマスソングが繁華街で流れていましたし、煌びやかな電球が散りばめられたクリスマスツリーが至るところで飾られていたように思います。僕はいつも「ちょっと、いくらなんでも早いんじゃね」と思っていました。しかし、一応小売業の基本は旬の時期が来るまでに消費者にイメージを喚起させることですので「仕方のない面も」と理解はしていましたが、心の中ではやはり「ちょっと、早いんじゃね」と思っていました。

先に書きましたように小売り業界はイベントを早めにやって消費者のイメージを喚起するのが基本ですが、そうした慣習がどんどん早まりすぎてしまいますと弊害が起きることになります。近年の百貨店業界はまさにその真っただ中にいました。セールを「前倒し前倒し」で行うようになっていました。それを解消しようと奮闘していたのが三越伊勢丹の大西社長でした。しかし、その大西社長は反対勢力によって解任されてしまいました。

現在、相撲協会内での対立がマスコミで連日報道されていますが、どんな組織でも争いが起きるものです。こればかりは人間が集まるところには必ず生じるものですので仕方ない面がありますが、それでもやはり外から見ていると感じのよいものではありません。

対立が起きますと、どちらかが悪でどちらかが善という構図がどうしても頭の中に浮かびますが、現実はそれほど単純ではないかもしれません。ノーベル賞を受賞したボブ・ディランさんは「正義の反対は悪ではなく、別の正義」と喝破していますが、ここに紛争を解決する難しさがあります。

そして、さらに難しいのは決着点を見るにはどちらかの正義を選択する必要があることです。三越伊勢丹においては大西社長の正義と反対派の正義があったはずですし、相撲協会においても同様です。貴乃花親方が正義なのか相撲協会が正義なのか外から見ているだけではわかりません。

僕はこのような対立を見ますと「戦争広告代理店」という本を思い出します。この本については幾度かこのコラムでも紹介したことがありますが、「アメリカのPR企業がボスニア紛争においてセルビアを悪にしたてあげ、いかに ボスニアに有利な国際世論を作っていったかを描いた作品」です。対立において勝利を勝ち取るにはいかにして自分の主張を認めてもらうかが重要になってきます。この本を読みますと、最終的に重要なことは「事実ではなく、イメージをどれだけ社会に訴え、世論を味方につけること」というのがわかります。

究極的に考えてみますと、これはあらゆる場面で当てはまります。本来、裁判という制度は悪人を裁く場ですが、これも検察と弁護人の戦いにおいていかにして自分の主張を訴えられるかにかかっています。冤罪が起きるのも「事実ではなく、イメージの重要性が大きな要因」となっているからです。

古い話になりますが、戦後の日本の犯罪史で最も注目を集めた事件の一つに永山事件があります。これは1968年に「当時19歳の少年だった永山則夫が起こした拳銃による連続殺人事件」です。この事件が注目を集めたのは犯人の生い立ちがあまりに悲惨だったからです。

ちょっと長いですが、最高裁での判決をウィキペディアより引用します。
「「永山が極貧の家庭で出生・成育し、両親から育児を放棄され、両親の愛情を受けられず、自尊感情を形成できず、人生の希望を持てず、学校教育を受けず、識字能力を獲得できていなかったなどの、家庭環境の劣悪性は確かに同情・考慮に値するが、同じ条件下で育った他の兄たちは概ね普通の市民生活を送っており、また上京から3年以上社会生活を送った後に保護観察措置を自ら拒否して逃避した末に連続殺人の犯行を犯していることから、生育環境の劣悪性は4人連続殺人を犯した決定的な原因とは認定できない」

結局、永山則夫は死刑になっています。

先週、印象に残るドキュメント番組がありました。タイトルは「ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて…」というものですが、2002年に発覚した北九州連続監禁殺人事件である夫婦の下に生まれた男性を取材したものです。劣悪な環境で育った少年が成長してく過程の心の軌跡がインタビュー形式で語られているのですが、この青年が淡々とインタビューに答えている姿が印象的でした。

先週のコラム題名を覚えているでしょうか。「テレビの見方」だったのですが、僕はテレビに対して懐疑的です。いったいどこまで事実を伝えているか、です。広告代理店は依頼主の立場で事実を伝えます。しかし、ドキュメント番組は依頼者がいません。だからこそ注意が必要です。

ドキュメント番組でありがちなのが、最初にストーリーを作り、それに沿った番組内容にすることです。これには作り手の思いが理由のこともありますし、費用の面でということもあります。先日のニューストピックスに「情熱大陸」という番組のプロデューサーを取材する記事がありましたが、この番組もドキュメント番組の老舗です。

テレビ局の一番の問題点は制作を下請けに投げていることです。この「情熱大陸」もそのようですが、下請けが制作したものをただ選別するだけでは番組を作る心意気というものがどうしても欠如しているように感じてしまいます。究極的にはテレビのドキュメント番組の問題点はそこにあるように思います。

ドキュメント番組を見るときはテレビカメラがどのようなタイミングでどのような角度から撮っているかを想像することが大切です。大家族の生活ぶりを取材する番組がありますが、あれなどはカメラが撮影されているときにいつも問題が起きています。このような番組を信頼するわけにはいきません。

番組を作るうえで「必要である」とか「効果がある」という理由で映像を撮っているならそのドキュメント番組はすでにドキュメントではありません。それを見破る目安になるのがカメラのタイミングと角度です。

フェイクニュースが注目されていますが、恣意的なドキュメント番組も立派なフェイクです。そのことを制作者の方々は肝に銘じて番組を作ってほしいと思っています。

それにしても、太川陽介さんのマスコミ対応は素晴らしかった!
奥さんである藤吉久美子の記者会見はドキュメントだったけど、松居一代さんの記者会見は無理矢理感満杯だったな。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:15 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月10日

<テレビの見方>

僕はたまにテレビ東京の「ガイアの夜明け」を見るのですが、先週はジーンズメイトを取り上げていました。ジーンズメイトは名前のとおりジーンズを中心にしてカジュアル系の洋服を販売している会社ですが、ここ8〜9年赤字が続いており昨年トレーニングジムで有名なライザップに買収されていました。そのジーンズメイトを再建するようすを取材していました。

ジーンズメイトについて書く前にこの「ガイアの夜明け」という番組について少し書きたいと思います。最近、テレビ東京が注目されることが多いのですが、番組作りがほかの局とは違っていることが興味深く思われているようです。例えば「Youは何しに日本へ?」とか「家、ついて行ってイイですか?」などはほかでは観ることがない番組です。番組は知らなくとも番組名だけは聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。

テレビ東京の特長は低予算で番組を作っていることですが、というよりは低予算で「作らざるを得ない状況にある」ことですが、それが逆にほかのキー局とは違った発想を生んでいるのかもしれません。ある経済誌の取材にテレビ東京のプロビューサーが「キー局との大きな差を実感している」と告白している記事を読みましたが、一般人が思うより以上にキー局との差は大きいようです。

低予算が宿命のテレビ東京ですので自ずと一般人を取材する番組が多くなるようです。先の「Youは何しに日本へ?」や「家、ついて行ってイイですか?」も一般人が番組に登場するだけですから低予算でも可能な番組です。その延長線上に「ガイアの夜明け」もあるように思います。この番組もビジネス関連の人物や仕事を取り上げて伝えるのですから低予算で済みそうな番組です。

最近の放送で僕が印象に残っている内容は大手引越し会社で働いている従業員が会社から理不尽な待遇に遭っているようすを伝える放送でした。会社と従業員の対立といいますか、戦いを取材しているのですが、番組は従業員側の視点から番組を制作していました。

番組の中で特に注目を集めたのは副社長が取材陣に対してまるでチンピラヤクザのような激しい口調で詰め寄る映像です。態度や目つきや振る舞いはまさにヤクザと見間違うほどの迫力がありました。あの映像だけでこの会社がブラック企業であることが伝わってきます。

おそらく民間のキー局ではこのような番組を作ることは不可能でしょう。理由は言わずもがなですが、企業は広告のスポンサーでもあるからです。報道番組は常にそういた問題を抱えていますが、民間である以上仕方のない面があります。

ネットなどでは引越し業者のブラックぶりを批判する記事が溢れていますが、そんな中ある経済誌が引越し会社にインタビューを行っていました。取材相手は番組内で取材陣に対してチンピラヤクザのような口調で怒鳴り詰め寄っていた副社長でした。記者はチンピラヤクザふうの怒鳴り口調についても質問しています。

すると、「あれはカメラを持っている人が私の足を踏んだから怒っているのです」と答えています。あの映像は「テレビカメラ用に仕組まれたもので、それに引っかかってしまった」のが実状のようです。それを聞いてからあの映像を観ますと確かにそのように見えなくもありません。もし、そのような取材方法をとっているならあこの番組の全体の構造が変わってくることになります。

大手引越し業者の番組を放映した日は、安売りをウリにしている大手小売業の会社のブラック企業ぶりも伝えていました。上場一部の立派な大企業でありながら、サービス残業をを常態化させているようでした。番組では、労働監督署に密着するという内容で早朝から出勤してくる社員を車の中から隠し撮りしている映像でした。

このときは社長がインタビューに応じ、反省の弁を述べ今後改善する旨を話していましたので引越し業者ほどの悪いイメージは伝えなかったように思います。

この2つの会社はブラック企業であることは間違いのないところですが、僕が気になるのは両社とも現在も営業を続けていることです。本当に極悪企業でブラックであるならあれだけのイメージダウンを与える番組が放映されていたのですから倒産していてもおかしくないはずです。そこが気になります。

さて本題に入りますと、先週のガイアの夜明けはジーンズメイトという企業を再建するようすに密着取材する内容でした。密着した番組の主人公は岡田 章二氏という方ですが、昨年までユニクロを展開している株式会社ファーストリテイリングに在籍していた方のようです。番組では岡田氏がいろいろな指示を店長や従業員にテキパキと出していたのですが、驚いたのはジーンズメイトの社長にまで指示を出していたことです。肩書は最高顧問ということでしたが、番組を見ている限り権限は社長よりも上のようでした。

そこで気になりますのは社長ではなく社長をサポートする最高顧問という肩書です。僕は常々思っているのですが、コンサルタントとか再建請負人などという立場の人たちの評価についてです。このような人たちのズルいところは短期間だけしか関わらないことです。経営という仕事は短期間では評価できる種類のものではありません。短期間でよいなら、ある程度経営センスに長けている人なら誰でもできます。経営で最も重要なことは好業績を「継続させる」ことです。それなくして経営もなにもあったものではありません。

ガイアの夜明けのような番組においても同じ問題があり、番組内で成功した事例を伝えていてもあくまでそれは取材している期間だけのことです。繰り返しますが、経営で重要なことは「継続する」ことです。それを取材というほんのわずかな期間だけで成功したと評価するのには違和感があります。

番組内ではジーンズメイトの社長が岡田氏の部屋に入ってくる映像がありましたが、あの映像は社長が最高顧問である岡田氏に呼びつけられている印象をあたえます。意図的なものかどうかわかりかねますが、あまり感じのよいものではありません。本来、社長とは企業の業績を左右する重要なポストで、すべての決定権があるべき要職です。その社長が外部からきた人間に呼びつけられているのでは社員のモチベーションが上がるわけがありません。

番組ではあの場面以外に社長は出てきませんでしたが、あのような状況では組織がスムーズに回るとは思えません。会社という組織が活動するとき、最も大切なことはそこで動いている人たちの意志であり、意思の疎通です。外部から来た人間が最高顧問という肩書をつけているとはいえ、偉そうにふるまっている会社が健全とは思えません。岡田氏が本当に再建をしたいなら社長という立場になることが必要です。

若い人には古い話になってしまいますが、「iモード事件」という初期の携帯電話を開発するようすを書いている本があります。これを書いたのは松永真理さんという元リクルートの編集長ですが、松永さんはリクルートからNTTドコモという全く畑違いの仕事場に転職しています。松永さんがそこで奮闘する姿は、外部からの人間が入っていって仕事をすることの難しさを教えてくれています。

ジーンズメイトを紹介したあの番組もたった30分だけの短期間で実態を伝えることは不可能です。テレビ番組というのはそのような部分があるということを前提に見ることが必要です。

先ほど書きました松永氏は元リクルートの社員ですが、今から20年くらい前の頃、仕事人として注目される人には「元リクルート」と「元IBM」の人が多いと言われた時期がありました。番組に登場した岡田氏は元ユニクロですが、今の時代は「元ユニクロ」という人が多いような気がします。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:41 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月03日

<上っ面の優しさ>

熊本市の議会で女性議員が赤ちゃんを一緒に連れて議場に入った騒動がありました。賛否両論があったと報じられましたが、その割合は圧倒的に反対が多かったようです。しかし、どちらかと言いますとマスコミ論調はこの市議を擁護する視点が多かったようで、そのマスコミの姿勢に対しても批判があったそうです。

マスコミの姿勢については、普段からマスコミは「弱者の見方」の立ち場を取ることが多く、こうした姿勢からマスコミは全体的にリベラルの傾向があると指摘されています。僕からしますとリベラルというよりも「美談にしたがる傾向」と思いますが、無理矢理にでも「弱者が必死に頑張っている姿を撮ろう」としている節が見えます。理由は、もちろん感動的な映像が欲しいからです。

昔でしたら情報はマスコミだけの特権でした。しかし、今は誰でもが情報を発信できます。ですから、マスコミの報道の仕方さえも批判の対象になっています。僕はこれはとてもよいことだと考えています。今回の騒動ももしSNSやネットが発達していなかったなら「出産した女性議員がいじわるされている」という表面的な報道で終わっていた可能性があります。SNSやネットの発達は情報の中立性に貢献しているように思います。

さて、女性議員の行動についてですが、「女性が働きやすく、女性に優しい議会にする」という視点だけで捉えるなら女性議員を擁護するマスコミの姿勢は好意的に見られたはずです。しかし、現実は「女性議員の行動を批判する」意見が多くを占めていました。

一見冷たいようですが、その理由には納得できるものがありました。年配の女性が賛成できない理由をインタビューで答えていました。
「赤ちゃんを育てるのはプライベートなことだから、それを仕事に持ち込むのは違うと思う」という内容でした。僕もこの意見に賛成です。

それでも女性議員を擁護する立場の人からしますと「女性が社会で活躍できるような環境を作ること」を訴える意味で意義があると主張します。しかし、この主張に対する批判派からの反論も理に適っているように思えます。

女性議員が議会に赤ちゃんを連れて行くことをほかの職業にあてはめてみればわかりやすくなります。例えばデパートの販売員が赤ちゃんを連れていたらお客様はそのデパートで購入しなくなるはずです。コンビニの店員でも同様です。精算をしているときに背中におぶっている赤ちゃんがぐずいていたなら、二度とそのコンビニを利用しなくなるでしょう。そのようなコンビニはすぐに廃業に追い込まれるはずです。競争が激しいコンビニでは赤ちゃんを連れての業務は不可能です。

では、「赤ちゃんを待機させる場所を議会内に設ければよい」という考えもありますが、これには赤ちゃんの面倒を見る人の準備も必要になります。しかし、普通の民間であったならこれだけ経費をかけることは容易ではありません。下手をするとその経費で赤字に転落することもあるかもしれません。議会において女性議員が活躍しやすい環境を作るのは公務員への報酬を増やすことを意味します。公務員の活動費はすべて税金で賄われていることを忘れてはいけません。実は、このことがこの問題の核心です。

今回の騒動も民間であったならこれほど注目を集めなかったはずです。民間企業に勤めている女性が赤ちゃんを連れて仕事場に来たなら職場の人は全員拒否するでしょう。それで終わりです。マスコミのネタにもなりません。そもそも、今の日本の現状では仕事に応募する時点で赤ちゃんを連れていかないことが前提になっています。もし、議員にだけ認めてしまうなら、それは「議員が優遇されること」を意味します。つまり、議員の特権を「増やしてほしい」というのと同じです。

僕は女性議員の気持ちも考えもわからないではありません。この議員が強硬手段に及んだのは世の中の常識や慣習を変えたいと思ったからのようです。これだけマスコミで報じられましたからその目的は果たしたことになりますが、正々堂々と自分の主義主張を訴えるという意味においては問題があると思います。

女性議員は当選してからこのような行動に出るのではなく、立候補をする段階から「議員になったときの自分の行動や振る舞いを公表しておくべき」でした。当選してからこのような行動をとることはマイナスのイメージを強くしただけで、長い目で見ますと女性の議会進出を遅らせただけの結果になったように思います。ですから、女性が働きやすい環境を作ることが目的であったなら立候補するときに「議員になってから議場に赤ちゃんを連れていく」と堂々と主張するのが正しいやり方です。ですが、そのように主張して立候補したなら当選する確率は格段に低くなると思われますが…。


僕はこれまでに心に響いた格言が2つあります。一つは

「人は遠くにいるほど、正論を叫ぶ」で

あと一つは

「人は責任を負わなくてよいときほど、優しくなれる」

です。今の欧米を見ていますとまさしくこの格言のとおりになっています。「難民を助ける」という行為は人道的な側面から見て素晴らしいことですが、そのことによって自分たちに不利益が及んでくることには不安を覚える人が多くいるようです。その証拠がヨーロッパ諸国で「難民排除を主張する政党」が伸張していることです。米国のトランプ大統領が「アメリカファースト」と訴えて当選したのも同様の意味があります。

これは日本においても同様です。熊本市議会でこの騒動が報じられて、ある著名人がツイッターで「自分の仕事場には赤ちゃん同伴でも構いせんのでどうぞ」と書き込んだことが伝えられていました。このツイッターに賛同する人が多かったように報じられていますが、赤ちゃん同伴によって自分に不利益が及んだときに本当に同じ態度をとってくれるのか疑問です。

僕は東日本大震災が起きたあとに果物販売を行っていました。そのときに梨を扱っていましたが、その中に福島産の梨がありました。実は、市場でも福島産の梨はあまり売れなかったようですが、僕は福島を応援する気持ちがあり積極的に扱っていました。しかし、ほとんどのお客さんは福島産と聞いただけで買うのをやめていました。そのときにすでに政府が「福島産の梨」の安全宣言を出しているにも関わらず、不安だからという理由で買わないお客様が圧倒的に多かったのです。

結局、口先では被災地応援と言いながら実際の行動は正反対の対応をしていたのです。たまに僕と同じ考えで「福島産だから応援する」という理由で購入してくれるお客様もいましたが、全体からしますとほんのわずかな割合でした。購入してくれるお客様と「所詮、みんなは口先だけの優しさだよねぇ」と愚痴を言い合っていたのを思い出します。

上っ面の優しさほど、空々しいことはありませn。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 13:57 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月26日

<正しい使い方>

僕は異常に寒がりです。夏にはこのコラムで「妻との部屋の温度バトル」について書きましたが、同じことが冬でも起こります。しかし、冬の場合は夏に比べますとバトル度が高くはありません。僕が厚着をすれば済むことだからです。ですが、僕が厚着をしているときに妻が薄着の状態で暖房をつけるとバトルが始まります。僕が妻に「薄着を注意する」と、妻は「注意されたこと」が気にくわないようでふて腐るからです。夫婦生活は本当に大変です。


異常に寒がりの僕は冬は重ね着をします。普通の人では信じられないくらい重ね着をします。これから寒さの本番を迎えますが、最高に寒いときは合計8〜9枚くらい着ます。これだけ着ますとさすがに動きにくくなります。ですが、「寒さ」と「動きにくさ」のどちらかを選ばなくてはならない状況になるなら、僕は迷わず「動きにくさ」を選びます。とにかく僕は寒さが苦手です。


実は、今の時期ですでに6枚くらいの重ね着をしています。「まだ、ちょっと早くない?」と思う人もいるかもしれませんが、僕はそれくらい着ないと耐えられないのです。僕は毎日妻とスーパーに買い物に行きますが、そのスーパーで僕はいつも驚かされることがあります。


スーパーの食品売り場というところは食品を扱っていますので冷蔵関連の機器がたくさん設置してあり、どうしても売り場全体の温度が低くなります。ですので当然のごとく僕は重ね着をしなければ生きていけません。僕が驚かされるのは、それほど寒い環境であるにも関わらず、薄手のアウターに中は普通のシャツ1枚という格好の人がいることです。昔から「子供は風の子」と言いますから、子どもが薄着でいるのはそれほど驚きません。しかし、薄手のアウターに普通のシャツを着ているのは立派な大人です。ごくごく平凡に見える大人が薄着をして食品売り場を歩いています。僕はそういう人が不思議でなりません。


僕が重ね着をするのは寒いからです。重ね着をしますと外気の冷たい空気が肌まで到達するのは困難になるはずです。着ているものを順番に紹介しますと、半そでの肌着、ヒートテック、Tシャツ、厚手のトックリシャツ、ダンガリーシャツ、トレーナー、フリース、ダウンジャケットといった感じです。これだけ着ていましたら、あの冷たい外気の野郎も僕に冷たさを感じさせることが不可能なはずです。ですが、悔しいことに僕はこれでも寒さを感じてしまうのです。ううぅ。


このようにずっと困っていた僕は、今年は新しいことに挑戦することにしました。それはインナーダウンというものを着ることです。これまで僕はダウンは一番外側に着るものと思っていましたので、インナーダウンという発想は新鮮でした。それにユニクロのCMなどを見ていますと、とても暖かくなるような感じがしましたので試してみる気になりました。問題は価格です。洋服ごときに6千円も使うのは納得できません。


以前、ネットでダウンの品質について調べたことがありました。ダウンの暖かさを決めるのはフィルパワーというものらしいです。簡単に説明しますと、ダウンは膨らむことで暖かさを出すそうなのですが、それを表す単位がフィルパワーというもので一般には700以上あれば高品質になるそうでした。


ある日、いつものスーパーの衣料品売り場に行きますと、なんとフィルパワーが800と表示されているダウンが2,980円で特売されていました。正規の値段が5,980円のものが特売セールになっていました。僕は買わずにはいられませんでした。


早速次の日着たのですが、なんか今一つでした。悩んだのは着方です。インナーとついているのですから一番外側に着るのは「正解ではない」ように思っていました。テレビのCMではシャツの上に羽織ってさらにそのうえにアウターを着ている姿もありましたし、「着方は自由」ということで一番外側に着ている映像もありました。ですが、僕としてはインナーとして購入しましたので一番外側に着るのは抵抗する気持ちがありました。ですから、僕は一番外側から二番目の位置で着ることにしました。


具体的に説明しますと、肌着、ヒートテック、Tシャツ、厚手のトックリシャツ、ポロシャツ、トレーナー、インナーダウン、そして最後にあと1枚ダウンジャケットという出で立ちです。最後のダウンジャケットの代わりに厚手のフリースを着たりもしていました。ですが、これでもあまり暖かさを実感することはできませんでした。もちろん「全く暖かくない」というわけではありません。ですが、ものすごい暖かさを求めてインナーダウンを購入したのに、その期待に応えるほどの暖かさではないのです。正直に言いますと、インナーダウンを着る前とさほど変わり映えがしないものでした。


妻にそんなことを話しますと、妻が「ちょっと、着すぎなんじゃない」とのたまうのです。「着すぎ?」。そういえば、以前から妻は「ダウンは体温を感じて暖かくなるんだからダウンの下に洋服を着るとダウンの効果が半減する」と話していたことを思い出しました。


そんなときに先週のことですが、ダイヤモンドオンラインで「ダウンの下にたくさん服を着込むのが残念な理由」http://diamond.jp/articles/-/150385という記事を目にしました。この記事はダウンに対する僕の考えを改めてくれる最良のものでした。本当に「目から鱗」とはこのことです。


詳しいことはこの記事を読んでいただくとして、結論を書きますと「ダウンの下には肌着だけのほうがよい」ということです。僕がせっかくダウンを着ていても暖かさを感じることができなかったのは、まさに「着すぎ」にありました。「着すぎて」いたためにダウンの価値を半減させていたことになります。ダウンは体温を感じることで膨らみ空気の層を作ることで暖かさを実現していたのです。僕の着方ではダウンは体温を感じることができず膨らむというダウンの本来最も発揮すべき効果を妨げていたのでした。


この記事を読んだ翌日から僕はインナーダウンをヒートテックの次に着ることにしました。つまり、肌着、ヒートテック、インナーダウン、そして、一番外側上には空気を通さない品質のアウターを着ることにしました。これは今までの僕では考えられないことです。肌着も含めてわずか4枚で済んでいるのですから。問題は暖かさですが、全く問題はありません。「問題がない」どころかたくさん重ね着をしていたときよりも暖かさを感じています。一番驚いたのは、本当にダウンが「膨らんでいる」ことでした。あんなに膨らむとは予想だにしないことでした。


僕の記憶ではダウンジャケットが流行ったのは僕が大学生のときだったように思います。僕の大学時代はスキーがブームでしたから、その関連でダウンが街着として定着したように思います。それから約40年経っているわけですが、その間ずっと僕はダウンの着方を間違っていたことになります。どんなものでも正しい使い方をしないとせっかくの効果が得られないことを知った出来事でした。


そういやぁ、日本の憲法も使い方が大切だよなぁ。


じゃ、また。


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posted by satoaki at 14:41 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月19日

<コンビニ業界2>

先週予告しましたとおり、今週も「コンビニ業界」の続きですが、その前に少し違ったお話からしたいと思います。以前書きましたように、10月より私はサイトの引越しをしています。それに伴い少し手直しなどもしているのですが、その際にこのコラムをスマホで見る機会がありました。実は、これまでPCで確認することはありましたが、スマホで見ることはあまりありませんでした。ですのでスマホで自分のコラムを見たのは久しぶりなのですが、その感想は「文字が多すぎて、読みづらい」ということでした。
私のコラムは毎週文字数にして3500文字〜4000文字の間に収まるように書いています。おそらくほかのブログなどに比べて文字数が多いほうだと思いますが、読者にしますと大変です。実際の文字数が多いことも「読みづらい」原因ですが、それ以外に画面が文字で埋まっている印象があります。文字を読み慣れていない人にとってみますと、画面が文字だらけなのは抵抗感があります。しかし、それにも関わらず毎週読んでくださっている方がいらっしゃるのですが、本当に頭が下がる思いです。
そこで、少しでも抵抗感を少なくするために今週より段落ごとに一行開けることにしました。どのような感じになるのかわかりませんが、今後ともよろしくお願いいたします。

こんな感じですが、いかがでしょうか。さて、本題に入ります。

今のコンビニ業界は間違いなく経営スタイルの転換期です。先週書きましたように、大手3社の経営者がすべて一新されていることがそれを物語っています。ですが、これまでのセブンの鈴木氏、ローソンの新浪氏、ファミマの上田氏、各氏の会社への貢献度は大きなものがありました。先週はセブンの売上げがほかの2社よりも10万円も高いことを書きましたが、売上を除きますと、大手3社に対する消費者のイメージはあまり変わらないように思います。もちろん好印象という意味ですが、その意味で言いますと3人の方々の経営能力の素晴らしさは誰もが認めるところです。

それを認めつつも僕はコンビニ業界に対して不満があります。それは経営者が変わろうが、そして誰がなんと言おうがコンビニ業界が直営店方式でチェーン展開をしていないことです。先週の終りに書きましたが、コンビニ業界がフランチャイズシステムという経営方式でチェーン展開をしていることは大きな問題です。そのことにつきましては「まとめnaver」で「フランチャイズチェーンの表と裏」としてまとめていますが、コンビニ業界が成り立っている、もしくは成長できているのは直営店方式ではないからです。直営店方式で展開していたなら現在ほどの成長はしていなかったはずです。これに反論できる本部の社長はいないでしょう。

しかも、本部と加盟店の関係性が公平ではないことも大きな問題です。フランチャイズシステムを最初に作ったのは米国ですが、日本のフランチャイズシステムと米国のフランチャイズシステムは全く別物です。

大分前のことですが、たまたま図書館で米国のフランチャイズシステムについて解説している分厚い本を見つけました。全部を読む勇気と覚悟はありませんでしたので気になった箇所を読みました。すると、米国のフランチャイズシステムは本部がリスクを負わなければいけないことが基本理念になっており、それが法律で定められているようでした。

それに比べますと、日本は正反対でリスクはほとんど加盟店側が負わなければいけない契約内容になっています。さらに、もっと悪質だと思うのはまるで「本部の労働者であるかように」業務に従事しなければいけない契約になっていることです。「がんじがらめ」という言葉が当てはまる契約です。

よくコンビニの問題点としては「予想売上が違っていた」ということがあげられますが、それよりも本来はこちらの「加盟店主の立場」のほうが重要です。契約上は個人事業主という立場でありながら、働き方は「がんじがらめ」に縛られています。どう考えても個人事業主の立場ではありません。この根本的な問題を解消しない限りコンビニ業界のさらなる発展はないでしょう。

ビジネス界で最近話題になっているのは「人手不足」です。飲食店やスーパーなども同様ですが、コンビニでも「人手」は重要な要因です。「人手」がいなければお店を開けることはできません。ですから、先日のニュースでは飲食店がお休みしたり営業時間を短縮することが報じられていましたが、それができないのがコンビニです。しかも24時間営業です。そしてそれを可能にしているのはフランチャイズシステムだからです。「人手」がいないときは店主が「休まずに働く」から可能なのです。ですが、これから益々労働人口が減少していく中でこのシステムを維持するのは不可能になっていくのではないしょうか。ある意味、究極のブラック企業と言えます。サービス残業どころか廃業するときはお金を取られるのですからこれ以上のブラック企業はありません。

さて、そんなコンビ業界で新たに経営者になった方で、僕が最も注目したのはファミリーマートの澤田 貴司社長です。澤田氏が最初にマスコミに登場したのはユニクロの副社長だったときです。ユニクロのトップは現在創業者の柳井氏ですが、ご存知の方も多いでしょうが、柳井氏は一度引退しています。そのときに後任に就いたのは副社長だった玉塚氏ですが、報道では柳井氏は最初は澤田氏に打診したと言われています。澤田氏が固辞したことで玉塚氏が社長に就任したのですが、その後の柳井氏の玉塚氏に対する対応を見ていますと澤田氏が固辞した理由がなんとなくわかるような気もします。しかも、その後澤田氏は玉塚氏とリヴァンプという投資会社を設立していますので、その思いを一層強くしました。

その後玉塚氏がローソンの新浪氏の引き合いでローソンの社長に就任し、言い方は悪いですが、親会社から追われるように社長を退任しているのに対して、今度は澤田氏が肝入りでファミマの社長に就任しているのを見ますと、エリートの方々のビジネス人生の宿命的なものを思わずにはいられません。

その澤田氏が「コンビニは飽和状態」と言い、「24時間体制を見直す」とインタビューで語っています。新浪氏も同じような発言をしながら結局は実行できませんでした。それを知っているはずの澤田氏が宣言したことに意義があるように思います。柳井氏からの社長就任依頼を断った澤田氏ですので、澤田氏が口にした「24時間体制の見直し」は重みがあります。澤田氏には是非ともファミマだけではなくコンビニ業界の改革にも挑戦してほしいと思っています。

新しくローソンの社長に就任した竹増貞信氏は親会社の三菱商事からやってきた方ですので三菱商事の支配感が強まるのは仕方のないところです。しかも年齢がほかの2社の社長に比べますとかなり若いですので親会社の傀儡という印象はぬぐえないのが正直な感想です。ですが、雑誌のインタビューで興味深いことを話していて、それは無人化店舗の拡大でした。この発想はもしかするとコンビニの新しい経営スタイルになる可能性もあります。おりしも米国ではamazonが清算さえも自動で行う店舗を試験しているそうですから、現実味は高いように思います。

これからの企業のキーワードは間違いなく「人手不足」ですから、この問題を解決できた企業だけが生き残っていけるのでしょう。

今週は読みやすかったかなぁ、、、。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:46 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

<コンビニ業界>

経済誌のサイトに大手コンビニチェーン本部の社長の方々のインタビューが載っており、ともて興味深かったので今回は久々にコンビニついて書きたいと思います。
憶えている方はかなりコンビニについて関心を持っている方ですが、2011年に東日本大震災が起きるまでコンビニ業界は壁にぶつかっていました。いわゆる閉塞感というものですが、「お店の飽和状態」が指摘され出店はあまり行われていない状況でした。しかし、東日本大震災のときにコンビニが社会貢献または地域貢献という意味も含めて存在価値が高まり、コンビニが見直されたことが契機となり出店競争が再開されることになりました。
実は、コンビニが一気に伸びるきっかけになったのは東日本大震災が初めてではありません。その前の大震災である阪神淡路大震災のときもコンビニは復興に大きな力を発揮しています。当時のローソンはダイエーが経営していましたが、そのトップである中内さん自らが陣頭指揮をとって地域の再建や加盟店の再建に尽力していた報道がなされていました。あのときも「コンビニがあって助かった」と感じた住民および国民の方は多かったはずです。そして加盟店および本部にとってもコンビニの価値をアピールすることができて、やりがいを感じていたはずです。
そのような業界ですが、コンビニの勢力地図は大手3社で固まりつつあります。そして、昔から言われ続けていることですが、セブンイレブンが頭一つ抜け出ています。僕のような第三者からしますと不思議に思えるのですが、常にセブンイレブンは約10万円も売上げが高くなっています。
今の時代は真似をすることが容易です。製品を作ることもそうですが、飲食業などでは店の造りもメニューも簡単に真似ができます。このことはつまり各会社による差別化が難しいことを示しており、それは即ち売上げについてもあまり差がつかないことになるはずです。
実際、居酒屋業界では業績のいいチェーンの「店の内外装」や「メニュー構成」、「メニュー名」などを「真似された」として裁判に訴えている事例がたくさんあります。それほど他社との違いを継続することが困難なのですが、コンビニ業界には当てはまらないようです。
繰り返しになりますが、セブンイレブンは他社よりも売上げが10万円も高い状況がずっと続いています。そして、その理由が判然としません。
経済誌や評論家が分析はしていますが、今一つ的を得たものはないように思います。そもそも、もし本当の理由がわかったならこれだけの売上げの差がついた状態が続くはずはありません。「違い」を真似すればよいだけですから、本当の理由はだれもわかっていないのです。
経営の世界ではトップの力量で企業の業績が決まると言われています。ですから、その意味で言いますと、セブンイレブンのトップの経営センスが優れているということになりますが、僕にはどうみても特別に優れているとは思えないのです。なぜなら、本当に優れた経営者であるならセブンイレブン単体ではなく、セブン&Iホールディングス全体の業績も上がっているはずです。ですが、セブン&Iホールディングスはコンビニ以外は今一つの業績です。つまり経営者による能力の差はあまりないと考えて差し支えないことになります。セブンイレブンは昨年創業者とも言える鈴木敏文氏が第一線を退きましたが、その鈴木氏が活躍していた当時のほかの2社の社長も鈴木氏に見劣りする経営者ではありませんでした。
それでも、売上げが10万円も違っていたのが現実です。

最初に「セブンイレブンを追い詰められるかも」と期待したのがローソンの新浪 剛史氏でした。ですが残念なことに社長を退くまでの間にその差を縮めることはできませんでした。新浪氏は現在サントリーの社長に就任していますが、これはサントリーの会長である佐治 信忠氏に経営力を見込まれたからです。その新浪氏にしてもセブンとの差を縮められなかったのですからこの10万円の差の大きさがわかります。
僕は新浪氏については忘れらないエピソードがあります。それは「24時間営業の見直し」です。新浪氏は社長に就任当初、加盟店の負担を軽くするために「24時間営業の見直し」を模索していました。マスコミを通じてその発言を聞いたセブンの鈴木氏は「コンビニの24時間営業は絶対に必要な要件だ」と雑誌のインタビューで答えていました。結局、新浪氏は「24時間営業を見直す」ことはありませんでしたが、やはりコンビニにとって24時間営業は絶対条件なのかもしれません。
因みに、「売れない深夜帯でも営業していなければいけない理由は、売れない深夜帯を閉店すると昼間の売上げも落ちる」からと言われています。僕はその真偽はわかりませんが、新浪さんでさえ24時間営業を続けたのですから真実なのかもしれません。
新浪さんは売上げに関してセブンとの差を詰めることはできませんでしたが、企業イメージを上げることには成功していました。それと同時に経済人として有名になっていたことも重要です。メディアに頻繁に出ていましたので業績以上に好印象を世の中に与えていたように思います。
ローソンのイメージが上がりましたので業界第3位に甘んじていたファミリーマートに「取り残され感」がありましたが、そうした状況を覆そうと改革したのが伊藤忠からやってきた上田準二氏でした。上田氏が最も力を入れたのは万年3位に甘んじている社員の意識改革でした。僕の印象では新浪氏と同じような感覚で企業風土を変えていたように思います。簡単に言いますと、「おかしいと思うことを改善する」に尽きます。それまでは「少しくらいのことはまぁいいや、どうせ3位だから」というものでしたので、上田氏の改革は社員からしますとイノベーションのように映ったかもしれません。
企業というのは働く人のモチベーションでいくらでも変わりますが、万年3位に慣れきっていた社員のモチベーションを上げる施策が功を奏して活気がみなぎったように見えていました。現在、上田氏は第一線を退いていますが、現在の好調を維持しているのは上田氏の功績が大きいと思っています。

さて、このような足跡の大手3社ですが、現在曲がり角にきているようです。各社とも社長が変わったこともありますが、ここに来て方向性の違いが鮮明になってきたように思います。
メディアに書いてありました各社のキャッチコピーを紹介しますと、セブンイレブンは「24時間営業は絶対続ける」、ファミリーマートは「コンビニは間違いなく飽和状態」、ローソンは「まだまだ店舗は増やせます」となっています。
興味深いのはファミリーマートの社長とローソンの社長の認識が正反対であることです。野次馬的に見ますと、どちらが正解なのか結果がとても楽しみです。ファミリーマートの社長は沢田貴司氏という方で、ローソンの社長は竹増貞信氏という方ですが社長に就任した背景などについてつぶさに見て行きますととても面白いのですが、長くなってしまいますのでそれについては来週に書きたいと思います。

新聞やテレビなどでコンビニに関する記事が出ますが、それらのメディアは重要な根本的な問題を避けているように思います。おそらくコンビニが上得意の広告主であることと無関係ではないと思います。ですが、根本的な問題を避けてコンビニ経営について語るのは正しい分析とは言えません。働いている人に給料を払うのではなく、働いている人から上納金を絞り上げるシステムはどう考えても正常な経営システムではないからです。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:13 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月05日

<リズム>

日本シリーズは始まる前からソフトバンクの楽勝で終わりそうな下馬評がありましたので、3連勝した時点ではそのまま終了しそうな雰囲気も漂っていました。ですが、DeNAが頑張ってくれましたので盛り上がることができました。しかも、最後はサヨナラヒットという劇的な幕切れとなり、理想的な展開だったように思います。
ですが、昨日も9回裏に内川選手の一振りがなければソフトバンクの負け試合でした。その意味で言いますと内川選手の土壇場の粘り強さにはスゴイものがありましたが、僕はその内川選手よりも、その前の8回裏の先頭打者長谷川選手が試合の流れを変えたと思っています。
実は、僕はそれまで試合を見ておらずたまたまお風呂から上がってテレビを見ますと日本シリーズを放映していました。ですから、それまでの経緯を詳しくは知らなかったのですが、アナウンサーが「ソフトバンク打線が抑えられている」ことを伝えていました。DeNAは今永投手が投げていたのですが、ソフトバンクの選手は打ちあぐねていたようです。解説者の話では「タイミングが合っていない」とのことでした。
そんな状況で8回裏のソフトバンクの攻撃が始まったのですが、先頭打者は長谷川勇選手で左打席に入っていました。そのときに長谷川選手が面白い動きをしたのです。長谷川選手は全体的に身体から力を抜いているような雰囲気でした。そして、今永投手が1球目のストレートを投げたときも力なくバットを振って空振りをしました。本当に「打つ気がない」ような空振りで、もっと言うなら「やる気がない」と言ってもいいくらいの空振りだったのです。解説者の言っていたとおりタイミングが全くつかめていないような感じでした。
問題はそのあとの所作です。今永投手がキャッチャーからボールを受け取り、そして投球動作に入ろうとしたとき、長谷川選手は今永投手に「少し待って」と手で合図を送りました。まだ打つ態勢が整っていないから「ちょっと待って」という打者がよくやるポーズです。この動きがポイントでした。
それまでソフトバンクの選手は今永投手のリズム、タイミングで打席に立っていたのでしょう。それに気づいた長谷川選手が「今永投手のリズムを崩した」のです。たったこれだけでしたが、それまでのキャッチャーからボールを受け取って投球動作に入るという一連の流れが途切れたことで今永投手は自分のリズムが変わってしまったのです。そして、次のストレートをものの見事にセンターオーバーにはじき返されてしまいました。
あの場面、本来はキャッチャーがやるべきことですが、長谷川選手が間合いを開けたあとに打席に入ったとき、今永投手は一呼吸入れるべきでした。長谷川選手が間合いを開けた瞬間から長谷川選手のリズに変わっていたからです。
一呼吸入れられなかったのであれば、ストライクではなくボール球を投げるべきでした。バッテリーは長谷川選手が「力のない空振りをしたこと」でストレートにタイミングが合っていないと勘違いをしたのです。そして同じコースに1球目と同じボールを投げてしまいます。案の定、打たれてしまいました。僕は、長谷川選手のあの「力のない空振り」はブラフだったように思っています。それに引っかかったバッテリーです。
あの2塁打が8回の1点につながり、9回の内川選手の起死回生の同点ホームランを生んでいます。9回を迎えるときに2点差と1点差では大違いです。あの1球が残念でなりません。

スポーツの世界では「リズム」「タイミング」または「流れ」はとても大切です。それらのほんの少しのずれが結果に大きく影響します。僕が最初に「流れ」について意識するようになったのはミュンヘンオリンピック・男子バレーボールの監督だった松平康隆さんの言葉でした。松平さんが監督業を引退しテレビ解説をしていたときに、ある試合で「得点が9対6」のときは試合の節目になることが多いんですよ(当時は15点制でした)」と語っていました。それから意識するようになりました。

もうお亡くなりになっていますが、昭和の大横綱・千代の富士が連勝記録を作っていたときその連勝を止めたのは横綱・大乃国です。ですが、大乃国はそれまで千代の富士に全く歯が立たない状態でした。同じ横綱でありながら負け続けていたのです。その大乃国が千代の富士を破ったのもリズムでした。
大乃国は千代の富士との対戦で仕切りをしているときにわざとそれまでとは違うタイミングをとっていたのです。そうすることで自分のリズムで相撲を取ることができると考えたからです。のちに千代の富士関は「あのときは理由はわからないけど、なんかタイミングがおかしかった」と述懐しています。

昨日は、偶然にもほかのチャンネルで卓球の平野美宇選手を取り上げたドキュメンタリー番組を見ました。平野美宇選手はリオオリンピックではリザーブの立場でしたが、そのことに発奮して昨年から大活躍しています。昨年から今年にかけての成長ぶりは凄まじく様々な世界大会で優勝するほどになっています。昨日のドキュメンタリー番組では、そのときの心の変遷が丁寧に描かれていてとても興味深く見ることができました。
実は、活躍するようになってからそれまでの印象とは違った言動が気になっていたのですが、昨日の番組で「自分に魔法をかけていた」と告白しています。それが印象が変わった理由だったのですが、現在はその魔法が解けて苦しんでいると正直に話していたのが印象的でした。僕の想像では友人でもありライバルでもある伊藤美誠選手との関係も難しい部分があったはずです。そして、おそらくそれは伊藤美誠選にとっても同様のはずですが、そうしたことがプレーにも影響していたのは間違いないところです。番組ではリオオリンピックのあとに二人を映した映像がそれを示していました。そうしたことを経験してスポーツ選手は成長するのでしょうし、また人格を作っていくように思いました。
それにしても、強くなればなったことでまた新たな苦しみを受けることになるスポーツ選手の苦しさを見ていますと、その大変さが伝わってきます。まだ高校生という年齢でそういう体験をするのですから尊敬に値します。平野美宇選手の涙を見ていてそんなことを思いました。

日本シリーズで粘り腰のホームランを打った内川選手はDeNAから移籍してきた選手です。実は、移籍した当時内川選手は「セ・リーグよりもパ・リーグのほうが実力が上だから移籍してきた」と公言しています。移籍したとき既にセ・リーグで首位打者をとるなど一流選手の仲間入りをしていましたが、WBCに出場などの経験がそのような思いを強くさせ移籍を決断させたそうです。つまり、DeNAになる前の横浜時代はチーム全体に厳しさが足りず「優勝する」という気概に欠けていたそうで、そこに物足りなさを感じていたと吐露しています。
今回優勝したあとの手記を読みますと当時のことを意識したような箇所があり、当時の発言を気にしているのが読み取れました。ですが、交流戦の結果を見ていますと、「パ・リーグのほうがセ・リーグよりも強く実力が上」というのは変わっていないようにも思います。

スポーツの世界は冷徹ですから、強い者が勝ち弱い者が負けます。そして、実力差がありますと弱い者が強い者に勝つことは絶対にできません。どんなに運がよかろうと弱い者が強い者に勝つことはできません。ですが、実力があまり違わないときはやり方を工夫することで弱い者が勝つこともできます。その方法の一つが「リズム」「タイミング」「流れ」を自分のほうに引き寄せることです。
セ・リーグとパ・リーグの実力の差もあるにはしても絶対的な差ではありません。ですから、「リズム」や「タイミング」「流れ」を引き寄せることで勝つこともできるほどの差です。しかも、日本シリーズという短期決戦では尚更です。
弱いほうを応援したくなる僕としてはそれが残念でなりませぬ。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:38 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月29日

<勝者の責任>

衆議院選挙は結局、最初に安倍首相が目論んだとおりの結果になりました。そもそも論になりますが、安倍首相が今回解散に打って出たのは、野党が混乱している「今のタイミングしかない」と思ったからです。民進党はバタバタしていましたし、都民ファーストで勢いに乗っている小池さんがは国政に乗り出すにはまだ準備が整っていませんでした。
ですが、「機を見るに敏」な小池さんは希望の党を設立しました。この小池さんの決断は安倍首相にとって想定外だったはずで、この時点では確かに風は小池さんに吹いていました。ですが、「排除します」発言で一気に風向きが変わってしまったのです。いろいろなメディアが書いていますが、もし、小池さんの失言がなかったなら結果は全く違ったものになっていた可能性もあります。
しかし、考えようによっては小池さんのこの失言も安倍首相が考えた「今のタイミング」の賜物と言えなくもありません。小池さんに余裕がなかったからこその失言と考えることもできるからです。小池さんから「排除します」発言を引き出したジャーナリストのコメントを読みますと、元々小池さんはこのジャーナリストを好ましく思っておらず、ずっと質問者に指名していなかったそうです。それがたまたまあのときだけ指名したのですから、油断したとしか言いようがありません。このジャーナリストによりますと指名されたのは半年ぶりだったそうです。それがよりによってあのときだったのが小池さんにしてみますと悔やまれるところでしょう。
先週、僕は小池さんの失言を「上手の手から水が漏る」と表現しましたが、その原因は油断です。そして、その油断は「短時間で政党を作らざるをえなかったこと」と無縁ではありません。急ごしらえで政党を作ったのですから精神的な余裕があったはずがありません。そのようなときに批判的なジャーナリストを指名したのですから「魔が差した」としか言いようがありません。心に隙ができていたようです。
小池さんの失言に追い打ちをかけたのが小泉進次郎さんの「小池さんは必ず出てきますよ」および「小池さん出てきてください」発言です。この挑発発言によって小池さんは身動きが取れなくなってしまいました。進次郎さんの状況を見極める才能が小池さんを追いつめたとも言えそうです。
これで一応ひと段落はしましたが、政治はまだまだずっと続きます。なにかきっかけがあるといくらでも変わるのが政界です。野党の方々はあきらめずに頑張ってほしいと思っています。僕が最も心配しているのは「意見が異なる人の自由が制限される」世の中になることです。民主主義なのですから、面倒な手続きが必要な状況になっていることが大切です。

…なんてことを思いながら世界を見渡していますと、あちこちで独立運動が起きていることが気になります。国家の一部が独立を求めて投票を行ったり運動をしていますが、これらには共通点があります。それは独立を求めている自治区が経済的に自立できる状況にあることです。これはちょっと考えればわかることですが、自分だけでは食っていけない状況でわざわざ独立を言い出すことはありません。経済的な裏付けがあるからこその独立です。経済基盤がしっかりしていることが独立の大前提です。
ですが、これは裏を返せば他の地域にとっては損失につながります。突然、国家の稼ぎ頭がいなくなることですから、国家として簡単に認めることができないのは当然です。独立を目指している自治区の人たちからしますと、自分たちが一生懸命稼いだお金がほかのところに回されるのが「納得できない」ということになります。
もちろん独立を願っている人たちの中には経済的負担を強いられることだけではなく民族としての意識もあるでしょう。まさに「イデオロギー100年。宗教1000年。民族永遠。」という言葉を証明していることになりますが、感情的な側面も大きな要因となっています。
このような動きを見ていますと、結局、人間というのは「自分が一番かわいくて、自分のことしか考えられない」生き物なのかもしれません。

スーパーで買い物をしているときの光景です。家族連れのお父さんらしき人が買い物途中のカゴの中に入っているジュースの蓋を開けて飲み始めました。まだレジでお金を払う前であるにも関わらずです。おそらく「これからお金を払うんだから問題ない」という考えなのでしょうが、これはルール違反です。もし「そんなルールはない」というならマナー違反です。
スーパーに限らずお店を運営している側は、万引きが大きな問題になっています。以前あるリサイクル店が万引き犯の顔写真を公開したことが話題になったことがありますが、ほとんどのお店は万引きに対する対応に苦慮しています。お店という場所は商品が並んでいますのでその中で「万引き」かどうかを見極めるのが困難なことです。
そのような状況がある中でお客様に「精算前のジュースを飲まれてしまう」と「万引き」との境目がわかりにくくなります。お店側の負担や苦労をできるだけ少なくしようと思うなら精算前の商品を開けることはやってはいけないことです。
ネットを見ていましたら、“ アイコスの吸い殻をテーブルに置いて帰った! 飲食店は「全面禁煙」に ネットで賛否激論”という記事が目に留まりました。加熱式タバコの吸い殻をなにも言わずにテーブルに置いて帰ったお客に怒っている店主のツイッター写真が物議を醸しているそうです。
この激論の核心は「お客の行動の許容範囲」に尽きると思います。許容範囲は「人によって」または「地域によって」違うことがありますが、先に紹介しました「精算前のジュースを飲む行為」も、ある関西の芸人さんは「どうしてダメなのかがわからない」と話していました。もしかしたらな地域によっても感覚が違うことがあるかもしれません。
ですが、僕は地域によって差があるから「仕方ない」と認めることはできません。地域性によって認めてしまっては世の中はいつまでたっても不平等な世界になってしまいます。今、米国は人種差別が問題になっていますが、米国では地域によってはまだ人種差別が残っているそうです。もし地域による考え方の違いを認めてしまっては差別は永遠に続くことになってしまいます。
「いいか、悪いか」の判断の境目は相手を思いやる気持ちがあるかないかに尽きると思っています。「精算前のジュースを開けてしまうとお店の人が万引きとの区別ができずに困る」とか、「アイコスの吸い殻を置きっぱなしにしてはお店の人が困る」といったふうに相手を思いやる気持ちがあるならわかることです。
いつごろからでしょうか。日本でも「公共心の欠如」が指摘されるようになってきました。「自分だけよければそれでよし」とする風潮が少しずつ強くなってきているように思います。
スーパーのトイレの個室に使用済みの赤ちゃんのおむつが捨てられていることがあります。最近は話題に上がりませんがコンビニのゴミ箱に家庭ごみを捨てる人が問題になったこともあります。これらはみんな「自分だけよければよい」という発想が根本にあります。
実は、僕もまだ答えがわからないのですが、みんなが自分のことだけしか考えない社会が平和で暮らしやすい世の中にはなるはずがありません。米国だけではなく欧米においても難民排除を主張する政党が一定の支持を得ています。こうした風潮が戦争を招いているようで不安な気持ちになっている最近の僕でした。

選挙のさなかに世界チャンピオンになった村田諒太選手には哲学者というニックネームもあるそうです。その村田選手が試合後のインタビューで恩師が話していた言葉として印象に残る言葉を紹介していました。

「試合に勝つことは相手を踏みにじり、その上に立つということ。勝った人間は(相手に対し)責任が伴う」

政治家の責任は国民を「幸せにする」ことです。安倍首相が責任を果たしてくれることを願っています。
一応言っておきますが、「幸せにする」のは一部の国民ではなく国民全員ですから。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 15:16 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月22日

<見て見ぬふり>

本日は投票日ですが、台風が来ていますので投票率がどうなるか心配です。最近は期日前投票を利用する人が多いようですが、投票場所を工夫することで投票率はもっと上がるのではないでしょうか。さらに言うなら不正投票を排除することが確保できるなら電子投票という方法も投票率アップに貢献するように思います。ですが、選挙において最も大切なことは真面目に真剣に政治と向き合う姿勢です。いくら投票率が上がったところでポピュリズムに流されたり自分のことしか関心がないのでは選挙自体が意味をなさないことになってしまいます。
世界中のみんなが自分だけではなく、「世界をよくする」という視点でものごとを見たり判断したりしないといつまで経っても平和な社会を実現することはできません。
…こんなことを書いていますと、学生時代に言われた言葉が頭をよぎります。
「おまえ、青臭いな!」

その青臭い僕が先週最も憤りを覚えた事件は福井県で起きた男子中学生の自殺事件です。報道によりますと、担任や副担任の「厳しい」を通り越して「激しい」叱責が続いたことが原因のようでした。お母さまは「先生によるイジメが原因と思っている」と話しています。この事件が報道されてからはフェイクニュースもたくさん出回っていそうですので事実確認には注意が必要ですが、教育委員会の発表ではやはり担任と副担任の先生としてあるまじき教育態度に原因があるようです。
この事件で僕が胸を締め付けられたのが、中学生の祖母にあたる方が家庭訪問をした担任に「副担任と二人きりにしないようにお願いしていたこと」です。これには理由があるようで、男子生徒が小学生時代にこの副担任が教習生として教えに来ていたことがあり、その際にこの教習生が男子生徒に対してイジメに近い接し方をしていた過去があるからです。偶然にも中学校に上がってからそのときの教習生と「副担任と生徒という関係」で遭遇ししてしまったことになります。祖母はそのような二人の関係を覚えていたのだと思います。
おそらく祖母は「副担任からイジメられないように配慮してほしい」との思いで担任にお願いをしたのでしょう。しかし、その担任もまた男子生徒をイジメる側の人間だったのです。これでは暴力団の組員に脅されている人が暴力団の組長に助けを求めるようなものです。状況が悪くなることはあっても改善するはずがありません。男子生徒の気持ちは如何ばかりだったでしょう。彼の気持ちを想像しますと心が張り裂けそうです。

もう20年以上前ですが、TBSドラマに「人間・失格」という堂本兄弟が俳優デビューした作品がありました。このドラマの主演は赤井英和さんですが、脚本は野島 伸司さんです。野島さんは80年代後半にフジテレビでいわゆるトレンディドラマを書いていた人ですが、僕の想像ではトレンディドラマブームが終わったあとに次の方向を模索している中で作ったのが「人間・失格」だったように思います。それ以降もたくさんのヒット作を作っていますが、その中でも「人間・失格」は特に暗いドラマでした。
因みに「人間」と「失格」の間に「・」が入っているのは、最初は「人間失格」だったのですが、太宰治さんの遺族から「クレームが入ったことが理由」となにかで読んだ記憶があります。
話を戻しますと、「人間・失格」はイジメのドラマです。これでもかこれでもかというほどの陰湿なイジメがドラマの中で行われていました。そのイジメによって自殺した我が子のために赤井さん演じる父親が復讐するドラマですが、今回の福井県のイジメ事件の報道を見ていますと「人間・失格」を彷彿させてしまいます。子供は世界が狭いのですから少しのイジメでさえ逃げ場がなくなります。そうであるだけに担任と副担任という本来生徒を助ける側である教師がイジメの張本人だったのですから言葉がありません。あまりに男子生徒がかわいそうです。
あのドラマが放映された当時も既にイジメは社会問題化していました。あれから25年以上経っていますが、イジメを取り巻く環境は全く変わっていないことになります。僕にはそれが不思議でなりません。教育関係者の怠慢以外にありません。
自殺した男子生徒にはお父様がいらっしゃらないようですが、そうした家庭環境も教師の対応に関係していたのではないか、と僕は邪推しています。つまり、男親がいないので「うるさいことを言われることがない」と甘くみていたという意味です。この考えはちょっと行き過ぎかもしれませんが、このようなよからぬ考えが思い浮かぶほど僕は学校関係者に対して怒りを感じています。
このような事件があるたびに僕は思うのですが、周りの先生たちはいったいなにをしていたのでしょう。ある程度の普通の大人であるなら中学生という子供の精神状態を想像することができます。先生という子供と接することを仕事にしている大人であるなら、なおさら生徒の気持ちを理解できるはずです。生徒の気持ちを理解できないのであれば先生という職業に就く資格がありません。先生は機械を動かすのが仕事ではありません。人間というこれから大人になる子供たちを導くのが仕事です。その先生が生徒を自殺に追い込むのでは子供たちはどのように教育を受ければよいのでしょう。
今、学校の先生たちの職場環境が問題になっています。サービス残業の問題とか日曜にも部活動があったりして「休みが取れない」など労働者という側面からしますと大変であることはわかります。ですが、このような事件がありますと本当に先生たちは「生徒に真剣に向き合っているのか」という疑心暗鬼な思いが浮かんできます。先生たちは「自分たちが楽をしたいだけではないか」と、そのような考えが浮かんでくる今回の事件です。
先にも書きましたが、イジメを苦にして自殺をしている生徒が出ているのは20年以上前です。先生という職業に就いているならそのような事件を知らないはずがありません。それでもなお先生が生徒を自殺に追い込むような事件が起きるということは先生という職業に就いている人たちが、生徒に対して「いかに真剣に“生徒"に“教育"に向き合っていないか」を示しているようにも思えます。
繰り返しになりますが、これまでイジメが原因で自殺事件が起きたとき周りの先生たちはなにを考え、どのように対応していたのでしょう。
今回の事件でも、同僚の先生が「叱責の行き過ぎ」を諫めるような話をしたというような報道がありますが、実際に自殺が起きているのですからなにもしなかったのと同じです。先生という職業に就いているのなら、そのくらいの厳しい反省を自らに課してほしいと思います。
あと一つ僕が思うのは、先生という個人の資質だけに頼るのではなく、「システム」や「制度」といった全体的な環境を作ることの重要性です。「システム」や「制度」といったもので生徒を守る環境が整っているなら一人や二人くらいの教育者としての資質に問題がある先生がいたとしても生徒が自殺に追い込まれることがなくなります。
具体的には、生徒が学校を自由に移動できるようにすることです。この自由な移動を可能にするだけで地獄からのがれることができます。本当に、イジメに遭っている生徒にしてみますと、学校は地獄でしかありません。先生方はそのことを強く認識してほしいと思います。先生という職業に就いているなら「見て見ぬふり」はイジメを助長しているのと同じなのです。

もう遅いけど、選挙で投票しないということも「見て見ぬふり」だよなぁ。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:32 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

<行動をしない後悔>

山本七平氏の「空気の研究」という本は有名ですが、いつだったかも思い出せないくら大分前に挑戦したことがあります。「挑戦」という言葉を使うくらいですから「読みにくい」本だったことになりますが、案の定途中で投げ出したような記憶があります。読み終えたかどうかさえ曖昧なのですから、内容は全く覚えていないことになります。ただ、その頃の僕が「どうして戦争に突入するのを止められなかったのかなぁ」という素朴な疑問を持っていたことは確かです。
僕なりにいろいろな情報から想像しますと、当時「戦争反対」などという意見を言おうものなら世間という周りから袋叩きにされる雰囲気があったからです。正確には「雰囲気が作られていたから」ですが、そのような空気の中で「戦争反対」などと言えるわけがありません。今ふうな表現をするなら「地域全体からイジメ」を受けることになるからです。人間は空気を吸えないと生きてはいけません。

一時期若い人の間で「K Y(ケイ ワイ)」という言葉が流行りました。これは「空気を読めない奴」という「人をけなす」意味で使われていたようですが、最近では似たような意味で「忖度」という言葉が注目されました。「忖度」は批判的な意味というよりは「相手の気持ちを察する」という相手を重んじる目的で使う言葉です。「K Y」と「忖度」は正反対の意味ですが、直接の言葉ではなく「周りの雰囲気から想像する」という共通点があります。
そして、ここで注意が必要なことはあくまで行動する当人が「想像する」ことですので「行動する内容」が「正しい」のか「適切」なのかがわからないことです。また、想像を「求める人」もしくは「強制する人」には責任が及ばないことも問題です。

衆議院選挙も中盤に差し掛かり選挙運動も佳境に向かっています。当初自民党を追い落とすほどの勢いがあった小池さんの「希望の党」が一気に下火になっています。あれほど盛り上がりマスコミから注目されていただけにこの変化には驚かされます。きっかけは小池さんの記者会見での些細な言葉遣いでした。

「排除いたします」

この一言で流れが一気に変わってしまったように思います。本人も認めているようですが、民進党から移籍してくる人たちを選別することを「排除」という言葉で表しました。この言葉遣いは自ら使ったわけではなく、記者に「党の理念に合わない人は排除するのですか?」という質問に対して「排除いたします」と答えたものでした。
「上手の手から水が漏れる」という諺がありますが、マスコミ上手の小池さんが水を漏らしてしまったようです。おそらく質問した記者さんもこのような展開になることまでは想像していなかったと思いますが、結果的に選挙的エポックにもなりえる重い質問だったことになります。しかし、この質問した記者さんがその後の展開を予想していなかったとしても小池さんもしくは「希望の党」に対して好感していなかったことは想像できます。そうでなければ「排除」などという激しい言葉は使わないはずです。

経済学者のケインズさんは「株式投資は美人投票みたいなものだ」と表現していますが、この美人投票の意味は単に「美しいと思う人に投票する」のではなく、「多くの人から投票を集めそうな人を選ぶ」という意味です。まさしく株式市場ではどれだけの人が支持するかが株価を決めますので至言です。

その観点で僕なりに今回の衆議院選を考えてみたいと思います。当然ですが、普段からそれぞれの政党を支持している人は余程のことがない限りこれまで支持してきた政党もしくは候補者に投票するはずです。ですから、選挙結果を左右するのはいわゆる浮動票ということになります。取り立てて支持する政党がなく、そのときどきの状況によって投票先を決める有権者です。

先に書きましたように、解散当初は「希望の党」の勢いがすごかったのですが、小池さんの失言により勢いに陰りが見えています。その影響が反映して新聞各紙は自民党が盛り返しているように報じています。ですが、僕的にはこの予想に疑問を感じています。アメリカの大統領選でマスコミの予想が大きく外れたこともありますが、今の時代はマスコミと言えども正確に予想することは困難ではないでしょうか。

それはともかく、政策的には小池さんの「希望の党」と「自民党」に違いはほとんど見られません。ですから、小池さんは自民党との違いを訴えるべく抽象的な言葉を使っています。「安倍一強政治の打破」とか「しがらみを断つ」などという言葉を連呼しています。唯一違うのは「原発ゼロ」政策くらいでしょうか。経済政策で「ユリノミクス」などと訴えていますが、今一つ精細さに欠けます。
確かに「安倍一強政治」は問題です。今年に入ってからの国会運営に対する安倍首相の姿勢は傲慢という言葉が当てはまりすぎるほど強引でした。このような安倍首相にしたのは紛れもなく対抗できる野党が存在しなかったことです。そして、そのような政治状況にしたのは国民です。そのことを忘れてはいけません。
前にも書きましたが、民進党を希望の党にまるごと移行させる決断をした前原代表を僕は評価しています。あの時点で民進党が行動をなにも起こさなかったなら安倍首相の思うままに選挙戦が進んでいたと思えるからです。
また、小池さんの動きも評価できると思っています。やはり「希望の党」が設立されていなかったなら安倍首相の思うつぼにはまっていたはずです。言うまでもなく「思うつぼ」とは野党が弱体化していてまだ小池さんの政党が生まれていなかったのですから「選挙に勝てるタイミングは今しかない」と読んだことです。
その意味で言いますと、野党の再編を促したのは安倍首相ということになりますので野党に貢献したと考えることもできます。貢献という意味で言いますと、立憲民主党が誕生したことが最も大きいかもしれません。安倍首相に対抗すべく小池さんが動きそれに伴い民進党が分裂し、明確なリベラルな政党が誕生しています。
マスコミでは二極ではなく三極の戦いと伝えていますが、もしかすると新しい政治形態になるかもしれません。僕は期待しています。世界を見渡しますと「政権交代できる二大政党制」が理想のように言われていますが、三極があってもいいように思います。
小池さんは希望の党を設立していた当初「穏健な保守」という表現を使っていたように思いますが、ここにきて「保守」という言葉を意識的に避けているように感じられます。マスコミ対策に長けている小池さんですので「反応の悪さ」を感じたのかもしれません。ですが、僕には日本人の平均的な思想は「穏健な保守」にあるのではないか、と思っています。共産党では現実性ではありませんし、社会民主的な発想も日本人には合わないように感じています。ですから保守なのですが、安倍首相のあまりに強引なやり方には拒否反応を示してしまいます。
実は、僕が支持する考え方は立憲民主党が一番近いと思っています。その意味で枝野さんが設立してくれてうれしく思っています。枝野さんは「希望の党」が民進党の政治家を選別することに対して恨みがましいことを話していましたが、政党が根本的な思想が同じ人を選別するのは決して間違った行動ではないと思っていました。僕が自営業者として働いてきたことが影響しているのかもしれませんが、組織と考え方が違う時は自分で新しい組織を作るのが筋だと思っています。ですから、今回の枝野氏の行動には賛成です。
ここ数日、NHK社員の過労死がニュースになっていますが、過労死するくらい苦しく働かされるなら退職するという選択肢があることを忘れないでほしいと思っています。確かに、新しい道に進むことが必ず正しい選択になるとは限りませんが、なにもしないよりはいいと思います。
先日、ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー氏は行動経済学に貢献したことが受賞した理由です。そして行動経済学の基本になっている考え方は「人間というものは必ずしも常に合理的な行動をするとは限らない」というものです。僕も初めてこの考え方を読んだとき「そうだよなぁ」と思ったものでした。
同じく「行動」に関して僕が印象に残っている箴言があります。これも「なるほど!」と思いました。

「行動をした後悔より、行動をしなかった後悔のほうが強い」

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:25 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする