2019年02月03日

<大人の責任>

2019年1月より下記に移行しました。

ブックマークの変更をお願いいたします。

https://jamata.dattsu.work/post-33

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posted by satoaki at 16:41 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月27日

<機種変更・ガラケー編>

2019年1月より下記に移行しました。


ブックマークの変更をお願いいたします。



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posted by satoaki at 16:00 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月20日

<機種変更>

今週より下記に移行しました。

ブックマークの変更をお願いいたします。

http://jamata.dattsu.work/page-20/



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posted by satoaki at 15:16 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月13日

<https化>

前回書きましたように、今年からブログの発信場所を変えることを考えていましたが、先週は新たな発信場所の設定が間に合わず、昨年と同じ場所でコラムを発信しました。今回こそ僕のサイト内でコラムを発信するつもりですが、実はまだ設定が終わっておらずどうなるかわからない状態です。

設定がなかなか進まないのは僕の拠点となるサイトを改善することを考えているからです。改善とはサイトの安全性を高めることです。ご存知の方も多いでしょうが、現在世界中にあるサイトのアドレスは「http」と「https」という2種類があります。スマホで見る分には表示されていませんが、PCで見ますとアドレスの先頭にアルファベットが表示されていますが、その文字です。

文字での2つの違いは単に「s」の有無ですが、これが意味していることはそのサイトの安全性です。「s」のついているほうが安全性が高いことを示しています。それを表すかのように、「s」のついているサイトではアドレスの欄の右端に鍵のマークが表れています。つまり「鍵がかかっているので安全です」という意味です。

ネットでの解説記事を読みますと、「https化」が意味するところは「通信する際に暗号化することで安全性を高める」と書いてありました。例えますと「ハガキと封書の違い」ということのようです。

「http」から「https」への移行は1〜2年前から推奨されていました。特に、物品販売をするサイトなどでは個人情報を書き込みむことがありますが、その保護という観点では推奨というよりも最低条件という感じで求められていました。

僕も一応そのような情報を知ってはいましたが、僕のサイトでは訪問者の個人情報を得ることは全くありませんので無関係と思っていました。ところが、サイトの安全性の高さが「検索結果に影響を与える」という記事を目にすることがあり少し気になっていました。

僕のサイトで最も訪問者が多いのは「あなたはこうやってシリーズ」の2つです。当初は「ラーメン店に失敗する」だけの訪問者が多かったのですが、「結婚生活に失敗する」のほうもいつしか訪問者がくるようになっていました。訪問者が多い理由は検索上位に表示されるからですが、その状況は「https」の重要性が言われるようになってからも変化はありませんでした。

そこで確認してみますと、なんと僕の知らないうちにアドレスが「http」から「https」へ変わっていました。僕はなにもしていないにもかかわらず、移行していたことになりますが、少し考えてみますとそれは当然のことでした。

「http」から「https」へ変更することを推奨していたのはgoogleさんですが、僕が「あなたはこうやってシリーズ」を掲載していたのがgoogleが運営するサイトだったからです。僕はたまたまgoogleが運営するサイトにテキストを掲載したことが功を奏したことになります。

しかし、人生はいつも自分の思いどおりにならないのが世の常です。いつからかわかりませんが、googleが運営するサイトで仕様の変更があり、adsenseを編集できなくなってしまったのです。googleさんは「サイトの運営」で利益を得る方向に転換したように思います。

adsenseを変更することはできなくとも一応はadsenseも表示はされますのでその状態を継続していました。しかし、時代の流れを変えることはできずgoogleサイトのadsenseはほとんど利益を出さない状況になり、現在に至っています。

そのようなときに昨年末にgoogleさんから僕のメインサイトを「http」から「https」へ変更することを勧めるメールが届きました。そこで年末のお休みを利用して挑戦することにしたのです。ブログの移行もその流れの一環で考えた次第です。

僕がメインサイトを「https」へ移行することをためらっていたのは「なんとなく難しそう」と感じていたからです。実は「https」というサイト自体は昨年の10月くらいに作成していました。僕はロリポップというサーバーを利用しているのですが、サイトを「https化」すること自体は簡単です。サーバー側としましては他社との競争がありますので「https化」を無料で行うことをセールスポイントにしていました。ですから、ボタンをクリックするだけで難なく行えます。

サイト運営の素人であるオジサンにとって大変なことは訪問者に「https」のサイトに来てもらうことです。そのためには「リダイレクト」という設定が重要になってきます。「リダイレクト」とは、例えば自分が「A」と「B」という2つのサイトを持っているときに、「B」だけに訪問者にきてほしいときに行う方法です。つまり、「A」を訪問したときに「自動的にBに移行するように設定」のことです。

この設定には4つのやり方があるようですが、いろいろ調べた中で最もポピュラーなやり方で行いました。簡単に「行いました」と書きましたが、それを実行するまでに試行錯誤したのは言うまでもありません。

とにかくすべての作業をやり終えたあとにブログの移行も考えたのですが、これもまた一苦労しています。「います」と書いているように道半ばです。僕のサイトは自分でHTMLを作成してサーバーにアップするページとwordpressで作成しているページの混合なのですが、これがやっかいなところです。調べることが多くなるからですが、あと一息で完了しそうなので頑張ろうと思っていますが、世界が不安定になっていることが心配です。

もちろん僕にはどうすることもできませんが、日韓関係が徴用工問題やレーザー照射事件などでギクシャクしています。米国ではトランプさんが相変わらず「アメリカファースト」を叫んでいますし、欧州でも極右勢力が伸張しています。世界のみんなが「自分だけの得」を考えるならその先には戦争しかありません。

このような社会になった大元の原因は「格差社会」にあると思います。そして、格差社会を生み出す土壌には人間の性ともいえる「優越感」という醜い感情があるように感じます。

人間は一人のときは優越感など持つはずがありません。優越感はほかの人と比べることで起きる感情だからです。おそらく人間は「一人のときは純粋で善人でいられるけど、複数になるといろいろな感情が芽生えて純粋さが失われていく」のではないでしょうか。

う〜ん「s」をつけるのは難しい。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:58 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月06日

<生きるのは大変です>

*当初の予定では、2019年よりこちらのブログからwordpressに移行するつもりでしたが、設定が間に合わず今回までこちらに投稿することにしました。内容と実際で合わないところがありますが何卒お許しください。m(_ _)m

==========

あけましておめでとうございます。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。読者の皆さまのお正月はいかがだったでしょうか。おそらく楽しいお正月だったことと想像しております。

僕のお正月は毎年恒例の親子ボーリング大会を開催いたしまして僕たち親チームが優勝いたしました。2ゲームを投げて合計得点を競う親子大会ですが、もう何年も勝ち続けていますので連勝記録を更新していることになります。しかし、あまりに勝ち続けていますので何連勝中なのかが定かでないことが残念です。それほど勝ち続けています。ちなみに、優勝者はゲーム代金が無料になるという特典があります。

連勝を続けている理由は一にも二にも僕がほかの3人よりも抜きんでて高得点をたたき出しているからです。と言いましても、ほかの3名の力量レベルが低いというのが実態です。それでも優勝は優勝です。具体的な点数を紹介いたしますと、僕のアベレージが120点くらいでほかの3人は100点にいくかいかないかのレベルです。ですので、僕が高い分だけいつも点数が多くなり優勝しています。

しかし、今年はなぜか僕の調子が悪く危うく連勝記録が途切れるところでした。今年は僕までもが100点ギリギリの得点でしたので負ける間際まで追い詰められてしまいました。それでも優勝できたのは、なんと僕以上に子供チームの調子が悪かったからです。言い方を変えますと、「下手だった」からです。なんとレベルの低い親子大会でしょう。

さて、昨年の最後に書こうか書くまいか迷ったのですが、今年から投稿するサイトを変えることにしました。わざわざお金を払って自分のサイトを開設していますのでそこにコンテンツを集中させたほうがよいと判断したからです。

これまで僕はコンテンツのサイトを分散していることはプラスになると思っていました。おじさんらしい古い発想ですが、コンテンツを分散していますとリンクでつながることになりますのでグーグルの評価も高くなると考えていたのです。

しかし、昨年末にたまたま読んだ記事によりますと、今の時代はそのような簡単な評価手法とっていないようで、反対にコンテンツが充実しているサイトのほうが評価されるそうです。それがブログの引っ越しを考えた理由ですが、そのほかにはそのブログでは全くと言っていいほどadsenseが効力を発揮していないことがあります。

ブログの引っ越しは2度目です。前回はauさんからの引っ越しだったのですが、auさんがサイト運営を終了することに伴う移転でした。理由がサイト側にありましたのでauさんのほうで引っ越し作業をするサポートシステムを用意してくれていました。ですから手間取ることなく作業を完了することができました。しかし、今回は自分の都合での引っ越しですので移行作業を自らの手でやる必要があります。そこで少し迷いました。

いろいろ考えた末に出した結論は、それまでのブログを残しまま新たにブログを立ち上げることでした。双方にリンクを貼ることで読者の方が困ることもないのではないかと考えたのですがどうでしょう。


それにしても世の中と言いますか、ITの世界は本当に広いということを昨年後半に痛感したことがあります。読者の皆さんは「はあちゅうさん」とか「がっぴーさん」とか「箕輪厚介さん」という名前をご存知でしょうか。僕は昨年の後半に知ったのですが、ネットの世界では著名な方々でした。

「ちきりんさん」をご存知の方は多いのではないでしょうか。書籍も出版していますのでネットだけの著名人ではなくなっています。しかし、一般のマスコミにあまり登場しませんのでネットを利用していない人には知られていないかもしれません。ですが、ネット上ではとても有名な方です。

ネットでの著名人と言いますと、やはり今の時代は「ユーチューバー」です。僕が初めてユーチューバーさんを見たのはフジテレビの「スマスマ」に出演したHIKARINさんです。4〜5年前ですがその時点ですでにネット上では超有名人として活躍していました。しかし、僕はテレビに出て初めて知りました。

もちろん名前だけは知っていました。僕は本屋さんに行くのが趣味ですが、HIKARINさんの「僕の仕事はユーチューバー」は本屋さんの棚でも目立つタイトルです。ですが、本屋さんで本を見るだけでは今一つ「ピン!」とくることがなく、テレビで見て初めて実感したのが正直なところです。

マスコミでのユーチューバーさんの取り上げ方は収入の面がメインです。HIKARINさんは毎年1億円を超えていますし、「はじめしゃちょー」も近い収入を得ています。そのほかにもたくさんいますが、こどもたちが将来なりたい職業として「ユーチューバー」をあげるようになったこともわかるような気がします。

このように「ユーチューバー」として活躍している人たちはある程度世の中に知られる機会がありますので僕も知っていました。しかし、昨年後半に知ったのはネットではなくSNSの世界での著名人でした。しかも、ネットでの活動が職業として成り立っていることが驚きでした。

僕がそのような人たちを知ったきっかけはnoteというサイトです。一応「サイト」と書きましたが、ブログとも言えるもので、どのように表現してよいのか僕もわかりかねている状態です。

いつ登録したのか自分でも覚えていなかったのですが、noteさんから「4コマ漫画」のコンテストを開催する通知がきたことです。面白そうでしたので応募しましたが、もちろん落選しました。それをきっかけにnoteを見るようになりました。

noteとは簡単に言いますと、文章を書いたり絵を描いたりといったアーティストの方々が投稿するサイトです。これから世の中に出て行こうと考えているアーティストの方々の場です。僕はそこで「はあちゅうさん」や「がっぴーさん」を知りました。「はあちゅうさん」に関しては、少し前に名前だけは知っていました。それはyafooのトピックで取り上げられていたからです。

「はあちゅうさん」は30才くらいのきれいな女性ですが、すでにネット上では著名人となっている方のようでした。トピックの内容は、大手広告代理店の「電通」に勤務してときに受けた上司からの「パワハラ」に関するものでした。ちょうど「#me too運動」が盛り上がっていたときでその関連で「はあちゅうさん」は自らの体験を投稿し、それがファンの方々にツイートされ反響を巻き起こしたようです。

noteを訪問するようになってから、僕の知らないネット上での著名人がたくさんいることを知りました。note関連でcakeというサイトも知ったのですが、こちらにも僕が知らないネット上での著名人がたくさんいました。

繰り返しになりますが、僕が本当に驚いたのは文章を書いたり漫画を描いたりしてそれなりの収入を得ている人がいることです。noteでは有料でブログを配信している人がかなりいます。これまでは自分の文章で収入を得るには雑誌など媒体に認められる必要がありましたが、自分で値段を決めて配信することを実際にやっている人がいるのです。もちろんそのような成功者は全体からしますと一握りですが、昔ではあり得なかった収入の獲得方法です。

ネットでのこのような動きに対して紙の出版業界では販売数の減少が続いています。おそらくこの流れが変わることはないでしょう。僕は、経営学者・ドラッカーさんの言葉を思い出しました。

「変化はコントロールできない。できることは、変化の先頭に立つことだけだ」

諸行無常の世の中で生き残るのは大変です。今年も心して生きていきましょう。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:39 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月30日

<2018年も終わりです>

日々生活を送っていますと、「一週間は経つのは早い」と感じますが、この時期になりますと「一年が経つのはもっと早い」と感じます。そんなことを言いながら60年以上が過ぎてきましたが、今年も同じ言葉を言うことになります。

僕が年末を迎えるに当たって今年受けた印象は、今年は年末感と言いますか、師走感を例年よりも強めに感じていたことです。数年前、11月に入ってすぐにクリスマス飾りなどがはじまり、「え、もうクリスマス?」と思ったことがあります。結局、その年は12月に入っても「なんか年末の感じが全然しないなぁ」と感じたまま一年が終わりました。そのときの記憶が残っていましたので、今年はしっかりと12月になり、そして「師走感」を感じたことに少し不思議な気分になりました。

さて、今年最後のコラムですので1年を振り返る内容にしようかと思いましたが、つい先日僕の根底にある発想につながる言葉に接しましたので、今年最後のコラムはその言葉から感じたいろいろなことを展開させていくことにします。

その言葉とはフィギュアスケートの本田真凛選手がインタビューに答えたときの言葉です。ご存知のように今年の全日本フィギュアスケート選手権は坂本花織選手が逆転優勝し、カナダグランプリで優勝し現在最も期待され注目されている紀平梨花選手が2位となりました。3位には過去3連覇している宮原知子選手が入ったのですが、順位以外の面で注目を集めていたのが本田真凛選手でした。

本田選手はジュニア時代に優勝の経験があり、シニアに進んでも優勝が期待されていた選手です。しかし、シニアに移行後は思うような結果が出せずに現在まに至っています。マスコミは外見を重視する傾向がありますのでルックスもよいうえにジュニアでの実績もある本田選手は格好の材料です。その本田選手がシニアに移行後ずっと伸び悩んでいるのですが、それがまたマスコミの材料にもなっています。

普通なら入賞さえしない選手に取材などすることはありません。ですが、本田選手の場合は例外でした。誰しも敗者という立場は辛く悲しいですが、マスコミの取材は本人にその苦しさを自覚させることになります。このような過酷な状況に追い込まれていることは苦痛のはずですが、その過酷な状況を受け入れていた本田選手も別の意味で「偉い!」と感じています。

今回コラムで紹介しようと思った言葉は、その本田選手の口から発せられた言葉です。インタビューの中で本田選手は「『妹に言われた言葉』が支えになっている」と答えていました。

「逃げ道の先には、行き止まりしかないよ」。

本田選手の結果は誰が見ても残念なものでした。そのような結果になってしまいますと、誰でも自分にいい訳をしたり、またはいい訳を作ってその場から逃げたくなるものです。「逃げる」という言葉が厳しすぎるなら方向転換でも構いません。つまり、フィギュアスケートではなくほかの道に進むことを考えたくなります。もちろん方向転換をすること自体は違う可能性に挑戦することですのでマイナスな発想ではありません。

進む道を変えることで成功した人は数えきれないくらいいます。ですから、方向転換自体は悪いことではないのですが、中途半端な努力のまま方向転換することは将来に禍根を残すことになります。おそらく妹の望結選手は姉の真凛さんにそれを伝えたかったのでしょう。

この言葉はある意味、とても厳しい意味が込められています。マスコミからじぶんの不甲斐なさを興味本位で取り上げられ、その立場から逃れるために方向転換することを戒めたのです。そして、その妹の言葉に反発することなくきちんと受け入れている真凛さんも素晴らしい選手ですし、人格者だと感じました。

それにしても、これほど素晴らしく的確な至言を投げかけているのが中学生ということに驚かされます。テレビでは、本田選手が競技をはじめる前に観客席から応援している二人の妹さんの様子が映し出されていましたが、その様子は小学生と中学生という年齢にふさわしいあどけなさが感じられる応援の仕方でした。言葉を変えるなら、まだまだ子供らしさが抜け切れていない幼さが出ている映像だったのです。そんな「女の子」がこんな素晴らしい言葉をかけていたのです。

それほど素晴らしい助言をする望結さんは二女ですが、周りを見渡しますとアスリートの世界では「二番目」の人が成功している例を多く見ることができます。現在注目度ナンバーワンの紀平選手も二女ですし、一時代前のレジェンド浅田真央さんも二女です。スピードスケートの高木美帆選手も二女です。

男子の世界では柔道でオリンピック3連覇を果たした野村忠宏さんも次男ですし、サッカー界では三浦知良も中田英寿も次男です。野球界に目を転じますとイチロー選手も松井秀喜選手も次男ですし、現在メジャーリーグを席捲している大谷翔平選手も次男です。「二番目」に誕生した人は優れた遺伝子を持って生まれてくる確率が高いようです。

今紹介しました選手の方々のほとんどの場合で、年下の兄弟が競技をはじめるきっかけは姉や兄が競技をはじめたことです。この展開はどこの家族にでもありそうなことですので当然のことと言えます。

そして、妹や弟は徐々に姉や兄の実力を越えスーパースターを目指して成長して行きます。ここで一つの疑問が起きます。姉や兄はスーパースターになっていく妹や弟ほど努力をしなかったのか…。

もちろん、そんなはずはありません。誰でも年下の妹や弟に負けるのは悔しいはずです。ですから死に物狂いで努力をしたはずです。ですが、「努力が実るとは限らない」のが現実です。

この論法で行きますと、「成功に重要なことは、努力とともに運が必要」ということになります。「運」とは持って生まれた才能です。しかし、往々にして成功者は自分の成功を自分の努力の賜物と考えたがります。なぜなら、人よりも努力して根性で頑張ってきたという自負があるからです。それが、成功の理由が「運」では他人や社会に自慢することができなくなってしまいます。

同じことがビジネスの世界でもいえます。「成功者として大金持ちになった理由が『運』ではたまったものではない」と考えるのが普通です。成功したのは日ごろの努力であり、人が考えつかないようなことを思いつく発想力でなければ成功した意味がなくなるのです。

だからこそ、成功者は大金持ちになる資格があると考えます。現在、世界は格差社会になっていますが、その大元の原因は「自分が努力したことが報われた」と考えることです。もし、世界中の成功者がその理由を「たまたまの運」と考えたなら自分だけ裕福になろうとなどと思わないはずです。

「たまたまの運」と考えることは謙虚な気持ちになることです。nissanのゴーンさんも法律に違反するかどうかは別にして、生きている間に使えないほどの報酬を受け取っていったいどうしようとしたのでしょう。単に、ほかの人に見せびらかしたかっただけなのでしょうか。

周りを見渡しても、日本社会で高級外車を乗りまわしていったいなにがしたいのでしょう。
ほかの人に自分を見せびらかしたいと思っている人が南青山に児童相談所ができることに反対しているのでしょう。

来年は謙虚な大人が増えることを願って、今年一年を終えたいと思います。一年間お読みくださいましてありがとうございました。(^o^)

じゃ、また来年。

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posted by satoaki at 15:42 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月23日

<特権意識>

僕はことさら天皇制を支持する考えを持っているわけではありませんが、先日の天皇陛下の会見には至極感動しました。僕の印象では、天皇陛下は思想的に最も中立で平衡感覚が優れているお方のように思います。

会見の中で印象に残ったのは「困難を抱えている人に心を寄せていく」というお言葉です。また、冷戦が終わったあと平和が訪れることを期待したところ、反対に民族紛争や宗教絡みの戦いが起きたことを憂慮した、とも述べていました。全く同感です。

今の時代は格差社会と言われ、上位1%の富裕層が持っている資産が残り99%の人が持っている資産を上回っていると報じられています。こうした状況になったのは「困難を抱えている人に心を寄せていく」社会になっていないからです。

今、世界はトランプ大統領に振り回されているように見えますが、その根本には「自国ファースト」という発想があります。「アメリカファースト」からはじまり、世界中に「自国ファースト」が伝染していきました。先進国指導者の中で反トランプの旗手として期待されていたドイツのメルケル首相は支持率が落ちましたし、ナショナリズムの台頭を憂慮していたフランスのマクロン大統領も支持率を下げています。

マクロン大統領を窮地に陥れている暴動は「反グローバリズム」を訴えているようですが、これも見方を変えるなら「自国ファースト」といえなくもありません。世界中が「自国ファースト」なってしまうと、突き進む道は戦争しかなくなってしまいます。マクロン大統領が当選した大きな理由には「極右政党のル・ペン氏を当選させてはいけない」というものがあったはずです。しかし、今回のフランスの暴動は極右政党と同じ発想を支持しているようでもありました。世界平和を考える発想は通用しない時代になっているかもしれません。


そんな世界を見ているときに南青山での児童相談所建設反対の騒動が報じられました。ご存知ない方のために説明をしますと、南青山といういわゆる一等地に港区が児童相談所を建設する計画を発表したことに対して、近隣の住民が反対している騒動です。マスコミで注目を集めたのはその「反対理由」にあります。

その理由の大半は「青山としてのブランド価値が下がる」というものですが、そのほかには「生活レベルが違う家庭が入ってくると、その方たちが肩身の狭い思いをする」というものまでありました。最初にこの報道がなされたのは10月頃でしたが、当時でも「ブランド価値が下がるとは思わない」という反対意見も出ていました。

しかし、それ以降はあまり報じられなかったのですが、先週あたりからまた大きく報じられるようになっています。区役所の説明会見時における反対住民の意見が一般の人に違和感を持って捉えられたからです。マスコミの報じ方を見ていても中立というより反対住民に対して批判的な立ち位置にいるような伝え方のように感じました。

もちろん建設に賛成する住民もいるのですが、その方たちは「子を持つ親として、こんな理由(ブランド低下)で反対したとは、将来子供にとても言えない」とか「お金の問題じゃない。建設反対は、虐待を受けている子供を見捨てる、虐待に加担している行為」と訴えています。

一般の人の感覚で言いますと、賛成論のほうが真っ当に思えます。しかし、「ブランド価値が下がる」と本気で反対している人がいるのも事実です。格差社会を生み出しているのはこのような感覚の持ち主です。自分さえよければほかの人はどうなっても構わないという考えです。

ある報道では「建設に反対している人たちに黒幕がいる」と伝えています。近くの不動産業者が自分たちの儲けのために建設反対の人たちをけしかけている、または応援しているというものです。仮に、そうした業者がいようとも建設に反対しているのは事実です。「困っている人たちを助けたい」という考えがあるなら建設に反対する行動は取らないはずです。


僕の好きな歌に「真夜中のダンディー」という歌があります。サザンオールスターズの桑田さんが一人で出している作品ですが、この中に「隣の空は灰色なのに 幸せならば顔をそむけてる」という歌詞があります。建設に反対している人たちはまさにこの発想です。自分たちさえ幸せなら困っている人がいようとも「我、関知せず」の考えで生きている人たちです。

このような考えの人が持っているのは特権意識です。特権意識とは「身分や立場を背景に、他の者よりも優れているという考える精神のこと」ですが、自分たちはほかの人とは違うのだという優越感がある、もしくは持ちたいという願望が「ほかの人のことなど関係ない」と思わせています。

世の中がこのような人たちばかりになりますと、世の中には間違いなく争いが起きます。なにしろ「自分だけは別格」だと思っているのですから対立が起きないはずはありません。「自分ファースト」もこれに通じるものがあります。「自分を第一に考える」のですから争いが起きて当然です。

かつての2度の世界大戦はこのようにして起きました。そして、その世界大戦を反省するために世界協調が重要視されてきたはずです。南青山の児相建設問題も世界が不穏になるのも根底にあるのは特権意識です。みんなが特権意識など持たずに生きるようになるなら世界はきっと平和で穏やかな社会になるでしょう。

でもね。不思議なんだけど平和になると、また次の争いの種が必ず生まれるんだよねぇ。ドラゴンボールを見てるとそれがわかるよねぇ。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 16:08 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月16日

<いつの間にか>

河野外務大臣が記者会見で、記者の質問に対してはなにも答えずに、まるで質問などなかったかのように無視して「次の質問をどうぞ」と答えたそうです。しかも一度だけではなく4回も同じ対応をしたことが物議を醸していました。後日、河野大臣が自身のブログで謝罪しましたので、この騒動は収束しそうですが、僕も違和感を感じた一人です。以前の河野氏なら絶対にしないであろう対応だと思うからです。

僕は河野氏に期待をしている一人です。今の要職に就く前はラジオなどに出て自民党に苦言を呈する発言をすることが多かったからです。つまり安倍首相に批判的な立場を標榜していたのですが、その河野氏が内閣に入りしかも外務大臣という内閣の要職に就任したときは驚きました。

河野氏が内閣に入り、そして外務大臣になったとき僕は勝手にいろいろなことを想像しました。例えば、自民党もしくは日本を変えるには権力の中枢に入り込む必要がある、と考えたからではないか、などです。少し大げさですが、これまでの言動からしますと「自民党をぶっ壊す」と叫んで首相に上りつめた小泉首相に近いイメージを抱いていました。

それほどの人物を安倍首相は入閣させたわけですが、その人事について政権よりと言われている産経新聞が解説していました。それは、河野氏が麻生副総理の派閥に入っていることと、菅官房長官が河野氏と同じ選挙区で兄貴分という立場だからです。この二人の存在で河野氏をコントロールできると判断した、と解説していました。

しかし、この解説を反対から読みますと、それだけ河野氏は安倍首相とは異なる政治姿勢の持ち主であることの証明になります。「安倍首相とは異なる」とは国民目線で弱者にやさしい政治を目指していることです。さらに言うなら庶民感覚を持っている政治家という意味です。

その河野氏が記者の質問に答えないどころか、無視していると思える「次の質問をどうぞ」の返答は僕のこれまでの河野像とはかけ離れたものでした。しかも4回も行うのはあまりにも失礼です。政治家としてあるまじき振る舞いです。

ですが、これまでの言動からしますと誠実で真摯な政治家を目指しているはずの河野氏です。なにか理由があるのではないか、と考えました。たまたま機嫌が悪かったということも考えられなくもありませんが、立派な大人ですので「機嫌の悪さ」だけでは納得できないものがあります。

そこで考えられるのは、記者の姿勢です。テレビニュースでは河野氏が「次の質問どうぞ」という言葉を連続して発する映像だけが流れましたので河野大臣の発する言葉がぶっきらぼうに答えている印象を与えます。文字で伝える記事にしても河野大臣の発言だけを報じるだけですと、そこに至るまでの経緯や背景は読者にはわかりません。

ここから先は僕の想像ですが、もしかすると記者が「あまりに不勉強な質問をする」のでそれを批判する意図があったのかもしれません。後日の謝罪ブログでは「不適切な対応だった」ことと「いつものように、お答えできかねます」と答えるべきだったと「お詫び」し、記者に対して失礼な対応だったことを認めています。「外交では相手方にこちらのカードを見せては失敗する」とも書いてありましたが、それを承知のうえで「お詫び」をしていますので会見での自分の振る舞いに対して非を認めていることになります。

そうなりますと、余計に「非」に至った理由が気になるところです。そこである評論家のコラムを読んでいましたら、「官邸が外務省を飛ばしてロシアと交渉していること」に対しての「イラつき」を示したのではないか、と解説していました。

大臣と官僚の関係はとても微妙です。政治家は大臣になりますと官僚からレクチャーを受けますが、僕はそこで大臣と官僚の力関係が決まるように思っています。かつてと言いますか、現在でもそういう人はいますが、官僚と政治家の関係はほとんどが官僚が主で政治家が従です。つまり大臣は官僚に言われるままに言動をしていればよいのです。もし能力のない政治家が官僚を動かそうとしますと完全に政治は止まってしまいます。官僚が政治家を大臣(上司)として認めていないからです。かつて民主党が政権を取ったときはこの状態になり崩壊しました。

これは民主党に限った話ではなく自民党でも同様です。先ほど「現在でもそういう人はいますが」と書きましたが、政治家が政治を動かすには完全に官僚の言いなりになるか、または実力がある人が官僚をコントロールするコツを身につけるしかありません。マスコミの報道から察しますと、河野大臣は後者のようです。官僚との関係を良好にしているようですし、コントロールもしているようです。それが可能なのは官僚が河野氏を大臣として認めているからです。

このような視点から先ほどの記者会見を振り返ってみますと、「次の質問どうぞ」という発言は記者に対してよりも、官邸(安倍首相と取り巻き)に対するなにかしらの反抗メッセージと思えなくもありません。先ほどのコラム氏によりますと「官邸は外務省の頭越しにロシアの外相と交渉をしている」そうです。河野氏と官僚がタッグを組んで官邸に抗っているように見えなくもありません。

人は誰しも変わります。気がつかないうちに変わっていることもあります。もし、河野氏が大臣という権力に飲み込まれたことでの「次の質問どうぞ」という発言であったなら、これほど悲しいことはありません。

今EUでは反政府運動が活発化しています。フランスではガソリンの増税からデモが続いていますが、それが隣国にも及んでいるそうです。格差社会と言われるようになって久しいですが、貧困層に属する人たちの反発が激化しそうで不安です。

「内戦は『今日から始める』と宣言して始まるのではない。気がついたら、いつの間にか始まっているものなのだ」

これは国連のイラク問題の特使の言葉ですが、「いつの間にか」になる前にすべての人が気づくことが大切です。河野外務大臣もいつの間にか「傲慢になっていた」とならないように常に自分自身を見つめてほしいと思います。

でも、常に自覚しているのって難しですようねぇ。僕、いつの間にか人生の終盤に差し掛かっています。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 14:16 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月09日

<ゴーン氏逮捕>

日産のゴーン氏が逮捕されて約2週間が過ぎましたが、マスコミもあまり報道しなくなっています。実は先週のコラムは「ゴーン会長逮捕」について書くつもりだったのですが、元貴乃花親方の離婚が報じられましたので、ついそちらのほうを書いてしまいました。

ゴーン氏の逮捕についてはいろいろな情報や意見がマスコミに出ていますが、結局のところなにが真実なのかは今一つはっきりしないのが実際のところです。そもそも真実を突き止めるために裁判が開かれるのですから、これからが本番ということになります。

これは本題から少し離れますが、今回検察が日本人ではない、しかも社会的影響力が高い人物を逮捕したことは事件とは違う方面に影響を与えるように思っています。それは日本の司法制度における問題点です。

日本では大きな事件で容疑者を逮捕しますと勾留するのが一般的です。勾留とは「被疑者を刑事施設に留置して拘束すること」ですが、勾留する理由は被疑者が逃亡や証拠隠滅をしないようにするためです。実は、このコラムを書くにあたり調べたところ、同じ「こうりゅう」という読み方で「拘留」というものもあるそうですが、これは「勾留」とは違うものだそうです。

それはともかく、以前より被疑者の段階の人を長期間勾留することの問題点を批判している意見がありました。ですが、そうした意見はなぜかほとんど無視されてきました。それが今回ゴーン氏を勾留したことで国際的に日本の司法制度に注目が集まっています。冤罪をなくす運動をしている専門家に言わせますと、先進国の中で日本ほど司法制度において人権侵害を犯している国はないそうです。ゴーン氏の逮捕が日本の人権侵害について議論が高まるきっかけになることを願っています。

ゴーン氏逮捕から2週間も経ちますと報道も落ち着いてきていますが、報道は大まかに2つに分類できます。一つは「ゴーン氏が多額の報酬を隠していたことへの批判」であり、あと一つは「今回の逮捕は日産側のクーデターである」という指摘です。

ゴーン氏の多額の報酬については日本人の感覚からしますと、「もらい過ぎ」という印象は否めませんが、グローバル企業の経営者としては「許容範囲」とも報じられています。クーデター説については、ゴーン氏がNISSANをルノーと統合させるつもりでいたのを察知してそれを阻止するためという報道です。ルノーの売上げはNISSANよりも少なくなんとルノーの利益の半分以上はNISSANからの配当によるものだそうです。ルノーはNISSANに逃げられないように統合するつもりだったと報じられています。

ゴーン氏がNISSANにやってきたのはNISSANの業績が思わしくなかったからです。「思わしくない」どころか倒産寸前でした。僕が強く印象に残っているのはゴーン氏をNISSANに招き入れた当時の日産自動車社長・塙 義一のコメントです。

「日産は大企業なのでしがらみが強すぎて日本人では改革ができない」。

日産は赤字を垂れ流す体質を改善したくても、取引先などとのそれまでの関係があるので実行に移せないでいたそうです。その「しがらみ」を断つには「外部から人材を招き入れるしか方法はなかった」と塙氏は語っていました。

確かにゴーン氏が来てから日産はV字回復をしていますが、僕からしますと取引会社を切ったり工場を閉鎖したり従業員を解雇したり、など採算の取れない部署を削減しただけにすぎないように見えます。コストカッターに相応しいゴーン氏の手際ですが、塙氏が言うように「日産生え抜きのトップではできない改革」です。「しがらみ」のないゴーン氏だからこそできた改革です。

その意味で言いますと日産がV字回復した一番の理由はゴーン氏の手腕ではなく、単に「外部からやってきた経営者だから」ということになります。別にゴーン氏でなくてもコストカッターができる能力のある人物なら誰でもよかったようにさえ思います。

以前書いたことがありますが、ゴーン氏が来る前まで日産の業績が悪かったのは一人の労働組合のリーダーに理由があります。当時「塩路天皇」とまで言われるほど権力を持っていました。なにしろ社員の異動さえ労働組合の許可がなければできなかったのですから、力の強さがわかろうというものです。これほど労働組合が実権を握っている企業が利益を出せるはずがありません。

結局、この人物の影響力から抜け切れずにいて業績が悪化したのですが、今回もゴーン氏という一人の権力者の力によってNISSANが支配されていたことになります。NISSANは一人のカリスマ的人物に支配される遺伝子があるのかもしれません。

マスコミ報道全体を俯瞰しますと、NISSANが検察に協力していたのは事実のようです。日本初の司法取引と報じるマスコミもいますが、クーデターというよりもNISSANをゴーン氏の手から取り戻す意図があったように感じます。ですが、だからといってNISSANの幹部が正しいとは限りません。そうしたことを感じるのは昨年の秋以降に明らかになっている「品質検査関連の不正」に対するNISSANの対応に疑問を感じるからです。謝罪会見に西川社長が一度も出席していないのです。もし、企業のトップとして経営に真摯に向き合う気持ちがあるなら謝罪会見にはトップが臨むのが本来の姿です。

僕は言葉を信用しない主義です。ちょっと頭のいい人は言葉を巧みに操って、または彩って人を思い通りに動かそうとするからです。僕は行動で人を判断します。その意味で言いますと、「品質検査関連の不正」の謝罪会見に一度も出席せず部下に任せている西川社長には経営者としての姿勢に疑問を感じています。

このような状況を見ていますと、今回の事件も外部からやってきたエリートと生え抜きのエリートの争いのように思えてきます。そこには現場で一生懸命働いている人たちへの配慮が欠けているように見えます。いつも負担を押しつけられるのは現場で働いている人たちです。格差社会の原因はそこにあるのかもしれません。

そう言えば、ゴーン氏の弁護を担当するのは元東京地検特捜部長の弁護士です。今回の検察側の部長は元部下だそうです。こうした構図を見ていますと「裁判とはなんなのか」と考えてしまいます。これでは裁判が検察の元上司と部下の戦いの場にすぎないことになってしまいます。裁判が真実を求める場ではなく、単なるディベートの優劣を決める場ということです。これで公正で公平な裁判が行われるのでしょうか。

やっぱり、世の中ってエリートが支配しているのかなぁ…。

…てなことをゴーン氏逮捕事件から連想した僕です。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:49 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月02日

<やらない後悔>

僕が今週印象に残ったニュースは元貴乃花親方の離婚でした。僕の年代ですと若貴ブームが強く記憶に残っているのですが、若貴兄弟が最初にマスコミで取り上げられたのは、親方の子どもから弟子に立場が変わったときです。テレビで「若貴兄弟が子供部屋から力士部屋へ引っ越す」様子が放映されていました。このときのお母様(現・藤田紀子さん)の涙が印象的でした。

我が子ではなく、弟子になったのです。

兄弟揃って相撲界に入ったのですが、あとから兄の花田勝(元若乃花)さんの言に寄りますと「弟を守るために入門した」そうです。僕の記憶では「お母様からお願いされた」と話していたように思います。

二人とも努力の末に横綱まで上りつめたのですが、その途中で起きたのが貴乃花と女優宮沢りえさんの婚約騒動でした。人気力士となりもうすぐ大関になるという時期に若手女優として人気抜群だった宮沢さんとの婚約でしたのでマスコミが注目するのも当然でした。

今でも頭の中に残っている見開きページの写真があります。当時は写真週刊誌がブームだったのですが、その写真は記者会見を二人のうしろから撮っていました。二人の背中越しに集まったマスコミの人たちが写っているのですが、テーブルで覆われていてマスコミ側からは見えないのですが、二人は仲睦まじく手をつないでいました。どれほど二人がともに相手を好きでいたかが伝わってくる写真です。

しかし、その僅か2ヶ月後婚約は破談になるのですが、貴乃花は「気持ちが冷めた」とインタビューに答えていました。誰が考えても納得できる答えではありません。あれほど好きあっていた二人が簡単に気持ちが冷めるのは不自然です。二人に外部から圧力があったと想像するのが普通です。

後年、二人の破局について兄の花田勝さんは「他人には言えないいろいろなことがある。二人はかわいそうだった」と話していました。また歌手の美川憲一さんは2014年に唐突に二人の破談について語っています。当時美川さんは宮沢さんのお母様と親しくしていたらしく、お母様から依頼されて自分がりえさんを説得したそうです。

真偽のほどはわかりませんが、いくら本心から相手を好きになったとしても、周りの大人からしますと「若さゆえの一時の気持ちの高まり」と考えるのが普通です。どちらもまだ若く将来がある身でしたので、二人を思いとどまらせるなんらかの圧力があっても不思議ではありません。「圧力」という言葉が強すぎるなら「説得」です。どちらにも説得があったのは間違いのないところでしょう。

先ほど兄の花田勝さんのコメントを紹介しましたが、実は二人は仲違いの関係にあります。花田さんがいろいろな場で語っていますのでご存知の方も多いでしょうが、花田勝さんが「あいつ(弟)だけは許せない」と話していた言葉が二人の仲の悪さを表しています。

しかし、実はつい先日僕は驚くような花田さんのお話を聞く機会がありました。先場所は元貴乃花部屋の貴景勝関が優勝しましたが、あるスポーツ番組で花田さんに感想を聞いていました。そのとき花田さんは次のように話したのです。

「貴景勝は元貴乃花が育てたので元親方も喜んでいるのではないでしょうか。貴景勝が優勝できたのは元親方の育て方がよかったからだと思います」

僕は花田さんが弟である元貴乃花を辛辣に批判していることを知っているだけに弟を思い遣るこのコメントには本当に驚きました。もしかしたなら二人が仲直りをする兆候かもしれません。

先月、お亡くなりになりました元横綱輪島さんは兄弟を小さな頃から知っている方でしたが、二人が仲違いをしていることを気にかけていたそうです。輪島さんの人生も波瀾万丈で、親方時代に事件を起こし相撲界を追われ、自由奔放に生きていた方ですが、お亡くなりになったときは元貴乃花のお母さんである藤田紀子さんは感謝の気持ちを話していました。

実は藤田さんが貴乃花のお父様である貴ノ花関と結婚するとき、ものすごい反対に遭っています。部屋の親方は実の兄であり名横綱と言われていた二子山親方でしたが、「死ぬほどなぐられた」という記事を読んだことがあります。それほどの反対に遭いながらも結婚したのですが、息子の貴乃花とは違う決断をしたことになります。

藤田さんの感謝は「貴ノ花関とデートをするときはいつも輪島関が一緒にいてくれた」ことに対してです。もちろん一緒にいたのはマスコミ対策ですが、それがのちに「若貴兄弟は異父兄弟』という噂にもつながっているようです。(輪島さんが父親という説です)

相撲の世界は親方と弟子が似たような名前であり、ときには同じ名前のこともありますのでわかりにくくなりますが、話を元貴乃花関(当時は貴花田)と宮沢さんの話に戻します。

婚約が破談になる理由として「気持ちが冷めた」とマスコミに答えていた貴乃花関ですが、当時の気持ちが不安定でいたのがわかる映像を見たことがあります。関取は巡業に行ったときにお客さんの間を通って土俵に向かうのですが、そのときにお客さんは関取の身体に触ったり軽くたたいたりします。親愛の気持ちを込めて行うのですが、貴乃花は身体をたたいたお客さんをものすごい形相でにらんだのです。おそらく気持ちがいらついていたのでしょう。こうした振る舞いからも婚約破談が自らの意思で決めたことではないことが想像できます。

もちろん宮沢さんにもショックはあったようです。週刊誌では自殺未遂報道などもありましたが、みるみるうちにやせ細っていったのがわかりました。ショックの大きさが伝わってきた容姿でした。宮沢さんはその後一時期芸能活動を行わない時期があったのですが、僕は復帰するきっかけを作ったのは脚本家の倉本 聰さんだと思っています。

倉本さんの作品で有名なものに「北の国から」がありますが、宮沢さんはその特別編「’95 秘密」で芸能活動を再開しています。僕からしますと、まるで倉本さんは宮沢さんを復帰させるために書いたような内容でした。気になる方はネットで調べてください。

宮沢さんは、現在はVの森田剛さんと結婚して幸せな生活を送っていますが、元貴乃花関はこれからが正念場です。僕は、元貴乃花関は宮沢さんとの婚約破談に対して、心の区切りをまだつけていないように思っています。元貴乃花関はその後河野景子さんと結婚していますが、無理やり愛情を思い込もうとしているように感じていました。

親方時代にテレビなどで見かけることがありましたが、話し方にしても振る舞いにしても本来の自分の姿をさらけ出していないような感じをずっと受けていました。「自分を作っている」という感じです。

結局、元貴乃花関は相撲協会と揉めた後、降格人事に遭い、最後は相撲部屋まで畳むことになっています。いろいろ大変でしょうが、一般人とは違い一時代を築いた人ですのでいくらでも収入の道はあると思います。

兄弟の確執の解消も含めて、今回の騒動がよい方向に展開することを願っています。

やっぱり、恋って突き進んだほうがいいんじゃないかなぁ。

「やらない後悔」は「やった後悔」よりも強い。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 13:56 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月25日

<iPhone乗り換え>

我が家は家人のスマホや携帯電話の請求書を僕の口座に統一していますので、家族それぞれの毎月の請求金額がわかります。これまで書いていますように、僕はスマホと携帯の2台持ちをしていますが、データ通信と通話を分けるのが目的です。出先でトラブルに見舞われて連絡手段がなくなるのを防ぐためですが、携帯の請求金額には常に気をつけています。

携帯は通話専用として使っていますが、ボタンを押し間違えてデータ通信を使ってしまいますとかなりな金額が発生してしまいます。携帯のデータ通信の契約が従量制になっているからですが、以前一度だけ高額な通信料金になったことがあります。それ以降は用心をしながら使っていますが、そうした間違いさえしなければ2台持ちでも毎月の請求金額は約2千円で済みます。この金額は妻も同様ですが、息子の請求額だけが突出していました。

息子は「2台を持つのが面倒」ということでスマホ1台にしているのですが、その請求額は毎月約7千円でした。僕と5千円の開きがあります。僕は息子の請求額を見るたびに「なんとか減らしたい」と考えていました。ちなみに、僕と妻はスマホは格安スマホで携帯は大手キャリアの一つでした。息子はその大手キャリアのスマホを使っていました。

こうした状況で息子の7千円を半分以下にすることを目標にいろいろと調べていたのですが、ついに一昨日約半分にすることに成功しました。僕はandroidですが、息子はiPhoneを使っています。ですので買い替え後もiPhoneにするつもりでしたが、iPhoneの難点は本体が高額なことです。

実は、息子の買い替えと同時に自分自身の携帯電話の買い替えも模索していました。先ほど僕の携帯電話の毎月の金額を約千円と紹介しましたが、この金額は携帯を買い替えた3年前に「他社からの乗り換え特典」の割引を使っているからです。その割引が消滅する期限が迫っていましたので携帯の買い替えを考えていました。しかし、当時と現在では大手キャリアの方針も変わっておりなかなか難しい状況のようでした。

それはともかく、時代が違いますと大手キャリアの販売方法も変わってきます。以前は「他社からの乗り換え」で本体がゼロ円になるという特典などいろいろなサービスがありましたが、最近はそのような特典はなくなっているように思っていました。

僕の娘は1年ほど前に、僕が利用している格安simと契約をしてiPhoneを使っていますが、本体はネットで購入しました。以前のように「他社からの乗り換え」で本体が無料になるサービスがなかったからです。

僕は、今回の息子の買い替えについても同じように考えていました。つまり特典等で「本体が無料になることはない」と考えていたのです。ところが、家電量販店の販売員さんに相談をしたところ、格安simの会社でもiPhone本体を無料にする特典があることがわかりました。

実は、このときは最初は大手キャリアの相談員の方が説明をしてくれたのですが、あまり魅力的な内容ではありませんでした。本体代金も半分だけ無料にするようなサービスでしたし、毎月の支払額も僕が想定していた金額よりも高いものでした。

しかし、このときの相談員さんは若い女性でしたが良心的な方で僕が正直な感想を言いますと、「それでは格安スマホの説明も聞いてみますか?」と笑顔で格安スマホを紹介してくれたのです。テレビでも宣伝している格安スマホ会社の相談員さんが来て説明をしてくれたのですが、そこでiPhoneを無料で提供するサービスがあることを教えてもらいました。

この特典は通信会社が提供しているのか、家電量販店が提供しているのかは定かではありませんでしたが、どちらにしても高額なiPhoneが無料で手に入れられるのですからうれしいかぎりです。しかも毎月の支払額も僕が想定していた以下の金額でした。

このような下調べをしたうえで、一昨日に違う大手量販店に行き相談をしましたところ、なんとそこでは先と同じ大手キャリアが「他社からの乗り換え特典」としてiPhoneを無料で提供しているサービスがあることを教えてくれました。数日前と同じ大手キャリアでしたが、相談員の方の知識不足かどうかはわかりませんが、iPhone8を実質無料でもらえるうえに毎月の支払額も想定内でした。

少し詳しく説明しますと、大手キャリアがよく使う「実質無料」という表現はあまり良心的なものではありません。「毎月の通信金額から割り引くことで無料にする」というものですが、これは毎月の支払額を少なく見せるための策略です。ですが、それを差し引いても納得できる金額でしたので契約することにしました。

あと一つ契約を決めた理由があります。それは販売員さんが裏技を伝授してくれたからです。それは大手キャリアさんと契約してから1年1ヶ月後に契約を解除して格安スマホに変更する技です。「2年縛り」という言葉をよく聞きますが、これは2年が過ぎる前に解約をすると罰金が発生する制度です。本体代金にも当てはまりますので、本体の残りの代金を一括で支払う決まりになっています。

しかし、今回の伝授してもらった裏技では1年1ヶ月を過ぎると本体代金は無料になるとのことでした。この大手キャリアを選んだ理由はこの裏技のほかにもあるのですが、総合的に考えてこれまでよりも支払額が減ることは間違いありませんでしたので決めた次第です。

契約を終えたあと、販売員さんから「一つだけ手続きが終わっていないのがありますので、ご自分で通信会社に電話をして手続きをしてほしい」とお願いされました。その手続きをしませんと割引サービスを受けられないとのことでした。

翌日、通信会社さんに電話をしたのですが、ここでもちょっとしたトラブルに見舞われました。僕が今回の通信会社に決めたのは自宅の通信回線が同じだったことも影響しています。ですので、目的の手続きを完了したあとに自宅の通信回線についても問い合わせをしました。

だいたいどこの通信会社も同じですが、自宅とスマホの両方を契約していますと受けられるサービスがあります。ですので、それについて確認しようと思ったのですが、電話口の方はスマホと自宅が同じ通信回線でも受けられるサービスはないとおっしゃるのです。僕が、「以前、そのようなサービスがあったんですけど…」と伝えても「ない」の一点張りでした。

そこで、いったん電話を切りネットで調べてみることにしました。時代が移り変わりますとサービスが変わることもあります。ちょっと心配になり確認することにしました。すると、やはり今でもそのサービスは提供されていました。そこで、再度電話したのですが、当然ですが先ほどとは違う方が電話にでました。ですので、ことの顛末をお話して「調べてほしい」とお願いしたのですが、その方にも「そのようなサービスはない」と言われてしまいました。

ですが、僕が「御社のホームページに書いてある」旨を話しますと少し待たされたあと違う部署に回されました。しかし、そこでもわからずに再度違う部署に回されました。僕は悪質クレーマーになってしまった気分になりました。

最後に回された部署の方がようやっと話が通じる方で「お客様のご指摘が合っております。誠に申し訳ありません」と丁寧な感じのよい話しぶりだったので、ようやく無事に一件落着となりました。その方のお話では、同じ通信会社であっても「スマホと固定回線では部署が違うので知識がないことがある」と、謝罪していました。

僕としましては、きちんと正しいサービスを受けられることが確認できましたので一安心ですが、よくわからないまま損をしている人もいるのではないか、と思った次第です。

以前、僕は国民年金の加入期間で問題があり第三者委員会に出席した話を書いたことがあります。一般的にですが、多くの人はお役所とか大企業とか公的機関といった世間的に信頼感を持たれている組織・団体に対しては「ミスをしないで正確な対応をする」というイメージを持っています。

ですが、よくよく考えてみますとそこで働いている人はごくごく普通の人たちです。ですから、ミスを犯してしまう可能性は十分にあります。市井で普通に暮らしている僕たちは、自分のことについては自分で確認・管理する心持でいることが必要です。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:28 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月18日

<メールソフトを入れ替え>

今週はIT関連のお話です。先日はグーグルマップの調子がおかしくなってしまいヤフーカーナビを使ったお話を書きましたが、今度はメールソフトの調子がおかしくなってしまいました。僕が今まで使っていたソフトはwindows Liveメールでしたが、先月も調子が悪くなり今月も似たような症状になりましたので、我慢できずに入れ替えることにした次第です。

皆さん同じでしょうが、僕もソフトの調子がおかしくなりますと解決方法をネットで検索します。この解決策を探すという作業は面倒ではあるのですが、メリットもあります。それはパソコン関連で自分が知らなかった情報に出会えることです。

解決策を見つけるのは容易ではありません。たまにはすぐに解決策に出会うことがありますが、多くは似たようなトラブルの解決策で「似ているけど、ちょっと違うようなぁ」というケースがほとんどです。解決方法を探すのには「検索キーワード」が重要ですが、本当に適切なキーワードを見つけるまでが一苦労です。

最初のうちは思いつくままにキーワードを打ち込み、いろいろと調べていくうちに最も相応しいキーワードが見つかるわけですが、ここから先がまたまた一苦労です。これだけ苦労をするのですから、解決策が見つかったときは感激します。小さくガッツポーズをすることもあるほどです。

反対に、いろいろと手を尽くしても最後までわからないこともあります。そういうときは一旦あきらめて、日を改めて挑戦するようにしています。これはこれまでの経験から得た最良の方法ですが、2時間を越えて解決策を探しているときは精神的に限界がきています。

このような精神状態になってしまいますと、間違いなく能力が落ちていますので中断するのが最適な対処方法です。実際に、後日探して簡単に見つかったこともあります。あとから理由を考えますと、精神的に余裕を持っていることで全く異なる角度から解決策を考えられるからだと思います。角度が違いますと検索キーワードも違うものになってきますので、それが功を奏したのです。やはり人間は精神的に余裕がないときは最高のパフォーマンスを発揮できないようにできているようです。

実は最初にメールソフトの調子がおかしくなったのは、もっと前で夏頃でした。そのときの症状は受信メール一覧の一つにポインタを置くだけでなぜかメールが開かれるようになってしまったり、複数行を選択するつもりで1回クリックしただけでなぜかすべてのメールが開かれるようになっていました。

結局、いろいろと調べるうちにこの症状は「チャタリング」という名称で、マウスの中にある接触する部品にトラブルが起きていることが原因とわかりました。そこでマウスを交換したところすぐに直りました。

前回のトラブルは夏頃とは違った症状だったのですが、調べたところwindows Liveメールに問題があるようでした。それを調べているときにわかったことは「windows Liveメールはサポート期間が終了している」ことでした。前回は解決方法をネットで調べて修正することができましたが、前回のトラブルから1ヶ月ほどしか経っておらす、頻繁にトラブルが起きるうえに、「サポート期間が終了している」ことを知りましたので思い切ってメールソフトを交換することにしました。

「思い切って」と覚悟を決めるほどの気持ちになるのは、やはりメールソフトの変換は手間がかかるからです。ですので新たにメールソフトを入れない方法も考えました。

メールの仕組みには、自分のPCにサーバーからダウンロードするやり方と、自分のPCからサーバーに見に行くやり方があるそうです。しかし、今の時代はどちらの仕組みでもgmailやoutolookで利用できるそうです。ですから、人によってはわざわざメールソフトを入れる必要性を感じない人もいるでしょう。ですが、昭和人間の古い人間の僕としてはこれまでのやり方を継続するほうが安心なのでした。

さて、新しいメールソフトですが、これは以前から頭の中に入れていたソフトがありました。幾度かメールソフトランキングで1位になっていたことを見ていましたので、入れるとしたら「これ」と思っていたのが「Thunderbird 」(サンダーバード)です。

いろいろなところでのレビューを読みますと「使いやすい」のが特徴のようでしたが、それでもやはり昭和人間の古い人間の僕にしてみますと新しく導入するのは簡単ではありません。

久しぶりのメールソフトの入れ替えですので、最初にやることはメールの移行です。ネットで調べた手順どおりに進めましたが、あまり成功したとは言えない結果になっています。なにが「成功していない」かと言いますと、正しいフォルダに入らないのです。

正しいフォルダに入っていないとはいえ、これまでのメールをすべて移行させることはできましたので一応は安心できます。次に、きちんと受信をできるのか試すことにしました。スマホのメールからPCのメールに試験メールを送信しました。そして、新しいメールソフトで受信を試みたのですが、これがうまくいかないのです。新しいメールソフトの宿命ですが、パスワードを求められるのです。

これがとてもやっかいです。そんな昔のこと、「覚えてない」のが普通です。そこで古い昔の契約書を引っ張り出したり昔の手帳を見たり、目をつむって昔の状況を思い出したりして、どうにかパスワードも打ち込むことに成功し、無事に受信が可能になりました。このときも小さくガッツポーズです。

喜んだのも束の間、次の難問が立ちはだかりました。それは送信時のパスワードです。しかし、契約書や手帳や目をつむった記憶のどこを探しても送信時のパスワードが見つからないのです。そこで、ネットで調べてみましたところ、受信時のパスワードと同じことがわかりました。これでようやっと完成です。

と、思いきや。またまた問題が発覚です。メールを受信しますと文字化けをするものがありました。最初に受信したメールでは文字化けは一つもなかったのですが、一度メールソフトを終了させて新たに起動させてから受信したメールで文字化けをしたものが複数ありました。

結論を言いますと、原因はわからず仕舞いでした。ですが、文字化けを起こしているメールはいわゆる迷惑メールに属するものだけのようでしたので、現状で納得することにしました。

これ以外にもまだ改良する部分が幾つかありますので、少しずつ修正していくつもりです。僕は新しもの好きですので、調べる中で新しいIT情報に出会うのは楽しいのですが、時間がかかるのが難点です。1〜2時間なんてあっという間なんですよねぇ。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:16 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月11日

< 優 >

僕は車で移動することが多いのですが、初めて行く場所にはグーグルマップのカーナビが役に立っています。グーグルマップのカーナビはとても便利で使いやすいのでカーナビを製造しているパイオニアが危機に瀕しているのも頷けるというものです。無料でカーナビを利用できるのですからわざわざ高いお金を払ってカーナビを買おうという人がいなくても当然です。

それほど便利なグーグルマップのカーナビですが、先日初めて困ったことに遭遇しました。それはグーグルマップのカーナビが作動しなかったのです。いくら経路を検索しても「ルートが見つかりません」と表示されるのです。僕は地理に疎いのでグーグルマップが使えない状況は非常事態でした。

そこでいろいろと考えた末に解決策を思いつきました。それはグーグルマップではないカーナビアプリを使うことです。そこでアプリを紹介するサイトで見たことがあるヤフーのカーナビアプリをダウンロードすることにしました。

結論を言いますと、これで難局を潜り抜けることができたのですが一つ問題が起きました。それはアプリをダウンロードするときにかなりの量のバッテリーを消費したことです。普段アプリをダウンロードするときはいつも自宅にいるときでしたのでバッテリーのことを意識したことはありませんでした。そのときに初めて、アプリをダウンロードするときは「バッテリーの残量を意識することが大切」と認識した次第です。ちなみに、ヤフーのカーナビアプリも使いやすかったです。

*****それでは、今週の本題。

ちょっと違和感と言いますか、あざとい感を感じますが、視聴者には好印象を与えるのかなぁ、というテレビCMがあります。大手クレジットカードのCMですが、「Priceless、お金で買えない価値がある」というキャッチコピーがアナウンスされるCMです。お金万能の今の時代に、そのアンチテーゼとして訴えているように感じます。似たような発想のCMに大手自動車メーカーの「モノより思い出」をキャッチコピーにしているCMもあります。こちらも「お金よりも体験」が大切と訴えています。

ちょっと余談ですが、クレジットカードのCMは最初に制作されたときはコピーが少し違っていたそうです。最初は「お金で買えないものがある」だったそうですが、このコピーですと「無料」というイメージが強すぎるために「もの」を「価値」に変えたそうです。ほんの少しの違いですが、異なったイメージを与えます。言葉は大きな力を持っています。

それはともかくこれらのCMは、一見しますと社会モラルの理想論を訴えています。世の中が金銭的な損得だけで判断され、決められ、動いていてはよい社会はできません。バブルが発生し、そしてバブルが崩壊しても結局は「お金が最も大切」という風潮になっている社会を揶揄しているとも言えるCMです。ですが、今一つ心に響いてこない感があります。その理由はおぼろげではありますが、制作者および企業の本心が透けて見えるからです。

この広告の発注元である企業も、そして制作した広告代理店も世界に名だたる大企業です。心に響いてこないのはそこにあります。大企業になるにはお金儲けを巧みに行って競争に勝利する必要があります。そうでなければ大企業になれるはずがありません。そのお金儲けを第一義にしている企業が「お金よりも大切なものがある」と訴えても信ぴょう性に疑義を感じても当然です。

このように口で言うことと実際の行動が違っていますと、多くの人はやはり反感を覚えます。今年からメジャーリーグに移籍した大谷翔平選手は米国でも人気がありますが、その理由は成績ももちろんありますが、移籍する際の判断材料が「移籍金の多寡」でなかったこともあります。お金よりも夢を優先させた行動からは純粋さが感じられました。口先だけはなく行動も伴っていたからこその好印象です。

*****

高級住宅が立ち並ぶ地域で児童相談所や保育園の開設が中止になっていることが報道されています。反対している人たちはいろいろな理由をあげていますが、突き詰めますと「高級住宅地に児童相談所や保育園は相応しくない」ということのようです。高級住宅地の価値が下がると主張しています。

共働き家庭をサポートするという意味では児童相談所や保育園は必要です。これだけ待機児童問題が報じられている中で多くの人が児童相談所や保育園の必要性を思っているはずですが、それでも自分たちに少しでも損害が及びそうになりますと反対となります。

「損害」という言葉は大げさかもしれません。自分の土地を侵害されたりといった物理的なことではないからです。敢えて言葉を変えるなら「迷惑」です。自分たちに迷惑がかかりそうなので反対しているのです。おそらく反対している人の中にも倫理的観点では、「世の中は、誰もが平等で幸せになるべきだ」という考えの人もいるはずです。それでも自分に迷惑が及びそうになるときは話が変わってきます。

沖縄の米軍基地問題も全く同じです。誰もが日米安保の重要性を認識していますが、米軍基地が自分たちの近くに来るのは了承しません。以前、本土の都道府県知事に「沖縄の米軍基地の受け入れの可否」のアンケートをとったところ、手をあげたのは大阪の橋本府知事だけだったというニュースがありました。「沖縄はかわいそうだ」と思っていても、どこの都道府県も米軍基地の受け入れは困ると考えています。

これらは詰まるところ「自分さえよければ、それでよし」という発想が頭の中にあるからです。そしてその発想の延長戦上には、優越感というやっかいなものがあります。他人よりも優れている自分のアイデンティティを失いたくないという発想です。そして、その発想の裏側には自らのアイデンティティを自慢したいという欲望も働いています。高級住宅地の価値が下がると考えるのも、裏を返せば「普通の人では住めないようなお金持ちが住む地域に住んでいる」という優越感を持っていたいからです。

以前マツコ・デラックスさんがテレビで「同窓会には出席したくない」と発言して、注目されたことがありました。マツコさんに言わせますと、同窓会は成功している人が自慢する場所ということらしいです。僕も同感です。

40代の頃、高校時代の友だちと20年ぶりくらいに会ったとき、言葉の端々に有名な人や場所の名前が出てきました。有名人と知り合いであることをさりげなく話の中に紛れ込ませるのです。この経験をしてから昔の友だちとは会わなくなりました。というよりも会いたい気持ちが失せてしまいました。

マスコミを見ますと格差社会が問題になっていますが、格差社会を作っているのも優越感です。ほかの人よりも優れたアイデンティティを自慢したいという欲望があるからです。もし、「みんなが平等に幸せになりますように」とあらゆる人が考えるなら格差社会になどならないでしょう。

今、世界を見渡しますとEUでは移民排斥を訴えている極右政党が伸張し、米国でも人種間の対立を煽るような事件や入国を目指している難民を阻止しようという動きが起きています。こうした状況はナチスドイツの優生思想を連想させてしまいます。その思想によって覆われた社会が人間にとって健全でないことはあきらかです。

優生の「優」は「すぐれた」意味もありますが、「やさしい」という意味もあることを今一度思い起こしてほしいと思っています。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 16:11 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月04日

<メルカリからメルケル>

僕には今、気に入っているテレビCMがあります。それは積水ハウスのCMなのですが、積水ハウスにはCMに「〇〇篇」といったような幾つかの種類があります。その中で僕が好きなのは「グリーンファースト ゼロ「午睡の夢」篇」です。リビングルームのソファで気持ちよさそうに横になって寝ている20代後半と思しき女性に、父親らしき人がゆっくりと近づいてそ〜っと上掛けをかけてあげる」30秒のCMです。

たったこれだけのCMですので、見ようによっては「リビングルームで女性が寝ているだけのつまらない映像」ということになります。なにしろ出てくる場面はリビングルームだけで、登場するのは横になって気持ちよさそうに寝ている女性とその父親らしき人がCMの最後のほうにほんの僅か出てくるだけです。しかも、この男性は顔もほとんど映りません。ただ画面左から出てきて上掛けをかけて左に戻るだけです。

この映像を見て想像できるのは、どこかに嫁いだ娘さんが久しぶりに帰省してゆったりとくつろいでいる光景です。普段の生活で緊張している気持ちが生まれ育った家に戻ったときに、つい心が落ち着いてゆったり休んでいるのです。父親らしき男性がそ〜っと上掛けをかけてあげるところに娘を思い遣る気持ちがあらわれています。

しかし、もしかしたならまだ嫁いでいないのかもしれません。毎日の仕事でプレッシャーに押し潰されそうになっている娘さんが休日に緊張から解き放されゆったりと心を落ち着かせているようにも見えます。どちらにしても、自分の生まれ育った家だけが、心を落ち着かせることができる場所ということを表しています。積水ハウスさんが、「自分たちはそのような家づくりを目指している」という意図が伝わってくるCMです。

これほどシンプルであるにもかかわらず、企業の思い、姿勢が伝わってくるCMを作った制作の方々の素晴らしさに感動しています。基本的にCMは広告代理店が作りますが、採用の可否を決めるのは企業です。ですから制作の方々と同じくらい、企業の担当者ならびに経営陣にも感動しています。

どんなに素晴らしいCMを作ろうとも採用されなければ日の目を見ることはできません。CMの価値を決めているのは企業です。さらに突っ込んで言うなら経営者です。仮に、経営者がCMに関して全く関与していないとしても、それはそれで凄いことです。なぜなら、自分の感性よりも担当者のセンスを信頼しているからです。そうした考えを持っていること自体が素晴らしい感性の持ち主であることを示しています。

経営者が担当者にすべてを任せるというのは簡単なようでいて、実は容易ではありません。なぜなら、経営者は最終責任を負うのが使命ですのでどうしても一言二言言いたくなるからです。実力者経営者とかワンマン経営者と言われる人ほど自分の意見を通そうとする人が多いようです。しかし、「自分の意見を通そうとする」ことと責任を負うことは別物と考えている経営者もいます。

東日本大震災のときの原発事故に関する裁判について報じられていました。当時の実力者であった東京電力の会長が「現場に責任がある」と発言したそうです。「経営者は結果がすべてである」と喝破したのは経営評論家の三鬼陽之助氏ですが、その言に照らしますとこの会長は経営者として失格です。

先日も東京電力はツイッターに「#工場萌え」と投稿して物議を醸しましたが、その鈍感さに落胆させられました。まだ避難者が5万人以上おり、復興半ばである今の時期にこのような投稿をする感性が現在の東京電力の姿勢を表しているようにも思え、残念です。

以前は広告と言いますと、テレビCMや新聞またはラジオ、雑誌などでしたが、今はSNSも立派な広告になっています。その意味で言いますと、企業が安易にツイッターを利用するのは危険です。

わざわざ言うまでもありませんが、広告が企業の命運を決めると言っても過言ではありません。ですから、企業は広告代理店に高額なお金を払ってでも優れた広告を制作してもらおうとします。しかし繰り返しになりますが、最終的に決めるのは企業であり、経営者です。

今、日経ビジネスでは堤清二氏の特集を組んでいます。堤氏の本が出版されますので宣伝の意味もあるのでしょうが、読み応えのある記事です。ネットで無料で読むこともできますので経営や広告に興味のある方はお読みになってはどうでしょうか。実は、僕は積水ハウスの広告の素晴らしさを感じるたびに堤清二氏を思い出しています。また、今回の東京電力会長の責任回避の発言を聞いたときも、僕が真っ先に頭に浮かんだのは堤清二氏でした。

今から10年以上前にこのコラムで書いた記憶があるような気がしますが、「堤氏ほど潔い経営者はいない」と僕は思っています。堤氏は西武百貨店を成功させ、パルコを作り無印良品を作り、文化的発信も行っていた経営者です。ちなみに、ご存知の方も多いでしょうが、作家・辻井喬としても活躍していました。

その堤氏は第一線を退いたあとにもかかわらず、創業者の責任という意味だけで関連グループの負債に対して個人資産を投じてまで弁償しています。第一線で活躍しマスコミからちやほやされているときは雄弁に語っていた経営者が業績の悪化とともに責任逃れをする例をたくさん見たことがありましたので、その正反対の行動をとった堤氏に尊敬の念を抱いた次第です。

堤氏は広告の先駆者でもあったように僕は思っています。コピーライターを世の中に認知させたのも堤氏のように思います。コピーライターと言って真っ先に思い浮かぶのは糸井重里さんや仲畑貴志さんでしょうが、この方々を引き上げたのは堤氏です。言うなれば、コピーライターという職業が世に出る土壌を作ったと言えそうです。大げさに言うなら、堤氏は広告に文化を吹き込んだ人とも言えるように思います。

これだけ影響力のある広告ですので、是非とも社会をよい方向に向かうような仕事をしてほしいと思います。ポピュリズムが蔓延る社会は危険です。実は、堤氏は東大時代に共産主義に傾倒した時期がありました。その時期に一緒に行動していたのが読売新聞の渡邉恒雄氏や日本テレビの氏家齊一郎氏です。のちに転向しましたが、心の中では資本主義に対する疑念があったように思います。

広告は使い方によってはポピュリズムを作り出すことができます。トランプさんがあれだけ批判されながらも一定の支持率を得ているのは広告の力だと言っても過言ではありません。今、世界は自国第一主義になりつつあります。世界全体が「自国ファースト」に突き進んでいます。そのような世界にならないような広告が作り出されることを願っています。そのためには広告を作る人たちが「他人を思いやる気持ち」になることが一番目です。

ドイツのメルケリ首相が引退するという報道を見て、世界中が他人を思いやる気持ちがなくなていることに少し不安になっている今日この頃です。

実は、本当は今週のコラムは先週はじめましたメルカリについて書くつもりだったのですが、なぜかドイツのメルケリ首相が党首辞任のニュースに気持ちが動き、それが堤氏に移り、このようなコラムになりました。メルカリで9千円の売上げがあったのですが、そのお話はまたいつか。

じゃ、また。

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2018年10月28日

<いろいろな職歴のある営業マン>

先日、居間で自宅でパソコンに向かっていましたところ、インターフォンがなりました。我が家は狭い家ですので居間から返事をしますと十分に訪問者に聞こえます。ですので、僕はインターフォンを使うことはなく、いつも大声で返事をすることにしています。

その日も、いつものように大きな声で返事をしてから玄関ドアを開けました。すると、そこには50才くらいの男性が笑顔で立っていました。平日の昼間に訪問する人は販売業者か宗教関連と決まっていますが、その男性は営業の方でした。なんの販売業者かと言いますと、ある大手寝具メーカーの営業の方でした。新潮は170センチくらいでやせぎすの品のありそうな雰囲気の人でした。

僕はいろいろな人とお話をするのが好きですが、もちろん「誰とでも」というわけではありません。「相性が合う」人という条件があります。わざわざ言うまでもありませんが、相性が合わない人と話していても楽しくありません。その営業の人は二言三言話したところで「相性が合う」と感じました。

その方が僕の家を訪問したのは飛込営業ではありませんでした。僕が過去にその会社からなにかを購入したことがあったからです。なにを購入したのか記憶がありませんが、その方がタブレットに記載されている昔の販売リストを見せてくれました。

僕がその方と「相性が合う」と感じたのは話し方が押しつけがましくないことでした。営業マンの中には強引な話し方をする人がいますが、そのような人からなにかを購入する気になどなりません。この方は、実に謙虚に丁寧に話していました。

もちろん営業ですから、トークをする際は導入部分の会話があります。その方の導入部分はお布団を洗うことを勧める内容でした。布団は高額な商品ですので「おいそれ」と簡単に購入を決められる物ではありません。ですから、最初から布団を販売する方向に会話を持っていくのはあまりに稚拙です。やはり会話が展開する方向としては「布団洗い」から入っていくのが常道です。

そこで僕は「最近は、コインランドリーでも布団を洗えるような機械がありますが、それは影響ありますか?」とちょっと意地悪な質問をしました。それに対しても反発するような表情にも言葉遣いにもならず、正当な反論から「…なので、専門業者に依頼したほうが安心なんですよ」とうまい営業トークをしていました。

そこで僕は完全に「相性が合う」と思い、いろいろな話を聞くことにしました。そこまで行きますと、その方も営業の仕事というよりは人生についてお話するという雰囲気になっていきました。しかし、中にはそのようなあまりに深い話になることに不快感を示す人もいます。ですが、その方は深い話にも喜んで入ってきてくれました。

この方が僕の深い話にもついてきてくれたのは、この方の働き方も関係しています。その方はその大手寝具メーカーに直接雇用されている社員ではなかったのです。営業を請け負う形式で仕事をしている方でした。つまり、営業の下請けということになります。下請け形式のメリットは発注する側である寝具メーカーにしてみますと、固定費がかからないことです。販売した時点でだけ人件費が発生しますので無駄がありません。

そして、働く側からしますと自分のペースで働くことができるのがメリットです。もちろんその裏返しとして売上げがないときは収入が入ってこないというリスクはありますが、自分の実力次第と覚悟しているなら問題はありません。しかし、悪質な企業には社員という立場ではない人間に、まるで社員であるかのように縛りをかけるところもあります。そのような企業には決して近づかないことが肝要です。

実は、この大手寝具メーカーはかつてブラック企業としてマスコミで批判されたことがあります。ですので、企業としては問題がありそうなイメージを僕は持っていました。そこで僕は、打ち解けてきたころを見計らって尋ねてみました。
「ブラック企業のイメージがありますが、実際はどうなんですか?」

中高年以上の方ですとご存知でしょうが、この企業が有名になった当初はブラックどころか好印象の代表のような企業でした。その理由は初の外国人力士である関取がCMをしていたからです。CMで「2倍、2倍(ニバイ、ニバイ)」と訴える声を覚えている人は多いはずです。

そのような好印象の企業でしたが、売上げの減少とともに強引な販売方法や違法すれすれの販売方法、または社員への厳しいノルマなど悪評が報じられていました。ですので、僕は実際のところを聞きたかったのです。

その方に寄りますと、やはり正社員の離職率も高く、好印象とはいいがたいイメージのようでした。その方が下請けとして働いている理由もまさにそこにありました。しかし、ブラック企業であったとしても正社員という立場でなければブラックに縛られることはありません。下請け形式は営業に自信があるならば、数段働きやすい環境です。

僕はそのような働き方を選んでいることにも興味を持ちましたので、また尋ねてみました。
「前職はなんだったのですか?」

葬祭業に勤めていたそうです。そこで、またまた僕は興味が湧いてきました。葬祭業も一般のイメージとしてはあまりよいイメージがない業界だからです。まずは「人の死」を扱う業界ですので、それだけで特別視されることがあります。そのほかには、やはり「ぼったくり」というイメージです。

僕が持つこの一般的なイメージをぶつけてみました。すると、この方も僕と同じイメージを持っており、それが今の会社に転職した理由だと話していました。そうなりますと、今度は葬祭業に入ったきっかけが聞きたくなりました。
「葬祭業に入ったきっかけはなんだったのですか?」

この方は葬祭業の前は宝石業界にいたそうです。僕はその方に聞くまで知らなかったのですが、今の時代は遺骨から宝石を作ることができるそうです。遺骨を指輪の宝石にしたりペンダントにしたりすることが流行っているそうです。その方もその関係で葬祭業を知り、飛び込んだそうです。

結局、この方とは30分くらいも玄関先で話したことになったのですが、いろいろな経験をしている人とお話をするのは楽しいものです。人生は一回しかありませんので自分が経験できることなんてほんのわずかです。ですから、いろいろ人からお話を聞くことはとてもためになりますし、勉強になります。ただし、真実を公平に平等に話す人かどうかを見極めることが大切です。

皆さん、真実を公平に平等に話す人の話を聞きましょう!

えっ、信じられないって?

じゃ、また。

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2018年10月21日

<マスコミの責任>

油圧機器大手「KYB」という会社の子会社が地震対策に使う免震・制振装置の検査データを改ざんしていたことが公表されました。中高年以上の人ですと覚えているでしょうが、今から13年前に「姉歯事件」という建築に関する事件がありました。これは一級建築士の姉歯さんという人物が建物の耐震強度を偽装した事件です。このときはマスコミ報道の過熱ぶりが凄まじく、僕などは事件よりも報道の過熱ぶりのほうを記憶しているくらいです。約1ヶ月間、どこのチャンネルを回しても「姉歯、姉歯」を取り上げていました。

しかもマスコミは「視聴率がとれる」または「販売部数が伸びる」という理由で、あることないことまで報じていました。「豪邸に住んでいる」とか「隠し財産がある」とか「愛人がいる」などバッシングされるに値する「あることないこと」を伝えていました。のちにすべて誤報であることが判明するのですが、そうした報道が影響いたのでしょう、姉歯さんの奥さんは事件の翌年に自殺をしています。このときは新聞などは一面で報じることはしましたが、その原因がマスコミ自身にあるとは伝えていませんでした。

マスコミもしくは世論というのは本当に曖昧でふわふわとしていて、ある一つの流れができるとそれに乗っかるまたは従う傾向があります。しかもその流れは、一定期間を過ぎますと反対の方向に流れるという特徴があります。このこと自体は「振り子法則」が働いていることですからよいことだと思いますが、あまりに振れ幅が大きいと傷つく人が出てくるのが問題です。

姉歯事件にしても、2011年に起きた東日本大震災の際に「耐震強度を偽装した建物は倒壊しなかった」、つまり「耐震偽装はあまり問題ではなかった」などという報道がありました。バッシングされていた当時、姉歯さんは偽装を認めてはいましたが、「強度には問題がない」と話していました。それが真実だったことが証明されたことになります。いったい姉歯事件のときのバッシングはなんだったのでしょう…、と思わずにはいられません。

さて、こうした過去の事件を踏まえつつ、今回の「免震・制振装置の検査データを改ざん」事件について考えてみたいと思います。

不正改ざんが公表されたあと、国土交通省は改ざんがあったとしても「震度7くらいの地震に対する強度は保たれている」と見解を発表しています。しかし、普通に考えるならこの見解で納得する人はほとんどいないでしょう。なにしろ今現在住んで生活している人がいるのですから当然です。しかし、ここはマスコミの方々は冷静になって報じてほしいと思っています。

実は、姉歯事件があれだけ激しいバッシングになったのは、偽装が発覚したあとの建設会社の小島社長および姉歯さんのマスコミ対応の姿勢にあると思っています。今でこそマスコミ対応次第でマスコミの報道の仕方が変わることが企業の幹部に浸透していますが、当時はそのような発想はありませんでした。ですから、小島社長にしても姉歯さんにしてもマスコミへの対応の重要さがわかっていなかったのです。ですから、普段どおりの受け答えをしてしまい、それが激しいバッシングを招いてしまいました。

その点で言いますと、今回の油圧機器大手「KYB」の社長の会見は姉歯事件のときの小島社長および姉歯さんに比べますと問題のない会見だったように思います。今の時代はリスクコンサルタントという謝罪会見をスムーズに無事に終える方法を伝授する会社があります。おそらくそうした会社のアドバイスを受けているはずです。

それはともかく今回の企業は行政と密に連絡をとり、マスコミを敵に回さないような会見を継続させることが重要です。いらぬバッシングを招かないことが事件を穏便に収束させるうえで最も大切です。

いらぬバッシングを招かないためにあと一つ重要なことがあります。それは事件が表面化した経緯についても誠実に対応することです。具体的に言いますと、内部告発をした元従業員に対する処遇です。現在、この元従業員は転職をしているようですが、本来は企業を正そうとした人なのですから優遇されてしかるべき人です。それが反対に職場にいられなくなっているのですから企業のガバナンスに問題があることを示しています。

内部告白で思い出すのが2002年に起きた「雪印食品牛肉偽装事件」です。これは輸入肉を国産肉と偽って国からの補助金をだまし取っていた事件ですが、この事件により雪印食品は消滅してしまいました。それほど大きな事件でした。

この事件を告発したのは雪印食品と取引があった会社の社長さんですが、この会社は告発をした後に取引先が次々にいなくなり、休業状態になったそうです。正義の行動をとったことで苦境に陥ったことになります。この2つの事件に限らずほかの内部告発を見ていますと、日本では内部告発者のその後の人生が暗転しています。米国では内部告発者に報奨金のようなものがあるそうですが、日本でもなにかしらの対策をしませんと「正直者が馬鹿を見る」社会になってしまいます。

今回内部告発をした元従業員はニュース番組に顔出しNGで出演していましたが、この方は最初上司に違法性を指摘いたそうです。それをうやむやにしようとしてした上司または幹部の人たちは今頃いったいどのような気持ちでいるのでしょう。免振偽装に関しては3年前に東洋ゴム工業が免震ゴム性能において偽装していた事件がありました。このときは社長を含む幹部が数人辞任していますが、そうしたニュースを今回の事件の幹部はどのような気持ちで見ていたのでしょう。

「自分たちは見つからない」と

考えていたのでしょうか。そうとしか思えないこれまでの対応です。

このような事件が起きますと、市場競争が激しいからという理由をあげて競争に問題があるようにいう意見が出てきますが、市場競争と法律違反は別物です。競争をする際に法律を守るのは大前提です。100メートル競走でドーピングをしてはいけないのはわざわざ言うまでもないことです。

今回の事件が今後どのように展開するのかはわかりませんが、その大きさを決めるのはマスコミです。もちろんほかに起きな事件が起きるなど外部要因も絡んできますが、それを考慮しても事件を大きくするかしないかはマスコミの匙加減にかかっています。

マスコミの方々は徒に問題を大きくするのではなく、平和で平等な公平な社会になるように報じてほしいと思っています。

なぜ、このようなことを書くかと言いますと、朝方見た番組で高級ブランドが立ち並ぶ青山地区で障害者施設の建設についての報道に違和感を持ってからです。番組の中で区の職員と建設地域の住民とのやり取りを報じていましたが、反対する住民が激しい怒鳴り声で区の職員を追究している画面がありました。

それについて意見を求められた専門家が「この開発に関係しているが、あのような怒鳴るような住民の方は少数派」と話していました。テレビ局はインパクトのある映像がほしいばかりに極端な意見を取り上げる、報じる傾向があります。しかし、そのようなマスコミの姿勢は社会を間違った方向に導くことになります。

そのような印象を受けましたので、今回のコラムとなりました。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:31 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月14日

<「三度目の殺人」を見て思ったこと>

僕が昨年あたりから気になっているニュースはジャーナリストに危害が加えられる事件が続いていることです。先週はブルガリアの女性記者が暴行されたうえに殺害される事件がありました。昨年末にも地中海の小国マルタでやはり女性ジャーナリストが殺害されています。女性だけに限りません。先週はトルコでサウジアラビアのジャーナリストがサウジ総領事館に入ったまま消息を絶っている事件が報道されました。ロシアでは永い間ジャーナリストが殺害される事件が起きています。

これらの事件に共通するのは、殺害された記者の方々が権力者を批判または追及していたことです。ドラマや映画などで見ることはありますが、現実に起きていることに小市民の僕としては驚かされます。しかし、よくよく考えてみますと、ドラマや映画になること自体がそれらの事件が現実に起きていることを示しているとも言えます。

ジャーナリストの使命は世の中で起きていることを社会に伝えることですが、その立ち位置の視点が権力者側にあるか生活者側にあるかで内容は変わってきます。もちろん、楽なのは権力者側の視点で伝えることです。しかし、それではジャーナリストの意味がなくなってしまいます。

権力者にしても生活者にしても、自分たちに「理がある」あることを訴えたいはずですが、権力者と生活者の力の関係からしますと圧倒的に権力者のほうが有利です。最近のジャーナリストの殺害はそれを示しています。この力の不均衡を修正するためにジャーナリストが存在する意義があります。そのジャーナリストに危害が加えられている現状は社会が不安定になるきっかけになりそうで不穏な空気を感じます。

日本はまだジャーナリストに危害が加えられるほど危険な社会ではありません。ですが、少しずつ少しずつジャーナリストへの圧力が強まりそうな雰囲気を感じます。もちろん、生活者の視点のジャーナリストに対してです。

いわゆる御用記者の方々が権力者寄りの報道をするのは当然ですので、生活者の視点のジャーナリストの方々の取材が制限されないようになる社会を望んでいます。そのためには生活者である私たちが関心を持つことが大切です。特に、多くの若いごく普通の人たちが政治や経済に関心を持つことが大切です。自由に暮らせる社会を作るのは国民一人一人の意識にかかっているといっても過言ではありません。若い皆さん、社会に関心を持ちましょう。

…てな、ことを思っている僕は昨晩「三度目の殺人」という映画を見ました。僕は「誰も知らない」以来の是枝監督ファンですが、なんとも重苦しい映画でした。基本的に、是枝監督の作品は弱者に寄り沿う映画が多く、観る人に考えさせる内容がが多いですが、今作は特にその傾向が強かった感があります。

結末が断定的に描かれていないのが大きな理由ですが、観る人により真実が異なっているように想像します。それにしてもこの映画にはいろいろな要素が積め込まれていました。古い話になりますが、かつて大手食品会社が起こした偽装牛肉事件も入っていましたし、古くて新しい問題である家族間の事件も入っていましたし、法曹界の問題点についても描かれていました。

僕的には、少し積め込み過ぎのような印象を持ちましたが、是枝監督がこれまで生きてきた中で、自分の中に溜まっていた問題を作品に入れたかったのかもしれません。裁判を扱った映画に周防監督の「それでもボクはやってない」という作品があります。この作品は冤罪について追及する内容でした。それに比べますと、「三度目…」は法曹界全体を俯瞰した問題提起のように思います。是枝監督は法曹界に対しても違和感を持っているのでしょう。

さらに深く考えますと、是枝監督は法曹界というよりも「人が人を裁く」という制度自体に疑問を投げかけているように思います。容疑者である三隅が意見を二転三転させているのはその制度の問題点をあぶりだすためとも取れなくもありません。死刑判決を受けたにもかかわらず裁判のあとに両手で重盛の手を握り締めて「ありがとうございました」とお礼を言う行為がそれを物語っているように思いました。

是枝監督は死刑廃止論者のようですが、この作品はまさにそれを主張しているとも取れます。「三度目」とは死刑制度のことです。このような作品を観ますと、僕はどうしても冤罪になりかかった事件を思い出します。

大きな事件でしたので覚えている方も多いでしょうが、2009年に起きた郵便不正事件です。この事件は一つ間違っていたなら冤罪になるところでした。なにしろ検察官が証拠を改竄していたのですから恐ろしい事件です。最初に結果ありきで捜査を進めるのですから公正な捜査が行われるはずがありません。

あと一つ思い出すのは1994年に起きた松本サリン事件です。このときは事件が起きた近くに住んでいた河野義行さんという方が容疑者として取り調べられました。河野さんの著作を読みますと、やはり結論ありきで捜査が行われていたようですが、このようなやり方で真犯人を捕まえられるはずがありません。河野さんの潔白は、翌年にオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたことで証明されましたが、もし地下鉄サリン事件が起きていなかったなら河野さんが犯人にされていた可能性もあります。

冤罪とは違いますが、裁判に関連して思い出すのは、現在は「知の巨人」として活躍している佐藤優氏です。佐藤氏の著書『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を読みますと、裁判というものが公平でないことを痛切に感じてしまいます。この本で「国策捜査」という言葉を知りましたが、人が人を裁くことの難しさを思わずにはいられません。

「国策捜査」という言葉から想起されるのはホリエモンこと堀江貴文氏や元通産官僚で投資家の村上世彰氏です。どちらも見せしめの意味合いがあったように感じるのは僕だけではないでしょう。

米国では来月中間選挙がありますが、僕が不思議なのはトランプ大統領を批判する報道があれだけあるにも関わらずトランプ大統領が居続けていることです。共和党の中からも批判的な意見が出ている中でトランプ氏が大統領でいるのが不思議でなりません。海を渡って伝えられる報道は真実なのでしょうか。本当に大統領に相応しくない人であるなら中間選挙では民主党が勝利するはずです。

もしかしたなら、来月の米国の中間選挙は民主主義が機能するのかを計るバロメーターになるかもしれません。

じゃ、また。

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2018年10月07日

<研究者>

先週は、京都大学の本庶佑教授がノーベル賞を受賞したことで盛り上がりましたが、2012年に受賞していた山中伸弥教授によりますと「遅いくらい」だそうです。僕が見ていた夜のニュース番組に出演して話していたのですが、その話の中で少し驚いたことがありました。

僕の驚きは本庶氏や山中教授だけに当てはまるのではないのですが、あれだけ高度で奥深い研究をする立場の人がゴルフをしていたことです。僕の勝手なイメージでは研究をするような人は日々実験や考察に明け暮れていて趣味などをする時間がないと思っていました。例えば、野球の大谷選手が野球の練習そっちのけでゴルフをしている姿はなんとなく想像ができません。そんな感覚です。

山中教授はマラソンを趣味としていることでも知られていますが、そのような時間があることも不思議に感じていました。あれだけ奥深い研究をしながらマラソンもしてゴルフもして、そのうえに人付き合いもしています。これは有名人に共通していると思いますが、顔が広いので人付き合いをする相手がたくさんいることになります。そうした時間を確保するのも大変なはずです。どんなに偉い人でも与えられている時間は1日24時間です。

本当に頭脳明晰で優秀な人は時間の使い方がうまいという共通点があります。「使い方」というよりは「処理能力」のほうが正確な言い方かもしれません。例えば、本やレポートを読むのに要する時間が凡人なら1時間かかるところをわずか10分で読み終える感覚です。こうした処理能力がすべての面において発揮されますので凡人よりもたくさんいろいろな経験をできることになります。こうした点が凡人と偉人の大きな違いのように思います

こうした偉人の凄いところは処理能力だけではなく時間の割り当てにも優れていることです。単に早く処理すべきことと効率よりも過ごしている時間を大切にすることを分ける能力です。わかりやすく言いますと、本やレポートを読む作業はできるだけ短時間で処理しても友人や知人とお酒を飲む時間などには速さを求めない姿勢です。こうしたメリハリをしっかりとつけられる人が偉人になれるようです。

先のニュース番組で山中教授が興味深い話をしていました。本庶教授が受賞したことでオプジーボというガンに効く薬が一気に注目されました。オプジーボについては以前よりガンの治療薬としてマスコミなどで報じられていましたが、この薬の難点は価格がかなり高額なことです。一般の人では絶対に購入できないほど高価な薬でした。当時、僕などは「病気も所詮はお金持ちに有利なんだよなぁ」と思っていたものです。

それが最初は皮膚ガンで保険適用になり、その後肺ガンでも適用となりさらにいろいろなガンに適用されるようになっていきました。これ自体は一般庶民にとりますと朗報ですが、健康保険組合にとっては死活問題です。ご存知のように健康保険には高額療養制度というのがありますので受診者は最高でも一ヶ月に9万円弱の支払いで済みます。それ以上は負担しなくてよいのです。残りはすべて保険組合が負担してくれます。受診者は助かりますが、保険組合の財政は大変です。

それはともかく、山中教授がニュース番組で話していたのは「僕の親友である平尾誠二さんには薬が効かなかった」ということです。今回、オプジーボが注目されたことで病院に問い合わせが増えているそうですが、命に係わる病気ですので当然です。しかし、この薬は2〜3割の人にしか効果がないそうです。原因はまだ解明されていないのですが、残念ながら平尾さんには効果がありませんでした。山中教授はそのことを話していました。

この話を聞いて僕はこれまで感じていた一つの疑問が解消されました。それは平尾さんの訃報に際して病名が公表されなかったことです。今はネットなどでも書いてありますが、当時は病名は伏せられていました。僕にはそれが不思議でならなかったのです。

今回、山中教授が「薬が効かなかった」という話をされていましたが、平尾さんが病名を公表しなかったのは、ここに理由があるように思います。山中教授は平尾さんとの対談本を出版するほど親しいのですから、病気になってすぐに山中教授にも相談しているはずです。そうなりますと当然オプジーボの投与も行っているはずですので、山中教授にも責任の一端が生じることになります。平尾さんや遺族の方々それを心配して病名を公表しなかったのではないでしょうか。あくまで僕の勝手な想像ですが、このように理解しますとすべてにおいて辻褄が合います。ずっとのどに小さな骨が刺さっていた感じでしたのでスッキリしました。

世の中の進スピードが速いですのでもう忘れている方も多いでしょうが、2014年にノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏という方がいます。中村氏は青色発光ダイオードを発明したことで受賞したのですが、この方の本には僕が想像していた研究者の生活が書いてありました。僕がこの方の本を読んだのは17〜18年前ですので僕が研究者に対して持っているイメージはこの本の影響かもしれません。

山中教授や本庶教授は大学に勤めていますが、中村教授は普通のサラリーマンでした。のちにアメリカの大学に転職するのですが、青色発光ダイオードを発明したときは日亜化学工業という企業のサラリーマンでした。中村氏の本を読みますと、日亜化学工業に対する怒りが伝わってきます。中村氏はノーベル賞を受賞したときに「怒りが研究を続けさせた」とまで話していました。この言葉で怒り具合がわかるというものです。

中村氏は青色発光ダイオードの発明の対価について日亜化学工業と裁判で争っていました。ものすごい発明をしたのに「報酬があまりにも低い」という理由です。あまり詳細を書きますとページが足りなくなりますので端折りますが、研究を続けている間は会社に全く貢献していないことになります。発明に成功したので研究が活きたことになりますが、成功しなかったなら資金を捨てたことになります。

中村氏からしますと、できるだけお金を節約するためにというか社内からの反発もあり実験道具も自分で作ったという言い分があります。中村氏の本にも書いてあるのですが、社内からの反発はかなり激しいものがありました。普通なら研究を続けられないほどです。それを継続できたのは創業者が後ろ盾になっていたからです。もし、研究に理解のある創業者でなかったなら青色発光ダイオードの発明はできなかったかもしれません。

ちなみに、中村氏と日亜化学工業の裁判は現在は和解しています。どちらかと言いますと、中村氏が「あきらめた」という印象です。日本の裁判ではそれが限界のようでした。

今回本庶教授が受賞会見で「基礎科学の重要性」を説いていましたが、これは基礎科学が重要視されていないことの裏返しです。本庶教授の指摘は誰が聞いても的を射ていると感じるでしょうが、なぜ重要視されないかという点が抜けているように思います。

端的に言いますと、成果がすぐに出ないからです。そして、成果が出ないことがなぜいけないかと言いますと、それは「研究をしている」のか「サボっている」のかわからないからです。専門家でない人が見抜くのはほとんど不可能です。この問題を解消しない限り基礎科学の研究を続ける環境を作るのは難しいように思います。

僕なんて、妻に呼び掛けても返事をされないとき、普通の精神状態なのか怒っているのかわからないです。僕の妻って、面倒くさいと返事をしないんですよねぇ。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 14:56 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月30日

<指導者>

僕は今、庭師のような仕事もしているのですが、ある日集合住宅のベランダ側にある植栽を整えていました。すると、2階のベランダのほうから怒鳴り声が聞こえてきました。それはそれはすごい剣幕で怒鳴っているのですが、よくよく聞いていますと

「なんで、1(いち)と6/6(ろくぶんのろく)がおなじだってわからないの? おかしいでしょ!」

怒鳴り声の主は女性です。僕の推測ではお母さんが低学年の小学生に算数を教えているようでした。僕からしますと不思議でしかないのですが、ずっと怒っているのです。このように怒られながら教えられては、恐怖心でわかるものもわからなくなります。

ときたまお父さんらしき人の声も聞こえてきましたが、お父さんの話し方は言い含めるようにやさしく穏やかな声でした。お父さんがそうであるだけに、お母さんのヒステリックな声が強く印象に残りました。男女差別と言われそうですが、女性はすぐに感情的になる傾向があるように思います。あのお子さんは大丈夫だったでしょうか…。

実は、僕にも同じような経験があります。僕の場合は国語だったのですが、小学生の頃に母親が僕に勉強を教えている光景が今でも思い出せます。母もとにかく怒っていました。僕ができないことがよほど頭にくるようで、頭ごなしに怒鳴っていました。一応断っておきますが、普段は優しいお母ちゃんでした。一人息子の僕でしたのでとてもかわいがってくれていました。そのお母ちゃんが勉強を教えるときだけ怒り狂うのです。

一番印象に残っているのは「新聞」という漢字です。僕が「新聞」という漢字がわからないでいると、「朝刊を持って来なさい!」と命令しました。そして、「ほら、よく見て!」と怒るのです。僕としては、恐くてどこを見てよいのかわからないのですが、そうした僕の反応がお母ちゃんにはまた苛立つようで「このバカ! 書いてあるでしょ!」と怒るのです。しかし、僕はやはり恐怖心でどこを見てよいのかわからないのです。業を煮やしたお母ちゃんは我慢できなくなったようで人差し指で新聞の上のほうに書いてある「〇〇新聞」の文字を指して「ここでしょ! なんでわかんないの!」とのたまうのでした。僕の幼少時の悲しい思い出です。

車の運転をするときだけ人格が変わる人がいます。普段は温厚で優しい人がハンドルを握ると性格が一変するのです。理由はわかりませんが、エンジン音がなにかを変えるようです。本来、このような人は車の運転には不向きです。車は使い方を間違えますと、凶器になりますのでこのような人は間違いなく車を凶器にしてしまいます。ハンドルを握ってはいけない人です。

同じことが、教える立場にいる人にも当てはまります。教えているうちに自分を見失うのです。先ほどのお母さんもそうですし、僕のお母ちゃんもそうです。このような人は教えることに向いていませんので教える立場になってはいけません。

しかし、世の中はすべて理想どおりにいくとは限りません。また「教える」ことに対する理解が社会に浸透していないという現実があります。今年に入りスポーツ界で起きているたくさんのパワハラ問題はまさしく「教える」、言葉を変えるなら「指導する」もしくは「コーチング」の重要性を認識していないことが原因です。

昔から「名選手、名監督にあらず」と言いますが、これはコーチにも当てはまります。名選手が教え方もうまいとは限りません。場合によっては、自分のやり方を無理やり押しつけるという弊害を生むこともあります。名選手になった人が成績を残せたのは当人の肉体や精神的な要素があってこそです。それらの要素が全く異なる他人に当てはまる保証はどこにもありません。それを理解せずに、教えたり指導されてしまっては教えられるほうは溜まったものではありません。

野球界における指導者と選手の対立について、僕はこれまでに野茂英雄投手と鈴木啓二監督の軋轢を紹介したことがあります。しかし、今の若い人の中には知らない人も多いので今回は菊池雄星投手と大久保博元コーチの軋轢について紹介したいとも思います。

事件が起きたのは2010年です。今では菊池投手はライオンズの立派なエースですが、当時はまだ2軍で練習していました。大久保コーチはそのときの2軍のコーチだったのですが、そこで大久保コーチが菊池投手に暴行したことが写真週刊誌に報じられ、大久保コーチは解任されました。

球団の対応を不服とした大久保氏は裁判まで起こすのですが、裁判の最中に「自分に非があること」気づき、裁判を取り下げました。そして、2016年に大久保選手が直接菊池投手に謝罪し、二人は和解をしています。僕は元々大久保選手に好感でしたので事件が報道されたときは残念な気持ちになりましたが、そのあとの展開を知って喜んでいます。

実は、この話にはあと一人重要な人物がいます。それは当時のライオンズの監督だった渡辺久信氏です。渡辺氏は監督を退任後、ライオンズのフロントに入っていますが、大久保氏と菊池氏の和解を取り持ったのは渡辺氏でした。

解説者となっていた大久保氏がライオンズに取材を申し込んだときに、渡辺氏が「菊池に謝ってくれないか?」と打診したそうです。大久保氏は快諾し、お互いが謝罪をして和解を果たすことができました。おそらく渡辺氏は二人の関係をずっと気にしていたのでしょう。僕はそこに渡辺氏の人格の素晴らしさを見ました。

渡辺氏は現役時代にエースとして大活躍もしましたが、取りてて素晴らしい記録を残しているわけではありません。渡辺氏は台湾球界でも活躍しているのすが、俗な言い方をしますと苦労をしています。渡辺氏の素晴らしい人格はその苦労から培われたと僕は思っています。

大久保氏は裁判をしている中で自分を見つめなおすことができ、自分の至らなさに気がついたからよかったですが、未だに監督またはコーチという立場の本当の役割を理解せずに指導者の立場にいる人がいます。指導者は自分の考えややり方を押しつけるのは仕事ではありません。指導者は選手の力を伸ばすのが仕事です。それを勘違いしてしまいますと、本来なら逸材であるはずの選手が力を発揮できないことになります。

コーチについて考えるとき、僕はメジャーで活躍している大谷翔平選手を思い浮かべます。大谷選手には特別なコーチ、つまり師匠のような存在はいないように見えます。練習はすべて自分で考えコントロールしているようです。なぜなら、メジャーへ行っても活躍しているからです。そして、このことは現在メジャーで活躍しているすべての日本人選手に共通していることです。特別なコーチがいるわけではなく、自分で練習のやり方をコントロールしています。コーチに無理やり練習させられているのではなく、自ら考え自ら管理している姿勢が共通しています。

成功している選手はコーチなどの力に頼らず、自分で練習を管理しています。こうした事実を見ていますと、細かいことまで教えようとするコーチは必要ないということになります。指導者になろうとする指導者ほど迷惑な存在はありません。現在、指導者の立場にいる人はそのことを理解することが必要です。

実はこれって、すべての業界に当てはまるんですよ。どの業界にも上から目線で偉そうに振舞っている人っていますよねぇ…。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:38 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月23日

<デジタル機器>

僕は数年前から好きな音楽をYouyubeからダウンロードして楽しんいますが、残念なことにYoutubeにアップされていない楽曲もあります。僕の好きな曲ベストファイブの一つにサザンオールスターズの「真夏の果実」があります。この楽曲を本人の声で歌っているものを録音したいとずっと思っていたのですが、実現できないでいました。

桑田さん本人ではなく、ほかの人がカバーした「真夏の果実」は録音しているのですが、僕は桑田さんのあのしわがれた声が大好きですので満足することはできませんでした。1ヶ月に1度くらいの頻度で本人の声でアップされていないかをチェックしていましたが、出会うことがありませんでした。

ところが、先日Youtubeではなかったのですが、本人の声で歌っている「真夏の果実」に出会うことができました。僕は大喜びですぐに録音をすることにしました。僕がネット上の楽曲を録音する方法はオンラインでダウンロードするツールを利用する方法です。このツールは無料ですのでとても便利なのですが、欠点は楽曲によっては制限がかけられていてダウンロードができなことがあることです。残念ながら「真夏の果実」はダウンロードできない状態になっていました。

しかし、本人の声で歌っている「真夏の果実」をネットで見たのも初めてです。簡単にあきらめるわけにはいきません。そこでスマホの録音アプリを使って録音することを考えました。僕は昭和の人間ですが、昭和の人間がテレビから流れてくる好きな歌を録音しようと思ったときはテレビの前にカセットデッキを置いて録音するのが普通でした。もちろん雑音が入らないように家族には絶対に静かにしてもらっていました。

今の若い人からしまうと笑い話にしか聞こえないかもしれませんが、これしか方法はがなかったのです。この方法の最大の欠点はどんなに家族に静かにしてもらっても音質がよくないことです。如何せんテレビの音が出るスピーカーの前にカセットデッキを置くだけですので音質が悪くなるのは仕方のないことでした。

このような経験がありましたのでパソコンのスピーカーの前にスマホを置いて録音するやり方もちょっと無理があるかな、とは思っていました。そして、実際にやってみますと、案の定予想以上に音質が悪い状態の録音がされていました。

そこで次に考えたのはイヤホンジャックからコードを使ってスマホに録音させる方法です。ところが、人間の耳につながるイヤホンコードは持っていましたが、両方がピンになっているコードは持っていませんでした。「困ったな…」と思っていますと、ある考えが浮かびました。

「わざわざスマホで録音するんじゃなくて、パソコンの録音ソフトで録音すればいいんじゃん!」(江戸っ子の口調で読んでいただくとうれしいです)

僕は期待に胸を膨らませ、パソコンに入っているレコーダーを起動しました。そしていよいよサザンの楽曲をスタートさせ、録音開始のボタンをクリックしました。最初は練習のつもりでしたので1分ほどでやめて、録音したファイルを再生することにしました。

僕はじっと耳を澄ませ、イントロの音が出てくるのを待ちました。しかし、待てども待てども一向に音が出てこないのです。悲しいことに録音はなされていなかったようです。

僕は考えました。以前自分の声をマイクを通して録音したことがありますが、そのときは無事に成功しています。それが今回録音できていないということは「音源の設定に問題があるのではないか」と推測しました。そこでググってみますと、やはりミキサーをオンにする必要があることがわかりました。そこにはやり方も書いてありましたので説明どおりに設定し、最初に戻って「真夏の果実」を録音しますと、実にきれいに録音されていました。大成功です。

今回、このやり方を知ったのは大きな意義があります。これまでもダウンロードしたい楽曲があった場合でも制限がかかっておりダウンロードできないことが多々あり、あきらめていました。しかし、今後は楽曲さえ見つけられたならダウンロードの可否にかかわらず録音ができることになります。これで一気に世界が広がった気がしています。


あと一つ音楽を聴く関連で発見がありました。僕はスマホに音楽を入れていますので車内でたまに音楽を聴くことがあります。スマホのスピーカーは音量が小さいですので車内で聴くには物足りない感じがありました。そこで知ったのが100均で販売されているスマホの音量を大きくするグッズです。これが意外に便利で十分使える代物でした。

このようにして音楽を聴いていたのですが、僕のスマホには大きな問題がありました。それは、安物ですのでバッテリーの容量が少ないという弱点です。スマホで音楽を聴いていますと一気にバッテリーが減ってしまうのです。僕はそれが気になって仕方ありませんでした。そこで息子が使わなくなっていたデジタルプレーヤーを利用することを思いつきました。

しかし、デジタルプレーヤーは基本的にイヤホンで聴くものですからスピーカーがありません。そこで100均で売っている小さなスピーカーがありましたので試したところ、音量がとても小さく実用的ではありませんでした。やはりアンプが入っていませんとスピーカーの役割を果たせないようです。そこで、また考えました。

僕はコロッケ店を営んでいたときに店先に音楽を流していました。やはり店先は活気がありませんと暗いイメージになります。明るい元気な音楽は必要です。そのときに乾電池式の小さなスピーカーを買っていたのですが、そのスピーカーを車内に置くことを思いつきました。乾電池式でしたが、十分にスピーカーの役割を果たせる機能がありました。僕は満足していました。

ところが、使い始めて少ししますと今一つしっくりこないものを感じていました。スピーカーの大きさは縦横高さが3〜5センチほどでしたので助手席に前の物入れの中に入れていました。大きくありませんのその場所にすっぽりと入ってはいたのですが、場所をとることが気になりだしました。そこで、僕はまた考えました。

僕は今2代目のスマホを使っているのですが、2代目を購入する気持ちになったのは壊れたからではなく、ストレージの容量が小さかったからです。アプリで満杯になりヨーカドーのアプリの更新ができなくなっていました。そこで容量の大きい機種に変更することにしたのです。

つまり、前に使っていたスマホはまだ使える状態なのです。僕は前のスマホを音楽を聴く専用の機器にすることにしました。こうすることで新たにスピーカーを置く必要もなくなりましたし、機器の扱いに困ることもありません。実は、デジタルプレーヤーはとても小さいので指でタップするのがやりにくいという欠点がありました。車を運転しているときに使うには適していない大きさのように感じていました。それに比べてスマホですと、ごく普通に扱うことができますので気軽に音楽を聴くことができます。

現在は音楽を聴きながらのドライブを楽しんでおります。

以上2点、おじさんのデジタル日記でした。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:19 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする