2018年12月09日

<ゴーン氏逮捕>

日産のゴーン氏が逮捕されて約2週間が過ぎましたが、マスコミもあまり報道しなくなっています。実は先週のコラムは「ゴーン会長逮捕」について書くつもりだったのですが、元貴乃花親方の離婚が報じられましたので、ついそちらのほうを書いてしまいました。

ゴーン氏の逮捕についてはいろいろな情報や意見がマスコミに出ていますが、結局のところなにが真実なのかは今一つはっきりしないのが実際のところです。そもそも真実を突き止めるために裁判が開かれるのですから、これからが本番ということになります。

これは本題から少し離れますが、今回検察が日本人ではない、しかも社会的影響力が高い人物を逮捕したことは事件とは違う方面に影響を与えるように思っています。それは日本の司法制度における問題点です。

日本では大きな事件で容疑者を逮捕しますと勾留するのが一般的です。勾留とは「被疑者を刑事施設に留置して拘束すること」ですが、勾留する理由は被疑者が逃亡や証拠隠滅をしないようにするためです。実は、このコラムを書くにあたり調べたところ、同じ「こうりゅう」という読み方で「拘留」というものもあるそうですが、これは「勾留」とは違うものだそうです。

それはともかく、以前より被疑者の段階の人を長期間勾留することの問題点を批判している意見がありました。ですが、そうした意見はなぜかほとんど無視されてきました。それが今回ゴーン氏を勾留したことで国際的に日本の司法制度に注目が集まっています。冤罪をなくす運動をしている専門家に言わせますと、先進国の中で日本ほど司法制度において人権侵害を犯している国はないそうです。ゴーン氏の逮捕が日本の人権侵害について議論が高まるきっかけになることを願っています。

ゴーン氏逮捕から2週間も経ちますと報道も落ち着いてきていますが、報道は大まかに2つに分類できます。一つは「ゴーン氏が多額の報酬を隠していたことへの批判」であり、あと一つは「今回の逮捕は日産側のクーデターである」という指摘です。

ゴーン氏の多額の報酬については日本人の感覚からしますと、「もらい過ぎ」という印象は否めませんが、グローバル企業の経営者としては「許容範囲」とも報じられています。クーデター説については、ゴーン氏がNISSANをルノーと統合させるつもりでいたのを察知してそれを阻止するためという報道です。ルノーの売上げはNISSANよりも少なくなんとルノーの利益の半分以上はNISSANからの配当によるものだそうです。ルノーはNISSANに逃げられないように統合するつもりだったと報じられています。

ゴーン氏がNISSANにやってきたのはNISSANの業績が思わしくなかったからです。「思わしくない」どころか倒産寸前でした。僕が強く印象に残っているのはゴーン氏をNISSANに招き入れた当時の日産自動車社長・塙 義一のコメントです。

「日産は大企業なのでしがらみが強すぎて日本人では改革ができない」。

日産は赤字を垂れ流す体質を改善したくても、取引先などとのそれまでの関係があるので実行に移せないでいたそうです。その「しがらみ」を断つには「外部から人材を招き入れるしか方法はなかった」と塙氏は語っていました。

確かにゴーン氏が来てから日産はV字回復をしていますが、僕からしますと取引会社を切ったり工場を閉鎖したり従業員を解雇したり、など採算の取れない部署を削減しただけにすぎないように見えます。コストカッターに相応しいゴーン氏の手際ですが、塙氏が言うように「日産生え抜きのトップではできない改革」です。「しがらみ」のないゴーン氏だからこそできた改革です。

その意味で言いますと日産がV字回復した一番の理由はゴーン氏の手腕ではなく、単に「外部からやってきた経営者だから」ということになります。別にゴーン氏でなくてもコストカッターができる能力のある人物なら誰でもよかったようにさえ思います。

以前書いたことがありますが、ゴーン氏が来る前まで日産の業績が悪かったのは一人の労働組合のリーダーに理由があります。当時「塩路天皇」とまで言われるほど権力を持っていました。なにしろ社員の異動さえ労働組合の許可がなければできなかったのですから、力の強さがわかろうというものです。これほど労働組合が実権を握っている企業が利益を出せるはずがありません。

結局、この人物の影響力から抜け切れずにいて業績が悪化したのですが、今回もゴーン氏という一人の権力者の力によってNISSANが支配されていたことになります。NISSANは一人のカリスマ的人物に支配される遺伝子があるのかもしれません。

マスコミ報道全体を俯瞰しますと、NISSANが検察に協力していたのは事実のようです。日本初の司法取引と報じるマスコミもいますが、クーデターというよりもNISSANをゴーン氏の手から取り戻す意図があったように感じます。ですが、だからといってNISSANの幹部が正しいとは限りません。そうしたことを感じるのは昨年の秋以降に明らかになっている「品質検査関連の不正」に対するNISSANの対応に疑問を感じるからです。謝罪会見に西川社長が一度も出席していないのです。もし、企業のトップとして経営に真摯に向き合う気持ちがあるなら謝罪会見にはトップが臨むのが本来の姿です。

僕は言葉を信用しない主義です。ちょっと頭のいい人は言葉を巧みに操って、または彩って人を思い通りに動かそうとするからです。僕は行動で人を判断します。その意味で言いますと、「品質検査関連の不正」の謝罪会見に一度も出席せず部下に任せている西川社長には経営者としての姿勢に疑問を感じています。

このような状況を見ていますと、今回の事件も外部からやってきたエリートと生え抜きのエリートの争いのように思えてきます。そこには現場で一生懸命働いている人たちへの配慮が欠けているように見えます。いつも負担を押しつけられるのは現場で働いている人たちです。格差社会の原因はそこにあるのかもしれません。

そう言えば、ゴーン氏の弁護を担当するのは元東京地検特捜部長の弁護士です。今回の検察側の部長は元部下だそうです。こうした構図を見ていますと「裁判とはなんなのか」と考えてしまいます。これでは裁判が検察の元上司と部下の戦いの場にすぎないことになってしまいます。裁判が真実を求める場ではなく、単なるディベートの優劣を決める場ということです。これで公正で公平な裁判が行われるのでしょうか。

やっぱり、世の中ってエリートが支配しているのかなぁ…。

…てなことをゴーン氏逮捕事件から連想した僕です。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:49 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月02日

<やらない後悔>

僕が今週印象に残ったニュースは元貴乃花親方の離婚でした。僕の年代ですと若貴ブームが強く記憶に残っているのですが、若貴兄弟が最初にマスコミで取り上げられたのは、親方の子どもから弟子に立場が変わったときです。テレビで「若貴兄弟が子供部屋から力士部屋へ引っ越す」様子が放映されていました。このときのお母様(現・藤田紀子さん)の涙が印象的でした。

我が子ではなく、弟子になったのです。

兄弟揃って相撲界に入ったのですが、あとから兄の花田勝(元若乃花)さんの言に寄りますと「弟を守るために入門した」そうです。僕の記憶では「お母様からお願いされた」と話していたように思います。

二人とも努力の末に横綱まで上りつめたのですが、その途中で起きたのが貴乃花と女優宮沢りえさんの婚約騒動でした。人気力士となりもうすぐ大関になるという時期に若手女優として人気抜群だった宮沢さんとの婚約でしたのでマスコミが注目するのも当然でした。

今でも頭の中に残っている見開きページの写真があります。当時は写真週刊誌がブームだったのですが、その写真は記者会見を二人のうしろから撮っていました。二人の背中越しに集まったマスコミの人たちが写っているのですが、テーブルで覆われていてマスコミ側からは見えないのですが、二人は仲睦まじく手をつないでいました。どれほど二人がともに相手を好きでいたかが伝わってくる写真です。

しかし、その僅か2ヶ月後婚約は破談になるのですが、貴乃花は「気持ちが冷めた」とインタビューに答えていました。誰が考えても納得できる答えではありません。あれほど好きあっていた二人が簡単に気持ちが冷めるのは不自然です。二人に外部から圧力があったと想像するのが普通です。

後年、二人の破局について兄の花田勝さんは「他人には言えないいろいろなことがある。二人はかわいそうだった」と話していました。また歌手の美川憲一さんは2014年に唐突に二人の破談について語っています。当時美川さんは宮沢さんのお母様と親しくしていたらしく、お母様から依頼されて自分がりえさんを説得したそうです。

真偽のほどはわかりませんが、いくら本心から相手を好きになったとしても、周りの大人からしますと「若さゆえの一時の気持ちの高まり」と考えるのが普通です。どちらもまだ若く将来がある身でしたので、二人を思いとどまらせるなんらかの圧力があっても不思議ではありません。「圧力」という言葉が強すぎるなら「説得」です。どちらにも説得があったのは間違いのないところでしょう。

先ほど兄の花田勝さんのコメントを紹介しましたが、実は二人は仲違いの関係にあります。花田さんがいろいろな場で語っていますのでご存知の方も多いでしょうが、花田勝さんが「あいつ(弟)だけは許せない」と話していた言葉が二人の仲の悪さを表しています。

しかし、実はつい先日僕は驚くような花田さんのお話を聞く機会がありました。先場所は元貴乃花部屋の貴景勝関が優勝しましたが、あるスポーツ番組で花田さんに感想を聞いていました。そのとき花田さんは次のように話したのです。

「貴景勝は元貴乃花が育てたので元親方も喜んでいるのではないでしょうか。貴景勝が優勝できたのは元親方の育て方がよかったからだと思います」

僕は花田さんが弟である元貴乃花を辛辣に批判していることを知っているだけに弟を思い遣るこのコメントには本当に驚きました。もしかしたなら二人が仲直りをする兆候かもしれません。

先月、お亡くなりになりました元横綱輪島さんは兄弟を小さな頃から知っている方でしたが、二人が仲違いをしていることを気にかけていたそうです。輪島さんの人生も波瀾万丈で、親方時代に事件を起こし相撲界を追われ、自由奔放に生きていた方ですが、お亡くなりになったときは元貴乃花のお母さんである藤田紀子さんは感謝の気持ちを話していました。

実は藤田さんが貴乃花のお父様である貴ノ花関と結婚するとき、ものすごい反対に遭っています。部屋の親方は実の兄であり名横綱と言われていた二子山親方でしたが、「死ぬほどなぐられた」という記事を読んだことがあります。それほどの反対に遭いながらも結婚したのですが、息子の貴乃花とは違う決断をしたことになります。

藤田さんの感謝は「貴ノ花関とデートをするときはいつも輪島関が一緒にいてくれた」ことに対してです。もちろん一緒にいたのはマスコミ対策ですが、それがのちに「若貴兄弟は異父兄弟』という噂にもつながっているようです。(輪島さんが父親という説です)

相撲の世界は親方と弟子が似たような名前であり、ときには同じ名前のこともありますのでわかりにくくなりますが、話を元貴乃花関(当時は貴花田)と宮沢さんの話に戻します。

婚約が破談になる理由として「気持ちが冷めた」とマスコミに答えていた貴乃花関ですが、当時の気持ちが不安定でいたのがわかる映像を見たことがあります。関取は巡業に行ったときにお客さんの間を通って土俵に向かうのですが、そのときにお客さんは関取の身体に触ったり軽くたたいたりします。親愛の気持ちを込めて行うのですが、貴乃花は身体をたたいたお客さんをものすごい形相でにらんだのです。おそらく気持ちがいらついていたのでしょう。こうした振る舞いからも婚約破談が自らの意思で決めたことではないことが想像できます。

もちろん宮沢さんにもショックはあったようです。週刊誌では自殺未遂報道などもありましたが、みるみるうちにやせ細っていったのがわかりました。ショックの大きさが伝わってきた容姿でした。宮沢さんはその後一時期芸能活動を行わない時期があったのですが、僕は復帰するきっかけを作ったのは脚本家の倉本 聰さんだと思っています。

倉本さんの作品で有名なものに「北の国から」がありますが、宮沢さんはその特別編「’95 秘密」で芸能活動を再開しています。僕からしますと、まるで倉本さんは宮沢さんを復帰させるために書いたような内容でした。気になる方はネットで調べてください。

宮沢さんは、現在はVの森田剛さんと結婚して幸せな生活を送っていますが、元貴乃花関はこれからが正念場です。僕は、元貴乃花関は宮沢さんとの婚約破談に対して、心の区切りをまだつけていないように思っています。元貴乃花関はその後河野景子さんと結婚していますが、無理やり愛情を思い込もうとしているように感じていました。

親方時代にテレビなどで見かけることがありましたが、話し方にしても振る舞いにしても本来の自分の姿をさらけ出していないような感じをずっと受けていました。「自分を作っている」という感じです。

結局、元貴乃花関は相撲協会と揉めた後、降格人事に遭い、最後は相撲部屋まで畳むことになっています。いろいろ大変でしょうが、一般人とは違い一時代を築いた人ですのでいくらでも収入の道はあると思います。

兄弟の確執の解消も含めて、今回の騒動がよい方向に展開することを願っています。

やっぱり、恋って突き進んだほうがいいんじゃないかなぁ。

「やらない後悔」は「やった後悔」よりも強い。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 13:56 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月25日

<iPhone乗り換え>

我が家は家人のスマホや携帯電話の請求書を僕の口座に統一していますので、家族それぞれの毎月の請求金額がわかります。これまで書いていますように、僕はスマホと携帯の2台持ちをしていますが、データ通信と通話を分けるのが目的です。出先でトラブルに見舞われて連絡手段がなくなるのを防ぐためですが、携帯の請求金額には常に気をつけています。

携帯は通話専用として使っていますが、ボタンを押し間違えてデータ通信を使ってしまいますとかなりな金額が発生してしまいます。携帯のデータ通信の契約が従量制になっているからですが、以前一度だけ高額な通信料金になったことがあります。それ以降は用心をしながら使っていますが、そうした間違いさえしなければ2台持ちでも毎月の請求金額は約2千円で済みます。この金額は妻も同様ですが、息子の請求額だけが突出していました。

息子は「2台を持つのが面倒」ということでスマホ1台にしているのですが、その請求額は毎月約7千円でした。僕と5千円の開きがあります。僕は息子の請求額を見るたびに「なんとか減らしたい」と考えていました。ちなみに、僕と妻はスマホは格安スマホで携帯は大手キャリアの一つでした。息子はその大手キャリアのスマホを使っていました。

こうした状況で息子の7千円を半分以下にすることを目標にいろいろと調べていたのですが、ついに一昨日約半分にすることに成功しました。僕はandroidですが、息子はiPhoneを使っています。ですので買い替え後もiPhoneにするつもりでしたが、iPhoneの難点は本体が高額なことです。

実は、息子の買い替えと同時に自分自身の携帯電話の買い替えも模索していました。先ほど僕の携帯電話の毎月の金額を約千円と紹介しましたが、この金額は携帯を買い替えた3年前に「他社からの乗り換え特典」の割引を使っているからです。その割引が消滅する期限が迫っていましたので携帯の買い替えを考えていました。しかし、当時と現在では大手キャリアの方針も変わっておりなかなか難しい状況のようでした。

それはともかく、時代が違いますと大手キャリアの販売方法も変わってきます。以前は「他社からの乗り換え」で本体がゼロ円になるという特典などいろいろなサービスがありましたが、最近はそのような特典はなくなっているように思っていました。

僕の娘は1年ほど前に、僕が利用している格安simと契約をしてiPhoneを使っていますが、本体はネットで購入しました。以前のように「他社からの乗り換え」で本体が無料になるサービスがなかったからです。

僕は、今回の息子の買い替えについても同じように考えていました。つまり特典等で「本体が無料になることはない」と考えていたのです。ところが、家電量販店の販売員さんに相談をしたところ、格安simの会社でもiPhone本体を無料にする特典があることがわかりました。

実は、このときは最初は大手キャリアの相談員の方が説明をしてくれたのですが、あまり魅力的な内容ではありませんでした。本体代金も半分だけ無料にするようなサービスでしたし、毎月の支払額も僕が想定していた金額よりも高いものでした。

しかし、このときの相談員さんは若い女性でしたが良心的な方で僕が正直な感想を言いますと、「それでは格安スマホの説明も聞いてみますか?」と笑顔で格安スマホを紹介してくれたのです。テレビでも宣伝している格安スマホ会社の相談員さんが来て説明をしてくれたのですが、そこでiPhoneを無料で提供するサービスがあることを教えてもらいました。

この特典は通信会社が提供しているのか、家電量販店が提供しているのかは定かではありませんでしたが、どちらにしても高額なiPhoneが無料で手に入れられるのですからうれしいかぎりです。しかも毎月の支払額も僕が想定していた以下の金額でした。

このような下調べをしたうえで、一昨日に違う大手量販店に行き相談をしましたところ、なんとそこでは先と同じ大手キャリアが「他社からの乗り換え特典」としてiPhoneを無料で提供しているサービスがあることを教えてくれました。数日前と同じ大手キャリアでしたが、相談員の方の知識不足かどうかはわかりませんが、iPhone8を実質無料でもらえるうえに毎月の支払額も想定内でした。

少し詳しく説明しますと、大手キャリアがよく使う「実質無料」という表現はあまり良心的なものではありません。「毎月の通信金額から割り引くことで無料にする」というものですが、これは毎月の支払額を少なく見せるための策略です。ですが、それを差し引いても納得できる金額でしたので契約することにしました。

あと一つ契約を決めた理由があります。それは販売員さんが裏技を伝授してくれたからです。それは大手キャリアさんと契約してから1年1ヶ月後に契約を解除して格安スマホに変更する技です。「2年縛り」という言葉をよく聞きますが、これは2年が過ぎる前に解約をすると罰金が発生する制度です。本体代金にも当てはまりますので、本体の残りの代金を一括で支払う決まりになっています。

しかし、今回の伝授してもらった裏技では1年1ヶ月を過ぎると本体代金は無料になるとのことでした。この大手キャリアを選んだ理由はこの裏技のほかにもあるのですが、総合的に考えてこれまでよりも支払額が減ることは間違いありませんでしたので決めた次第です。

契約を終えたあと、販売員さんから「一つだけ手続きが終わっていないのがありますので、ご自分で通信会社に電話をして手続きをしてほしい」とお願いされました。その手続きをしませんと割引サービスを受けられないとのことでした。

翌日、通信会社さんに電話をしたのですが、ここでもちょっとしたトラブルに見舞われました。僕が今回の通信会社に決めたのは自宅の通信回線が同じだったことも影響しています。ですので、目的の手続きを完了したあとに自宅の通信回線についても問い合わせをしました。

だいたいどこの通信会社も同じですが、自宅とスマホの両方を契約していますと受けられるサービスがあります。ですので、それについて確認しようと思ったのですが、電話口の方はスマホと自宅が同じ通信回線でも受けられるサービスはないとおっしゃるのです。僕が、「以前、そのようなサービスがあったんですけど…」と伝えても「ない」の一点張りでした。

そこで、いったん電話を切りネットで調べてみることにしました。時代が移り変わりますとサービスが変わることもあります。ちょっと心配になり確認することにしました。すると、やはり今でもそのサービスは提供されていました。そこで、再度電話したのですが、当然ですが先ほどとは違う方が電話にでました。ですので、ことの顛末をお話して「調べてほしい」とお願いしたのですが、その方にも「そのようなサービスはない」と言われてしまいました。

ですが、僕が「御社のホームページに書いてある」旨を話しますと少し待たされたあと違う部署に回されました。しかし、そこでもわからずに再度違う部署に回されました。僕は悪質クレーマーになってしまった気分になりました。

最後に回された部署の方がようやっと話が通じる方で「お客様のご指摘が合っております。誠に申し訳ありません」と丁寧な感じのよい話しぶりだったので、ようやく無事に一件落着となりました。その方のお話では、同じ通信会社であっても「スマホと固定回線では部署が違うので知識がないことがある」と、謝罪していました。

僕としましては、きちんと正しいサービスを受けられることが確認できましたので一安心ですが、よくわからないまま損をしている人もいるのではないか、と思った次第です。

以前、僕は国民年金の加入期間で問題があり第三者委員会に出席した話を書いたことがあります。一般的にですが、多くの人はお役所とか大企業とか公的機関といった世間的に信頼感を持たれている組織・団体に対しては「ミスをしないで正確な対応をする」というイメージを持っています。

ですが、よくよく考えてみますとそこで働いている人はごくごく普通の人たちです。ですから、ミスを犯してしまう可能性は十分にあります。市井で普通に暮らしている僕たちは、自分のことについては自分で確認・管理する心持でいることが必要です。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:28 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月18日

<メールソフトを入れ替え>

今週はIT関連のお話です。先日はグーグルマップの調子がおかしくなってしまいヤフーカーナビを使ったお話を書きましたが、今度はメールソフトの調子がおかしくなってしまいました。僕が今まで使っていたソフトはwindows Liveメールでしたが、先月も調子が悪くなり今月も似たような症状になりましたので、我慢できずに入れ替えることにした次第です。

皆さん同じでしょうが、僕もソフトの調子がおかしくなりますと解決方法をネットで検索します。この解決策を探すという作業は面倒ではあるのですが、メリットもあります。それはパソコン関連で自分が知らなかった情報に出会えることです。

解決策を見つけるのは容易ではありません。たまにはすぐに解決策に出会うことがありますが、多くは似たようなトラブルの解決策で「似ているけど、ちょっと違うようなぁ」というケースがほとんどです。解決方法を探すのには「検索キーワード」が重要ですが、本当に適切なキーワードを見つけるまでが一苦労です。

最初のうちは思いつくままにキーワードを打ち込み、いろいろと調べていくうちに最も相応しいキーワードが見つかるわけですが、ここから先がまたまた一苦労です。これだけ苦労をするのですから、解決策が見つかったときは感激します。小さくガッツポーズをすることもあるほどです。

反対に、いろいろと手を尽くしても最後までわからないこともあります。そういうときは一旦あきらめて、日を改めて挑戦するようにしています。これはこれまでの経験から得た最良の方法ですが、2時間を越えて解決策を探しているときは精神的に限界がきています。

このような精神状態になってしまいますと、間違いなく能力が落ちていますので中断するのが最適な対処方法です。実際に、後日探して簡単に見つかったこともあります。あとから理由を考えますと、精神的に余裕を持っていることで全く異なる角度から解決策を考えられるからだと思います。角度が違いますと検索キーワードも違うものになってきますので、それが功を奏したのです。やはり人間は精神的に余裕がないときは最高のパフォーマンスを発揮できないようにできているようです。

実は最初にメールソフトの調子がおかしくなったのは、もっと前で夏頃でした。そのときの症状は受信メール一覧の一つにポインタを置くだけでなぜかメールが開かれるようになってしまったり、複数行を選択するつもりで1回クリックしただけでなぜかすべてのメールが開かれるようになっていました。

結局、いろいろと調べるうちにこの症状は「チャタリング」という名称で、マウスの中にある接触する部品にトラブルが起きていることが原因とわかりました。そこでマウスを交換したところすぐに直りました。

前回のトラブルは夏頃とは違った症状だったのですが、調べたところwindows Liveメールに問題があるようでした。それを調べているときにわかったことは「windows Liveメールはサポート期間が終了している」ことでした。前回は解決方法をネットで調べて修正することができましたが、前回のトラブルから1ヶ月ほどしか経っておらす、頻繁にトラブルが起きるうえに、「サポート期間が終了している」ことを知りましたので思い切ってメールソフトを交換することにしました。

「思い切って」と覚悟を決めるほどの気持ちになるのは、やはりメールソフトの変換は手間がかかるからです。ですので新たにメールソフトを入れない方法も考えました。

メールの仕組みには、自分のPCにサーバーからダウンロードするやり方と、自分のPCからサーバーに見に行くやり方があるそうです。しかし、今の時代はどちらの仕組みでもgmailやoutolookで利用できるそうです。ですから、人によってはわざわざメールソフトを入れる必要性を感じない人もいるでしょう。ですが、昭和人間の古い人間の僕としてはこれまでのやり方を継続するほうが安心なのでした。

さて、新しいメールソフトですが、これは以前から頭の中に入れていたソフトがありました。幾度かメールソフトランキングで1位になっていたことを見ていましたので、入れるとしたら「これ」と思っていたのが「Thunderbird 」(サンダーバード)です。

いろいろなところでのレビューを読みますと「使いやすい」のが特徴のようでしたが、それでもやはり昭和人間の古い人間の僕にしてみますと新しく導入するのは簡単ではありません。

久しぶりのメールソフトの入れ替えですので、最初にやることはメールの移行です。ネットで調べた手順どおりに進めましたが、あまり成功したとは言えない結果になっています。なにが「成功していない」かと言いますと、正しいフォルダに入らないのです。

正しいフォルダに入っていないとはいえ、これまでのメールをすべて移行させることはできましたので一応は安心できます。次に、きちんと受信をできるのか試すことにしました。スマホのメールからPCのメールに試験メールを送信しました。そして、新しいメールソフトで受信を試みたのですが、これがうまくいかないのです。新しいメールソフトの宿命ですが、パスワードを求められるのです。

これがとてもやっかいです。そんな昔のこと、「覚えてない」のが普通です。そこで古い昔の契約書を引っ張り出したり昔の手帳を見たり、目をつむって昔の状況を思い出したりして、どうにかパスワードも打ち込むことに成功し、無事に受信が可能になりました。このときも小さくガッツポーズです。

喜んだのも束の間、次の難問が立ちはだかりました。それは送信時のパスワードです。しかし、契約書や手帳や目をつむった記憶のどこを探しても送信時のパスワードが見つからないのです。そこで、ネットで調べてみましたところ、受信時のパスワードと同じことがわかりました。これでようやっと完成です。

と、思いきや。またまた問題が発覚です。メールを受信しますと文字化けをするものがありました。最初に受信したメールでは文字化けは一つもなかったのですが、一度メールソフトを終了させて新たに起動させてから受信したメールで文字化けをしたものが複数ありました。

結論を言いますと、原因はわからず仕舞いでした。ですが、文字化けを起こしているメールはいわゆる迷惑メールに属するものだけのようでしたので、現状で納得することにしました。

これ以外にもまだ改良する部分が幾つかありますので、少しずつ修正していくつもりです。僕は新しもの好きですので、調べる中で新しいIT情報に出会うのは楽しいのですが、時間がかかるのが難点です。1〜2時間なんてあっという間なんですよねぇ。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:16 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月11日

< 優 >

僕は車で移動することが多いのですが、初めて行く場所にはグーグルマップのカーナビが役に立っています。グーグルマップのカーナビはとても便利で使いやすいのでカーナビを製造しているパイオニアが危機に瀕しているのも頷けるというものです。無料でカーナビを利用できるのですからわざわざ高いお金を払ってカーナビを買おうという人がいなくても当然です。

それほど便利なグーグルマップのカーナビですが、先日初めて困ったことに遭遇しました。それはグーグルマップのカーナビが作動しなかったのです。いくら経路を検索しても「ルートが見つかりません」と表示されるのです。僕は地理に疎いのでグーグルマップが使えない状況は非常事態でした。

そこでいろいろと考えた末に解決策を思いつきました。それはグーグルマップではないカーナビアプリを使うことです。そこでアプリを紹介するサイトで見たことがあるヤフーのカーナビアプリをダウンロードすることにしました。

結論を言いますと、これで難局を潜り抜けることができたのですが一つ問題が起きました。それはアプリをダウンロードするときにかなりの量のバッテリーを消費したことです。普段アプリをダウンロードするときはいつも自宅にいるときでしたのでバッテリーのことを意識したことはありませんでした。そのときに初めて、アプリをダウンロードするときは「バッテリーの残量を意識することが大切」と認識した次第です。ちなみに、ヤフーのカーナビアプリも使いやすかったです。

*****それでは、今週の本題。

ちょっと違和感と言いますか、あざとい感を感じますが、視聴者には好印象を与えるのかなぁ、というテレビCMがあります。大手クレジットカードのCMですが、「Priceless、お金で買えない価値がある」というキャッチコピーがアナウンスされるCMです。お金万能の今の時代に、そのアンチテーゼとして訴えているように感じます。似たような発想のCMに大手自動車メーカーの「モノより思い出」をキャッチコピーにしているCMもあります。こちらも「お金よりも体験」が大切と訴えています。

ちょっと余談ですが、クレジットカードのCMは最初に制作されたときはコピーが少し違っていたそうです。最初は「お金で買えないものがある」だったそうですが、このコピーですと「無料」というイメージが強すぎるために「もの」を「価値」に変えたそうです。ほんの少しの違いですが、異なったイメージを与えます。言葉は大きな力を持っています。

それはともかくこれらのCMは、一見しますと社会モラルの理想論を訴えています。世の中が金銭的な損得だけで判断され、決められ、動いていてはよい社会はできません。バブルが発生し、そしてバブルが崩壊しても結局は「お金が最も大切」という風潮になっている社会を揶揄しているとも言えるCMです。ですが、今一つ心に響いてこない感があります。その理由はおぼろげではありますが、制作者および企業の本心が透けて見えるからです。

この広告の発注元である企業も、そして制作した広告代理店も世界に名だたる大企業です。心に響いてこないのはそこにあります。大企業になるにはお金儲けを巧みに行って競争に勝利する必要があります。そうでなければ大企業になれるはずがありません。そのお金儲けを第一義にしている企業が「お金よりも大切なものがある」と訴えても信ぴょう性に疑義を感じても当然です。

このように口で言うことと実際の行動が違っていますと、多くの人はやはり反感を覚えます。今年からメジャーリーグに移籍した大谷翔平選手は米国でも人気がありますが、その理由は成績ももちろんありますが、移籍する際の判断材料が「移籍金の多寡」でなかったこともあります。お金よりも夢を優先させた行動からは純粋さが感じられました。口先だけはなく行動も伴っていたからこその好印象です。

*****

高級住宅が立ち並ぶ地域で児童相談所や保育園の開設が中止になっていることが報道されています。反対している人たちはいろいろな理由をあげていますが、突き詰めますと「高級住宅地に児童相談所や保育園は相応しくない」ということのようです。高級住宅地の価値が下がると主張しています。

共働き家庭をサポートするという意味では児童相談所や保育園は必要です。これだけ待機児童問題が報じられている中で多くの人が児童相談所や保育園の必要性を思っているはずですが、それでも自分たちに少しでも損害が及びそうになりますと反対となります。

「損害」という言葉は大げさかもしれません。自分の土地を侵害されたりといった物理的なことではないからです。敢えて言葉を変えるなら「迷惑」です。自分たちに迷惑がかかりそうなので反対しているのです。おそらく反対している人の中にも倫理的観点では、「世の中は、誰もが平等で幸せになるべきだ」という考えの人もいるはずです。それでも自分に迷惑が及びそうになるときは話が変わってきます。

沖縄の米軍基地問題も全く同じです。誰もが日米安保の重要性を認識していますが、米軍基地が自分たちの近くに来るのは了承しません。以前、本土の都道府県知事に「沖縄の米軍基地の受け入れの可否」のアンケートをとったところ、手をあげたのは大阪の橋本府知事だけだったというニュースがありました。「沖縄はかわいそうだ」と思っていても、どこの都道府県も米軍基地の受け入れは困ると考えています。

これらは詰まるところ「自分さえよければ、それでよし」という発想が頭の中にあるからです。そしてその発想の延長戦上には、優越感というやっかいなものがあります。他人よりも優れている自分のアイデンティティを失いたくないという発想です。そして、その発想の裏側には自らのアイデンティティを自慢したいという欲望も働いています。高級住宅地の価値が下がると考えるのも、裏を返せば「普通の人では住めないようなお金持ちが住む地域に住んでいる」という優越感を持っていたいからです。

以前マツコ・デラックスさんがテレビで「同窓会には出席したくない」と発言して、注目されたことがありました。マツコさんに言わせますと、同窓会は成功している人が自慢する場所ということらしいです。僕も同感です。

40代の頃、高校時代の友だちと20年ぶりくらいに会ったとき、言葉の端々に有名な人や場所の名前が出てきました。有名人と知り合いであることをさりげなく話の中に紛れ込ませるのです。この経験をしてから昔の友だちとは会わなくなりました。というよりも会いたい気持ちが失せてしまいました。

マスコミを見ますと格差社会が問題になっていますが、格差社会を作っているのも優越感です。ほかの人よりも優れたアイデンティティを自慢したいという欲望があるからです。もし、「みんなが平等に幸せになりますように」とあらゆる人が考えるなら格差社会になどならないでしょう。

今、世界を見渡しますとEUでは移民排斥を訴えている極右政党が伸張し、米国でも人種間の対立を煽るような事件や入国を目指している難民を阻止しようという動きが起きています。こうした状況はナチスドイツの優生思想を連想させてしまいます。その思想によって覆われた社会が人間にとって健全でないことはあきらかです。

優生の「優」は「すぐれた」意味もありますが、「やさしい」という意味もあることを今一度思い起こしてほしいと思っています。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 16:11 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月04日

<メルカリからメルケル>

僕には今、気に入っているテレビCMがあります。それは積水ハウスのCMなのですが、積水ハウスにはCMに「〇〇篇」といったような幾つかの種類があります。その中で僕が好きなのは「グリーンファースト ゼロ「午睡の夢」篇」です。リビングルームのソファで気持ちよさそうに横になって寝ている20代後半と思しき女性に、父親らしき人がゆっくりと近づいてそ〜っと上掛けをかけてあげる」30秒のCMです。

たったこれだけのCMですので、見ようによっては「リビングルームで女性が寝ているだけのつまらない映像」ということになります。なにしろ出てくる場面はリビングルームだけで、登場するのは横になって気持ちよさそうに寝ている女性とその父親らしき人がCMの最後のほうにほんの僅か出てくるだけです。しかも、この男性は顔もほとんど映りません。ただ画面左から出てきて上掛けをかけて左に戻るだけです。

この映像を見て想像できるのは、どこかに嫁いだ娘さんが久しぶりに帰省してゆったりとくつろいでいる光景です。普段の生活で緊張している気持ちが生まれ育った家に戻ったときに、つい心が落ち着いてゆったり休んでいるのです。父親らしき男性がそ〜っと上掛けをかけてあげるところに娘を思い遣る気持ちがあらわれています。

しかし、もしかしたならまだ嫁いでいないのかもしれません。毎日の仕事でプレッシャーに押し潰されそうになっている娘さんが休日に緊張から解き放されゆったりと心を落ち着かせているようにも見えます。どちらにしても、自分の生まれ育った家だけが、心を落ち着かせることができる場所ということを表しています。積水ハウスさんが、「自分たちはそのような家づくりを目指している」という意図が伝わってくるCMです。

これほどシンプルであるにもかかわらず、企業の思い、姿勢が伝わってくるCMを作った制作の方々の素晴らしさに感動しています。基本的にCMは広告代理店が作りますが、採用の可否を決めるのは企業です。ですから制作の方々と同じくらい、企業の担当者ならびに経営陣にも感動しています。

どんなに素晴らしいCMを作ろうとも採用されなければ日の目を見ることはできません。CMの価値を決めているのは企業です。さらに突っ込んで言うなら経営者です。仮に、経営者がCMに関して全く関与していないとしても、それはそれで凄いことです。なぜなら、自分の感性よりも担当者のセンスを信頼しているからです。そうした考えを持っていること自体が素晴らしい感性の持ち主であることを示しています。

経営者が担当者にすべてを任せるというのは簡単なようでいて、実は容易ではありません。なぜなら、経営者は最終責任を負うのが使命ですのでどうしても一言二言言いたくなるからです。実力者経営者とかワンマン経営者と言われる人ほど自分の意見を通そうとする人が多いようです。しかし、「自分の意見を通そうとする」ことと責任を負うことは別物と考えている経営者もいます。

東日本大震災のときの原発事故に関する裁判について報じられていました。当時の実力者であった東京電力の会長が「現場に責任がある」と発言したそうです。「経営者は結果がすべてである」と喝破したのは経営評論家の三鬼陽之助氏ですが、その言に照らしますとこの会長は経営者として失格です。

先日も東京電力はツイッターに「#工場萌え」と投稿して物議を醸しましたが、その鈍感さに落胆させられました。まだ避難者が5万人以上おり、復興半ばである今の時期にこのような投稿をする感性が現在の東京電力の姿勢を表しているようにも思え、残念です。

以前は広告と言いますと、テレビCMや新聞またはラジオ、雑誌などでしたが、今はSNSも立派な広告になっています。その意味で言いますと、企業が安易にツイッターを利用するのは危険です。

わざわざ言うまでもありませんが、広告が企業の命運を決めると言っても過言ではありません。ですから、企業は広告代理店に高額なお金を払ってでも優れた広告を制作してもらおうとします。しかし繰り返しになりますが、最終的に決めるのは企業であり、経営者です。

今、日経ビジネスでは堤清二氏の特集を組んでいます。堤氏の本が出版されますので宣伝の意味もあるのでしょうが、読み応えのある記事です。ネットで無料で読むこともできますので経営や広告に興味のある方はお読みになってはどうでしょうか。実は、僕は積水ハウスの広告の素晴らしさを感じるたびに堤清二氏を思い出しています。また、今回の東京電力会長の責任回避の発言を聞いたときも、僕が真っ先に頭に浮かんだのは堤清二氏でした。

今から10年以上前にこのコラムで書いた記憶があるような気がしますが、「堤氏ほど潔い経営者はいない」と僕は思っています。堤氏は西武百貨店を成功させ、パルコを作り無印良品を作り、文化的発信も行っていた経営者です。ちなみに、ご存知の方も多いでしょうが、作家・辻井喬としても活躍していました。

その堤氏は第一線を退いたあとにもかかわらず、創業者の責任という意味だけで関連グループの負債に対して個人資産を投じてまで弁償しています。第一線で活躍しマスコミからちやほやされているときは雄弁に語っていた経営者が業績の悪化とともに責任逃れをする例をたくさん見たことがありましたので、その正反対の行動をとった堤氏に尊敬の念を抱いた次第です。

堤氏は広告の先駆者でもあったように僕は思っています。コピーライターを世の中に認知させたのも堤氏のように思います。コピーライターと言って真っ先に思い浮かぶのは糸井重里さんや仲畑貴志さんでしょうが、この方々を引き上げたのは堤氏です。言うなれば、コピーライターという職業が世に出る土壌を作ったと言えそうです。大げさに言うなら、堤氏は広告に文化を吹き込んだ人とも言えるように思います。

これだけ影響力のある広告ですので、是非とも社会をよい方向に向かうような仕事をしてほしいと思います。ポピュリズムが蔓延る社会は危険です。実は、堤氏は東大時代に共産主義に傾倒した時期がありました。その時期に一緒に行動していたのが読売新聞の渡邉恒雄氏や日本テレビの氏家齊一郎氏です。のちに転向しましたが、心の中では資本主義に対する疑念があったように思います。

広告は使い方によってはポピュリズムを作り出すことができます。トランプさんがあれだけ批判されながらも一定の支持率を得ているのは広告の力だと言っても過言ではありません。今、世界は自国第一主義になりつつあります。世界全体が「自国ファースト」に突き進んでいます。そのような世界にならないような広告が作り出されることを願っています。そのためには広告を作る人たちが「他人を思いやる気持ち」になることが一番目です。

ドイツのメルケリ首相が引退するという報道を見て、世界中が他人を思いやる気持ちがなくなていることに少し不安になっている今日この頃です。

実は、本当は今週のコラムは先週はじめましたメルカリについて書くつもりだったのですが、なぜかドイツのメルケリ首相が党首辞任のニュースに気持ちが動き、それが堤氏に移り、このようなコラムになりました。メルカリで9千円の売上げがあったのですが、そのお話はまたいつか。

じゃ、また。

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2018年10月28日

<いろいろな職歴のある営業マン>

先日、居間で自宅でパソコンに向かっていましたところ、インターフォンがなりました。我が家は狭い家ですので居間から返事をしますと十分に訪問者に聞こえます。ですので、僕はインターフォンを使うことはなく、いつも大声で返事をすることにしています。

その日も、いつものように大きな声で返事をしてから玄関ドアを開けました。すると、そこには50才くらいの男性が笑顔で立っていました。平日の昼間に訪問する人は販売業者か宗教関連と決まっていますが、その男性は営業の方でした。なんの販売業者かと言いますと、ある大手寝具メーカーの営業の方でした。新潮は170センチくらいでやせぎすの品のありそうな雰囲気の人でした。

僕はいろいろな人とお話をするのが好きですが、もちろん「誰とでも」というわけではありません。「相性が合う」人という条件があります。わざわざ言うまでもありませんが、相性が合わない人と話していても楽しくありません。その営業の人は二言三言話したところで「相性が合う」と感じました。

その方が僕の家を訪問したのは飛込営業ではありませんでした。僕が過去にその会社からなにかを購入したことがあったからです。なにを購入したのか記憶がありませんが、その方がタブレットに記載されている昔の販売リストを見せてくれました。

僕がその方と「相性が合う」と感じたのは話し方が押しつけがましくないことでした。営業マンの中には強引な話し方をする人がいますが、そのような人からなにかを購入する気になどなりません。この方は、実に謙虚に丁寧に話していました。

もちろん営業ですから、トークをする際は導入部分の会話があります。その方の導入部分はお布団を洗うことを勧める内容でした。布団は高額な商品ですので「おいそれ」と簡単に購入を決められる物ではありません。ですから、最初から布団を販売する方向に会話を持っていくのはあまりに稚拙です。やはり会話が展開する方向としては「布団洗い」から入っていくのが常道です。

そこで僕は「最近は、コインランドリーでも布団を洗えるような機械がありますが、それは影響ありますか?」とちょっと意地悪な質問をしました。それに対しても反発するような表情にも言葉遣いにもならず、正当な反論から「…なので、専門業者に依頼したほうが安心なんですよ」とうまい営業トークをしていました。

そこで僕は完全に「相性が合う」と思い、いろいろな話を聞くことにしました。そこまで行きますと、その方も営業の仕事というよりは人生についてお話するという雰囲気になっていきました。しかし、中にはそのようなあまりに深い話になることに不快感を示す人もいます。ですが、その方は深い話にも喜んで入ってきてくれました。

この方が僕の深い話にもついてきてくれたのは、この方の働き方も関係しています。その方はその大手寝具メーカーに直接雇用されている社員ではなかったのです。営業を請け負う形式で仕事をしている方でした。つまり、営業の下請けということになります。下請け形式のメリットは発注する側である寝具メーカーにしてみますと、固定費がかからないことです。販売した時点でだけ人件費が発生しますので無駄がありません。

そして、働く側からしますと自分のペースで働くことができるのがメリットです。もちろんその裏返しとして売上げがないときは収入が入ってこないというリスクはありますが、自分の実力次第と覚悟しているなら問題はありません。しかし、悪質な企業には社員という立場ではない人間に、まるで社員であるかのように縛りをかけるところもあります。そのような企業には決して近づかないことが肝要です。

実は、この大手寝具メーカーはかつてブラック企業としてマスコミで批判されたことがあります。ですので、企業としては問題がありそうなイメージを僕は持っていました。そこで僕は、打ち解けてきたころを見計らって尋ねてみました。
「ブラック企業のイメージがありますが、実際はどうなんですか?」

中高年以上の方ですとご存知でしょうが、この企業が有名になった当初はブラックどころか好印象の代表のような企業でした。その理由は初の外国人力士である関取がCMをしていたからです。CMで「2倍、2倍(ニバイ、ニバイ)」と訴える声を覚えている人は多いはずです。

そのような好印象の企業でしたが、売上げの減少とともに強引な販売方法や違法すれすれの販売方法、または社員への厳しいノルマなど悪評が報じられていました。ですので、僕は実際のところを聞きたかったのです。

その方に寄りますと、やはり正社員の離職率も高く、好印象とはいいがたいイメージのようでした。その方が下請けとして働いている理由もまさにそこにありました。しかし、ブラック企業であったとしても正社員という立場でなければブラックに縛られることはありません。下請け形式は営業に自信があるならば、数段働きやすい環境です。

僕はそのような働き方を選んでいることにも興味を持ちましたので、また尋ねてみました。
「前職はなんだったのですか?」

葬祭業に勤めていたそうです。そこで、またまた僕は興味が湧いてきました。葬祭業も一般のイメージとしてはあまりよいイメージがない業界だからです。まずは「人の死」を扱う業界ですので、それだけで特別視されることがあります。そのほかには、やはり「ぼったくり」というイメージです。

僕が持つこの一般的なイメージをぶつけてみました。すると、この方も僕と同じイメージを持っており、それが今の会社に転職した理由だと話していました。そうなりますと、今度は葬祭業に入ったきっかけが聞きたくなりました。
「葬祭業に入ったきっかけはなんだったのですか?」

この方は葬祭業の前は宝石業界にいたそうです。僕はその方に聞くまで知らなかったのですが、今の時代は遺骨から宝石を作ることができるそうです。遺骨を指輪の宝石にしたりペンダントにしたりすることが流行っているそうです。その方もその関係で葬祭業を知り、飛び込んだそうです。

結局、この方とは30分くらいも玄関先で話したことになったのですが、いろいろな経験をしている人とお話をするのは楽しいものです。人生は一回しかありませんので自分が経験できることなんてほんのわずかです。ですから、いろいろ人からお話を聞くことはとてもためになりますし、勉強になります。ただし、真実を公平に平等に話す人かどうかを見極めることが大切です。

皆さん、真実を公平に平等に話す人の話を聞きましょう!

えっ、信じられないって?

じゃ、また。

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2018年10月21日

<マスコミの責任>

油圧機器大手「KYB」という会社の子会社が地震対策に使う免震・制振装置の検査データを改ざんしていたことが公表されました。中高年以上の人ですと覚えているでしょうが、今から13年前に「姉歯事件」という建築に関する事件がありました。これは一級建築士の姉歯さんという人物が建物の耐震強度を偽装した事件です。このときはマスコミ報道の過熱ぶりが凄まじく、僕などは事件よりも報道の過熱ぶりのほうを記憶しているくらいです。約1ヶ月間、どこのチャンネルを回しても「姉歯、姉歯」を取り上げていました。

しかもマスコミは「視聴率がとれる」または「販売部数が伸びる」という理由で、あることないことまで報じていました。「豪邸に住んでいる」とか「隠し財産がある」とか「愛人がいる」などバッシングされるに値する「あることないこと」を伝えていました。のちにすべて誤報であることが判明するのですが、そうした報道が影響いたのでしょう、姉歯さんの奥さんは事件の翌年に自殺をしています。このときは新聞などは一面で報じることはしましたが、その原因がマスコミ自身にあるとは伝えていませんでした。

マスコミもしくは世論というのは本当に曖昧でふわふわとしていて、ある一つの流れができるとそれに乗っかるまたは従う傾向があります。しかもその流れは、一定期間を過ぎますと反対の方向に流れるという特徴があります。このこと自体は「振り子法則」が働いていることですからよいことだと思いますが、あまりに振れ幅が大きいと傷つく人が出てくるのが問題です。

姉歯事件にしても、2011年に起きた東日本大震災の際に「耐震強度を偽装した建物は倒壊しなかった」、つまり「耐震偽装はあまり問題ではなかった」などという報道がありました。バッシングされていた当時、姉歯さんは偽装を認めてはいましたが、「強度には問題がない」と話していました。それが真実だったことが証明されたことになります。いったい姉歯事件のときのバッシングはなんだったのでしょう…、と思わずにはいられません。

さて、こうした過去の事件を踏まえつつ、今回の「免震・制振装置の検査データを改ざん」事件について考えてみたいと思います。

不正改ざんが公表されたあと、国土交通省は改ざんがあったとしても「震度7くらいの地震に対する強度は保たれている」と見解を発表しています。しかし、普通に考えるならこの見解で納得する人はほとんどいないでしょう。なにしろ今現在住んで生活している人がいるのですから当然です。しかし、ここはマスコミの方々は冷静になって報じてほしいと思っています。

実は、姉歯事件があれだけ激しいバッシングになったのは、偽装が発覚したあとの建設会社の小島社長および姉歯さんのマスコミ対応の姿勢にあると思っています。今でこそマスコミ対応次第でマスコミの報道の仕方が変わることが企業の幹部に浸透していますが、当時はそのような発想はありませんでした。ですから、小島社長にしても姉歯さんにしてもマスコミへの対応の重要さがわかっていなかったのです。ですから、普段どおりの受け答えをしてしまい、それが激しいバッシングを招いてしまいました。

その点で言いますと、今回の油圧機器大手「KYB」の社長の会見は姉歯事件のときの小島社長および姉歯さんに比べますと問題のない会見だったように思います。今の時代はリスクコンサルタントという謝罪会見をスムーズに無事に終える方法を伝授する会社があります。おそらくそうした会社のアドバイスを受けているはずです。

それはともかく今回の企業は行政と密に連絡をとり、マスコミを敵に回さないような会見を継続させることが重要です。いらぬバッシングを招かないことが事件を穏便に収束させるうえで最も大切です。

いらぬバッシングを招かないためにあと一つ重要なことがあります。それは事件が表面化した経緯についても誠実に対応することです。具体的に言いますと、内部告発をした元従業員に対する処遇です。現在、この元従業員は転職をしているようですが、本来は企業を正そうとした人なのですから優遇されてしかるべき人です。それが反対に職場にいられなくなっているのですから企業のガバナンスに問題があることを示しています。

内部告白で思い出すのが2002年に起きた「雪印食品牛肉偽装事件」です。これは輸入肉を国産肉と偽って国からの補助金をだまし取っていた事件ですが、この事件により雪印食品は消滅してしまいました。それほど大きな事件でした。

この事件を告発したのは雪印食品と取引があった会社の社長さんですが、この会社は告発をした後に取引先が次々にいなくなり、休業状態になったそうです。正義の行動をとったことで苦境に陥ったことになります。この2つの事件に限らずほかの内部告発を見ていますと、日本では内部告発者のその後の人生が暗転しています。米国では内部告発者に報奨金のようなものがあるそうですが、日本でもなにかしらの対策をしませんと「正直者が馬鹿を見る」社会になってしまいます。

今回内部告発をした元従業員はニュース番組に顔出しNGで出演していましたが、この方は最初上司に違法性を指摘いたそうです。それをうやむやにしようとしてした上司または幹部の人たちは今頃いったいどのような気持ちでいるのでしょう。免振偽装に関しては3年前に東洋ゴム工業が免震ゴム性能において偽装していた事件がありました。このときは社長を含む幹部が数人辞任していますが、そうしたニュースを今回の事件の幹部はどのような気持ちで見ていたのでしょう。

「自分たちは見つからない」と

考えていたのでしょうか。そうとしか思えないこれまでの対応です。

このような事件が起きますと、市場競争が激しいからという理由をあげて競争に問題があるようにいう意見が出てきますが、市場競争と法律違反は別物です。競争をする際に法律を守るのは大前提です。100メートル競走でドーピングをしてはいけないのはわざわざ言うまでもないことです。

今回の事件が今後どのように展開するのかはわかりませんが、その大きさを決めるのはマスコミです。もちろんほかに起きな事件が起きるなど外部要因も絡んできますが、それを考慮しても事件を大きくするかしないかはマスコミの匙加減にかかっています。

マスコミの方々は徒に問題を大きくするのではなく、平和で平等な公平な社会になるように報じてほしいと思っています。

なぜ、このようなことを書くかと言いますと、朝方見た番組で高級ブランドが立ち並ぶ青山地区で障害者施設の建設についての報道に違和感を持ってからです。番組の中で区の職員と建設地域の住民とのやり取りを報じていましたが、反対する住民が激しい怒鳴り声で区の職員を追究している画面がありました。

それについて意見を求められた専門家が「この開発に関係しているが、あのような怒鳴るような住民の方は少数派」と話していました。テレビ局はインパクトのある映像がほしいばかりに極端な意見を取り上げる、報じる傾向があります。しかし、そのようなマスコミの姿勢は社会を間違った方向に導くことになります。

そのような印象を受けましたので、今回のコラムとなりました。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:31 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月14日

<「三度目の殺人」を見て思ったこと>

僕が昨年あたりから気になっているニュースはジャーナリストに危害が加えられる事件が続いていることです。先週はブルガリアの女性記者が暴行されたうえに殺害される事件がありました。昨年末にも地中海の小国マルタでやはり女性ジャーナリストが殺害されています。女性だけに限りません。先週はトルコでサウジアラビアのジャーナリストがサウジ総領事館に入ったまま消息を絶っている事件が報道されました。ロシアでは永い間ジャーナリストが殺害される事件が起きています。

これらの事件に共通するのは、殺害された記者の方々が権力者を批判または追及していたことです。ドラマや映画などで見ることはありますが、現実に起きていることに小市民の僕としては驚かされます。しかし、よくよく考えてみますと、ドラマや映画になること自体がそれらの事件が現実に起きていることを示しているとも言えます。

ジャーナリストの使命は世の中で起きていることを社会に伝えることですが、その立ち位置の視点が権力者側にあるか生活者側にあるかで内容は変わってきます。もちろん、楽なのは権力者側の視点で伝えることです。しかし、それではジャーナリストの意味がなくなってしまいます。

権力者にしても生活者にしても、自分たちに「理がある」あることを訴えたいはずですが、権力者と生活者の力の関係からしますと圧倒的に権力者のほうが有利です。最近のジャーナリストの殺害はそれを示しています。この力の不均衡を修正するためにジャーナリストが存在する意義があります。そのジャーナリストに危害が加えられている現状は社会が不安定になるきっかけになりそうで不穏な空気を感じます。

日本はまだジャーナリストに危害が加えられるほど危険な社会ではありません。ですが、少しずつ少しずつジャーナリストへの圧力が強まりそうな雰囲気を感じます。もちろん、生活者の視点のジャーナリストに対してです。

いわゆる御用記者の方々が権力者寄りの報道をするのは当然ですので、生活者の視点のジャーナリストの方々の取材が制限されないようになる社会を望んでいます。そのためには生活者である私たちが関心を持つことが大切です。特に、多くの若いごく普通の人たちが政治や経済に関心を持つことが大切です。自由に暮らせる社会を作るのは国民一人一人の意識にかかっているといっても過言ではありません。若い皆さん、社会に関心を持ちましょう。

…てな、ことを思っている僕は昨晩「三度目の殺人」という映画を見ました。僕は「誰も知らない」以来の是枝監督ファンですが、なんとも重苦しい映画でした。基本的に、是枝監督の作品は弱者に寄り沿う映画が多く、観る人に考えさせる内容がが多いですが、今作は特にその傾向が強かった感があります。

結末が断定的に描かれていないのが大きな理由ですが、観る人により真実が異なっているように想像します。それにしてもこの映画にはいろいろな要素が積め込まれていました。古い話になりますが、かつて大手食品会社が起こした偽装牛肉事件も入っていましたし、古くて新しい問題である家族間の事件も入っていましたし、法曹界の問題点についても描かれていました。

僕的には、少し積め込み過ぎのような印象を持ちましたが、是枝監督がこれまで生きてきた中で、自分の中に溜まっていた問題を作品に入れたかったのかもしれません。裁判を扱った映画に周防監督の「それでもボクはやってない」という作品があります。この作品は冤罪について追及する内容でした。それに比べますと、「三度目…」は法曹界全体を俯瞰した問題提起のように思います。是枝監督は法曹界に対しても違和感を持っているのでしょう。

さらに深く考えますと、是枝監督は法曹界というよりも「人が人を裁く」という制度自体に疑問を投げかけているように思います。容疑者である三隅が意見を二転三転させているのはその制度の問題点をあぶりだすためとも取れなくもありません。死刑判決を受けたにもかかわらず裁判のあとに両手で重盛の手を握り締めて「ありがとうございました」とお礼を言う行為がそれを物語っているように思いました。

是枝監督は死刑廃止論者のようですが、この作品はまさにそれを主張しているとも取れます。「三度目」とは死刑制度のことです。このような作品を観ますと、僕はどうしても冤罪になりかかった事件を思い出します。

大きな事件でしたので覚えている方も多いでしょうが、2009年に起きた郵便不正事件です。この事件は一つ間違っていたなら冤罪になるところでした。なにしろ検察官が証拠を改竄していたのですから恐ろしい事件です。最初に結果ありきで捜査を進めるのですから公正な捜査が行われるはずがありません。

あと一つ思い出すのは1994年に起きた松本サリン事件です。このときは事件が起きた近くに住んでいた河野義行さんという方が容疑者として取り調べられました。河野さんの著作を読みますと、やはり結論ありきで捜査が行われていたようですが、このようなやり方で真犯人を捕まえられるはずがありません。河野さんの潔白は、翌年にオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたことで証明されましたが、もし地下鉄サリン事件が起きていなかったなら河野さんが犯人にされていた可能性もあります。

冤罪とは違いますが、裁判に関連して思い出すのは、現在は「知の巨人」として活躍している佐藤優氏です。佐藤氏の著書『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を読みますと、裁判というものが公平でないことを痛切に感じてしまいます。この本で「国策捜査」という言葉を知りましたが、人が人を裁くことの難しさを思わずにはいられません。

「国策捜査」という言葉から想起されるのはホリエモンこと堀江貴文氏や元通産官僚で投資家の村上世彰氏です。どちらも見せしめの意味合いがあったように感じるのは僕だけではないでしょう。

米国では来月中間選挙がありますが、僕が不思議なのはトランプ大統領を批判する報道があれだけあるにも関わらずトランプ大統領が居続けていることです。共和党の中からも批判的な意見が出ている中でトランプ氏が大統領でいるのが不思議でなりません。海を渡って伝えられる報道は真実なのでしょうか。本当に大統領に相応しくない人であるなら中間選挙では民主党が勝利するはずです。

もしかしたなら、来月の米国の中間選挙は民主主義が機能するのかを計るバロメーターになるかもしれません。

じゃ、また。

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2018年10月07日

<研究者>

先週は、京都大学の本庶佑教授がノーベル賞を受賞したことで盛り上がりましたが、2012年に受賞していた山中伸弥教授によりますと「遅いくらい」だそうです。僕が見ていた夜のニュース番組に出演して話していたのですが、その話の中で少し驚いたことがありました。

僕の驚きは本庶氏や山中教授だけに当てはまるのではないのですが、あれだけ高度で奥深い研究をする立場の人がゴルフをしていたことです。僕の勝手なイメージでは研究をするような人は日々実験や考察に明け暮れていて趣味などをする時間がないと思っていました。例えば、野球の大谷選手が野球の練習そっちのけでゴルフをしている姿はなんとなく想像ができません。そんな感覚です。

山中教授はマラソンを趣味としていることでも知られていますが、そのような時間があることも不思議に感じていました。あれだけ奥深い研究をしながらマラソンもしてゴルフもして、そのうえに人付き合いもしています。これは有名人に共通していると思いますが、顔が広いので人付き合いをする相手がたくさんいることになります。そうした時間を確保するのも大変なはずです。どんなに偉い人でも与えられている時間は1日24時間です。

本当に頭脳明晰で優秀な人は時間の使い方がうまいという共通点があります。「使い方」というよりは「処理能力」のほうが正確な言い方かもしれません。例えば、本やレポートを読むのに要する時間が凡人なら1時間かかるところをわずか10分で読み終える感覚です。こうした処理能力がすべての面において発揮されますので凡人よりもたくさんいろいろな経験をできることになります。こうした点が凡人と偉人の大きな違いのように思います

こうした偉人の凄いところは処理能力だけではなく時間の割り当てにも優れていることです。単に早く処理すべきことと効率よりも過ごしている時間を大切にすることを分ける能力です。わかりやすく言いますと、本やレポートを読む作業はできるだけ短時間で処理しても友人や知人とお酒を飲む時間などには速さを求めない姿勢です。こうしたメリハリをしっかりとつけられる人が偉人になれるようです。

先のニュース番組で山中教授が興味深い話をしていました。本庶教授が受賞したことでオプジーボというガンに効く薬が一気に注目されました。オプジーボについては以前よりガンの治療薬としてマスコミなどで報じられていましたが、この薬の難点は価格がかなり高額なことです。一般の人では絶対に購入できないほど高価な薬でした。当時、僕などは「病気も所詮はお金持ちに有利なんだよなぁ」と思っていたものです。

それが最初は皮膚ガンで保険適用になり、その後肺ガンでも適用となりさらにいろいろなガンに適用されるようになっていきました。これ自体は一般庶民にとりますと朗報ですが、健康保険組合にとっては死活問題です。ご存知のように健康保険には高額療養制度というのがありますので受診者は最高でも一ヶ月に9万円弱の支払いで済みます。それ以上は負担しなくてよいのです。残りはすべて保険組合が負担してくれます。受診者は助かりますが、保険組合の財政は大変です。

それはともかく、山中教授がニュース番組で話していたのは「僕の親友である平尾誠二さんには薬が効かなかった」ということです。今回、オプジーボが注目されたことで病院に問い合わせが増えているそうですが、命に係わる病気ですので当然です。しかし、この薬は2〜3割の人にしか効果がないそうです。原因はまだ解明されていないのですが、残念ながら平尾さんには効果がありませんでした。山中教授はそのことを話していました。

この話を聞いて僕はこれまで感じていた一つの疑問が解消されました。それは平尾さんの訃報に際して病名が公表されなかったことです。今はネットなどでも書いてありますが、当時は病名は伏せられていました。僕にはそれが不思議でならなかったのです。

今回、山中教授が「薬が効かなかった」という話をされていましたが、平尾さんが病名を公表しなかったのは、ここに理由があるように思います。山中教授は平尾さんとの対談本を出版するほど親しいのですから、病気になってすぐに山中教授にも相談しているはずです。そうなりますと当然オプジーボの投与も行っているはずですので、山中教授にも責任の一端が生じることになります。平尾さんや遺族の方々それを心配して病名を公表しなかったのではないでしょうか。あくまで僕の勝手な想像ですが、このように理解しますとすべてにおいて辻褄が合います。ずっとのどに小さな骨が刺さっていた感じでしたのでスッキリしました。

世の中の進スピードが速いですのでもう忘れている方も多いでしょうが、2014年にノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏という方がいます。中村氏は青色発光ダイオードを発明したことで受賞したのですが、この方の本には僕が想像していた研究者の生活が書いてありました。僕がこの方の本を読んだのは17〜18年前ですので僕が研究者に対して持っているイメージはこの本の影響かもしれません。

山中教授や本庶教授は大学に勤めていますが、中村教授は普通のサラリーマンでした。のちにアメリカの大学に転職するのですが、青色発光ダイオードを発明したときは日亜化学工業という企業のサラリーマンでした。中村氏の本を読みますと、日亜化学工業に対する怒りが伝わってきます。中村氏はノーベル賞を受賞したときに「怒りが研究を続けさせた」とまで話していました。この言葉で怒り具合がわかるというものです。

中村氏は青色発光ダイオードの発明の対価について日亜化学工業と裁判で争っていました。ものすごい発明をしたのに「報酬があまりにも低い」という理由です。あまり詳細を書きますとページが足りなくなりますので端折りますが、研究を続けている間は会社に全く貢献していないことになります。発明に成功したので研究が活きたことになりますが、成功しなかったなら資金を捨てたことになります。

中村氏からしますと、できるだけお金を節約するためにというか社内からの反発もあり実験道具も自分で作ったという言い分があります。中村氏の本にも書いてあるのですが、社内からの反発はかなり激しいものがありました。普通なら研究を続けられないほどです。それを継続できたのは創業者が後ろ盾になっていたからです。もし、研究に理解のある創業者でなかったなら青色発光ダイオードの発明はできなかったかもしれません。

ちなみに、中村氏と日亜化学工業の裁判は現在は和解しています。どちらかと言いますと、中村氏が「あきらめた」という印象です。日本の裁判ではそれが限界のようでした。

今回本庶教授が受賞会見で「基礎科学の重要性」を説いていましたが、これは基礎科学が重要視されていないことの裏返しです。本庶教授の指摘は誰が聞いても的を射ていると感じるでしょうが、なぜ重要視されないかという点が抜けているように思います。

端的に言いますと、成果がすぐに出ないからです。そして、成果が出ないことがなぜいけないかと言いますと、それは「研究をしている」のか「サボっている」のかわからないからです。専門家でない人が見抜くのはほとんど不可能です。この問題を解消しない限り基礎科学の研究を続ける環境を作るのは難しいように思います。

僕なんて、妻に呼び掛けても返事をされないとき、普通の精神状態なのか怒っているのかわからないです。僕の妻って、面倒くさいと返事をしないんですよねぇ。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 14:56 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月30日

<指導者>

僕は今、庭師のような仕事もしているのですが、ある日集合住宅のベランダ側にある植栽を整えていました。すると、2階のベランダのほうから怒鳴り声が聞こえてきました。それはそれはすごい剣幕で怒鳴っているのですが、よくよく聞いていますと

「なんで、1(いち)と6/6(ろくぶんのろく)がおなじだってわからないの? おかしいでしょ!」

怒鳴り声の主は女性です。僕の推測ではお母さんが低学年の小学生に算数を教えているようでした。僕からしますと不思議でしかないのですが、ずっと怒っているのです。このように怒られながら教えられては、恐怖心でわかるものもわからなくなります。

ときたまお父さんらしき人の声も聞こえてきましたが、お父さんの話し方は言い含めるようにやさしく穏やかな声でした。お父さんがそうであるだけに、お母さんのヒステリックな声が強く印象に残りました。男女差別と言われそうですが、女性はすぐに感情的になる傾向があるように思います。あのお子さんは大丈夫だったでしょうか…。

実は、僕にも同じような経験があります。僕の場合は国語だったのですが、小学生の頃に母親が僕に勉強を教えている光景が今でも思い出せます。母もとにかく怒っていました。僕ができないことがよほど頭にくるようで、頭ごなしに怒鳴っていました。一応断っておきますが、普段は優しいお母ちゃんでした。一人息子の僕でしたのでとてもかわいがってくれていました。そのお母ちゃんが勉強を教えるときだけ怒り狂うのです。

一番印象に残っているのは「新聞」という漢字です。僕が「新聞」という漢字がわからないでいると、「朝刊を持って来なさい!」と命令しました。そして、「ほら、よく見て!」と怒るのです。僕としては、恐くてどこを見てよいのかわからないのですが、そうした僕の反応がお母ちゃんにはまた苛立つようで「このバカ! 書いてあるでしょ!」と怒るのです。しかし、僕はやはり恐怖心でどこを見てよいのかわからないのです。業を煮やしたお母ちゃんは我慢できなくなったようで人差し指で新聞の上のほうに書いてある「〇〇新聞」の文字を指して「ここでしょ! なんでわかんないの!」とのたまうのでした。僕の幼少時の悲しい思い出です。

車の運転をするときだけ人格が変わる人がいます。普段は温厚で優しい人がハンドルを握ると性格が一変するのです。理由はわかりませんが、エンジン音がなにかを変えるようです。本来、このような人は車の運転には不向きです。車は使い方を間違えますと、凶器になりますのでこのような人は間違いなく車を凶器にしてしまいます。ハンドルを握ってはいけない人です。

同じことが、教える立場にいる人にも当てはまります。教えているうちに自分を見失うのです。先ほどのお母さんもそうですし、僕のお母ちゃんもそうです。このような人は教えることに向いていませんので教える立場になってはいけません。

しかし、世の中はすべて理想どおりにいくとは限りません。また「教える」ことに対する理解が社会に浸透していないという現実があります。今年に入りスポーツ界で起きているたくさんのパワハラ問題はまさしく「教える」、言葉を変えるなら「指導する」もしくは「コーチング」の重要性を認識していないことが原因です。

昔から「名選手、名監督にあらず」と言いますが、これはコーチにも当てはまります。名選手が教え方もうまいとは限りません。場合によっては、自分のやり方を無理やり押しつけるという弊害を生むこともあります。名選手になった人が成績を残せたのは当人の肉体や精神的な要素があってこそです。それらの要素が全く異なる他人に当てはまる保証はどこにもありません。それを理解せずに、教えたり指導されてしまっては教えられるほうは溜まったものではありません。

野球界における指導者と選手の対立について、僕はこれまでに野茂英雄投手と鈴木啓二監督の軋轢を紹介したことがあります。しかし、今の若い人の中には知らない人も多いので今回は菊池雄星投手と大久保博元コーチの軋轢について紹介したいとも思います。

事件が起きたのは2010年です。今では菊池投手はライオンズの立派なエースですが、当時はまだ2軍で練習していました。大久保コーチはそのときの2軍のコーチだったのですが、そこで大久保コーチが菊池投手に暴行したことが写真週刊誌に報じられ、大久保コーチは解任されました。

球団の対応を不服とした大久保氏は裁判まで起こすのですが、裁判の最中に「自分に非があること」気づき、裁判を取り下げました。そして、2016年に大久保選手が直接菊池投手に謝罪し、二人は和解をしています。僕は元々大久保選手に好感でしたので事件が報道されたときは残念な気持ちになりましたが、そのあとの展開を知って喜んでいます。

実は、この話にはあと一人重要な人物がいます。それは当時のライオンズの監督だった渡辺久信氏です。渡辺氏は監督を退任後、ライオンズのフロントに入っていますが、大久保氏と菊池氏の和解を取り持ったのは渡辺氏でした。

解説者となっていた大久保氏がライオンズに取材を申し込んだときに、渡辺氏が「菊池に謝ってくれないか?」と打診したそうです。大久保氏は快諾し、お互いが謝罪をして和解を果たすことができました。おそらく渡辺氏は二人の関係をずっと気にしていたのでしょう。僕はそこに渡辺氏の人格の素晴らしさを見ました。

渡辺氏は現役時代にエースとして大活躍もしましたが、取りてて素晴らしい記録を残しているわけではありません。渡辺氏は台湾球界でも活躍しているのすが、俗な言い方をしますと苦労をしています。渡辺氏の素晴らしい人格はその苦労から培われたと僕は思っています。

大久保氏は裁判をしている中で自分を見つめなおすことができ、自分の至らなさに気がついたからよかったですが、未だに監督またはコーチという立場の本当の役割を理解せずに指導者の立場にいる人がいます。指導者は自分の考えややり方を押しつけるのは仕事ではありません。指導者は選手の力を伸ばすのが仕事です。それを勘違いしてしまいますと、本来なら逸材であるはずの選手が力を発揮できないことになります。

コーチについて考えるとき、僕はメジャーで活躍している大谷翔平選手を思い浮かべます。大谷選手には特別なコーチ、つまり師匠のような存在はいないように見えます。練習はすべて自分で考えコントロールしているようです。なぜなら、メジャーへ行っても活躍しているからです。そして、このことは現在メジャーで活躍しているすべての日本人選手に共通していることです。特別なコーチがいるわけではなく、自分で練習のやり方をコントロールしています。コーチに無理やり練習させられているのではなく、自ら考え自ら管理している姿勢が共通しています。

成功している選手はコーチなどの力に頼らず、自分で練習を管理しています。こうした事実を見ていますと、細かいことまで教えようとするコーチは必要ないということになります。指導者になろうとする指導者ほど迷惑な存在はありません。現在、指導者の立場にいる人はそのことを理解することが必要です。

実はこれって、すべての業界に当てはまるんですよ。どの業界にも上から目線で偉そうに振舞っている人っていますよねぇ…。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:38 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月23日

<デジタル機器>

僕は数年前から好きな音楽をYouyubeからダウンロードして楽しんいますが、残念なことにYoutubeにアップされていない楽曲もあります。僕の好きな曲ベストファイブの一つにサザンオールスターズの「真夏の果実」があります。この楽曲を本人の声で歌っているものを録音したいとずっと思っていたのですが、実現できないでいました。

桑田さん本人ではなく、ほかの人がカバーした「真夏の果実」は録音しているのですが、僕は桑田さんのあのしわがれた声が大好きですので満足することはできませんでした。1ヶ月に1度くらいの頻度で本人の声でアップされていないかをチェックしていましたが、出会うことがありませんでした。

ところが、先日Youtubeではなかったのですが、本人の声で歌っている「真夏の果実」に出会うことができました。僕は大喜びですぐに録音をすることにしました。僕がネット上の楽曲を録音する方法はオンラインでダウンロードするツールを利用する方法です。このツールは無料ですのでとても便利なのですが、欠点は楽曲によっては制限がかけられていてダウンロードができなことがあることです。残念ながら「真夏の果実」はダウンロードできない状態になっていました。

しかし、本人の声で歌っている「真夏の果実」をネットで見たのも初めてです。簡単にあきらめるわけにはいきません。そこでスマホの録音アプリを使って録音することを考えました。僕は昭和の人間ですが、昭和の人間がテレビから流れてくる好きな歌を録音しようと思ったときはテレビの前にカセットデッキを置いて録音するのが普通でした。もちろん雑音が入らないように家族には絶対に静かにしてもらっていました。

今の若い人からしまうと笑い話にしか聞こえないかもしれませんが、これしか方法はがなかったのです。この方法の最大の欠点はどんなに家族に静かにしてもらっても音質がよくないことです。如何せんテレビの音が出るスピーカーの前にカセットデッキを置くだけですので音質が悪くなるのは仕方のないことでした。

このような経験がありましたのでパソコンのスピーカーの前にスマホを置いて録音するやり方もちょっと無理があるかな、とは思っていました。そして、実際にやってみますと、案の定予想以上に音質が悪い状態の録音がされていました。

そこで次に考えたのはイヤホンジャックからコードを使ってスマホに録音させる方法です。ところが、人間の耳につながるイヤホンコードは持っていましたが、両方がピンになっているコードは持っていませんでした。「困ったな…」と思っていますと、ある考えが浮かびました。

「わざわざスマホで録音するんじゃなくて、パソコンの録音ソフトで録音すればいいんじゃん!」(江戸っ子の口調で読んでいただくとうれしいです)

僕は期待に胸を膨らませ、パソコンに入っているレコーダーを起動しました。そしていよいよサザンの楽曲をスタートさせ、録音開始のボタンをクリックしました。最初は練習のつもりでしたので1分ほどでやめて、録音したファイルを再生することにしました。

僕はじっと耳を澄ませ、イントロの音が出てくるのを待ちました。しかし、待てども待てども一向に音が出てこないのです。悲しいことに録音はなされていなかったようです。

僕は考えました。以前自分の声をマイクを通して録音したことがありますが、そのときは無事に成功しています。それが今回録音できていないということは「音源の設定に問題があるのではないか」と推測しました。そこでググってみますと、やはりミキサーをオンにする必要があることがわかりました。そこにはやり方も書いてありましたので説明どおりに設定し、最初に戻って「真夏の果実」を録音しますと、実にきれいに録音されていました。大成功です。

今回、このやり方を知ったのは大きな意義があります。これまでもダウンロードしたい楽曲があった場合でも制限がかかっておりダウンロードできないことが多々あり、あきらめていました。しかし、今後は楽曲さえ見つけられたならダウンロードの可否にかかわらず録音ができることになります。これで一気に世界が広がった気がしています。


あと一つ音楽を聴く関連で発見がありました。僕はスマホに音楽を入れていますので車内でたまに音楽を聴くことがあります。スマホのスピーカーは音量が小さいですので車内で聴くには物足りない感じがありました。そこで知ったのが100均で販売されているスマホの音量を大きくするグッズです。これが意外に便利で十分使える代物でした。

このようにして音楽を聴いていたのですが、僕のスマホには大きな問題がありました。それは、安物ですのでバッテリーの容量が少ないという弱点です。スマホで音楽を聴いていますと一気にバッテリーが減ってしまうのです。僕はそれが気になって仕方ありませんでした。そこで息子が使わなくなっていたデジタルプレーヤーを利用することを思いつきました。

しかし、デジタルプレーヤーは基本的にイヤホンで聴くものですからスピーカーがありません。そこで100均で売っている小さなスピーカーがありましたので試したところ、音量がとても小さく実用的ではありませんでした。やはりアンプが入っていませんとスピーカーの役割を果たせないようです。そこで、また考えました。

僕はコロッケ店を営んでいたときに店先に音楽を流していました。やはり店先は活気がありませんと暗いイメージになります。明るい元気な音楽は必要です。そのときに乾電池式の小さなスピーカーを買っていたのですが、そのスピーカーを車内に置くことを思いつきました。乾電池式でしたが、十分にスピーカーの役割を果たせる機能がありました。僕は満足していました。

ところが、使い始めて少ししますと今一つしっくりこないものを感じていました。スピーカーの大きさは縦横高さが3〜5センチほどでしたので助手席に前の物入れの中に入れていました。大きくありませんのその場所にすっぽりと入ってはいたのですが、場所をとることが気になりだしました。そこで、僕はまた考えました。

僕は今2代目のスマホを使っているのですが、2代目を購入する気持ちになったのは壊れたからではなく、ストレージの容量が小さかったからです。アプリで満杯になりヨーカドーのアプリの更新ができなくなっていました。そこで容量の大きい機種に変更することにしたのです。

つまり、前に使っていたスマホはまだ使える状態なのです。僕は前のスマホを音楽を聴く専用の機器にすることにしました。こうすることで新たにスピーカーを置く必要もなくなりましたし、機器の扱いに困ることもありません。実は、デジタルプレーヤーはとても小さいので指でタップするのがやりにくいという欠点がありました。車を運転しているときに使うには適していない大きさのように感じていました。それに比べてスマホですと、ごく普通に扱うことができますので気軽に音楽を聴くことができます。

現在は音楽を聴きながらのドライブを楽しんでおります。

以上2点、おじさんのデジタル日記でした。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:19 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月16日

<フィルター>

またしてもスポーツ界でパワハラ問題が表面化しました。日本ウエイトリフティング協会会長で女子代表の監督と日大駅伝部の監督です。あまりに連続で報道されますと、驚きも少なくなり感覚が麻痺してしまいそうです。スポーツ界のパワハラ問題は今年4月に女子レスリングの伊調選手に関して報じられたことがはじまりですが、収まりかけた問題を再燃させたのは女子体操界での女子選手の会見です。その事件が今週に入りパワハラ問題から権力闘争問題へと展開していきそうな雲行きです。

これはある程度予想された展開ですが、組織内においては権力闘争が起こるのは当然です。そこで重要なことは公平で平等で自由な組織にする人が勝利を収めるかどうかです。私利私欲の塊の人が権力闘争に勝利してしまいますと、その組織は活力を失い崩壊してしまいます。これは社会にも当てはまります。公平で平等で自由な環境は人間が集まる集団にとって最も重要な要因です。

マスコミが伝える内容もメディアにより異なっていることがありますが、これも問題です。女子体操界を例に挙げますと、あるメディアは女子選手側寄りの伝え方をし、またあるメディアは権力者側寄りの伝え方をしています。これでは一般の人はどのように判断してよいかわからなくなります。

あるコラムニストさんがスポーツ界のパワハラ問題について、「マスコミが逐一報じるのはやめたほうがよい」と話しているのをラジオで聞きました。コラムを読みますと、氏曰く「わたくしどもこのちっぽけな島国に暮らす小市民は、威張っているオッサンを寄ってたかって十字架にかけて晒すタイプの見世物が大好きなのだ」。

僕はこの意見に反対です。コラムニスト氏は女子選手が会見まで開かなければならなかった状況に考えが及んでいません。実は、現在ではこの女子選手の会見について「虐待される側の心理」という側面でとらえる報道もあります。つまり、この女子選手が暴力を使うコーチにマインドコントロールをされているという指摘です。この意見の裏側には、「マインドコントロールされている女子選手の主張は自らの本当の気持ちではない」という考えも見え隠れします。

しかし、そのことについて深く追求していきますと、話が広がりすぎてしまいますので今回はひとまず置いておくことにします。

さて、話を進めますと、女子選手が会見まで開かなければいけなかったのは組織内では解決できなかったからです。もし、コラムニスト氏が主張するようにマスコミが軽く簡単にしか報じなかったなら女子選手へのワハラはまだ続いていたでしょう。力の弱い者が力の強い者に立ち向かうにはマスコミの力を使うしか方法はないのです。コラムニスト氏はそのことに気がついていません。

僕は幾度か「戦争広告代理店」という本をコラムで取り上げていますが、この本は自らの意見を社会に伝えるに当たって、マスコミの力がどれほど大きいか、そして重要か、を教えてくれています。弱者が社会を動かすにはマスコミを利用する意外に方法はないのです。強者は権力やお金の力でマスコミを動かすことができます。しかし、弱者は権力もお金もありませんので、それ以外の方法でマスコミを動かす必要があります。それが会見であり、それをセンセーショナルに伝えるマスコミの力です。

もし、単に事実だけを伝えるだけなら次々に起きてくるる事件に流されてしまい、すぐに忘れ去られてしまいます。忘れ去られることは、伝えなかったことと同じです。ですから、マスコミが「威張っているオッサンを寄ってたかって十字架にかけて晒すタイプの見世物」な状況にするしか術はありません。

さらに言いますと、民主的な社会における権力者は「寄ってたかって十字架にかけて晒すタイプの見世物」にされる覚悟が必要です。それは権力者の社会的責任でもあります。それほど権力というものは大きな力を持っているという自覚が求められます。

今、大手企業ではセクハラやパワハラについて研修などが行われていますが、その背景には昭和時代の感覚の上司がたくさんいるからです。根本的な感覚を変えることが必要だからですが、同じことがスポーツ界でも必要のようです。

スポーツ界はビジネス界よりもパワハラが起きやすい環境です。おそらく過去にはパワハラにより辛い経験をした方もいるでしょう。究極的には、どのような業界であろうとも全員が光を浴びることはできません。社員全員が部長になれるわけではありませんし、取締役、社長になれるわけではありません。また、全員が金メダルを取れるわけではありませんし、代表に選ばれることはあり得ません。

このように組織には階層が生じますが、その際には必ず評価されるというフィルターがかかります。そのフィルターは絶対に公平であり平等である必要があります。これが担保されなければ相応しくない人が権力を持つようになってしまいます。

そして、権力者に相応しいかどうかを評価するものさしとして「寄ってたかって十字架にかけて晒すタイプの見世物にされる覚悟」があります。これまでのスポーツ界は権力者に相応しいかどうかを判断するフィルターが欠けていたように思います。それが今、いろいろな分野でパワハラ問題が噴き出している原因です。

今後もまだ続く可能性がありますが、いっそのことこの機会にすべての分野で噴出したほうがよいように思います。おそらく今のそれぞれの分野で権力を持っている人はほとんどが昭和時代の感覚でいるはずです。それこそマインドコントロールではありませんが、光を浴びることができなかった人も、当時は「それで当然、もしくは仕方ない」と思い込んでいた可能性もあります。

今後は、権力者になる人は公平で平等なフィルターにかけられた人が就くようなシステムを作ることが大切です。しかし、そうしたシステムができたからと言っても必ず理想の社会になるとは限りません。

米国は民主国家で選挙で大統領が決まりますが、今の大統領は平等で公平な思想の持ち主とは思えません。なのに、強烈に支持する人がいます。僕が不思議なのは、超お金持ちで資産家階級に属する人を支持する一般の人たちです。超お金持ちの人は一般の人々から利益を搾取している人です。それなのに、なぜ支持するのか。

やはり、ここにも宣伝広告の影が見えてきます。宣伝広告によって本来とは異なったイメージが発せられています。かのヒットラーもゲッペルスという有能な宣伝相の力が大きくサポートしていました。

 皆さん、宣伝広告には注意を払いましょう。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:44 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月09日

<プロの目利き力>

先週は大規模な自然災害が2つも起きました。関西地方を襲った台風21号は強風のすさまじさを見せつけましたし、北海道の地震では頑丈そうに見える大地がいとも簡単に崩れることを教えられました。やはり自然の脅威は人間の想像を超えたものがあります。

このような災害が起こるたびに、海外からは整然と店の前に行列を作っている国民性を評価する声が聞こえてきます。ほかの国では略奪や暴動が起きても不思議ではないそうで、真面目で実直な日本人資質が賞賛されています。

このような映像を見るたびに日本に生まれてよかったと実感しますが、そうしたこととは別に、ニュースの映像を見ていますとスマホのカメラ機能の高さを感じます。台風での災害では大きなトラックが強風で横倒しになる様子やビルの屋根が吹き飛ばされる強烈さはスマホならではの映像です。現場で実際に体験しているからこそ伝えられる臨場感がありました。

スマホが登場する前は、事故現場などの映像はマスコミの人が撮影するしか方法はありませんでした。ですが、実際問題としてマスコミの人が駆け付けたときは最も厳しい状況が終わったあとです。映像で最も強いインパクトを伝えるのは最も激しい状況の映像です。その意味で言いますと、マスコミの人が伝える厳しさのピークを過ぎた映像はインパクトがある映像とはいえません。それに比べますと、厳しい状況の現場で撮影しているスマホの映像には敵いません。速報性と衝撃性の観点で考えますと、スマホの登場はとても大きなものがありました。

*****

僕はおじさんですのでSNSというのはあまり得意ではありません。というよりもあまり好きではありません。ですので、ツイッターもfacebookもアカウントは持っていますが、今一つ使い切れていない部分があります。特にツイッターに関しては「どうして、いちいちつぶやかなくちゃいけないんだ」という思いがあります。

このようなひねくれた性格ですのでSNSの世界に疎いのですが、数ヶ月前にたまたま僕の知らない世界に触れる機会がありました。そこで知ったのが「はあちゅうさん」とか「かっぴーさん」とか「イケダハヤトさん」といった方々ですが、僕が知らなかっただけでネットの世界では著名人のようでした。本当に世の中には自分の知らないことがまだまだたくさんあるものだと実感した次第です。

時を同じくして知ったことがツイッターの有用性です。僕はツイッターは単なるつぶやきツールと思っていましたが、今の時代はツイッターは広告宣伝またはマーケティングに欠かせないツールとなっているようでした。そうなのです。宣伝に長けている人たちはツイッターを使って自分というブランドを確立または拡散しています。

その流れの延長で知ったのが、今出版業界を席捲している若い編集者でした。箕輪 厚介さんと言う方ですが、出版業界または若いネット利用者の間では有名人だそうです。有名になった理由はヒット作を連発しているからですが、与沢翼『ネオヒルズジャパン』や堀江貴文『多動力』、見城徹『たった一人の熱狂』などがあります。また、箕輪サロンという集まりも有名だそうです。

箕輪さんの言葉で印象に残る言葉が「熱量がある」という表現ですが、売りたいという強い気持ちが本を作る際には一番重要なようです。箕輪さんは以前は双葉社にいましたが、現在は幻冬舎に在籍しています。箕輪さんのインタビューを幾つか読みましたが、箕輪さんを見ていますと、若い頃の見城徹氏に似ている印象を受けました。わざわざ言う必要もないでしょうが、見城氏は幻冬舎の社長さんです。

お二人に共通しているのは売れそうな雰囲気を察知する感性です。そして、おそらく編集者という職業にはこの感性が最も大切なのでしょう。

*****

僕が子供の頃は、ほとんどの小学校に二宮金次郎さんが背中に薪を背負って本を読みながら立っていました。二宮さんは勤勉の象徴的存在ですが、僕は大人になってから二宮さんのほかの面を知ることになりました。なにかの人生指南本だったと思いますが、

「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」

という箴言に出会いました。

この箴言に出会ったのは僕が独立してラーメン店を営んでいたときでそこそこ儲かっていたときです。当時は、グルメ番組が隆盛で実際の現場とテレビの伝える内容があまりに違っていることに憤りを感じていました。飲食店の浮沈がテレビ業界に影響されていることが納得できなかったのです。「売れさえすれば、どんな方法でも構わない」という風潮がまかり通っていたことに我慢がなりませんでした。

その頃の僕は「売上げよりも、売り方が重要だ」と考えるようになっていました。つまり、正々堂々と売ることにこだわりを持っていました。事実を誇張したり消費者を惑わすような宣伝方法で売上げを作るのは間違いだと思っていました。そのときに出会ったのが「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」でした。

どんなにきれいごとを並べて、格好いいことを言っていても赤字経営をしていてはなんの意味もありません。会社員でしたら毎月決まったお給料がもらえますが、自営業者は赤字では生活ができません。僕は十数年後に廃業することになるのですが、この言葉の厳しさを嫌というほど味わいました。

*****

テレビ業界ですとプロデューサー、出版業界ですと編集者になりますが、こういった人たちは世の中に伝えたいことを出力する権限を持っています。インターネットの登場で誰でも情報発信ができるとは言われますが、多くの人の目に触れるという意味ではプロデューサーや編集者の立場の方はやはり圧倒的に強いものがあります。

こうした状況の中で、世の中へ作品を出品する権限を持っているプロデューサーや編集者の方々には社会的責任があるはずです。社会に貢献する本を送り出すという責任です。一般の人が情報を発信することとプロと言われるプロデューサーや編集者が情報を発信することの一番の違いは作品を評価する目利き力です。

もちろん「経済なき道徳は寝言」ですから、赤字になっては意味がありませんが、経済だけを追い求めて作品を選ぶのは間違っています。プロデューサーまたは編集者という仕事は社会に与える影響が大きいですが、だからこそ仕事に対する責任も大きくなるはずです。

一般の方が映したスマホの映像がテレビで放映されるのを見ていて感じたことでした。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:29 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月26日

<感動>

残暑お見舞い申し上げます。本当に暑い日が続きます。実は、僕は体温が低いようでほかの人が暑いと感じるときでもあまり暑さを感じない体質です。昨年書きましたが、現在僕は寝るときは妻と部屋を別にしています。理由は、暑さを感じるレベルが違うからです。妻が「暑い」とクーラーをつけますと僕には寒く感じてしまうのです。ですので昨年から夏の期間は寝るときに部屋を別々にすることにしました。いわゆる夏の夜だけ家庭内別居ということになります。

実は昨年は居間のエアコンが故障していました。かなり年季の入ったエアコンでしたので、修理を依頼しようかどうか迷っているうちに夏が過ぎてしまったという状況でした。ですが、さすがに今年は新しいエアコンを購入する予定で、6月ころから考えていたのですが、今年の暑さを考えますと早めに購入しておいて正解でした。

今年はエアコンを購入する気持ちにはなっていましたが、具体的な日にちなどは特に考えていませんでした。それを6月に購入したのは、ある意味偶然です。

僕はたまに妻と一緒に大手家電チェーンに電機マッサージ機を利用するために行きます。よく見る光景だと思いますが、マッサージ機が並んでいて自由に試すことができる「あれ」です。あのマッサージ機は「試す」という名目で自由に利用できるのですが、日曜祭日は販売者がいて落ち着いて椅子に座ることができません。しかし、平日ですと誰もおらず、文字通り自由に利用することができます。

6月の初旬のある日、いつものようにマッサージを終えたあと、なんとなく「エアコンを見に行こうか」という話になりました。そのときは購入するつもなどなく下見をするというくらいの軽い気持ちでした。

売り場に行きますと、まだ夏本番前でしたのでほかにお客さんもおらず、僕たち夫婦だけでした。販売員さんも見当たらなかったので誰に気を遣うこともなく好きなように見て回っていました。すると、僕たちに気づいた販売員さんがさりげなく近づいて来て話しかけてきました。

「どういったエアコンをご希望ですか?」

こういうときお客の立場としてはしつこくつき纏われるのは抵抗があります。ですので「ええ、まぁ…」などとあいまいに答えていました。すると、この販売員さんは「なにかありましたらお声をおかけください」と離れて行きました。

販売員さんは40才くらいの男性でしたが、チェーン店の制服を着ていませんでしたので派遣の方のようでした。僕はこの男性のしつこい接客をしない姿勢に好印象を受けました。僕は商品を購入したり契約をするときは販売員さんとの相性を大切にします。僕はこの男性と相性が合うと感じました。

そこで僕はエアコンの選び方などを質問して、いろいろと話したのですが最初の印象どおりにこの男性が気に入りましたのでそのまま購入することにしました。このあと一気に夏がやってくることになり、エアコン購入は工事が思うようにできず苦労していると報じられていました。その意味で言いますとあのときに購入したのは大正解だったと思っています。

先週は、そのエアコンが効いた部屋でアジア大会を見ていたのですが、スポーツの素晴らしさを実感しています。どうして、スポーツってこんなに人を感動させるのでしょう。もしかしたらスポーツ大好き人間の僕だからかもしれませんが、水泳競技ではついつい大声で応援していました。

実は、アジア大会がはじまるまではさほど注目と言いますか関心も持っていなかったのですが、競技がはじまりますと僕の中で一気に盛り上がっていきました。この一因は日本選手が活躍していることにあるのは間違いありません。もし、競技の結果が芳しくなかったならこれほど興味も持たなかったでしょうし、関心も示さなかったように思います。

重要なことは結果を出すことです。結果が伴わない限り周りから注目されることもないでしょうし、感動を呼ぶこともありません。どこかのCMではありませんが、感動は「お金では買えないもの」です。

感動という言葉で僕が印象に残っている会話があります。記憶がおぼろげなのではっきりとした場面ではないのですが、それは「巨人の星」に出てくる牧場春彦君が誰かと話す場面です。「誰かと」とするのは記憶がおぼろげであるからにほかなりません。

巨人の星の主人公は「星 飛雄馬」ですが、牧場春彦君は星君と同じ高校に通う漫画家志望の青年でした。その牧場君が漫画家を目指していく過程で「感動」について考える場面がありました。牧場君は「感動」を「勝利をした人とか成功した人を見て憧れる気持ち」と考えていました。

ですので漫画で物語を作るときも「無理やりに勝たせたり、成功させる物語」にしていたのですが、「誰か」に「それは違うんじゃないか」と戒められるのです。その「誰か」は牧場君に「感動とは、別に勝利する必要もなければ、成功する必要もない」。感動とは「人の心を動かせることなんだ」と諭すのです。牧場君はその言葉を聞いて「目から鱗が落ちる」感覚を得て、その後漫画家としてステップアップして行くことになります。

巨人の星はスポーツ漫画の金字塔ですが、僕の中ではなぜかこの牧場君のエピソードが強く心に残っています。それにしてもここに出てきた「誰か」って誰なんでしょうねぇ…。自分でも知りたい気持ちになっています。どこかの編集者かな…。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:20 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月19日

<62回目の誕生日>

「おめでたい」のか、「悲しい」のかわかりませんが、本日は僕の62回目の誕生日です。あっという間の62年間でした。このコラムを書き始めておそらく14〜15年が過ぎましたが、毎週日曜日に書いています。ですから、年間で50回くらい書いていることになり、少なくとも14年ですのでこれまでに700回書いていることになります。そして、僕の記憶では誕生日とコラムが書く日が重なるのはそうなんどもありません。少し調べてみましたところ、2012年の8月19日が日曜でした。つまり、6年に一度くらいの割合でコラムと誕生日が重なることになるようです。

そこで、せっかくの誕生日とコラムの重なり日ですので、今回は62年を簡単に振り返る日にしようかな、と思います。しかし、「ただ振り返る」だけですと、取り留めもないことになりますのでなにかしらテーマを決めることにしました。

いろいろ考えた結果、僕が物心ついたときとテレビが普及した時期が同じですので、「僕が見てきたテレビ」をテーマに振り返りたいと思います。

僕が初めてテレビを見たのは5才の頃です。ですから、テレビが我が家にやって来るまでは外で遊ぶ以外にやることはなかったことになります。ラジオを聞いていた記憶はありません。当時、僕の家は田んぼが広がっているところの端に建てられていたアパートに住んでいました。やることと言ったら、稲刈りが終わったあとの田んぼで走り回ることくらいです。

ある日、父が『今日テレビを買ってくる」と言って出かけたのですが、持ち帰ってきたのは「ラジオだった」という記憶があります。テレビはまだ高価で買えなかったからです。若い皆さんもテレビやネットで昭和を振り返る番組やサイトなどで見たことがあるかもしれませんが、テレビが一気に一般家庭に普及したのは今の天皇陛下がご結婚をしたときと言われています。そして、東京オリンピックもきっかけになっています。当時の三種の神器は「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」で、それから新・三種の神器として「カラーテレビ (Color television)・クーラー (Cooler)・自動車 (Car)」が登場しています。

我が家は貧しかったので普通の家庭よりも数年遅れてブームがやってくるのが常でした。ちなみに、父は当時郵便局に勤めていたのですが、九州の田舎から出てきた学歴もない男性が安定した仕事を考えるとき公務員になるしか術はなかったように思います。

今では考えられませんが、その頃の公務員は薄給の象徴的な職業でした。公務員は解雇されることがありませんので、その代わりお給料を低くするという発想です。僕には10才くらい年長の従妹がおり、彼女は大手化粧品会社の工場に勤務していたのですが、高卒の彼女のほうが30代半ばの公務員男性よりもお給料が高かったそうです。ボーナスも含めますと、従妹の年収は父の倍くらいあったそうです。当時は、それくらい公務員のお給料は低いのが普通だったのです。

話は少し逸れますが、公務員のお給料がその後一気に高くなるのですが、それを実現させたのは田中角栄首相でした。田中氏は公務員の社会的地位を向上させることで官僚をコントロールすることに成功しました。

「逸れ」ついでに話を進めますと、政治家の能力は究極的には「官僚をいかにうまくコントロールするか」にかかっていました。なぜなら、いくら政治家が政策を決めたにしても実行するのは官僚だからです。しかも、実際は政策を決めるのも官僚が行っていたという事実があります。今ではなくなりましたが、かつては各省の事務次官が週に1回会議を開いて政策を議論し、決めていた時代がありました。それほど官僚は力を持っていました。

2009年に民主党が政権を取りましたが「失われた3年」と揶揄されるほど、失敗の烙印を押されてしまいました。その原因は「官僚をコントロールできなかったこと」に尽きると思っています。

「逸れ」が長くなってしまいました。話を戻します。

ある日、父が「今日、テレビを買ってくる」と言って出勤しながらラジオを持って帰ってきたのですが、そのときの落胆した気持ちは今でも覚えています。僕がテレビを見ることができたのは、隣の家にテレビがきたときです。晩御飯を食べ終わったあと、隣の家に行き正座をして見させてもらっていました。

僕が自分の家で初めてテレビを見た日のことは記憶にないのですが、僕の頭に強く刻み込まれているテレビの映像は「鉄人28号」が暗闇の中を「ノシ、ノシ」と歩いている姿です。もちろん白黒でしたが「鉄人28号の影が映し出されてから、音楽がはじまっていた」ように記憶しています。

次に覚えているテレビ番組は「スーパージェッター」です。流星号という空を飛ぶ乗り物を腕時計に向かって命令を出し、操るジェッターに夢中になっていました。ここから先もすべてアニメになりますが、「鉄腕アトム」「エイトマン」「狼少年ケン」「オバケのQ太郎」「ジャングル大帝」「魔法使いサリー」「マッハGoGoGo」、一応年代順に紹介しています。

この頃は小学生でしたが、この後中学生になってから登場するテレビ番組には少なからず自分の人格形成に影響を受けました。「ゲゲゲの鬼太郎」「巨人の星」「サイボーグ009」「サスケ」「妖怪人間ベム」「タイガーマスク」といったところでしょうか。いやぁ、書きながら懐かしんでおります。

夏休みになりますと、午前中にアニメを放送する時間があり、それを毎日見ていました。再放送でしたが、午前中の1〜2時間はテレビアニメに首ったけでした。

中学生になりますと、「ぎんざNOW」しか記憶にありません。夕方5時からのバラエティ番組でしたが、ここで関根勤さんとか小堺一機さんとか竹中直人さんなどを知ることになります。

この番組で僕が一番覚えている場面は「とんぼちゃん」というフォークデュオが出演したときです。「とんぼちゃん」は若い女性に人気のあるデュオで、歌い始める前のMCのときに自分たちのコンサートの告知をしました。そのときにたくさんの人にほしいという意味で「男性も女性も若い人もお年寄りも」と言ったあとに「足のない人も…」と続けてしまったのです。

このときは場内から軽い笑い声が起きただけだったのですが、歌い終わったあとに司会のせんだみつおさんから「不適切な言葉がありました」とお詫びの言葉がありました。ですが、そのとき二人は「そういうつもりで言ったのではないので…」といい訳めいた発言をしました。するとせんださんは真面目な口調で「いえ、しっかりと謝罪するべきですよ」と二人に注意をしたのです。

当時、せんださんはお笑いタレントとして活躍しており、今で言いますと出川哲郎さんのような立ち位置にいました。つまり、おちゃらけて笑いを取るのが本来の役割ということになります。そのせんださんが真面目な顔で二人に注意をしたのがとても好感で新鮮な気持ちになった記憶があります。

その場面は、僕が初めてテレビとかタレントについて考えるようになったきっかけになりました。このあと高校時代はクラブ活動に土日も含めて明け暮れていましたのでテレビの記憶はありません。夏休みもほとんどクラブ活動をしていたように思います。

こうして僕の中学高校時代までの人生が過ぎて行ったのです。あれから47年、あっという間の人生ですね。今週は誕生日特別コラムでした。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:46 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月12日

<一芸バカ>

今年も終戦の日がやってきました。戦争が終わって73年です。戦争体験を持つ人がどんどんといなくなることは戦争の悲惨さを実感できる人が少なくなることです。僕は経験主義者ですので、どんなことに対しても経験していない人が知識や想像だけで「わかったつもり」になることに不安を覚えます。

戦争の悲惨さをいくら訴えようが、実感として伝えられないのであればその「悲惨さ」は絵空事でしかありません。ですから、戦争が起こらないような社会にするには「悲惨さ」を実感してもらう方法を考えることが大切です。

*****

6月のサッカーワールドカップはフランスの優勝で終わりましたが、予選で敗退したドイツでは代表選手が政治的な問題で引退を発表する出来事がありました。マスコミでも報じられましたのでご存知の方も多いでしょう。ある有名な代表選手が自らの行動に対する批判に納得ができず代表の引退を発表しました。

簡単に経緯を説明しますと、トルコ系移民であるその選手がトルコの大統領と面会することになり、その際にその大統領に敬意を表す振る舞いをしました。その対応が物議を醸すことになったのです。なぜならその大統領は独裁的で国際的に批判されている大統領だったからです。

この騒動が起きた原因の一つは間違いなく大統領が選手たち(2人)との会談を広告として政治利用したことです。これが最も大きな要因です。有名で人気があったとはいえ、一サッカー選手が自分のルーツである祖国の最高権力者と面会することは礼儀的な面で考えますとよくある普通のことです。おそらくその選手たちは深い意味も悪気もなかったはずです。ですから、自然な気持ちで面会をし、そして自然な流れでユニホームにサインをして写真に納まったと想像します。

考えようによっては、大統領にはめられたと取れなくもありませんが、脇の甘さは指摘されても仕方ないように思います。繰り返しになりますが、その大統領は独裁的で国際的に批判されている指導者だったからです。

日本プロ野球の王貞治選手が世界新記録のホームランを打ったのは僕が大学生のときです。球場が沸き上がり盛り上がっているテレビでの映像を見て、僕はなぜか「王選手がホームランを打ってみんなが盛り上がっているのも、世界が平和だからだよなぁ」と思ったことを覚えています。

そうなのです。みんなが楽しい思い出を作り笑顔になれるのは社会が平和だからです。平和は大切です。

僕が小学校の6年生のとき、担任の森山先生は「日本は戦争に負けたあと、アメリカに占領されてよかったんだよ。もし、ソ連に占領されていたら今のような自由な社会にはなってなかったな」と話していました。なぜか、このときの森山先生の言葉が50年以上過ぎた今でも覚えています。

「学者バカ」という言葉があります。辞書によりますと「専門的な知識はあるものの、一般常識に欠けている人のこと」ですが、「一般常識」という言葉は「バランス感覚」と置き換えることもできます。

プロになるほどの技術を持ったサッカー選手は知名度は高いですし、自ずと影響力も大きくなります。これはサッカー選手に限ったことではなく、あらゆるスポーツ選手に当てはまります。一流のスポーツ選手はそのことを常に頭の隅も置いておく必要があります。

先のドイツの代表選手も自分の立場を考えるなら安易に政治家と交流するのは控えるべきでした。例え、悪意はなくとも結果的に大きな影響力が生じるなら控えるべきです。それを考えることが「バランス感覚」です。

*****

誰しも「戦争反対!」とは言いますが、「他国から攻められたときは戦うしかない」とも言います。「戦う」ことは紛れもない「戦争」です。

他国に侵略されて占領されたら「悲惨な」社会になる、だから「戦争しなければいけない」という結論になります。ですが、戦争状態になった社会はすでに「悲惨な」社会です。なぜなら、相手と戦うために軍隊が主導権を握る社会になるからです。

軍隊が主導する社会を最近のわかりやすい例えで言うなら「日大アメフト部」です。上からの命令は絶対に従わなくてはならず、できないときは自分という存在さえ危ぶまれる社会です。一般的に強豪と言われる学校の厳しい運動部はほとんどが当てはまりそうです。女子水球の日本代表のパワハラとか日大応援部のパワハラとか、次々にパワハラが明るみになってきていますが、基本的に厳しい運動部のほとんどはパワハラが前提の構造になっているように思います。

最近、ボンボン二世というポジションでバラエティ番組で活躍している著名人に長嶋一茂さんがいます。言わずと知れた長嶋茂雄氏のご長男ですが、一茂さんは「三流」という本を出しています。著者はほかの方で一茂氏および周りの方々に取材をして一茂さんという人間を浮き彫りにしている本ですが、この本には一茂さんの大学時代のパワハラが書いてあります。

もちろん、当時はパワハラという言葉などありませんが、一茂さんが先輩として後輩に行っていた行為は今で言うと明らかにパワハラでした。しかし、当時はそうした先輩の振る舞いが当たり前の時代でした。理不尽な先輩の言動に振り回され、苦しんでいる後輩たち。こうした構図がスポーツ界の姿だったのです。

戦争という状態では、社会はこのような理不尽な世の中になります。上の者に従うしか術はなく、それができないときは社会から存在が許されない立場に追いやられるのです。

他国から攻められたとき、「戦うしか方法はない」と考える皆さんはこのような社会になることを想像してください。理不尽な世の中は占領された「悲惨な」社会と大して変わらない環境です。そのことも考えたうえでどのように対応するのがよいのかを考えてほしいと思います。

いつまでも戦争が起きませんように…。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 14:40 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月05日

<職場のしわ寄せ>

東京医科大学が女子の受験生に対して一律10%の減点をしていた、という報道がありました。まだ真偽は定かではないようですが、そのほかの報道から鑑みますと満更ウソでもなさそうです。この不公平に対して各方面から怒りの声が出ていますが、普通の感覚からしますと至極当然の反応です。

かつて受験戦争という言葉が出始めた頃、マスコミ世論は「勉強だけで人間を計る受験制度は間違っている」という意見を正論のようにもてはやしていました。そのとき当時の中曽根首相が「受験戦争ほど公平で平等なものはない」と正反対の意見を述べていたのが印象に残っています。

中曽根首相の真意は「社会に出ると人間関係やいろいろなしがらみなどにより、実力以外の要素で人物評価が決まることがある。それに対し受験は自分が勉強するだけで評価されるのだからこれほど公平で平等なことはない!」というものでした。確かに、大人になり会社や組織で働いていますと、上司との性格の相性とか派閥だとか学閥などといった実力以外の要素で評価が決まる場面があります。もしかしたらその要因のほうが大きいかもしれません。それに比べますと、受験は自分が努力した結果だけで評価されるのです。それを聞いた当時、僕はやけに感心した覚えがあります。

社会が適切な評価がなされないで動いていくならその社会は必ず崩壊するでしょう。努力をした人間が評価されるのが理想の社会です。今、問題になっている日本ボクシング連盟などはその際たる例かもしれません。勝負の判定が実力ではなく社会的地位の高い人が恣意的に決めるのであれば、いったい誰が苦しく辛い練習をするでしょう。人が努力をするのは公正な審判が行われることが大前提になっています。わざわざ言うまでもありませんが、八百長は社会公正に反しています。

東京医科大学の女子受験生の一律10%減点が事実であったなら受験そのものが八百長ということになります。そのような受験のやり方がまかり通っていいわけがありません。

ですが、この報道で僕が気になったのが八百長をすることになった理由です。「女性は医師になったあとに、出産や育児で医者としての仕事から離れる確率が高いから」という理由です。これに対して「女性が働きやすい環境を作ることが必要」で「そういう努力をしているのか?」という反論が出ています。

もちろんこの反論は正論です。

いろいろなところで報じられていますが、現在の医療現場は働く医療関係者の立場からしますとブラック企業と変わらないそうです。医師もそうですし、看護師も同様です。では、なぜブラック企業化するかと言いますと人手が足りないからです。

僕はラーメン店を営んでいましたが、売上げが好調のときも含めて一番困ったのはパートさんアルバイトさんの確保でした。客席が10人くらいの規模のお店でしたら夫婦二人でお客様を捌くことはできますが、僕のお店は倍以上の客席がありました。ですから、最低でもあと一人の従業員が必要でした。ですから、突然休まれてしまいますとピークタイムはひっちゃかめっちゃかの状態で対応しきれませんでした。こうした状態が数日続いたならお店の評判はガタ落ちになり閉店に追い込まれても仕方なかったでしょう。それほど人員確保は大切です。

小さなラーメン店でさえ人員確保は重要な問題なのですから、人の命を扱う医療現場では尚更です。それこそ死活問題です。このような背景がある中で医師を育てる大学が入学の時点で性別で差をつけるのも理解できないでもありません。

僕が「理解できないでもありません」と思うのは、医師を養成する大学は「入学者がそのまま将来の働き手になる」という記事を以前読んでいたからです。女性は出産や育児で職場を離れる確率が高いのですから、そのリスクをできるだけ低くしようと考えるのは経営の面で考えますと当然です。

あるコラムニストの記事を読んでいましたら、最近の若い人が「経営者目線でものごとを見る、考えることの裏に隠れていること」を指摘していました。そこには「意識高い系の人によく見られる傲慢さ」が感じられるからです。確かに「傲慢さ」は人間性という観点ではいただけませんが、「経営者目線で仕事に取り組む」のは正しい向き合い方だと僕は思っています。

もし、ラーメン店で働いているパートさんやアルバイトさんがお店側の状況などお構いなしに自分の都合だけを優先させて働いていてはお店はやっていけません。病院も同様です。現在、どのような職場でも起きていると想像しますが、育児や子育て中の女性と独身またはお子さんがいない女性との関係に軋轢が生じているようです。いくら理想論を言おうが、現実問題として子育てをしていない女性たちに“しわ”寄せがいくのは事実です。そしてそれが職場に溝を作っています。

会社が倒産しないためには、結局だれかが“しわ”を受け入れる必要があります。それが許容範囲であればなんとか我慢できますが、限度を越えますとその組織は崩壊します。

現在、コンビニは生活に欠かせないインフラと言われるほどの存在になっていますが、コンビニが成り立っている一番の理由はフランチャイズ方式だからです。もし直営方式であったならとうの昔になくなっていたでしょう。なぜなら人員確保がままならないからです。フランチャイズ方式ですと、“しわ”は加盟店主が引き受けることになっていますので心配はいりません。

コンビニの“しわ”の最大の要因は24時間営業ですが、かつてローソンで社長に就任した新浪氏が24時間を見直そうとしたことがあります。しかし、実現できませんでした。そして今年ファミリーマートの新しい社長に就任した澤田氏も同じような発言をしました。しかし、その後進展はしていないようです。これがなにを意味するかと言いますと、誰かが“しわ”寄せを受ける状況を改善する方法が簡単に見つからないことです。

今回の医科大学における女子受験生に対する一律10%減点という八百長が起こる核心には女性が働きにくい職場になっている医師の世界があります。これを改善するのは先のコンビニと同様に簡単ではありません。コンビニの従業員は資格がなくてもできますが、医師は難関の資格を持っている必要があります。職場の改善の難しさはコンビニの比ではありません。

しかし、医師の世界のブラック化を解消し、女性医師が活躍できるようにする必要があります。そのためには旧態依然とした発想しかできない昔ながらの経営者ではなく斬新な発想を持った若い経営者が病院または医科大学の経営に携わる必要があります。

吉田拓郎さんは歌っています。

「古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう」

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:59 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月29日

<柔らかい発想>

僕はおじさんですので大分前に漫画を読まなくなりましたが、大人になってからも読んでいた漫画で最も印象に残っているのは「ドラゴンボール」です。ちょうどラーメン屋を営んでいたのですが、お店用に漫画を購入していた関係で「ドラゴンボール」を読むようになったと記憶しています。

当時は「ドラゴンボール」を読みたいがばかりにジャンプの発売日を楽しみにしていました。こうした気持ちは僕だけはなく当時の少年たちのほとんどが同じ気持ちだったように思います。その証拠に本来の発売日の前日に販売をしていたお店の情報が行きかっていました。すぐに売り切れてしまうので競って買いに走っていました。

僕の場合は毎週隣のコンビニで購入していましたので店主の方がジャンプが届いた日(本来の販売日の前日)にわざわざ教えにきてくれていました。ですから、僕はほかの人よりも1日はやく読んでいました。(笑)

ドラゴンボールを読んでいて、僕が「いいな」と思っていたのは悟空が暮らしていた地球ではいろいろな人間や動物や神様が一緒に生活していることでした。そこには差別などもなく平和で穏やかな社会があるように見えました。

しかし、現実の地球ではいつまで経っても争いが絶えません。その原因を考えますと、そこには人間の業があるように思います。「業」とは「自分だけが得をしたい」とか「有名になりたい」「賞賛されたい」といった欲です。この欲が世の中のすべての悪の根源です。

今から40年前学生だった僕は、世の中が公平で平等になるには共産主義とか社会主義も悪くはないのではないか、と思った時期がありました。しかし、その後共産主義は消滅してしまうのですが、その結果を見て学者でも評論家でも知識人でもない平凡なおじさんがたどり着いたことは「人間に業がある限り共産主義は成り立たない」という結論でした。

資本主義は人間の業を利用して経済を発展させようとするシステムのように平凡なおじさんには思えます。僕はコラムを書き始めて15年以上経ちますが、コラムを書き始めた頃僕は幾度か「修正資本主義」という言葉を書いていたように思います。僕がこの言葉を初めて目にしたのは経団連の会長を務めていた奥田 碩氏がマスコミのインタビューに答えていたときですが、「なるほど」と合点がいった言葉でした。

「修正資本主義」をざっくりと言ってしまいますと、「競争によって生じた格差を国策によって修正しよう」という考え方です。あれから20年近く経ちますが、残念ながら今の世の中は激しい格差社会になっています。競争に勝った人がその成果を手放したくないと思うのは当然ですので勝者が格差社会を支持することは理解できます。しかし、まだ勝者になっていない人が格差社会を受け入れる考えになっているのは不思議に思えます。

現在、労働組合の組織率はわずか20%前後です。僕には、この数字が若い人たちが格差社会を受け入れる心情になっていることを示しているように思います。労働者がみんなで経営側から果実を獲得しようと活動するのが労働組合です。こうした活動に積極的にならないのは「自分は勝者の側になる」という意識が働いているからです。と、想像します。

人間は労働に対する見返りがなければ働きません。「見返り」には金銭もありますし「賞賛される」とか「有名になる」といった精神的なものも含まれます。そういった見返りが経済を活発化させるうえで必要です。共産主義が崩壊したのは見返りがなかったからです。仕事を適当にやろうが一生懸命に働こうが見返りが一緒では誰も一生懸命に働こうとはしません。

しかし、現在日本ではボランティア活動が活発化しています。災害が起きますと若い人を中心に多くの人が支援に動いています。ボランティアですから見返りがないにもかかわらずです。ボランティアで得られるものは充実感でしょうか…。

今最も注目を集めている経営者と言いますと、やはりzozotownの創業社長・前澤友作氏でしょう。タレントとの熱愛報道も注目されていますが、僕が興味を持ったのは「競争はいらない」という経営哲学です。競争は資本主義の基本原理ですから競争のない社会は共産主義と一緒です。一生懸命働こうが普通に働こうが見返りが一緒では働く意欲が沸かなくなります。

ところが、zozotownでは社員のお給料が同じなのだそうです。「競争はいらない」という経営哲学の元で働くのですから当然と言えば当然ですが、疑問に思える部分もあります。

zozotownを運営しているのはスタートトゥデイという会社ですが、前澤氏は元々はバンドを組んでいたそうでレコードを輸入して販売したのがはじまりだそうです。つまり最初はバンドの仲間と会社を創業したことになりますが、こういうケースでよくあるのが仲間内の主導権争いです。わかりやすく言いますと、「誰が社長になるか」で揉めるのはありがちなトラブルです。

実は、創業時に仲間ではじめながらも業績が上がるに伴い仲間内で諍いが起きるのはよく見かける光景です。前澤氏はzozotownの成功によりマスコミに登場することが多いですが、創業仲間の動向について報じているメディアがありません。反対に言いますと、創業メンバーとの軋轢は影の部分と推察することもできます。

「競争はいらない」という経営哲学は理念としては理想的ですが、現実的ではありません。前澤氏は競争しない市場に展開すると話していますが、いくら自分が競争しない市場で展開していても競争相手が参入してくることもあります。競争相手が出てきたからといってそのたびにその市場から撤退していては企業として成長・存続するのは不可能です。上辺だけで伝えられることを疑いもなしに受け入れるのは危険です。真実を見抜く目を養うことが大切です。

*****

オウム真理教事件の犯人の死刑が執行されました。これを機にオウム真理教事件について解説する記事を幾つか読みましたが、学歴からしますと騙されそうにない人たちが簡単に麻原教祖にからめとられています。こうした犯罪が今後起きないようにするためには常に思考を柔軟にして、自らを俯瞰する姿勢を持つことが大切なように思います。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:54 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月22日

<師匠と指導者>

またしてもスポーツ界でパワハラが報道されました。今回は水球女子代表での出来事ですが、代表監督が選手たちにパワハラをしたという内容です。詳細はまだはっきりしませんが、監督と選手のコミュニケーションがスムーズに行われていなかったことは確かです。

ほんの少し前に日大アメフト部でパワハラ騒動が大きく報道されました。また、女子レスリング界でも同様の問題が起きていました。どちらもパワハラの当事者は指導者という立場から離れることになりましたが、社会からバッシングされたことも影響しています。

このような事件がありながら今回また同じような問題を起こしている指導者がいることが不思議でなりません。スポーツ界の指導者は社会で起きていることに全く関心がないのでしょうか。心の底から真剣に選手を育てることを考えているならこのような問題が起きたことに無関心でいられるはずがありません。もし、ニュースなどを読まないという人であるなら、スポーツの指導者というよりも社会人として問題があることになります。どちらにしても、そのような人は指導者として失格です。

ここにきて少しずつ指導者の選手に対する接し方について議論が深まっている印象があります。かつての指導者は選手を自分の思いどおりにコントロールするやり方が正しい指導法と考えていたように思います。厳しく接してそれに耐えられた者だけが成長するという神話です。または指導者の指示に従順な選手だけが認められるという事実がありました。

指導者と選手におけるトラブルと聞いて僕が真っ先に思い浮かぶのは野茂英雄選手です。野茂選手については幾度か書いたことがありますが、現在大リーグで多くの日本人選手が活躍していますが、その先鞭をつけたのは野茂選手です。その野茂選手が大リーグに渡るきっかけになったのは監督との確執でした。

当時の監督は投手としての輝かしい実績があった鈴木啓二氏でしたが、鈴木氏の強引な指導法に納得できなかった野茂選手は日本では干される感じになりメジャーリーグに渡った経緯があります。鈴木氏は自分の練習方法を押しつけることでしか選手を育てる方法が考えられなかったのです。イチロー選手も似たような経験があり、もし仰木監督という選手の意向を尊重する指導者に出会っていなかったならイチロー選手は世に出なかった可能性もあります。それほど指導者の育て方は選手の人生に影響を与えます。

その意味で言いますと、現在メジャーリーグでも賞賛されている大谷選手は栗山監督と出会って大正解でした。もし自分のやり方を押しつける指導法しか考えられない監督であったなら大谷選手は途中で潰されていたかもしれません。それが大げさとしても少なくとも現在ほど成長、活躍することはなかったでしょう。なにしろ二刀流に対する賛否は二分していたのですから。

しかし考えようによっては、大谷選手が栗山監督を選んだとも言えます。メジャー行きを決めていた大谷選手が栗山監督の説得を受け入れたのですから、栗山監督の指導者としての資質を大谷選手が見抜いたことになるからです。

指導者が選手に無理やり練習方法を押しつけるやり方は問題があります。ですが、中にはそうしたやり方で成功した例もあります。長嶋監督と松井秀喜選手の師弟関係です。長嶋監督が松井選手に厳しく激しい練習を課したのは有名な話です。この師匠と弟子は一緒に国民栄誉賞まで受賞していますので理想的な師弟関係と言えそうです。そして、日本人にはこのような厳格な師弟関係を好む傾向があるように思います。

「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」ということわざがありますが、これは本当に深い愛情を持つ相手にわざと試練を与えて成長させることを意味しています。ドラマの世界にありそうで心に響くものがありますが、僕にはこうした思想を持っていることがパワハラの背景になっているように思えます。

間違いなく、谷底から這い上がってこられない獅子の子もいるはずです。獅子の世界ではそうした育て方が理想なのかもしれませんが、僕たちが生きているのは人間の世界です。少し前に親から虐待を受けた小さな子供が死亡する事件がありましたが、自分のやり方に固執する子育てしかできない親元に生まれた子供はあまりに不幸です。

スポーツの世界でも同様です。指導する師匠が常に正しい指導法を行っているとは限りません。指導者は常にそのことに敏感でいる必要があります。指導者に不向きな師匠は自分の考えを押しつけるやり方しか認めようとしないものです。選手と指導者では求められる資質が違います。「名選手名監督に非ず」も昔から言われることわざです。

先ほど、長嶋氏と松井氏の関係を理想的な師弟関係と書きました。しかし、松井氏が同じように思っているかは疑問です。なぜなら、松井氏は引退後にメジャーの2軍や日本のプロ野球でコーチをしていますが、長嶋氏のような指導法を行っていないからです。僕の想像では、松井氏は長嶋監督の指導法を受け入れてはいましたが、心の中では疑問を感じていたのではないでしょうか。コーチをしている松井氏の指導法を見ていますとそのような想像をしてしまいます。

指導者の目的は選手の能力を高めることです。正確に言うなら「高めるサポートをすること」です。あくまで指導者はサポートの立場であることを自覚する必要があります。このときに注意が必要なのは「指導者」は「師匠」ではないことです。そして、「師匠」は昭和で終わっていることです。

僕は高校時代に厳しい練習の運動部に所属していましたが、当時は足腰を鍛えるのにうさぎ跳びの練習をさせられていました。広い校庭をうさぎ跳びを何周もさせられていました。そうした練習が普通だったのです。しかし、今はうさぎ跳びの練習は推奨されていません。膝を壊すだけと言われているからですが、時代とともに練習方法は変わっていきます。

指導者と選手の関係も同様です。かつて師匠と弟子と言われていた関係は今の時代は通用しなくなっています。指導者は選手をコントロールして成長させようなどという発想は捨てるべきです。そして、この発想はあらゆる業界に当てはまります。

先日、「ほぼ日新聞」で有名な糸井重里さんの記事を読む機会がありました。糸井さんと言いますと、穏やかでどんなことでも「いいよ。大丈夫」と相手を自由に泳がせてくれるイメージがあります。ましてや一緒に働いている人に「ダメ出し」など絶対にしないと思っていました。

しかし、弟子と思った相手にはとても厳しい接し方をすると話していました。それこそ「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」の考え方で接していたそうです。これには驚かされました。仕事においてはこれが当然だと思っていたようです。おそらく糸井さんの周りでは谷から這い上がれずに浮かばれないまま人生を送っている人がそれなりにいるのではないでしょうか。

会社などにおいても厳しい指導をする上司や先輩がいますが、その指導が適切かどうかはわかりません。実は、正解などないのです。要は、自分に合っているかどうかです。そして、今指導する立場の皆さん。間違っても師匠になろうなどと考えてはいけません。立場が変わればあなたはただの一人間に過ぎないのですから。

安倍ちゃんもそう思ってくれないかぁ。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 15:49 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする