2018年09月16日

<フィルター>

またしてもスポーツ界でパワハラ問題が表面化しました。日本ウエイトリフティング協会会長で女子代表の監督と日大駅伝部の監督です。あまりに連続で報道されますと、驚きも少なくなり感覚が麻痺してしまいそうです。スポーツ界のパワハラ問題は今年4月に女子レスリングの伊調選手に関して報じられたことがはじまりですが、収まりかけた問題を再燃させたのは女子体操界での女子選手の会見です。その事件が今週に入りパワハラ問題から権力闘争問題へと展開していきそうな雲行きです。

これはある程度予想された展開ですが、組織内においては権力闘争が起こるのは当然です。そこで重要なことは公平で平等で自由な組織にする人が勝利を収めるかどうかです。私利私欲の塊の人が権力闘争に勝利してしまいますと、その組織は活力を失い崩壊してしまいます。これは社会にも当てはまります。公平で平等で自由な環境は人間が集まる集団にとって最も重要な要因です。

マスコミが伝える内容もメディアにより異なっていることがありますが、これも問題です。女子体操界を例に挙げますと、あるメディアは女子選手側寄りの伝え方をし、またあるメディアは権力者側寄りの伝え方をしています。これでは一般の人はどのように判断してよいかわからなくなります。

あるコラムニストさんがスポーツ界のパワハラ問題について、「マスコミが逐一報じるのはやめたほうがよい」と話しているのをラジオで聞きました。コラムを読みますと、氏曰く「わたくしどもこのちっぽけな島国に暮らす小市民は、威張っているオッサンを寄ってたかって十字架にかけて晒すタイプの見世物が大好きなのだ」。

僕はこの意見に反対です。コラムニスト氏は女子選手が会見まで開かなければならなかった状況に考えが及んでいません。実は、現在ではこの女子選手の会見について「虐待される側の心理」という側面でとらえる報道もあります。つまり、この女子選手が暴力を使うコーチにマインドコントロールをされているという指摘です。この意見の裏側には、「マインドコントロールされている女子選手の主張は自らの本当の気持ちではない」という考えも見え隠れします。

しかし、そのことについて深く追求していきますと、話が広がりすぎてしまいますので今回はひとまず置いておくことにします。

さて、話を進めますと、女子選手が会見まで開かなければいけなかったのは組織内では解決できなかったからです。もし、コラムニスト氏が主張するようにマスコミが軽く簡単にしか報じなかったなら女子選手へのワハラはまだ続いていたでしょう。力の弱い者が力の強い者に立ち向かうにはマスコミの力を使うしか方法はないのです。コラムニスト氏はそのことに気がついていません。

僕は幾度か「戦争広告代理店」という本をコラムで取り上げていますが、この本は自らの意見を社会に伝えるに当たって、マスコミの力がどれほど大きいか、そして重要か、を教えてくれています。弱者が社会を動かすにはマスコミを利用する意外に方法はないのです。強者は権力やお金の力でマスコミを動かすことができます。しかし、弱者は権力もお金もありませんので、それ以外の方法でマスコミを動かす必要があります。それが会見であり、それをセンセーショナルに伝えるマスコミの力です。

もし、単に事実だけを伝えるだけなら次々に起きてくるる事件に流されてしまい、すぐに忘れ去られてしまいます。忘れ去られることは、伝えなかったことと同じです。ですから、マスコミが「威張っているオッサンを寄ってたかって十字架にかけて晒すタイプの見世物」な状況にするしか術はありません。

さらに言いますと、民主的な社会における権力者は「寄ってたかって十字架にかけて晒すタイプの見世物」にされる覚悟が必要です。それは権力者の社会的責任でもあります。それほど権力というものは大きな力を持っているという自覚が求められます。

今、大手企業ではセクハラやパワハラについて研修などが行われていますが、その背景には昭和時代の感覚の上司がたくさんいるからです。根本的な感覚を変えることが必要だからですが、同じことがスポーツ界でも必要のようです。

スポーツ界はビジネス界よりもパワハラが起きやすい環境です。おそらく過去にはパワハラにより辛い経験をした方もいるでしょう。究極的には、どのような業界であろうとも全員が光を浴びることはできません。社員全員が部長になれるわけではありませんし、取締役、社長になれるわけではありません。また、全員が金メダルを取れるわけではありませんし、代表に選ばれることはあり得ません。

このように組織には階層が生じますが、その際には必ず評価されるというフィルターがかかります。そのフィルターは絶対に公平であり平等である必要があります。これが担保されなければ相応しくない人が権力を持つようになってしまいます。

そして、権力者に相応しいかどうかを評価するものさしとして「寄ってたかって十字架にかけて晒すタイプの見世物にされる覚悟」があります。これまでのスポーツ界は権力者に相応しいかどうかを判断するフィルターが欠けていたように思います。それが今、いろいろな分野でパワハラ問題が噴き出している原因です。

今後もまだ続く可能性がありますが、いっそのことこの機会にすべての分野で噴出したほうがよいように思います。おそらく今のそれぞれの分野で権力を持っている人はほとんどが昭和時代の感覚でいるはずです。それこそマインドコントロールではありませんが、光を浴びることができなかった人も、当時は「それで当然、もしくは仕方ない」と思い込んでいた可能性もあります。

今後は、権力者になる人は公平で平等なフィルターにかけられた人が就くようなシステムを作ることが大切です。しかし、そうしたシステムができたからと言っても必ず理想の社会になるとは限りません。

米国は民主国家で選挙で大統領が決まりますが、今の大統領は平等で公平な思想の持ち主とは思えません。なのに、強烈に支持する人がいます。僕が不思議なのは、超お金持ちで資産家階級に属する人を支持する一般の人たちです。超お金持ちの人は一般の人々から利益を搾取している人です。それなのに、なぜ支持するのか。

やはり、ここにも宣伝広告の影が見えてきます。宣伝広告によって本来とは異なったイメージが発せられています。かのヒットラーもゲッペルスという有能な宣伝相の力が大きくサポートしていました。

 皆さん、宣伝広告には注意を払いましょう。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:44 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする