2018年10月28日

<いろいろな職歴のある営業マン>

先日、居間で自宅でパソコンに向かっていましたところ、インターフォンがなりました。我が家は狭い家ですので居間から返事をしますと十分に訪問者に聞こえます。ですので、僕はインターフォンを使うことはなく、いつも大声で返事をすることにしています。

その日も、いつものように大きな声で返事をしてから玄関ドアを開けました。すると、そこには50才くらいの男性が笑顔で立っていました。平日の昼間に訪問する人は販売業者か宗教関連と決まっていますが、その男性は営業の方でした。なんの販売業者かと言いますと、ある大手寝具メーカーの営業の方でした。新潮は170センチくらいでやせぎすの品のありそうな雰囲気の人でした。

僕はいろいろな人とお話をするのが好きですが、もちろん「誰とでも」というわけではありません。「相性が合う」人という条件があります。わざわざ言うまでもありませんが、相性が合わない人と話していても楽しくありません。その営業の人は二言三言話したところで「相性が合う」と感じました。

その方が僕の家を訪問したのは飛込営業ではありませんでした。僕が過去にその会社からなにかを購入したことがあったからです。なにを購入したのか記憶がありませんが、その方がタブレットに記載されている昔の販売リストを見せてくれました。

僕がその方と「相性が合う」と感じたのは話し方が押しつけがましくないことでした。営業マンの中には強引な話し方をする人がいますが、そのような人からなにかを購入する気になどなりません。この方は、実に謙虚に丁寧に話していました。

もちろん営業ですから、トークをする際は導入部分の会話があります。その方の導入部分はお布団を洗うことを勧める内容でした。布団は高額な商品ですので「おいそれ」と簡単に購入を決められる物ではありません。ですから、最初から布団を販売する方向に会話を持っていくのはあまりに稚拙です。やはり会話が展開する方向としては「布団洗い」から入っていくのが常道です。

そこで僕は「最近は、コインランドリーでも布団を洗えるような機械がありますが、それは影響ありますか?」とちょっと意地悪な質問をしました。それに対しても反発するような表情にも言葉遣いにもならず、正当な反論から「…なので、専門業者に依頼したほうが安心なんですよ」とうまい営業トークをしていました。

そこで僕は完全に「相性が合う」と思い、いろいろな話を聞くことにしました。そこまで行きますと、その方も営業の仕事というよりは人生についてお話するという雰囲気になっていきました。しかし、中にはそのようなあまりに深い話になることに不快感を示す人もいます。ですが、その方は深い話にも喜んで入ってきてくれました。

この方が僕の深い話にもついてきてくれたのは、この方の働き方も関係しています。その方はその大手寝具メーカーに直接雇用されている社員ではなかったのです。営業を請け負う形式で仕事をしている方でした。つまり、営業の下請けということになります。下請け形式のメリットは発注する側である寝具メーカーにしてみますと、固定費がかからないことです。販売した時点でだけ人件費が発生しますので無駄がありません。

そして、働く側からしますと自分のペースで働くことができるのがメリットです。もちろんその裏返しとして売上げがないときは収入が入ってこないというリスクはありますが、自分の実力次第と覚悟しているなら問題はありません。しかし、悪質な企業には社員という立場ではない人間に、まるで社員であるかのように縛りをかけるところもあります。そのような企業には決して近づかないことが肝要です。

実は、この大手寝具メーカーはかつてブラック企業としてマスコミで批判されたことがあります。ですので、企業としては問題がありそうなイメージを僕は持っていました。そこで僕は、打ち解けてきたころを見計らって尋ねてみました。
「ブラック企業のイメージがありますが、実際はどうなんですか?」

中高年以上の方ですとご存知でしょうが、この企業が有名になった当初はブラックどころか好印象の代表のような企業でした。その理由は初の外国人力士である関取がCMをしていたからです。CMで「2倍、2倍(ニバイ、ニバイ)」と訴える声を覚えている人は多いはずです。

そのような好印象の企業でしたが、売上げの減少とともに強引な販売方法や違法すれすれの販売方法、または社員への厳しいノルマなど悪評が報じられていました。ですので、僕は実際のところを聞きたかったのです。

その方に寄りますと、やはり正社員の離職率も高く、好印象とはいいがたいイメージのようでした。その方が下請けとして働いている理由もまさにそこにありました。しかし、ブラック企業であったとしても正社員という立場でなければブラックに縛られることはありません。下請け形式は営業に自信があるならば、数段働きやすい環境です。

僕はそのような働き方を選んでいることにも興味を持ちましたので、また尋ねてみました。
「前職はなんだったのですか?」

葬祭業に勤めていたそうです。そこで、またまた僕は興味が湧いてきました。葬祭業も一般のイメージとしてはあまりよいイメージがない業界だからです。まずは「人の死」を扱う業界ですので、それだけで特別視されることがあります。そのほかには、やはり「ぼったくり」というイメージです。

僕が持つこの一般的なイメージをぶつけてみました。すると、この方も僕と同じイメージを持っており、それが今の会社に転職した理由だと話していました。そうなりますと、今度は葬祭業に入ったきっかけが聞きたくなりました。
「葬祭業に入ったきっかけはなんだったのですか?」

この方は葬祭業の前は宝石業界にいたそうです。僕はその方に聞くまで知らなかったのですが、今の時代は遺骨から宝石を作ることができるそうです。遺骨を指輪の宝石にしたりペンダントにしたりすることが流行っているそうです。その方もその関係で葬祭業を知り、飛び込んだそうです。

結局、この方とは30分くらいも玄関先で話したことになったのですが、いろいろな経験をしている人とお話をするのは楽しいものです。人生は一回しかありませんので自分が経験できることなんてほんのわずかです。ですから、いろいろ人からお話を聞くことはとてもためになりますし、勉強になります。ただし、真実を公平に平等に話す人かどうかを見極めることが大切です。

皆さん、真実を公平に平等に話す人の話を聞きましょう!

えっ、信じられないって?

じゃ、また。

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2018年10月21日

<マスコミの責任>

油圧機器大手「KYB」という会社の子会社が地震対策に使う免震・制振装置の検査データを改ざんしていたことが公表されました。中高年以上の人ですと覚えているでしょうが、今から13年前に「姉歯事件」という建築に関する事件がありました。これは一級建築士の姉歯さんという人物が建物の耐震強度を偽装した事件です。このときはマスコミ報道の過熱ぶりが凄まじく、僕などは事件よりも報道の過熱ぶりのほうを記憶しているくらいです。約1ヶ月間、どこのチャンネルを回しても「姉歯、姉歯」を取り上げていました。

しかもマスコミは「視聴率がとれる」または「販売部数が伸びる」という理由で、あることないことまで報じていました。「豪邸に住んでいる」とか「隠し財産がある」とか「愛人がいる」などバッシングされるに値する「あることないこと」を伝えていました。のちにすべて誤報であることが判明するのですが、そうした報道が影響いたのでしょう、姉歯さんの奥さんは事件の翌年に自殺をしています。このときは新聞などは一面で報じることはしましたが、その原因がマスコミ自身にあるとは伝えていませんでした。

マスコミもしくは世論というのは本当に曖昧でふわふわとしていて、ある一つの流れができるとそれに乗っかるまたは従う傾向があります。しかもその流れは、一定期間を過ぎますと反対の方向に流れるという特徴があります。このこと自体は「振り子法則」が働いていることですからよいことだと思いますが、あまりに振れ幅が大きいと傷つく人が出てくるのが問題です。

姉歯事件にしても、2011年に起きた東日本大震災の際に「耐震強度を偽装した建物は倒壊しなかった」、つまり「耐震偽装はあまり問題ではなかった」などという報道がありました。バッシングされていた当時、姉歯さんは偽装を認めてはいましたが、「強度には問題がない」と話していました。それが真実だったことが証明されたことになります。いったい姉歯事件のときのバッシングはなんだったのでしょう…、と思わずにはいられません。

さて、こうした過去の事件を踏まえつつ、今回の「免震・制振装置の検査データを改ざん」事件について考えてみたいと思います。

不正改ざんが公表されたあと、国土交通省は改ざんがあったとしても「震度7くらいの地震に対する強度は保たれている」と見解を発表しています。しかし、普通に考えるならこの見解で納得する人はほとんどいないでしょう。なにしろ今現在住んで生活している人がいるのですから当然です。しかし、ここはマスコミの方々は冷静になって報じてほしいと思っています。

実は、姉歯事件があれだけ激しいバッシングになったのは、偽装が発覚したあとの建設会社の小島社長および姉歯さんのマスコミ対応の姿勢にあると思っています。今でこそマスコミ対応次第でマスコミの報道の仕方が変わることが企業の幹部に浸透していますが、当時はそのような発想はありませんでした。ですから、小島社長にしても姉歯さんにしてもマスコミへの対応の重要さがわかっていなかったのです。ですから、普段どおりの受け答えをしてしまい、それが激しいバッシングを招いてしまいました。

その点で言いますと、今回の油圧機器大手「KYB」の社長の会見は姉歯事件のときの小島社長および姉歯さんに比べますと問題のない会見だったように思います。今の時代はリスクコンサルタントという謝罪会見をスムーズに無事に終える方法を伝授する会社があります。おそらくそうした会社のアドバイスを受けているはずです。

それはともかく今回の企業は行政と密に連絡をとり、マスコミを敵に回さないような会見を継続させることが重要です。いらぬバッシングを招かないことが事件を穏便に収束させるうえで最も大切です。

いらぬバッシングを招かないためにあと一つ重要なことがあります。それは事件が表面化した経緯についても誠実に対応することです。具体的に言いますと、内部告発をした元従業員に対する処遇です。現在、この元従業員は転職をしているようですが、本来は企業を正そうとした人なのですから優遇されてしかるべき人です。それが反対に職場にいられなくなっているのですから企業のガバナンスに問題があることを示しています。

内部告白で思い出すのが2002年に起きた「雪印食品牛肉偽装事件」です。これは輸入肉を国産肉と偽って国からの補助金をだまし取っていた事件ですが、この事件により雪印食品は消滅してしまいました。それほど大きな事件でした。

この事件を告発したのは雪印食品と取引があった会社の社長さんですが、この会社は告発をした後に取引先が次々にいなくなり、休業状態になったそうです。正義の行動をとったことで苦境に陥ったことになります。この2つの事件に限らずほかの内部告発を見ていますと、日本では内部告発者のその後の人生が暗転しています。米国では内部告発者に報奨金のようなものがあるそうですが、日本でもなにかしらの対策をしませんと「正直者が馬鹿を見る」社会になってしまいます。

今回内部告発をした元従業員はニュース番組に顔出しNGで出演していましたが、この方は最初上司に違法性を指摘いたそうです。それをうやむやにしようとしてした上司または幹部の人たちは今頃いったいどのような気持ちでいるのでしょう。免振偽装に関しては3年前に東洋ゴム工業が免震ゴム性能において偽装していた事件がありました。このときは社長を含む幹部が数人辞任していますが、そうしたニュースを今回の事件の幹部はどのような気持ちで見ていたのでしょう。

「自分たちは見つからない」と

考えていたのでしょうか。そうとしか思えないこれまでの対応です。

このような事件が起きますと、市場競争が激しいからという理由をあげて競争に問題があるようにいう意見が出てきますが、市場競争と法律違反は別物です。競争をする際に法律を守るのは大前提です。100メートル競走でドーピングをしてはいけないのはわざわざ言うまでもないことです。

今回の事件が今後どのように展開するのかはわかりませんが、その大きさを決めるのはマスコミです。もちろんほかに起きな事件が起きるなど外部要因も絡んできますが、それを考慮しても事件を大きくするかしないかはマスコミの匙加減にかかっています。

マスコミの方々は徒に問題を大きくするのではなく、平和で平等な公平な社会になるように報じてほしいと思っています。

なぜ、このようなことを書くかと言いますと、朝方見た番組で高級ブランドが立ち並ぶ青山地区で障害者施設の建設についての報道に違和感を持ってからです。番組の中で区の職員と建設地域の住民とのやり取りを報じていましたが、反対する住民が激しい怒鳴り声で区の職員を追究している画面がありました。

それについて意見を求められた専門家が「この開発に関係しているが、あのような怒鳴るような住民の方は少数派」と話していました。テレビ局はインパクトのある映像がほしいばかりに極端な意見を取り上げる、報じる傾向があります。しかし、そのようなマスコミの姿勢は社会を間違った方向に導くことになります。

そのような印象を受けましたので、今回のコラムとなりました。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:31 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月14日

<「三度目の殺人」を見て思ったこと>

僕が昨年あたりから気になっているニュースはジャーナリストに危害が加えられる事件が続いていることです。先週はブルガリアの女性記者が暴行されたうえに殺害される事件がありました。昨年末にも地中海の小国マルタでやはり女性ジャーナリストが殺害されています。女性だけに限りません。先週はトルコでサウジアラビアのジャーナリストがサウジ総領事館に入ったまま消息を絶っている事件が報道されました。ロシアでは永い間ジャーナリストが殺害される事件が起きています。

これらの事件に共通するのは、殺害された記者の方々が権力者を批判または追及していたことです。ドラマや映画などで見ることはありますが、現実に起きていることに小市民の僕としては驚かされます。しかし、よくよく考えてみますと、ドラマや映画になること自体がそれらの事件が現実に起きていることを示しているとも言えます。

ジャーナリストの使命は世の中で起きていることを社会に伝えることですが、その立ち位置の視点が権力者側にあるか生活者側にあるかで内容は変わってきます。もちろん、楽なのは権力者側の視点で伝えることです。しかし、それではジャーナリストの意味がなくなってしまいます。

権力者にしても生活者にしても、自分たちに「理がある」あることを訴えたいはずですが、権力者と生活者の力の関係からしますと圧倒的に権力者のほうが有利です。最近のジャーナリストの殺害はそれを示しています。この力の不均衡を修正するためにジャーナリストが存在する意義があります。そのジャーナリストに危害が加えられている現状は社会が不安定になるきっかけになりそうで不穏な空気を感じます。

日本はまだジャーナリストに危害が加えられるほど危険な社会ではありません。ですが、少しずつ少しずつジャーナリストへの圧力が強まりそうな雰囲気を感じます。もちろん、生活者の視点のジャーナリストに対してです。

いわゆる御用記者の方々が権力者寄りの報道をするのは当然ですので、生活者の視点のジャーナリストの方々の取材が制限されないようになる社会を望んでいます。そのためには生活者である私たちが関心を持つことが大切です。特に、多くの若いごく普通の人たちが政治や経済に関心を持つことが大切です。自由に暮らせる社会を作るのは国民一人一人の意識にかかっているといっても過言ではありません。若い皆さん、社会に関心を持ちましょう。

…てな、ことを思っている僕は昨晩「三度目の殺人」という映画を見ました。僕は「誰も知らない」以来の是枝監督ファンですが、なんとも重苦しい映画でした。基本的に、是枝監督の作品は弱者に寄り沿う映画が多く、観る人に考えさせる内容がが多いですが、今作は特にその傾向が強かった感があります。

結末が断定的に描かれていないのが大きな理由ですが、観る人により真実が異なっているように想像します。それにしてもこの映画にはいろいろな要素が積め込まれていました。古い話になりますが、かつて大手食品会社が起こした偽装牛肉事件も入っていましたし、古くて新しい問題である家族間の事件も入っていましたし、法曹界の問題点についても描かれていました。

僕的には、少し積め込み過ぎのような印象を持ちましたが、是枝監督がこれまで生きてきた中で、自分の中に溜まっていた問題を作品に入れたかったのかもしれません。裁判を扱った映画に周防監督の「それでもボクはやってない」という作品があります。この作品は冤罪について追及する内容でした。それに比べますと、「三度目…」は法曹界全体を俯瞰した問題提起のように思います。是枝監督は法曹界に対しても違和感を持っているのでしょう。

さらに深く考えますと、是枝監督は法曹界というよりも「人が人を裁く」という制度自体に疑問を投げかけているように思います。容疑者である三隅が意見を二転三転させているのはその制度の問題点をあぶりだすためとも取れなくもありません。死刑判決を受けたにもかかわらず裁判のあとに両手で重盛の手を握り締めて「ありがとうございました」とお礼を言う行為がそれを物語っているように思いました。

是枝監督は死刑廃止論者のようですが、この作品はまさにそれを主張しているとも取れます。「三度目」とは死刑制度のことです。このような作品を観ますと、僕はどうしても冤罪になりかかった事件を思い出します。

大きな事件でしたので覚えている方も多いでしょうが、2009年に起きた郵便不正事件です。この事件は一つ間違っていたなら冤罪になるところでした。なにしろ検察官が証拠を改竄していたのですから恐ろしい事件です。最初に結果ありきで捜査を進めるのですから公正な捜査が行われるはずがありません。

あと一つ思い出すのは1994年に起きた松本サリン事件です。このときは事件が起きた近くに住んでいた河野義行さんという方が容疑者として取り調べられました。河野さんの著作を読みますと、やはり結論ありきで捜査が行われていたようですが、このようなやり方で真犯人を捕まえられるはずがありません。河野さんの潔白は、翌年にオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたことで証明されましたが、もし地下鉄サリン事件が起きていなかったなら河野さんが犯人にされていた可能性もあります。

冤罪とは違いますが、裁判に関連して思い出すのは、現在は「知の巨人」として活躍している佐藤優氏です。佐藤氏の著書『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を読みますと、裁判というものが公平でないことを痛切に感じてしまいます。この本で「国策捜査」という言葉を知りましたが、人が人を裁くことの難しさを思わずにはいられません。

「国策捜査」という言葉から想起されるのはホリエモンこと堀江貴文氏や元通産官僚で投資家の村上世彰氏です。どちらも見せしめの意味合いがあったように感じるのは僕だけではないでしょう。

米国では来月中間選挙がありますが、僕が不思議なのはトランプ大統領を批判する報道があれだけあるにも関わらずトランプ大統領が居続けていることです。共和党の中からも批判的な意見が出ている中でトランプ氏が大統領でいるのが不思議でなりません。海を渡って伝えられる報道は真実なのでしょうか。本当に大統領に相応しくない人であるなら中間選挙では民主党が勝利するはずです。

もしかしたなら、来月の米国の中間選挙は民主主義が機能するのかを計るバロメーターになるかもしれません。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 16:10 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月07日

<研究者>

先週は、京都大学の本庶佑教授がノーベル賞を受賞したことで盛り上がりましたが、2012年に受賞していた山中伸弥教授によりますと「遅いくらい」だそうです。僕が見ていた夜のニュース番組に出演して話していたのですが、その話の中で少し驚いたことがありました。

僕の驚きは本庶氏や山中教授だけに当てはまるのではないのですが、あれだけ高度で奥深い研究をする立場の人がゴルフをしていたことです。僕の勝手なイメージでは研究をするような人は日々実験や考察に明け暮れていて趣味などをする時間がないと思っていました。例えば、野球の大谷選手が野球の練習そっちのけでゴルフをしている姿はなんとなく想像ができません。そんな感覚です。

山中教授はマラソンを趣味としていることでも知られていますが、そのような時間があることも不思議に感じていました。あれだけ奥深い研究をしながらマラソンもしてゴルフもして、そのうえに人付き合いもしています。これは有名人に共通していると思いますが、顔が広いので人付き合いをする相手がたくさんいることになります。そうした時間を確保するのも大変なはずです。どんなに偉い人でも与えられている時間は1日24時間です。

本当に頭脳明晰で優秀な人は時間の使い方がうまいという共通点があります。「使い方」というよりは「処理能力」のほうが正確な言い方かもしれません。例えば、本やレポートを読むのに要する時間が凡人なら1時間かかるところをわずか10分で読み終える感覚です。こうした処理能力がすべての面において発揮されますので凡人よりもたくさんいろいろな経験をできることになります。こうした点が凡人と偉人の大きな違いのように思います

こうした偉人の凄いところは処理能力だけではなく時間の割り当てにも優れていることです。単に早く処理すべきことと効率よりも過ごしている時間を大切にすることを分ける能力です。わかりやすく言いますと、本やレポートを読む作業はできるだけ短時間で処理しても友人や知人とお酒を飲む時間などには速さを求めない姿勢です。こうしたメリハリをしっかりとつけられる人が偉人になれるようです。

先のニュース番組で山中教授が興味深い話をしていました。本庶教授が受賞したことでオプジーボというガンに効く薬が一気に注目されました。オプジーボについては以前よりガンの治療薬としてマスコミなどで報じられていましたが、この薬の難点は価格がかなり高額なことです。一般の人では絶対に購入できないほど高価な薬でした。当時、僕などは「病気も所詮はお金持ちに有利なんだよなぁ」と思っていたものです。

それが最初は皮膚ガンで保険適用になり、その後肺ガンでも適用となりさらにいろいろなガンに適用されるようになっていきました。これ自体は一般庶民にとりますと朗報ですが、健康保険組合にとっては死活問題です。ご存知のように健康保険には高額療養制度というのがありますので受診者は最高でも一ヶ月に9万円弱の支払いで済みます。それ以上は負担しなくてよいのです。残りはすべて保険組合が負担してくれます。受診者は助かりますが、保険組合の財政は大変です。

それはともかく、山中教授がニュース番組で話していたのは「僕の親友である平尾誠二さんには薬が効かなかった」ということです。今回、オプジーボが注目されたことで病院に問い合わせが増えているそうですが、命に係わる病気ですので当然です。しかし、この薬は2〜3割の人にしか効果がないそうです。原因はまだ解明されていないのですが、残念ながら平尾さんには効果がありませんでした。山中教授はそのことを話していました。

この話を聞いて僕はこれまで感じていた一つの疑問が解消されました。それは平尾さんの訃報に際して病名が公表されなかったことです。今はネットなどでも書いてありますが、当時は病名は伏せられていました。僕にはそれが不思議でならなかったのです。

今回、山中教授が「薬が効かなかった」という話をされていましたが、平尾さんが病名を公表しなかったのは、ここに理由があるように思います。山中教授は平尾さんとの対談本を出版するほど親しいのですから、病気になってすぐに山中教授にも相談しているはずです。そうなりますと当然オプジーボの投与も行っているはずですので、山中教授にも責任の一端が生じることになります。平尾さんや遺族の方々それを心配して病名を公表しなかったのではないでしょうか。あくまで僕の勝手な想像ですが、このように理解しますとすべてにおいて辻褄が合います。ずっとのどに小さな骨が刺さっていた感じでしたのでスッキリしました。

世の中の進スピードが速いですのでもう忘れている方も多いでしょうが、2014年にノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏という方がいます。中村氏は青色発光ダイオードを発明したことで受賞したのですが、この方の本には僕が想像していた研究者の生活が書いてありました。僕がこの方の本を読んだのは17〜18年前ですので僕が研究者に対して持っているイメージはこの本の影響かもしれません。

山中教授や本庶教授は大学に勤めていますが、中村教授は普通のサラリーマンでした。のちにアメリカの大学に転職するのですが、青色発光ダイオードを発明したときは日亜化学工業という企業のサラリーマンでした。中村氏の本を読みますと、日亜化学工業に対する怒りが伝わってきます。中村氏はノーベル賞を受賞したときに「怒りが研究を続けさせた」とまで話していました。この言葉で怒り具合がわかるというものです。

中村氏は青色発光ダイオードの発明の対価について日亜化学工業と裁判で争っていました。ものすごい発明をしたのに「報酬があまりにも低い」という理由です。あまり詳細を書きますとページが足りなくなりますので端折りますが、研究を続けている間は会社に全く貢献していないことになります。発明に成功したので研究が活きたことになりますが、成功しなかったなら資金を捨てたことになります。

中村氏からしますと、できるだけお金を節約するためにというか社内からの反発もあり実験道具も自分で作ったという言い分があります。中村氏の本にも書いてあるのですが、社内からの反発はかなり激しいものがありました。普通なら研究を続けられないほどです。それを継続できたのは創業者が後ろ盾になっていたからです。もし、研究に理解のある創業者でなかったなら青色発光ダイオードの発明はできなかったかもしれません。

ちなみに、中村氏と日亜化学工業の裁判は現在は和解しています。どちらかと言いますと、中村氏が「あきらめた」という印象です。日本の裁判ではそれが限界のようでした。

今回本庶教授が受賞会見で「基礎科学の重要性」を説いていましたが、これは基礎科学が重要視されていないことの裏返しです。本庶教授の指摘は誰が聞いても的を射ていると感じるでしょうが、なぜ重要視されないかという点が抜けているように思います。

端的に言いますと、成果がすぐに出ないからです。そして、成果が出ないことがなぜいけないかと言いますと、それは「研究をしている」のか「サボっている」のかわからないからです。専門家でない人が見抜くのはほとんど不可能です。この問題を解消しない限り基礎科学の研究を続ける環境を作るのは難しいように思います。

僕なんて、妻に呼び掛けても返事をされないとき、普通の精神状態なのか怒っているのかわからないです。僕の妻って、面倒くさいと返事をしないんですよねぇ。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 14:56 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする