2018年09月30日

<指導者>

僕は今、庭師のような仕事もしているのですが、ある日集合住宅のベランダ側にある植栽を整えていました。すると、2階のベランダのほうから怒鳴り声が聞こえてきました。それはそれはすごい剣幕で怒鳴っているのですが、よくよく聞いていますと

「なんで、1(いち)と6/6(ろくぶんのろく)がおなじだってわからないの? おかしいでしょ!」

怒鳴り声の主は女性です。僕の推測ではお母さんが低学年の小学生に算数を教えているようでした。僕からしますと不思議でしかないのですが、ずっと怒っているのです。このように怒られながら教えられては、恐怖心でわかるものもわからなくなります。

ときたまお父さんらしき人の声も聞こえてきましたが、お父さんの話し方は言い含めるようにやさしく穏やかな声でした。お父さんがそうであるだけに、お母さんのヒステリックな声が強く印象に残りました。男女差別と言われそうですが、女性はすぐに感情的になる傾向があるように思います。あのお子さんは大丈夫だったでしょうか…。

実は、僕にも同じような経験があります。僕の場合は国語だったのですが、小学生の頃に母親が僕に勉強を教えている光景が今でも思い出せます。母もとにかく怒っていました。僕ができないことがよほど頭にくるようで、頭ごなしに怒鳴っていました。一応断っておきますが、普段は優しいお母ちゃんでした。一人息子の僕でしたのでとてもかわいがってくれていました。そのお母ちゃんが勉強を教えるときだけ怒り狂うのです。

一番印象に残っているのは「新聞」という漢字です。僕が「新聞」という漢字がわからないでいると、「朝刊を持って来なさい!」と命令しました。そして、「ほら、よく見て!」と怒るのです。僕としては、恐くてどこを見てよいのかわからないのですが、そうした僕の反応がお母ちゃんにはまた苛立つようで「このバカ! 書いてあるでしょ!」と怒るのです。しかし、僕はやはり恐怖心でどこを見てよいのかわからないのです。業を煮やしたお母ちゃんは我慢できなくなったようで人差し指で新聞の上のほうに書いてある「〇〇新聞」の文字を指して「ここでしょ! なんでわかんないの!」とのたまうのでした。僕の幼少時の悲しい思い出です。

車の運転をするときだけ人格が変わる人がいます。普段は温厚で優しい人がハンドルを握ると性格が一変するのです。理由はわかりませんが、エンジン音がなにかを変えるようです。本来、このような人は車の運転には不向きです。車は使い方を間違えますと、凶器になりますのでこのような人は間違いなく車を凶器にしてしまいます。ハンドルを握ってはいけない人です。

同じことが、教える立場にいる人にも当てはまります。教えているうちに自分を見失うのです。先ほどのお母さんもそうですし、僕のお母ちゃんもそうです。このような人は教えることに向いていませんので教える立場になってはいけません。

しかし、世の中はすべて理想どおりにいくとは限りません。また「教える」ことに対する理解が社会に浸透していないという現実があります。今年に入りスポーツ界で起きているたくさんのパワハラ問題はまさしく「教える」、言葉を変えるなら「指導する」もしくは「コーチング」の重要性を認識していないことが原因です。

昔から「名選手、名監督にあらず」と言いますが、これはコーチにも当てはまります。名選手が教え方もうまいとは限りません。場合によっては、自分のやり方を無理やり押しつけるという弊害を生むこともあります。名選手になった人が成績を残せたのは当人の肉体や精神的な要素があってこそです。それらの要素が全く異なる他人に当てはまる保証はどこにもありません。それを理解せずに、教えたり指導されてしまっては教えられるほうは溜まったものではありません。

野球界における指導者と選手の対立について、僕はこれまでに野茂英雄投手と鈴木啓二監督の軋轢を紹介したことがあります。しかし、今の若い人の中には知らない人も多いので今回は菊池雄星投手と大久保博元コーチの軋轢について紹介したいとも思います。

事件が起きたのは2010年です。今では菊池投手はライオンズの立派なエースですが、当時はまだ2軍で練習していました。大久保コーチはそのときの2軍のコーチだったのですが、そこで大久保コーチが菊池投手に暴行したことが写真週刊誌に報じられ、大久保コーチは解任されました。

球団の対応を不服とした大久保氏は裁判まで起こすのですが、裁判の最中に「自分に非があること」気づき、裁判を取り下げました。そして、2016年に大久保選手が直接菊池投手に謝罪し、二人は和解をしています。僕は元々大久保選手に好感でしたので事件が報道されたときは残念な気持ちになりましたが、そのあとの展開を知って喜んでいます。

実は、この話にはあと一人重要な人物がいます。それは当時のライオンズの監督だった渡辺久信氏です。渡辺氏は監督を退任後、ライオンズのフロントに入っていますが、大久保氏と菊池氏の和解を取り持ったのは渡辺氏でした。

解説者となっていた大久保氏がライオンズに取材を申し込んだときに、渡辺氏が「菊池に謝ってくれないか?」と打診したそうです。大久保氏は快諾し、お互いが謝罪をして和解を果たすことができました。おそらく渡辺氏は二人の関係をずっと気にしていたのでしょう。僕はそこに渡辺氏の人格の素晴らしさを見ました。

渡辺氏は現役時代にエースとして大活躍もしましたが、取りてて素晴らしい記録を残しているわけではありません。渡辺氏は台湾球界でも活躍しているのすが、俗な言い方をしますと苦労をしています。渡辺氏の素晴らしい人格はその苦労から培われたと僕は思っています。

大久保氏は裁判をしている中で自分を見つめなおすことができ、自分の至らなさに気がついたからよかったですが、未だに監督またはコーチという立場の本当の役割を理解せずに指導者の立場にいる人がいます。指導者は自分の考えややり方を押しつけるのは仕事ではありません。指導者は選手の力を伸ばすのが仕事です。それを勘違いしてしまいますと、本来なら逸材であるはずの選手が力を発揮できないことになります。

コーチについて考えるとき、僕はメジャーで活躍している大谷翔平選手を思い浮かべます。大谷選手には特別なコーチ、つまり師匠のような存在はいないように見えます。練習はすべて自分で考えコントロールしているようです。なぜなら、メジャーへ行っても活躍しているからです。そして、このことは現在メジャーで活躍しているすべての日本人選手に共通していることです。特別なコーチがいるわけではなく、自分で練習のやり方をコントロールしています。コーチに無理やり練習させられているのではなく、自ら考え自ら管理している姿勢が共通しています。

成功している選手はコーチなどの力に頼らず、自分で練習を管理しています。こうした事実を見ていますと、細かいことまで教えようとするコーチは必要ないということになります。指導者になろうとする指導者ほど迷惑な存在はありません。現在、指導者の立場にいる人はそのことを理解することが必要です。

実はこれって、すべての業界に当てはまるんですよ。どの業界にも上から目線で偉そうに振舞っている人っていますよねぇ…。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:38 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月23日

<デジタル機器>

僕は数年前から好きな音楽をYouyubeからダウンロードして楽しんいますが、残念なことにYoutubeにアップされていない楽曲もあります。僕の好きな曲ベストファイブの一つにサザンオールスターズの「真夏の果実」があります。この楽曲を本人の声で歌っているものを録音したいとずっと思っていたのですが、実現できないでいました。

桑田さん本人ではなく、ほかの人がカバーした「真夏の果実」は録音しているのですが、僕は桑田さんのあのしわがれた声が大好きですので満足することはできませんでした。1ヶ月に1度くらいの頻度で本人の声でアップされていないかをチェックしていましたが、出会うことがありませんでした。

ところが、先日Youtubeではなかったのですが、本人の声で歌っている「真夏の果実」に出会うことができました。僕は大喜びですぐに録音をすることにしました。僕がネット上の楽曲を録音する方法はオンラインでダウンロードするツールを利用する方法です。このツールは無料ですのでとても便利なのですが、欠点は楽曲によっては制限がかけられていてダウンロードができなことがあることです。残念ながら「真夏の果実」はダウンロードできない状態になっていました。

しかし、本人の声で歌っている「真夏の果実」をネットで見たのも初めてです。簡単にあきらめるわけにはいきません。そこでスマホの録音アプリを使って録音することを考えました。僕は昭和の人間ですが、昭和の人間がテレビから流れてくる好きな歌を録音しようと思ったときはテレビの前にカセットデッキを置いて録音するのが普通でした。もちろん雑音が入らないように家族には絶対に静かにしてもらっていました。

今の若い人からしまうと笑い話にしか聞こえないかもしれませんが、これしか方法はがなかったのです。この方法の最大の欠点はどんなに家族に静かにしてもらっても音質がよくないことです。如何せんテレビの音が出るスピーカーの前にカセットデッキを置くだけですので音質が悪くなるのは仕方のないことでした。

このような経験がありましたのでパソコンのスピーカーの前にスマホを置いて録音するやり方もちょっと無理があるかな、とは思っていました。そして、実際にやってみますと、案の定予想以上に音質が悪い状態の録音がされていました。

そこで次に考えたのはイヤホンジャックからコードを使ってスマホに録音させる方法です。ところが、人間の耳につながるイヤホンコードは持っていましたが、両方がピンになっているコードは持っていませんでした。「困ったな…」と思っていますと、ある考えが浮かびました。

「わざわざスマホで録音するんじゃなくて、パソコンの録音ソフトで録音すればいいんじゃん!」(江戸っ子の口調で読んでいただくとうれしいです)

僕は期待に胸を膨らませ、パソコンに入っているレコーダーを起動しました。そしていよいよサザンの楽曲をスタートさせ、録音開始のボタンをクリックしました。最初は練習のつもりでしたので1分ほどでやめて、録音したファイルを再生することにしました。

僕はじっと耳を澄ませ、イントロの音が出てくるのを待ちました。しかし、待てども待てども一向に音が出てこないのです。悲しいことに録音はなされていなかったようです。

僕は考えました。以前自分の声をマイクを通して録音したことがありますが、そのときは無事に成功しています。それが今回録音できていないということは「音源の設定に問題があるのではないか」と推測しました。そこでググってみますと、やはりミキサーをオンにする必要があることがわかりました。そこにはやり方も書いてありましたので説明どおりに設定し、最初に戻って「真夏の果実」を録音しますと、実にきれいに録音されていました。大成功です。

今回、このやり方を知ったのは大きな意義があります。これまでもダウンロードしたい楽曲があった場合でも制限がかかっておりダウンロードできないことが多々あり、あきらめていました。しかし、今後は楽曲さえ見つけられたならダウンロードの可否にかかわらず録音ができることになります。これで一気に世界が広がった気がしています。


あと一つ音楽を聴く関連で発見がありました。僕はスマホに音楽を入れていますので車内でたまに音楽を聴くことがあります。スマホのスピーカーは音量が小さいですので車内で聴くには物足りない感じがありました。そこで知ったのが100均で販売されているスマホの音量を大きくするグッズです。これが意外に便利で十分使える代物でした。

このようにして音楽を聴いていたのですが、僕のスマホには大きな問題がありました。それは、安物ですのでバッテリーの容量が少ないという弱点です。スマホで音楽を聴いていますと一気にバッテリーが減ってしまうのです。僕はそれが気になって仕方ありませんでした。そこで息子が使わなくなっていたデジタルプレーヤーを利用することを思いつきました。

しかし、デジタルプレーヤーは基本的にイヤホンで聴くものですからスピーカーがありません。そこで100均で売っている小さなスピーカーがありましたので試したところ、音量がとても小さく実用的ではありませんでした。やはりアンプが入っていませんとスピーカーの役割を果たせないようです。そこで、また考えました。

僕はコロッケ店を営んでいたときに店先に音楽を流していました。やはり店先は活気がありませんと暗いイメージになります。明るい元気な音楽は必要です。そのときに乾電池式の小さなスピーカーを買っていたのですが、そのスピーカーを車内に置くことを思いつきました。乾電池式でしたが、十分にスピーカーの役割を果たせる機能がありました。僕は満足していました。

ところが、使い始めて少ししますと今一つしっくりこないものを感じていました。スピーカーの大きさは縦横高さが3〜5センチほどでしたので助手席に前の物入れの中に入れていました。大きくありませんのその場所にすっぽりと入ってはいたのですが、場所をとることが気になりだしました。そこで、僕はまた考えました。

僕は今2代目のスマホを使っているのですが、2代目を購入する気持ちになったのは壊れたからではなく、ストレージの容量が小さかったからです。アプリで満杯になりヨーカドーのアプリの更新ができなくなっていました。そこで容量の大きい機種に変更することにしたのです。

つまり、前に使っていたスマホはまだ使える状態なのです。僕は前のスマホを音楽を聴く専用の機器にすることにしました。こうすることで新たにスピーカーを置く必要もなくなりましたし、機器の扱いに困ることもありません。実は、デジタルプレーヤーはとても小さいので指でタップするのがやりにくいという欠点がありました。車を運転しているときに使うには適していない大きさのように感じていました。それに比べてスマホですと、ごく普通に扱うことができますので気軽に音楽を聴くことができます。

現在は音楽を聴きながらのドライブを楽しんでおります。

以上2点、おじさんのデジタル日記でした。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:19 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月16日

<フィルター>

またしてもスポーツ界でパワハラ問題が表面化しました。日本ウエイトリフティング協会会長で女子代表の監督と日大駅伝部の監督です。あまりに連続で報道されますと、驚きも少なくなり感覚が麻痺してしまいそうです。スポーツ界のパワハラ問題は今年4月に女子レスリングの伊調選手に関して報じられたことがはじまりですが、収まりかけた問題を再燃させたのは女子体操界での女子選手の会見です。その事件が今週に入りパワハラ問題から権力闘争問題へと展開していきそうな雲行きです。

これはある程度予想された展開ですが、組織内においては権力闘争が起こるのは当然です。そこで重要なことは公平で平等で自由な組織にする人が勝利を収めるかどうかです。私利私欲の塊の人が権力闘争に勝利してしまいますと、その組織は活力を失い崩壊してしまいます。これは社会にも当てはまります。公平で平等で自由な環境は人間が集まる集団にとって最も重要な要因です。

マスコミが伝える内容もメディアにより異なっていることがありますが、これも問題です。女子体操界を例に挙げますと、あるメディアは女子選手側寄りの伝え方をし、またあるメディアは権力者側寄りの伝え方をしています。これでは一般の人はどのように判断してよいかわからなくなります。

あるコラムニストさんがスポーツ界のパワハラ問題について、「マスコミが逐一報じるのはやめたほうがよい」と話しているのをラジオで聞きました。コラムを読みますと、氏曰く「わたくしどもこのちっぽけな島国に暮らす小市民は、威張っているオッサンを寄ってたかって十字架にかけて晒すタイプの見世物が大好きなのだ」。

僕はこの意見に反対です。コラムニスト氏は女子選手が会見まで開かなければならなかった状況に考えが及んでいません。実は、現在ではこの女子選手の会見について「虐待される側の心理」という側面でとらえる報道もあります。つまり、この女子選手が暴力を使うコーチにマインドコントロールをされているという指摘です。この意見の裏側には、「マインドコントロールされている女子選手の主張は自らの本当の気持ちではない」という考えも見え隠れします。

しかし、そのことについて深く追求していきますと、話が広がりすぎてしまいますので今回はひとまず置いておくことにします。

さて、話を進めますと、女子選手が会見まで開かなければいけなかったのは組織内では解決できなかったからです。もし、コラムニスト氏が主張するようにマスコミが軽く簡単にしか報じなかったなら女子選手へのワハラはまだ続いていたでしょう。力の弱い者が力の強い者に立ち向かうにはマスコミの力を使うしか方法はないのです。コラムニスト氏はそのことに気がついていません。

僕は幾度か「戦争広告代理店」という本をコラムで取り上げていますが、この本は自らの意見を社会に伝えるに当たって、マスコミの力がどれほど大きいか、そして重要か、を教えてくれています。弱者が社会を動かすにはマスコミを利用する意外に方法はないのです。強者は権力やお金の力でマスコミを動かすことができます。しかし、弱者は権力もお金もありませんので、それ以外の方法でマスコミを動かす必要があります。それが会見であり、それをセンセーショナルに伝えるマスコミの力です。

もし、単に事実だけを伝えるだけなら次々に起きてくるる事件に流されてしまい、すぐに忘れ去られてしまいます。忘れ去られることは、伝えなかったことと同じです。ですから、マスコミが「威張っているオッサンを寄ってたかって十字架にかけて晒すタイプの見世物」な状況にするしか術はありません。

さらに言いますと、民主的な社会における権力者は「寄ってたかって十字架にかけて晒すタイプの見世物」にされる覚悟が必要です。それは権力者の社会的責任でもあります。それほど権力というものは大きな力を持っているという自覚が求められます。

今、大手企業ではセクハラやパワハラについて研修などが行われていますが、その背景には昭和時代の感覚の上司がたくさんいるからです。根本的な感覚を変えることが必要だからですが、同じことがスポーツ界でも必要のようです。

スポーツ界はビジネス界よりもパワハラが起きやすい環境です。おそらく過去にはパワハラにより辛い経験をした方もいるでしょう。究極的には、どのような業界であろうとも全員が光を浴びることはできません。社員全員が部長になれるわけではありませんし、取締役、社長になれるわけではありません。また、全員が金メダルを取れるわけではありませんし、代表に選ばれることはあり得ません。

このように組織には階層が生じますが、その際には必ず評価されるというフィルターがかかります。そのフィルターは絶対に公平であり平等である必要があります。これが担保されなければ相応しくない人が権力を持つようになってしまいます。

そして、権力者に相応しいかどうかを評価するものさしとして「寄ってたかって十字架にかけて晒すタイプの見世物にされる覚悟」があります。これまでのスポーツ界は権力者に相応しいかどうかを判断するフィルターが欠けていたように思います。それが今、いろいろな分野でパワハラ問題が噴き出している原因です。

今後もまだ続く可能性がありますが、いっそのことこの機会にすべての分野で噴出したほうがよいように思います。おそらく今のそれぞれの分野で権力を持っている人はほとんどが昭和時代の感覚でいるはずです。それこそマインドコントロールではありませんが、光を浴びることができなかった人も、当時は「それで当然、もしくは仕方ない」と思い込んでいた可能性もあります。

今後は、権力者になる人は公平で平等なフィルターにかけられた人が就くようなシステムを作ることが大切です。しかし、そうしたシステムができたからと言っても必ず理想の社会になるとは限りません。

米国は民主国家で選挙で大統領が決まりますが、今の大統領は平等で公平な思想の持ち主とは思えません。なのに、強烈に支持する人がいます。僕が不思議なのは、超お金持ちで資産家階級に属する人を支持する一般の人たちです。超お金持ちの人は一般の人々から利益を搾取している人です。それなのに、なぜ支持するのか。

やはり、ここにも宣伝広告の影が見えてきます。宣伝広告によって本来とは異なったイメージが発せられています。かのヒットラーもゲッペルスという有能な宣伝相の力が大きくサポートしていました。

 皆さん、宣伝広告には注意を払いましょう。

 じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:44 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月09日

<プロの目利き力>

先週は大規模な自然災害が2つも起きました。関西地方を襲った台風21号は強風のすさまじさを見せつけましたし、北海道の地震では頑丈そうに見える大地がいとも簡単に崩れることを教えられました。やはり自然の脅威は人間の想像を超えたものがあります。

このような災害が起こるたびに、海外からは整然と店の前に行列を作っている国民性を評価する声が聞こえてきます。ほかの国では略奪や暴動が起きても不思議ではないそうで、真面目で実直な日本人資質が賞賛されています。

このような映像を見るたびに日本に生まれてよかったと実感しますが、そうしたこととは別に、ニュースの映像を見ていますとスマホのカメラ機能の高さを感じます。台風での災害では大きなトラックが強風で横倒しになる様子やビルの屋根が吹き飛ばされる強烈さはスマホならではの映像です。現場で実際に体験しているからこそ伝えられる臨場感がありました。

スマホが登場する前は、事故現場などの映像はマスコミの人が撮影するしか方法はありませんでした。ですが、実際問題としてマスコミの人が駆け付けたときは最も厳しい状況が終わったあとです。映像で最も強いインパクトを伝えるのは最も激しい状況の映像です。その意味で言いますと、マスコミの人が伝える厳しさのピークを過ぎた映像はインパクトがある映像とはいえません。それに比べますと、厳しい状況の現場で撮影しているスマホの映像には敵いません。速報性と衝撃性の観点で考えますと、スマホの登場はとても大きなものがありました。

*****

僕はおじさんですのでSNSというのはあまり得意ではありません。というよりもあまり好きではありません。ですので、ツイッターもfacebookもアカウントは持っていますが、今一つ使い切れていない部分があります。特にツイッターに関しては「どうして、いちいちつぶやかなくちゃいけないんだ」という思いがあります。

このようなひねくれた性格ですのでSNSの世界に疎いのですが、数ヶ月前にたまたま僕の知らない世界に触れる機会がありました。そこで知ったのが「はあちゅうさん」とか「かっぴーさん」とか「イケダハヤトさん」といった方々ですが、僕が知らなかっただけでネットの世界では著名人のようでした。本当に世の中には自分の知らないことがまだまだたくさんあるものだと実感した次第です。

時を同じくして知ったことがツイッターの有用性です。僕はツイッターは単なるつぶやきツールと思っていましたが、今の時代はツイッターは広告宣伝またはマーケティングに欠かせないツールとなっているようでした。そうなのです。宣伝に長けている人たちはツイッターを使って自分というブランドを確立または拡散しています。

その流れの延長で知ったのが、今出版業界を席捲している若い編集者でした。箕輪 厚介さんと言う方ですが、出版業界または若いネット利用者の間では有名人だそうです。有名になった理由はヒット作を連発しているからですが、与沢翼『ネオヒルズジャパン』や堀江貴文『多動力』、見城徹『たった一人の熱狂』などがあります。また、箕輪サロンという集まりも有名だそうです。

箕輪さんの言葉で印象に残る言葉が「熱量がある」という表現ですが、売りたいという強い気持ちが本を作る際には一番重要なようです。箕輪さんは以前は双葉社にいましたが、現在は幻冬舎に在籍しています。箕輪さんのインタビューを幾つか読みましたが、箕輪さんを見ていますと、若い頃の見城徹氏に似ている印象を受けました。わざわざ言う必要もないでしょうが、見城氏は幻冬舎の社長さんです。

お二人に共通しているのは売れそうな雰囲気を察知する感性です。そして、おそらく編集者という職業にはこの感性が最も大切なのでしょう。

*****

僕が子供の頃は、ほとんどの小学校に二宮金次郎さんが背中に薪を背負って本を読みながら立っていました。二宮さんは勤勉の象徴的存在ですが、僕は大人になってから二宮さんのほかの面を知ることになりました。なにかの人生指南本だったと思いますが、

「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」

という箴言に出会いました。

この箴言に出会ったのは僕が独立してラーメン店を営んでいたときでそこそこ儲かっていたときです。当時は、グルメ番組が隆盛で実際の現場とテレビの伝える内容があまりに違っていることに憤りを感じていました。飲食店の浮沈がテレビ業界に影響されていることが納得できなかったのです。「売れさえすれば、どんな方法でも構わない」という風潮がまかり通っていたことに我慢がなりませんでした。

その頃の僕は「売上げよりも、売り方が重要だ」と考えるようになっていました。つまり、正々堂々と売ることにこだわりを持っていました。事実を誇張したり消費者を惑わすような宣伝方法で売上げを作るのは間違いだと思っていました。そのときに出会ったのが「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」でした。

どんなにきれいごとを並べて、格好いいことを言っていても赤字経営をしていてはなんの意味もありません。会社員でしたら毎月決まったお給料がもらえますが、自営業者は赤字では生活ができません。僕は十数年後に廃業することになるのですが、この言葉の厳しさを嫌というほど味わいました。

*****

テレビ業界ですとプロデューサー、出版業界ですと編集者になりますが、こういった人たちは世の中に伝えたいことを出力する権限を持っています。インターネットの登場で誰でも情報発信ができるとは言われますが、多くの人の目に触れるという意味ではプロデューサーや編集者の立場の方はやはり圧倒的に強いものがあります。

こうした状況の中で、世の中へ作品を出品する権限を持っているプロデューサーや編集者の方々には社会的責任があるはずです。社会に貢献する本を送り出すという責任です。一般の人が情報を発信することとプロと言われるプロデューサーや編集者が情報を発信することの一番の違いは作品を評価する目利き力です。

もちろん「経済なき道徳は寝言」ですから、赤字になっては意味がありませんが、経済だけを追い求めて作品を選ぶのは間違っています。プロデューサーまたは編集者という仕事は社会に与える影響が大きいですが、だからこそ仕事に対する責任も大きくなるはずです。

一般の方が映したスマホの映像がテレビで放映されるのを見ていて感じたことでした。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:29 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月02日

<僕の中のIT事情>

僕はかなり前からgoogleのadsense広告を利用していますが、昨年の10月頃からちょっと異変が起きています。それまではわずかではありますが、毎月一定金額の報酬が発生していました。しかし、昨年の10月を境に一気に報酬額が下降してしまいました。そうは言いましても元々大した金額ではありませんのであまり気にはしていませんでした。

それが気になり出したのは、たまたまスマホで自分のサイトを見たときに余計な広告が表示されることに気がついたからです。adsense広告が表示されるのは当然ですが、その広告を入れた記憶はありません。なぜ表示されるのか不思議でしたが、その表示のされ方が少し変わっていたのも気になりました。

adsense広告は自分が表示させたいところにコードを挿入しますので、意図するところに表示させることができます。ですが、この余計な広告は画面をスライドするのに合わせて画面の一番上か一番下に表示されるように設定されていました。基本的に僕は、広告はできるだけテキストの邪魔にならないことをポリシーにしています。その意味で言いますと、この余計な広告は僕のポリシー違反です。僕はこの広告を消すことにしました。

ところが、htmlを見ましてもどこにもその広告の文章らしきコードが見当たらないのです。僕はサイトの分析もしていますので分析用のコードがあるのは当然です。それ以外にはadsense用のコードがあるだけで、それ以外にはコードは見当たりませんでした。

そこで僕は次の可能性を考えました。それは、「なにかのアプリが勝手にスマホに広告用コードを仕込んでいる」可能性です。そう考えた理由は、余計な広告はスマホでは表示されますがPCでは表示されないからです。このように推測したですが、残念ながら僕のITスキルでは余計な広告を表示させているアプリを見つけ出すのは不可能です。仕方なく僕はあきらめることにしました。

僕は妻とはもうかれこれ35年以上の付き合いがありますが、その妻は僕に「男のくせにネチネチして女々しいヤツ」と言い放つことがあります。そのネチネチのせいか、僕は余計な広告削除をあきらめると言いながら、実はあきらめきれないでいました。ことあるごとに原因を探し求めていたのです。

そんなある日、余計な広告が表示されるページをPCで見ていますとあることに気がつきました。それは画面の左端の上の隅っこに「ninja」の文字が小さく表示されることです。これはなにかと言いますと、「忍者」という会社が提供しているサイト分析用の文字です。僕は先にhtmlに分析用のコードが挿入されていると書きましたが、そのコードが表している「ninja」の文字です。

そのときにふと、思いました。「ninja」はPCでは表示されるのにスマホでは表示されない。もしかして…。

案の定。この分析用のコードを削除しましたところ、余計な広告は表示されなくなりました。遠山の金さんでしたら「一件、落着!」と叫ぶ場面です。

余計な広告が表示されなくなったのはうれしいのですが、一つ問題が起きました。それは分析ができなくなったことです。世の中には分析ツールが幾つかありますが、その中で「忍者」さんは僕のようなITスキルの高くない人にとって使いやすい分析ツールでした。ですが、使えなくなりましたので次の分析ツールを見つける必要があります。

分析ツールとして有名なものにはgoogleが提供しているアナリティクスというツールもあります。ですが、これが素人には使いづらいのです。生活に使う家電はどんどん進歩していろいろな機能が付随するようになっていますが、機能が複雑になりすぎて高齢者には使いづらいという話を聞きます。アナリティクスもまさにそれです。

僕のような立派なおじさんには複雑すぎて使いづらいのです。それでもこれしか方法がありませんので挑戦しているのですが、わかりにくいというのが今の段階の正直な気持ちです。

「わかりにくい」というのは物事を判断するときにとても困ることですが、女子体操の世界でもパワハラ問題が表面化しました。最初にコーチが暴力をふるったという理由で除名されたという報道を見たときは、このコーチがパワハラの犯人と思っていましたが、その後の展開を見ていますと、コーチを裁断した協会側がパワハラの首謀者のようです。

これを告発したのがまだ18才という女子選手だったことが、また驚きでした。以前日大アメフトの悪質タックルの事件のとき、堂々と記者会見をして告発したのは20才という学生でしたが、さらに若い女子が告発したことに意義があるように思います。女子選手が名前と顔を出して正々堂々と会見しているのに比べますと、告発された側である指導者が文章で反論している様は指導者として失格の印象を与えます。

もし、女子選手が告発しなければ除名されたコーチが「資質に問題のある指導者」で終わっていたはずです。一つ間違えますと、選手生命を失う可能性もある中で行動を起こした勇気に敬意を感じる人は少なくないはずです。

協会側の会見を見ていましたら、具志堅副会長は中立の立場で誠意のある対応をしている印象を受けました。そのような人が協会側にいることがせめてもの救いです。このあと第三者委員会が調査をして結論を出すようですが、どのような結果が出ようとも今回のような騒動が起きた状態でパワハラを指摘された人物が幹部にいて選手たちが普通の精神状態で競技に打ち込めないのは明らかです。パワハラを指摘された幹部は「潔く退くのがスポーツを極めた大人」の取るべき対応ではないでしょうか。

やっぱり、スポーツの世界は純粋であってほしいです。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:41 | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする