2018年08月26日

<感動>

残暑お見舞い申し上げます。本当に暑い日が続きます。実は、僕は体温が低いようでほかの人が暑いと感じるときでもあまり暑さを感じない体質です。昨年書きましたが、現在僕は寝るときは妻と部屋を別にしています。理由は、暑さを感じるレベルが違うからです。妻が「暑い」とクーラーをつけますと僕には寒く感じてしまうのです。ですので昨年から夏の期間は寝るときに部屋を別々にすることにしました。いわゆる夏の夜だけ家庭内別居ということになります。

実は昨年は居間のエアコンが故障していました。かなり年季の入ったエアコンでしたので、修理を依頼しようかどうか迷っているうちに夏が過ぎてしまったという状況でした。ですが、さすがに今年は新しいエアコンを購入する予定で、6月ころから考えていたのですが、今年の暑さを考えますと早めに購入しておいて正解でした。

今年はエアコンを購入する気持ちにはなっていましたが、具体的な日にちなどは特に考えていませんでした。それを6月に購入したのは、ある意味偶然です。

僕はたまに妻と一緒に大手家電チェーンに電機マッサージ機を利用するために行きます。よく見る光景だと思いますが、マッサージ機が並んでいて自由に試すことができる「あれ」です。あのマッサージ機は「試す」という名目で自由に利用できるのですが、日曜祭日は販売者がいて落ち着いて椅子に座ることができません。しかし、平日ですと誰もおらず、文字通り自由に利用することができます。

6月の初旬のある日、いつものようにマッサージを終えたあと、なんとなく「エアコンを見に行こうか」という話になりました。そのときは購入するつもなどなく下見をするというくらいの軽い気持ちでした。

売り場に行きますと、まだ夏本番前でしたのでほかにお客さんもおらず、僕たち夫婦だけでした。販売員さんも見当たらなかったので誰に気を遣うこともなく好きなように見て回っていました。すると、僕たちに気づいた販売員さんがさりげなく近づいて来て話しかけてきました。

「どういったエアコンをご希望ですか?」

こういうときお客の立場としてはしつこくつき纏われるのは抵抗があります。ですので「ええ、まぁ…」などとあいまいに答えていました。すると、この販売員さんは「なにかありましたらお声をおかけください」と離れて行きました。

販売員さんは40才くらいの男性でしたが、チェーン店の制服を着ていませんでしたので派遣の方のようでした。僕はこの男性のしつこい接客をしない姿勢に好印象を受けました。僕は商品を購入したり契約をするときは販売員さんとの相性を大切にします。僕はこの男性と相性が合うと感じました。

そこで僕はエアコンの選び方などを質問して、いろいろと話したのですが最初の印象どおりにこの男性が気に入りましたのでそのまま購入することにしました。このあと一気に夏がやってくることになり、エアコン購入は工事が思うようにできず苦労していると報じられていました。その意味で言いますとあのときに購入したのは大正解だったと思っています。

先週は、そのエアコンが効いた部屋でアジア大会を見ていたのですが、スポーツの素晴らしさを実感しています。どうして、スポーツってこんなに人を感動させるのでしょう。もしかしたらスポーツ大好き人間の僕だからかもしれませんが、水泳競技ではついつい大声で応援していました。

実は、アジア大会がはじまるまではさほど注目と言いますか関心も持っていなかったのですが、競技がはじまりますと僕の中で一気に盛り上がっていきました。この一因は日本選手が活躍していることにあるのは間違いありません。もし、競技の結果が芳しくなかったならこれほど興味も持たなかったでしょうし、関心も示さなかったように思います。

重要なことは結果を出すことです。結果が伴わない限り周りから注目されることもないでしょうし、感動を呼ぶこともありません。どこかのCMではありませんが、感動は「お金では買えないもの」です。

感動という言葉で僕が印象に残っている会話があります。記憶がおぼろげなのではっきりとした場面ではないのですが、それは「巨人の星」に出てくる牧場春彦君が誰かと話す場面です。「誰かと」とするのは記憶がおぼろげであるからにほかなりません。

巨人の星の主人公は「星 飛雄馬」ですが、牧場春彦君は星君と同じ高校に通う漫画家志望の青年でした。その牧場君が漫画家を目指していく過程で「感動」について考える場面がありました。牧場君は「感動」を「勝利をした人とか成功した人を見て憧れる気持ち」と考えていました。

ですので漫画で物語を作るときも「無理やりに勝たせたり、成功させる物語」にしていたのですが、「誰か」に「それは違うんじゃないか」と戒められるのです。その「誰か」は牧場君に「感動とは、別に勝利する必要もなければ、成功する必要もない」。感動とは「人の心を動かせることなんだ」と諭すのです。牧場君はその言葉を聞いて「目から鱗が落ちる」感覚を得て、その後漫画家としてステップアップして行くことになります。

巨人の星はスポーツ漫画の金字塔ですが、僕の中ではなぜかこの牧場君のエピソードが強く心に残っています。それにしてもここに出てきた「誰か」って誰なんでしょうねぇ…。自分でも知りたい気持ちになっています。どこかの編集者かな…。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:20 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月19日

<62回目の誕生日>

「おめでたい」のか、「悲しい」のかわかりませんが、本日は僕の62回目の誕生日です。あっという間の62年間でした。このコラムを書き始めておそらく14〜15年が過ぎましたが、毎週日曜日に書いています。ですから、年間で50回くらい書いていることになり、少なくとも14年ですのでこれまでに700回書いていることになります。そして、僕の記憶では誕生日とコラムが書く日が重なるのはそうなんどもありません。少し調べてみましたところ、2012年の8月19日が日曜でした。つまり、6年に一度くらいの割合でコラムと誕生日が重なることになるようです。

そこで、せっかくの誕生日とコラムの重なり日ですので、今回は62年を簡単に振り返る日にしようかな、と思います。しかし、「ただ振り返る」だけですと、取り留めもないことになりますのでなにかしらテーマを決めることにしました。

いろいろ考えた結果、僕が物心ついたときとテレビが普及した時期が同じですので、「僕が見てきたテレビ」をテーマに振り返りたいと思います。

僕が初めてテレビを見たのは5才の頃です。ですから、テレビが我が家にやって来るまでは外で遊ぶ以外にやることはなかったことになります。ラジオを聞いていた記憶はありません。当時、僕の家は田んぼが広がっているところの端に建てられていたアパートに住んでいました。やることと言ったら、稲刈りが終わったあとの田んぼで走り回ることくらいです。

ある日、父が『今日テレビを買ってくる」と言って出かけたのですが、持ち帰ってきたのは「ラジオだった」という記憶があります。テレビはまだ高価で買えなかったからです。若い皆さんもテレビやネットで昭和を振り返る番組やサイトなどで見たことがあるかもしれませんが、テレビが一気に一般家庭に普及したのは今の天皇陛下がご結婚をしたときと言われています。そして、東京オリンピックもきっかけになっています。当時の三種の神器は「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」で、それから新・三種の神器として「カラーテレビ (Color television)・クーラー (Cooler)・自動車 (Car)」が登場しています。

我が家は貧しかったので普通の家庭よりも数年遅れてブームがやってくるのが常でした。ちなみに、父は当時郵便局に勤めていたのですが、九州の田舎から出てきた学歴もない男性が安定した仕事を考えるとき公務員になるしか術はなかったように思います。

今では考えられませんが、その頃の公務員は薄給の象徴的な職業でした。公務員は解雇されることがありませんので、その代わりお給料を低くするという発想です。僕には10才くらい年長の従妹がおり、彼女は大手化粧品会社の工場に勤務していたのですが、高卒の彼女のほうが30代半ばの公務員男性よりもお給料が高かったそうです。ボーナスも含めますと、従妹の年収は父の倍くらいあったそうです。当時は、それくらい公務員のお給料は低いのが普通だったのです。

話は少し逸れますが、公務員のお給料がその後一気に高くなるのですが、それを実現させたのは田中角栄首相でした。田中氏は公務員の社会的地位を向上させることで官僚をコントロールすることに成功しました。

「逸れ」ついでに話を進めますと、政治家の能力は究極的には「官僚をいかにうまくコントロールするか」にかかっていました。なぜなら、いくら政治家が政策を決めたにしても実行するのは官僚だからです。しかも、実際は政策を決めるのも官僚が行っていたという事実があります。今ではなくなりましたが、かつては各省の事務次官が週に1回会議を開いて政策を議論し、決めていた時代がありました。それほど官僚は力を持っていました。

2009年に民主党が政権を取りましたが「失われた3年」と揶揄されるほど、失敗の烙印を押されてしまいました。その原因は「官僚をコントロールできなかったこと」に尽きると思っています。

「逸れ」が長くなってしまいました。話を戻します。

ある日、父が「今日、テレビを買ってくる」と言って出勤しながらラジオを持って帰ってきたのですが、そのときの落胆した気持ちは今でも覚えています。僕がテレビを見ることができたのは、隣の家にテレビがきたときです。晩御飯を食べ終わったあと、隣の家に行き正座をして見させてもらっていました。

僕が自分の家で初めてテレビを見た日のことは記憶にないのですが、僕の頭に強く刻み込まれているテレビの映像は「鉄人28号」が暗闇の中を「ノシ、ノシ」と歩いている姿です。もちろん白黒でしたが「鉄人28号の影が映し出されてから、音楽がはじまっていた」ように記憶しています。

次に覚えているテレビ番組は「スーパージェッター」です。流星号という空を飛ぶ乗り物を腕時計に向かって命令を出し、操るジェッターに夢中になっていました。ここから先もすべてアニメになりますが、「鉄腕アトム」「エイトマン」「狼少年ケン」「オバケのQ太郎」「ジャングル大帝」「魔法使いサリー」「マッハGoGoGo」、一応年代順に紹介しています。

この頃は小学生でしたが、この後中学生になってから登場するテレビ番組には少なからず自分の人格形成に影響を受けました。「ゲゲゲの鬼太郎」「巨人の星」「サイボーグ009」「サスケ」「妖怪人間ベム」「タイガーマスク」といったところでしょうか。いやぁ、書きながら懐かしんでおります。

夏休みになりますと、午前中にアニメを放送する時間があり、それを毎日見ていました。再放送でしたが、午前中の1〜2時間はテレビアニメに首ったけでした。

中学生になりますと、「ぎんざNOW」しか記憶にありません。夕方5時からのバラエティ番組でしたが、ここで関根勤さんとか小堺一機さんとか竹中直人さんなどを知ることになります。

この番組で僕が一番覚えている場面は「とんぼちゃん」というフォークデュオが出演したときです。「とんぼちゃん」は若い女性に人気のあるデュオで、歌い始める前のMCのときに自分たちのコンサートの告知をしました。そのときにたくさんの人にほしいという意味で「男性も女性も若い人もお年寄りも」と言ったあとに「足のない人も…」と続けてしまったのです。

このときは場内から軽い笑い声が起きただけだったのですが、歌い終わったあとに司会のせんだみつおさんから「不適切な言葉がありました」とお詫びの言葉がありました。ですが、そのとき二人は「そういうつもりで言ったのではないので…」といい訳めいた発言をしました。するとせんださんは真面目な口調で「いえ、しっかりと謝罪するべきですよ」と二人に注意をしたのです。

当時、せんださんはお笑いタレントとして活躍しており、今で言いますと出川哲郎さんのような立ち位置にいました。つまり、おちゃらけて笑いを取るのが本来の役割ということになります。そのせんださんが真面目な顔で二人に注意をしたのがとても好感で新鮮な気持ちになった記憶があります。

その場面は、僕が初めてテレビとかタレントについて考えるようになったきっかけになりました。このあと高校時代はクラブ活動に土日も含めて明け暮れていましたのでテレビの記憶はありません。夏休みもほとんどクラブ活動をしていたように思います。

こうして僕の中学高校時代までの人生が過ぎて行ったのです。あれから47年、あっという間の人生ですね。今週は誕生日特別コラムでした。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:46 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月12日

<一芸バカ>

今年も終戦の日がやってきました。戦争が終わって73年です。戦争体験を持つ人がどんどんといなくなることは戦争の悲惨さを実感できる人が少なくなることです。僕は経験主義者ですので、どんなことに対しても経験していない人が知識や想像だけで「わかったつもり」になることに不安を覚えます。

戦争の悲惨さをいくら訴えようが、実感として伝えられないのであればその「悲惨さ」は絵空事でしかありません。ですから、戦争が起こらないような社会にするには「悲惨さ」を実感してもらう方法を考えることが大切です。

*****

6月のサッカーワールドカップはフランスの優勝で終わりましたが、予選で敗退したドイツでは代表選手が政治的な問題で引退を発表する出来事がありました。マスコミでも報じられましたのでご存知の方も多いでしょう。ある有名な代表選手が自らの行動に対する批判に納得ができず代表の引退を発表しました。

簡単に経緯を説明しますと、トルコ系移民であるその選手がトルコの大統領と面会することになり、その際にその大統領に敬意を表す振る舞いをしました。その対応が物議を醸すことになったのです。なぜならその大統領は独裁的で国際的に批判されている大統領だったからです。

この騒動が起きた原因の一つは間違いなく大統領が選手たち(2人)との会談を広告として政治利用したことです。これが最も大きな要因です。有名で人気があったとはいえ、一サッカー選手が自分のルーツである祖国の最高権力者と面会することは礼儀的な面で考えますとよくある普通のことです。おそらくその選手たちは深い意味も悪気もなかったはずです。ですから、自然な気持ちで面会をし、そして自然な流れでユニホームにサインをして写真に納まったと想像します。

考えようによっては、大統領にはめられたと取れなくもありませんが、脇の甘さは指摘されても仕方ないように思います。繰り返しになりますが、その大統領は独裁的で国際的に批判されている指導者だったからです。

日本プロ野球の王貞治選手が世界新記録のホームランを打ったのは僕が大学生のときです。球場が沸き上がり盛り上がっているテレビでの映像を見て、僕はなぜか「王選手がホームランを打ってみんなが盛り上がっているのも、世界が平和だからだよなぁ」と思ったことを覚えています。

そうなのです。みんなが楽しい思い出を作り笑顔になれるのは社会が平和だからです。平和は大切です。

僕が小学校の6年生のとき、担任の森山先生は「日本は戦争に負けたあと、アメリカに占領されてよかったんだよ。もし、ソ連に占領されていたら今のような自由な社会にはなってなかったな」と話していました。なぜか、このときの森山先生の言葉が50年以上過ぎた今でも覚えています。

「学者バカ」という言葉があります。辞書によりますと「専門的な知識はあるものの、一般常識に欠けている人のこと」ですが、「一般常識」という言葉は「バランス感覚」と置き換えることもできます。

プロになるほどの技術を持ったサッカー選手は知名度は高いですし、自ずと影響力も大きくなります。これはサッカー選手に限ったことではなく、あらゆるスポーツ選手に当てはまります。一流のスポーツ選手はそのことを常に頭の隅も置いておく必要があります。

先のドイツの代表選手も自分の立場を考えるなら安易に政治家と交流するのは控えるべきでした。例え、悪意はなくとも結果的に大きな影響力が生じるなら控えるべきです。それを考えることが「バランス感覚」です。

*****

誰しも「戦争反対!」とは言いますが、「他国から攻められたときは戦うしかない」とも言います。「戦う」ことは紛れもない「戦争」です。

他国に侵略されて占領されたら「悲惨な」社会になる、だから「戦争しなければいけない」という結論になります。ですが、戦争状態になった社会はすでに「悲惨な」社会です。なぜなら、相手と戦うために軍隊が主導権を握る社会になるからです。

軍隊が主導する社会を最近のわかりやすい例えで言うなら「日大アメフト部」です。上からの命令は絶対に従わなくてはならず、できないときは自分という存在さえ危ぶまれる社会です。一般的に強豪と言われる学校の厳しい運動部はほとんどが当てはまりそうです。女子水球の日本代表のパワハラとか日大応援部のパワハラとか、次々にパワハラが明るみになってきていますが、基本的に厳しい運動部のほとんどはパワハラが前提の構造になっているように思います。

最近、ボンボン二世というポジションでバラエティ番組で活躍している著名人に長嶋一茂さんがいます。言わずと知れた長嶋茂雄氏のご長男ですが、一茂さんは「三流」という本を出しています。著者はほかの方で一茂氏および周りの方々に取材をして一茂さんという人間を浮き彫りにしている本ですが、この本には一茂さんの大学時代のパワハラが書いてあります。

もちろん、当時はパワハラという言葉などありませんが、一茂さんが先輩として後輩に行っていた行為は今で言うと明らかにパワハラでした。しかし、当時はそうした先輩の振る舞いが当たり前の時代でした。理不尽な先輩の言動に振り回され、苦しんでいる後輩たち。こうした構図がスポーツ界の姿だったのです。

戦争という状態では、社会はこのような理不尽な世の中になります。上の者に従うしか術はなく、それができないときは社会から存在が許されない立場に追いやられるのです。

他国から攻められたとき、「戦うしか方法はない」と考える皆さんはこのような社会になることを想像してください。理不尽な世の中は占領された「悲惨な」社会と大して変わらない環境です。そのことも考えたうえでどのように対応するのがよいのかを考えてほしいと思います。

いつまでも戦争が起きませんように…。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 14:40 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月05日

<職場のしわ寄せ>

東京医科大学が女子の受験生に対して一律10%の減点をしていた、という報道がありました。まだ真偽は定かではないようですが、そのほかの報道から鑑みますと満更ウソでもなさそうです。この不公平に対して各方面から怒りの声が出ていますが、普通の感覚からしますと至極当然の反応です。

かつて受験戦争という言葉が出始めた頃、マスコミ世論は「勉強だけで人間を計る受験制度は間違っている」という意見を正論のようにもてはやしていました。そのとき当時の中曽根首相が「受験戦争ほど公平で平等なものはない」と正反対の意見を述べていたのが印象に残っています。

中曽根首相の真意は「社会に出ると人間関係やいろいろなしがらみなどにより、実力以外の要素で人物評価が決まることがある。それに対し受験は自分が勉強するだけで評価されるのだからこれほど公平で平等なことはない!」というものでした。確かに、大人になり会社や組織で働いていますと、上司との性格の相性とか派閥だとか学閥などといった実力以外の要素で評価が決まる場面があります。もしかしたらその要因のほうが大きいかもしれません。それに比べますと、受験は自分が努力した結果だけで評価されるのです。それを聞いた当時、僕はやけに感心した覚えがあります。

社会が適切な評価がなされないで動いていくならその社会は必ず崩壊するでしょう。努力をした人間が評価されるのが理想の社会です。今、問題になっている日本ボクシング連盟などはその際たる例かもしれません。勝負の判定が実力ではなく社会的地位の高い人が恣意的に決めるのであれば、いったい誰が苦しく辛い練習をするでしょう。人が努力をするのは公正な審判が行われることが大前提になっています。わざわざ言うまでもありませんが、八百長は社会公正に反しています。

東京医科大学の女子受験生の一律10%減点が事実であったなら受験そのものが八百長ということになります。そのような受験のやり方がまかり通っていいわけがありません。

ですが、この報道で僕が気になったのが八百長をすることになった理由です。「女性は医師になったあとに、出産や育児で医者としての仕事から離れる確率が高いから」という理由です。これに対して「女性が働きやすい環境を作ることが必要」で「そういう努力をしているのか?」という反論が出ています。

もちろんこの反論は正論です。

いろいろなところで報じられていますが、現在の医療現場は働く医療関係者の立場からしますとブラック企業と変わらないそうです。医師もそうですし、看護師も同様です。では、なぜブラック企業化するかと言いますと人手が足りないからです。

僕はラーメン店を営んでいましたが、売上げが好調のときも含めて一番困ったのはパートさんアルバイトさんの確保でした。客席が10人くらいの規模のお店でしたら夫婦二人でお客様を捌くことはできますが、僕のお店は倍以上の客席がありました。ですから、最低でもあと一人の従業員が必要でした。ですから、突然休まれてしまいますとピークタイムはひっちゃかめっちゃかの状態で対応しきれませんでした。こうした状態が数日続いたならお店の評判はガタ落ちになり閉店に追い込まれても仕方なかったでしょう。それほど人員確保は大切です。

小さなラーメン店でさえ人員確保は重要な問題なのですから、人の命を扱う医療現場では尚更です。それこそ死活問題です。このような背景がある中で医師を育てる大学が入学の時点で性別で差をつけるのも理解できないでもありません。

僕が「理解できないでもありません」と思うのは、医師を養成する大学は「入学者がそのまま将来の働き手になる」という記事を以前読んでいたからです。女性は出産や育児で職場を離れる確率が高いのですから、そのリスクをできるだけ低くしようと考えるのは経営の面で考えますと当然です。

あるコラムニストの記事を読んでいましたら、最近の若い人が「経営者目線でものごとを見る、考えることの裏に隠れていること」を指摘していました。そこには「意識高い系の人によく見られる傲慢さ」が感じられるからです。確かに「傲慢さ」は人間性という観点ではいただけませんが、「経営者目線で仕事に取り組む」のは正しい向き合い方だと僕は思っています。

もし、ラーメン店で働いているパートさんやアルバイトさんがお店側の状況などお構いなしに自分の都合だけを優先させて働いていてはお店はやっていけません。病院も同様です。現在、どのような職場でも起きていると想像しますが、育児や子育て中の女性と独身またはお子さんがいない女性との関係に軋轢が生じているようです。いくら理想論を言おうが、現実問題として子育てをしていない女性たちに“しわ”寄せがいくのは事実です。そしてそれが職場に溝を作っています。

会社が倒産しないためには、結局だれかが“しわ”を受け入れる必要があります。それが許容範囲であればなんとか我慢できますが、限度を越えますとその組織は崩壊します。

現在、コンビニは生活に欠かせないインフラと言われるほどの存在になっていますが、コンビニが成り立っている一番の理由はフランチャイズ方式だからです。もし直営方式であったならとうの昔になくなっていたでしょう。なぜなら人員確保がままならないからです。フランチャイズ方式ですと、“しわ”は加盟店主が引き受けることになっていますので心配はいりません。

コンビニの“しわ”の最大の要因は24時間営業ですが、かつてローソンで社長に就任した新浪氏が24時間を見直そうとしたことがあります。しかし、実現できませんでした。そして今年ファミリーマートの新しい社長に就任した澤田氏も同じような発言をしました。しかし、その後進展はしていないようです。これがなにを意味するかと言いますと、誰かが“しわ”寄せを受ける状況を改善する方法が簡単に見つからないことです。

今回の医科大学における女子受験生に対する一律10%減点という八百長が起こる核心には女性が働きにくい職場になっている医師の世界があります。これを改善するのは先のコンビニと同様に簡単ではありません。コンビニの従業員は資格がなくてもできますが、医師は難関の資格を持っている必要があります。職場の改善の難しさはコンビニの比ではありません。

しかし、医師の世界のブラック化を解消し、女性医師が活躍できるようにする必要があります。そのためには旧態依然とした発想しかできない昔ながらの経営者ではなく斬新な発想を持った若い経営者が病院または医科大学の経営に携わる必要があります。

吉田拓郎さんは歌っています。

「古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう」

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:59 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする