2018年07月29日

<柔らかい発想>

僕はおじさんですので大分前に漫画を読まなくなりましたが、大人になってからも読んでいた漫画で最も印象に残っているのは「ドラゴンボール」です。ちょうどラーメン屋を営んでいたのですが、お店用に漫画を購入していた関係で「ドラゴンボール」を読むようになったと記憶しています。

当時は「ドラゴンボール」を読みたいがばかりにジャンプの発売日を楽しみにしていました。こうした気持ちは僕だけはなく当時の少年たちのほとんどが同じ気持ちだったように思います。その証拠に本来の発売日の前日に販売をしていたお店の情報が行きかっていました。すぐに売り切れてしまうので競って買いに走っていました。

僕の場合は毎週隣のコンビニで購入していましたので店主の方がジャンプが届いた日(本来の販売日の前日)にわざわざ教えにきてくれていました。ですから、僕はほかの人よりも1日はやく読んでいました。(笑)

ドラゴンボールを読んでいて、僕が「いいな」と思っていたのは悟空が暮らしていた地球ではいろいろな人間や動物や神様が一緒に生活していることでした。そこには差別などもなく平和で穏やかな社会があるように見えました。

しかし、現実の地球ではいつまで経っても争いが絶えません。その原因を考えますと、そこには人間の業があるように思います。「業」とは「自分だけが得をしたい」とか「有名になりたい」「賞賛されたい」といった欲です。この欲が世の中のすべての悪の根源です。

今から40年前学生だった僕は、世の中が公平で平等になるには共産主義とか社会主義も悪くはないのではないか、と思った時期がありました。しかし、その後共産主義は消滅してしまうのですが、その結果を見て学者でも評論家でも知識人でもない平凡なおじさんがたどり着いたことは「人間に業がある限り共産主義は成り立たない」という結論でした。

資本主義は人間の業を利用して経済を発展させようとするシステムのように平凡なおじさんには思えます。僕はコラムを書き始めて15年以上経ちますが、コラムを書き始めた頃僕は幾度か「修正資本主義」という言葉を書いていたように思います。僕がこの言葉を初めて目にしたのは経団連の会長を務めていた奥田 碩氏がマスコミのインタビューに答えていたときですが、「なるほど」と合点がいった言葉でした。

「修正資本主義」をざっくりと言ってしまいますと、「競争によって生じた格差を国策によって修正しよう」という考え方です。あれから20年近く経ちますが、残念ながら今の世の中は激しい格差社会になっています。競争に勝った人がその成果を手放したくないと思うのは当然ですので勝者が格差社会を支持することは理解できます。しかし、まだ勝者になっていない人が格差社会を受け入れる考えになっているのは不思議に思えます。

現在、労働組合の組織率はわずか20%前後です。僕には、この数字が若い人たちが格差社会を受け入れる心情になっていることを示しているように思います。労働者がみんなで経営側から果実を獲得しようと活動するのが労働組合です。こうした活動に積極的にならないのは「自分は勝者の側になる」という意識が働いているからです。と、想像します。

人間は労働に対する見返りがなければ働きません。「見返り」には金銭もありますし「賞賛される」とか「有名になる」といった精神的なものも含まれます。そういった見返りが経済を活発化させるうえで必要です。共産主義が崩壊したのは見返りがなかったからです。仕事を適当にやろうが一生懸命に働こうが見返りが一緒では誰も一生懸命に働こうとはしません。

しかし、現在日本ではボランティア活動が活発化しています。災害が起きますと若い人を中心に多くの人が支援に動いています。ボランティアですから見返りがないにもかかわらずです。ボランティアで得られるものは充実感でしょうか…。

今最も注目を集めている経営者と言いますと、やはりzozotownの創業社長・前澤友作氏でしょう。タレントとの熱愛報道も注目されていますが、僕が興味を持ったのは「競争はいらない」という経営哲学です。競争は資本主義の基本原理ですから競争のない社会は共産主義と一緒です。一生懸命働こうが普通に働こうが見返りが一緒では働く意欲が沸かなくなります。

ところが、zozotownでは社員のお給料が同じなのだそうです。「競争はいらない」という経営哲学の元で働くのですから当然と言えば当然ですが、疑問に思える部分もあります。

zozotownを運営しているのはスタートトゥデイという会社ですが、前澤氏は元々はバンドを組んでいたそうでレコードを輸入して販売したのがはじまりだそうです。つまり最初はバンドの仲間と会社を創業したことになりますが、こういうケースでよくあるのが仲間内の主導権争いです。わかりやすく言いますと、「誰が社長になるか」で揉めるのはありがちなトラブルです。

実は、創業時に仲間ではじめながらも業績が上がるに伴い仲間内で諍いが起きるのはよく見かける光景です。前澤氏はzozotownの成功によりマスコミに登場することが多いですが、創業仲間の動向について報じているメディアがありません。反対に言いますと、創業メンバーとの軋轢は影の部分と推察することもできます。

「競争はいらない」という経営哲学は理念としては理想的ですが、現実的ではありません。前澤氏は競争しない市場に展開すると話していますが、いくら自分が競争しない市場で展開していても競争相手が参入してくることもあります。競争相手が出てきたからといってそのたびにその市場から撤退していては企業として成長・存続するのは不可能です。上辺だけで伝えられることを疑いもなしに受け入れるのは危険です。真実を見抜く目を養うことが大切です。

*****

オウム真理教事件の犯人の死刑が執行されました。これを機にオウム真理教事件について解説する記事を幾つか読みましたが、学歴からしますと騙されそうにない人たちが簡単に麻原教祖にからめとられています。こうした犯罪が今後起きないようにするためには常に思考を柔軟にして、自らを俯瞰する姿勢を持つことが大切なように思います。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:54 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月22日

<師匠と指導者>

またしてもスポーツ界でパワハラが報道されました。今回は水球女子代表での出来事ですが、代表監督が選手たちにパワハラをしたという内容です。詳細はまだはっきりしませんが、監督と選手のコミュニケーションがスムーズに行われていなかったことは確かです。

ほんの少し前に日大アメフト部でパワハラ騒動が大きく報道されました。また、女子レスリング界でも同様の問題が起きていました。どちらもパワハラの当事者は指導者という立場から離れることになりましたが、社会からバッシングされたことも影響しています。

このような事件がありながら今回また同じような問題を起こしている指導者がいることが不思議でなりません。スポーツ界の指導者は社会で起きていることに全く関心がないのでしょうか。心の底から真剣に選手を育てることを考えているならこのような問題が起きたことに無関心でいられるはずがありません。もし、ニュースなどを読まないという人であるなら、スポーツの指導者というよりも社会人として問題があることになります。どちらにしても、そのような人は指導者として失格です。

ここにきて少しずつ指導者の選手に対する接し方について議論が深まっている印象があります。かつての指導者は選手を自分の思いどおりにコントロールするやり方が正しい指導法と考えていたように思います。厳しく接してそれに耐えられた者だけが成長するという神話です。または指導者の指示に従順な選手だけが認められるという事実がありました。

指導者と選手におけるトラブルと聞いて僕が真っ先に思い浮かぶのは野茂英雄選手です。野茂選手については幾度か書いたことがありますが、現在大リーグで多くの日本人選手が活躍していますが、その先鞭をつけたのは野茂選手です。その野茂選手が大リーグに渡るきっかけになったのは監督との確執でした。

当時の監督は投手としての輝かしい実績があった鈴木啓二氏でしたが、鈴木氏の強引な指導法に納得できなかった野茂選手は日本では干される感じになりメジャーリーグに渡った経緯があります。鈴木氏は自分の練習方法を押しつけることでしか選手を育てる方法が考えられなかったのです。イチロー選手も似たような経験があり、もし仰木監督という選手の意向を尊重する指導者に出会っていなかったならイチロー選手は世に出なかった可能性もあります。それほど指導者の育て方は選手の人生に影響を与えます。

その意味で言いますと、現在メジャーリーグでも賞賛されている大谷選手は栗山監督と出会って大正解でした。もし自分のやり方を押しつける指導法しか考えられない監督であったなら大谷選手は途中で潰されていたかもしれません。それが大げさとしても少なくとも現在ほど成長、活躍することはなかったでしょう。なにしろ二刀流に対する賛否は二分していたのですから。

しかし考えようによっては、大谷選手が栗山監督を選んだとも言えます。メジャー行きを決めていた大谷選手が栗山監督の説得を受け入れたのですから、栗山監督の指導者としての資質を大谷選手が見抜いたことになるからです。

指導者が選手に無理やり練習方法を押しつけるやり方は問題があります。ですが、中にはそうしたやり方で成功した例もあります。長嶋監督と松井秀喜選手の師弟関係です。長嶋監督が松井選手に厳しく激しい練習を課したのは有名な話です。この師匠と弟子は一緒に国民栄誉賞まで受賞していますので理想的な師弟関係と言えそうです。そして、日本人にはこのような厳格な師弟関係を好む傾向があるように思います。

「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」ということわざがありますが、これは本当に深い愛情を持つ相手にわざと試練を与えて成長させることを意味しています。ドラマの世界にありそうで心に響くものがありますが、僕にはこうした思想を持っていることがパワハラの背景になっているように思えます。

間違いなく、谷底から這い上がってこられない獅子の子もいるはずです。獅子の世界ではそうした育て方が理想なのかもしれませんが、僕たちが生きているのは人間の世界です。少し前に親から虐待を受けた小さな子供が死亡する事件がありましたが、自分のやり方に固執する子育てしかできない親元に生まれた子供はあまりに不幸です。

スポーツの世界でも同様です。指導する師匠が常に正しい指導法を行っているとは限りません。指導者は常にそのことに敏感でいる必要があります。指導者に不向きな師匠は自分の考えを押しつけるやり方しか認めようとしないものです。選手と指導者では求められる資質が違います。「名選手名監督に非ず」も昔から言われることわざです。

先ほど、長嶋氏と松井氏の関係を理想的な師弟関係と書きました。しかし、松井氏が同じように思っているかは疑問です。なぜなら、松井氏は引退後にメジャーの2軍や日本のプロ野球でコーチをしていますが、長嶋氏のような指導法を行っていないからです。僕の想像では、松井氏は長嶋監督の指導法を受け入れてはいましたが、心の中では疑問を感じていたのではないでしょうか。コーチをしている松井氏の指導法を見ていますとそのような想像をしてしまいます。

指導者の目的は選手の能力を高めることです。正確に言うなら「高めるサポートをすること」です。あくまで指導者はサポートの立場であることを自覚する必要があります。このときに注意が必要なのは「指導者」は「師匠」ではないことです。そして、「師匠」は昭和で終わっていることです。

僕は高校時代に厳しい練習の運動部に所属していましたが、当時は足腰を鍛えるのにうさぎ跳びの練習をさせられていました。広い校庭をうさぎ跳びを何周もさせられていました。そうした練習が普通だったのです。しかし、今はうさぎ跳びの練習は推奨されていません。膝を壊すだけと言われているからですが、時代とともに練習方法は変わっていきます。

指導者と選手の関係も同様です。かつて師匠と弟子と言われていた関係は今の時代は通用しなくなっています。指導者は選手をコントロールして成長させようなどという発想は捨てるべきです。そして、この発想はあらゆる業界に当てはまります。

先日、「ほぼ日新聞」で有名な糸井重里さんの記事を読む機会がありました。糸井さんと言いますと、穏やかでどんなことでも「いいよ。大丈夫」と相手を自由に泳がせてくれるイメージがあります。ましてや一緒に働いている人に「ダメ出し」など絶対にしないと思っていました。

しかし、弟子と思った相手にはとても厳しい接し方をすると話していました。それこそ「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」の考え方で接していたそうです。これには驚かされました。仕事においてはこれが当然だと思っていたようです。おそらく糸井さんの周りでは谷から這い上がれずに浮かばれないまま人生を送っている人がそれなりにいるのではないでしょうか。

会社などにおいても厳しい指導をする上司や先輩がいますが、その指導が適切かどうかはわかりません。実は、正解などないのです。要は、自分に合っているかどうかです。そして、今指導する立場の皆さん。間違っても師匠になろうなどと考えてはいけません。立場が変わればあなたはただの一人間に過ぎないのですから。

安倍ちゃんもそう思ってくれないかぁ。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 15:49 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月15日

<オロナイン>

40代の頃に損害保険の保険代理店を営んでいたのですが、そのときに最も多く販売していたのが所得補償という保険です。これは病気やケガで働けなくなったときに保険金が支払われる保険ですが、保険料の割に補償額が大きく良心的な保険だったように思います。

この保険の対象者は給与所得者だったのですが、販売するに当たって一定の制約がありました。それは通常のお給料の「4割までしか保険金を設定できない」という制約です。理由は健康保険で通常のお給料の6割が保障されているからです。会社勤めをしている人でも知らない人が意外に多いのですが、会社員の人は病気をして会社を休んでも健康保険からお給料の6割を疾病手当金として受け取ることができます。

現在、生命保険会社はテレビなどで収入保険のCMを集中的に流していますが、販売するときに疾病手当金の説明をしているのか気になるところです。なぜ、説明する必要があるかと言いますと、無駄な保険料を支払うことになるからです。適切な保険に加入するには適切な情報と説明を受けることが必要です。

*****

年齢のせいか最近は大のほうのトイレにいきましても気持ちよく終えることができなくなってきました。大の物質つまり大物をきれいに切ることができなくなってきたのです。僕のイメージでは肛門が大物をスパッと切ることができない感じです。肛門を包丁とかナイフに例えますと「キレ」がなくなってきた感じです。

昔は、と言いますか若い頃は肛門にキレがありましたので大物をきれいにスパッと切ることができていました。ですから、トイレットペーパーなど使わなくても肛門を汚すことなく大のトイレを済ますことも可能でした。それが、最近はキレがなくなりましたのでトイレットペーパーは必ず使うことになります。

しかも最近はその症状がさらに進んでしまいましてトイレットペーパーで幾度も拭かないときれいにならないのです。僕はそれが気になって気になって仕方ありませんでした。以前も書いたような記憶がありますが、僕はシャワートイレがないと大のほうのトイレを終わらすことができません。そのシャワートイレを使っても幾度もトイレットペーパーで拭かなければきれいにならなくなっていました。僕的にはこの状態はかなり重症です。

キレがなくなった理由をいろいろと考えましたところ、あることに気がつきました。それは痔です。痔の中で有名なものは「イボ痔」だと思いますが、僕はそのイボ痔です。先日、鏡を使って視認しました。イボ痔のせいでキレがなくなったのです。

イボ痔を鏡を使って視認に至った経緯を説明いたしますと、とっかかりは「幾度も拭く必要」の理由に「毛」があるように推察したことにあります。つまり肛門の周りには「肛門毛」がたくさん生えているのですが、その毛に大の物がつくことによって「幾度も拭く必要」が出てくると考えたのです。

そう思ったきっかけはJリーグで活躍しているベテランの大久保嘉人選手です。以前大久保選手がテレビで海外に移籍した頃のお話をしていました。その中で「海外の選手は下の毛を剃っている人のほうが多い」と話していました。大久保選手は海外で「なぜ意味もない毛を生やしたままにしているのか」と逆に質問されたそうです。

この話を聞いていましたので僕も考えました。そして「肛門毛は生やしている意味がない」と結論を出したのです。考えてみますと、肛門毛は大の物がつくというデメリット以外に存在する意味がありません。そうであるなら「剃ってしまおう」と決断したのです。しかし、元来小心者の僕ですので「剃る」ことに対して不安がありました。手を滑らせて肛門の周りの皮膚を切ってしまう可能性があるからです。そこで「剃る」のではなくハサミで「切る」ことにしました。これなら安全です。

このように決めてから数日後、一人のときに決行することにしました。もし、あの妻に切る姿を見られてしまったならなにを言われるかわかりません。僕は誰もいないときを見計らって決行しました。

新聞紙を敷きその上で裸の下半身でかがみこみ鏡をかざしますと肛門付近が映りました。案の定そこには肛門毛が茂っていました。手で触りますと、結構な量を感じることができます。僕は早速鏡を見ながら毛の茂っているあたりにハサミをいれました。ジョキジョキと小気味よい音がしました。しかし、鏡を見ながら切るのは思ったよりも手間取りました。理由は、鏡に映っている画面が実際とは左右反対だからです。

難渋をしながらもなんとか長く目立っている毛を切り終えたのですが、そのときに発見したのがイボ痔だったのです。それも結構な大きさでしたのでショックを受けました。触りますとプニュプニュしており感触は悪くはありませんでしたが、所詮は痔ですので喜ぶわけにもいきません。

それまでもトイレットペーパーで拭くときに異物がある感覚はありました。ですから、漠然と「痔」とは思っていましたが、現実感がなかったのです。ですが、イボ痔を直接見たことで「トイレットペーパーで幾度も拭かなければならない理由」がイボ痔にあるようにも思えてきました。僕は「イボ痔」を治そうと決意しました。

さて、40才以上の年齢の方ですと覚えている方もいるかもしれませんが、以前オロナインのCMは松山容子さんという美しい女優さんが出演していました。その松山さんがCMの最後にこう言うのです。

「痔にもどうぞ」。

以来、僕は肛門が切れて出血したときなどはオロナインを塗っていました。僕の経験ではオロナインを塗った翌日には出血は治っていたように思います。

僕は「イボ痔」を治そうと決意したとき、もちろんオロナインを塗るつもりでいました。ところが、ところがです、、、。深い意味もなくなにげなくネットで「オロナイン 痔」と検索しましたところ、「現在はオロナインの効能として『痔』は書かれていない」と説明されていました。驚きです。オロナインが痔に効き目があるという証拠がないために効能に記載することができなくなったようでした。

現在僕は痔専用の薬を塗っているのですが、どんなことでも時代とともに変化することを実感しています。最後にオロナインさんの名誉のために書きますと、オロナインは痔には効き目がありませんが、切り傷などにはやはり重宝しています。一家に一つオロナインです。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:06 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月08日

<心の隙>

やっぱり今週のコラムはワールドカップの話題にするのが妥当なところでしょう。深夜にもかかわらず視聴率が30%を超えたのですからどれほどの人が期待していたかがわかります。そう言いながら僕は寝ていたのですが…。

ですが、少しだけ目が覚めました。妻が居間でベルギー戦を見ていたからですが、妻の歓声と居間の電気の明るさに睡眠が邪魔されたのです。おぼろげな意識で障子を開けて妻に「どうなってる?」と聞いたところ、「2対0で勝っている」と妻は喜びの声で返答しました。僕は驚きとうれしさを感じながら、また寝入ってしまいました。

翌日、目が覚めて妻に結果を確かめますと残念そうな声で「3対2で負けちゃった」と答えました。僕は寝ぼけながらも「もしかしたら勝てるかも…」と思いながら睡眠に落ちたのですが、僕の期待もむなしく惜敗していました。しかし、下馬評では圧倒的にベルリーが有利でしたので誰もが認める善戦です。もし勝利をしていたなら歴史的な快挙になるところでした。誠に残念です。

朝の段階では「アディショナルタイムに負けた」としかわかっていなかったのですが、夜になりいろいろなニュース番組を見ますと、勝っていてもおかしくない試合内容だったことがわかりました。それを知りますと、本当に惜しい負け方だったと思わざるを得ません。リアルタイムで見ていた人たちの悔しさは相当なものだったろうと想像します。

後半に入り日本が2点を先取しながらも追いつかれ、そしてアディショナルタイムの最後の最後に決勝点を奪われています。2点を先取した段階で日本の勝利を想像した人は多かったではないでしょうか。結果を知りながら試合を振り返った僕でさえ「勝ちそうな気分」になったのですからライブで見ていた人の2点を先取したときの興奮ぶりが想像できます。

多くのニュース番組では本田選手のコーナーキックからのベルギーの攻撃を流しているだけでしたが、ネットでは本田選手のコーナーキックの蹴り方に焦点を当てて解説している記事がありました。本田選手がキーパーに直接キャッチされるようなボールを蹴ったことが「ベルギーの速攻を招いた原因である」という解説でした。

この記事が気になっていましたので、僕は本田選手のコーナーキックをキーパーがキャッチしてからベルギーの速攻がはじまる「一連の流れを見たい」と思っていました。なかなかその機会がなかったですが、週末のスポーツ番組で見ることができました。

その番組ではフィールドを上空から映し出していたのですが、選手の動きを全体的に俯瞰することができました。ベルギーのGKクルトワ選手がMFケヴィン・デ・ブライネ選手にボールを投げるところからベルギーの速攻がはじまったのがわかります。ここで重要なことはGKクルトワ選手の動作です。ただ相手陣営に向かってボールを蹴ったのではなくGKクルトワ選手がキャッチした瞬間に走り出していたMFケヴィン・デ・ブライネ選手に丁寧に手で投げていることです。

そのあと日本のディフェンス陣は速攻に気がつき、ベルギーの選手に追いつこうと必死に走る映像が流れていたのですが、そのときの日本選手の走る様がとても印象に残っています。

記事によりますとベルギーの決勝点はわずか「9.94秒」、タッチ数4タッチで決められています。練習をしていなければ、もしくは普段から意識を持っていなければできない芸当です。決勝点を決めるベルギー選手にほんのわずかに間に合わなかった昌司選手のスライディングが忘れられません。

僕はこの映像を見ていて「ドーハの悲劇」を思い出していました。先々週「キング・カズの思い出」としてコラムを書きましたが、その舞台となった「ドーハの悲劇」です。そのときのコラムに書きましたが、最後まで緊張感を持って試合に臨んでいたのはカズ選手だけだったことが「ドーハの悲劇」が起きた原因と僕は思っています。

今回の敗戦も残念ながら最後の一瞬に気の緩みが出たことが原因です。ネット上での解説では本田選手がコーナーキックで蹴ったボールがGKにとられる位置だったことを問題視していましたが、僕はチーム全体に油断があったことに原因があると思います。僕が想像するところでは、アディショナルタイム終了間際でしたので日本チームは本田選手のコーナーキックで試合が終了する気持ちになっていたように思います。ですから、ベルギーが速攻を仕掛けてくることを全く予想していなかったのです。気持ちに隙があったのでベルギーの速攻に対処できなかったのです。ベルギーの選手が決勝点を決めたときのゴール前のディフェンスの人数が物語っています。

日本のサッカーレベルがもっと低い頃、反則があったあとに与えられるフリーキックはいつもゆっくりと蹴っていました。ボールを反則地点に置き、周りも見渡してそれから蹴っていました。そうするのが普通だったからです。しかし、海外のチームの試合などを見てレベルが上がってきますと、試合状況によっては審判からフリーキックを与えられると、相手チームの守りの形ができあがる前にすぐにフリーキックを蹴る光景が見られるようになりました。海外の試合ではフリーキックを与えられたときに相手の隙をついたり油断している状況を利用するのが普通だったからです。

今回のベルギー戦もまさしく似たような状況で攻撃を仕掛けられたように思います。これを一言で言うなら「経験不足」です。もし、これまでに試合終了間際に速攻を仕掛けてくる強いチームと対戦していたなら、本田選手がコーナーキックを蹴る前からそのあとの相手チームの速攻に備える態勢がとれていたはずです。そのような経験がなかったことが敗戦の理由です。

ですが、日本チームの実力が全体的に上がってきているのは間違いのないところです。コロンビア戦は試合開始早々に相手チームの反則によりPKを与えられたことと相手チームが10人になるという幸運に恵まれたことが勝因ですが、第2戦は立派に日本チームの実力が上がっていることを証明してくれました。ポーランド戦は時間稼ぎをしたことで批判されましたが、1点しかとられていないことが実力が上がっていることの証明です。第1戦第2戦と好結果を得ていたからこそできる時間稼ぎでした。

大会がはじまる前は代表監督の交代などがあり、今一つ盛り上がりに欠けるところがありましたが、いい試合をしたことで人気を盛り上げることができました。また、サポーターのごみ拾いや代表選手の控室の使い方が賞賛されていますが、こうした評価はやはり日本人としてはうれしいものがあります。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 14:52 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月01日

<やさしい人>

ワールドカップは日本チームの決勝トーナメント進出が決まり盛り上がっていますが、ポーランド戦の戦いぶりについては賛否両論があり物議を醸していました。しかし、否定派の人たちも次の試合がはじまるころには批判感情も忘れているはずですので一時的な感情に過ぎないように思います。西野監督の采配に納得できなくとも最終的には日本を応援したくなるのが人情というものです。人情を大切にすると穏やかで平和な社会になりますのでいいことです。


さて、僕の今の仕事は、車で移動しながらアパート・マンションなど集合住宅を清掃する仕事なのですが、先日はこれまでにない運転ミスをしてしまいました。僕は運転歴が40年以上ありますので似たようなミスをしたことはありますが、ここまでのミスはありませんでした。自分でも驚いている次第です。

僕はA型なのでルーチンに沿って行動することを苦にしないタイプです。特に仕事においてルーチンは「とても大切なこと」とさえ思っています。理由はミスをできるだけしないようにするためです。人間はミスをする生き物ですのでそれを前提に作業を進めるやり方を考えるようにしています。ですから、一つの物件を離れる際は忘れ物をしないように必ずうしろのドアから道具類の有無を声出しをしながら確認してます。

このようにしますと、集中力を欠いているときでもミスを防ぐことができます。ミスをしないために必要なことは、集中力がないときでもミスをしないやり方を考えることです。声出し確認はそのための方法です。

その日もすべての作業を終え声出し確認をし、車に乗り込み走らせました。定期的に行っている場所ですので帰り道も慣れています。コインパーキングから出て一方通行を10mくらい走ってから右折をします。右折をする道も一方通行となっており車一台が通れるくらいの道幅です。交差する道路がどちらも広いとは言えない幅ですので曲がる際は周囲に気を配りながら慎重にハンドルを切っています。

そのときももちろん慎重にハンドルを切っていたのですが、車が右に45度くらい回ったところで正面のビルの中に若い男性がタバコを吸っている姿が目に入りました。30才前後のワイシャツ姿の中肉中背の男性でした。ビルのそこの場所は車一台が停められるほどの駐車場になっており、その脇でタバコを吸っていたことになります。ちなみに止まっていたのはベンツでした。

先に書きましたように、普段でもその曲がり角は気を使っていますが、そのときは男性が目に入りましたのでいつもよりもさらに慎重にハンドルを切り右折を完了させました。その際に、なんとなくですがその男性が僕の車を注視しているように感じました。このような状況でハンドルを握っている人間としては、停まっているのがベンツだっただけに男性の心の中を「“ぶつけるなよ”と思っている」と想像するものです。やはり当て逃げされるのは誰でも悔しいものです。

一方通行とはいえそれほどギリギリの広さの道路ではありません。ですから、一応難なく右折を済ませそのまま進みました。運転する人は経験があると思いますが、運転をしているときに気なることがありますと自然にルームミラーでうしろを確認するものです。僕も右折が完了したあとにルームミラーでうしろを見ました。ビルの駐車場でタバコを吸っていた男性が気になったからです。すると、ルームミラーには僕の車を眺めている男性の姿が映っていました。

一方通行は15mほど走りますと、片側一車線の車の通行量が多い広い通りに出ます。僕はルームミラーを見ながらゆっくりと走らせ広い通りに出ました。広い通りを見ますと、車の往来が多く入り込めない状態でした。ですのでしばらく停まって車が途切れるのを待つことにしました。その間もたまにルームミラーを見ていたのですが、先ほどの男性が僕の車を見ているのがわかりました。なかなか車が途切れませんのでそのままルームミラー越しに男性を見ていたのですが、ついに男性が僕の車のほうにゆっくりと歩きだしてきたのです。

こういう状況になりますと、さらに男性のことが気になります。そのような緊張感も含んだ「気になる心持ち」でいながらも広い通りの車が途切れるのを見る必要があります。先ほどの男性も僕の車のほうに向かって歩いてはきますが、僕の車に用事があると決まったわけではありません。もし本当に用事があるのならあのように「ゆっくり」とではなく、小走りとは言わなくてともせめて急ぎ足で向かってくるはずです。

そのように思い直して通りの車の往来が途切れるのを待っていますと、うしろのほうから声がしました。

「すみません」

その声は不思議でした。声は聞こえたのですが、どこから聞こえたのかが定かではなかったのです。窓ガラスは開いていましたが、窓ガラスのほうから聞こえる声ではありませんでした。「うしろのほう」から聞こえるのです。このような状況になりますと、人間というのはキョロキョロするものですが、僕はまさしく首を右に左に回しました。すると、また声がするのです。

「すみません。うしろのドアが開いてますよ」

僕は咄嗟にルームミラーを見ました。そこには先ほどの男性が映っていました。僕が身体ごとうしろに向けて見ますと、男性は自分の声が僕に届いたことがわかったようで、さらにこう言ったのです。

「閉めましょうか?」

僕は思わず「あ、はい」と答えました。男性は力強く車を閉めてくれたのですが、僕はお礼を言おうとサイドブレーキをかけて車から降りました。すると男性は軽く右手を上げながら「大丈夫です」と言って戻って行きました。僕は大きめの声で「ありがとうございました」とお辞儀をしました。

まだまだこの世も捨てたものではありません。このようにやさしい人も世の中にはいるのです。男性はわざわざ15mも歩いて教えてくれたのです。しかも「閉めましょうか?」なんて、なんとやさしい方でしょう。そのような方をほんの少しでも「文句を言いにくる人」と思った自分が恥ずかしくなります。


ワールドカップで世の中は盛り上がっていますが、僕が今気になているのは拉致被害者の家族の方々のことです。米朝会談が行われても、結局、なにも進展がなくそれどころか北朝鮮は「解決済み」と伝えています。拉致被害者の家族の方々の落胆は如何ばかりでしょう。それを思うとかわいそうでなりません。

また、虐待事件での対応が批判された児童相談所ですが、一時期は関心が集まって改善される方向に進んだようですが、その後に関してはあまり報じられていません。児童相談所の不手際で幼い命が失われた事件はこれまでにも何件もありました。そのたびに世の中の関心があつまり、改善策が考えられる方向に話が行ってもまた同じ事件が起きています。これは、社会の関心が失われると「改善しよう」という流れがなくからです。

世の中には忘れたほうがいいことと、記憶に留めておかなければいけないことがあります。

その分別がむずかしい…。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 13:45 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする