2018年04月15日

<現場を知る大切さ>

僕は自衛隊の日報問題が出てきたとき、ちょっとうがった見方をしました。それは森友学園問題で安倍首相が追い込まれている最中での突然の日報問題報道だったからです。つまりマスコミや世論の関心を森友学園問題からずらすためにリークしたように思ったのです。しかし、自衛隊の日報問題が報じられたあとに今度は家計学園問題が再燃する報道がなされました。愛媛県に家計学園と安倍首相の関係を示唆するような文書が残されていた、という報道です。

この新たな報道によりマスコミや世論の関心は自衛隊の日報問題から再度安倍首相への追及に戻ったように見えます。その証拠に新聞やテレビの報道の仕方を見ていますと、どれか一つに集中するというよりもこれらを万遍なく丁寧に報道しています。

僕の印象では、マスコミが盛り上がる節目はすべて朝日新聞のスクープが発端になっているように感じます。こうした状況から全体を俯瞰しますと、朝日と官邸の戦いと見えなくもありません。本来、読売と産経は安倍首相の側に立った報道をする傾向がありますが、その2社までもが安倍首相を追求する側に回っているのが現在の大きな変化といえます。

昨日は、小泉元首相がわざわざ「安倍首相の三選は難しいんじゃない」などと取り囲む記者団に語っているのを見ますと、自民党の中でもいろいろな動きがあることが想像できます。財務省の事務次官のセクハラ発言や厚生労働省の局長の不適切な発言などの報道も同じ流れにありそうで、今の状況はマスコミ全体が安倍政権を倒す側に回っているように見えます。

安倍首相は前回の首相時代の失敗を教訓にして2回目の今回は実にうまく立ち回っているように思えました。しかもそのやり方が悉く成功していたのが印象的です。ですが、さすがに6年もやっていますと、脇が甘くなってきたのかもしれません。これまで幾度か瀬戸際に追い詰められても国民の「忘れやすい性格」を巧みに操って支持率回復を成し遂げてきました。しかし、今回はこのやり方が通用しそうもないように思います。果たして今後安倍政権はどのような展開を見せるのでしょう。


なんてことを思いながらyafoo topicを見ていましたら、コンビニの記事が目に留まりました。ローソンが新卒の社会人を加盟店主として募集する記事です。ローソン側の立場で考えますとなかなか良いアイディアですが、新卒社会人の立場で考えますとあまりよい募集とは言えません。

ビジネス社会のことをなにも知らずにいきなり独立した立場で、しかも加盟店としてかなり不平等に思える契約内容で働くことは決してよい経験ではありません。まずは普通の会社員として世の中で働き、一般のビジネス社会の感覚や慣習を体験してからでなければ将来後悔することになります。極端な表現をするなら、チェーン本部にとって都合のよい考え方の偏ったビジネスマンになってしまいます。

経営側の考え方に偏向した人間が店舗を運営するとは思えません。なぜなら、コンビニは自分ひとりで運営するのではなくアルバイトの人やパートさんなど他人を雇用する必要があるからです。チェーン本部は従業員を教育する方法も教えると思いますが、その教育も突き詰めるならチェーン本部が得をすることが基本的発想になっています。どんな場面でも偏った考え方を身に着けることの愚かさはオウム真理教事件が教えています。ですから、初めて社会に出て働く人は普通の会社員として出発するのが正しい選択です。

体験記に書いていますが、僕は30才を過ぎたばかりのときにラーメン店で独立をしました。最初の頃はもちろんわかりませんでしたが、ビジネス社会人の基本が身についていませんでしたのでたくさんの失敗をしてしまいました。少しだけ儲かり曲がりなりにも13年間も続けられたのはたまたま運がよかったからにすぎません。

僕は独立するまでの社会人の経験はスーパーで平社員として働いた3年間しかありませんでした。その程度のビジネスマンとしての実力でしたので5年どころか3年以内に廃業していても不思議ではありませんでした。ですから、会社員として普通に働くことはとても重要です。それにもかかわらず、ローソンが新卒で加盟店主を募集するのは新卒社会人の人生を考えていないとしか思えません。ですので僕はローソンのやり方に反対です。

このようなことを書こうと思ったのはコンビニに関するほかの記事を目にしたからです。それは昨年ファミリーマートの新社長に就任した澤田貴司氏についての記事でした。昨年コラムでコンビニの大手3社の社長について書きましたが、その中でも澤田社長は僕が最も応援したいと思っている社長です。

僕が応援したいと思った理由は、加盟店主側の意向をチェーン運営に取り込もうという意思が強く感じられたからです。その一番は24時間営業の見直しでした。澤田社長は昨年のインタビューではっきりとそのことに触れていました。しかし、残念ながら進んでいないようです。

前にも書きましたが、コンビニの24時間営業の見直し挑戦は澤田社長が初めてではありません。今はサントリーホールディングスの社長に就いています新浪剛史氏が最初に取り組みました。しかし、結局実現できることなく社長を去っています。澤田社長も同じ道を歩みそうな感じがしているのが残念です。

澤田社長の一番尊敬できる点は現場で働いている人をとても大事にしていることです。ですから経済紙で紹介していますが、澤田氏は社長に就任してから実際に店舗でレジ打ちまで体験しています。現場で働いている人の気持ちを理解するためですが、このような行動をすることが尊敬に値します。

ですが、人間性と経営力は別物なのかもしれません。凡人である僕にはそのあたりはわかりかねますが、澤田社長のやり方もしくは考え方に異論を唱えている人物が澤田社長の上司の立場の人にいるようです。

その人物とはユニー・ファミリーマートホールディングスの高柳浩二社長ですが、澤田社長の考えを否定する意見をインタビューで答えています。澤田社長は自分の思い通りに進められないことに苛立っているのではないでしょうか。最終的は、企業は人事権が大きな力を持ちます。今回サッカー代表の監督が解任されましたが、企業に限らず組織はすべて人事権が一番大きな力を発揮します。

高柳社長のインタビューを読むまではファミリーマートは澤田社長の思いのままに改革できるかと思っていましたが、そうではないようです。結局、大手3社のコンビニも親会社の意向に沿って経営するしか方法はありません。ですが、こうした形態が加盟店の不利な契約内容が改まらない原因のように思います。親会社の幹部の人たちは加盟店という現場とはかけ離れた場所にいますので現場が疲弊している実感が沸かないのです。

シリアでどれだけ悲惨な状況になろうが、現場から遠く離れた平和な国では実感できないのと同じです。現場の苦しさを思いやれるような人が多くなるように努力することが大切です。


今週は、政治から経済、そして国際関係まで幅広くコラムってみました。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 13:49 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月08日

<コミュニケーション>

やっぱり「持っている人」は違いますよねぇ。生まれながらの星というものを「持っている人」はいるものだなぁとつくづく感じさせる大谷選手です。これほどの好スタートを切ると誰が予想したでしょう。オープン戦の成績はひどいものでメジャーの評論家たちもボロクソに言っていました。それがいざ蓋を開けてみれば大活躍です。これほどうれしいことはありません。

しかも人間性というと大げさですが、性格のよさがメジャーリーグの選手からマスコミからファンを魅了しているように思います。初ホームランを打った新人に行うサイレントトリートメントというメジャーリーグの悪戯ドッキリに対する振る舞いが好印象を与えたようです。何度もニュースで映し出されていました。

以前、ドジャースの前田 健太投手がホームランを打ったときもサイレントトリートメントの洗礼を受けていましたが、そのときの前田投手の振る舞いもかわいらしく好印象でした。あのときの悪戯をしている周りの選手の表情を見ていますと前田投手がチームのみんなから受け入れられていることがわかります。

どんなスポーツであろうが、また職場であろうが究極的には人間関係が最も重要です。メジャーで活躍するには能力や技術も大切ですが、同じくらい周りに溶け込むことが大切です。今年から巨人に復帰した上原投手はメジャーリーグで投げていたとき、日本にいるときよりも大げさに喜びを身体全体で表していました。おそらくあの振る舞いも上原投手が考え出したコミュニケーションの取り方だったように思います。

日本人のメジャーリーグの先駆者と言いますと野茂英雄さんですが、野茂さんは大谷選手や前田選手のようなお茶目なところはありませんでしたが、監督や周りの選手たちとのコミュニケーションがうまくいっていた印象があります。野茂さんの場合はお茶目ではなく素朴な性格で周りに溶け込んでいたように思います。このような人たちを見ていますと、大切なことは周りと壁を作らず心を開くことのように思います。言葉を変えるなら信頼されることでしょうか。

これらの選手たちに比べて周りの選手たちとうまく意思疎通ができていなかった印象があるのがイチロー選手です。今年に入ってからマリナーズに復帰したイチロー選手ですが、マリナーズから出ていくときはあまりよろしくない噂が流れていました。

イチロー選手は「孤高の人」というイメージがありますが、イチロー選手は「ルーチン」という言葉を広めました。コツコツと毎日の積み重ねの大切さを教える言葉ですが、それを実行するためには「孤高の人」を貫き通す必要があります。そのような側面が周りの人との間に壁を作っていたのかもしれません。

イチロー選手がマリナーズを去る数年前からチーム内における人種差別のことなどが報じられるようになっていました。そうした噂が出ること自体、周りの人とのコミュニケーションがうまくいっていなかったことを表しているように思います。

言うまでもありませんが、イチロー選手は誰もが認める実績を残しています。今年7年ぶりにマリナーズに復帰したイチロー選手ですが、スポーツニュースなどを見ていますと、前に在籍していたときよりもファンやチームの選手から愛されているように思います。元々実績はリスペクトされるほどのものがありますし、年齢を重ねたこととも相まって周りの選手との壁もなくなっているように映ります。「映る」というよりもそのようになってくれることを願ってやみません。


人間関係の重要さを考えていましたところ、防衛省の日報問題が報じられました。森友学園の決裁書書き換えが批判されている一連の流れの中から出てきたようですが、突然報じられました。「『ない』と言っていた日報が実は『あった』」というもので、しかも数日後には「本当は、1年以上前にわかっていた」とも報じられています。何をかいわんやです。

簡単に言ってしまいますと、自衛隊が大臣にウソの報告をしていたことになります。この状況はまさしくシビリアンコントロール(文民統制)が行われていないことを示しています。

僕が思うに、本来これは絶対にあってはならないことです。かつて日本が戦争に突入したのは軍部が暴走をしたからです。そうしたことを繰り返さないためにシビリアンコントロール(文民統制)を基本原則とした経緯があります。「ウソの報告」はそうした理念を完全にないがしろにするものです。もっともっと国民は怒りの声を上げるべきです。

それにしてもこれほど簡単に「ウソの報告」をすること自体がすでに自衛隊の制服組が大臣または総理大臣を自分たちの指揮官と認めていないことを示しています。そういえば以前、防衛相内において背広組よりも制服組のほうが強くなっているという記事を読んだことがあります。制服組のトップである陸上幕僚長が謝罪している映像が流れましたが、本当は防衛相内のもっと奥の方では背広組と制服組の対立が繰り広げられている可能性もあります。

この問題はまだまだ解決には時間がかかりそうですが、今の防衛相の大臣が小野寺氏で本当によかったと思っています。あくまで僕の印象ですが、小野寺大臣は安倍首相シンパの中でもバランスのとれた正直な人という感じがしています。以前朝早く仕事に行っていたとき午前5時ころのラジオ番組に出演して政治のことなどをいろいろとお話ししていたのですが、実直な人柄が伝わってきました。

小野寺大臣に比べますと、その前の大臣は背広組制服組の両方から信頼されていなかったのがわかりました。ある意味、だからこそ日報の存在を正直に伝えなかったではないでしょうか。そんな感じがしないでもありません。

どんな世界でも人間性と言いますか、人柄って大切です。どんなに素晴らしい業績を上げながらも認められない人もいれば、業績などは平凡であるにもかかわらずその人柄により周りから慕われる人もいます。「棺を蓋いて事定まる」といったところでしょうか。

安倍首相も権力者ですのでいろいろなところから批判されたたかれることが多いでしょうが、「棺を蓋いて事定まる」の心意気で自分の信念に基づいて頑張ってほしいと思います。僕の考えは安倍首相とはちょっと相容れないところがありますが、信念を持って前に進むのは悪いことではありません。

日報問題が出たことで安倍首相の本丸である憲法改正は足止めになるかもしれません。そのことはとても残念でしょうが、日報問題に関心が集まることで森友学園問題から目を逸らすことには成功しています。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 13:53 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月01日

<削除>

先週は自分のサイトの構成を少しだけ変更しようとしたのですが、その際にミスをしてしまい、とても面倒なことを起こしてしまいました。それはwordpressをインストールしようとしたときにインストール先を間違えてしまったのです。その状態から元に戻すまでの一連の作業で起きた事件でした。

僕はロリポップというレンタルサーバーを利用しているのですが、誤ってインストールしたwordpressの削除は思いのほか面倒で大変でした。当然ですが、素人の僕が最初にやることは削除のやり方を調べることです。マニュアルの手順を熟読し慎重に進めました。なんとか自分ではうまくできたと思いその日は眠りにつきました。

そして翌日自分のサイトを見てみますと、なんと削除したページ以外のページまで見られなくなっていたのです。ガビーン!です。これまでにも書いていますが、僕は文系でありながら機械類も「自分で直せるのではないか」と考える人間です。ですので、最初は一応自分で挑戦してみます。今回のwordpressの削除もその気持ちから出た作業です。マニュアルを読みそのとおりに進めるときのワクワク感。そしてうまくいったときの感動がうれしいのです。

しかし、自分の限界を悟ったときはあきらめるのも早いのです。無駄な努力をしてしまいますと時間を無駄にしたようでとても後悔するからです。このあたりの境目は実に微妙なのですが、いつもケースバイケースで判断しています。

今回のwordpressを削除したあとの対応は「自分の能力の限界」を感じました。そういうときはあっさりと専門家の指示に頼ることにします。僕は翌日、早速ロリポップさんの電話相談コーナーに連絡をしました。

実は、この相談コーナーに連絡をするのは2度目です。最初は契約をしたときにうまくアップができずに連絡をしたのですが、そのときの対応に満足していました。満足の一番目の理由は電話がすぐにつながることです。

インターネット関連の会社に限らないのですが、今の時代はある会社に連絡をとろうと思っても人間のオペレーターにつながるまでに時間がかかります。ずっと呼び出し音が続いた挙句「もう少し時間を開けてから電話しなおしてください」などというデジタル音声のこともあります。しかし、ロリポップさんの相談コーナーにはすぐにつながりました。

さらに電話に出た担当者の方も的を射た回答とこちらの気持ちを想像する気持ちに長けている印象がありとても満足しました。このような経験がありましたので今回も電話したのですが、残念ながら今回は満足とはいきませんでした。担当者が悪いということではなく、「対応の術がない」ということがわかったからです。

確かに、削除の作業を進めているときに最後の画面で「これを削除すると元に戻せません」という警告文が表示されました。それを承知で削除したのですから責任はすべてこちらにあります。ですのであきらめるしか方法はなかったのですが、削除した記事を再度アップするのに時間と手間を要することになりました。どんなものでも削除をする際は慎重さが必要ということを実感しました。


削除に関連する先週の大きな出来事と言いますと、なんと言いましても元理財局長・佐川氏の証人喚問です。発端は国会で「決裁文書がない」などと発言したことでしたが、結局は当初の予想通り「なにも解明されないまま」終わってしまいました。証人喚問というシステムの限界を示しているように感じます。「答えを拒否する権利」が認められている証人喚問ではやっても意味がないように思います。証人の「善意だけが頼り」というのでは実効性に疑問がついて当然です。

詰まるところ、政治ショーに過ぎないと思うのは僕だけではないでしょう。野党も本気で「真実を追求」というよりも次の選挙のための印象付けという雰囲気が感じられ残念な気持ちになります。

証人喚問で僕が印象に残ったのは佐川氏のうしろに控えていた補佐人です。佐川氏は微妙な質問のときは補佐人のアドバイスを求めていました。名前のとおり証人を補佐する、つまりサポートする人ですが、証人の立場からしますとあの状況は多勢に無勢ですので絶対に必要な方です。僕は基本的に「判官贔屓」をモットーとしていますので佐川氏に対して好感はしていませんが、あのようなみんなで寄ってたかって追及するような状況では佐川氏に肩を持ちたくなってしまいます。

それはともかく補佐人についてネットで調べますと、元特捜部の弁護士の方でした。すると偏屈者の僕は今度は「特捜部から弁護士に転身」というのが気にかかりました。少し調べてみますと特捜部で活躍していた人のほとんどすべての人が退職後には弁護士になっているようです。しかし、市井で暮らす平凡な一般人の僕としては心にストンと落ちないものがあります。

検事から弁護士に転身する人たちは、容疑者を捕まえる側から容疑者を弁護する側に立場が変わることになります。その際に、わだかまりのような気持ちは起きないのでしょうか。僕にはそれが不思議です。もしなにも感じないのであれば、裁判というものを単なるゲームと考えているように思えてあまり気持ちのよいものではありません。

法曹界に従事している裁判官や検事や弁護士の方々は元をたどれば同じ過程を経ています。このような状況を見ていますと、法曹界は社会正義を実現する場というよりも知能が高い人たちが自分の能力を駆使して戦っている対戦ゲームの場のようにさえ映ります。
「これまではマリオだったけど今度はピーチ姫で戦おう」
「じゃ、俺はルイージね」
てなものです。

かつて「人は死ねばゴミになる」と人生を喝破した伊藤検事総長は「巨悪は眠らせない」と決意を語っていました。もし心の底から「世の中の悪い奴を捕まえるために働くんだ」と思っているなら検事の仕事を最後まで全うするでしょうし、心の底から「悪い人間でも弁護する人が必要だ」とか「世の中から冤罪をなくすんだ」と思うなら弁護士に一生を捧げるでしょう。

正反対の立場に簡単に変える生き方を見ていますと、単に資格が生かせて高額な報酬をもらえるならなんでもいいという発想が透けて見えます。つい最近も元特捜部の部長まで務めた方が交通事故で死傷事件を起こし、弁護士として高額な報酬を得ていたことが報じられました。やはり、このような生き方を見せられますと法曹界に違和感を持ってしまいます。

当人の考えの中では、それまでの生き方を削除して新しい生き方を選んだつもりなのかもしれません。ですが、周りの人の記憶まで削除できるわけではありません。

みなさん、くれぐれも安易な「削女」はしないように気をつけましょう。
あっ、間違えた!「削除」でした。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:44 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする