2018年03月25日

<神通力>

今週は元国税庁長官の佐川氏の証人喚問がありますのでマスコミはこの問題一色になることでしょう。しかし、予想では「検察の捜査がありますので」との言い訳で「中身のある証人喚問ができない」可能性が高いと言われています。野党議員が佐川氏からどれだけうまく事件解明につながる言葉を引き出せるかにかかっています。

遅きに失した感はありますが、ようやっと安倍首相の神通力にも陰りが出てきたように感じます。先週も書きましたが、やはり一強多弱の政界では健全な政治が行われるのは難しいですし、自民党内においても安倍総裁一強は健全な政党でいられなくなります。僕は反安倍さんでもありませんし、反自民党でもありませんが独裁のような政権運営はあってはならないと考えています。

神通力というのは不思議なものでほんのちょっとしたことでなくなるようです。神通力は人間の力では及ばないなにかしらの力が働いているように思えてなりません。

そんなことを感じたのはボクシングの山中慎介選手の世界戦を見たときです。「神の左」とまで賞賛されていた山中選手ですが、「神」という言葉が当てはまるような戦い方でした。全盛期はまさにボクシングチャンピオンとしての神通力が宿っていたように思います。しかし、残念ながらリベンジマッチではその神通力が全く感じられませんでした。前回負けたことで神通力が消えてしまったかのような戦いぶりでした。

確かに、相手のネリ選手が体重オーバーという不公平な試合ではありましたが、僕には山中選手から神通力のオーラが感じられませんでした。ボクシングの専門家によりますと、体重が1キログラム違うだけでパンチ力が全く違うそうです。解説の具志堅さんが「ネリのジャブがストレートくらいの威力になっている」と解説していたのが印象的でした。それを知ったうえでも、僕にはやはり山中選手に絶頂期の頃の神通力がなくなっていたように思います。

同じような感覚を元WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者内山選手のときも持ちました。内山選手も山中選手に負けないくらいの実績のあるチャンピオンでしたが、リベンジマッチでは連勝をしていたときには身体全体から放たれていた神通力が感じられませんでした。防衛戦で負けた瞬間になくなったのかもしれません。

前に書いたことがありますが、僕は内山選手がとても好きでした。人間性が素晴らしいことがその理由でしたが、戦いぶりにも興奮していました。負けるまでの内山選手には間違いなく神通力がありました。たとえダウンをしても、そんなものは出合い頭の事故みたいなものですぐに倒せると思わせるオーラが出ていました。その神通力オーラがリベンジマッチのときは出ていなかったのです。

ボクシングついでに書きますと、あの世界最強と言われたマイク・タイソンも絶頂期のころは神通力が感じられ、相手選手はその神通力によって戦う前から負けていたように思います。しかし、一度負けて神通力が消えてからはただの強打者に過ぎなくなってしまいました。引退も仕方ない選択でした。

ヘビー級の流れで話を続けますと、マイク・タイソンよりもずっと前に神通力を感じさせたのはジョージ・フォアマンでした。フォアマン選手のパンチは「象をも倒す」と言われていましたが、チャンピオン時のフォアマン選手にはそれを嘘と感じさせない神通力がありました。その神通力を奪ったのはキンシャサの奇跡と言われるモハメッド・アリ選手です。神通力を奪うのですから「奇跡」が相応しい試合でした。不思議なことに、それ以降のフォアマン選手はやはりただの強打者になっていました。


ボクシングの話が続きましたので今度は産業界に目を移しましょう。
経営者の神通力は権力に裏打ちされていることが条件です。つまり社長ということになりますが、現在ですとCEO(最高経営責任者)のほうが相応しい役職名です。

話は少し逸れますが、先日日本電産の創業者である永守重信氏が社長交代を発表しました。しかし、代表権を持ったまま会長に残るのですからほとんどなにも変わらないことになります。これだけの経営者でも第一線を退くのには抵抗があるようです。しかし、人間というのはいつまでも未来永劫生き続けることはできないのですからどこかで引き際を決める必要があります。そのタイミングを見極めるのは簡単ではありませんが、いつまでも権力を持ち続けたいという姿勢は神通力を失わせるものです。

かつて三越百貨店は栄光を極めていました。その栄光を作ったのは岡田茂さんという三越百貨店の中興の祖と言われていた方です。その岡田氏は神通力が強いばかりに独善的になり私利私欲をむさぼるようになっていました。その岡田氏を失脚させた事件が「なぜだ?!事件」です。取締役会で思いも寄らない「社長解任動議が発せられ、ほとんど全員が賛成」となりそのときに岡田社長の口からから発せられた言葉が「なぜだ?!」でしたのでこのように言われています。

また話は逸れますが、当時の岡田社長のあまりにひどいやり方に憤りを感じて契約を切ったのがヤマト運輸の小倉昌夫社長です。岡田社長は下請けの取引先である配送業者に無理難題を押し付けていました。岡田天皇とまで評されていたのですからどれだけやりたい放題だったからわかろうというものです。

小倉氏はこれを契機に宅配便を開発して今の大成功を成し遂げるのですが、小倉氏は最後まで神通力を失わない稀有な経営者でした。小倉氏は宅配便で成功したあとにスワンベーカリーという障害者が働けるパン屋さんを作るのですが、その背景には家族の問題がありました。このことについては森 健氏の「小倉昌男 祈りと経営」に詳しく書いてありますので興味のある方はお読みになるとよいです。

さて、最後に政界に目を転じますと、神通力という言葉がピッタリと相応しいのはやはり田中角栄元首相でしょう。中卒で総理大臣にまで上りつめたのですから神通力以外のなにものでもありません。今官僚と政治家の関係が注目されていますが、政治家が官僚をうまく使うことを実践したという意味で田中氏の右に出る者はいません。

かつては日本の政治は実質的には官僚が動かしていました。なにしろ政治家は選挙で選ばれるだけですの専門知識をほとんど持っていなかったからです。各省庁のトップが集まる事務次官会議というものが毎週開かれそこでいろいろな政策が決められていました。

事務次官会議を仕切っていたことで有名な方は石原信夫氏という元内閣官房副長官ですが、竹下内閣から村山内閣まで政治を仕切っていたのはこの石原氏と言っても過言ではありません。それくらい官僚というのは力を持っていたのです。

憶えているでしょうか。小泉政権時代に外相に就いた田中真紀子氏に「私が前に行こうとするとうしろでスカートを踏む人がいる」とまで言わしめたのが官僚です。そして官僚は「真紀子氏と差し違える」とまで対決姿勢を鮮明していたのです。

政治家は大臣に就任すると官僚からレクチャーを受けるのが最初の仕事です。レクチャーと言いますと聞こえはいいですが、要は家庭教師ばりに教えを乞うのです。これで政治家が政治を動かせるはずがありません。

つい最近では沖縄・北方担当相に就任した江崎鉄磨氏が就任会見後の囲みインタビューで「官僚の指示通りにやればいいんでしょ」とつい本音を発露して顰蹙を買っていました。江崎氏は高齢のベテラン議員ですのでついつい昔の感覚のままマスコミに対応してしまったのでしょう。

森友学園問題は状況がこじれて複雑な構図になってしまいました。決裁文書が改ざんされたのは間違いありませんが、その理由もしくは背景が込み入ってしまいました。僕の想像では、当初は官僚が安倍首相および官邸を忖度して行動しており、それに官邸側も応えていたように思います。それが佐川氏が国会で「決裁所は残っていない」などと鼻でくくった答弁をしていたことと、その対応に対して佐川氏を国税庁長官に栄転させたという一連の流れです。

しかし、朝日が「決裁文書は残っている」とスクープしてから流れがガラリと変わります。官邸は責任を財務省および佐川氏個人に押しつける方向に舵を切ったようです。すると今度は財務省の官僚側も官邸に反旗を翻しているようにも見えます。

さて、安倍首相の神通力やいかに。

じゃ、また。

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2018年03月18日

<パックス・ジミントーナ>

政治や世の中にあまり関心がなかった若い頃。つまり学生時代の頃ですが、国際関係の授業を受けているときに強い印象を持った言葉があります。それは「パワー・オブ・バランス」と「パックス・ホニャラララ」という言葉です。なぜか、この言葉が頭の隅にひっかかりました。

簡単に説明しますと前者は「世界は力の均衡によって平和が保たれている」ことで後者は「強大な力を持つ一国によって世界の平和が保たれている状況」です。例えば「パックス・ロマーナ」とか「パックス・ブリタニカ」とか最近は「パックス・アメリカーナ」です。

「パワー・オブ・バランス」が言われていた当時は冷戦時代の真っただ中でしたので確かに当時の世界情勢を表していました。しかし、ソ連が消滅したことで世界は「パックス・アメリカーナ」に入っていきました。これまでにも幾度か書いていますが、米国のブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長によって冷戦の終結が宣言されたとき、僕は興奮したのを覚えています。

「これで世界は平和になる」

しかし、人間の世界というのはそれほど単純ではなく冷戦が終わったことでそれまで抑えつけられていた民族感情が噴出して各地で紛争が勃発しました。それでも当時はまだ米国も世界の警察官を標ぼうしていましたので「パックス・アメリカーナ」が機能しなくとも「目指す気持ち」は持っていたように思います。

これも幾度も書いていますが、「戦争広告代理店」という本が書いている内容も突き詰めるなら米国に同情してもらうことが目的です。そして、それは取りも直さず「パックス・アメリカーナ」の状態であることの証明です。

しかし、その米国が世界の警察官から手を引いたばかりか自国の利益ばかりを追い求めるようになっています。トランプ政権では経済においても国際関係においても協調派といわれる人たちがどんどん政権を立ち去ったり解任されたりしています。米国はいったいどこに向かおうとしているのでしょう。とても不安です。

冷戦の終結宣言をしたのは米国のブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長ですが、ブッシュ大統領の前のレーガン氏のときから話し合いははじまっていました。ブッシュ大統領はその路線を引き継いだことになります。実はレーガン氏は大統領に就任以来、ソ連を「悪の帝国」と呼んだり経済においては保護主義的な政策をとっていました。日米経済摩擦が起きたのもこの頃です。米国人が日本車の屋根に上りハンマーで上から叩いている映像が日本でも放映されていました。それほど超保守的な政権した。

このときはソ連が経済に行き詰まっていたこともありましたが、改革派のゴルバチョフ氏がトップに就いていましのたで武力戦争になることもなく冷戦を終結することができました。しかし、今のロシアの大統領は独裁者とも評されているプーチン氏です。

これまでもプーチン氏の評判は西側先進国では芳しくありませんでしたが、先週は英国の首相が露政権が「ロシアからの亡命者の殺人に関与している」として強く非難しました。独仏米も同調していますので対立は激しくなりそうです。

警察のいない世界を平和な社会にするのは簡単ではありません。世界が戦争に向かっているようで心配です。


翻って国内に目を転じますと安倍政権になってから日本はまさに「パックス・自民党」でした。「一強多弱」と言われていた政界ですが、ここにきて綻びが出始めているようです。僕は選挙のときは浮動票に属する人間ですが、安倍首相は少し「やりたい放題過ぎる」ように思います。

ですが安倍政権以前の混沌としていた日本政界を安定させたことは大きく評価してよいと思っています。なにしろ安倍政権が誕生するまで毎年のように首相がコロコロかわるのですから政治が前に進むはずがありません。そうした状況を落ち着かせた功績は大きなものがあります。

それを認めたうえで現在の安倍政権の批判をしますと、国民を舐めている感じがしてなりません。安倍政権の運営手法は経済を前面に打ち出しながら本来自分がやりたいことを推し進めていくやり方です。しかも残念ながらこの手法に国民がはまってしまっているように映ります。森友学園や家計学園問題であれだけ怪しい手続きがありながら選挙では圧勝しています。昔なら惨敗していてもおかしくない「怪しい手続き」でしたが、そのような向かい風の中でも圧勝できるのですから安倍首相が驕るのも致し方のないところです。

安倍政権が一強状態でいられるのは野党にも責任があります。前回の衆院選も小池都知事の「排除」の一言さえなかったなら流れは野党に向かっていた可能性があります。野党が共闘しなければ与党に勝てるはずはありません。野党は自らの立場を認めることが必要です。

それから忘れてならないのが自民党内の事情です。安倍さんに対抗する勢力が出てこないことが安倍首相に驕りを生んでいます。かつては派閥があり派閥同士でけん制しあっていましたので「行き過ぎ」を是正することができました。しかし、今の派閥にはかつてほどの力がありません。ですから、安倍一強政治が続くかと思われていました。

それがここにきて劣勢に陥ってきています。僕的にはようやっと真ん中に戻る風が吹いてきたように感じています。僕が一番気になっていたのは自民党の総裁任期を延長する動きがあったことです。権力は長期に渡ると腐敗します。「権腐十年」という言葉がありますが、安倍首相に誰も進言しなかったこと自体がすでに腐り始めている証拠です。


世の中は本当に難しいものです。冷戦を終わらせ平和な世界になるかと思いきや、冷戦が終わったがゆえに民族紛争が起こり、またロシアが西側の敵対国になろうとしています。米国も世界平和よりも自国の利益ばかりを追う国家に成り下がってしまいました。

日本の政界においても、かつては官僚政治と言われていた状態を政治家の手に取り戻すべくいろいろな改革を行ってきました。安倍政権になってからの内閣人事局の設置はその最たる例でした。それまでは官僚の人事は各省庁が決めていたのですが、その人事権を手に入れたのです。このことにより官邸政治には成功しましたが、今度は政治家の行き過ぎの歯止めを失うことになりました。

本当に世の中は難しいものです。もしかしたなら、世の中というのは安定というのが正しいあり方ではなく、常に不安定な状態でバランスをとっている状態が正しいありかたかもしれません。安定しているほうが楽ですが、神さまは人間に「常に悩み考えろ!」と言っているようです。

ちなみに、我が家は「パックス・ニョウボーナ」です。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 14:34 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月11日

<あれから7年>

数日前からいろいろなマスコミで特集を組んでいますが、今日は7年前に東日本大震災が起きた日です。この日のことはちょうど僕にとっても節目になる出来事があった日ですので特別な思いがあります。

毎年書いていますが、まず3月11日は僕たち夫婦の結婚記念日です。そして、7年前のその日は僕がお店を閉めた日でもあります。

コロッケ店を開業して途中移転はありましたが、5年が過ぎていました。それ以前に遡ること12年前、ラーメン店を閉店しましたので閉店を経験するのは2度目でした。負け惜しみと思われるのは癪ですが、コロッケ店は最初から5年くらいで閉めるつもりでいました。コロッケ店を開業した目的は自分自身の中にある「商売のあり方」を試したかったからです。詳細は省きますが、結論としては僕の挑戦は失敗に終わりました。やはり世の中は現実が優先します。

それはともかく、その日に閉店することは数日前から告知をしていましたので午前中にも幾人かの常連客の方が挨拶がてらに買いにきてくれていました。そして、午後の休憩に入っているときに震災が起きたのです。店の奥で妻と二人で昼食を食べていたのですが、あのときの強烈な揺れは今も記憶に刻まれています。おそらく東京にいたほとんどの人が同じ感想を持っているはずです。

しかし、地震が収まったあとは平常通りにお店を開けていましたのであれほどの大きな被害が起きていることを知りませんでした。ですから、お店の前を通常の100倍くらいの人が歩いているのを不思議に思っていました。ただ「なんかやけに人が歩いている」と感じただけでした。

僕のお店の挑戦とは人通りがないところでもお店の雰囲気と接客力だけでお店を運営することでした。ですから僕のお店の前は通常はほとんど人が通らないのです。僕のお店に来ることを目的にする人以外は本当に人が通らない道でした。その道をひっきりなしに人が歩いているのです。

そこでたまたま買いに立ち寄ってくれた、普段なら買いになどきそうにもない40才くらいのサラリーマンふうの人に尋ねました。
「なんかいつもと店の前の雰囲気が違って人が多いんですけど、なにか理由があるんですかね?」
すると、震災で交通機関が麻痺していることを教えてくれました。なんとその方は都心近くの職場から歩いて来た方でした。20キロ以上の距離を歩いてきたことになります。さらにその方はまだまだ自宅までは遠いそうで帰りの方角を尋ねてきました。

7年前の今日、震源地以外のところで生活をしていた人たちはほとんどの人が僕と同じような経験をしたはずです。そして、家に帰ってニュースを見ますと現地の被害は想像以上に甚大でした。津波に家屋が飲み込まれる映像は人間の無力さを思い知らされましたし、人間の英知によって開発された原子力発電所も事故に際してはなにもできないことを伝えていました。東京電力本社の幹部と現場の所長との緊迫したやり取りは一生忘れることはありません。

それほど大きな災害でしたが、日ごろから常に思いだしているわけではありません。被害に遭った方々は常に震災と隣り合わせで暮らしていますが、被災地から遠く離れた僕が思い出すのはマスコミが特集を組むときだけです。申し訳ない気持ちがありますが、それが一般の人の正直な姿です。その意味で言いますと、マスコミが特集を組むことは大きな意義があるように思います。


このように人間は自分が直接携わっていないことは忘れてしまうものですが、森友&家計学園問題がここにきて注目を集めています。実は、僕は森友&家計学園問題は衆議院選挙での自民党の大勝によりうやむやになると思っていました。しかし、弱体化した野党にもかかわらず粘っていたのが印象に残っています。そうした中で今回、新たな展開が起きました。

今回の展開に大きく貢献したのは朝日新聞のスクープです。朝日新聞が「学校法人森友学園への国有地格安売却問題をめぐり、財務省が学園との契約に関する決裁文書を書き換えた疑いがある」と報じたのですが、これこそ本当の意味でのスクープです。

この報道が出た当初は「誤報!」だとか「別の文書と勘違い」などと反論する意見もありましたが、9日になって財務省が認めました。さらに財務省から国税庁長官に栄転していた佐川宣寿氏が辞任をするに至っては財務省は自らの非を100%認めたことになります。今後野党が勢いづくのは間違いのないところです。

今回のスクープ報道を見て僕が真っ先に思ったのは「どうして書き換えが朝日新聞に漏れたのか」です。普通に考えるなら財務省内にスパイがいたことになりますが、やはり自殺をした職員がいたことがきっかけになっているように思います。たぶんこの職員の方は真面目てコツコツやるタイプだったのではないでしょうか。それにしてもかわいそうでなりません。

官僚の世界にかかわらず企業など組織で働いている人にとって人間関係は重要です。人間関係がうまくいくかどうかで仕事が楽しくなったり辛くなったりします。しかし、悪人と人間関係を築く必要はありません。残念ながら自分の周りにいる先輩や上司が必ず善人であるとは限らないのが実際の人間社会です。

もし運悪く悪人が周りに現れたなら環境を変える道を選ぶのも一つの方法です。組織で働いていますと、その世界が絶対という考えになることがありますが、もっと視野を広げることが必要です。しかし、誰でも現状を変えるのは簡単ではありません。勇気が必要です。それでも自分が正しいと思う方を選択するべきです。そして、そのことによって左遷や低い評価を受けても甘んじればよいのです。最悪の場合は転職も考慮に入れるべきです。

今回自殺をした職員の方は森友学園と折衝をしていた担当者の方のようです。常識的に考えるなら「決裁文書の書き換え」が無関係とは思えませんが、仕事の一環としての行為で自殺をするのではあまりに悲しいものがあります。もし、自分の意志ではなく上司や幹部の要請での「書き換え」であるならこれ以上痛ましい事件はありません。

仮に、法を犯さざるを得ないことがあっても自分の意志で行うなら納得または我慢できますが、ほかの人の要請または強制であったならこれほど後悔することはありません。自分の人生は自分で決めるのが正しい考え方です。

自然災害は自分の意志ではどうにもできないことです。それに対して仕事や職場の選択は自分の意志でできることです。せっかく生まれてきたのですが、自分の意志で選べる場面では自分の意志を尊重しましょう。

最後に…。会社で偉そうにしている上司や幹部も会社を離れたら「ただのおじさん、またはおじいさん」に過ぎないですから。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:20 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月04日

<戦争の大問題について>

今週のコラムは丹羽宇一郎さんの「戦争の大問題」という本がきっかけになっています。もちろん安倍首相が改憲を目指していることも関係していますが、改憲か護憲かはともかく僕は若い人が改憲の是非について真剣に深く考えることを願っています。

改憲と護憲のどちらが正しいかは実際問題としてわかりません。おそらく誰にも正解をだすことはできないでしょう。なにしろ大学の教授や知識人や文化人や評論家といった専門家の人たちでさえ主張が異なっているのですから一般の人たちが正しい答えなど出せるはずがありません。

現在、シリアでは戦争が続いていますが、ニュース映像を見ていますと「穏やかで平和な暮らし」とは程遠い光景が映し出されていました。先日の映像では、10才くらいの子供が亡くなった子供を抱えてシリアの悲惨な状況を必死に伝えていました。国際社会に戦争を終わらせる努力を訴えるための映像でした。

ですが、正直に告白しますと僕はこの映像に共感することができませんでした。小さな子どもが爆撃された建物が立ち並び砂埃が舞い上がっている場所で援助または救助を訴えている映像です。この映像を見た時、僕は真っ先に「戦争広告代理店」という本が思い浮かびました。

この本については幾度かこのコラムで取り上げていますが、民族紛争で対立して民族の一方が国際社会から支持を得るために広告代理店と契約をした経緯を書いたドキュメント本です。

現在、世界の各地で起きている戦争や紛争において「善と悪」を決めつけるのは容易ではありません。ときには本当に悪い奴がいてその悪い奴が善良な人々を殺戮しているケースもあるかもしれません。ですが、多くの場合は「善と悪」は入り混じっています。ボブ・ディランさんが「正義の反対は別の正義」といった言葉がそのまま当てはまるのが世の中です。

このような状況で国際社会を味方につけるためにはイメージ戦略がとても重要になってきます。先の広告代理店と契約した民族はイメージ戦略が功を奏して国際社から支持(同情?)を得ることに成功しました。

僕が先のニュースで映し出された「小さな子供に亡くなった子供を抱えさせ訴えさせている映像」に共感を覚えなかったのはこの点にあります。わざわざ子供を登場させカメラの前で訴えさせているやり方に戦略を感じたからです。この映像には間違いなく大人の思惑がうしろでうごめいています。僕がこの一見するとかわいそうな子供の映像を素直に受け取れなかったのはこの「思惑」のためです。

いつの時代もそうですが、多くの人の支持を集めるにはイメージ戦略がとても大切です。もっと具体的に言うなら広告とか宣伝、今の時代ですとマーケッティングです。この成否が「支持の多寡」を決めます。

ブランドの価値もそうですし、ラーメン店の行列もイメージ戦略によって決まります。乃木坂46も欅坂46も、古いところではおニャン子クラブもモー娘もそうでした。政治の世界ではナチスが国民から人気を博したのもゲッペルス宣伝相の力が大きく貢献していると言われています。世の中で支持を集めるにはイメージ戦略が重要な要因となっています。

このような世の中において実状を知らない人間が正しい判断をするには広告や宣伝やマーケッティングに影響を受けないことが大切です。装飾されたニュースや報道ではなく真実、真相を見抜くことが大切です。

そこで「戦争の大問題」です。普通の善良な人で戦争を好む人はいないはずです。中には善良でない人もいる可能性は否定しませんが、そのような人は全体からしますと僅かです。つまり世の中のほとんどの人は戦争を好んでいません。ですから、現在の日本の平和憲法を支持しているはずです。日本は憲法において戦争放棄を明記しています。安倍首相はこれを変えようとしています。

このように書きますと僕が安倍首相の主張を批判しているように思うかもしれませんが、そうでもありません。やはり安倍首相が主張する「国家を守る自衛隊員が誇りを持って任務にあたるには自衛隊を憲法に明記すること」には一理あると思っています。命をかけて守ってくれていることを思うならやはり自衛隊員の気持ちも考える必要があると思うからです。

現実問題として他国が攻めてきたときに自衛の戦いはしなければいけません。護憲派の方々はこのあたりの論争を避ける傾向がありますが、戦ってくれる人が憲法できちんと認められていないのはどう考えても理不尽です。繰り返しますが、戦う人は命を懸けて任務を遂行してくれているのです。

黒沢明監督の「七人の侍」で侍を雇った側である村人も戦う覚悟を求められる場面があります。村を盗賊から守るには戦う人を雇うだけではだめで当事者も覚悟を持つ必要があります。

年末の討論番組でウーマンラッシュアワーの村本さんが「中国が攻めてきた場合、尖閣諸島は『明け渡す』」と発言して大バッシングを受けましたが、日本の領土は自分たちで守らなければ悲惨な社会になってしまいます。少し思い出すだけでわかりますが、昔欧米諸国が植民地支配をしていたときの支配された国の悲惨さは凄まじいものがありました。他国から攻められたときには戦う必要があります。しかし、「戦う」という状況は戦争です。

このように考えますと、戦争放棄を謳った平和憲法は改憲する必要がありそうですが、戦争をするということは先に紹介しました「小さな子供が亡くなった子供を抱えている」状況になることです。穏やかで平和な世の中とは正反対の状況です。しかし、だからと言って戦争をしないでいますと、植民地となり悲惨な社会になります。

やはりいざとなったら戦争をするしか術はないことになりますが、実は戦争状態になった時点で市井で暮らす人々の生活は悲惨な状況になっているのです。自衛のための戦争であろうともです。「戦争も仕方がない」と容認する人たちはそのことに思いが至っていません。

戦争状態なった社会というのは個人の自由が制限された社会です。国家の勝利が優先されますので個人は我慢をしなければいけないのです。そのような社会は健全ではありません。おそらく地位が高い者だけが得をする社会になります。例えば地域の班長さんなどが決められその指示が絶対となるでしょう。また役所の指示が絶対となり個人の自由などどこかに吹っ飛んでしまうはずです。

また、自衛隊という組織では上官の命令が絶対です。自衛隊とは軍隊です。それを忘れてはいけません。上官に逆らう人間は無能とみなされ排除されます。排除どころか懲罰を受けることもあります。さらに進むなら徴兵制もはじまるかもしれません。なにしろ国家を守ることが最も優先されるのですから個人の自由など有無を言わせずに制限されて当然です。

これが戦争です。

さて、僕が言いたいことがおわかりでしょうか。他国からの侵略を防げなくても悲惨な世の中になりますが、それ以前の侵略を防ぐための戦争状況になっても十分に悲惨な世の中になっているということです。

攻められたときに戦うのは勇ましく見え一見正しいように思いますが、その時点ですでに普通の善良な人々の穏やかで平和な生活は崩壊しているのです。

人間は自らが経験をしていないことを実感することができません。なぜなら「経験していない」からです。赤ちゃんに「ヤカンが熱いから触ったらダメ」と話したところで「熱い」のがどういうことかわかりませんので理解することができません。それと同じです。

戦争における悲惨な状況についても同じことが言えます。また軍隊という特殊な組織についても同様です。悲惨な状況の本当の実態を想像することは容易ではありません。若い方々はそのことを十分にわきまえたうえで考えてほしいと思っています。

今週はちょっと堅かった…。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 13:57 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする