2018年01月28日

<マスコミの使命>

先週は雪に見舞われて大変でした。東京でもあれほど雪が積もったのは久しぶりで雪に弱い都会を実感した次第です。今回の前に雪が積もったのがいつか記憶が定かではありませんが、そのときに思ったことと同じ思いを今回もしました。それは「思いのほかコミュニティが働いている」という思いです。最近は隣近所の付き合いが希薄になり地域コミュニティが弱くなっているとまたは崩壊しつつあると言われていましたが、実際にはきちんとコミュニティが働いていると感じました。

それを実感したのが除雪です。我が家の周りの道路は雪が積もった翌日にほとんどの家の人が出てきて道路の雪を端に寄せていました。ですので1時間もしないうちに家の前の道路は車で普通に通れるような状態になっていました。そして、それは私の家の近所だけではなく車で出かけたところの約8割のところで雪はきれいに端に寄せられていました。

もちろん、中には除雪をしていない家の前もありましたが、それは少数で高齢者だけが住んでいるとか余程の変わり者が住んでいるとか、そのような特別な理由や背景があるところのように思います。そうした光景を見ましたので「日本もまだ捨てたものではない」と感じた次第です。

人間は「一人では生きていけない」といいますか、生きていても意味がありません。いろいろな人と接することで生きていることを実感したり生きている意味を感じたりします。そうしますと自ずと集団ができますが、この集団がやっかいです。集団の力の大きさによって個人の存在感が弱まることもあるからです。つまり集団に合わせて生きることを強制されることですが、そうなりますと個人が自分の好きなように生きること、生活することができない状況になることもあります。これはとても恐ろしいことです。

かつて日本が戦争をしていたとき、周りの人と同じ考え方を持っていないと「非国民」と罵倒されていました。個人の存在感など無に等しかった時代です。このような時代が「生きていてよかった」と思えるはずはありません。個人が「生きていてよかった」と思える社会を作ることが社会の使命でなければいけません。社会あっての個人ではなく個人あっての社会が理想です。

このように口で言うのは簡単ですが、個人と社会のバランスを取ることは簡単ではありません。簡単にできるなら世の中から争いごとなどとっくの昔になくなっているはずです。誰かの利益は別の人の不利益です。

沖縄が一番わかりやすい例です。沖縄に米軍基地のほとんどが集まっていることで本土の人たちは日々の不安を感じることなく生活できます。本土の利益は沖縄の不利益です。大切なことは利益を得ている人が不利益を被っている人に対して慮る気持ちを持つことです。しかし、残念ながら本土の人たちは沖縄の不利益に対して関心度が低いように思います。平和な社会は最終的には個人個人の思いが集まることでしか成就できません。

僕は保守でもリベラルでも護憲派でも改憲派でもありません。ただ公平で平等な世の中になればいいのになぁ、と思っているだけです。しかし、ことは簡単ではありません。憲法改正の動きが強まってきていますが、結局は個人個人の思いに委ねられることになります。そのときに大切なことは個人個人がどれだけきちんとした知識や情報を持ち、そして考えるかです。

ネットで憲法改正について検索しますといろいろな考えの方がいることがわかります。賛成派と反対派で意見が違うのは当然ですが、賛成派の中でも様々な意見があります。僕のコラムを読んでくださっている方は若い人が多いと思いますのでザックリと今の状況を説明したいと思います。

まず安倍首相は「なぜ、憲法改正を望んでいるのか?」ですが、真意は安倍首相の心の中ですので安倍首相しかわかりません。もしかすると夫婦ですので昭江夫人はご存知かもしれません。なにしろ外遊のときに仲良く手をつないでタラップを降りてくるのですから心の中を話している可能性もあります。

それはともかく真意はわかりませんが、巷間言われているのは
・憲法が米国のお仕着せだから
・命をかけて国を守っている自衛隊員のために自衛隊の存在をきちんと明記したいから
・国際貢献のために自衛隊を派遣することを実現したいから
です。

これらが改正の目的ですが、今大手新聞やマスコミで報じられていますのは「憲法9条2項」という文言です。では憲法9条を書き記します
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

「憲法9条2項」とはこの「2」のことですが、リベラル派と言われる人たちの一番のよりどころはこの「2項」です。リベラル派とは戦争反対、改憲反対の人たちです。これがあるからこそ日本は戦争に直接加わることなく国際社会を生きてこられたわけです。ここに「2項」の重要性があります。

憲法改正をする方法としてはこの条文を書き換えるという方法もありますが、それではリベラル派はもちろん政治にあまり関心のない人にも刺激が強すぎます。やはり日本で育った人は政治に興味はなくとも漠然と「憲法9条は平和憲法の象徴」という意識を持っています。ですので刺激を弱めるために「1項」「2項」はそのままにして新たに「3項」を加えるという方法が編み出されました。

ですが、この方法に対して反対している改憲派の人もいます。理由は「現行憲法では、集団的自衛権を発動させることには、ムリがあるから」というものです。憶えているでしょうか、憲法審査会で憲法学者全員が今の自衛隊は憲法違反であると主張しました。つまり、「1項」「2項」を残したままでは憲法改正したことにはならないと考えているからです。やはり憲法改正は一筋縄ではいかないようです。


憲法改正につきましてはマスコミでも取り上げていますが、報道に仕方で昔と一番違うのは中立性です。昔に比べますと格段に自分たちの主張が強くにじみ出ているような報道の仕方になっています。僕はこうした風潮を不安に思っています。マスコミに勤めているような人たちは一般の人よりも聡明ですし、そのうえに知識も豊富です。そうした人たちでさえ考え方が異なるのです。ですので自分たちの考えが正しいとは限りません。これはマスコミに限ったことではありません。大学の教授の方々にしてもいろいろな考え方の人がいるのです。これはつまり正解がないことの裏返しでもあります。

そうしたことを前提にするなら自分たちの考えを土台にした報道の仕方は控えるべきです。報道はできるだけ中立であることがマスコミの使命であると僕は思っています。かつて新聞は「社会の木鐸であれ」というのが基本でした。「木鐸」とは「社会を導く人」という意味ですが、各社によりいろいろな主張が存在する中ではどれが正しいのかわかりません。新聞が社会を導くのは現実的はありません。

なので、新聞は「公平で中立であれ!」が僕の主張です。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 14:49 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月21日

<インテリ>

少し古い話ですが、年末に放映された討論番組で大学教授が漫才師に対して「無知を恥じなさい!」と叱責し、さらに司会者の田原さんが「読めよ!ちゃんと」と追随したことが話題になりました。大学教授は東京大学の井上達夫教授で漫才師はウーマンラッシュアワーの村本大輔さんです。僕はその番組を見ていないのですが、年を明けてからのamebaTVで村本さんがそのときの状況を振り返っている番組をみました。

年末のテレビ番組とは「朝まで生テレビ」ですが、この番組がまだ続いていることにちょっと驚いたのが正直な感想です。僕が見ていたのは本当の初期ですので野坂昭さん如と大島渚さんのバトルが話題になっていた頃です。番組の中で大島さんが「バカヤロー!」と切れるのは番組の名物にもなっていました。

僕は最初の数年間は観ていましたが、途中から演出の行き過ぎが鼻につくようになり観なくなりました。この番組で田原さんに気に入られて世に出た評論家や有識者がたくさんいましたが、ある時期は評論家や有識者の方々の登竜門にさえなっていた感があります。

それはともかく昨年の番組で井上教授が村本さんに「無知を恥じなさい!」と一括したことが話題になり炎上したことでこの番組がさらに注目を集めることになりました。おそらく番組的には結果的に成功したといえるはずです。

この記事を最初に読んだ時の感想は「インテリの思い上がり」です。世の中で起きていることをすべて知っている人はいません。あの「いつやるか、今でしょ!」の林先生でも世の中のこと全てを知っているわけではありません。誰でも得手不得手があります。ですから、たまたま憲法のことを知らないくらいで叱責するのはインテリの思い上がりでしかありません。それにもかかわらず番組内で誰も「インテリの思い上がり」を指摘する人がいなかったことに不快感を覚えました。

おそらくインテリの人からしますと、「国家の根幹をなす憲法はとても重要なことでそれを知らないことが問題なんだ」と批判するかもしれません。「憲法とほかの些細なことを一緒くたんにするのは大間違い」と非難するかもしれません。ですから憲法という難しく崇高なことを知っているインテリとそれを知らない凡人には人間として大きな差があるという真意が透けて見えます。

ですが、インテリの方々だけが世の中を動かしているのではありません。僕の好きな評論家に常見陽平さんという方がいますが、この方が「世の中は普通の人が動かしている」という名言を書いています。凡人をないがしろにしてはいけません。過去を振り返りますと、人類は2度も世界大戦を起こしています。インテリの人たちが常に正しい選択または行動をしていたなら世界大戦など起こっていなかったでしょう。知識をたくさん持っているからといって正しい選択をするとは限らないことを証明しています。

先日のニュースで森友学園事件における役所の官僚と籠池容疑者のやり取りが報じられていました。詳細は省きますが、その内容を見ますと官僚が籠池氏に取り込まれていく過程が見て取れます。森友学園の一番の疑問は「1億数千万円もする国有地をほぼ無償で払い下げていること」です。昨日の毎日新聞の記事にはそのやり取りが書いてありましたが、まるで詐欺師が凡人を騙すような手口が記されていました。メンタリストDaiGoさんを思わせるやり口です。

インテリの象徴である官僚なら本来はあのくらいのやり口は見抜けるはずです。しかし、あっさりと籠池容疑者のペースにはまっています。最後のほうは「無償の払い下げ」でも得をしたような気分になっている節さえうかがえます。籠池容疑者という人物は官僚という役職に就く人間の心理を熟知しており巧妙に心の中に入り込み操っています。ここで押さえておかなければいけないのは「頭の中」ではなく「心の中」ということです。

簡単に籠池ペースに陥ってしまった理由は常に保身が心の中にあったからです。国家のために公平平等に業務を全うするいう気持ちがあったなら、これほど単純なやり口に絡めとられることはなったでしょう。おそらく当の官僚の人でも今から振り返ると「どうして引っかかったのか」と不思議に感じるほど単純です。

繰り返しになりますが、官僚はインテリの象徴の方々です。凡人では絶対通過できないレベルの高い試験に合格して就ける役職です。知識や情報の量は半端ではないはずです。それでもあっさりと騙されてしまうのです。仕事をするうえで、もしくは生きていくうえで知識や情報がさほど重要ではないことを教えてくれています。

憲法を知らないことを恥じる必要はありません。おそらくインテリの人は交通誘導員の大変さを知らないでしょう。もしかしたならインテリの人は憲法と交通誘導員で優劣をつけるかもしれません。しかし、その差別意識が世界を戦争に向かわせているのです。インテリの方々はいつも人の上からしかものごと見ていませんのでそのことに気がついていません。

村本氏が叱責されたとき誰かが反対に「『憲法を知らないことを恥じなさい』と叱責する行為を恥じなさい!」と言ってくれたらよかったのに…、と僕は思いました。

…と、ここでコラムの冒頭に戻るのですが、このコラムを書くにあたり当の番組を見てみようと思い検索したところ、一連の騒動を受けたあとの村本さんが番組を振り返っているamebaTVを見ました。

その番組を見てそれまでの感想が少し変わりました。村本さんはamebaTVでいろいろ発言しているのですが、その終盤に討論番組が終わって出演者たちで懇親会のようなものをやっているときの様子を話していました。その懇親会では先の井上教授や司会者の田原さんがやってきて、番組中での態度とは打って変わって優しく接してくれたそうです。井上教授は丁寧に憲法の話などを説明して田原さんも「番組的によかった」とねぎらってくれたそうです。

この発言を聞いて僕は思いました。もしかしたら井上教授の叱責もそれに続いた田原さんの非難も番組を盛り上げるためにやったものではないか、と。その可能性は十分にあります。初期にこの番組を見ていた時、明らかに盛り上げるために過激な発言をしている出演者がいました。そして田原さんは煽っていました。その流れからしますと、僕の想像はあながち間違ってもいないように思います。

どんなに優れた観る価値がある番組でも視聴率が取れなければ価値は半減どころかないに等しいものになります。テレビ局は視聴率をとるために四苦八苦していますが、その意味で言いますと今回のことが騒動になり炎上したのはそれだけで成功ということになります。しかし、こうした発想もインテリの方々が考えそうなことなんですけど…。今のテレビ界の低視聴率の原因はこうしたところにあると思っています。

それはともかく、amebaTVを見ているときにその出演者にインテリの策略を連想させる方がいたのが気になりました。そのインテリの方は村本さんの炎上を利用して「朝まで生テレビ」に出演しようと目論んでいる様が見え見えであさましい感じがしました。なにしろ無名なインテリは無名でいる限りはインテリに価値がありません。ですので有名になるとっかかりを四方八方に求めています。インテリの方々も大変です。

じゃ、また。


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posted by satoaki at 15:16 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月14日

<普通の人とはみだした人>

年末年始は普段よりもテレビを見る時間が多かったのですが、その中で印象に残る番組がありました。それはある死刑囚の息子さんにインタビューをした番組でしたが、「子供は親を選べない」という言葉がしみじみと心にしみ込む内容でした。

この死刑囚とは1997年に起きた和歌山カレー毒物混入事件の犯人ですが、当時マスコミで大々的に報じられていましたので覚えている方も多いでしょう。その犯人の子供に生まれた青年が人生を振り返るインタビュー番組でした。

端的な言葉で表しますと「壮絶」「過酷」に尽きますが、当人からしますとこの言葉でも言い尽くせないほど辛い人生だったかもしれません。それを思う時、現在普通の社会人として真面目に生活を営んでいることに尊敬の念を感じます。なにしろどこに行っても犯罪者の子供というレッテルがついて回るのですからまさに地獄にいる気分だったはずです。ある程度の大人であっても耐えられないかもしれない状況、環境の中で「子ども」だったのですから耐えられたことが不思議なくらいです。

両親がいなくなったのですから養護施設で暮らすことになりますが、そこでのいじめ体験も凄まじいものがありました。そんな中で道を外さずに今まで生きてきたことは本当に頭が下がる思いです。

年末には同じような境遇になってしまった男性のインタビューがほかにもありました。北九州連続監禁殺人事件の犯人夫婦の子供のインタビューです。こちらも視聴率が高かったようですのでご覧になった方も多いでしょう。こちらの青年についても先の青年同様に道を外さずに今まで生きてきたことに尊敬の念を感じます。

また12月半ばにはオム真理教の4女の方が「親との関係を断つ」ことを宣言する会見を開きました。こうした一連の報道を見ていますと、親子の関係について考えずにはいられません。日本は親孝行をするのが当然という意識が強いですが、これは儒教の教えが少なからず影響しているように思います。お隣の韓国では日本よりも年長者を重んじる風潮が強いそうですから、やはり儒教の教えと親孝行は強く結びついているようです。

冒頭の青年の話に戻りますと、僕がインタビューの中で最も記憶に残っているのは周りが冷たい対応をする中で唯一青年に優しくしてくれた「雇い主」の話です。結局、この「雇い主」は暴力団関係の人だったようで、それを教えてくれた仕事現場の人たちの助言がなかったならそのまま暴力団に入っていたかもしれません。その意味で言いますと、その現場の人たちの優しさも素晴らしいものがあります。

このエピソードで僕が感じたのは世の中から「はみ出した人」が行きつく先が暴力団のような悪い団体しかないという現実です。この青年も最初は暴力団関係の人ということは知らずに働くようになったのですが、優しく接してくれたことだけでうれしかったようです。もちろん暴力団は組織を維持するためにそのような境遇の人を狙い撃ちするのは問題ですが、「はみ出した人」が行く場所がそこしかないことのほうが大きな問題です。

かなり昔ですが、あるドキュメント番組で右翼に密着取材する番組を放映していました。そのときのトップはかなり高齢で歩くのもままならぬ状態でしたが、組織の今後について尋ねられたとき「若い奴らの面倒を見るためにもっと頑張らねば」と答えていました。さらに「俺がいなくなったら誰がこいつらの面倒を見るんだ」とも話していました。

右翼の団体と言いますと、大音量で音楽を流しながら宣伝カーを走らせる強面のイメージがあります。人によっては暴力団と変わりないと思っている人もいます。確かに右翼とは言いながら政治的な主義主張についてはあまり理解していない若い人もいます。その番組でもイデオロギーなどに関心はなく単に行動をともにしている若い人を紹介していました。このような若者も「はみ出した人」の一人と言えそうです。

昨年の後半、僕がよく行く本屋さんで「顔ニモマケズ 」という本が平積みされていました。著者は水野敬也さんという方ですが、「夢をかなえるゾウ」の著者といったほうがとおりがいいかもしれません。この著者は世の中のちょっと気になることを見つけだして本にするのがうまい人ですが、どの本にも「優しさ」とか「思いやり」といったものが通底しているように思います。ですから、この本の著者名を見て著者が書いた理由がなんとなくわかるような気がしました。因みに、著者は泣ける漫画で有名な鉄拳さんと組んで本を作っていますがこれも著者ならではという感じです。

この本が売れたことがきっかけかどうかはわかりませんが、昨年は顔にあざがある方に関する記事が多かったように思います。その一つを読んだのですが、顔にあざがあるせいで周りの人からいじめに遭い、生きていることに価値を見出せない女性の話でした。この女性がイジメに遭っていたときになにも言わずに受け入れてくれたのは暴走族だったそうです。もちろん暴走族の行為は悪いに決まっていますが、少なくとも人を外見で見下したり判断したりしないことは人として素晴らしいことです。間違いなく暴走族の人たちはこの女性にとっては救いになっていました。

このように見ていきますと、世の中で他人をイジメたり見下したりする人たちは普通の人が多いように思います。犯罪者の子供に生まれたのも当人の責任ではありません。外見が一般の人と違うのも当人の責任ではありません。それなのに普通の人たちは自分たちと違うからという理由で排除しようとします。

そして、排除された人たちは「はみ出した人」と烙印を押されることになります。しかし、よくよく考えてみますと、「はみ出した人」を作り出しているのは「普通の人」なのです。「普通の人」たちが「『はみ出した人』たちを作り出しているのは自分たちだ」と認識することが大切です。そうした認識がいつの日か世界を平和に導くはずです。

今年も世界を平和に導くようなコラムを書くぞ〜! (^o^)/

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:08 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月07日

<一年のはじめ>

早いもので新年を迎えてからもう7日が過ぎてしまいました。本当に月日の過ぎるのは早いです。なんちゃって、、、毎年同じセリフを書いていますが、今年も性懲りもなくお正月は親子対抗ボーリング大会を催しました。そして、今年も僕の活躍により親チームの勝利と相成りました。今年の僕は久しぶりに調子がよく135点と183点でした。レベルの低い親子対抗ですのでこれだけの高得点をたたき出したのですから勝利をするのは当然です。ハハハ、、、。

年末年始のお休み期間中にやろうと思っていたことがあります。PC関係なのですが、それはバックアップとメモリの増設とサイトの移動でした。バックアップとメモリの増設にはハードディスクとメモリの購入が必要です。できるだけ安く購入したかたったので12月の半ばくらいからいろいろと調べて一応目星はつけておきました。

購入したのはamazonですが、ハードディスクは1TBで約7千円、メモリは2Gで1,600円でした。ハードディスクはあまり悩まなかったのですが、困ったのはメモリでした。調べるまではなんとなく2千円以下で購入できると思っていたのですが、いざ調べてみますとこれが意外と結構な値段をしていることが判明しました。なんとamazonで検索結果に出てきたのが有名なブランドでしたが6〜7千円もしていました。今のパソコンは使い始めて6〜7年経っていますのでいつ壊れるかわかりません。そんな状態のPCにメモリ増設で6〜7千円も費やすのはコスパが悪すぎます。

そこでamazonにこだわらずいろいろと調べていましたところ、ノーブランドのメモリを勧めているサイトを見つけました。それを読んでいて知ったのがメモリは型さえ合うならどこのメーカーのものでも問題ないということでした。僕はそれまでPCごとに適合するメモリは違うと思っていたのです。amazonでの調べ方はPCの型番から適合するメモリを検索するやり方でした。ですから有名なブランドのメモリばかりが検索され、自ずと価格が高いものばかりが表示されていたのでした。そこで「メモリの型」で検索しましたところノーブランドでしたが1,600円のメモリを見つけることができました。まさに僕が追い求めていたメモリです。

メモリの増設を考えるようになったのは、以前PCが「ウンともスンともいわなくなった」ときです。これについてはコラムで書きましたが、その際に意外と簡単にPCを開けることができたこととメモリの場所を確認できたことが大きなきっかけです。前のPCのときにメモリの増設の経験はありましたので場所さえわかれば挿し込むのはそれほど難しくないとわか思っていました。

結局、メモリの増設は本体からコードを外すことも含めて全部で20分くらいで完了することができました。ただし、緊張はしていました。メモリはPCとの相性の問題もありますので実際に動くまでは安心することはできません。元に戻してスイッチを入れて無事に新しいメモリを認識できたときは本当にホッとしました。

メモリに比べバックアップは「成功した」とは言えない状況のままです。windows10にはバックアップのツールが最初から備わっていますので、本来ですとマニュアル通りにすすめたならなんの問題もなくバックアップも終了するはずなのですが、うまくできていません。

windows10のバックアップの方法にはフォルダを指定して個人データをバックアップする「バックアップ」とOSや個人データなどPCに保存されている全てのデータをバックアップする「システムイメージ」と海部ドライブ作成時のOS環境(個人データなし)をバックアップする「回復ドライブ」という3つの方法があることがわかりました。

この中で「システムイメージ」と「回復ドライブ」は無事に作成することができたのですが、個人データのバックアップがうまく作動しないのです。いろいろと調べてはいるのですが、原因を突き止めるまでには時間がかかりそうですので現在は手動で移動している状態です。外付けハードディスクの接続に関してはUSBコードをつなげるだけでしたのでなんの問題も起きることなく終えることができました。

サイトの移動に関しては11月の終り頃からやり方を調べていました。昨年これまで利用していたKDDIさんの無料HPサービスが終了しましたのでそれを有料サイトに移動する作業を行いました。お金を払ってサイトを利用しているのですから、そのサイトを有効に使う方が効率的です。ですのでほかにも使っている無料HPサービスを有料サイトに移動させたいと思ったのですが、これが思うようにうまくいかず壁にぶち当たっています。うまくいかない理由はその無料サービスが一般的なHPサービスではないことです。

KDDIさんのHPサービスは自分のPC側でサイトを作成してそのフォルダ類をアップロードするシステムです。それに対してあと一つの無料HPサービスはgoogleさんのサービスなのですが、KDDIさんのとは違い直接書き込むうシステムです。ですので困っています。僕が壁にぶち当たっている根本的な理由はアドレスの変更が検索に影響が出るからです。

googleさんを利用している僕のサイトは「脱サラ ラーメン」で検索をしますと必ず上位に入っています。ですのでSEO的な面から考えますと簡単に移動ができないのです。なんの対策もしないままサイトを移動してしまいますと、せっかくこれまで築いてきた実績が無になってしまう可能性があります。これまでの実績をできるだけ保ったままサイトの移動を考えているのですが、そのやり方についての情報が見つかりません。

因みに、KDDIさんからの移動の際はKDDIさんのほうで実績を保ったまま移動できるように配慮をしてくれていました。僕が行ったことは移動先のアドレスを伝えただけです。あとはKDDIさんのほうで手続きを行ってくれていました。実際、検索をしますとそれまでとほぼ同じランキングで新しいアドレスが表示されています。まさに理想的な移動方法ですが、googleさんのサイトではそれと同じ方法ができないシステムになっています。調べ始めて1ヶ月以上が経っていますが妙案が浮かばないでいます。困った、困った。

とは言いつつも、すべてがうまくいったわけではありませんが、とりあえずはバックアップを取ることができるような環境が整ったことは大きな前進です。これまではもしPCが故障などして動かなくなったときはお手上げでした。おそらく立ち直れない精神状態になったでしょう。それが一応は元に戻すことができるようになったのですからこれほど安心なことはありません。

人生においてもバックアップシステムが整っていたならみんなが安心してお金を使うようになって景気がよくなるのではないでしょうか。でも、それって経済的に破たんした共産主義だよなぁ。人生は、難しい、難しい。

じゃ、また。

今年もよろチクビ〜! 
今年も気持ちは若いんだけど(^o^)/。

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posted by satoaki at 14:27 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月01日

新年あけましておめでとうございます。

平成30年 2018年
元旦
本年もよろしくお願いいたします。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 13:33 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする