2017年09月24日

<本音>

あっという間に選挙モードに突入した日本列島です。本当に驚きで先週の週明けに仕事に向かう車の中で突如耳にしました。前日までは選挙などという報道は全くありませんでしたので「唐突な」印象がありますが、背景を解説する評論家の話を聞いていますと、今のタイミングが「なるほど」とも思います。
森友・家計学園問題で凋落した人気がようやっと回復して支持率が不支持率を上回った状態になり、民進党は離党者が続き党内がゴタゴタし、小池新党の体制がまだ整っていない、という今の状況から考えて「今しかない!」と思ったようです。それしか、解散する理由は見当たりません。なにしろわずか1ヶ月前に「仕事人内閣」を作ったばかりなのですから、「任命してすぐに解散」では閣僚に就任した「仕事人」の方々に失礼というものです。
実は、僕は河野太郎外務大臣にとても期待していました。官僚におんぶにだっこの名ばかり政治家ではない本当の政治家が就任したと喜んでいました。本来、河野氏は小泉元首相ばりに「今の自民党をぶっ壊す!」という考えの自民党員です。つまり、安倍首相とは考え方が違う立場の政治家でしたので、その河野氏を大臣に据えたのが不思議に思えていました。しかし、もし本当に解散が行われるのであれば、河野氏を大臣に任命した理由がわかるような気がします。解散を織り込み済みで大臣に任命したのではないかと勘繰ってしまいます。
それはともかく、総選挙が現実になったときは国民は棄権などすることなく国民の自由を制限するような政治にならないように一票を投じることが大切です。

安倍首相の一連の行動に不安を感じるのは、安倍首相が独裁政治家がよく使う政治手法を取っているように見えるからです。その政治手法とは「外敵の不安を煽って自らの地位を確立する」手法です。先に安倍首相が解散を決めた理由を幾つか書きましたが、あと一つ重要な理由があります。それは外敵の脅威の存在です。今の状態がまさにそれに当てはまっています。言うまでもなく北朝鮮ですが、これまで今ほど北朝鮮との関係が緊張している状態はありませんでした。しかも、米国はトランプ大統領という実力行使も厭わない過激な考え方の持ち主です。そうしたことも相まって北朝鮮との関係により強い緊張感を作り出そうとしているようにも映ります。僕からしますと、この手法は禁じ手です。国民の冷静な判断を誤らせる政治手法です。国民はこの手法に乗せられないように注意する必要があります。

そうは言いながらも、僕は「話し合い」だけの外交手法に疑問を持ってもいます。トランプ大統領が国連で北朝鮮を批難した演説の中で拉致被害者である横田めぐみさんについて触れました。これを受けてお母さまである早苗さんが会見で「期待」を表明し、「チャンス」とも話していたそうです。

自国の人間が外国に拉致されて傍観しているのでは国家として失格です。国家には国民を守る義務があります。これまで日本は拉致被害者を「話し合い」で救い出そうとしてきました。こうした手法は武力に反対する人々からは平和的でかつ建設的な対応として支持されてきました。しかし、拉致された当人や家族の方々にしてみますと納得できるやり方ではなかったはずです。
もし、そうした事態が自分の身に起こったのであったなら武力を持ってでも取り返してほしいと誰でも思うはずです。トランプ大統領の国連演説のあとにすぐに横田さんのお母様が会見を開いたのもそのような思いが入っていたのではないでしょうか。

お気づきの方も多いでしょうが、マスコミは定期的に拉致被害者に関する報道を行っています。こうした対応に対して僕はマスコミの良心を感じていますが、拉致されて帰って来た被害者の方々の活動からも同様の気持ちを感じています。北朝鮮に拉致されている人がまだたくさん残されているという事実を風化させないように皆さんが活動している姿は本当に尊敬しています。

そうであるだけにすぐに会見を開き「チャンス」と話した横田さんのお母様の気持ちを考えるとき「話し合い」から圧力への転換を国連で訴えた安倍首相の演説もある程度は理解できます。それでも、それを政局に利用するのは禁じ手です。横田さんにしてみますと、力づくでも娘を取り戻してほしいと思うのは当然です。ですが、そうした感情的な気持ちを政治に利用するのは良心的な政治家はやってはいけないことです。

ちょうど1年前に「感動ポルノ」という題名でコラムを書きましたが、憶えている人も少ないでしょうから「感動ポルノ」の意味について再度引用いたします。
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感動ポルノ(原語:Inspiration Porn)とは自身も障害者であるジャーナリストのステラ・ヤング氏が作った造語である。

この場合の「ポルノ」とは「『感動』という快感を煽り立てるための消費対象としてのみ利用されていること」ことを強調するためにあえて「ポルノ」という表現を用いており、本来の意味である「性的な興奮を起こさせる」という意味は含まれていない。

簡単に言えば「障害者を非障害者の利益のために活用し、健常者を良い気分にさせるために障害者を利用対象としてモノ扱いする」という行為である。

「障害者は可哀そう」といった視点から、「何もできない・うまくいかないからこそ健常者と同じことをしてもらい、達成したことへの感動」といったように善意から障害者を下に見ているといっても差し支えない姿勢が問題になっており、清く正しい障害者としてのイメージを植え付け、感動を押し付けることへの問題点が表面化してきたともいえる。
(ニコニコ辞典より引用)
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「感動ポルノ」が通用するのはそれを受け止める人がいるからです。表面的なことだけではなく、その内面にまで考えを巡らせるなら「感動ポルノ」という現象は起きません。政治の世界も同様で表面的なことを強調して、それを利用して感情に任せて選択を迫るような政治家の言うことは疑ってみることが大切です。
安倍首相は北朝鮮の脅威を利用して憲法改正までをも目論んでいるようにも感じられます。実は、僕は自衛隊を憲法に明記することに賛成なのですが、今の時期にそれを訴えるのは支持できません。やるからには正面から堂々と行うのが良心的な政治家の矜持というものです。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 13:56 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月17日

<感情>

先日、恐妻とのいつもの買い物を終えて帰る途中のことです。駅のロータリーからつながっている交差点の赤信号で停まったので、なにげに周りを見渡しますと角にあった小さなパン屋さんが新しい看板に変わっていました。このパン屋さんは僕がラーメン屋をやっていたときからありましたのでかなり長く営業していたことになります。
このパン屋さんが記憶に残っていた理由は、駅が再開発されたときにほかの場所から移転してきたからです。元々は僕のラーメン屋から西の方向に数百メートル行ったところで営業をしていたのですが、再開発を機に移転したのでした。また、店主の方がたまに僕のお店に食べに来てもいたので顔を知っていたことも理由です。
ラーメン店のテキストでも書いていますが、お客様の中にはお店の人と顔なじみになることを狙って来店する人がいます。理由は様々で「常連になって優遇されたい」という人や「第三者にお店の人と親しいことを自慢したい」などですが、もちろんお店側にしてみますとそのような理由で親しげにする人は迷惑どころか嫌な気持ちになります。
自営業でお店を構えている人は、お店側の気持ちをわかっていますので自分がお客さんになったときは余計な会話はしないものです。ですから、小さなパン屋さんの店主の方も僕のお店に食べには来ていましたが会話をしたことはありませんでした。年齢は僕よりも5才くらい年長に思える外見で、雰囲気も穏やかでおとなしい感じの人でした。
僕は結局約13年で廃業しましたが、そのパン屋さんはそのあともずっと続けていましたので30年以上続けていたことになります。売り場の広さは2坪くらいで奥にパンを作る作業場がありましたが、全部を合わせてもそれほど大きなお店ではありませんでした。そのくらいの規模だったからこそ長い間続けていられたのかもしれません。廃業した理由も売上げによるものではなく、体力的なものだと想像しています。
僕が脱サラでラーメン店を開業したのは今から31年前です。その頃と現在では社会状況も変わっていますのでラーメン店のやり方も変わってきています。僕は「ラーメン店を手っ取り早く開業する講座」というテキストを公開していますが、その中で「お店の前は車が駐車できるくらいの道路幅が必要」と書いています。当時は、それがとても重要だったのですが、今では通用しないマニュアルです。一時期、書き換えようかと思ったこともありましたが、時代の移り変わりを感じてもらうには「換えないほうがよい」と思い、そのままにしています。
僕はその小さなパン屋さんがなくなったのを見て感慨深い気持ちになりました。その理由は「ああ、これで僕が知っている個人商売のお店は全部なくなったなぁ」と思ったからです。やはり会話をしたことはなくとも、店主の顔を知っているお店は勝手に親近感を持つものです。ですので、僕が廃業したあとも続けているお店を見ますと、「頑張ってるなぁ」とか「すごいなぁ」などと心の中で思っていました。そうした思いがこの小さなパン屋さんがなくなったことで終了することになります。

僕が廃業した5年後くらいに廃業した中華料理店も僕より5才くらい年長の方が開業したお店でした。この中華料理店は僕のような飲食業の経験が全くない素人が開業したのとは違い、本格的に修行を積んだ人が開業したお店でした。お店の広さも僕のお店よりも広く、テーブル席にもテーブルクロスが敷いてあるようなフォーマルな感じがするお店でした。
この中華料理店の場所は僕がたまに利用する銀行の駐車場の正面にありましたので、駐車場に停めるたびに営業の様子を見ていました。このお店はバイクでの配達も行っていましたが、配達をしていたのは店主の方でした。こうした状況を見ていますと、店舗の売上げだけでは厳しかったことが想像できます。個人商売の厳しさが伝わってきました。

僕が住んでいる地域を見渡しますと、30年前とは街の雰囲気は様変わりしています。それに伴って個人商店もほとんどなくなっています。それを最も表しているのがお米屋さんと酒屋さんです。この両方の業種に共通しているのは何代も続く地主の方が営業していることです。ですので、駅前など好立地な場所に土地を持っていますので貸しビル業などに転業しています。ですから、生活に困ることはありません。
それに対して資産などを持っていない人が脱サラで個人商売を始めたときは大変です。僕はそのパターンでしたが、廃業したあとはやはり大変で僕は今も大変が続いています。個人商売は余程大きく成功をしないと年を取ったとき廃業しなければいけなくなります。人間の体力は永遠に続くわけではありません。そのことを頭の中に入れて開業することが肝要です。
脱サラをすることは嫌な上司や同僚を気にすることなく働けることです。これはメリットですが、会社員のような退職金もありませんし、老後にもらえる年金の金額に大きな違いがあります。厚生年金は会社が半分負担してくれますので年金額が倍くらいは違ってきます。そのことを頭の中に入れておくことも大切です。

今、「働き方改革」という言葉がマスコミを賑わせていますが、最終的にはお客様の立場にいる消費者の考え方にかかっていると思っています。「自分は得をしたい」という気持ちが「とにかく自分だけは得をしたい」になってしまうことに問題があります。共産主義が崩壊したのは「人間の感情を考慮していなかったから」と僕は思っていますが、人間は「意識や計算だけで動くのではなく感情によっても動く生き物」です。
「得をしたい」という気持ちも突き詰めますと「感情」に行き当たります。少しくらいなら得を他人に譲ることも許せますが、「少し」が積み重なっていきますと感情で我慢できなくなります。ですから、お客様というのは「得をしたい」という気持ちがあることを前提にして「働き方改革」を考える必要があります。そうでなければ、声が大きい人だけが得をする社会にになってしまいます。

上司や同僚に気兼ねなく働けることは脱サラのメリットですが、その先にはお客様という存在があります。お客様に満足を与えることなしに自営業を続けることはできません。自営業を続けるためには会社員以上に働く必要があります。結局、働き方はお客様の考え方次第でしか変えることはできません。電通が正常な働き方をするには取引先の考え方が影響しますし、電通を取引先にしている子会社は電通の考え方次第で働き方がいかようにも変わってきます。

先日、仕事で高級住宅街に行きましたが、そこには大きな家と高級外車が並んでいました。そこに住んでいる人たちは「得をしたい」と思った人たちであることは間違いありません。「得をしたい」という気持ちは経済を成長させるために重要な動機になりますが、違う側面ではお客様としてほかの人の働き方に無理をさせている可能性もあります。
そのバランスが難しい…。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:05 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

<シオリ>

いつの時代も「色物」の話は大衆の興味をそそりますが、またしても政治家の不倫が暴露されました。民主党の山尾志桜里議員ですが、これまでのイメージとは正反対のプライベート生活の過ごし方に批難が集中しています。これまで山尾氏は働く女性を代表する立場から正論を述べて人気を集めていました。保育園問題の象徴の言葉となった「保育園落ちた。日本死ね」は山尾氏が国会で取り上げて有名になったそうです。これをきっかけにして山尾氏は一躍注目されるようになり、働く女性や主婦の代弁者のような存在になりました。
その山尾氏が実際のプライベートでは家庭をないがしろにしている不倫妻だったのですから批難が大きくても当然です。好感度を上げた当初のインタビューでは家族思いで優しいお母さんを演じていただけにその落差に落胆した人は多かったはずです。
会見では不倫関係を否定していましたので真偽のほどはわかりませんが、ホテルに週に数泊していることは否定していませんでした。つまりその間は家庭を顧みてなかったことになります。そのような女性が家族思いで優しいお母さんであるはずがありません。結局は、政治家としても「本物ではなかった」ということになります。上っ面だけ飾りつけた人間性はいつかは剥がれてしまうものです。
以前自民党の女性議員が公用車で仕事に向かう途中に保育園に寄って子供を預けていたことが問題視されたことがありました。この議員は金子恵美子議員ですが、批判に対して「納得はしていないが、将来のために今回は退く」とコメントを出していました。実に、堂々としていて筋の通った対応でした。公用車使用の是非は別にして、この報道は金子氏が国会議員の仕事をしながら子供もしっかりと育てていることを伝えていて好印象を受けました。
憶えている方も多いでしょうが、金子議員は不倫が原因でで議員辞職をした宮崎謙介氏の奥様です。このときの妻としての対応もあっぱれなもので「恥をかいてきなさい!」と宮崎氏を記者会見に送り出したそうですから、肝が据わった女性であることがわかります。ついでに言いますと、奥様の忠言に従ってしっかりと恥をかいた宮崎氏もあっぱれと僕は思っています。おそらくこれからお二人は素晴らしい夫婦になるでしょう。
それにしても最近の週刊誌のスクープは素晴らしいものがあります。考えてみますと、ここ10年でスクープを出しているのは週刊誌だけのような気がします。もしかしたなら20年かもしれませんが、今の大手マスコミはスクープを忘れているかのようです。
前にも書きましたが、本当のスクープとは「報じなければ、歴史の中に埋もれるような事実を掘り起こし報じる」ことです。決して「数日後に発表されることを他社に先んじて報じる」ことではありません。しかし、今の大手マスコミの人たちは単に早さだけを競っているように思います。さらに言うなら、今の大手マスコミは記者クラブでの発表だけを報じることで満足しているように見えます。
いろいろな問題が起こりすぎて影が薄くなっていますが、家計学園の疑惑が報じられたときに定例記者会見で菅官房長官に食い下がって質問をしていたのはローカルである東京新聞の女性記者です。この「食い下がりぶり」が注目されてニュースになったくらいですから、いかにほかの記者が厳しい質問をしていないかがわかります。この女性記者のような対応を大手マスコミの記者たちがしていないことは憂慮されるべきことです。大手マスコミの記者は御用記者に成り下がってしまったのでしょうか。

山尾議員の名前は「志桜里」ですが、同じ読み方で漢字が違う女性のニュースが5月末にありました。「詩織」さんです。この女性が元TBSの記者からレイプをされたと会見を開きました。この事件は週刊誌では報じていますが、大手マスコミはほとんど報じていません。
この「詩織さん事件」の大まかな内容を紹介しますと、2015年に事件が起き、警察に訴えたにも関わらず不起訴になったことに納得できず、顔を出して記者会見をしました。記者会見で重要なことは不起訴になった理由が「政権からの圧力があった」と主張していることです。理由はレイプ犯が安倍首相と親しい記者だったからです。
さらに、この記者が官邸に「もみ消しを依頼している」メールが誤って詩織さんに届いてもいるのです。これは立派な証拠ですが、やはりこれも大手マスコミは報じていません。ところが、その後展開が変わってきます。「詩織さん事件」そのものがほかの狙いがあるという情報がネットで拡散していました。「ほかの狙い」とは安倍政権を追い落とす狙いです。「詩織さん事件」に批判的な意見に寄りますと、詩織さんという人物はどこかの政治的な団体の息のかかった女性だそうです。
ここまで来ますと、僕のような一般人としてはどれが真実でどれが作り話かがわからなくなってきます。基本的に、週刊誌は「煙が立ちそうな」段階で報じますので勇み足も多々あります。ですから、すべて信じることも不安な気持ちになりますが、本来それを補ってくれるのが大手マスコミのはずです。
しかし、今の大手マスコミは偏向が強く一方的な角度からの報道しかしなくなっています。過激な言葉を使うなら事実が捻じ曲げられて報じているようにさえ思えます。「捻じ曲げる」方法は単に伝え方だけではなく、「伝えない」という方法もあります。
例えば、家計学園問題に関して7月24日に国会で審議が行われました、そのときに前愛媛県知事が参考人として意見を述べています。その意見がとてもわかりやすく政権側を後押しする内容だったのですが、一部の政権寄りの大手マスコミしか報じていませんでした。この意見を聞くのと聞かないのでは家計学園問題に対する印象が全く変わってきます。
僕は左でも右でも上でも下でもありません。ただ平和で公平な世の中になることを望んでいるだけです。そんな僕が頼りにするのは事実だけです。偏っていない中立な視点から見た事実だけです。ですから、大手マスコミがそのような姿勢になることを願ってやみません。大手マスコミに就職することは並大抵ではありません。一流の大学出身で立派な成績を収めている人しか入ることはできません。それほど優秀な人の集まりであるにも関わらず、誰も今の現状をおかしいとは思わないのでしょうか。それが不思議です。
「戦争は正義と正義の戦いである」と誰かが話していましたが、それだけ正義はたくさんあることになります。実際、自分が正しいと思っていることが正義なのですから当然とも言えます。あのオウム真理教で殺人を犯していた人でさえ教祖様の命令が正義と思って実行していたのですから正義ほどあやふやで危険なものはありません。
正義はあてになりませんので、平凡な僕としては事実を知ることでしか正しい判断をすることはできません。それなのにその事実さえも正確に伝えてもらえないのはとても困ることです。そうなりますと僕ができることはいろいろな角度からの情報を取り寄せることです。ですが、たくさん情報がありすぎるとそれを整理するのも大変です。そうだ!
情報をわかりやすくするために「シオリ」が必要だ。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:23 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

<世界は広い>

新学期が始まりましたが、報道に寄りますと新学期の最初の日は子どもたちの間で最も自殺が多い日だそうです。それに関連したニュースがありましたが、「自殺をしないで」という訴えが大きく取り上げられることはとてもよいことです。
僕はもう60才を超えていますが、年を重ねるごとに感じることは世界の広さです。世の中には自分の知らないことがたくさんあることに驚くとともに感心し、そして感動をしています。そんな世の中を子どもは知りません。子どもは人生を経験している期間が短いですので当然ですが、自分がいるその場所だけが人生だと思っています。子どもが自殺する原因はそれに尽きるように思います。
もし、ほかに生きる場所があることを知っていたなら自殺などしないでその場所に移動することを選ぶはずです。先月の終戦の時期のコラムで書きましたが「人間は人を殺すために生まれてきた」のではありません。同じように「人間は苦痛を感じるために生まれてきた」わけでもありません。人間が生まれてきたのは「生まれてきてよかったぁ」と感じるために生まれてきたはずです。それなのに「苦しく辛いことしか経験できない」場所に居続けるのではあまりに不幸です。
僕はいじめのニュースに敏感ですが、いじめのニュースは30年以上前から報じられており、そして対策が取られてきているはずです。どうして「30年」という具体的な数字を書いたかと言いますと、僕がいじめに関心を持ち始めた年齢だからです。つまり、これは子どもがそのときにいるその場所がすべてと思うのと同じように、僕もその頃までは自分の周りのこと以外についてあまり関心を持たなかったからです。いじめは周りの大人の無関心さに大きな原因があります。
僕は大人と子どもの決定的な違いは「自分以外の周りの出来事にどれだけ関心を持てるか」にあると思っています。小学校の頃、「廊下を走るな」という貼り紙が貼ってありましたが、子どもは急いでいるときはついつい走ってしまいます。それを諫めるために書いてあった標語ですが、子どもは自分のことに精いっぱいで自分が急いでいるときはほかのことに目が行き届きません。
僕が毎日行っているスーパーでも小さな子どもが走っていることがあります。自分のやりたいことしか頭の中にないからです。ですから、走っている子どもの目はなにかに夢中になっている目をしています。
このように子どもは自分の周りのことで精いっぱいですので周りが見えません。ですから、大人が「ほかにも場所があること」を教えてあげることでいじめによる子どもの自殺はなくすことができるはずです。それなのに今でもいじめで自殺する子供がいます。僕にはそれが残念でなりません。
僕が最も憤りを感じるのは先生という立場の人がいじめに関わっているときです。次に憤りを感じるのはいじめを傍観している先生です。これだけニュースになっているにも関わらずなんの対策も取っていない先生がいることに納得ができません。そのような先生は先生という仕事に就いてはいけない人たちです。
このような先生たちに当たってしまった子どもたちは不幸です。ですが、これを不幸で終わらせてはいけません。不幸にしないためには子どもたちの環境をオープンにすることが必要です。オープンとは2つの意味があります。1つは学校という現場をオープンにすることで、あと1つは選ぶ権利をオープンにすることです。
1つめの「学校をオープンにする」とは数十人が集まった一クラスを先生一人が運営するのではなく複数の先生で運営することです。敢えて「管理」という言葉を使わず「運営」という言葉を使いました。
2つめの「選ぶ権利」とは学校をある程度自由に選ぶことができるようにすることです。しかし、これは一つ間違えますと偏差値の高い学校に偏る弊害が起きそうですが、あとは親御さんの教育方針に任せればよいだけです。子どもの教育や成長に関しては学校や教師ではなく親に100%責任があるからです。このようにすることでなんでもかんでも学校の責任にする不届きな親の責任逃れを防ぐことができます。
いじめが社会問題化してから数十年経ちますが、全く解決しないのは大人に責任があります。文部科学省に責任があると言っても過言ではないでしょう。官僚の皆さんが自分の出世や保身やつまらないプライドに汲々としていたことに原因があります。社会に奉仕するという使命を持って官僚になったはずですので真剣に子どもたちのいじめ対策を講じてほしいものです。いじめによる子どもの自殺は大人のやり方次第で絶対になくせると僕は思っています。

前にも少し書きましたが、僕が利用していますホームページサービスが終了しますのでどこかに移動させる必要があります。ですが、実はほかにも終了するサービスがあります。それはアマゾンが本を紹介するサービスなのですが、おそらく利用者が少ないのでしょう。企業ですから利益に貢献しないサービスは終了するのも当然です。
この両方のサービス終了を解決する方法としては有料のサーバーを利用しようかと悩んでいるところですが、それについても勉強する必要があります。ですが、僕はここ数か月間電子紙芝居を作っていました。電子紙芝居とは僕が勝手に命名したのですが、要は紙芝居のネット版ということです。
本来は動画を作りたいのですが、僕の今の技量ではとても不可能なことがわかりました。そこで、ネットを使ってなにかを作りたいと考えた末に思いついたのが電子紙芝居です。きっかけはYOUTUBEを見ていた時に芸能人のゴシップに関する動画の視聴回数が多いことに気がついたことです。
これはどのような動画かと言いますと、背景に芸能人の写真を映し出し、それが複数枚変わるだけで、そこにかぶせるようにゴシップ記事が書いてあるだけです。これは動画とは言いながら、実際は単なるゴシップ記事を流しているだけです。それでも視聴回数が稼げているということは視聴者は画面ではなく文字情報に惹かれていることになります。
時を同じくしてクラウドで仕事をするサイトを見ていましたら、まさしくその動画を作成する人を募集している記事がありました。それで僕は確信しました。文字情報だけでも立派なネット動画になるのです。
しかし、ゴシップ記事で動画を作るのは抵抗がありますのでいろいろ考えた結果、電子紙芝居にたどり着いたわけです。もちろん絵心が全くない僕が紙芝居の絵を描けるわけはありません。そこで以前購入した3Dイラストを作るソフトを利用することにしました。3Dソフトの長所は角度をいろいろと動かせることです。ですので簡単ではありませんでしたが、なんとか紙芝居にはなりそうなイラストを作ることができました。
文章は前に作っていたものでしたので問題はありませんでしたが、苦労したのは音楽でした。先のゴシップ記事を見ていて思ったのですが、動画を作るときに大切なのはBGMなのです。BGMがあるのとないのでは雰囲気が全く違ってきます。音楽がない動画は魅力が全くありません。ですので、BGMに挑戦したのですが、これもまた一苦労どころか二苦労、いえいえ大苦労でした。
なにしろ音楽ソフトは使ったことがありませんのでどれを選んでよいのかがわからないのです。選ぶには使いやすさも重要ですが、「使いやすさ」がどういうことなのかさえわからないのです。そうした困難を乗り越えて出来上がったのが「ちっちゃな恋の物語」という名作です。(^_^)
僕のコラムの読者の皆さん、どうかご覧ください。
感動すること間違いなしです。(^_^)
ちっちゃな恋の物語

じゃ、また。

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posted by satoaki at 21:16 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする