2017年07月30日

<信頼関係>

ようやっと稲田大臣が辞職しましたが、遅きに失した感は否めません。多分、多くの人が人選の失敗を予想していたのではないでしょうか。おそらく会社帰りの居酒屋で中年以上のサラリーマンの方々は口々に話していたはずです。
「稲田さん、無理があるよなぁ」
本人がどう思おうとも、部下である事務次官や自衛隊のトップが稲田大臣を大臣として認めていなかったことは間違いありません。先週も書きましたが、3人が集まった話し合いの内容がマスコミで報道されるという事実がそれを証明しています。
似たような状況が小泉政権時代にもありました。このときは田中角栄元首相の娘さんである田中真紀子氏が外務大臣に就任していたのですが、田中氏は外務省を自分の思い通りの役所にしようとしていました。しかし結果は、見事返り討ちに遭ってしまいました。田中氏の名言が印象に残っています。
「私が前に進もうとすると、誰かがうしろでスカートの裾を踏んでいる」
このときは外務省の官僚は田中大臣に反旗を翻していることを隠そうともしていませんでした。マスコミに堂々と「差し違える覚悟」とまで語っていたほどですから、どれほど大臣として認めていなかったかがわかります。このような状況で仕事をできるわけがありません。方向性が「正しいかどうか」は別にして、組織が活動するにはトップと部下たちの意思が統一されていることは必須条件です。
報道を見る限りでは、稲田氏が事務方や自衛隊に対して特段厳しい要求をしていたようには思えません。それにも関わらず事務方や自衛隊から認められていなかったということは余程仕事に対する姿勢に問題があった可能性があります。もしかしたなら、部下である秘書に対して「このハゲ〜!」と絶叫した女性議員がいましたが、似たような性格もしくは資質を持っているのかもしれません。
それはともかく、テレビで評論家が「野球の知らない人が監督に就任したようなものだ」と語っていましたが、部下の人たちも同じような気持ちだったのかもしれません。
似たようなことが自民党の受け皿にならなくてはいけないはずの民進党でも起きていました。代表である蓮舫氏が辞任をしました。こちらは部下の反乱というよりは祭り上げていた人たちが梯子を外した感じです。
そもそも今の状況で蓮舫氏が代表に就くことに無理がありました。まだ党の代表になる土壌が整っていなかったからです。本当に、単に「祭り上げていられた」だけです。真の代表になるには一定の集団の代表になり足場を固めてから名乗りを上げなければいけません。今の状況は単に名前が知られているという上っ面の人気だけでした。上っ面の人気を実力と勘違いしたことに蓮舫氏の過ちがあります。
女性議員の話が続きましたので、ついでにと言っては失礼ですが、都民ファーストの小池東京都都知事についても触れたいと思います。
真の意味で実力者といえる女性議員となりますと、今の日本では小池氏がダントツの一位です。自分で党を作っていますし、実質的な代表に就いてもいますし、実力のあるサポート部隊も周りに控えています。おそらく現段階で最も首相に近い女性となりますと小池氏になるでしょう。
敢えて小池氏のネックを探すならそれは年齢です。現在65才ですが、これから首相を目指すには少し薹が立っています。その意味で残されている時間はあまり多くありません。2〜3年のうちに勝負にでる必要があります。
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*「薹が立つ」(とうがたつ)
⇒花茎が伸びると堅くなって食べ頃を過ぎてしまうことから盛りを過ぎるの意。
 何かをするのにちょうどよい年齢を過ぎてしまうこと。
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ですが、東京オリンピックも控えていますので現実的ではないように思います。もしやるとするなら、ミャンマーのアウンサンスーチー氏のように影で操る実力者という立場しかありません。しかし、こちらも現実的はないように思います。勝負は来年の衆院選でしょうか。

と、ここまで政治のことを書いてきましたが、実は僕は現在新聞を取っていません。以前から新聞を取る価値について考えていましたが、今回たまたま勧誘の人が来なかったので宅配の新聞をやめてみることにしました。
前にコラムで書いたことがありますが、藤原和博さんという元リクルートの幹部から杉並区の区立中学の校長に就任したことで注目を集めた方が「新聞なんて読まなくていいんですよ」とラジオで話していました。それを聞いたのは今から3〜4年前ですが、以来ずっと頭の中に引っかかっていました。
人間というのは保守的な生き物ですので、僕もなかなか踏み切れないでいたのですが、今回たまたまの流れで7月から実行に移すことにしました。
僕には、新聞を取らなくなったときの不安がありました。それは「世の中で起きていることがわからなくなる」という漠然とした不安です。テレビのニュース番組もありますし、スマホのヤフトピも見ていますので、ニュースに全く触れなくなるということはないとは思っていたのですが、なんとなく不安になっていたのです。ですが、実際に新聞を読まなくなっても今のところ不都合や不便を感じていることはありません。
よく紙媒体を読まない弊害として「調べていることとは全く関係のない知識や情報に触れる機会がなくなる」ということが指摘されていました。例えば、辞書である言葉を調べているときにたまたま隣の言葉が目に入って、それまでの自分では興味を持たないようなことにそれがきっかけになって興味を持つようになることです。新聞はまさにそのような役目があり、社会面や政治面や科学、暮らしなど自分だけでは関心を持たないようなことに触れるきっかけになります。
このような紙媒体のメリットを失うことへの不安がありました。しかし、ネットでいろいろな情報に接していますと、紙媒体のメリットに劣らないくらいいろいろなたくさんの情報に触れるきっかけに遭遇しています。もしかするなら、紙媒体以上に「自分だけでは関心を持たないようなこと」に触れるきっかけを得ているかもしれません。
今のITの進歩は素晴らしいものがありますが、その一つに僕が興味を持ちそうな情報、もしくはそれに関連した知識を勧める機能があります。これには「個人情報が勝手に収集される」という問題点もありますが、それを除くなら「効率的に有益な情報に接する」というメリットを得ることができます。おそらく紙媒体で得られるきっかけよりもはるかに多いきっかけです。僕は、今現在、その状況を満喫しています。
先週のコラムで書きましたが、情報というのは見る立場や角度によりいろいろな形に変形します。マスコミはそれをできるだけ純粋な形で受け手に伝える義務があると思っていますが、ネットでは自分でその情報の形を調べることができます。しかも瞬時にできます。これもまた、実はとてもすごいことで、いつになるかはわかりませんが将来はやはり新聞を筆頭に紙媒体は消滅するのではないでしょうか。最近、僕はそのように思い始めています。

真偽は確かではありませんが、自衛隊の日報隠ぺい問題も当初は廃棄していたとされていましたが、「パソコンに残っている」という情報がきっかけで廃棄問題が再度注目されたように記憶しています。どこで読んだか記憶が定かではないのですが、「残っているはずだから、もう一度しっかり調査して」と最初に声を上げたのは自民党の河野太郎議員のはずです。ですが、その経緯について大手マスコミが全く取り上げていないのが不思議です。
僕が新聞を取るのをやめた一番大きな理由は最近のマスコミの偏向報道の激しさがあります。簡単に言ってしまいますと、「大手新聞の記事はあまり信頼できない」という気持ちが大きくなったのです。
どんなことでも信頼関係って大切ですよねぇ。…夫婦でも。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:05 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

<こだわり>

暑い日が続いていますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。僕は「暑いの日がどうの」というよりは「寒いのが苦手」ですので、今くらいの暑さはほかの人が言うほど苦痛には感じません。ですから、家にいるときはクーラーとは無縁ですし、寝るときも暑くて寝られないということもありません。ですが、妻は違います。僕より数倍暑がりです。
僕には変なこだわりがいろいろあるのですが、その一つが夫婦の寝室です。僕はどんなに愛が冷めようとも「夫婦は一緒の部屋に寝なければいけない」というこだわりがあります。理由は、「夫婦だから」に尽きます。若い頃のような肉欲はなくなっても一緒の部屋で寝るのが夫婦だと思っています。
ですから、僕には単身赴任という発想が理解できません。せっかく結婚したのに別々に暮らすのでは結婚した意味がないではありませんか。僕の中の結婚とは、「一緒にいる」ことです。「一緒にいたい」と思うから結婚をするのです。たまに「ほかの女性と一緒にいたい」と思うことがあっても、あくまで「たまに」でなければいけません。「たまに」がなくなったときは夫婦でいる資格がなくなることを意味します。
そんな僕たち夫婦ですのでいつも布団を並べて寝ているのですが、昨年から夏になると妻が別居するようになりました。理由は「すっごい、暑い!」からです。妻と僕の温度センサーは極端に違いますので、妻が「暑い」のは僕には「ほぼ普通」で、妻が「ちょうどいい」のは僕には「寒い」のです。ですから、妻が部屋を出ていくことになりました。
これについては昨年も書いたような記憶がありますが、妻が夏の間だけ居間で寝るようになりました。「夫婦同室」に強いこだわりがある僕としましては「夫婦別室」にすることに抵抗感がなかったこともないのですが、妻の達ての強い要望でしたので、正確には「要望」というよりは「怒りに似た命令」でしたので受け入れざるを得ない状況となりました。「怒り」を例えますと、そうですのでぇ…、あの豊田議員の「このハゲー!」の叫び声に似ているでしょうか…。
それはともかく、実際に別室になってみますと僕も快適さを感じています。隣に誰もいないということは自由に動けることですのでとても気分がいいのです。僕は寝相が悪いので知らぬ間にいろいろと動き回っているのですが、朝目覚めたときにとんでもないところでとんでもない恰好でいるときがあります。それだけ自由に動いていたことの証拠ですが、それができたのは僕の専有面積が広くなったからです。今では、「夫婦別室も悪くない」という感じを持っています。
このような感覚になったのは「こだわり」にこだわらなかったからといえます。つまり、「こだわり」には執着しないほうがよいこともあることを教えてくれています。

稲田防衛大臣が窮地に追い込まれています。おそらく近日中に退任することになると思いますが、8月に内閣改造を控えていますのでタイミングが難しいところです。しかし、今の状態では8月の内閣改造までもたないのではないかとさえ思ってしまいます。
それにしても安倍内閣はここにきて一気にいろいろな方面から三下半を突き付けられているように見えます。いろいろな方面とはマスコミや官僚や団体です。
まずはマスコミから。
今年に入ったあたりからいろいろなところで指摘されるようになりましたが、マスコミの偏向報道が顕著になってきています。大まかに分けますと「政権寄り」と「反政権寄り」ですが、最近で最もそれを表しているのは家計学園問題で渦中の人となった前文科省事務次官の前川氏に関する報道姿勢です。前川派か政権派できれいに分かれています。最もわかりやすのは前川氏の出会い系バー通い報道ですが、これを報じたのは読売新聞だけです。
前川氏自身が話していますが、家計学園問題について一番早く前川氏に取材をしたのはNHKだそうです。しかし、その取材インタビューが放映されずお蔵入りになっているのですが、これはあきらかにNHKが政権派であることを示しています。その後、NHK内でも社会部派と政治部派で対立が起きていることが表面化しましたが…。
このほかに大まかに分類しますと、前川派と思しきマスコミは新聞ですと朝日と毎日、テレビではテレビ朝日とTBSです。政権派と思しき新聞は読売と産経で、テレビは日本テレビとフジテレビです。
このように各マスコミの立場といいますか、視点が違いますので取り上げる内容や報道の姿勢・仕方にも違いが出てきています。そして、この違いがあることに正当性を与えるような論調も出てきています。
しかし、僕はその論調に異議があります。

人間にはいろいろな考えの人がいることは認めますし、それで当然だと思っています。ですから無理に違う主義主張に同調する必要もありませんし、同調を求めるのも間違っています。しかし、事実は一つでなければいけないと思っています。主義主張によって事実が幾つもあってはいけません。もし、事実が二つも三つもあっては情報を受け取る側はなにを信じてよいかわからなくなります。
大分前ですが、僕はこのコラムで戦争広告代理店という本を紹介しました。これは戦争の当事者の一方が広告代理店を使って自らの正当性を訴えている現実を暴露している本です。「正当性を訴えるために」広告代理店を使うのは安倍首相が最近口にする印象操作のなにものでもありません。広告代理店の倫理上の問題はともかくとして、ビジネスので世界では広告代理店は広告主の依頼に応える仕事をするのは当然のことです。ですから、広告代理店がいろいろな戦略を駆使して広告主に正当性があるように権謀術数を図ることは当然です。
しかし、マスコミは広告代理店ではありません。依頼主などいないのです。というよりはいてはいけないのです。中立であることがマスコミの大前提です。どちらかの一方に肩入れした報道はフェイクニュースと同じです。
マスコミの知識人は、いかにもいろいろな方面に精通していることを誇示するかのようなしたり顔で「真実は一つではない」などと吹聴しています。ですが、「真実は一つではない」ことがあってはならないのです。百歩譲って「一つしかない真実」を伝えるのが難しいのなら、せめて「伝えようと」努力をするのがマスコミ人やメディアに携わる人の使命ではないでしょうか。それを「真実は一つではない」などと開き直るのは何をかいわんやです。
繰り返しますが、マスコミに依頼主がいてはいけないのです。
マスコミを仕事としているのであれば、一般人よりは物事の真実を見抜く感性を持っているはずです。それこそが一般人とマスコミ人の違いでなければいけません。単に、政治家と親しいとか知識が豊富であることでマスコミ人になっているわけではないはずです。
このように、本来マスコミは真実を伝えるのが仕事ですが、現在は偏向的な報道が幅を利かせつつあります。
そんな中、政権寄りと言われていたマスコミまでもが稲田批判および安倍批判を強めています。これがマスコミから三行半を突き付けられているように見える原因です。
次に、官僚からの三行半を示すのは稲田大臣が不利になるような情報が湧き出る湯水のように流れていることです。例えば、稲田大臣と防衛事務次官や制服組の幹部の会談の内容が報じられています。どう考えても稲田氏を追い落とす目的としか見えません。
これは稲田大臣に限りません。山本地方創生大臣と日本獣医師連盟の対立でも同じです。山本大臣の発言に堂々と異を唱えている様は安倍政権に挑戦しているかのようです。
安倍政権の現在の光景はいつか見た光景に似ています。ここまで落ちてしまったのは国民を甘く見ていたからです。少しくらいの問題は「経済関係の政策を発表すればすぐに忘れる」といった驕った姿勢があまりにも見えすぎていました。そして、そのきっかけになったのが稲田大臣に対するこだわりです。
こだわりにこだわると判断を間違えます。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 15:23 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月16日

<丁寧な説明>

「なにがどうなったのか」詳しくはわからないのですが、とにかくwindowsのプログラムのなにかが更新されたようです。たぶん今の時期はそのような時期のようで、僕はデスクトップとノートパソコンの両方を毎日使っているのですが、両方とも更新の通知がきてインストールが行われました。
僕としましては自動的に更新されるのは別に構わないのですが、設定が僕に相談もなく変更されるのはあまり感じのいいものではありません。PCは僕のものなのですから僕に許しを得てから変更するのは筋というものです。
今回、勝手に変更されたのは幾つかあるのですが、とりあえず不便を感じたのはネットを見るときに最初に立ち上がるブラウザーが「エッジ」になっていたことです。Microsoftは「エッジ」を普及させたいようでなにかにつけてエッジの使用を勧めてきます。しかし、IEに慣れている僕としては使い勝手が多少悪くとも慣れているものを使いたくなります。
そのほかに変更になっていたのは音楽を聴くソフトです。mp3をクリックしますと自動的に始まるソフトがGrooveになっていました。これも僕はメディアプレーヤーに慣れていますので戻しました。
このような自分自身の行動から考えてみますと、人間というのは新しいものに変更するのはよほどのことがない限り抵抗があるようです。これを保守的というのかもしれませんが、使い慣れているもののほうが気楽であるのは間違いありません。
僕は格安スマホを使っていますが、スマホユーザー全体からみますとまだまだ少数派のようです。総務省からの要請もあり、大手キャリア各社が値段を抑えたプランを次々に発表しています。しかし、格安スマホを使っている僕からしますと「まだ高い」という印象があります。
実際に値段だけを比較しますと大手キャリアのほうが高いのですが、格安スマホよりもシェアを取っています。本来なら安いほうに消費者は流れるものですが、そうはなっていないのはシェアを占めるだけのノウハウを持っているからです。
実を言いますと、大手キャリアは高いと言いつつも「仕方ない」と思っている部分もあります。それはお客様が相談しやすい環境を作っていることです。例えば、スマホの調子が少し悪いとき、契約しているショップに相談に行きますと丁寧に対応してくれます。「調子が悪い」どころではなく「使い方がわからない」ということだけでも対応してくれます。大手キャリアの魅力は丁寧な対応をしてくれるということになりますが、それを可能にしているのは割高の値段設定をしているからともいえます。丁寧な対応を可能にするにはショップを運営するために家賃や水道光熱費がかかります。それだけではありません。説明する人の人件費もかかりますし、研修費もかかります。丁寧なサービスを提供するにはそれ相応のコストがかかるのは当然です。
それに対して格安スマホはほとんどを自分で行う必要があります。最初の設定までも自分で行わなければなりません。その最大の理由はショップを構えていないことです。家賃や人件費などを抑えることで格安を可能にしています。しかし、最近は格安スマホも家電チェーンと提携するなどをして丁寧なサービスを提供することを試みているようです。今後どのような展開になるかわかりませんが、消費者に対して丁寧な説明をできるように工夫しなければ格安という魅力も褪せることになります。

先月は火災保険の満期を迎えましたので代理店の方とお話をする機会がありました。その代理店の方とは長いつき合いですので自動車保険にも加入しています。たまたま話の中で通販型自動車保険のシェアの話になりました。僕が最近経済誌で読んだ「通販型自動車保険のシェアが10%にも満たない」という記事に驚いた、と話しますと「車のディーラーさん経由で契約する人がまだたくさんいる」とのことでした。
よく考えてみますと、自動車を初めて購入する人は自動車保険についての知識をほとんど持っていないのが普通です。ですから「言われるがままに」自動車保険に加入しても不思議ではありません。このような現実を見ますと、自動車保険のシェアが劇的に変化することは当分ないように思います。
ですが、自動車保険については面白い話を聞きました。「大分先のことではありますが、将来的には自動車保険は保険会社が扱うのではなく自動車メーカーが扱うようになる」というものでした。今でさえ新しい車には自動ブレーキが付いているのは普通になってきています。その技術がさらに進むなら自動運転も夢の話ではなくなってきます。そうなりますと、事故を起こしたときの責任は「運転者ではなく自動運転を提供している自動車メーカーにある」ということになります。一つの技術の進歩はいろいろな方面に影響を与えます。

一つの出来事がいろいろんな方面に影響すると言いますと、安倍政権を揺るがしている家計学園問題も同じような状況になってきています。以前、「本当の悪者」というタイトルでコラムに書きましたが、時間が経つにつれ新たな事実が次々に出てきています。
まず、家計学園問題の「おさらい」としてこれまでの経緯を簡単に説明いたします。
この問題が表に出てきたきっかけは森友学園問題で安倍首相が知人に便宜を図ったかどうかで追及された延長として、「家計学園に便宜を図っていたという事実があった」と文科省の前事務次官が証言したことです。それに対して菅官房長官が「怪文書」とか「人間性に問題がある」などと反論したことで問題が大きくなりました。
この問題の核心は次の点です。
「家計学園が獣医学部を新設するにあたって安倍首相が便宜を図ったからどうか」。
これまでの展開では前川氏が主張する「安倍首相もしくは政権側から働きかけがあった」という説明のほうが説得力がありました。しかし、ここにきて安倍首相側が有利になるような証言が続いています。一例を紹介しますと、閉会中審査の場で前愛媛県知事の加戸守行氏が「10年以上前から家計学園は開設の申請をしていた」と説明したことです。さらに加戸氏は今回の家計学園関連の問題について「国家戦略特区でゆがめられた行政が正されたというのが正しい発言だ」とまで語っていました。
実は、この指摘についてはまた前川氏からの反論もあるのですが、その反論についてもそれ以前の政治状況が関係していますので事実関係を整理するのが困難になっています。ですので、さすがにこのあたりまでにきますと、問題が複雑になってしまい、焦点をどこに当てていいのかわかりにくくなっています。ですから、政治にあまり関心のない人は「引いて」しまうことになりそうです。
僕としましても、いったい誰の意見が「真っ当」で「常識的」で「正論」なのかわからない状態です。この複雑で絡み合った状況を解きほぐすには安倍首相本人が公の場所に出て説明するのが一番よい方法です。
そもそも言っていたじゃぁ、ありませんか。「丁寧に説明する」って。それしか解明する方法はありません。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:59 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月09日

<度>

結局、都議選は都民ファーストの圧勝で終わりましたが、自民党に対するイメージが最低の状態でしたので当然のことのように思います。それにしても僕が残念なのは投票率です。一応なんとか50%は超えていますが、投票権を持っている人の責任としては70%前後はいってほしいところです。それが無理とするなら最低でも60%は超えるのが選挙民の義務というものです。
自民党の敗北の原因はいろいろあるでしょうが、投票日前日の安倍首相の街頭演説もかなり大きな要因のように思っています。「安倍、辞めろ〜!」コールのうねりに感情的になってしまい「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と応じてしまったのは、相手の思うツボにはまる結果となりました。政治に精通した人の見立てでは「安倍辞めろ!」コールを絶叫していた人たちは「その道のプロ」だそうですから、感情的に反応してマスコミに報じられたのはやはり間違った対応ということになります。
以前から書いていますが、安倍さんが政権を長く続けられている理由は「世論を感じ取る力に優れていること」と思っています。少しでも評判が悪くなりそうになると、国民受けしそうな経済政策を発表するということを繰り返しているからです。こうしたやり方は国民を甘くみているからにほかなりませんが、その感性がここにしてかなり鈍くなっているように感じます。それを示していたのが、今回の街頭演説での「こんな人たちに負けるわけにはいかない」発言です。
大分前ですが、自民党の幹部にまで上り詰めたK氏に密着するドキュメント番組を観たことがあります。そのときに印象的だったのは、ある地方の集会に行ったときの対応でした。
その集会は100人ほどの集まりでしたが、K氏が登壇し演説を始めてしばらくしたときに聴衆の中の60才くらいの男性が大きな声で演説内容について質問をし始めました。K氏はその話を丁寧に聞き、それなりに答えていたのですが、男性はしつこいくらいにさらに絡んできました。そのときK氏は、「細かい話はあとでお答えしますので」と言い演説を続けたのですが、「さすが!」と思ったのは演説を再開する前に秘書に「あの男性から話を聞いてくる」よう指示を出したことです。
実は、この指示は男性の話を聞くことが目的ではなく「男性の素性」を調べることでした。つまり、他候補の支持者とか単なる嫌がらせの目的なのかなどを確認するのが目的でした。一見、なにげない演説者と聴衆者のやり取りですが、政治家の奥の深さを垣間見た光景でした。
もちろん安倍首相もこの程度のテクニックは身につけているはずですが、それにも関わらず街頭演説での失態は「脇が甘くなっている」「一強に慣れすぎて驕っている」という批判が当てはまるのかもしれません。
こうした姿勢はほかの場面でも見ることができます。国会でのやり取りの際に質問者に対して自らが野次を飛ばしたり、反対に外野からの野次に無闇やたらに反応したりと首相という立場を忘れているかのような振る舞いでした。
本来、首相という役職は日本で最も責任の重い任についている立場ですので慎重な言い回しが求められるはずです。ちょっとした発言が社会をひっくり返すほどの力を持っているのですから当然です。ですから、慎重さを追い求めるあまり発言が「門切り型」であったり「曖昧」であったりと、面白みに欠ける発言が多いのが特徴でした。
そうした姿勢をひっくり返したのが「自民党をぶっ壊す」と声高に訴えて首相に就いた小泉さんでした。忘れもしません。国会という場でそれまでの首相では考えられないような答弁をしたのです。
2004年11月の衆議院での当時の民主党の岡田氏と小泉首相のやり取りです。当時、イラクへ自衛隊を派遣する際の条件が問題になっていました。「戦闘地域には自衛隊は派遣しない」という中で、岡田氏から「非戦闘地域の定義を言ってほしい」と問われた小泉首相は「自衛隊が行くところが非戦闘地だ!」と言ってのけたのです。このニュースを見た時、僕はいい意味でも悪い意味でも「すげぇな」と思った記憶があります。
安倍首相は、明らかに小泉節を真似ています。しかし、どんなことでもそうですが、物事が受け入れられるには「時(time)、所(place)、場合(occasion)」が大切です。あのときのあの状況での小泉首相の発言だったからこそ受け入れられた発言です。
安倍首相は二度目の登板ですが、最初のときは1年あまりで退陣に追い込まれています。そして、そのときは「弱い首相」というイメージがついてしまいました。今の安倍首相を見ていますとその弱いイメージを払拭することに懸命になっているように映ります。野次の飛ばし方や強弁などを見ていますとそのように感じます。しかし、今の安倍首相の振る舞いは「度が過ぎている」というのが僕の感想です。

ところで…。
首相に限らず「度が過ぎています」と変えたくなってきます。実は、先日キーボードを交換しました。理由は「度が過ぎて」いたからです。キーボードの「度」は「フレーズ」する「度」でした。
以前、パソコンが動かなくなりマザーボードの電池を交換した話を書きました。しかし、その後もパソコンの調子は今一つで、文章を書いている途中でキーボードが反応しなくなったりしていました。調子が悪くなると再起動するのが基本ですが、最近は再起動させなければいけない状況になる頻度が高くなっていました。
普通、パソコンの調子が悪くなるときは前兆というものがあります。今回の場合は起動させたあとwindowsの表示がでる前に「カチカチ」という音がするのが前兆でした。「カチカチ」の音がしてからwindowsが立ち上がるときは必ずキーボードが反応しないのでした。これまでですと、そのあとに再起動をさせることで直っていたのですが、先週はそれでも直らなくなってしまったのです。
僕はどんなものに対してもそうなのですが、壊れると自分で直したくなる性分です。ですから、今回もまずどこに不具合があるかを調べて自分で直すことを考えました。しかし、いろいろと調べていきましたところ買い替えるのが最も手間がかからず費用もかからないことがわかりました。「わかりました」と言いながら、その時点ではまだ予想でしかありません。それでも買い替えることにしたのはキーボードが思いのほか安いことを知ったからです。
結論を言いますと、大手家電チェーン店で820円で有名ブランドのキーボードを購入しました。早速帰宅しUSBを差し込みますと数分でデバイスがインストールされ、なんの問題もなく使えており、満足しています。
実は、買い替える前はたびたびフレーズしていて、そのフレーズを解消させるのにいつも5分くらい時間がかかっていました。そうした煩わしさを感じずにこのコラムも書いていますので気分よく終えることができます。

因みに、私たち夫婦は結婚して35年経ちますが、幾度も壊れそうになっています。それがまだ続いているのは「僕が直すのが好きな性分だから」です。妻が「度が過ぎない」のも一応はありますが…。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 14:58 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月02日

<歯止め>

文科省の元事務次官の前川氏と官邸のバトルはまだ続いているようですが、今のような中途半端な状態で収束してしまうのは、僕としては納得できませんのできちんとした決着の方向に進んでほしいと思っています。
前川氏と官邸のバトルが始まってからも女性議員のパワハラ事件があったり、稲田防衛大臣の問題発言があったり、いろいろな問題や事件が起こっていますが、そうしたことが結果的に「目くらまし」のようになっているのが気がかりです。
文科省の問題で言いますと、家計学園問題で影が薄くなりつつあった森友学園の籠池氏が安倍首相の昭江夫人のお店に行ったり、安倍首相の街頭演説に直接行ったりして100万円を返却するパフォーマンスをしているのは「事件を風化させない」という意味で効果があるように思います。いつか逮捕されるとは思いますが、それまで「籠池氏、頑張れ!」と心の中で思っています。
聖人のような優れた人間でもない限り、人は常に正しいことをするとは限りません。ほとんどの人は正しい判断と間違った判断の間を行ったり来たりしているはずです。もし、すべてにおいて完ぺきに正しい対応をしていると思っている人がいたなら、そのような人こそ信頼性に欠ける人です。
このように人は常に過ちを犯す可能性がありますので、過ちをできるだけ最小に抑えるためにチェック機能を配置することが必要です。学校で習った記憶がありますが、三権分立はそのために作られたシステムのはずです。しかし、システムがあるからといってきちんと機能していなかったならなんの意味もありません。大切なのはチェック機能が働いているかどうかです。

若い人には古臭い話に思えるかもしれませんが、1980年代初頭に中曽根康弘氏が首相だったときに官房長官を務めた人に後藤田正晴さんという方がいました。中曽根さんという方は、今の安倍首相のように憲法改正を訴えていた政治家で自衛隊を正式に認めることを主張していました。中曽根首相はいろいろな場面で自衛隊の活動範囲を広げようとしていましたが、その考えに注意を促していたのが後藤田さんでした。
後藤田さんは自衛隊の海外派遣を「針の一穴になる」と悉く反対していたのですが、もし後藤田さんが官房長官を務めていなかったなら中曽根さんの時代に自衛隊はもっと力をつけ活動範囲を広げていたはずです。まさしく後藤田さんが歯止めになっていました。
このように書きますと、僕が「後藤田さんは素晴らしく、中曽根さんは悪者」と思っているように思われますが、実は僕は中曽根さんも後藤田さんに負けないくらい素晴らしい政治家だと思っています。
理由は、至極シンプルで「自分の思い通りにさせてくれない後藤田さんを官房長官に据えていた」からです。歯止め的な役割を身近に配置することで自分の政治家としての姿勢を保とうとしているように思えました。それは独裁に陥らないことです。
以前、このコラムで安倍首相が憲法解釈の変更を行った際に僕は「昔だったら、法制局が抑えていたのに」と書きました。恥ずかしながらそのときは気づかなかったのですが、安倍首相は法制局が反対をしないように、内閣法制局長官の人事を変えていたのでした。覚えている方もいるでしょうが、安倍首相に考えが「近い」というか「同じ」小松一郎氏を長官に任命していました。このような布石がありましたので、あっさりと憲法解釈が行われていたのでした。
参考までに内閣法制局について辞典から引用いたします。
「内閣の補助部局の一つで、法律問題に関して内閣や大臣に助言を与える内閣直属の機関。内閣法制局は、法令の適用や解釈について内閣や各省庁で疑義が生じたときに意見を述べ、あるいは法律問題に関し、政府統一見解を作成するときに大きな役割を果たす。(ブリタニカ国際大百科辞典)」

自分の政策を遂行するには反対勢力を排除したほうが楽であるのは間違いありません。反対勢力によって、いちいち足止めをくらい中々前に進めないといった状況にならなくて済むからです。周りがみんな賛成してくれる人ばかりだったなら、なんの苦労をすることなく自分の思い通りに政策を遂行することができます。しかし、楽なほうには必ず落とし穴があります。

かつて星飛雄馬は小学生低学年の頃、父から早朝の走り込みを日課とされていました。ある日、飛雄馬がいつものコースを走っていると工事中で行き止まりになっていました。ですので、いつもとは違う道を選ばなければいけないのですが、道は二通りありました。右と左ですが、両者の違いは距離です。右を行きますといつもより距離が短くなり、左に行きますといつもより距離が2倍くらい長くなってしまいます。飛雄馬は迷った末に短くなる右の道を選びました。
飛雄馬はいつもより距離が短くなったことで少しうれしさを感じながら走っていたのですが、その道の出口に差し掛かったところに行きますと、なんとそこには父・一徹が腕組みをし鬼のような形相で待ち構えていたのです。飛雄馬を見た一徹は頬を張り飛ばして叱りました。
「どうして、大変な方を選ばなかったんだ!」

僕は安倍さんが首相になってから安倍さんのスタッフの世論を感じ取る敏感さに感服していました。世の中の雰囲気を実にうまくとらえていたからです。その感性が安倍さんの長期政権に寄与しているとさえ思っています。しかし、最近その敏感さにずれが生じているように感じています。
少し前に安倍首相の取り巻きのジャーナリストといわれる人がレイプ事件をもみ消したことでマスコミで注目されましたが、そのジャーナリストが安倍首相にアドバイスをしていたことは容易に想像がつきます。そのジャーナリストが事件でいなくなったことも「敏感でなくなったこと」と無縁ではないように想像しています。
また、最近の菅官房長官は記者会見での記者の人たちへの対応の仕方が自信無げになっているように感じています。それを端的に表していたのが、東京新聞の女性記者とのやり取りでした。よく解釈しますと「真摯に向き合おう」としているように見えましたし、一方で「弱弱しい感じ」を受けました。以前でしたら、批判的な質問に対しては一蹴するくらいのふてぶてしい対応をしていたように思います。端的に言いますと、「やりこめられていた」という印象です。

安倍さんが首相に返り咲き、菅さんが官房長官に就任したときは菅さんが安倍さんの歯止めの役割をしてくれるのではないか、と期待していました。後藤田さんの影が見えていたからです。しかし、残念ながらそのような対応はしていないようです。
安倍さんはお友だち内閣と揶揄されていましたが、実際に荻生田副官房長官や下村元文科大臣と家計学園の親密性を目の当たりにしますと、お友だち内閣は的を得ているように思います。

それにしても最近の大手新聞の報道姿勢はあまりにジャーナリズム感がなさすぎです。読売新聞の前川氏の出会いバー報道などを見ていますと落胆を通り越して悲しくなるくらいです。今回、またしても文春が下村議員の家計学園の寄付に関する記事を発表していましたが、新聞はスクープを忘れてしまったのでしょうか。先ほど、菅官房長官と東京新聞の女性記者とのやり取りを紹介しましたが、「きちんとした取材をしよう」という姿勢が好感です。いったい、大手新聞の記者の方々はどうしてしまったのでしょう。マスコミが政権の歯止めの役割を放棄してしまってはジャーナリストの名前が泣きます。

じゃ、また。

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posted by satoaki at 17:26 | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする